アブソリュート・エゴ・レビュー

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幽霊―或る幼年と青春の物語

2015-08-19 19:25:06 | 
『幽霊―或る幼年と青春の物語』 北杜夫   ☆☆☆☆

 北杜夫というと『船乗りクプクプの冒険』と『怪盗ジバコ』ぐらいしか読んだことがなかった私だが、前に紹介した『とっておき名短篇』の中の「異形」を読んでそのとんでもない破壊力に衝撃を受け、他のものを読んでみようと思い入手したのがこの『幽霊』である。最初は小部数で自費出版された、著者の処女長編ということである。

 「或る幼年と青春の物語」と副題が付いている通り、これは「ぼく」という一人称による幼年期の追想である。筋らしいものは特にない。というと自伝かと思うだろうが、創作もまじっていて、まったくの事実ではないらしい。が、やはり著者の幼年期の記憶や感性がベースになっている小説であることには違いない。

 要するに「ぼく」が成長する中で記憶にとどめているさまざまなことを淡々と書き連ねてあるのだが、おのずとそこには視点というものがあり、エピソードを取捨選択し、並べていく中で作者の意図が浮かび上がってくる。それが本書のユニークさとなるわけだが、本書中で語られるエピソードとは次のようなものだ。死んだ父の記憶。家出した母の記憶。自分と姉が見た幽霊のこと。書斎にある膨大な書物。手品に凝っていた叔父と彼の失敗のこと。従兄弟や婆やのこと。姉の死。家族の墓。絵を描くこと。蝶や蛾などの虫のこと。その標本。病気をしたこと。母や死んだ姉とどこか似通っている少女たちのこと。自然と繋がっているという自分の中の強い感覚。山の風景。などなど。

 一見して分かるように、死に関するエピソードや想念が多い。父や姉の死のこと、自分が生まれる前に死んだと聞いている兄ともう一人の姉の墓のことなどが語られる。家出した母親の「幽霊」を見るエピソードもあり、このような喪失感、身近な人間がふいに失われてしまうというはかなさや不安が、「ぼく」の幼年期には常に漂っている。

 もう一つ特徴的なのは、幼年期の記憶はただ忘れられるのではなく、「成長する」という最優先目的のために隠蔽されるのではないだろうか、という著者独特の観念である。従って本書ではまず父や母がいた頃の幼少期のぼんやりした記憶が語られ、次にそれがすっかり忘却された後、また「ぼく」がぽつりぽつりとが思い出していく、という流れになっている。それが冒頭の枕詞、「どの民族にも神話があるように、どの個人にも心の神話があるものだ。その神話はしだいに薄れ、やがて時間の深みのなかに姿を失うように見える。――だが、あのおぼろげな昔に人の心にしのびこみ、そっと爪跡を残していった事柄を、人は知らず知らず、くる年もくる年も反芻しつづけているものらしい」に呼応している。

 つまり著者にとって、幼年期の記憶とは神話であり、神秘的な何かである。そして人が生涯、無意識のうちに繰り返し反芻し続けるものであり、ある時ふいに蘇って人を立ちすくませるものである。それは人の人生を、目に見えない力で操るものですらあるかも知れない。

 終盤、「ぼく」のこの観念は「ぼく」自身の人生の予感となっていく。「ぼく」が幼い頃からなぜか惹かれる「牧神の午後」のフルートの音、トーマス・マンの小説、ドイツにある館のイメージ。「ぼく」の父と母が異国で出会ったという事実が、どこかでそれらと不思議なやり方で結びついている。そしてまた「ぼく」の身の回りに時折出現する、いなくなった母や死んだ姉にどこか似ている少女たち。こうしたことすべてが、「ぼく」もまた「ぼく」の人生の中で、いつか大切な誰かと出会うだろう、という予感へと繋がっていく。

 きわめて淡々と綴られる回想記ながら、その中に複雑な陰影と神秘の感覚を宿している。「異形」の衝撃力とはまたタイプが違う、繊細な瑞々しさが染み透ったような書物だった。

 


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