アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

白い僧院の殺人

2015-01-20 21:23:40 | 
『白い僧院の殺人』 カーター・ディクスン   ☆☆☆

 密室ものの大家ディクスン・カーがカーター・ディクスン名義で書いた有名作品。今回初読。なぜ本書が有名かというと、いわゆる「雪の密室」の典型的作品だからである。雪の密室とはつまり、殺人現場のまわりには雪が積もっていて犯行時点ではもう止んでいた。にもかかわらず、現場に出入りした犯人の足跡がない! んな馬鹿な! という状況のことで、本書はまさにそのものズバリだ。

 小悪魔的なハリウッド女優が、「白い僧院」と呼ばれる邸宅の別館で真夜中に殺される。撲殺である。別館の回り30メートルにわたって新雪が積もっている。雪の上に残っているのは、発見者が出入りした足跡だけ。

 そう、発見者の足跡は残っている。これがポイント。本当に足跡が皆無なら、どうやって雪の上を飛び越えたかという技術論になるしかない。発見者の足跡があるからそこに疑念が生まれ、ごまかしの余地が生まれ、読者をミスリードする余地が生まれる。まず誰だって考えるのは発見者が犯人だということだが、本書の場合、死亡時刻がその反証となる。被害者は午前3時から3時半の間に死んだと医者が断定する(こんな都合のいい断定が本当にできるのだろうか?)。が、足跡は翌朝の発見直前につけられた新しいものに間違いない。つまり、この場合発見者が殺人者であることはあり得ない。

 それからもちろん、犯行時刻が特定されることで、雪が止む前に殺人者が現場を離れた可能性も消える。雪が止んだのは午前2時だった。さあー困った。一体犯人はどうやって被害者のいる別館に行き、そして被害者を殺した後現場を去ったのだろうか? 

 基本的にこれだけである。本書はほぼこの謎だけで、長編をラストまで引っ張っていく。他に関係者の不和や不倫関係などのゴタゴタが語られるが、全部装飾でしかない。ただ、肝心の「雪の密室」の謎については、さすがに最後まで不明のまま放置されるのではなく、読者の興味を持続させるために色んな説が登場する。本書の名探偵役はヘンリ・メルヴェール卿通称HM卿で、最後に謎を解くのはもちろん彼だが、途中で他の登場人物が「雪の密室は説明できる」といってそのトリックを説明する場面が二箇所ある。これがまた、なかなか面白い。無論その二度の謎解きは、後で否定されるのだが。

 そして最後にHM卿の謎解きになるわけだが、この謎解きがなかなか秀逸である。私は本書を読みながら「最後の謎解きも、結局前の二つと似たり寄ったりになるんじゃないか」と危惧していた。途中で披露される二度の謎解きは、いかに足跡を残さないで逃走するかというかなりテクニカルな、机上のパズル的なトリックだった。HM卿の謎解きも似たり寄ったりじゃないかと懸念したわけだが、ふたを空けると全然違って、心理的な、読者の思い込みを逆手に取ったものだった。HM卿の謎解きではそれまでの大前提が覆った結果、雪の上に足跡を残さないトリックがそもそも不要になってしまう。逆転の発想だ。

 犯行の経緯も、日本の新本格にありがちな「荒唐無稽なトリックを成立させるための不自然きわまりない行動」がなく、自然である。HM卿は被害者と犯人の心理を分析しながら、こういう状況だったらこの人はこう考え、こう行動したはずだ、というやり方で事件の再現を行う。そしてそれを事件の外観と当てはめていく。従って、非常に納得感がある。「なんでわざわざそんな不自然なことをせなあかんねん!?」というご都合主義がない。ただその一方で、「雪の密室」のトリックが結局不在だったという期待外れ感もなきにしもあらずだ。

 というわけで、謎解きミステリとしては悪くない本書だが、やはり小説としての大きな欠点は途中の話が面白くないことに尽きる。これは黄金時代の本格ミステリには往々にして言えることだが、私見では、カーの小説においては特に顕著だ。本書でも先に書いた通り殺された女優をめぐる人間模様、たとえば誰が女優を好きだったとか浮気していたとか、誰と誰が仲が悪いとか色々出てくるが、もう心底どうでもいい。「雪の密室」を膨らませて長編にするための枝葉というのが最初から丸分かりで、言ってみれば贈り物のメロンの箱を大きくするための発泡スチロールみたいなものである。そんなものを我慢して読んでいる時の「時間を無駄にしている」感ったらハンパないぞ。

 事件が起きて、色々調べて、最後に名探偵が謎を解いてあっといわせる本格パズラーにおいては、中間の「色々調べる」部分がつまらなくなりがちで、ここをどう面白くするかが作家の腕の見せどころだと思う。そういう意味では他の有名作家、たとえばエラリイ・クイーンあたりでもその欠点からは逃れられていない。全篇ゾクゾクする『Yの悲劇』のような作品は稀な例外で、傑作と言われるものでも捜査過程はおおむね単調だ。不思議な事件が起きて名探偵が解決するという以外の、登場人物たちを結んでドラマを成立させるストーリーがないのである。ヴァン・ダインはその単調さをペダントリーで緩和する戦略を採ったが、現代に通用するかというといささか怪しい。

 そういう意味でやはり偉大なのは、アガサ・クリスティーである。クリスティーの作品でも捜査過程が平坦と思えるものはあるけれども、大抵の作品では登場人物のロマンスやサスペンスを絡めてちゃんとストーリーを作り出している。読者を登場人物たちの葛藤や人間関係に巻き込んでハラハラさせる技巧が、抜群にうまい。「ミステリの女王」の称号は、やはり伊達じゃないんだなあ。

 ディクスン・カーには失礼ながら、本書を読みながらつくづくそう思った。まあそんな風に思うのは、私が本格ミステリ・マニアの資格を欠いているということなのかも知れないが。



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2 コメント

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サマセット・モーム (無銘)
2015-01-21 21:38:55
モームのいうところの橋(繋ぎ)の部分を面白くするのが作家の腕の見せ所だと思いますが、カーはちょっと冗長ですよね。
クリスティはサスペンスが散りばめられていて、読んでいて苦にはならないのですが。
カーの『盲目の理髪師』はポーの『眼鏡』のような可笑しな所があるので、謎解きはたいしたことないですが面白かったです。
カーの怪奇趣味の味が出ているのは『黒死荘の殺人』が良かったです。
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Unknown (ego_dance)
2015-01-27 14:00:00
私はあまりカーの良い読者ではありませんが、これまで読んだ限りでは、ストーリーテラーではないように思います。トリックや謎解き以外の物語がほとんど記憶に残りません。ポーの『眼鏡』は大好きなので、次にカーを読む時は『盲目の理髪師』か『黒死荘の殺人』にチャレンジしてみます。
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