アブソリュート・エゴ・レビュー

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日本文学100年の名作第8巻1984-1993 薄情くじら

2018-07-08 09:50:30 | 
『日本文学100年の名作第8巻1984-1993 薄情くじら』 池内紀/松田哲夫/川本三郎・編集   ☆☆☆☆☆

 『公然の秘密』に続き、こちらは第8巻、80年代から90年代にかけての名作集である。収録作品は、深沢七郎「極楽まくらおとし図」、佐藤泰志「美しい夏」、高井有一「半日の放浪」、田辺聖子「薄情くじら」、隆慶一郎「慶安御前試合」、宮本輝「力道山の弟」、尾辻克彦「出口」、開高健「掌のなかの海」、山田詠美「ひよこの眼」、中島らも「白いメリーさん」、阿川弘之「鮨」、大城立裕「夏草」、宮部みゆき「神無月」、北村薫「ものがたり」、の計14篇。

 結論から言ってしまうと、あくまで私見だが、この巻は前巻よりはるかに強力である。『公然の秘密』ではちょっと首をかしげる部分もあったが、これなら名作をよりすぐったと言われても十分納得できる。『公然の秘密』と同じように、作品ごとで分けずに感想を書き流すスタイルでざっとご紹介したい。

 本巻はしょっぱなから怒涛である。深沢七郎は例によって神経質な日本文学らしくない、まるでホアン・ルルフォみたいなゴツゴツした語りで神話的な深淵を現出させる。題材は『楢山節考』と共通する。次の佐藤泰志は初めて読んだが映画『海炭市叙景』『そこのみにて光輝く』『オーバー・フェンス』の原作者で、青春の痛さと甘酸っぱさの繊細なカクテルというべき短篇。若い二人が新しい町でアパートを探そうとする話はちょっと西村賢太みたいだが、はるかにナイーブである。高井有一「半日の放浪」は逆に老年の腹立ちと悲哀を稠密な筆致で描く、工芸品の如き老練な作品。濃密な作品が続いてもたれてきたところで、田辺聖子のオフビートでゆるい語りがほどよくほぐしつつ、その中に只者ではない凄みをぎらつかせる「薄情くじら」。だんだん年をとって開き直ってきた父親のこだわりと家族の間の溝をくじら肉を題材に描くが、さすが表題作だけあって見事に芳醇だ。飄々とリラックスしていてウナギのように実体を掴ませない、しかし確実に読者のスイートスポットをついてくるこの絶妙さは何なのだろう。

 感嘆しつつ次に進むと、今度は隆慶一郎 「慶安御前試合」で度肝を抜かれる。うって変わって時代ものだが、唖然とするほどの技巧、面白さ。何よりもこの張り詰めた緊張感。すさまじい切れ味である。うーむ、これは傑作目白押しだな、と唸りながら読み進めると「力道山の弟」がまたまた素晴らしい。力道山の弟を名乗って薬を売る香具師のことを子供視点で語る短篇だが、この複雑精妙なプロットと語りの技術の確かさを小説の快感といわずして何と言おう。どれもこれも、この先どう展開するのか分からないスリルと、とりあえず目の前を流れる文章に否応なく惹きつけられる面白さと、読み終えた時のアクロバティックな着地感が共通している。

 次の「出口」は誰もが「なんじゃこりゃあ」と絶句するに違いない一大怪作。要するに、うんこが漏れた話である。本当にそれだけなのがすごい。こんな短篇世界にも類がない、と解説で編者が書いている。気を取り直して、次の開高健のエッセー風短篇「掌のなかの海」は再びくねくねと紆余曲折して見事な着地を見せる、本格的な傑作。酒の話、人生の話、人づきあいの話、宝石の話、と色んな味が詰め込まれた絶品スープの味わいだ。山田詠美 「ひよこの眼」はぐっと若返って、「死」を絡めたちょっと神秘的な青春小説。中島らもは彼らしく、都市伝説をぐにゃりと捻って料理した珍味というところだ。「白いメリーさん」という都市伝説が本当にあったものか創作か分からないが、もっとも現代的な怪談の形がこうした都市伝説なのかも知れない。

 さて、阿川弘之「鮨」ではまた目先が変わってミクロな出来事が題材となり、新幹線に乗る前にもらった鮨を持て余す話。解説にあるように、「ちょっとした話」としての洒落っ気がオツである。「夏草」は戦時中の沖縄を舞台にした重たいドラマで、自死を決意した夫婦の彷徨を描く。宮部みゆきはお得意の岡っ引きが出てくる時代もので、構成も洒落ているが、曲者ぞろいのこの作品集の中では見劣りしてしまうのもやむなしだろう。ラスト、北村薫の「ものがたり」は仕掛けに凝った日常ネタのミステリで、アイデアは悪くないがちょっと頭でっかちで人工的な印象を受けた。

 まあとにかく、圧倒的にレベルが高い。最近私がハマっているマンガ『中間管理録トネガワ』風に言えば、まさに悪魔的作品集である。ご参考までに私のフェイバリットを上げておくと、「美しい夏」「薄情くじら」「慶安御前試合」「力道山の弟」「掌のなかの海」が第一グループ、次点は「極楽まくらおとし図」「半日の放浪」「出口」「白いメリーさん」というところか。ただしあまりにもバラエティ豊かなので、こういう比較や順位づけはあまり意味がない。とにかく小説好きなら読むべきである。

 それにしても、驚嘆したのは隆慶一郎である。60代に小説家デビューした遅咲きの作家らしいが、こんな人がいたとは。これはもう他の作品も読むしかない。



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