アブソリュート・エゴ・レビュー

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殺し屋

2015-01-24 20:45:35 | 
『殺し屋』 ローレンス・ブロック   ☆☆☆★

 初ローレンス・ブロックである。本書は殺し屋ケラーの仕事ぶりを淡々と描く連作短編集。伊坂幸太郎が推薦の言葉を寄せているが、確かに似たところがある。あそこまで荒唐無稽でもおふざけでもないが、リアリズムでもなく重厚でもなく、感情過多でもなく、軽さと洒脱とアイロニーで読ませる殺し屋小説だ。

 たとえばトム・ウッドの『パーフェクト・ハンター』では、主人公の殺し屋ヴィクターの仕事ぶりをディテール豊かに、極力リアリティを持たせて描き、その上で国際的な陰謀に巻き込まれたり、狙ったり狙われたりというスリリングなドラマが重厚に展開するが、本書では主人公ケラーの殺し屋としてのスキルが丹念に描かれるわけでもなく、仕事の上でどこかの組織と対立するわけでもなく、他の凄腕殺し屋と対決するでもない。依頼を受け、飛行機で米国の地方都市に飛び、ターゲットの下調べをし、仕事の方法を考え、実行し、また飛行機に乗って家に帰ってくる。基本的にその繰り返しである。

 まるで出張に行って帰ってくるビジネスマンのようで、そのプロセスが淡々と、低温な筆致で描かれる。予想外の出来事など多少の波乱はあるけれども、殺し合いになったり銃撃戦になったりとアクション映画風には展開しない。ミステリ風に謎解きがあるわけでも、捻ったプロットで読者を騙すわけでもない。ケラーの殺し屋としての技量も、プロフェッショナルではあるが超人的というわけでもなく、たとえば銃の腕前はそこそこである。というか銃の腕前など必要ない、外しっこない距離に近づいて撃てばいい、という合理主義が彼の信条なのである。

 では何が読みどころなのかというと、ケラーが出張先で仕事しながらその町に住みたくなったり、標的を殺したくなくなったり、セラピストに通ったり、犬を飼って留守中の面倒をみてもらうために女の子を雇ったり、というようなオフビートな、日常的な出来事が本書の特徴的な部分だ。そういうオフビートな日常感とヒットマン稼業という非日常の組み合わせが、本書の読みどころである。多分。

 そしてケラーは犬を飼うことで自分の孤独に気づき、犬に話しかけることに喜びを見出したり、犬の世話係の女の子と恋に落ちたり、その女の子に逃げられたりする。ある短編では、殺しに出向いた町で溺れそうになった少年をたまたま助け、町の実力者である少年の祖父から感謝され、(普通の)仕事をオファーされる。実はケラーのターゲットはその祖父であったため、彼は依頼人にコンタクトして自分を降ろしてもらおうとするが、実は依頼人は意外にも…という展開になる。

 中には、ケラーが依頼人に騙される話もいくつかある。これは騙されたあとで、ケラーと、ケラーにいつも仕事を回してくる斡旋業者の女ドットのコンビが逆襲するが、やはりこれもハラハラドキドキはなく、淡々と進む。シビアな殺し合いみたいな話にはならず、ケラーは余裕で逆襲する。

 要するにこれはハラハラさせて読ませる小説ではなく、どちらかといえば願望充足的な、読者をヌクヌクした心地にさせる小説のカテゴリーに属すると思う。ケラーは殺し屋という一種超法規的な存在、世間のルールに縛られない存在である。そんなケラーも私たちと同じように恋をしたり犬を飼ったりセラピストに通ったり、さまざまな現代人共通のストレスを抱えているが、その中に殺しという仕事が入ることでそれに風穴を空け、読者に爽快感を味わわせることができる。だからケラーの仕事ぶりは、その前準備にどれだけ手間がかかろうが問題が発生しようが、最後の現場作業は常にスムースである。そして、ケラーが味わうストレスは(他の殺し屋小説のように)殺し屋ならではストレスではなく、私達普通人が抱えるストレスと大差ない、というところがミソだ。

 実際、ケラーはさまざまな悩みを持っているが、人を殺すという自分の職業についてはほとんど悩むことがない。読者は等身大の都会人たるケラーに自分を投影し、その上で、クールに「殺し」を遂行する場面に爽快感を覚える。まあ、言ってみれば必殺シリーズの中村主水にちょっと似た感じかも知れない。

 特に感動するわけでもないが、ユニークで洒落ているので、他のも読みたくなる。やっぱり、こうやってこのシリーズにハマっていくんだろうな。



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