新潟・庄内紀行 その3の続きです。
府屋から乗った「いなほ」は県境を越えて山形県へ。この県境付近では6月に大きめの地震があり、まだブルーシートを被ったままの家々が目立ちました。
このまま北上して秋田まで行きたいところですが、あつみ温泉で下車します。10年ほど前にも「えちごツーデーパス」と府屋からの乗車券を買い足して訪れた覚えがあり、当時の記憶を頼りに徒歩で温泉に向かいますが、思ったよりも遠かった……。駅前にはタクシーが居ることも多く、また少ないながらもバスがあるので、こちらを選んだほうが賢明です。
時間には余裕があるのでゆっくり歩いていたのですが、ようやく温泉街が見えてきました。
辿り着いたのはこれまた10年前と同じ、あつみ温泉公衆浴場。無人で室内は浴槽が一つのみ、シャンプーなどの設備はありませんが200円で入ることができます。「あつみ(温海)」というだけあって熱めのお湯が特徴で、地元のお客さんに混じって浸かります。最近の遠出は列車を頼りにグルメと温泉を堪能するのが中心となっていて、何というか、ひじょうに理想的ではあります。(笑)
帰りこそはバスに乗れれば……と思っていたのですが、あいにく時間が合わず。足が軽くなったのをいいことに再び徒歩であつみ温泉駅へ戻ります。
ホームに待機していたのは酒田からやって来た当駅止まりの列車。また酒田に折り返していくようですが、県境を越える需要は少ないのか、山形県内で完結する運用もあるのですね。
青い新潟色のキハ47は好きな塗装の一つです。特に西日本では朱色一色ばかりになってしまったので、こうした複雑な塗装はうらやましい限り。先頭から回り込む「ヒゲ」がカッコいいです。
そして、後続の村上行きに乗って府屋に戻ってきました。駅員さんに確認するとやはり「きらきらうえつ」は走らせるらしく、ほっと一安心。
まだ時間があるので、先ほどの旧線跡付近まで歩いて海を眺めます。人は疲れると海を見に行きたくなるのは、この潮の満ち干が人間本来のリズムであるからだと聞いたことがあります。温泉にも入ってなぜ疲れているのかと言われそうですが、翌日には仕事を控えていたので、気分的にはそれほど明るくなかったのでしょう。(笑)
駅に戻ると酒田行きの普通列車が出ていくところでした。キハ48の2両編成……ということは小牛田からの転入車です。幅広貫通路の固定編成を組み、ボックスシートが2+1配置になっているのが特徴。震災前の石巻線で乗車したときに驚いたのを覚えています。
そうこうしているうち、新潟行きの快速「きらきらうえつ」が定時で颯爽と入線。
車内はお名残乗車の面々が中心と思いきや、「いなほ」運休の影響で振り替えられた一般の帰省客の姿も目立ちました。
列車は日本海に沈みゆく夕陽を横目に羽越本線を快走します。復路はこれが見られるのが魅力的。
車内を歩いてみると「きらきらコーナー」なる一角を発見。何度か乗っているのにじっくり見るのはこれが最初で最後。ジオラマや映像の雰囲気がどことなくゼロ年代を感じさせます。
また、この先は乗り換えがタイトなので車内の売店「茶屋」に出向いて「きらきら弁当」を購入しました(後述)。これも列車の運転終了に伴って終売となります。「海里」では食事のグレードは上がったものの、事前予約制となってしまったようで。
ほかにはホットコーヒーがあったので迷わず注文。と言うのも、今年3月改正に合わせて東日本では観光列車を除いて駅弁やアイスクリームの取り扱いがなくなり、飲み物も日持ちのする缶やペットボトル飲料が中心の品揃えとなりました(普通列車のグリーン車と同じラインナップ)。相次ぐ駅ナカの充実もあり、食品ロスを減らす観点からも頷ける気はするのですが、せめて新幹線だけでも取り扱ってくれないものか……と思います。
村上を過ぎると車掌さんから記念乗車証の配布がありました。月ごとに異なる乗車証だったようで、おそらくは全てをコンプリートした猛者もいることでしょう。車掌さんも気合のこもった挨拶で、つくづく愛された列車だったんだな、ということを再認識しました。
列車は終点新潟へと近付いていきますが、強風の影響を受けて豊栄を13分延発。さらに新崎で「運転打ち合わせ」のため停車。徐々に不穏な空気が漂いはじめます。定刻であれば18:56発の「とき344号」に間に合うところ、どうもそれが怪しくなってきました。こうなることを見越して今回は19:07発の「とき374号」を押さえておいたものの、それに間に合うかも微妙なラインです。
結局、列車はその後も動いては運転打ち合わせを繰り返し、終点の新潟には28分遅れの18:59に到着。写真を撮る間もなく新幹線に乗り換えます。が、コインロッカーの荷物は遠く離れた万代口。さらに越後湯沢から先の切符を持っていないため券売機で購入する必要があり、この二つのミッションをどうにか駆け足でクリア、19:07発の「とき374号」には何とか間に合ったのでした。
上越新幹線は一路東京を目指して走っていきます。電光掲示板では信越本線の柏崎から柿崎の間が運転見合わせになっていることを知り、昨日行っておいてよかったと思う次第。この列車も東北新幹線の遅れを受けて大宮手前で徐行運転となり、東京には8分遅れて到着しました。まだ最終「のぞみ」にはまだ間に合う時間ですが、翌日は午前休みをとっているので、
もう少し連休を延ばしたいと思い、行きと同様「サンライズ」に乗車します。実はノビノビ座席を押さえていたのですが、直前で照会してもらうとシングルに空きがあったので変更。横になれる点では同じですが、やはり個室とアメニティの有無では快適の度合いが違います。
「サンライズ」は東京を定刻で発車。検札を待ってからシャワーを浴び、備え付けの浴衣に袖を通すとようやく落ち着くことができました。夜食は例の「きらきら弁当」。新潟のお弁当はコシヒカリなのでやはり美味しいですね。
目覚めるとすでに岡山手前。いつも大阪の運転停車で目が覚めるのですが、さすがに今回はよく眠れたようです。
切り離しを見届けてから新幹線で京都へとんぼ帰り。旅の余韻に浸りながら、何食わぬ顔で出勤したのでした。今回もやりたいことは大体詰め込むことができました。以前訪れた地域でも10年近く経つと当然変化があり、消えたもの、新しく登場したものといったように様々な発見があるものです。今後の旅は「再訪」がキーワードになるかもしれません。
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さて、2019年の更新はこれが最後となります。今年もお付き合いいただきましてありがとうございました。
今年は仕事でも一応の実績を残すことができ、また12年続けている茶道の資格をいただいたこともあり、20代の最後にふさわしく(?)大きく自信のついた一年でもありました。
同時に2010年代が終わるというのが感慨深く、半分は学生として過ごしましたが、人文学に魅了され、それを現在の仕事にも直結させることができているのは非常に幸せであると感じます。後から振り返って見れば、いろいろなものを吸収した10年として今後とも大切に回顧していくことでしょう。「学ぶこと」も「旅をすること」もいまだ途上。その折々で感じたことを、来年もとりとめもなく書き散らしていこうと思います。
府屋から乗った「いなほ」は県境を越えて山形県へ。この県境付近では6月に大きめの地震があり、まだブルーシートを被ったままの家々が目立ちました。
このまま北上して秋田まで行きたいところですが、あつみ温泉で下車します。10年ほど前にも「えちごツーデーパス」と府屋からの乗車券を買い足して訪れた覚えがあり、当時の記憶を頼りに徒歩で温泉に向かいますが、思ったよりも遠かった……。駅前にはタクシーが居ることも多く、また少ないながらもバスがあるので、こちらを選んだほうが賢明です。
時間には余裕があるのでゆっくり歩いていたのですが、ようやく温泉街が見えてきました。
辿り着いたのはこれまた10年前と同じ、あつみ温泉公衆浴場。無人で室内は浴槽が一つのみ、シャンプーなどの設備はありませんが200円で入ることができます。「あつみ(温海)」というだけあって熱めのお湯が特徴で、地元のお客さんに混じって浸かります。最近の遠出は列車を頼りにグルメと温泉を堪能するのが中心となっていて、何というか、ひじょうに理想的ではあります。(笑)
帰りこそはバスに乗れれば……と思っていたのですが、あいにく時間が合わず。足が軽くなったのをいいことに再び徒歩であつみ温泉駅へ戻ります。
ホームに待機していたのは酒田からやって来た当駅止まりの列車。また酒田に折り返していくようですが、県境を越える需要は少ないのか、山形県内で完結する運用もあるのですね。
青い新潟色のキハ47は好きな塗装の一つです。特に西日本では朱色一色ばかりになってしまったので、こうした複雑な塗装はうらやましい限り。先頭から回り込む「ヒゲ」がカッコいいです。
そして、後続の村上行きに乗って府屋に戻ってきました。駅員さんに確認するとやはり「きらきらうえつ」は走らせるらしく、ほっと一安心。
まだ時間があるので、先ほどの旧線跡付近まで歩いて海を眺めます。人は疲れると海を見に行きたくなるのは、この潮の満ち干が人間本来のリズムであるからだと聞いたことがあります。温泉にも入ってなぜ疲れているのかと言われそうですが、翌日には仕事を控えていたので、気分的にはそれほど明るくなかったのでしょう。(笑)
駅に戻ると酒田行きの普通列車が出ていくところでした。キハ48の2両編成……ということは小牛田からの転入車です。幅広貫通路の固定編成を組み、ボックスシートが2+1配置になっているのが特徴。震災前の石巻線で乗車したときに驚いたのを覚えています。
そうこうしているうち、新潟行きの快速「きらきらうえつ」が定時で颯爽と入線。
車内はお名残乗車の面々が中心と思いきや、「いなほ」運休の影響で振り替えられた一般の帰省客の姿も目立ちました。
列車は日本海に沈みゆく夕陽を横目に羽越本線を快走します。復路はこれが見られるのが魅力的。
車内を歩いてみると「きらきらコーナー」なる一角を発見。何度か乗っているのにじっくり見るのはこれが最初で最後。ジオラマや映像の雰囲気がどことなくゼロ年代を感じさせます。
また、この先は乗り換えがタイトなので車内の売店「茶屋」に出向いて「きらきら弁当」を購入しました(後述)。これも列車の運転終了に伴って終売となります。「海里」では食事のグレードは上がったものの、事前予約制となってしまったようで。
ほかにはホットコーヒーがあったので迷わず注文。と言うのも、今年3月改正に合わせて東日本では観光列車を除いて駅弁やアイスクリームの取り扱いがなくなり、飲み物も日持ちのする缶やペットボトル飲料が中心の品揃えとなりました(普通列車のグリーン車と同じラインナップ)。相次ぐ駅ナカの充実もあり、食品ロスを減らす観点からも頷ける気はするのですが、せめて新幹線だけでも取り扱ってくれないものか……と思います。
村上を過ぎると車掌さんから記念乗車証の配布がありました。月ごとに異なる乗車証だったようで、おそらくは全てをコンプリートした猛者もいることでしょう。車掌さんも気合のこもった挨拶で、つくづく愛された列車だったんだな、ということを再認識しました。
列車は終点新潟へと近付いていきますが、強風の影響を受けて豊栄を13分延発。さらに新崎で「運転打ち合わせ」のため停車。徐々に不穏な空気が漂いはじめます。定刻であれば18:56発の「とき344号」に間に合うところ、どうもそれが怪しくなってきました。こうなることを見越して今回は19:07発の「とき374号」を押さえておいたものの、それに間に合うかも微妙なラインです。
結局、列車はその後も動いては運転打ち合わせを繰り返し、終点の新潟には28分遅れの18:59に到着。写真を撮る間もなく新幹線に乗り換えます。が、コインロッカーの荷物は遠く離れた万代口。さらに越後湯沢から先の切符を持っていないため券売機で購入する必要があり、この二つのミッションをどうにか駆け足でクリア、19:07発の「とき374号」には何とか間に合ったのでした。
上越新幹線は一路東京を目指して走っていきます。電光掲示板では信越本線の柏崎から柿崎の間が運転見合わせになっていることを知り、昨日行っておいてよかったと思う次第。この列車も東北新幹線の遅れを受けて大宮手前で徐行運転となり、東京には8分遅れて到着しました。まだ最終「のぞみ」にはまだ間に合う時間ですが、翌日は午前休みをとっているので、
もう少し連休を延ばしたいと思い、行きと同様「サンライズ」に乗車します。実はノビノビ座席を押さえていたのですが、直前で照会してもらうとシングルに空きがあったので変更。横になれる点では同じですが、やはり個室とアメニティの有無では快適の度合いが違います。
「サンライズ」は東京を定刻で発車。検札を待ってからシャワーを浴び、備え付けの浴衣に袖を通すとようやく落ち着くことができました。夜食は例の「きらきら弁当」。新潟のお弁当はコシヒカリなのでやはり美味しいですね。
目覚めるとすでに岡山手前。いつも大阪の運転停車で目が覚めるのですが、さすがに今回はよく眠れたようです。
切り離しを見届けてから新幹線で京都へとんぼ帰り。旅の余韻に浸りながら、何食わぬ顔で出勤したのでした。今回もやりたいことは大体詰め込むことができました。以前訪れた地域でも10年近く経つと当然変化があり、消えたもの、新しく登場したものといったように様々な発見があるものです。今後の旅は「再訪」がキーワードになるかもしれません。
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さて、2019年の更新はこれが最後となります。今年もお付き合いいただきましてありがとうございました。
今年は仕事でも一応の実績を残すことができ、また12年続けている茶道の資格をいただいたこともあり、20代の最後にふさわしく(?)大きく自信のついた一年でもありました。
同時に2010年代が終わるというのが感慨深く、半分は学生として過ごしましたが、人文学に魅了され、それを現在の仕事にも直結させることができているのは非常に幸せであると感じます。後から振り返って見れば、いろいろなものを吸収した10年として今後とも大切に回顧していくことでしょう。「学ぶこと」も「旅をすること」もいまだ途上。その折々で感じたことを、来年もとりとめもなく書き散らしていこうと思います。