新潟・庄内紀行 その4

2019年12月29日 21時55分52秒 | 旅行記
新潟・庄内紀行 その3の続きです。

府屋から乗った「いなほ」は県境を越えて山形県へ。この県境付近では6月に大きめの地震があり、まだブルーシートを被ったままの家々が目立ちました。


このまま北上して秋田まで行きたいところですが、あつみ温泉で下車します。10年ほど前にも「えちごツーデーパス」と府屋からの乗車券を買い足して訪れた覚えがあり、当時の記憶を頼りに徒歩で温泉に向かいますが、思ったよりも遠かった……。駅前にはタクシーが居ることも多く、また少ないながらもバスがあるので、こちらを選んだほうが賢明です。


時間には余裕があるのでゆっくり歩いていたのですが、ようやく温泉街が見えてきました。


辿り着いたのはこれまた10年前と同じ、あつみ温泉公衆浴場。無人で室内は浴槽が一つのみ、シャンプーなどの設備はありませんが200円で入ることができます。「あつみ(温海)」というだけあって熱めのお湯が特徴で、地元のお客さんに混じって浸かります。最近の遠出は列車を頼りにグルメと温泉を堪能するのが中心となっていて、何というか、ひじょうに理想的ではあります。(笑)

帰りこそはバスに乗れれば……と思っていたのですが、あいにく時間が合わず。足が軽くなったのをいいことに再び徒歩であつみ温泉駅へ戻ります。




ホームに待機していたのは酒田からやって来た当駅止まりの列車。また酒田に折り返していくようですが、県境を越える需要は少ないのか、山形県内で完結する運用もあるのですね。
青い新潟色のキハ47は好きな塗装の一つです。特に西日本では朱色一色ばかりになってしまったので、こうした複雑な塗装はうらやましい限り。先頭から回り込む「ヒゲ」がカッコいいです。




そして、後続の村上行きに乗って府屋に戻ってきました。駅員さんに確認するとやはり「きらきらうえつ」は走らせるらしく、ほっと一安心。


まだ時間があるので、先ほどの旧線跡付近まで歩いて海を眺めます。人は疲れると海を見に行きたくなるのは、この潮の満ち干が人間本来のリズムであるからだと聞いたことがあります。温泉にも入ってなぜ疲れているのかと言われそうですが、翌日には仕事を控えていたので、気分的にはそれほど明るくなかったのでしょう。(笑)




駅に戻ると酒田行きの普通列車が出ていくところでした。キハ48の2両編成……ということは小牛田からの転入車です。幅広貫通路の固定編成を組み、ボックスシートが2+1配置になっているのが特徴。震災前の石巻線で乗車したときに驚いたのを覚えています。




そうこうしているうち、新潟行きの快速「きらきらうえつ」が定時で颯爽と入線。
車内はお名残乗車の面々が中心と思いきや、「いなほ」運休の影響で振り替えられた一般の帰省客の姿も目立ちました。


列車は日本海に沈みゆく夕陽を横目に羽越本線を快走します。復路はこれが見られるのが魅力的。


車内を歩いてみると「きらきらコーナー」なる一角を発見。何度か乗っているのにじっくり見るのはこれが最初で最後。ジオラマや映像の雰囲気がどことなくゼロ年代を感じさせます。
また、この先は乗り換えがタイトなので車内の売店「茶屋」に出向いて「きらきら弁当」を購入しました(後述)。これも列車の運転終了に伴って終売となります。「海里」では食事のグレードは上がったものの、事前予約制となってしまったようで。


ほかにはホットコーヒーがあったので迷わず注文。と言うのも、今年3月改正に合わせて東日本では観光列車を除いて駅弁やアイスクリームの取り扱いがなくなり、飲み物も日持ちのする缶やペットボトル飲料が中心の品揃えとなりました(普通列車のグリーン車と同じラインナップ)。相次ぐ駅ナカの充実もあり、食品ロスを減らす観点からも頷ける気はするのですが、せめて新幹線だけでも取り扱ってくれないものか……と思います。


村上を過ぎると車掌さんから記念乗車証の配布がありました。月ごとに異なる乗車証だったようで、おそらくは全てをコンプリートした猛者もいることでしょう。車掌さんも気合のこもった挨拶で、つくづく愛された列車だったんだな、ということを再認識しました。

列車は終点新潟へと近付いていきますが、強風の影響を受けて豊栄を13分延発。さらに新崎で「運転打ち合わせ」のため停車。徐々に不穏な空気が漂いはじめます。定刻であれば18:56発の「とき344号」に間に合うところ、どうもそれが怪しくなってきました。こうなることを見越して今回は19:07発の「とき374号」を押さえておいたものの、それに間に合うかも微妙なラインです。


結局、列車はその後も動いては運転打ち合わせを繰り返し、終点の新潟には28分遅れの18:59に到着。写真を撮る間もなく新幹線に乗り換えます。が、コインロッカーの荷物は遠く離れた万代口。さらに越後湯沢から先の切符を持っていないため券売機で購入する必要があり、この二つのミッションをどうにか駆け足でクリア、19:07発の「とき374号」には何とか間に合ったのでした。


上越新幹線は一路東京を目指して走っていきます。電光掲示板では信越本線の柏崎から柿崎の間が運転見合わせになっていることを知り、昨日行っておいてよかったと思う次第。この列車も東北新幹線の遅れを受けて大宮手前で徐行運転となり、東京には8分遅れて到着しました。まだ最終「のぞみ」にはまだ間に合う時間ですが、翌日は午前休みをとっているので、






もう少し連休を延ばしたいと思い、行きと同様「サンライズ」に乗車します。実はノビノビ座席を押さえていたのですが、直前で照会してもらうとシングルに空きがあったので変更。横になれる点では同じですが、やはり個室とアメニティの有無では快適の度合いが違います。




「サンライズ」は東京を定刻で発車。検札を待ってからシャワーを浴び、備え付けの浴衣に袖を通すとようやく落ち着くことができました。夜食は例の「きらきら弁当」。新潟のお弁当はコシヒカリなのでやはり美味しいですね。

目覚めるとすでに岡山手前。いつも大阪の運転停車で目が覚めるのですが、さすがに今回はよく眠れたようです。




切り離しを見届けてから新幹線で京都へとんぼ帰り。旅の余韻に浸りながら、何食わぬ顔で出勤したのでした。今回もやりたいことは大体詰め込むことができました。以前訪れた地域でも10年近く経つと当然変化があり、消えたもの、新しく登場したものといったように様々な発見があるものです。今後の旅は「再訪」がキーワードになるかもしれません。

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さて、2019年の更新はこれが最後となります。今年もお付き合いいただきましてありがとうございました。
今年は仕事でも一応の実績を残すことができ、また12年続けている茶道の資格をいただいたこともあり、20代の最後にふさわしく(?)大きく自信のついた一年でもありました。
同時に2010年代が終わるというのが感慨深く、半分は学生として過ごしましたが、人文学に魅了され、それを現在の仕事にも直結させることができているのは非常に幸せであると感じます。後から振り返って見れば、いろいろなものを吸収した10年として今後とも大切に回顧していくことでしょう。「学ぶこと」も「旅をすること」もいまだ途上。その折々で感じたことを、来年もとりとめもなく書き散らしていこうと思います。

新潟・庄内紀行 その3

2019年12月23日 22時48分18秒 | 旅行記
間が空いて年末になってしまいましたが……
新潟・庄内紀行 その2の続きです。

前夜は雨に降られたものの、新潟で迎えた朝は快晴。
朝食を終えて部屋に戻り、天気予報を見れば、




予想通り(?)雨の心配はナシ。そして新潟だけの異常な暑さがフェーン現象を実感させます。これなら羽織るものは要らないな、ということで荷物を仕分け、少し時間が余ったので外の景色を眺めます。


と言うのも、宿泊したホテルが偶然にも新潟駅を望むトレインビューの部屋だったのです。
もちろん前夜のうちに気づいてはいましたが、明るい時間帯に一枚くらい収めておきたいと思いホームの方を見れば、ちょうどE653系ハマナス色が現れました。酒田を早朝に発った「いなほ4号」の回送でしょうか。引き上げていくところを一枚。


さて時刻は8時半。ホテルをチェックアウトして万代口のコインロッカーに荷物を預け、高架ホームから快速「べにばな」に乗車します。米沢・山形方面へ抜けるには便利な列車でありますが、連休最終日だからかキハ110の2両編成は程よく空いていて拍子抜け。2人掛けのボックスシートに腰を落ち着け、越後平野を行く気動車の旅をしばらく楽しみます。


米坂線も随分とご無沙汰(2010年に乗り通した以来)ですが、今回は立ち寄らずに分岐点の坂町で途中下車。ホームに降り立つと風が強く今後の行く先が心配されますが、とりあえず今のところどの列車も平常運転のようです。


坂町では帰りの切符を求め、後続の列車に乗り換えて村上へ。昨日も乗車したE129系でしたが、ちょうど元「カシオペア」塗装のEF510が牽く貨物列車と離合しました。地元でもたまに見かけることはありますが、こんな遠くから来ているのだと改めて驚かされます。客車寝台特急は追憶の彼方へ消えてしまいましたが、「日本海縦貫線」は生きているんですねぇ。


村上に到着。縦列駐車の先にようやくキハ40系の姿が見えました。
前項でも述べた通り、新潟地区のキハ40系列は(「越乃Shu*kura」を除いて)今年度末での引退が予告されていますが、ここから先、村上・間島間においては交直切り替えを跨ぐため全ての普通列車が気動車となることから、日中の多くの列車にキハ40系列が充当されています。


扉間にはおなじみのボックスシートが並びますが、今や絶滅危惧種となった青色モケットの眩しいこと! 4両編成のおかげで1両あたりの乗客は数えるほどで、海側のボックスシートを陣取っていよいよ笹川流れ区間へ差し掛かります。東日本管内のこうした風光明媚な区間においては必ずと言ってよいほどキハ40系列が活躍していましたが、それらも令和の時代を迎え、いよいよ世代交代の波が来ているようです。最後まで残るのは……津軽線や五能線あたりでしょうか。




もっと長く乗っていたい気持ちもありますが、勝木(がつぎ)で下車します。ここは臨時快速「きらきらうえつ」の停車駅となっており、以前、駅の近くにある温泉に立ち寄ってから乗車したことがありますが、今回は海を臨む撮影地まで移動し、この後を走ってくる同列車を待ち構える予定です。


勝木駅周辺には羽越本線の旧線跡と未成線跡が共存しています。国道7号線の高架下に見えているのが未成線のトンネルです。羽越本線に乗っているとこうした未使用のトンネルが見え隠れしますが、日の目を見る機会は……無さそうですね。




いったん線路際から離れ、坂を上り下りして海沿いの集落に抜けました。しばらく進むと海水浴場が現れ、さらに進むと再び羽越本線と踏切でクロス。線路はトンネルに入っていきますが、このトンネルも複線分の幅が確保されています。


脇の坂道を上がり、国道から見下ろすとWeb上で見覚えのある撮影地に着きました。気になるのが右に延びる「いかにも」な線路跡ですが、


振り向くと、架線柱が残され、トンネルも残っています。旧線は現在線よりもさらに海沿いですから、今も残っていればより素晴らしい車窓を提供してくれたことでしょう。


国道7号線の交通量は多いですがちゃんとした歩道があるので安心です。待つことしばらく、引退迫る「きらきらうえつ」が通過していきました。以前、この先の今川で復路は撮影したことがありますが、往路は初撮影。少し雲が多い空模様ですが、車体のカラフルさがそれをパッと明るくさせてくれます。


続行の「いなほ3号」は、朝にホテルから撮影したハマナス色編成でした。単色化はどうにもマイナスイメージを抱いてしまいますが、今のところハマナス色と瑠璃色、転属していった国鉄特急色(風)が一本ずつの陣容で、他編成に波及するかは微妙なところです。

撮影後はしばらく列車がないので隣の府屋駅まで歩きます。国道の歩道は途切れていたので旧道のトンネルを進みます。出口が見えているとは言え照明の類が無かったので心細かったですが、トンネルを抜けると……


左から羽越本線旧線・国道7号線旧道・現国道7号線のトンネル三並びが展開されました。


羽越本線旧線跡は築堤がそのまま残っており、小ぶりな卵型のアーチ橋と港を望むロケーションがなんとも模型的です。こちらを歩きたい気持ちもありましたが、トンネル前後が荒れていたので断念。


引き続き国道7号線の旧道を抜けると府屋の集落へ。羽越本線の旧線跡は私有地に転用されているようで、やはり近付くのはためらわれる雰囲気でした。

そうこうして府屋駅に辿り着きましたが(海沿いからの入り口が無いので見えているのに遠い)、下り列車は1時間後。歩き疲れたので昼食とします。曲がりなりにも特急停車駅だから何もないわけはないだろう……と思っていたら、「なおき食堂」なる食事処を発見。旅先での食事はできるだけそこにしかないお店で、と決めているので迷わず入店します。


食堂はご夫婦で切り盛りされているようで、常連客に混じってオムライスを注文。コショウが効いていてスパイシーな一品でした。

さて、空腹を満たして府屋駅へ戻ると夕刻以降の上下「いなほ」が運休の報せ。次の「いなほ7号」は動いており、このまま庄内地方へ進むことはできるようですが、帰りがどうにも不安です。しかし、「いなほ」が運休であるのに対して、帰りに乗車予定の「きらきらうえつ」は走らせる予定らしく、さらに普通列車も動いていることから、さらに先へ進むこととしました。


府屋から「いなほ7号」に乗車します。数少ない秋田直通の列車ですが、北陸新幹線が延びないうちに、「しらゆき」「いなほ」「つがる」を乗り継いで日本海沿いを直江津から青森まで在来線特急で乗り通してみたいです。

列車は幾つかのトンネルを抜けて山形県に入り、次のあつみ温泉で下車。
ようやく庄内地方に足を踏み入れました。帰りの「きらきらうえつ」までの間、温泉を訪れます。

新潟・庄内紀行 その4に続きます。

無人化される湯浅駅

2019年12月21日 12時32分16秒 | 鉄道関係
今年の3月に「みどりの窓口」が大幅に減るというニュースを受けて記事を書きましたが、その後はすぐに縮小が始まったというわけではなく、むしろ最近はいったん落ち着いたかのように思われました。が、やはりこの年末から年度末にかけて幾つかの駅を対象に再び波が来ているようで、web上でもちらほらと情報を見かけるようになり、12月19日(木)に表題の通り紀勢本線の湯浅駅を訪ねてきました。

湯浅は以前、新大阪を早朝に出る快速列車の終着駅でした(現在は天王寺始発に短縮)。この列車で紀伊半島を反時計回りに進む際、終点の湯浅まで行くか、和歌山で後続の御坊行きを待つかの二択なのですが、早朝だったので寝たまま湯浅まで乗り通した覚えがあります。


ゆえに訪問は二度目となりますが、今回は楽をして新大阪から「くろしお7号」に乗車します。自由席は用務客の姿が目立ち、和歌山までの特急券(車内補充券)が飛ぶように売れていきます。「紀州路快速」が熊取以南で各駅停車になってしまった現在ではライナー的位置付けがされているのでしょうが、裏を返せば、和歌山以南はガラ空きということで……。


新大阪から1時間半ほどで湯浅に着きました。2面3線の国鉄チックな配線ですが、


駅舎回りでは複合施設建設に伴う工事の真っ最中。貼紙によると窓口閉鎖に合わせて改札口も変更されるとのことで、いろいろと見納めとなるものが多いようです。


跨線橋には春のダイヤ改正に合わせたICOCAエリア拡大の告知。各駅ごとのバージョンを作るという力の入れようです。こうして便利になることがあるのも確かです。




そして12/21(土)より「みどりの券売機プラス」の設置と、それに伴う12/20(金)限りでの窓口営業終了を告げる貼紙。加えて、係員配置がなくなる旨も書かれています。これまでに窓口を閉めた駅でも係員の配置は続いている駅は多かったのですが、特急も停車する駅でこの措置は異例のことのように思えます(「みどプラ」設置→無人化は山陽線の駅で前例がありますが、いずれも普通列車のみ停車)。しばらくは係員が購入の補助をおこなうとのことですが、もしかすると複合施設完成後に何か動きがあるのかもしれません。




というわけで、さっそく入場券を購入し、駅スタンプを捺します。
入場券のスタンパーは残念ながら一部が欠けていましたが、駅スタンプの方はくっきりとした印影。無人化となればおそらく返納でしょうから、最近は駅スタンプも収集対象になりつつあります。また、帰路の足として「青春18きっぷ」もここで購入しました。


さて、湯浅と言えば駅舎に掲げられた看板にもあるように醤油発祥の地で、関西ローカルの番組ではたびたび見かけることのある街です。ここまで来てそのまま帰るのももったいないので、少し街を歩いてみることにしました。




駅から少し歩くと、熊野古道にぶつかります。今年はGWに相可から尾鷲までを歩き(この記事に挙げた切符の道中にあたります)、熊野速玉大社にも参拝したので、何かと熊野古道に縁のあった一年でした。湯浅は熊野古道が唯一商店街を通り抜ける街だそうです。


湯浅姓発祥の地。そういえば私も名字のルーツを辿る旅をしてみたいと思いながら、なかなか実行に移せていません。日本海側というのは確かなのですが。




西山浄土宗の深専寺(じんせんじ)の門前には、1854年の安政大地震と津波を今に伝える石碑がありました。来年は阪神大震災から25年、東日本大震災から9年ですが、折に触れてこうした教訓に注目していかなければなりません。


案内板に従ってもう少し歩くと、重要伝統的建造物群保存地区(重伝建地区)に差し掛かります。ただ保存しているだけではなく、今も醤油をはじめとして酒屋や干物屋など、地域に根ざしたお店が健在なのは嬉しいことです。


無人の資料館に入ってみました。湯浅の歴史が綴られていますが、「湯浅」の地名は平安時代から文献にみられるとのこと。以降は熊野詣の宿場として賑わい、鎌倉時代には武士集団「湯浅党」が登場。京都の警備にもあたっていたそうです。その後、法燈国師が宋から金山寺味噌の製法を持ち帰り、そこから醤油の原型が生まれたのだとか。


また、近くには醤油資料館なる建物があったので入ってみました。醸造にかかわる道具を展示していましたが、今は使われていないはずなのに、ほのかに醤油の香りが漂ってきたのは気のせいでしょうか。(笑)


散策しているとお腹が空いてきたので、商家を改装したお店で昼食。親子丼とおみそ汁のセットです。やはりご当地の金山寺味噌が使われていて、当然ながらいつものインスタントみそ汁とはレベルが違います。

重伝建地区はほかにも見どころがあるのですが、思いのほか早く時間が過ぎてしまい、今回はここまで。18きっぷを手に下り列車に乗り込みました。




帰りは御坊まで足を延ばして紀州鉄道を乗車・撮影。検査中のKR301に代わってKR205が運用入りしていました。信楽時代は乗れなかったのですが、今や貴重な富士重工LE-DCの生き残り。当地では永く活躍してくれることでしょう。


御坊からはさらに南下し、ダイヤ改正で引退する113系にも南部まで往復乗車。「くろしお」で一部ワープをしながら、なんとか18きっぷ1日分のモトをとって帰ってきました。

特急「まほろば」に乗る

2019年12月08日 10時51分46秒 | 鉄道関係
気付けば12月に入り、今年も残すところ僅か。
繁忙の合間ではありますが、「書く」ことでしばしの現実逃避です。(笑)

さて、11月17日(日)の出来事です。
期間限定で運転されている特急「まほろば」に乗ってきました。2010年にも「奈良デスティネーションキャンペーン」の一環として期間限定で運転されていましたが、当時は環状線・大和路線経由で波動用の381系6両編成を使用。
今回は経路をおおさか東線に替え、287系「くろしお」の付属編成3両を起用。編成は短くなったものの、9年ぶりの復活では新大阪・奈良間ノンストップ・最速ルートへの挑戦となりました。


10時前の新大阪駅では直前に「くろしお10号」が到着。287系の「パンダくろしお」編成で、ギャラリーの注目を集めます。
287系の登場時は無表情で面白みに欠けると思っていましたが、こうしてラッピングされるとパンダに見えてくるから面白いものです。


さて、「パンダくろしお」がそのまま奈良まで行ってくれればおもしろいのですが、これから乗る「まほろば」は付属編成の3両。Web上では満席の報が相次いでいましたが、1両しかない自由席には既に席が埋まる程度の列が形成されており、この列車の話題性や注目度合いの高さが窺えます。指定席も前日までは×印だったものの、当日朝に照会すると△に変わっていたのでなんとか確保することができました。




「くろしお」の回送が出発後、「まほろば」が入線します。愛称表示は「特急」ですが、


足元の表示はきちんと大仏のイラストが描かれています。もし定期/季節列車化されるとこれが愛称表示に反映されるのでしょうか……?


新大阪での停車時間はわずか。何枚かを収めて指定された区画に収まります。車内こそいつもの287系と変わりませんが、新大阪を出た列車は東淀川駅を掠めるとすぐ高架に上りおおさか東線を南下していきます。今年3月に開通した区間ですが私はこれが初乗車。まだ真新しい高架で201系と離合する様子は新鮮です。

ただ、おおさか東線内は各駅停車が幅を利かせているせいか終始ノロノロ運転。おかげで車窓の観察はしやすく、かつて貨物列車の撮影に賑わった赤川橋梁の通過時には放送が入り、右手には大阪の街並みが、左手には生駒山脈を一望することができました。また、放出以南では東大阪の町工場が建ち並び、環状線とはまた異なる「大阪らしさ」を十二分に感じることができる路線と言えるでしょう。


そうこうしているうち、列車は久宝寺から大和路線に入ってスピードアップ。きちんと列車走行位置にも反映されています。


王寺ではグレー床下化された201系にも遭遇しました。強化スカートが目立ちますが、これはこれでアリだと思えてくるから不思議です。中古の鉄道模型店でたまにグレー床下を組み合わせたものを目にしますが、あれは時代を先取りしていたのでしょう。(笑)

やがて列車は渓谷を抜けて平野部を快走。沿線には撮影者の姿も多く、9年ぶりに奈良県内を走るJR特急の存在は、それが汎用の特急車であってもやはり新鮮に映るものなのでしょう。


終点の奈良に到着しました。東線内のノロノロ運転を措いても新大阪から乗り換えナシで1時間足らずというのは魅力的です。西から新幹線で来る観光客にとっては利便性も高く、近鉄に対抗する手段になり得るでしょう。しかしこうして撮るとどこの駅か分かりません……。




苦しいながらも、なんとか奈良駅に287系特急「まほろば」が在線している様子を記録しておきます。
時間はまだ11時前。奈良観光を始めるにはちょうど良い時間でしょう。私はこの2週間前にも正倉院展で訪れたばかりなので、「柿の葉寿司」を買って奈良線で帰洛したのでした。(笑)