アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

ソロモンの偽証(その2)

2015-03-14 11:53:09 | 
(前回からの続き)

 その後調査となり、弁護士チームと検事チームが交互に証人と会って話を聞くという流れが続く。Amazonのカスタマーレビューなどを見るとこの第二部がだれるという声が多いようだが、確かに第一部「事件」と比べるとリーダビリティは落ちるかも知れない。しかし個人的には読むのが億劫になるようなことはまったくなく、これはこれで愉しめた。新たな事件展開のスリルがなくなるかわりに、事実関係の整理、裁判の方向性、涼子や神埼の戦略というまた別の興味で読ませる。

 その一方でなかなか難しいのは、この「学校内裁判」の目標設定である。これは作者の宮部みゆきがもっとも苦労したところではないかと想像する。つまり、「学校内裁判」なので有罪・無罪が出たところで何の懲罰もない。更に難しいのは、もともとの動機が「本当のことを知りたい」なので、弁護側・検事側が相手に勝とうと争うモチベーションが弱い。これは実際に検事役である涼子も勝つ事より真実を知ることが目的であり、自分が負けることで真実が分かるならそれで良いという発言をする。だとするならば、弁護側に証人を伏せたり、戦略を立てたりする意味がなくなる。戦いの真剣度が薄くなってしまう。それに中学生が警察の調査結果をすべて入手できないだろうし、証人を尋問する権利も裁判に召喚する権利もない。

 もちろんこれらは一つ一つ学校内裁判を成立させるに充分な範囲内でクリアされていくが、物語中誰かが批判するように、読者からも「裁判ごっこ」と見くびられる危険性がある。おそらく、ここに引っかかってテンションを維持できず、本書を評価しない人もいると思われる。

 しかしこういうリスクを引き受けてまで中学生による「学校内裁判」の設定に作者がこだわったのは、ただ青春ものの甘酸っぱさを狙ったというだけではなく、真実を追求するにあたっては事実関係より人々の思いの在りかを重視するという本書の姿勢にとって、普通の裁判ものよりこの「学校内裁判」の方が有効だという判断があったからだと思う。しかし、これは相当なチャレンジである。このアイデアで大長編を書く勇気のある作家は少ないだろう。この難しい目標に果敢に挑戦したところに私は宮部みゆきの作家魂を見るし、またその目標をまがりなりにも達成したことに作家としての底力を見る。

 そして第三部「法廷」はもちろん、学校内裁判の模様をつぶさに追っていく。これもまた、第二部の延長線上で難しさがある。意外な事実の暴露、という分かりやすいスリルも多少はあるけれども、多くは関係者たちの思いに焦点が当てられているからだ。また、裁判劇を盛り上げるには検事側と弁護側が火花を散らす必要があるが、先に述べた通りこの学校内裁判ではそのモチベーションが弱い。実際に涼子が神原の戦略を読めずに苛立つ場面があったりするが、その苛立ちがどこから来るものなのか分かりづらい。

 また、涼子が敵である弁護側に「ここで異議申し立てをして欲しい」と思ったところで実際に異議申し立てがなされ、こっそり感謝の視線が交わされるといった腹芸のやりとりまであるが、ここまで高度な駆け引きを中学生がやるのは非現実的であるには違いない。また裁判官役の井上も、異議を認めたり却下したりはもちろん、ポイントポイントで検事・弁護士を呼びつけて「一体どうなっている? 狙いは何だ?」などと問いただしたりするという、ベテラン裁判官並みの仕切りを見せる。

 だから「こんな中学生いるわけがない」と読者が思うのは当然だし、実際そう思った人が多いのはAmazonのレビューを見れば良く分かる。私も思った。しかしおそらく、その「不自然さ」は作者も承知の上で書いている。言ってみれば、それはこの学校内裁判という難しい設定を成立させるためには避けられない代償なのである。これは、リアルに中学生がやったらどうなるかという小説ではないのだ。本書は色々な意味で読者を選ぶ小説だと思うが、しかし売れっ子作家の宮部みゆきともなれば、どの程度自分の読者がこれについて来れるかという目算も立つはずで、まあ充分に勝算のある賭けだったに違いない。

 中学生による学校内裁判は色んなことに色んな決着をつけながら終わる。意外な真相が判明するのはもちろん、難問と思われた大出と三宅樹理の扱いも、救済しつつきちんとダメ出しもするという離れ業を見せる。色々とハードルが高かった「学校内裁判」だが、私は今回の宮部みゆきのチャレンジは成功したと思う。どうもスッキリしないと思う人もいるだろうが、これはスッキリさせないのが正解なのだ。あとは読者が自分なりに咀嚼すればよい。

 ただし法廷劇が好きな私としては、キーとなる証人への反対尋問が全般に少ないのが残念だった。学校内裁判という特殊性からやむを得ないことは分かるのだが、文庫で上下巻たっぷり法廷場面が続くのだから、どうしても検事側と弁護士側で丁々発止を期待してしまうのである。

 さて、これだけ熱のこもった長編だと読み終えた時の感慨はまたひとしおだが、全体の印象をまとめると、やはり他の宮部作品と同じように人の心の闇を描いた小説という感じが強くする。おかしな人間、病んだ人間がたくさん出てくる。残酷なことが起きる。が、まだ心が柔らかい中学生たちを主役にして青春ものの要素を導入したことでその暗さが中和され、苦さとともに爽やかさも感じ取れる作品になっている。このバランスも成功だと思う。

 これだけ細かく描き込まれた大長編なので登場人物の数も尋常ならざる多さだが、中にはもっと活躍させて欲しかったキャラもいる。私の場合はあのいい加減なおじさん刑事と、興信所の探偵である。二人とも、どことなくプロの凄みを感じさせるキャラで、個人的にはもっと出番を多くして欲しかった。あと、この息詰まる物語の中で素晴らしい清涼剤となっていたのが涼子の妹達。彼女たちが登場するどの場面も微笑ましくて、心をほっこりさせてくれた。

 というわけで、本書は宮部ファンは必読、「宮部みゆきは当たり外れがある」と思っている人にもおススメできる傑作だ。ちなみに、最終巻である6巻には本篇終了後、数十年後の後日談ともいうべきおまけの短篇が収録されている。話は別物だが、中学生が主役という趣向と一部の登場人物が共通している。一部の登場人物とはつまり『ソロモンの偽証』の中学生がおとなになって登場するのだが、最後に意外な驚きがあって読者をにやりとさせてくれる。なるほど、結局そういうことになったわけね。



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