verse, prose, and translation
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飴山實を読む(113)
2009-06-08 / 俳句
(写真)一服
昨日は、アファナシエフに会ってきた。詩集のことを非常に喜んでくれて、訳者としては、これに勝る喜びはなかった。アファナシエフは、ピアニスト、指揮者としては、超一流であり、その演奏解釈は独創的なものだが、詩人・小説家として正当な評価を受けているとは言い難い。今度の詩集出版が彼のもう一つの側面である文学活動の評価につながればいいと思っている。
美しいクイーンズイングリッシュを話すアファナシエフだが、ナチュラルスピードで話されると、こちらの力不足で、50%くらいしか聞き取れない。マエストロを前にしてあがってしまったこともあり、言いたいことの40%も言えなかった。非常に悔しい。この人は表面的な話題には、あまり興味を示さず、本質的に謙虚で、しかも、驚くほど気さくで陽気だった。
翻訳者というのは、例外もあるが、たいてい、その言語を自由にしゃべれない。これは、当該の言語を日本語のフィールドで考えるせいだが、この2か月、ネイティブと話してみて、また、昨日、アファナシエフと会ってみて、日本語だけで考えていると、決定的な点を取り逃がすのではないか、と思うようになってきた。もちろん、日本語でしっかり考えられることは前提だが。
◇
六十路にして古風鈴の音に凝れる 「花浴び」
■いい歳の取り方だなあと思って惹かれた。この「六十路にして」という言葉のニュアンスは、60歳になって初めて古風鈴の良さがわかった、ということだろう。年齢を重ねることで初めて理解できることがあるという事実は、なんだが、とても面白い。年を取るというのは、どういうことなのか、事物の方から考えてみることができるからだ。逆に、年を取ることで、失うものは何か。これも、事物の方から考えてみると、とても不思議な気がする。
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