丹後弾丸探検者

2011年10月31日 23時59分54秒 | 旅行記
雨も上がり、秋晴れの暖かい一日でした。
10月も最終日ということで、あまり実感のないまま冬に向かっていくのでしょうか。
来月は…研究と進路で悩む月になりそうです。

今日は7時に起きました。
月曜日は例によって6限だけなので、円町まで自転車で北上し、切符を買って嵯峨野線でまた北上。
亀岡からは特急「まいづる1号」に揺られ、一路西舞鶴を目指しました。
(本当は始発で出て普通列車でゆっくり行くつもりだった)
でも、そのおかげで新型の287系に初めて乗ることが出来ました。山陰本線を走っているとは思えないほどの静かな乗り心地で、幼少期に轟音を立てるキハ181系の特急「あさしお」に怯えていたことを思えば随分と隔世の感があります。

西舞鶴では北近畿タンゴ鉄道に乗り換え。
今日は「国民文化祭・京都2011 KTR一日乗り放題きっぷ」を使いました。
これで目的の半分を達成したことになりますが、限定2000枚ながら1000円は魅力的です。ほんの少し乗っただけでモトが取れてしまいます。

そして、もう半分の目的を達成するために丹後神崎で降りました。
由良川の河口に近いのんびりとした駅です。駅から1キロほど歩いた煉瓦工場跡を訪ねました。


これです!
正しくは「ホフマン式輪窯」と言うらしく、日本には4つしかない様式の窯だそうです。
その4つとも現在は稼働していないものの、あの舞鶴の赤レンガの多くはここ神崎で製造されました。


既に役目を終えて佇む煙突。
何処となくモアイ像を想起させます。


崩落が進みつつありますが、立派な「近代化遺産」でしょう。

そして正午の列車に乗り、由良川橋梁を渡ります。


旧餘部鉄橋よりは迫力に劣りますが、水面すれすれ、そして長いことが由良川橋梁の売りでしょう。
末永く在り続けてほしいものです。

時間の関係で途中の宮津で降りて、街を少し散策。
隣の天橋立では降りたことがありますが、宮津はほぼ初めてです。


川沿いには城下町時代の城郭が復元されています。
かつて戦国時代にはこうした街がたくさん見られ、京都市内ですらも御土居堀という城郭で囲われていたのでした。

それから宮福線に乗り換えて、2駅目の喜多で下車。
今まであまり撮影することの無かった宮福線ですが、手始めに(?)雰囲気の良さそうな喜多駅周辺でロケハンです。


日本の秋らしい風景を、最新型の287系が駆けて行きます。


ここでのお目当て、京都から来たKTR8000系の特急「はしだて5号」。検査明けピカピカの車両が来ました。
いつもよく撮影している列車が毎日ここまで到達していると思えば感慨深いものです。

時間になったので、後続の列車で福知山へ。
駅構内のミスドで休憩して、円町に戻るべくJRのホームに上がると…


傾きかけた陽射しの中、183系特急列車同士の対面接続を見ることが出来ました。
かつての「ビッグXネットワーク」はまだまだ健在です。

両列車を見送った後、15:50の普通列車に乗って園部で快速に乗り換え、円町には17:44に到着。
自転車をだーっと走らせて大学へ、6限「宗教学概論」の教室には3分前に辿り着きました。
さぁ、また今週も頑張っていきましょう!

10月の模型進捗状況 その4

2011年10月29日 23時59分59秒 | 鉄道模型/製作中-キハ2041【完成】
昨日は先週に引き続きバス通学。
最近の金曜日は、気持ちが楽になると同時にどっと疲れが出ます。
特にゼミではこれからの研究テーマに関していろいろと考え事もあり…。

帰りは、大学前のバス停に最初にやって来た12系統で終点の祇園まで。
特に用は無かったのですが、水曜日の「民俗学」で出た六道珍皇寺と六波羅蜜寺の辺りを歩いて(もちろん閉門後ですが)、ついでに宮川町界隈をふらふらとうろついてきました。
目の前からフッと舞妓さんが現れた時は嬉しかったですね。

というわけで、今日は昼までゆっくり寝ていました。
夕方は模型店に行ってTOMIXのキハ187-500形を引き取り、その足でお茶のお稽古へ。
炉開きを迎え、お茶会も近いということで、3時間みっちり正座をして帰ってきました。
府の国民文化祭も始まり、来月は俄かに忙しくなりそうな予感です。

さて、今週進めた模型の話です。
まずはキハ20 41から。


反対側の窓も切り出します。
二度目なので少し慣れたのか、比較的楽に切り出せました。
これから面倒な移設作業が待っています…。


ヘッドライトも穴を広げます。
工具が写っていた方がそれらしいでしょうか。


レンズはGMの157系キット付属のものが使えないかと思っています。
こちら側にも幌枠を付けなければいけませんね。

続いてきょう入線のキハ187-500形。
特急「スーパーいなば」専用車です。以前からカメラカーとして発売されていましたが、今回ようやく通常品として製品化されました。
とりあえず、付属のアンテナ類を取り付けて連結器をTNカプラーに換装しました。


運転席側に寄った扉の位置が特徴的です。


扉に合わせて窓割も変わっていますが、床下は従来品と同様なので、室内灯の支えが窓の中央に来てしまっています。
黒く塗装するか、一旦切り取って窓柱の間にずらすか、少し考えどころですね。


既に発売されている10番台(右)との並び。
ステップやスノープローを取り付けてグレードアップしています。今回の500番台も同じ水準にしたいですね。


今回の製品化で役目を終えた、高校時代に切り継いで製作した500番台。
出来も悪いので今後は部品取りで使っていくことにします。台車のウェザリングや室内の座席表現など、試作的な意味が強い車両でした。


上の500番台の相方を務めていた10番台。(こちらは未加工)
GMのコルゲート板を使って0番台(クーラが1基)に出来ないかと画策中です。
そう考えると、あと2、3両ほしくなりますね…。

最後に、完成間近のキハ122形です。


前面窓とスカート(KATO製キハ40系用を小加工)が付いて一気に引き締まってきました。
単行で楽しむので連結器はダミーカプラー(今日のキハ187から)を取り付け、後はヘッド/テールライトを残すのみとなりました。
いろいろと怪しい点はありますが、キハ122以外には見えないので大丈夫でしょう!

以上、今週のダイジェストでした!

二度あることは三度ある

2011年10月27日 23時59分59秒 | 日記
昼は暑く夜は寒い、そんな一日でした。
服装の調節が面倒なので、どちらかにしてもらいたいものです…。
でも、昨日からおろしたブーツの履き心地はなかなかいい感じでした。

今日の3限は「社会科・公民科教育研究」。
いつも同じところに座っているのですが、案の定!
通路を歩く先生から何の前触れもなくマイクを渡され、3週連続で当てられたのでした。
(そろそろ座る場所を変えようかと思っていたが、三度目の正直と思って同じ場所に座った)
読んだのは、かつて熊本県で起きた水害を公民の授業として先生たちが取り入れ、当時の中学生たちが被害状況や復興の進み具合、更には災害の歴史まで調べ上げた報告書(の一部分)。
その報告書、とても中学生とは思えないほどのハイレベルな出来で、制作に当たった彼らの熱意や、その指導に当たった先生方の労力には頭の下がる思いです。
それでも地名の「宇土(うと)」が読めたのは良かったですね。鹿児島本線と三角線との分岐駅なので覚えていました。
そういえば三角線には観光特急の「A列車でいこう」が登場したんですよね。オトナの雰囲気を醸し出す豪華な内外装は弱冠21歳には早いかもしれませんが、是非乗りに行ってみたいです。
…と、そんな話を授業後に一緒に授業を受けていた鉄道仲間と食堂でしていました。

そうそう、食堂と言えば、最近は変な時間帯に利用することが多くなりました。
全ては昼休みや夕食時の混雑を避けるためなのですが、3限や6限の終わりに行くと結構なガラガラ具合で落ち着いて食べられます。
注文するメニューも以前は丼もの中心で700円オーバーしていたのが、最近はごはん+お味噌汁に幾つか小鉢のメニューを追加していく形で、デザートを含め6品で500円少々で済ませられるようになってきました。個人的には量より品数が多い方がお得感があります。
今日はたまたま「スタミナ豆腐」なるものがあったので食べてみましたが、これがなかなかおいしい!
見た目は冷奴のような感じで、和風ドレッシング(らしきもの)をかけた上に鰹節、カイワレ大根が乗せてあるものです。
家でも出来そうなので、時間を見つけてやってみたいですね。
このように、最近は鉄道談義と食堂と授業だけが楽しみになっています。いいのか悪いのか。


写真は今日の撮影分より、花園を通過する特急「はしだて5号・まいづる5号」。
比叡山バックです。5月20日の分と比べると、ずいぶん影が伸びました。

鴨川越えて六道の辻

2011年10月26日 23時59分59秒 | 日記
昨日より一層冷え込んでまいりました。
北区にある大学のキャンパスは、もちろん中心部以上に気温が低く…。
体には気をつけて過ごしたいものです。

昨夜は遅くまでゼミの発表準備をしていました。
来月の半ばに要旨を提出、その一週間後に発表するのでまだ余裕はあるのですが、実は前期の発表からはテーマを発展の上変更していて、その軌道修正に追われています。
いろんな人の発表を聞いているうち、あれもこれもやりたくなってしまうもので、そのいろんな人が探求している「京都イメージ」を京都人である自分も探ってみたい、議論に一石を投じてみたいと思ったわけです。
例えるならば(おこがましいですが)auがiPhoneに参入するようなものでしょうか。
発表時間は60分というたいへん長い時間が与えられているので、考えていることをたくさん発信出来ればいいなと思います。

寝るのが遅かった割には今朝は目覚めが良く、2・3・5限と出席。
5限は「民俗学」でした。
初回から引き続き、江戸時代に寺社の資金を集める「勧進」のために地獄や極楽に関する絵図などの解説(絵解き)を生業としていた「熊野比丘尼(びくに)」という熊野大社の尼僧たちを追っています。
今回主に扱われたのは、彼女たちが京都で活動していた時の居住地について。簡単に言うと、今の東山地域、それも松原や五条辺りに住んでいたそうです。
授業で紹介されたのは、その界隈にある空也上人の像で知られる六波羅蜜寺と、お盆の「六道まいり(今年行きました)」で有名な六道珍皇寺。
この辺りは古くより「六道の辻」として現世とあの世との境とされ、現在でも名物の「幽霊子育て飴」が売られるなど、京都ではなかなかのパワースポットとして個人的にも歩くのが好きな界隈です。
ここでピンときたのですが、六道珍皇寺には六道まいりの時にしか公開されない、人生と極楽と地獄を描いた「熊野観心十界図」があります。
http://kumano-etoki.jp/jikkai_mandara.html
(↑現物の写真ではありませんが、検索すると興味深いページが出てきたので紹介させていただきます)

先生曰く、彼女らはこれを「絵解き」して生計を立てていたそうです。
その何よりの証拠として、現在の六道まいりでは当時から残る「熊野観心十界図」が展示されているというわけです。(残念ながら、現在は展示のみで絵解きする人はいません)
この絵図は去年の巡検で訪れた際に見せていただき、今年の六道まいりに母親と行った時に僕が「絵解き」した覚えがあります。
あの絵図、やっぱりそうだったんですね。
授業で聞いたことと自分の経験が「繋がった!」ということで、なかなか聞き応えのある授業でした、


写真はまた昨年の分より、六道珍皇寺にて。
かつては境内の井戸から小野篁が冥界に通っていたという話です。

残るもの消えるもの

2011年10月25日 23時08分34秒 | 日記
少し寒くなりました。
おそらくこれからは段階的に寒くなっていくのでしょう。
まぁ、革ジャンやブーツの時期かと思えばそれも楽しみです。

今日の4限は「京都学特殊講義」。
内容は今度巡検に行く嵯峨野地域の近代が中心となり、その中で祇王寺近くの檀林寺(だんりんじ)というお寺が紹介されたのですが、先生曰く、
「『探偵!ナイトスクープ』で言うところの、パラダイス的なお寺です!」とのこと。
つまり、ある意味でのお宝が並べてあるという認識でいいのでしょうか…?

気になったのでネットで簡単に調べてみました。

>嵯峨天皇の皇后、橘嘉智子(檀林皇后)が創建
>日本で最初に禅が教えられたお寺
>境内のひょうたん池には天然記念物のモリアオガエルが生息

まぁ、ここまでは普通です。奥嵯峨のひっそりとしたお寺という感じなのでしょう。
しかし、他を見てみると…

>胡散臭い
>様々な美術品・工芸品が雑多に展示
>小博物館のようで、薄汚い仏様達が並んでいる
>書画の失敗作や練習作などのB級文化財が所狭し

なるほどこれはパラダイス!
とにかく史料がたくさん展示してあるそうです。
出自不明用途不明の品々が多く転がっているお寺というのも珍しいのではないでしょうか。

因みに今度の巡検では寄らないそうなので(残念)、時間が出来た時にゆっくりと訪れてみようと思います。
これ以外にも昨年から講義を聞いて行きたいところ(主に花街の跡)が¥は多く、二条新地跡は今春に行けたのですが、橋本(八幡市)などは中途半端に遠いのでなかなか足が向きません。それでも開発が迫っているらしく、昨年取り上げられた五条楽園のステンドグラスも取り壊されたという話です。
知らない間に近代京都(それも、表に出ないもの)がどんどん失われていきます…。

その後はバイトに行きました。
今日はたまたま小学校低学年の子に教えることが多く、国語や算数を一緒に解いたりしていました。
見ているとどうも漢字の「糸」や「心」が難しいようです。「そのまま写してみ」と言っても書けなかったので、一画目、二画目と書いて見せてようやく書けるようになりました。
時間はかかりますが、やり甲斐はありますね。


写真は昨年の分より、五条楽園の一角にあったステンドグラス。
何気なく撮ったものですが、花街らしく舞妓さんが描かれているのが特徴的でした。

10月の模型進捗状況 その3

2011年10月24日 22時37分02秒 | 鉄道模型/製作中-キハ2041【完成】
6限だけの月曜日。
よく「6限だけってしんどくない?」と言われますが、逆に家でずっと勉強や模型製作している方がしんどいので、短時間の外出がちょうど良い気分転換になります。
今日の「宗教学概論」もありがたいお話でした。

というわけで、休みの間に進めた模型の話です。
そのうち時間が無くなってくると思うので、やれることはやれるうちに。


キハ189系は前面にパテを盛りました。
完全に乾くまで適当なケースに入れて、1週間ほどじっくり寝かせます。

続いてキハ20 41。
トイレ窓を新設して、片面だけ窓を切り出すところまで前回は進んでいました。
今回はまずドアの下部にある小窓を開けます。北海道型のキハ21にする場合はこの作業は不要です。


4ヶ所ともきれいに穴を開けるために、プラ板でこんな治具を作りました。
ちょうど雨樋と手摺がストッパーになっています。少しの手間で美しく…。


治具にあてがってピンバイスで穴を開け、デザインナイフで整えます。
まぁまぁ、こんなものでしょうか。


小窓はクリアパーツを嵌め込もうとも考えたのですが、いずれにせよ完成後に床下が入ると遮られてしまいます。
いろいろ考えた末に、ジャンクのKATO製キハ25が再登場。使えるところは使っていきましょう。
ドアから小窓の部分のみを丁寧に切り出していきます。


小窓を嵌め込んだところです。キハ20の側面らしくなってきました。

それから窓の移設です。
ここがいちばん神経を使うところです…。


先に切り出した窓を分割して、長さを整えた上で仮固定して様子を見ます。
窓柱が太くなる部分は長さが足りなくなるので、ここもキハ25から切り出したプラ材で埋めています。板厚がちょうど同じなので好都合です。


十分に平行が出ていることを確認して、表裏を瞬間接着剤で固定していきます。
固定後、止むを得ず段差が付いてしまったところはサンドペーパーで削っておきます。

そして忘れないうちに、前面の加工。


タヴァサの幌枠とタイフォンカバーを用意します。気動車を作っているとよく使うパーツです。
既に前回の加工で元のタイフォンはモールドを削って整えてあります。


幌枠と暖地型タイフォンカバーを取り付けたところです。
キハ20の顔になってきましたね。

まだまだ加工続きですが、あまり寒くならないうちに納車出来るよう頑張ります。

じっと見つめてみる

2011年10月23日 23時59分59秒 | 日記
少々天気の悪い週末でした。
時代祭も一日ずれましたが、無事におこなわれたようで何よりです。
今年はちょっとした用事があって、大学で募集していたアルバイトには行けませんでした…。

昨日は昼からバスに乗って市内中心部へ。
お茶の先生に勧められて、大丸百貨店で開催中の通次阿山茶陶展に行ってきました。
6階の決して広いとは言えない美術画廊に、お茶碗を中心として水指(水を入れる器)や香合(お香を入れる器)がずらっと並べられていて、一つ一つじっくり見て回るとけっこう時間がかかります。
季節柄もあり、これからのお茶会に向いているであろう、秋の紅葉などを描いた作品が多く見られました。

中には「勧進帳」という銘の付けられた香合があり、これはおもしろいことに人の形をしていました。
(宮司さんらしき人物が勧進帳を両手に広げて眺めている様子で、足の部分に分割線があり、上半身を外してお香を入れる)
勧進帳とは神社の資金を人々から集めた際に書かれたリストのことで、今まさに民俗学の授業でこの勧進が取り扱われているところです。
こういうところは、やはり大学で勉強しておいて良かったなと思いました。

自分はまだまだ見る目を養っている最中ですが、こういった伝統工芸品は技術面も去ることながら、アイデアも重要だと思います。
京都では何かと「伝統×革新」がよく叫ばれていますが、個人的にはこの両者を上手く組み合わせた、もしくはギリギリのところでせめぎあっているような作品が今後生き残ってくると思っています。自分もいつかお茶会を主催する時、そんなユニークな道具ばかりを集めてやってみたいものです。
(そういえば、以前のお茶会でお点前をさせていただいた時、誕生日が近かったこともあり、底に★が描かれたお茶碗を使わせてもらったことがありました)

というわけで、久々にいいもの、ほんまもんを見て満足しました。こんな品々が気軽に見られる環境があってつくづくありがたいと思います。
こういった積み重ねが、いつの日か役に立てば嬉しいですね。

日曜日の今日は同志社へ。
ここも久々に訪れますが、今回は烏丸通を挟んだ新町キャンパスの方です。
うちの国際関係学部の建物と似ていて建物全体に清潔感があり、新島襄の言葉が彫られている辺りはさすがだなぁと(^^;
少し緊張しながら建物に入り、時代祭のアルバイトが出来なかった理由、茶道文化検定の3級を受けてきました。
茶道を習い始めてまもなく丸3年が経ちますが、やはり習っている以上は何らかの資格は持っておきたいと思ったのと、七夕に貴船のお茶会へ一緒に行った友達がその資格を持っていたことに触発されたのがキッカケです。
全90問、7割で合格とのこと。受かっていればいいのですが…。

夕方からは祖母宅へ。
先日、親戚宅の蔵から運び出した鉄道模型を物色しに行きました。
その時はチラッとしか見ることは出来なかったのですが、C59形蒸気機関車の他、EF60、EF66、581系3両、20系客車多数、貨車多数が見つかりました。全てHOゲージでカツミとエンドウの金属製品です。
レールも豊富でパワーパックもあったものの、保存状態はイマイチで、レールは錆び錆びでパワーパックも通電するのかどうかは分かりません。
とりあえず興味のあったC59と20系客車の2両、貨車数両とレール数本だけを持って帰ってきました。
HOゲージに関しては全くの素人なので、とりあえずは簡単に汚れを取ることから始めていこうと思います。
最近の鉄道会社でよくある、静態保存車を動態化するプロジェクトのようなものでしょうか。


写真はカツミのC59です。長年ケース内にあったせいか、粉状になったスポンジが付着しています。
全体の出来は良いので、まずはディスプレイのレベルにまでは持っていきたいですね。

10月の模型進捗状況 その2

2011年10月21日 23時59分59秒 | 鉄道模型/製作中-キハ2041【完成】
ようやく金曜日です。
連日の自転車通学に疲れたので、今朝はバス通学にしてみました。
金曜日は2-5限が通しなのですが、好きな授業(ゼミ含む)が集中しているので、出来るだけ体力を温存しておきたいのです。
おかげで今日は内容もノートもバッチリ!(笑

さて、最近頻度が上がっている模型の話。
前回のキハ189系と並行して、こんなものを製作中です。


頼まれ物の雄別鉄道キハ49200Y。(左) 鉄道コレクション第13弾の製品です。
国鉄キハ21の亜流車でいわゆる「バス窓」を有していることから、塗り替えてキハ21やキハ20初期車の雰囲気を楽しまれている方も多いのではないでしょうか。
しかし、塗り替えただけでは細かな点で差異が生じてしまいます。
たとえば実際にキハ20初期車に加工する場合、

・前面の加工
・トイレ窓の新設
・窓の間隔をずらす
・屋根上の加工(ベンチレータ換装、排気管新設)

などなど、たいへん地味で面倒な加工が続きます。仮に完成して何処かで走らせても気付いてもらえないかもしれません。
まぁ、それを今からやろうとしているわけですが…。

依頼も踏まえて、プロトタイプはキハ20 41に決定。
キハ20初期車ながら、何とJR九州に継承されて地域色を纏い、最後のバス窓車として生き永らえた車両です。
地域色とはアイボリーに青の帯、現在でもキハ40系列で見られるあの塗色。最古参のキハ20から当時まだ車齢10年未満のキハ47まで同じ色で統一したところに、JR発足当初における画一化第一歩の面白味(?)が見出せると思います。


まずは前面の加工。
41番は車体のアイボリーが屋根まで続いているので、境目をサンドペーパーで均します。
それから貫通扉脇の手すりを削って、テールライトを小型化すべく慎重に削っていきます。
分かりにくいですが、右が加工後、左が加工前です。


この車両最大の加工は窓の間隔をずらすこと。
同じく鉄コレ13弾の鹿島臨海鉄道キハ2000をものさしにして、窓の位置を大まかにケガキ。


11/10/03 倉敷貨物ターミナル
参考に水島臨海鉄道のキハ205。
写真中央の窓柱のみ、排気管が通っているので太くなっています。
模型に換算するとこの太い窓柱が約5ミリ、それを中心に約0.5ミリずつずれていくことになります。


側灯を削って、トイレ窓も位置確認。
ドアの小窓も追加しなければなりませんね。
更には戸袋窓も小さくする必要がありそうですが、ここは割愛しましょうか…。


というわけで、横は帯を、縦は削った側灯の中心を目印に窓をゴッソリ切り取りました。
車体の強度を保つために片面ずつの加工です。もう後には戻れません。


トイレ窓は、1枚目の右に写っていたジャンクのKATO製キハ25から。


元の窓を少し拡大して、形を整えたトイレ窓を帯を目印にしてパチッと嵌め込みます。
(ただでさえ慣れないこの手の加工で、綺麗に嵌った時の嬉しさといったら!笑)
足りない下の部分はプラ板で埋めて、ひとまずこれで一歩進んだことになりました。

長くなりましたが、次は本格的な窓の加工に移ります。

未来への贈り物

2011年10月20日 23時59分59秒 | 日記
まだ暑い!
そして帰りは寒いというパターンなので、行き帰りはなかなかしんどいです。
5日中1日はバス通学にしてもいいかな…なんて。

いつの間にか隔日更新ですが、特にこれといって変わりはなく、概ね時間割通りの生活です。
次第にやるべきこと、考えなければならないことが増えていって、ここ一週間で自身の将来像が目まぐるしく変わっています。
遂には授業中にノートを取りながら検定の本を読みゼミ発表の内容を考えるという、効率がいいのか悪いのか分からないやり方を編み出してしまいました。
ただ目前の為すべきことを片付ける…だけで済む時期ではないのは確かですね。

昨日はいきなり連絡を受けたので親戚宅へ。
老朽化で蔵を取り壊すらしく(外壁が剥がれ落ちたのが発端らしい)、解体前に欲しいものがあれば取りに来てほしいとのこと。
もちろん、やっている学問が学問なので、モノ以上に建築の方にもかなり興味があります。
「蔵に入りたい!内部を撮りたい!」ということで、授業前、朝の早い時間に親戚宅へ行ってきました。
蔵に入るのは…8月に行った能面の虫干しアルバイト以来でしょうか。

中にはもう何年も人が入っていないらしく、少し歩くだけで埃だらけ。
重厚な扉が三重にも重なっていて、現代でも通用する防火設備であったことがよく分かりました。
まずは中にあった箪笥から祖母が気にかけていた着物やハンドバッグを救出したのですが、とてもきれいな状態で残っていることに驚きました。きれいすぎていつ頃の品か分かりません。
二階にも上がってみましたが、小さな窓から網越しでの眺めはまた格別のものでした。
もともと庄屋だったそうなので、古い農機具も一式ズラリとありました。

それから段ボール類の運び出し。
父親が使っていたであろう教科書類の他、何と「鉄道模型」と書かれた段ボールが!
確かに以前から「ある」とは聞かされていたのですが、こちらもきれいな保存状態で、こんなにたくさんあるとは思ってもいませんでした。
慌てて中を開けると更に水色の箱が幾つか入っていて、そこには「K.T.M」の文字…つまり、カツミのHOゲージです。
一つだけ恐る恐る開けてみると、C59形機関車が眠っていました。他にはレールと書かれた箱もあり、この調子で他にも何両か機関車やレールが入っているのでしょう。
とりあえず、段ボール類はうちではスペースが無いので一旦祖母宅に運び込んで、その後大学に向かいました。
ドキドキを抑えきれないまま…。

HOゲージについては全く知らないのですが、おそらく全て昭和のものでしょう。
部品は全て揃っているのか、また走らせられる状態なのか、現時点では何も分かりません。
聞くところによると亡くなった祖父の持ち物だったそうなので、そう簡単に売る気にもなれず…。
後日、改めて何がどれだけ入っているのか確認しに行く必要がありそうです。


写真は親戚宅の蔵にて。
実際にはもっと薄暗く、何処か異界にでも連れていかれそうな気がしました。

過ごしやすい日々

2011年10月18日 23時30分34秒 | 日記
いい天気でした。
こういう日はよく外でお昼を食べているのですが、人々が行き交う様子を見るのがおもしろいなぁと思います。
暑くもなく寒くもなく、いつまでこの過ごしやすい天候が続いてくれるでしょうか。

さて、昨日は月曜日。
ということは、授業は6限「宗教学概論」のみです。
ということで(笑)、久々に授業までの時間を家で過ごしました。
思い返せば、先週は等持院のアルバイトから、二週間前は岡山から、三週間前は香川から来ましたから…。
朝から6限までの時間をどう使うかが毎週の課題ですが、逆に考えれば無限の可能性を秘めているとも言えるでしょう。
昨日は6限を受けて、友人と食堂で夕食を済ませて、その足で太秦までちょっと寄り道して帰ってきました。

きょう火曜日の4限は「京都学特殊講義」。
近代京都の観光について講義が進められている中で、だいぶ前の(年代失念…)嵐電・叡電が一緒になった案内書を見せていただきました。当時はどちらも京福と呼ばれていましたから、嵐山と鞍馬が観光地として駅からの徒歩所要時間も含め細かく書かれています。
当然ながら路線図も載っているのですが、それを見ていると嵐電北野線の起終点・北野白梅町と等持院の間に「小松原」なる駅が!
そういえば以前にも古地図で見たような気もします。確かにその辺りは今でも小松原という住所ですから、いまの馬代通の踏切の辺りにあったのかもしれません。
ただでさえ駅間が短い北野線で、更にもう一つ駅があったことがいちばんの驚きです。
もう跡は残っていないと思いますが、今度乗る機会があれば思いを馳せてみたいですね。

そして4限後はバイトへ。
疲れることには変わりないのですが、週1になったのでだいぶ楽でした。


写真は昨夜の撮影分より、太秦を通過する特急「はしだて9号・まいづる15号」。
禁断の(?)ISO1600です。雰囲気はお分かりいただけるかと…。

10月の模型進捗状況

2011年10月16日 23時59分59秒 | 鉄道模型/製作中-キハ189系【完成】
10月も半ばなのに暑い一日。
今日は日曜日ですが、「教育実習の研究(事前指導)」という授業を受けに大学に行ってきました。
年3回あるうちの2回目です。今回も活発な議論が出来たかと思います(^^;

さてさて。
ここ一週間ほど、寝る前に少しずつ作業していた模型の進捗状況です。
基本的には前回の続きと思ってください。

まずはキハ189系。


切り継ぎや窓埋めのパテ修正が終わり、600番→800番のサンドペーパーをかけたところです。
見た目や触った感じではそこそこOKですが、まだまだ細かい傷や凹みがあると思います。
それは箱型に組んでから修正するとして、次は扉の製作ですね。

続いて前面の加工です。


前回まで下部のステップを残していましたが、やはり太さが気になったのでカット。
更に「頬」の丸みを出すために削ってみました。(左)


もう1両も加工して、イメージを出すために黒マジックで線を。
頬のラインはなかなか近づいてきたと思います。窓周りとオデコの整形に時間がかかりそうです。

次にキハ75系。
前回扱ったのはいつかな…と思ったら、3月の終わりだったんですね!
実に半年も放置していたことになります。
補足すると、3月末にGMストアーでボディと窓ガラスだけ手に入れて(3000円)、確か6月にKATO製キハ85の床下を調達した(M車とT車で3000円)ところまで来ていました。


今回は、そこにプラ板でスカートを自作して取り付け。製品ならば211系用が近いと思います。
室内加工は運転席の仕切りをキハ22キットの余りから取り付けただけで、座席は元のキハ85のまま。
いずれキハ75のシートピッチに合うように加工したいところです。技が追い付けばライト点灯も…。

因みに実車のスカートは近年強化型のものが登場しているようです。うちでは05年頃、末期の急行「かすが」をイメージしているので原型にしておきました。
そうなると早く前面・側面表示を調達したいものです。自作もアリ?


また、キハ85とキハ75では台車も違うので簡単に加工してみました。(下が加工後)
写真の通り台車の両端をニッパーで切り取るだけですが、これだけでも雰囲気は出ます。
軸の上にある筒のような物体を取り除くともっと近づきますが、おそらく塗装が伴うので今は保留。

キハ189系のような大改造もあれば、キハ75のようにほんの少しの加工で完成に近づく模型もあり、
時間を見つけて製作中の模型を徐々に減らしていきたいところです。

七転び八起き

2011年10月14日 23時59分59秒 | 日記
10月14日、鉄道の日です。
去年の今頃は特急「はまかぜ」のグリーン車に乗って鳥取に行き、翌朝そのまま普通列車で大学に向かうということをしていました。
要するに、今とあまり変わっていません。

今日は途中から雨が降りだしました。
バスで大学に行き、2・3限を終えて構内を足早に移動していたところ…
(この時、移動はごく短距離なので折り畳み傘を差していない)

すってんころり!
あろうことか、学部棟の裏玄関前で派手にずっこけてしまいました。
体が「へ」の字型、つまり側転の最初のような体勢で着地したので怪我はありませんでしたが、時間にしてちょうど3限の終わり。周囲に人もそこそこ居たので、
「あぶなっ!もうちょっとでコケるところやったわ~」と小さい声で呟いた後、何事もなく立ち去ることにしました。
案の定「コケとるがな!」と突っ込んでくれる人は居ませんでした。
そして、そんな苦労をして向かった先の教室で4限が休講であることを知りました。

気を取り直し、5限は「ミュゼオロジー研究」。映像学部の授業です。
前回までの博物館概論が終わり、今日は学芸員の仕事が主な内容でした。
収集の話をされる時、真贋を鑑定するのになったのですが、
「いいものを見ないと、悪いものは分かりません。最後に真贋を見極めるのは自分の直感なんです。皆さんお住まいの京都はいいものに恵まれていますから、直感を養うためにもどんどん見てください」という言葉が印象的でした。
これは前期に潜り込んだ安藤忠雄さんの講義でも同じことを言われていました。やはり大事なことなのでしょう。
古物商の陶器が大体どれくらいの値段か分かる…というレベルにはまだまだ及びませんが、これからも「ほんまもん」にどんどん見て触れていこうと思います。

それから6限の対策講座を終え、そこそこの解放感でバス停へ。
普段ならさっさと帰るところですが、今日は鉄道の日だし、花の金曜日だし…ということで、少し寄り道してから帰ることに。
バスを西院で降りて阪急に乗り換え、気付けば大阪駅のホームまで来ていました。
ここまで来るともう小旅行気分で(笑)、大阪滞在時間わずか30分で特急「スーパーはくと14号」に乗車。
せっかくなので好きな列車に乗りたいと思い、とんぼ帰りですが京都までのんびり寛ぎました。
10分の遅れを7分に回復するところは流石ですね。今度は長距離を乗ってみたいです。


写真は京都で折り返し回送待ちの特急「スーパーはくと14号」。
最近撮る機会も乗る機会も無かったので、いい息抜きになりました。

未来を生み出す?

2011年10月12日 23時59分59秒 | 日記
昼間は暑いくらいなのに、夜になると急に冷え込み。
この時期の特徴と言えばそうですが、服装にはなかなか気を遣います。
それでも今日は新しいスニーカーをおろして、軽快な足取りでした。

今日の3限は「総合演習」…教職課程のゼミです。
こちらでもいよいよ模擬授業が始まって(内容はかなり自由)、今日は中学校の保健体育科。
思春期の心の発達ということで、「私は○○だ」という文章を出来るだけ多く書くというものでしyた。
(例:私は学生だ、私は気分屋だ、私は本を読むのが好きだ、私は友達が多い、など)
それから挙げたものを趣味・性格と所属・外見の2つのカテゴリに分けたのですが、実はコレ、中学生だと前者に偏って、小学生では後者に偏る傾向があるのだそうです。
つまり、中学校になって心も体も発達する中で「自分を客観的に見られるようになる」というのが授業者側からの最後のタネ明かしでした。

そこで思い出したのは、やっぱり、
「私は自分自身を客観的に見ることが出来るんです。あなたとは違うんです」
という、一世を風靡した(?)福田元首相のこのフレーズです。仲間内では未だに通じるのが何とも…。
何はともあれ、我々の班も模擬授業に向けてそろそろ考えなければなりません。今日のような興味をそそられる授業展開にしたいところです。

4限は休講だったので、前半45分を図書館でゼミ発表の作業と、後半45分は近場で嵐電の撮影。
その後は5限と6限(講座)に出て、冷えた空気の中を自転車で帰ってUstreamで全学協議会を視聴しました。
4年に1度の、学友会(学生側)と理事会が真っ向から議論するイベントです。6限の講座後から行っても良かったのですが、疲れたので家から観戦することにしました。
何故か学費の話題がいちばん最後(22時過ぎ)、あれだけ時間をかけても特に何かが決まったわけでもなく、壮大な茶番劇のよう。
現場の方々の大変さは分かりますし、賛成出来る意見も多々あるのですが…。

そんな中、しれっと新キャンパスの概要が発表。
http://www.kyoto-np.co.jp/education/article/20111012000118
とりあえず「茨木で京都学」という有り得ない事態は避けられたようです。
記事で触れられている山ノ内浄水場跡地はどうなるのでしょうか。


写真は今日の撮影分より、特急「はしだて5号・まいづる5号」。
後期は撮れるチャンスが減った上、今日は通過数分前から急に曇ってしまいました。

ぼんやりくっきり

2011年10月11日 23時20分36秒 | 日記
陽射しも落ち着き、過ごしやすい火曜日でした。
木々が少しずつ紅く染まってきていることに安心します。

今朝は7時45分から8時の間、5分おきに4回ほど携帯のアラームをセットしていたのですが(いつものことです)、結局布団から抜け出せたのは8時半過ぎ。
それでも少々急いで支度を済ませて、予定通り9時前に家を出ました。以前ならこんな時は確実にサボっていたところ、3回生後期になってからはわりと真面目に出席しています。行ってしまえばどうにでもなるのですが、なにぶんアクセスが面倒なために行くまでが大変です。

2限は「地誌学」。
九州地方の地誌が扱われました。今までに何度か訪れているので、地名を聞いただけでその土地を想像することが出来るのはやはり得かもしれません。川や山の名前も多く列車名となっているので(『有明』『くまがわ』『おおよど』など)、授業中は勝手にテンションが上がってました。
それから平均気温と降水量のグラフ作成など懐かしい作業が続きました。とは言っても高校で地理は全くやらなかったので、思い出すのはおそらく…中学時代の塾での記憶でしょうか。
教職課程では一応、地理歴史科・公民科の免許を取得することになりますから、もしかすると将来的に地理を教える可能性も無いとは言い切れないわけで、この機会に日本の地理は勉強しておこうと思います。

それから久々に大学の図書館へ。
別に研究室や外のベンチに居てもいいのですが、読書をするには何となく騒がしいので静かなところに行くことにしました。
昨日までずっと静かで落ち着いた空間に居たので、いきなり大学のヒトゴミの中に適応するのが難しかったようです。ちょっとした話し声でも気になってしまって。
普段から休日は基本的に一人でコソコソ好きなことをしていますから、週明け月曜・火曜日の大学生活は疲れることは確かですが、今日はそれがあまりにも顕著でした。思わず徒歩1分の等持院に逃げ込もうと思ったくらいです。と言うより、あんなに騒がしい空間から徒歩1分もしくは数十秒であんなに静かな空間があるのが驚きです。
だから今日はずっと一人で空気のように過ごそうと考えていたのですが、それでも昼食には誘われます。
いつも通りゼミと進路と女の子の話。
ありがたいことです。


写真は先週分より、吉備津に入線する普通列車。
この日遭遇した唯一の岡山色編成でした。地味ながらこのカラーリングは好きです。

再びの憧れ

2011年10月10日 23時59分59秒 | 日記
まず最初にお知らせです。
9/4国境の南から太陽の西へ 6日目
旅行記を公開しました。まだ続いております。
よく考えれば、この旅行記数回分の文字数は卒論の規定文字数を軽く超えているんですよね。そう思えば、何だか頑張れそうな気もします。

ところで、先ほどまでドラマ「幸福の黄色いハンカチ」を観ていました。
舞台は北海道で現代版にリメイクされているものですが、ストーリーは全く知らず、観たのは全く初めて。(父親は当時映画館で観たことがあるらしい)
濱田岳演じる、地に足がついていない北海道旅行中の学生が自分と重なります。海や山の雄大な風景もそうですが、まだ見ぬ人々に会いにまた北海道に行ってみたくなりました。

今朝はまた早起きして、自転車で大学へ。
そして9時から17時まで等持院寺宝展のアルバイト(二度目)をした後、6限の「宗教学概論」に出席するというスケジュールでした。朝から夕方まで等持院を満喫した後に宗教学の授業を受けるとは何ともおもしろいものです。
等持院では中間レポートの課題なのか、たまたま後輩にも遭遇しました。知っている人を見つけると展示物の解説をしたくなるもので(笑)、昨日の記事で触れた襖のことなど、自分なりのオススメを語っておきました。
一応役割は「監視」なので、何か聞かれない限り答えられないんですよね。二度目ともなると人と話したくて仕方なくなったので、一聞かれたことに対して五答えることにしました。つい金曜日までは寺宝について何も知らなかったのが、おかげで勉強になりました。

6限に出た後は、一緒に受けていた友人となか卯で夕食。
授業の感想、進路の話、そして最後はやっぱり鉄道の話になりました。
今月はもう遠出は出来ませんが、代わりにこうやって鉄道トークが出来るので、また今週も頑張って乗り切ろうと思います。


写真は鹿ノ谷~夕張にて、キハ40の単行。
晴れた夏の日、窓を開けて風をいっぱいに吸い込んでみたいものです。