アブソリュート・エゴ・レビュー

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七人の侍(その1)

2007-11-17 23:31:02 | 映画
『七人の侍』 黒澤明監督   ☆☆☆☆☆

 新しくリストアされた映像のCriterionの『用心棒/椿三十郎』ツインパックが非常によかったので、今度は『七人の侍』を買ってきた。これもリストアされた画像の美しさをアマゾンのレビューで褒めている人がいるが、確かにすごくきれいになってる。さすがに古いせいか『用心棒/椿三十郎』よりやや落ちるが、まあビデオと比べれば雲泥の差だ。昔ビデオで観た時は輪郭は滲んでるし音声はこもってるし、見づらかったからなあ。もちろんそれでも映画そのものの面白さにはぶっとんだわけだが、その『七人の侍』を今やこんなにキレイな映像で見れるとは。ありがたやありがたや。

 しかしこのCriterionはいい仕事するなあ。この洒落たパッケージを見よ。映画を観たことない人にはわけわからないだろうが、これは農民+侍たちの旗なのである。映画の中で侍の一人、平八が作るのだが、下の「た」は田んぼのた、つまり百姓達、上の六つの○は侍たち、真ん中の三角が百姓出身の自称侍、菊千代、をシンボライズしている。見たことない人にはわけわからないこの図柄を堂々とパッケージに持ってきたということで、DVD制作者がこの映画に抱いている誇りと愛情のほどが伝わってくるじゃないか。

 本編についてはもはや説明の必要もない、日本が世界に誇る大傑作であり、世界映画史の中に燦然と輝く金字塔である。この映画への愛情を吐露する有名監督は数知れず。数々の傑作を残した巨匠・黒澤明のさまざまな美質が、この一本にもれなくギュッと凝縮され、厳しく美しく壮麗に結実している。観たことない人はいても映画のタイトルを知らない人はいないはずだ。

 野武士の略奪に苦しめられる村が、自衛のために侍を雇うことを決め、町へ侍探しに出てくる。貧しい村なので、報酬は飯を食わせるというだけ。侍探しは難航するが、なんとか6人集まり、村へやってくる。自称侍の菊千代(三船敏郎)が勝手についてきて7人の侍が揃う。侍達は早速地形を調べ、柵をつくり、百姓を訓練し、戦略を立てて野武士の襲撃に備える。米の刈り入れが終わり、ついに野武士がやってくる。そして壮絶な戦いが始まる……。

 3時間半ほどの大長編で、見終わると他の映画では味わえないほどどっしりした満足感が得られる。一大叙事詩、とはこのこと。全体は大体三部に別れている。第一部は侍探し。百姓が侍を雇う、という無謀な試みがどうなるか。それぞれ個性のある侍が一人また一人と集まってくる様子が感動的で、わくわくさせられる。第二部は侍が農村へやってきて野武士といくさが始まるまでの準備期間。この村をどう守るか、という問題の検討や準備の様子がつぶさに繰り広げられ、大変面白い。その中で侍達と百姓の亀裂、不信、いさかいなどさまざまな問題が提起され、解決されていく。そして第三部はもちろん、ハイライトとなる野武士とのいくさである。単なるチャンバラではなく、戦略に裏付けられた守り、攻め、そして時間の経過とともに問題となる疲労、士気の低下などあらゆる要素が盛り込まれ、至高のドラマをつむぎだしていく。

 第一部の侍探しで最初に登場するのは勘兵衛(志村喬)だが、彼が話を引き受ける経緯がとても感動的だ。早業で盗賊を退治した勘兵衛に百姓たちは話をもっていく。勘兵衛は断る。帰ろうとすると、そばで聞いている人夫達が笑い、泣いている百姓に「首でもくくれ」と毒づく。この人夫は前々から百姓達をさんざん嘲笑していた奴で、非常に憎たらしい。勘兵衛に弟子入りするためについてきていた勝四郎(木村功)が若い正義感から「口を慎め、お前達にはこの百姓の苦しみが分からんのか!」と一喝しても、人夫はさらにふてくされたような態度で、「何言ってやんでえ、分かってねえのはお前さんたちじゃねえか」「何だと!」この人夫の次のセリフに、最初観た時私は驚愕した。「そうじゃねえか。分かってたら助けてやったらいいじゃねえか!」

 それまで憎たらしい悪役キャラでしかなかった薄汚い人夫の、本当の姿がここで明らかになる。彼は心の底では百姓達に同情していたのだ。そしてできれば彼らを助けたいと思っていたのだ。それなのに表面的には「さっさと死んじまえ!」と毒づくこのひねくれた性格は「うじうじした奴は大嫌いだ!」といいながら村人を助けてやる三十郎に通じるものがある。観ている私達はようやくそれに気づき、驚く。キャラクターを見かけと表面的な言動で判断していたからである。しかし黒澤明が『椿三十郎』で語っていたように、人間は決して単純なものではなく、その見せかけと真実は往々にして一致しない。なんとも意外で感動的なシーンだ。
 さて、勝四郎は返す言葉がなく、逆上して刀を抜く。それをいさめた勘兵衛に人夫はさらに「百姓にはこれが精一杯なんだ!」と叫ぶ。それが勘兵衛を決心させる。「この飯、おろそかには食わんぞ」といって飯の入った茶碗を掲げる勘兵衛。私の視界は涙でぼやける。

 さて、それから落ち着いた五郎兵衛、ひょうきんな平八、勘兵衛の昔からの右腕・七郎次など次々と集まってくるが、なんといっても印象的な登場は剣客・久蔵である。勘兵衛と勝四郎は決闘の現場に行き合わせる。二人の侍が決闘し、一人がもう一人を見事に斬って捨てる。それが久蔵だ。しかしこの決闘シーンも一筋縄ではいかない。まずオーディエンスは二人が棒切れで決闘するところを見せられる。相打ちになったように見える。しかし久蔵は「おれの勝ちだ。真剣でやれば貴様は死ぬ」と傲然と言い放つ。そしてあらためて、真剣での決闘が行われる。棒切れの時とまったく同じ動きだが、結末だけが違う。久蔵の相手だけが倒れて死ぬ。

 このように黒澤明は、あらゆるディテールに趣向と工夫を凝らしてみせる。久蔵の決闘シーンは最初から真剣でやっても物語的には同じことだ、けれども棒切れ→真剣と二度やることで剣術の奥深さ、久蔵の凄みがたくみに表現される。そしてもちろん、常に顔を出すお気に入りのテーマ、見せかけと真実、がここでも提示されている。

(明日へ続く)


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