アブソリュート・エゴ・レビュー

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日本文学100年の名作第3巻1934-1943 三月の第四日曜

2018-10-11 22:34:40 | 
『日本文学100年の名作第3巻1934-1943 三月の第四日曜』 池内紀/松田哲夫/川本三郎・編集   ☆☆☆☆

 「日本文学100年の名作」シリーズの第三巻目。前回レビューした『百万円煎餅』から更に時代を遡り、戦争ど真ん中の時代である。収録作は萩原朔太郎「猫町」、武田麟太郎「一の酉」、菊池寛「仇討禁止令」、尾崎一雄「玄関風呂」、石川淳「マルスの歌」、中山義秀「厚物咲」、幸田露伴「幻談」、岡本かの子「鮨」、川崎長太郎「裸木」、海音寺潮五郎「唐薯武士」、宮本百合子「三月の第四日曜」、矢田津世子「茶粥の記」、中島敦「夫婦」の十三篇。

 例によって印象のみ、駆け足で紹介する。既読だった萩原朔太郎「猫町」は、前にレビューを書いた通り詩人の散文詩的短篇、と呼ぶのが似つかわしい、幻覚と不安感の蒸留酒みたいな作品。「一の酉」は水商売の店で働く女たちの生活が題材。女たちの嫉妬、駆け引き、肉親のトラブルや不倫などをやわらかい優美な筆致で描き出す。次の「仇討禁止令」は、大義名分のために不本意ながら婚約者の父を斬った男の人生を、厳しくも端正に描き出す。人生を引き裂くような葛藤の重さと、それが人々にもたらす運命的な悲劇が立ち上がってくる見事な短篇。劇的で吸引力が強い。うってかわって「玄関風呂」はちょっとユーモラスで、飄々としていて、人を喰った短篇である。風呂桶を買ったはいいが置く場所がなくて玄関に置く、というほとんどそれだけの話。こんななんてことない題材を小説にしてしまうのが逆にすごい。

 石川淳「マルスの歌」は戦争に傾斜していく世論への風刺、または嫌悪の表白というべき作品。はっきり言って気持ち悪い短篇である。そして中山義秀「厚物咲」は、本書収録作の中で文句なくナンバーワンの圧倒的逸品。語り手の男性と身勝手な友人との長年にわたるつきあいが濃密な語りで繰り広げられるが、友人である男の身勝手さは恐ろしさとユーモアがまじり合って読みながら戦慄するレベル。それに加え、そんな最低の人間が見事に美しい菊を作るという芸術の不可思議性も絡め、「菊」づくりの魅惑が盛り込まれている。次の「幻談」も既読で、以前岩波文庫のレビューを書いたが、怪談は味つけ程度でどっちかというと釣りの蘊蓄と粋についての短篇である。岡本かの子の「鮨」は再び水商売の女の話で、年配の客の鮨にまつわる記憶と思い入れが印象的な佳作。

 「裸木」はみずてん芸者と二人の男の艶っぽい物語。ヒロインの愛人のひとりとして登場する映画監督は小津安二郎がモデルらしい。「唐薯武士」は侍として戦に行こうとする少年の話だが、これも時世を反映した作品なのだろうか。海音寺潮五郎の短編集『王朝』は私の愛読書の一冊だが、この著者の作品としては小粒で地味だ。表題作である「三月の第四日曜」は、工場かどこかに働きに出た姉弟の物語。姉が主人公で、彼女を取り巻く人々の人間ドラマが生活感とペーソスを醸し出す。「茶粥の記」は夫婦の物語だが、モチーフとして食べ物が使われる。夫は役所勤めしながらエッセーを書いていて、食べたこともない美食についてグルメエッセーを発表するが、実際の彼の好物は妻がつくる粥である。最後の中島敦「夫婦」は、パラオの島民を主人公にした艶笑譚。特にどうということはない軽い一篇。

 というわけで、当然ながら戦争の時代を反映した短篇が複数混じっている。が、個人的にはどれも好きになることはできなかった。有名な「マルスの歌」は初めて読んだが、私にしてみれば妙にいびつな小説で、イデオロギーが小説の皮をかぶっているように見える。文学にはこういう役割も多分あるのだろうが、私にはやっぱり気持ち悪い。
 
 全体に私の好みである幻想系や奇譚系は少なく、その代わりに水商売の女性を主人公にした人間模様系の小説が目立った。もちろんここに選ばれるだけあって文章は達者だし風情もあるが、個人的にはちょっと物足りなかった。私のフェイバリットは「仇討禁止令」と「厚物咲」。この二篇は圧巻である。そして次点は「玄関風呂」と「幻談」。まあ、かなり趣味が偏ったチョイスであることをお断りしておきたい。



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