アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

ソロモンの偽証(その1)

2015-03-11 21:18:05 | 
『ソロモンの偽証(1~6)』 宮部みゆき   ☆☆☆☆☆

 マンハッタンの紀伊国屋で文庫が平積みになっているのを見て購入。中学生が裁判をやる話と聞いていたので、そのリスキーな設定に「もしかしたらハズレかも」と思いつつ買ったが、杞憂に終わった。『楽園』『名もなき毒』あたりからあまり読んでないのでえらそうなことは言えないが、『模倣犯』に代わる新たな代表作と言っていいんじゃないか。

 とにかく、文庫本で6冊という分量の圧倒的大長編。しかもだらだら水増しした感はなく、宮部みゆき最初から最後まで全力投球だ。その気合いと熱気にまずやられる。力みなぎっている。かつ、力が入り過ぎて空回りしているということもない。きちんと距離感を図って、当代の人気作家の技巧の冴えを見せつけている。またその技巧も「要領よく」「器用に」という技巧ではなく、緻密に緻密に書き込んで、物語空間をひたすら塗りこめていくというスティーヴン・キング式の愚直なまでの剛球勝負だ。中学生が自分たちの手で裁判をやるという荒唐無稽なアイデアを、圧巻の力技で成立させている。

 本書の中では連鎖反応的にいくつかの事件が起きるが、ことの起こりは男子中学生の墜落死である。冬の日、学校の屋上から落ちた中学生の死体が、雪の中から発見される。彼は不登校の問題児だった。事件は自殺として処理されるが、しばらくして、これは殺人であり自分は犯行を目撃した、と語る告発状が関係者のもとへ届く。犯人と名指しされたのは被害者ともめたことがある不良グループ。果たして真実は?

 序盤で中学生の自殺、父兄の動揺、広がる不信という不穏なさざ波を立てていたドラマは、告発状が出た時点からまさに激流となって流れ出すわけだが、これはただ中学生の死の真相を解くミステリではない。その謎を中核に据えながらも、玉突きゲームのように広がる動揺、反感、敵意、不信、欺瞞、あるいは怒り、悲しみ、祈りなどの人間の思いがどのようにもつれ合い、絡み合って事件を、そして社会を動かしていくかを、徹底して凝視し検証する小説である。事件そのものはさほどユニークなものではないし、告発状の真偽にも実はそれほど重要性は置かれていない。重要なのは、学校の教師たち、生徒たち、父兄、警察、そしてマスコミの事件へのリアクションであり、一人一人の行動である。一人の中学生の死という、悲劇的だけれども限定的な事件のまわりで社会がどんどん化学反応を起こしていき、その結果巨大なドラマとなって蠢動する、それが本書の物語である。

 たとえば学校の校長は誠意をもって、懸命に事態を収拾しようとする。無責任な噂が広まらないように注意し、父兄が暴走しないよう歯止めをかけ、生徒を動揺させないよう心を砕く。うさんくさい告発状が出現した時はますます注意し、警察にも相談の上で公表を見合わせる。ところが、これが後で隠蔽と非難される。すべてが裏目に出て、遺族からも父兄からも生徒からも信頼されなくなり、マスコミからは激しくバッシングされる。一体彼はどうすればよかったのだろうか。

 この激動の物語の中では、何が正しくて何が間違っているのかがまったく分からない。何が子供達のためで、何が違うのか。教育者として、親として、おとなは何をすべきなのか。真実の暴露か、あるいは隠蔽か。正義とは何か、というより、正しさとは何か、と根源的な疑問を突きつけるこの物語の中では、単純なヒールは存在しない。もっとも分かりやすい憎まれ役として登場する不良学生の大出と、嫌われ者の三宅樹理の行動は大半の読者を激怒させるに違いなく、私も「頼むから死んでくれ」と思うこと数十回に及んだけれども、彼らさえ「本当に彼らは悪なのか?」という疑問と検討の対象になるのである。これには参った。もっと単純なヒールを出して最後にメッチャひどい目に合わせ、読者に溜飲を下げさせる方がエンタメとして簡単だっただろうに(私はこれを『告白』方式と呼んでいる)、作者・宮部みゆきの知的誠実に頭が下がる思いだ。

 その一方で、分かりやすい善玉キャラもまた少ない。主人公である涼子と一部の生徒たちは別として、たとえば優秀な教師として登場する高木先生は後に専制的な一面を見せるし、マスコミ偏向報道の最大の被害者であり読者の同情を誘うはずの森山先生は、教師として問題があるとも言われている。

 このようなキャラクター設定の揺らぎを最大限に持たされているのは、死んだ中学生の柏木である。彼がどんな生徒だったのかは本篇全体を貫く大きな謎だが、その人柄の印象は証言する人の立場によって複雑に変化していく。こうした揺らぎと何が本当か分からない多義性は本書の徹底した特徴で、エンタメとしてはかなり損をしていると思う。誰に感情移入したらいいのか分からない、誰がどういうキャラだかよく分からない、という読者もいるだろうからだ。

 さて、この大長編は全部で三つのパートに分かれている。「事件」「決意」「法廷」の三つで、それぞれがまた上下巻に分かれて全6巻となっている。第一部「事件」は文字通り事件の経過で、中学生が死に、告発状が出され、マスコミがそれを問題にして学校を叩く。その過程でまた数人の犠牲者が出る。すべてが混沌としたこの状態に「もうたくさんだ」とノーを突きつけるため、主人公である女子中学生・涼子は「卒業制作」として自分たちの手で事件を調査し、模擬裁判を行ってシロクロ決着をつけることにする。ここから第二部「決意」となり、裁判に欠かせない人々、つまり検事、弁護士、裁判官、陪審員を集め、検事側と弁護士側で情報収集と証人集めをする。もちろん、弁護士や検事はすべて中学生だが、証人はおとなでも良い。被告は告発状で犯人と名指しされた不良学生の大出である。

 この「決意」の最初の部分、裁判をやるという涼子の主旨に同意して仲間たちが集まってくる部分はちょっと『七人の侍』を思わせ、新しいキャラクターも続々登場することもあってワクワクする。注目の新キャラは裁判官の秀才・井上と、他校から参加する謎めいた美少年・神原だろう。神原はどことなく不穏な、何かを隠しているようなそぶりがあり、今後キーパーソンとなることを予感させる。学年トップの井上はかなり極端なキャラで、こんな中学生いないだろうというぐらいロジカルで理性的な生徒である。

(次回へ続く)



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2 コメント

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やっぱり宮部みゆき (junjun)
2015-03-13 15:59:45
私は単行本版が一か月ごとに発売されるのを、指折り数えて待ちわびていたクチです。でも、文庫の第6巻だけは買いました。
近い時期に奥田英朗の「沈黙の町で」が出て、同じく男子中学生の学内での転落死を発端とした物語でしたが、もちろん切り口も味わいも異にするとは言え、改めて自分が宮部サン好きであることを再認識しました。

この映画化作品が、前編は3月7日から、後篇は4月から上映されています。
監督の作風も、中学生役はすべて長期のオーデションで選ぶ姿勢も好ましいのですが、宮部作品の映像化にはトラウマがあり・・・、多分観ないかなあ。
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映画化 (ego_dance)
2015-03-15 01:12:04
映画化されるのは知っていましたが、前編がもう始まっているとは知りませんでした。この小説の映画化はまた相当難しいでしょうね。どういう結果になったか、見てみたいような、見たくないような。トラウマというのは、森田監督のアレですよね。その気持ち、分かります。
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