『猫町』 萩原朔太郎 ☆☆☆☆
東京から北陸の温泉に出かけた「私」は、ふとしたことから、「繁華な美しい町」に足を踏みいれる。すると、そこに突如人間の姿をした猫の大集団が……。
という惹句を読んで私が想像したのは、日影丈吉の『猫の泉』のような話だったが、読んでみるとだいぶ違っていた。『猫の泉』、好きなんだよなあ~。
ヨンの町に猫の写真を撮りに行った「私」が不思議な経験をする『猫の泉』に対し、こちらは温泉に出かけた「私」が見知らぬ町で不思議な経験をする……というのは似ているのだが、ユーモラスで飄々としている『猫の泉』と比べると『猫町』は少し不気味である。それに前者は普通にストーリーを展開するが後者はほとんど瞬間芸であって、ぱっと幻想をひらめかせたと思うとそのまま終わってしまう。冒頭に書いた惹句を読むとそこからメルヘンチックな物語が展開しそうな気がするが、そうではなかった。「え、もう終わり?」というのが最初の読後感だ。
そういう意味では予想を裏切られたが、だからと言って悪い点をつけるのは心の狭い人間のやることである。そういう話だったかと思って印象を修正すると、これはこれで面白い。いかにも詩人が書いた短篇という感じで、散文詩的なところがオツである。日本的な情緒が濃厚だが、ある意味オクタビオ・パスあたりのコント・ファンタスティックにも通じるものがある。
実際、本書の第二部には小説寄りの散文詩がまとめて収録してあり、それらもなかなか面白い。一篇二ページぐらいの掌編ばかりで、やはり瞬間芸だ。『郵便局』『自殺の恐ろしさ』『群集の中に居て』『虫』『この手に限るよ』などが気に入ったが、『虫』なんてのは明らかにコント・ファンタスティックである。
順序が逆になったが、小説を収録した第一部には『猫町』の他に、『ウォーソン夫人の黒猫』と『日露戦争異聞(原田重吉の夢)』が収められている。このどちらも詩人気質から生まれた幻想的な短篇だが、『日露戦争異聞』にはテンポの良い軽やかさがあってなかなか良い。『ウォーソン夫人の黒猫』はやはりちょっと不気味な、怪談風の話。
『猫町』や『ウォーソン夫人の黒猫』を読んで思ったのは、この人の短篇はどこか狂気を感じさせるということだ。おおらかな童話や、神話や、優雅なエスプリから幻想が生まれてくるというより、狂気、もしくはドラッグがもたらす幻覚から生まれたような印象がある。『猫町』の中にモルヒネやコカインを用いて云々という記述があるが、本当に中毒だったのかも知れない。
それから訳者の解説が結構面白い。萩原朔太郎の小説作法を分析しているのだが、これがかなり果敢に突っ込んでいて読み応えがある。『猫町』の仔細な分析もある。
ただ『猫町』の猫の大群を、軍国主義に走る日本の大衆のメタファー、時代の不安の顕れとして解釈してしまっているのはいただけない。あまりに理に落ちすぎて面白くない。ありきたりだ。猫は猫でいじゃないか。『ウォーソン夫人の黒猫』にも猫が出てくるが、作者は猫になんらかのオブセッションがあったのかも知れない。もともと猫という動物にはどこか神秘的な、魔的なところがあるのであって、そういうイメージを全部ひっくるめてこの作品は成立している。こういう詩的なイメージをこんな陳腐な解釈で固定してしまうべきではないと思う。
東京から北陸の温泉に出かけた「私」は、ふとしたことから、「繁華な美しい町」に足を踏みいれる。すると、そこに突如人間の姿をした猫の大集団が……。
という惹句を読んで私が想像したのは、日影丈吉の『猫の泉』のような話だったが、読んでみるとだいぶ違っていた。『猫の泉』、好きなんだよなあ~。
ヨンの町に猫の写真を撮りに行った「私」が不思議な経験をする『猫の泉』に対し、こちらは温泉に出かけた「私」が見知らぬ町で不思議な経験をする……というのは似ているのだが、ユーモラスで飄々としている『猫の泉』と比べると『猫町』は少し不気味である。それに前者は普通にストーリーを展開するが後者はほとんど瞬間芸であって、ぱっと幻想をひらめかせたと思うとそのまま終わってしまう。冒頭に書いた惹句を読むとそこからメルヘンチックな物語が展開しそうな気がするが、そうではなかった。「え、もう終わり?」というのが最初の読後感だ。
そういう意味では予想を裏切られたが、だからと言って悪い点をつけるのは心の狭い人間のやることである。そういう話だったかと思って印象を修正すると、これはこれで面白い。いかにも詩人が書いた短篇という感じで、散文詩的なところがオツである。日本的な情緒が濃厚だが、ある意味オクタビオ・パスあたりのコント・ファンタスティックにも通じるものがある。
実際、本書の第二部には小説寄りの散文詩がまとめて収録してあり、それらもなかなか面白い。一篇二ページぐらいの掌編ばかりで、やはり瞬間芸だ。『郵便局』『自殺の恐ろしさ』『群集の中に居て』『虫』『この手に限るよ』などが気に入ったが、『虫』なんてのは明らかにコント・ファンタスティックである。
順序が逆になったが、小説を収録した第一部には『猫町』の他に、『ウォーソン夫人の黒猫』と『日露戦争異聞(原田重吉の夢)』が収められている。このどちらも詩人気質から生まれた幻想的な短篇だが、『日露戦争異聞』にはテンポの良い軽やかさがあってなかなか良い。『ウォーソン夫人の黒猫』はやはりちょっと不気味な、怪談風の話。
『猫町』や『ウォーソン夫人の黒猫』を読んで思ったのは、この人の短篇はどこか狂気を感じさせるということだ。おおらかな童話や、神話や、優雅なエスプリから幻想が生まれてくるというより、狂気、もしくはドラッグがもたらす幻覚から生まれたような印象がある。『猫町』の中にモルヒネやコカインを用いて云々という記述があるが、本当に中毒だったのかも知れない。
それから訳者の解説が結構面白い。萩原朔太郎の小説作法を分析しているのだが、これがかなり果敢に突っ込んでいて読み応えがある。『猫町』の仔細な分析もある。
ただ『猫町』の猫の大群を、軍国主義に走る日本の大衆のメタファー、時代の不安の顕れとして解釈してしまっているのはいただけない。あまりに理に落ちすぎて面白くない。ありきたりだ。猫は猫でいじゃないか。『ウォーソン夫人の黒猫』にも猫が出てくるが、作者は猫になんらかのオブセッションがあったのかも知れない。もともと猫という動物にはどこか神秘的な、魔的なところがあるのであって、そういうイメージを全部ひっくるめてこの作品は成立している。こういう詩的なイメージをこんな陳腐な解釈で固定してしまうべきではないと思う。
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