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『とっておき名短篇』 北村薫・宮部みゆき編集 ☆☆☆☆☆
以前『名短篇、ここにあり』を読んで失望して以来、北村薫・宮部みゆき編集のアンソロジー「名短篇」シリーズは読んでいなかったが、本屋でふと手にとってパラパラやったら面白そうだったので買ってみた。すると、今回は大当たり。大変面白かった。内容は三部に分かれていて、収録作品は次の通り。
(第一部)
「愛の暴走族」穂村弘
「ほたるいかに触る」蜂飼耳
「運命の恋人」川上弘美
「壹越」塚本邦雄
(第二部)
「一文物語集」飯田茂実
(第三部)
「酒井妙子のリボン」戸坂康二
「絢爛の椅子」深沢七郎
「報酬」 〃
「電筆」松本清張
「サッコとヴァンゼッティ」大岡昇平
「悪魔」岡田睦
「異形」北杜夫
まず、序盤のエッセー風掌編二つ、「愛の暴走族」と「ほたるいかに触る」が良い。「愛の暴走族」は愛を動機に暴走する悲しき恋人たちのストーカー的行動を、さらっと列挙したコワおかしい掌編で、「ほたるいかに触る」はほたるいかに心象風景を託す短いエッセー風掌編。いずれもストーリーを持たない柔構造のテキストが心地よい。「運命の恋人」はいつもの川上弘美で、「壹越」は格調高い古典的な文体で綴られるコワい話。
第二部の「一文物語集」は一つの文章で一つの物語、というか物語的な情景を表現したテキストを百八つ集めたもの。シュールレアリスティックで、ちょっと不気味なものやメルヘン調のものなどがあり、洒落ている。稲垣足穂を思わせるところもある。但し、「一文物語」というタイトルから想像した以上のものではなかった。ちなみに、これの作者である飯田茂実氏の本業はダンサーらしい。
第三部にはいよいよどっしりした読み応えのある短篇が並ぶ。「酒井妙子のリボン」は文化人や学者のイベントに出版社の人間が出かけていって鏡花の戯曲について議論するといった、ノンフィクション的な精緻なリアリズムとペダントリーが愉しく、そして最後に、いかにも日常的にありそうな暗い人間心理がひょいと飛び出してきてゾッとさせる。瑣末といえば瑣末だが、よく考えると非常に残酷であり、背筋がひんやりとする。次の深沢七郎二篇は、さすが『楢山節考』の作者らしい、荒涼とした凄まじき短篇だ。頭にガツンと来て、息苦しくなる。正直、私にはちょっとへヴィー過ぎる。松本清張の「電筆」は日本語の速記法を考案した人の話だが、清張作品としては大したことないと思う。
さて、ここから残り三篇の盛り上がりは怒涛である。まず「サッコとヴァンゼッティ」は無実の罪で死刑になったイタリア人二人の実話で、社会派的な怖さがひたひたと押し寄せてくる。無実の罪で、死刑。それも純然たる過ちというよりも、明らかに関係者の不誠実や欺瞞によって人為的に濡れ衣を着せられてしまうのである。たまらない。どう考えてもおかしなこの「証人」どもは、一体何を考えているのか。が、不謹慎な言い方だが、こういう話は小説にすると面白くてたまらず、ページを繰る手が止まらなくなる。
そして「悪魔」「異形」のニ連発は、もう絶句するしかない。いずれもすさまじい衝撃力、破壊力で、読み終えて「なんじゃこりゃあ!」と叫ぶ以外にない。結局何なのか良く分からないのもすごい。怖い子供を題材にした「悪魔」も奇怪だが、「異形」のワケわからなさはあまりにも強烈である。展開からオチのつけ方から、こんな小説は初めて読んだ。北杜夫という作家を完全に見直した。一種の山岳小説だけれども、どんな話か説明することすらおこがましいような気がするので、興味を持った人は読んで下さい。目が点になること請け合いです。
というわけで、本書のコストパフォーマンスは甚だ良好である。全体的に、色々な種類の「怖さ」が題材になっていると言っていいと思う。すれっからしの本読みも充分に満足できるアンソロジーである。
以前『名短篇、ここにあり』を読んで失望して以来、北村薫・宮部みゆき編集のアンソロジー「名短篇」シリーズは読んでいなかったが、本屋でふと手にとってパラパラやったら面白そうだったので買ってみた。すると、今回は大当たり。大変面白かった。内容は三部に分かれていて、収録作品は次の通り。
(第一部)
「愛の暴走族」穂村弘
「ほたるいかに触る」蜂飼耳
「運命の恋人」川上弘美
「壹越」塚本邦雄
(第二部)
「一文物語集」飯田茂実
(第三部)
「酒井妙子のリボン」戸坂康二
「絢爛の椅子」深沢七郎
「報酬」 〃
「電筆」松本清張
「サッコとヴァンゼッティ」大岡昇平
「悪魔」岡田睦
「異形」北杜夫
まず、序盤のエッセー風掌編二つ、「愛の暴走族」と「ほたるいかに触る」が良い。「愛の暴走族」は愛を動機に暴走する悲しき恋人たちのストーカー的行動を、さらっと列挙したコワおかしい掌編で、「ほたるいかに触る」はほたるいかに心象風景を託す短いエッセー風掌編。いずれもストーリーを持たない柔構造のテキストが心地よい。「運命の恋人」はいつもの川上弘美で、「壹越」は格調高い古典的な文体で綴られるコワい話。
第二部の「一文物語集」は一つの文章で一つの物語、というか物語的な情景を表現したテキストを百八つ集めたもの。シュールレアリスティックで、ちょっと不気味なものやメルヘン調のものなどがあり、洒落ている。稲垣足穂を思わせるところもある。但し、「一文物語」というタイトルから想像した以上のものではなかった。ちなみに、これの作者である飯田茂実氏の本業はダンサーらしい。
第三部にはいよいよどっしりした読み応えのある短篇が並ぶ。「酒井妙子のリボン」は文化人や学者のイベントに出版社の人間が出かけていって鏡花の戯曲について議論するといった、ノンフィクション的な精緻なリアリズムとペダントリーが愉しく、そして最後に、いかにも日常的にありそうな暗い人間心理がひょいと飛び出してきてゾッとさせる。瑣末といえば瑣末だが、よく考えると非常に残酷であり、背筋がひんやりとする。次の深沢七郎二篇は、さすが『楢山節考』の作者らしい、荒涼とした凄まじき短篇だ。頭にガツンと来て、息苦しくなる。正直、私にはちょっとへヴィー過ぎる。松本清張の「電筆」は日本語の速記法を考案した人の話だが、清張作品としては大したことないと思う。
さて、ここから残り三篇の盛り上がりは怒涛である。まず「サッコとヴァンゼッティ」は無実の罪で死刑になったイタリア人二人の実話で、社会派的な怖さがひたひたと押し寄せてくる。無実の罪で、死刑。それも純然たる過ちというよりも、明らかに関係者の不誠実や欺瞞によって人為的に濡れ衣を着せられてしまうのである。たまらない。どう考えてもおかしなこの「証人」どもは、一体何を考えているのか。が、不謹慎な言い方だが、こういう話は小説にすると面白くてたまらず、ページを繰る手が止まらなくなる。
そして「悪魔」「異形」のニ連発は、もう絶句するしかない。いずれもすさまじい衝撃力、破壊力で、読み終えて「なんじゃこりゃあ!」と叫ぶ以外にない。結局何なのか良く分からないのもすごい。怖い子供を題材にした「悪魔」も奇怪だが、「異形」のワケわからなさはあまりにも強烈である。展開からオチのつけ方から、こんな小説は初めて読んだ。北杜夫という作家を完全に見直した。一種の山岳小説だけれども、どんな話か説明することすらおこがましいような気がするので、興味を持った人は読んで下さい。目が点になること請け合いです。
というわけで、本書のコストパフォーマンスは甚だ良好である。全体的に、色々な種類の「怖さ」が題材になっていると言っていいと思う。すれっからしの本読みも充分に満足できるアンソロジーである。
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