年度末。

2010年03月31日 23時30分52秒 | 日記
年度末、つまりは1回生最後の日です。
年末と被るので今日はあまり書きませんが、ホントに激動の1年でした。
ちょうど1年前は「プレ・オリエンテーション」。月並みですが「光陰矢の如し」を実感します。


今日は特に何も無い日だったのですが、大学に行って友達と時間割を組んでいました。
数日前の日記にも書いた通り2回生から授業がかなりややこしく、これは一人でやっていると失敗しそうだな…という気配がしたので、4人で助け合って何とか。
それ以前にオリターなので、来年度に入ってからは新入生の履修相談会に出なければいけないので、早く組んでおきたかったというのもありました。
そうそう、2010年度入学者から履修要項内容が若干変わるので、それを覚えなければ…。

その後は流れで(笑)、最近引っ越した友達の家にお邪魔しました。
後期からたびたびお世話になっていた彼の家ですが、少し家に近づいたことで、どうやらこれからも寄ることになりそうです。
4人も居るということで夕食は鍋。畳敷きの部屋に身を落ち着け、昨日の話や恋愛話で大いに盛り上がりました。
一人暮らしは憧れるのですが、するほどの距離でもなく、仮にするとなれば不安も大きく…。


それなりの対価を支払って家を出た後は、お茶のお稽古へ直行。
お茶会後も普段の「薄茶の平点前」をしていたのですが、今日は1年ほど前にもやったことのある、「逆勝手」という何もかもが逆の動きをするお点前に挑戦してみました。
右が左になったり、そうでない箇所もあったり、実際やってみてすごく大変でしたが、たまにはこういうのも面白いなぁと思いました。
あと、普段左手で持っているものを右手で持つと、慣れていないせいか傾いたりするのは驚きました。決して力が無いわけではないのですが、何か不思議です。


さて、明日からはいよいよ2回生になります。
2回生と言えば入学当初はすごく立派な、経験を積んでいそうな、そしてカッコよく見えたものですが、今まさに自分が2回生になろうとしている瞬間、自分はそのイメージに近づけているかどうか…。
それはまた、別のお話。


写真は指宿枕崎線慈眼寺~坂之上にて、快速「なのはなDX5号」。
桜島をはじめ、高台の多い鹿児島の地形はどこか興味深く思えました。

プレ・オリエンテーション

2010年03月30日 23時31分27秒 | 日記
「スーツの女の子ってどう思う?」

「あぁ、いいと思うよ。」

「私もスーツの男の子カッコいいと思う。」

「(照れながら)あぁ、どうも」

まず最初に。
私は1ヶ月半ほど前から「オリター(オリエンテーション・コーディネーター)」という、簡単に言えば新入生をサポートする上回生…という役職に就いておりました。
研修、会議を重ねるうちにオリター仲間も増え、我が京都学プログラム内でも新入生を迎える準備は着々と進んでいきました。
3月30日からしばらくは新入生との区別をつけるため、オリターは全員スーツ姿。入学式以来ほぼ1年ぶりのスーツ着用で、ようやく「あぁ、オリターなんだな」という実感がわきました。

そして3月30日。
「プレ・オリエンテーション(プレオリ)」と呼ばれる、入学前に新入生を大学に招待するイベントの日を迎えました。
このイベントの目的は、一足早く大学に来てもらうのはもちろん、オリターの存在を知ってもらう、大学への不安を少しでも解消してもらう、更に学びへの期待を膨らませてもらうなど、まさにプレのオリエンテーション。
午前中は専攻でのプレオリ、午後からは文学部全体でのプレオリの二部構成でしたが、強制参加ではないので人数が直前まで読めない状況でした。

まず最初に、私は「立哨(りっしょう)」と呼ばれる案内係を担当していました。
もう一人のオリターと構内の学生会館前に案内板を持って立っていたのですが、正門から入ってきた新入生は映像学部の建物を突っ切る近道を誘導されるため、遠回りとなる学生会館前は誰も通りませんでした。まさに「閑職」という言葉が相応しく、寒い中1時間も立っているのはなかなか辛いものがありました。

立哨が終わり、会場となる教室に戻ると用意した座席はほぼ満席、予想した45人ほどの新入生が揃っていました。そんなに年も変わらないはずなのに、「高校を出たばかり」という初々しい雰囲気が感じられ、彼ら彼女らの向ける眼差しには期待や不安が入り混じっているように思えました。

専攻プレオリ開始時間となったので、まずはオリターの自己紹介。
思いの外みんなが普通だったので、「○○○○です。本名です!ホストとかやってません。」と、双方の緊張を解く意味で言ってみました、そうです、新入生以上に緊張していたのは他でもない、この僕なのです。

そして最初の企画・すごろく。
オリターが手作りした、京都の地図をすごろく化したもので、スタートもゴールも設けられていないのは「京都学には終わりはない」ということを暗に示しています。
マスには様々な質問があるのですが、「オリターの誰々を呼ぶ」という項目では意外にも4回ほど呼ばれました。呼ばれたら呼ばれたで何かしなければいけないのですが、とりあえずアナゴさんのモノマネをしておきました。若干ウケた。

次の企画は京都クイズ!
これは自分の担当だったので、気合を入れて司会を務めました。
まずは京都の難読地名だったのですが、「太秦(うずまさ)・御幸町(ごこまち)・先斗町(ぽぽんとちょう)・椥辻(なぎつじ)・一口(いもあらい)・間人(たいざ)」など、簡単なものから難しいものまで出題。しかしどの問題も1つ2つの班は正解を掲げていて、京都の地名に対する認識の深さが窺えました。あとで聞いてみたところ、そこが地元であったり、京都検定3級を持っている新入生も居たりして、あぁなるほど、という感じでした。

昼食の時間になったので、オリターから積極的に新入生と交流してみました。
ある男の子が開口一番「覚えてますか?」と声をかけてくれたのでよく見ると、AO入試説明会で質問に来てくれた彼でした。
彼は結局センター試験利用で入ったそうですが(自分からすればむしろそっちの方がスゴい!)、あの時の自分の体験談で京都学プログラムに入ろうと決めたとのこと。「まだ新しい専攻ですが、直属の先輩がいらっしゃるのは心強いです!よろしくお願いします!」とのことで、これはオリターとして頑張らなきゃなぁと、身が引き締まる思いでした。

また鉄道ファンとして気になるのがやはり新入生の出身地で、「○○県のどこそこなんです!」と言われると、「あぁ、○○鉄道ね!」と反射的に答えてしまうのが悲しい性というか何というか…。
それでも、「行ったことある!」と言うと喜んでくれる新入生がほとんどで、得意のご当地ネタで盛り上がっていました。なかには、新入生が自分の「友達の友達」というのが発覚したり…。

昼食後は新入生の自己紹介。
午前中の2つの企画でもう十分に新入生同士が打ち解けていてホッとしました。自己紹介でも個性を発揮したりウケを狙う新入生が多く、まだ2年目ですが、派手すぎず地味すぎず「京Pらしさ」が受け継がれているなぁと思いました。

専攻プレオリ最後の企画はフルーツバスケット。
しかし、ここで自分ともう一人は再び立哨のため席を外すことに。最後まで一緒に居られなかったのが心残りではありますが、十分に覚えてもらえたと思うので、来月からのオリエンテーション期間を楽しみに教室を去りました。

ここからは学部プレオリ。学部プレオリから来る新入生も居るのでそのための立哨だったのですが、むしろ帰る方が多いような…。
最後まで閑職でしたが、とりあえずこれで一つ役割を全う出来ました…でしょうか。

学部プレオリは、今日来てくれた文学部の新入生を専攻ごちゃ混ぜで55の班に分け、その班にオリターが2・3人付いて構内ウォークラリーをしながら交流を深めるというもの。
班に付くオリターは先日受けたテストで分けられ(番号が若いほど成績が良い)、一応63班まで準備はされていたのですが、新入生の数によって班の数は増えたり減ったりもします。班オリターになれなかったオリターは雑務をさせられるのですが、自分は53班。相方のオリターと安堵しながら、ホントにギリギリでした。

我が53班の新入生は5人。ウォークラリーでは構内施設の案内はもちろん、そこでの自分の経験談を語ったり、時折笑いも交えながら分かりやすく説明出来たかと思います。ただ、外はあまりに寒く、最後の方は新入生・オリター共に疲労が隠せない表情でした。

学部プレオリは1時間半ほどで終わり、ここで新入生は各自帰宅。朝から夕方までの時間は長いようで短く、これからいくらでも交流する機会はあるのですが、新入生が誰一人いなくなった構内はやはり寂しく映りました。

しかし!来月2日からは毎日のように新入生と接するのです。
急いで後片付けを済ませた後は、オリター仲間で今日のプレオリ成功を祝って北野白梅町の「たらふく」へ行きました。
他の専攻もちらほら居て、実は来月2日からがオリターとしての本番なのですが(笑)、これからの共に頑張っていく思いを交わし、3月30日のプレ・オリエンテーションは無事に終わっていきました。

前夜

2010年03月29日 23時13分57秒 | 日記
昨日はちゃんと23時台に帰ってきて(笑)、今日は春休みオリター研修最終日!
約1ヶ月半に亘る研修でしたが、最後ともなれば寂しいものです。いや、むしろこれからが本番ですね。

明日はいよいよプレ・オリエンテーション。
期待と不安を抱いて入学してくる新入生たちと一足早く顔を合わせます。
一部で司会を務めたりで、やっぱりまだちょっと緊張するけど、楽しみながらやっていきましょう↑↑

うどん&写真!春の讃岐路サイクリング

2010年03月28日 23時59分59秒 | 旅行記
「青春18きっぷ」が1回分余ったので、意外にも(?)今年初の讃岐へ!
今回は春らしい写真を撮るのと、好物の讃岐うどんを食べるのが目的です。
三宮からジャンボフェリー下り1便で高松入りした後、高徳線車内で久々にMAKOと合流して撮影地に向かいました。


造田~オレンジタウンにて。
昨夏訪れた撮影地ですが、桜が咲き誇っていました。
最近急速に数を減らしているキハ40系列ですが、この桜との組み合わせも何度見られるか…。

場所を変えながら3時間ほど撮影した後はキハ40に乗って再び高松へ。
駅前でうどんを食べ(やっぱり最高!)、121系に乗ってウトウトしていると琴平に着きました。
琴平では駅前の観光案内所でレンタサイクル。近くのうどん屋さんで昼食とし、サイクリングがてら非電化区間の撮影に向かいました。
撮影地は地元のMAKOに任せていたのですが、偶然にも菜の花が咲いていたのでそこで撮影。


琴平~塩入にて。
菜の花が好きなので、撮りたかった写真が撮れて満足♪


気づけば塩入駅まで来てしまいました。
ホームにタンポポが咲いていたので、普通列車と絡めて1枚。
キハ54は国鉄末期に登場した車両ですが、台車などは廃車の部品が流用されています。そういう意味では、キハ58レベルの古さもあるのかもしれません…。


琴平~塩入にて。
2年前のキハ58・65引退時に訪れた場所ですが、ここも桜が咲いていました。
山が霞んでいるのがまた春らしく、2000系特急「南風」のボディが少し光りました。

延べ5時間のレンタサイクルを終えた後は、多度津まで戻って夕食にうどん。
ついでに多度津工場を敷地外から覗いてみると…


処遇不明のキハ65 34が留置されていました。海の向こう九州や私の地元京都では同車が数を減らしつつ最後の活躍を続けていますが、この先一体どうなるのやら…。

6000系に乗って多度津から高松へ。
午前中と同じく駅前でうどんを食べ、停車していたキハ47をバックに2人で記念撮影をしました。高松~徳島を走破する運用は他にも多いのですが、一度はキハ47で乗り通してみたいものです。

MAKOと別れた後は、マリンライナー60号の指定席に初乗車。夜ともなれば人も少なく、落ち着いて岡山までの1時間を過ごすことが出来ました。
岡山からは山陽本線の普通列車が20分待ちだったので、思い切って相生まで新幹線でワープ。
新快速に乗り換え、予定より1時間も早く家に着くことが出来ました。
桜に菜の花に、春らしい写真が撮れて大満足!うどんも食べられて大満足!ありがとうMAKO!


…花粉症が再発しましたorz

九州で吸収!リフレッシュの旅・3日目後半

2010年03月13日 23時59分59秒 | 旅行記
嘉例川駅から見送りを受けて再び列車の中へ。
名前も覚えてもらったので、また何処かでお会い出来ることを願って…。
嘉例川11:11発→中福良11:15着
すぐ隣の中福良駅で下車します。駅前に人家が数軒あるだけの無人駅で、ここから歩いて隣の表木山駅を目指します。

山道をしばらく歩くと開けた場所に出ました。川が流れていて田んぼも多かったのですが、気になった光景をひとつ…。

田んぼの中に岩が突き刺さって(?)いました。かなり大きかったのですが、当然解説板などあるわけでもなく、結局分からないまま通り過ぎることに。
開墾する時にどうしても除けられなかった?意図的にオブジェとして置いてみた?はたまた、空から降ってきた?

撮影もしつつ、誰もいない山の中を歩くこと数十分、表木山駅が見えてきました。

かつて肥薩線が幹線だった頃に信号場だった表木山駅。ローカルムードが漂っています。鹿児島空港が近いからか、飛行機の音が頻繁に聞こえているのがミスマッチでした。

さて、ここからまた変な移動を繰り返します。
表木山12:42発→隼人12:52着
隼人13:01発→大隅横川13:42着
一旦隼人へ折り返して、着いたのは大隅横川駅。ここも嘉例川駅と並ぶ歴史ある駅舎が残っています。

この駅でもひなまつりイベントが開催中。同じく駅舎内を開放して、地元の方が製作されたおひなさまが展示されていました。


中でも目立ったのがこちらの「坂本龍馬・お龍びな」。手作りでよく特徴を捉えていると思います。
坂本龍馬と言えば土佐はもちろん京都や長崎で活躍したことで有名ですが、2人が日本初のの新婚旅行に選んだ地はここ霧島。寺田屋事件での左手負傷を温泉で癒す目的もあったと言われています。


こちらは何とマッチ棒を1本ずつ挿して作られた大隅横川駅の全景。地元の中学校が中心となって製作されたそうで、細かいところまで徹底的にマッチで再現されています。色々とスゴいものを見せていただきました。

地元のバイタリティーを十分に感じ取ることが出来た大隅横川駅。
嘉例川駅より滞在時間は短かったものの、駅はもちろん駅前の散策も出来ました。
大隅横川14:25発→隼人14:59着
途中の栗野駅で高校生が乗ってきたのですが、彼らのうちの1人が乗り遅れ。
それに気づいた仲間の1人が運転士にその旨を告げ、発車しかけていた列車はもう一度ドアを開け、無事に全員を乗せて出発しました。
都会ではまず有り得ない光景ですが、田舎独特の温かさや人柄があって良いなぁと思いました。更に乗り遅れた高校生が運転士に謝意を述べていたのも素晴らしいことです。

隼人からは寄り道をしながら鹿児島へ戻ります。
隼人15:28発→竜ヶ水16:00着

錦江湾を望む竜ヶ水駅で下車。利用者僅少のためか、普通列車も一部の列車は通過する駅です。たまたま立て続けに停車列車があることが分かったので降りてみました。


駅を出て散策していると、アスファルトが砂っぽいのに気づきました。
何だろう…と少し触ってみると、それは桜島からの火山灰。高校時代に地学で習ったことがありましたが、実際に見て触れたのは初めてでした。


竜ヶ水駅を語る上で忘れてはいけないのが土石流災害。
当時駅には列車が抑止されており、山と海に挟まれた立地のために乗客の命が危ぶまれましたが、乗務員の機転により土石流の起こる前に全員が脱出し、また警察の尽力により地元の方も助かりました。
その様子は後に今はなきNHK番組「プロジェクトX」でも取り上げられ、この復旧記念碑はその土石流に含まれていた石で造られたものだそうです。

乗客の視線に若干の恥ずかしさを覚えつつ、満員の817系に乗り込みます。
竜ヶ水16:42発→鹿児島16:49着
まだ時間に余裕があったので鹿児島駅で降りてみました。
市電に乗っても良かったのですが、節約のために徒歩散策。少し歩いて、西郷隆盛終焉の地へ行きました。

西郷隆盛が死ぬ前の数日を過ごした城山の洞窟へは以前にも行きましたが、こちらは初めての訪問です。
西郷隆盛が明治政府を下野した後の1877年、彼の死により国内最後の内戦・西南戦争はここに終わりを告げました。

それからまたしばらく歩き、城山の洞窟へ。
やはり近くまで来ると行っておきたくなるもので、ここから最終の周遊バス「鹿児島シティビュー」に乗り、ぐるっと周って鹿児島中央駅へ。
お土産をじっくり吟味した後、夕食を調達していよいよここからは帰路につきます。

鹿児島中央19:41発→南宮崎22:55着

国分にて。
先頭のキハ47 5126は九州でも少数派のエンジンを積んだ車両で、力強く唸りながら霧島を越えていきました。
南宮崎22:57発→延岡0:21着
日豊本線の最終列車。もう何度目かの夜の延岡駅で夜行列車を待ちます。
待合室ではカップルがしばしの別れを惜しんでいました。遠距離恋愛って大変なんだろうなぁ…。

九州で吸収!リフレッシュの旅・3日目前半

2010年03月13日 23時59分58秒 | 旅行記
旅も3日目。
9時15分までゆっくり寝て、お礼を言って「リトルアジア鹿児島」を後にしました。ギリギリまで寝られるところが徒歩1分の強みです。
鹿児島中央駅の券売機で特急券と乗車券を買った後は、この日のお楽しみ・特急「はやとの風2号」に(ホントにギリギリの)乗車です。この日は堂々の3両編成。元々は普通列車の車両を改造したものですが、連なる漆黒のボディからは特急の風格が漂います。
鹿児島中央9:27発→嘉例川10:17着

列車は鹿児島を出てすぐに広がる錦江湾、桜島を横目に列車は隼人から肥薩線に入り、しばらく山間を分け入った後、嘉例川駅で数分の小休止。ここで3年ぶり2度目の下車を果たしました。


駅舎に入ると、ひなまつりイベントが開催中でした。このように、駅舎の事務室部分を開放しておひなさまが駅舎の中で展示されています。
思えば私は男の一人っ子、ゼロメートルでおひなさまを見られる機会は後にも先にも貴重でしょう。


傍らには茣蓙が敷かれていて…これを見てピンと来る方もいらっしゃると思います。そう、ひなまつりイベントに合わせて、駅での野点が行われていました!
これは偶然インターネットで情報収集を行っていると分かったもので、「京都でお茶を習っている者としては行かないわけにはいかない!」と、急遽この嘉例川駅訪問を九州旅行に取り入れることに決めました。
駅でお茶をいただける機会というのは、そうそう無いのでは…?

「お兄さんもどうぞ!最初はちょっと人が多くて入りづらかったでしょう?」

と歓迎を受けると奥からすぐにお茶とお菓子が出され、歴史ある駅舎の中で雰囲気を味わっていただくことが出来ました。
遠く離れた鹿児島の地、それも駅の中で初めてお会いした方からのお茶をいただく、これぞまさに茶道の精神である「一期一会」でしょう。

いただいた後は、普段から携帯している裏千家の中級資格証を見せてお点前さん・お運びさんにご挨拶。
すると大変驚かれ(それも無理はないでしょう)、調べて来たことを伝えると大変喜ばれました。
聞くところによると同じ裏千家だそうで、毎年行われている嘉例川駅ひなまつりのイベントでの野点は初の試みで、
限られた市の予算でやっているので満足してもらえるか不安であったこと、また鹿児島では数日前に研究会があったということなど、色々とお話を伺うことが出来ました。

その後はホームを端から端まで歩いて散策。
すると「あ、京都の方、ちょっと!」と、先ほどとは別のお点前さんに話しかけられました。
ツアーやグループの旅行者が多い中でやはり一人旅は珍しく映るのか、どういうルートで旅をしているのか、何故お茶を習い始めたのかなど、色々と質問を受けました。

「都会も便利だけど、田舎もいいでしょう。ここは道行く人がみんな話しかけてくれるから」

「そうですよね!僕もそういうのを求めて来ているところもあるので…」

「それは素晴らしい!お若いですから、人の温かさもマイナスイオンも、どんどん吸収していってくださいね!」

この時の会話から、今回の旅の名前が生まれました。また最後には、

「今度は新幹線の『さくら号』で新大阪から直通で来れますから、是非またどうぞ!」

と、九州新幹線全通に対する地元の方々の認知度や期待も垣間見えました。

それから再び駅周辺を歩いていると、「どっから来たの?」とおじいさんに声をかけられました。
ここでも驚かれたのですが、そのおじいさん、昨年まで名誉駅長をされていた方とのこと!
嘉例川駅の歴史(3番線まであったらしい!)や、過去の映画撮影の模様についても少しお話が聞くことが出来、最後の「まぁ、頑張りなさいよ」という一言がとても温かくて、とても印象的でした。


茶人同士話に花を咲かせ、たくさんの出会いがあった肥薩線嘉例川駅。
無人化で寂れ行く駅が多い中、(古くからの木造駅舎や立地のせいもあるのかもしれませんが)、このように地域交流・観光の場として駅が活用されているのは喜ばしい限りです。

九州で吸収!リフレッシュの旅・2日目後半

2010年03月12日 23時59分59秒 | 旅行記
鹿児島中央からは更に南下!
大好きな黄色のキハ200系に乗って錦江湾を望みます。
南下するにつれ、暖かくなってくるのが目に見えて分かるようでした。
鹿児島中央10:17発→喜入11:04着
久々の喜入駅。
今回は駅で降りて周辺を歩いてみましたが、すれ違う人がみんな「こんにちは」と声をかけてくれて、とても心があたたまりました。一人旅の身としてはすごく嬉しくなります。

先ほど乗ってきた列車を踏切から後追い。黄色が目立ちますね。

この後も撮影をしましたが、条件は良いのに失敗してしまい…。
ちょうど眠たくなってきたので(笑)、列車に乗って時間を潰すことにしました。やって来た鹿児島中央行きはキハ147形。キハ200系に混じって影の薄い存在ですが、JR最南端を走る車両でもあります。

喜入12:04発→鹿児島中央12:52着
あまりに乗り心地が良くて(?)、鹿児島中央到着後に車掌さんに起こされる始末…。
とりあえず、一旦改札を出て昼食を買ってまた乗りました。旅行中はホントに食べない私ですが、買う時は買います。

もう一度キハ200系に揺られます。
何処で降りるかは決めていなかったのですが、列車がカーブを描き、街並みが眼下に広がってすぐの坂之上で下車することにしました。
鹿児島中央13:21発→坂之上13:38着
降りたのは指宿枕崎線屈指の乗降客を誇る坂之上駅。
そうとは思えないほど小さな駅でしたが、駅からしばらく歩いていると撮影出来そうな陸橋を見つけたので構えてみました。人もあまり通らないのでいい感じです。

キハ200系を俯瞰撮影。
後方の踏切の向こうに駅がありますが、こうして見ると坂之上駅がホントに「坂の上」にあることが分かります。駅名・地名の由来は案外そういうところから来ているのかもしれません…(笑

撮影を終えてからは再び南下。
喜入を通り過ぎて指宿まで行きます。
坂之上14:29発→指宿15:16着
指宿も久々ですが、降りた目的はそう、温泉!
駅の観光案内所でパンフレットをもらい、駅から至近の「元湯温泉」に行くことに。
地図通りに進んでもけっこう迷ったのですが(笑)、意外や意外、住宅地の一角にさりげなく佇んでいました。

温泉はまさかの貸切状態!
お湯が少ししょっぱいのが特徴で、家より何倍も広い浴槽でゆっくりとくつろぐことが出来ました。
今回の旅のテーマはズバリ「リフレッシュ」。お茶・サークル・オリター活動と春休みも慌しい生活が続く中で、自分の身も心もリフレッシュし、気持ちよく2回生を迎えようということで指宿までやって来ました。

その昔、日本にやって来たお雇い外国人は、日本文化のひとつである「温泉」が廃れようとしていることに注目し、そこに疲れをとるリラックス効果があることに気づきました。
以来見直された温泉には、仕事の多さに疲れた明治時代の役人が揃って訪れたそうです。
温泉に行くことで内と外との「気」を入れ換え、また元気に頑張っていく。そうして彼らは日本史に残る激動の時代を切り抜けたのです。
と、このお話は「歴史観の形成」の授業で聞いたことの受け売りですが、そう思えば、彼らも私もよく似た心理なのかもしれません。
って大げさな…(笑

しかしリラックス出来たのは事実。
すっかりスベスベになって、番頭さんにお礼を言って指宿駅に戻りました。

駅に着くと同時に快速「なのはなDX7号」がやって来ました。この日は何度も遭遇していますが、縦撮りの何と多いこと。

さて、ここから鹿児島に戻ってもいいのですが…更に、更に南下します。もう夕方ですが、列車があるので気にしません。
指宿16:56発→枕崎18:09着
地元の高校生で席が埋まった状態で発車しました。
指宿を出た途端いきなり線路状態が悪くなり、まるでジャンプするように列車は進んでいきます。

少し早い夕食ですが、お昼に鹿児島中央駅で買った「肉巻きおにぎり(チーズ)」を食べました。
宮崎県が発祥の地だそうですが、コレはおいしいですね!適度な満腹感が得られて、350円出す価値は十分にあると思います。

指宿枕崎線の指宿以南には過去2回乗ったことがありますが、いずれも終点の枕崎には到達せず。
JR日本最南端の駅で降りて開聞岳を眺めるのもいいのですが、今回は思い切って終点の枕崎まで行ってみることにしました。


西大山を過ぎ、いよいよ薩摩富士・開聞岳が車窓に広がります。
最南端で見る素晴らしい風景、そして気動車の心地よいジョイント音…末永くこの旅情が続いてほしいものです。

そして日が暮れようとする時、列車は海を横目に終点の枕崎駅に滑り込みました。

ついに、ついに、JR最南端の終着駅・枕崎駅に到着!
下調べはしていたものの、やはり街の大きさに驚きました。
以前はもう少し先にホームと駅舎がありましたが、スーパーの移転に伴い駅舎は解体・線路は短縮の上、現在の位置になったそうです。
駅としての構造はずいぶん簡素ですが、最南端の終着駅として「それなりの」雰囲気が残されています。


ここまで来ると、列車もわずか6本しかありません。
街の規模に対してこの本数は少ないように思えますが、鉄道の置かれた状況を表しているようです…。

終着駅の雰囲気に浸った後は、トンボ帰りで枕崎を後にします。
枕崎18:23発→山川19:30着
行きは全区間起きていたので、車窓が暗くなってきたこともあり、薩摩塩屋を過ぎた辺りで寝ました。
起きると大山を過ぎたところ。きっと温泉があまりにも気持ち良かったのでしょう。
山川19:35発→鹿児島中央20:52着
真っ暗の山川で乗り換えを済ませた後は、再びキハ200系に乗って鹿児島中央に戻ってきました。

夜は鹿児島中央駅から徒歩1分の「リトルアジア鹿児島」に投宿。
1泊1500円(相部屋)という格安の宿ですが、1000円上乗せしてシングルに泊まりました。
コンビニが隣にあったので、お弁当とデザートを買い込んでちょっと豪華な夕食を済ませて、横になってゆっくりと就寝。また明日。

九州で吸収!リフレッシュの旅・2日目前半

2010年03月12日 23時59分58秒 | 旅行記
最終列車の去った柳ヶ浦駅で待つこと10分。
特急「ドリームにちりん」宮崎空港行きが静かに入線してきました。
柳ヶ浦0:41発→宮崎空港6:35着

九州旅行ではもはや常宿となったこの列車ですが、今回は初めて指定席を取って、博多駅で発行してもらった「ナイスゴーイングカード」を使っての乗車です。
16~29歳の若者に限ってJR九州の特急列車が4割引で乗れるという大変優れたカードで、おかげで旅費を大幅に節約することが出来ました。

昨年、雑誌「鉄道ジャーナル」の特集を読んで以来、ずっと乗りたかった「ドリームにちりん」。乗ることも目的の一つであったので、大分での長時間停車中にいくつか撮影しました。
発車する前に寝たのは覚えているのですが、起きると延岡を出たところでした。この辺りから始発列車の役割を果たすため、降車客と下車客が各駅でちらほら見受けられます。

下り「ドリームにちりん」の唯一の見所と言っていい(?)、高鍋到着前(6時頃)に車窓左手に広がる日向灘です。
3年前に初めて乗った時に見たこの風景が忘れられなくて海側に座りました。
海の向こうから徐々に明るくなってくる朝の空が清々しい気持ちにしてくれます。

すっかり夜が明けた宮崎からは、特急から普通へと事実上の種別を変え、宮崎空港線への高架を駆け上がってラストスパート。
宮崎~宮崎空港間は特急券不要で特急に乗れるので、短いながらもおトクとも言えるでしょう。

終点の宮崎空港駅。
宮崎からの乗客も居るのだと思いますが、降車客が意外と多かったのに驚きました。
私は飛行機に乗るわけでもないただの暇潰しなので(笑)、改札で18きっぷに日付印を押してもらって折り返します。
宮崎空港6:43発→南宮崎6:48着

行って、戻って、南宮崎にて。
一夜の「ハイパーサルーン」は回送で足早に去っていきました。さぁここから1日の始まりです。

振り返ると…

昨年秋に登場したばかりの日南線観光特急「海幸山幸」がエンジンをかけてスタンバイ状態でした。
元は高千穂鉄道のトロッコ車両を特急用にリニューアルした遊び心あふれる車両。大胆に飫肥杉を貼り付けたボディ越しにもその様子は伝わってきました。
宮崎も九州旅行ではいつも通過点になっているので、次回来る時は是非乗りたいですね。

南宮崎からは普通列車で更に南下します。
南宮崎7:04発→西都城8:01着
この列車、以前は高鍋発で鹿児島中央行きというロングラン普通列車だったのですが、今は宮崎と都城・西都城で分断されてしまいました。
以前はこの西都城で30分近く停車していたのですが、仕方なく終点となったので降りることに。それでも初めての下車ということで、知らない街は散策するに限ります。

国鉄時代に高架化された西都城駅。
高架化当初は近代的だったのかもしれませんが、汚れた外壁にがらんとした駅構内が今となっては「国鉄の高架駅」らしさを醸し出しています。
まるで時間が止まったような…何処となく湖西線の駅にも似ていますね。

西都城駅自体は何回か通ったことはあったので、駅からしばらく歩き、前から気になっていた志布志線の廃線跡を見に行ってみることにしました。

途中で虚しく途切れている高架の廃線跡です。出っ張っている部分には信号機があったのでしょうか。高架化が1980年、廃止が1987年なので実に7年ほどしか使われていないことになります。
雨に濡れない脚の部分はまだキレイな状態ですが、私のように志布志線を知らない世代が増えても、きっとこの高架は存在理由も分からぬまま、黙ってこのまま聳え続けるのでしょう…。

さて、南下は続きます。
先ほど乗っていた列車が一旦都城へ回送され、都城始発の鹿児島中央行きとなって戻ってきました。
西都城8:37発→鹿児島中央10:09着
都城始発となったことで座れるかどうか心配だったのですが、意外にも車内は空いていました。
しかし、適当に山側に座ってしまったばっかりに、国分や隼人からの立ち客で遮られて桜島を拝むことが出来ず、実感の無いまま鹿児島入りをすることになりました(^^;
ともかく!1年ぶりの鹿児島中央へ到着です。後半へー続く!

九州で吸収!リフレッシュの旅・1日目

2010年03月11日 23時59分59秒 | 旅行記
「そぞろ神の物につきて心をくるはせ、道祖神の招きにあひて、取るもの手につかず」

これはかの松尾芭蕉が記した「おくのほそ道」の一節ですが、最初に習ったのは確か中学校の時。元来一人旅が好きな自分は、この芭蕉の気持ちにとても共感したのを覚えています。
何故か、ずっと京都に居ると息が詰まりそうになるんですよね。もちろん京都は大好きなのですが、定期的にちょっと離れてみたくなる。
旅をすることで、新年度に備えて自らをリフレッシュするという漠然とした理由も出てきました。
ふと思い立ったら早いのが自分の長所なのかもしれませんが、時刻表もそこそこにあっという間に計画を立て、3月11日の朝、家を飛び出しました。

まずは普通電車で京都まで1駅戻ります。
西大路7:14発→京都7:17着
ここで新快速に乗ろうとしていたのですが、乗る予定の新快速が車両故障で運休との放送が流れました。
早くも予定から逸れることになりましたが、仕方なく「大阪まで先着」という快速に乗りました。
京都7:22発→大阪7:59着
この快速、長浜発姫路行きなのですが、京都~大阪間だけ快速運転という朝ラッシュらしい変わった運転形態でした。

大阪からは後の新快速に乗り換え。
大阪8:04発→西明石8:51着
当然座れない状況が続いていたのですが、途中で酔いそうになってきて(こんなことは極めて稀です)、耐えられずに西明石で下車。
本来の予定では岡山からだったのですが、少し早めてここ西明石から新幹線に乗ることにしました。
これなら椅子にも座れて快適に過ごせるはずです。只の酔いだったので【帰る】という選択肢は考えていませんでした。
西明石9:07発→岡山9:44着

700系の「ひかり495号」広島行きです。
西明石から新幹線に乗るなんて、後にも先にもコレだけでしょう…(笑

特に急ぐ旅でも無かったので、岡山からは「こだま」に乗り換えました。
新幹線を使う時は大抵急いでいる場合が多いので(それで普通なのですが…)、山陽こだまにゆっくり乗ってみたかったというのもあります。
岡山10:09発→博多13:57着

100系4両編成の「こだま739号」です。
生まれた時に「ひかり」でバリバリ走っていた100系も、山陽新幹線に活躍の場を狭めていつしか最古参。
前日からの雪が残る山陽の山々を、「のぞみ」の間を縫って精一杯の走りを魅せてくれました。

くつろいで、寝て、すっかり体力も回復して博多着。
実はここで友達(福岡出身)と待ち合わせをしていたのですが、夜行バスが山口県内の雪の影響でまだ九州に入っていないとのこと。
16時には着けるそうなので、しばらく列車に乗って時間を潰すことにしました。「青春18きっぷ」の強みです。
博多14:25発→原田14:46着

原田で初の下車。
博多からわずか20分ですが、駅前の住宅地とは対照的に裏はのどかな田園風景が広がっていました。
それにしても、811系や813系を見ると「九州に来たなぁ」と実感します。

散策もそこそこに、友達と連絡を取り合って博多へ戻ります。
原田15:27発→二日市15:34着
二日市で後続の快速に乗り換え。
二日市15:36発→博多15:59着
筑紫口で友達と待ち合わせ。
予定では朝の7時に着くところを、実に9時間遅れで到着したとのこと。当日の朝出発、おまけに「こだま」でゆっくり来たこちらが先に着くとは驚きです。
博多でのプランは彼におまかせしていたので、まさかの実家に連れていってもらえることになりました!(・∀・)
博多16:21発→九大学研都市16:51着
福岡市交通局から直通する筑肥線に乗って、博多から30分、九大学研都市駅で下車。
しばらく歩いて、オススメのラーメン屋さんに案内してもらいました。いわゆる「長浜ラーメン」ですが、麺が細いのが特徴的。自分にしては珍しく替え玉も…(笑

家に荷物を置かせてもらった後は、自転車を借りて2人で海の方へ。
運良く博多湾に沈む夕陽を見ることが出来ました。昨夏の男鹿半島に引き続いてご当地訪問第二弾。やはり旅先は地元の人に案内してもらうに限ります!

この後、砂浜にも降りて少し遊んでいました。
京都は舞鶴にしか海が無いので、市内在住の私にとっては海そのものが珍しく、半ば興奮気味にカニをキャッチ&リリースしていました。

日が暮れる前にと、更に北上して元寇防塁跡へ。



ずらっと石が積み上げられた元寇防塁。
かつて日本は二度の蒙古襲来を受けましたが、この防塁は二度目の「弘安の役」の際に役立ったそうです。
竹崎季長が絵巻に表し、マルコ・ポーロが眺めたこの戦いは「神風」と語り継がれ、国の史跡に指定されたのが1931年。折りしも満州事変の起こった年であったことから、戦前の日本はやはり神風にあやかろうとしていたのでは…と2人で仮説を立てていました。

帰ってからは夕食をごちそうになりました。
本場の「筑前煮」(こちらでは『がめ煮』と言うそうです)や福岡で獲れたぶりの刺身など、豪華なメニューをいただきました。ただただ感謝ですm(_ _)m

それから卒業アルバムを見せてもらったり色々で、あっという間に楽しい時間は過ぎてゆき…
福岡はいつも素通りばかりでしたが、今日は友達に案内してもらったことでとても良い思い出になりました。
丁寧にお礼を言って九大学研都市駅へ。また来ます!
九大学研都市21:04発→博多21:33着
再び小倉へ戻ります。
博多21:49発→小倉22:56着
日豊本線に乗り換える予定でしたが、日田彦山線の列車が遅れていたので分岐する城野まで少し乗車。この日最初で最後の気動車です。
小倉23:07発→城野23:16着
そして日豊本線の最終列車でひたすら南下します。
城野23:22発→柳ヶ浦0:31着

日付が変わって大分は柳ヶ浦に到着。国鉄時代からのものでしょうか、駅名票がいい雰囲気を出しています。
九州とはいえ3月上旬の夜はまだ冬の寒さ。若干震えながら列車を待ちます。