verse, prose, and translation
Delfini Workshop
アファナシエフ朗読会in湘南2009
2009-06-12 / 詩
(写真)初夏の鉄道ファン
今日は、藤沢でアファナシエフの朗読会だった。朝からでかける。ここからだと2時間弱かかる。ちょっとした旅。90分以上、司会して、日本語版の詩を朗読して、質疑応答して、最後に、ぼくの英語俳句とマエストロの最新書き下し詩のコラボレーションを行うという、客観的に見ると、かなり重労働のはずだが、不思議に疲れなかった。マエストロと突っ込んだ対話ができたせいで、元気が出たのである。英語俳句は、実質的に、処女作と言っていいが、案外通じた? マエストロは、英語の詩からロシア語の詩へと創作の軸をシフトしてきており、すでに、ロシア語の詩集を3冊出版している。5か月で300篇(100篇の聞き違いか?)のロシア語の詩を書いたそうである。マエストロの創作を追いかけるには、英語、フランス語だけでなく、ロシア語も視野に入れないといけないようだ。以下、質疑応答の中で興味深い話をピックアップして掲載する。
1.(冬月:以下T)アファナシエフさんは16歳の頃から詩を書き始められたわけですが、そのきっかけの一つに、日本の俳句を読んだ経験があります。だれの俳句を何語で読んでいたのでしょうか。
・(アファナシエフ:以下A)ソビエト時代に、2冊の俳句の本が出版されました。当時、俳句の本はソビエトの厳しい検閲下でも比較的入手が可能な本でした。この本を読んだことが俳句と出合ったきっかけで、ロシア語で出版されていました。俳句は、一見、平明な言葉で書かれていますが、深い内容を備えており、自分もこうしたものが書いてみたいということで、詩を書き始めたわけです。
2.(T)アファナシエフさんが16歳の頃というと、60年代初頭にあたるわけですが、当時、アファナシエフさんやその周囲の友人たちにとって、日本や日本文化はどのように受け止められていたのでしょうか。
・(A)わたしやわたしの周囲の友人たちは、当時、反ソビエト的でした。われわれにとって、日本は、優しい人々が住むパラダイスであり、朗読会を、仲間と行うときに、友人の一人が着物を着てきたことを覚えています。こうした朗読会では、詩のほかに俳句も朗読しました。また、こうした朗読会で、わたしの友人が次のような詩を書いたことを今でも覚えています。
Oh my Japan!
fruits and fishes
3.(T)アファナシエフさんは、ロシア語、英語、フランス語、ドイツ語、イタリア語と何ヶ国語もできますが、なぜ、詩は英語で書かれるのでしょう。詩と英語の結びつきについてお聞かせください。
・(A)この中では、ドイツ語が一番好きですが、残念ながら書くことはできません。ソビエト時代にシェイクスピアを英語で読みました。英語はとても美しい言語だと思います。また、英国のロンドンはわたしにとってdreamであり、英語で詩を書くようになった理由は、英詩がとても好きなためです。
この他、興味深い発言のみランダムに。
・人生とは自分の周りの空間のことである。これが広ければ、人生はそれだけ豊かだ。
・音楽は常に動いているが同時に不動であり、永遠とは音楽の中の和音、ハーモニーのことである。すべての作品は、結局、一つの和音に収斂する。
・証明できないから神を信じる、という感性は面白い。
・わたしは神を信じています、という人は、儀礼的に、そう言っているように感じる。
・真実は一つではなくいくつもある。わたしは考え方のヒントを提示したい。
・自分は自然を愛していると断言することはできない。森の中をCDを聴きながら散歩するが、わたしの意識は森ではなくCDの音楽に集中している。自然を意識しない。
・言葉は、意味を担い、何かを説明するだけでなく、象徴として機能する。また、創作上では、言語そのものに、インスピレーションを受ける。ある言語で、創作に行き詰まったら、別の言語で創作してみるといい。
・技術の進展は事態やものごとの「微妙なニュアンス」を奪った。たとえば、時間短縮のために取るルートが最善なのではなく、周り道こそが人生には重要なのだ。
◇
最後にマエストロが日本の朗読会のためだけに書き下してくれた3篇の詩とその日本語版を掲載する。
FOR JAPAN
I’m a sheet of paper. Whatever
I think or feel can be found
On it.
I wish I were
A blank page, a blank space,
A landscape.
This language slips through my fingers.
I held it a month ago. Now
The palms of my hands are staring at me as if
I could answer them. Nothing will
Answer them.
Is it a question?
The palms of my hands. My skin, my
Fingers.
A pack of cards. My destiny. A ceiling
And once again a sound
I don’t recognize. I don’t know
Where it comes from. A human voice
Or a note played on a flute.
It’s not a sound.
わたしは一枚の紙
わたしの考えること 感じることはみな
この上にある
わたしは
白紙になりたい 余白になりたい
風景になりたいのだ
この言葉はわたしの指から滑り落ちる
わたしはひと月前 この言葉を捕まえた 今は
両手の掌がわたしを見つめている
まるでわたしの答えを
待っているかのように
掌には何も答えないだろう
これは質問なのだろうか
わたしの掌 肌 指
一組のトランプ わたしの運命 天井
そしてふたたび音
今まで聞いたことのない音 わたしにはわからない
それが何の音なのか 人間の声それとも
フルートが奏でる楽譜の音
それは音ではない
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