国境の南から太陽の西へ 1・2日目

2011年08月31日 23時59分59秒 | 旅行記
2011年の8月が終わりを迎えようとしていた。
大学が夏休みに入ったものの、恒例の一人旅に出ていなかった僕はひとり悶々とした生活を送っていた。どこかの駅で財布を落とし、お金が足りなくなって帰れなくなる夢を見た。顔は忘れてしまったが、彼女であろうかわいらしい女の子と、向かい合わせのボックスシートに腰かけて流れる車窓を見ながら談笑している夢も見た。それらの夢は確かに不毛であったが僕を確実に旅の一歩へと向かわせた。
お金が無くてもガールフレンドが居なくても旅は出来る。見知らぬ土地にしばらく滞在し、出来るだけ地元の人と話をして、無人駅のベンチで寝転がってゆっくり今後のことでも考えよう。
それに、少しだけ京都を離れてみたくなった。

今回の旅費は7万円にした。
主な移動に使う青春18きっぷは以前買っておいたので問題はないが、期間と行先を考えればかなり少ない方だろう。それでもこの夏に向け、普段のアルバイトに加えてあらゆる単発アルバイトを経験することで6万円を貯めた。しかし、行き帰りの交通費(18きっぷを除く)で3万円を使ってしまったので、事実上の所持金は3万円となった。
さすがに不安だったのか、「それだけじゃ心配だから」と母親が1万円を持たせてくれ、所持金は4万円となった。あまり使いたくはなかったが、この1万円が後ほど役に立つことをこの時はもちろん知る由もなかった。

旅に出る数日前、アルバイト先に休みを申請するとあっさり許可された。帰ったら干されていた、なんてことになっていたらどうしよう。まぁ、それは帰ってから考えよう。
そして8月30日の午後6時半、いつもより早くバイトを切り上げて帰宅した。荷物をまとめていよいよ出発を迎えた。僕の心はやはりそわそわしていた。

西大路19:54発→京都19:57着
京都20:09発→園部20:46着
旅の始まりは嵯峨野線だった。
アルバイトでの疲れか、亀岡を過ぎた辺りから終点の園部まではずっと寝ていた。残りのメンバーはきっと園部に着く頃まで働いているのだろう。片や僕はもう旅に出ている。日常からいとも簡単に乖離してしまった僕は言いようのない優越感と快感に満ちていた。窓越しにはどや顔が映った。

園部21:10発→東舞鶴22:19着

園部からは特急「はしだて9号・まいづる15号」に乗った。園部で数人の下車があったのは意外だった。通勤特急としての側面もあるのかもしれない。
入れ替わりに乗車し、丹後ちりめんのカバーがかかった大きなシートに腰を据えた。2分ほど遅れていたせいか、列車は力強くエンジン音を響かせて一路綾部へと向かった。因みに、綾部からは前2両の「きのさき」が切り離されて福知山へ、後ろ二両の「まいづる15号」は進行方向を変えて東舞鶴へと向かう。だからと言ってせいぜい20分程度の区間のために座席を転換したりするようなことはしない。

そうして舞鶴線を快調に走っていたところ、梅迫~真倉間で「ドン!」という音と共に急停止した。放送によると鹿と接触したらしく、車掌氏が車外に出て点検した。後の放送では猪と訂正された。点検では特に異常は見られなかったそうだが、少しだけ走り、明かりの確保出来る真倉駅構内で再度点検がおこなわれた。


結局、終点の東舞鶴には6分延着した。動物との接触で列車が遅れることは夜間のローカル線ではよくあることなのだろう。しばらくして、乗ってきた「まいづる15号」は車庫のある西舞鶴へと折り返し回送されていった。


22時を過ぎた東舞鶴の駅前はやはり寂しかった。自転車で走り回る不良少年が身の丈に合っていてかわいらしいなと思った。
30分ほど待つとフェリーターミナル行きのバスがやって来て、僕の他にもう一人キャリーバッグを引いた女性が乗ってきた。見た感じでは同い年くらいだろう。知り合いに似ていたので驚いた。
バスは見覚えのある赤レンガ倉庫を通り抜け、10分ほどで舞鶴フェリーターミナルに着いた。受付を済ませて待合室に入ると、私のように大き目の荷物を抱えた人が目立った。

舞鶴からは新日本海フェリー「あかしあ」に乗り、海路小樽を目指す。
よく使う三宮~高松のジャンボフェリーよりもずっと大きく、最初に入ったフロントからは幾つもの通路と部屋が伸びていた。船内のフロントで初めて寝台の指定を受け、番号に従って部屋へと入る。今回小樽までは約20時間の長旅ということもあり、落ち着いて寝られる2等寝台を選択した。大学生協から券を買うと約10000円。まぁ、こんなものだろう。


時間は既に23時を過ぎていた。自販機で炭酸飲料を買い、早々にベッドメイキングを済ませ、眠くなるまで文庫本を読むことにした。今回は旅のお供に4冊もの文庫本を用意したが、やはり村上春樹の本は読中読後と独特の喪失感に襲われる。タイトルの『国境の南、太陽の西』とはまさにこれから訪れる北の大地ではないか。そんな偶然を覚え、これから始まる旅に向けて何だかよく分からない不安な気持ちを抱えたまま、2時過ぎには寝たと思う。船はずっと小刻みに揺れていた。

翌朝は放送で一旦目覚めた。船は30ノットで航行し、定刻通り小樽に着く見込みらしい。
目が覚めても船から降りられるのは夜の20時過ぎだ。携帯も海上ではほとんど圏外なので、引き続き惰眠を貪っていた。
結局起きたのは昼過ぎで、しばらく船内探索をしたり、自販機で飲み物を買ってラウンジで本を読んでいた。行きのバスで一緒だった彼女とも、船内で何度かすれ違った。


夕刻、奥尻島沖を航行中との放送が入った。いよいよ北海道入りだ。
それからフェリー内の浴場に入浴した。一面の海を眺めながら貸切状態での入浴はとても爽快であった。


船は定刻通りに小樽に着いた。設備が充実していたせいか、20時間の船旅は思っていたよりもあっという間だった。着いてすぐに夜というのは仕方ないが、遂に北海道の地を踏んだ。高校の修学旅行以来初の単身渡道である。あの時は飛行機で味気なく伊丹から新千歳に飛んだが、やはりこれくらい時間をかけた方が「来た」という実感がある。欲を言えば、京都から日本海沿いに列車で青森まで地続きに、そして海峡線を経由して訪れてみたかった気もした。

小樽から乗る列車の時間にはまだ余裕があったので、夜の小樽を散策しながら駅に向かうことにした。
適当に海沿いの道を歩いていると右手に小樽築港駅が見えた。小樽駅とは逆方向に進んでいたのだ。もちろんここから乗っても今晩の目的地には辿り着けるが、まだ時間はある。橋上通路を越え、国道を歩いて小樽駅へ向かうことにした。
小樽築港から小樽までは意外と距離があった。小樽駅行きのバスはひっきりなしに通るが、とりあえず初日は節約を心がけたかった。そう思って、夜道を重い荷物を背負って小樽駅へと歩いた。
しばらくすると、道路から飲み屋街がちらほらと垣間見えた。小樽駅には確実に近づいている。人通りも少しは増え、無事に小樽駅に着いた。気付けば1時間以上も歩き続けていた。僕は苦にならなかったが、もし同行者が居ればたちまち喧嘩になっていたことだろう。


小樽駅舎は改修中であった。券売機で710円区間の切符を購入し、初めてJR北海道の改札を通り抜け、ホームへと上がった。ただそれだけのことが、すごく特別な行為であるかのように思えた。

小樽22:29発→銀山23:15着

初めて乗るJR北海道の車両はキハ150-15だった。倶知安行きの列車は席が埋まるほどの乗車率で、余市で多くの客を降ろし、徐々に車内は閑散としていった。
僕は途中の銀山で降り、待合室内の虫を追い払って寝袋を広げ、久々の駅寝とした。寝袋を広げていると保線作業の人がやって来て、怒られるかと思ったが、0時15分頃に自動消灯すること、刺す虫に気をつけてということを告げて去って行った。

さすがは北海道だ。外の灯に群がった手のひらサイズの大きな蛾が窓ガラスを直撃してくる。それでも消灯されると辺りも静まり、いつの間にか眠りについていた。外から時折聞こえるハンマーの音が子守唄のようでもあった。

旅人は北へ

2011年08月29日 23時39分07秒 | 日記
すっかりご無沙汰です。
やっぱり書く習慣って大事ですね。
この10日間ほどは、わりと自由に過ごしていました。


23日(火)は休み明けのバイト。
学生バイトが自分含め2人だけだったので、もう大変!
もちろん小学生たちは宿題をちゃんとやってきたので、ずっと採点に追われていました。
いまは小学校でも27日頃から授業が始まるそうですね。自分たちの頃は9月1日スタートが当たり前だったのですが、思えば随分「ゆとり」があったものだと思います。
まぁ、いまは小学生の彼ら彼女らも、10年後大学生になれば…(謎

24日(水)は蟄居。

25日(木)は、昼過ぎからふらっと四条へ。
旅に持って行く用の文庫本を求めて、ジュンク堂で吟味すること1時間…

内田樹『街場の大学論』
沢木耕太郎『旅する力』
三上延『ビブリア古書堂の事件手帖』

ジャンルがばらばらですが、以上の3冊を買いました。
これに読みかけの村上春樹『国境の南、太陽の西』を加えた4冊体制で行くことにします。
ついこのあいだ古本市で本を買ったばかりだろうと言われそうですが(笑)、あちらはハードカバーばかりなので主に家で読む用。
それに普段は京都関係のものばかり読んでいるので、旅行中は完全に京都から離れるという意味でも。
(『国境の~』も、一部で京都が舞台だが)

それから久々に喫茶店で休憩したくなったので、バスに乗って荒神橋のリバーバンクへ。
前期に京大で授業を受けていた頃は定期的に来ていましたが、しばらく行かないと少し気になるもので。
アイスコーヒーとハムトーストを頼み、鴨川を眺めながらほぼ貸切状態でゆっくりできました。

26日(金)はバイト。

27日(土)は、初めて浴衣を着てお茶のお稽古に行きました。
前から一度浴衣で行ってみたいなと思っていたのですが、ギリギリのところで叶いました。
(一般的に、浴衣が着られるのは8月31日まで、らしい)
お稽古は普段と同じ内容でしたが、浴衣を着たことでいつもより緊張感を持ってすることが出来たかと思います。
しかし、浴衣は見た目に反して意外と暑く、帰るとすぐに脱ぎました。
次に着るのはまた来年ですが、今度はより多く、そして広範囲で着たいですね。

28日(日)はイオンモールとビックカメラへ。
旅に必要なものを揃えて、宿の予約も全て済ませました。
100均って便利ですね。

きょう29日(月)は久々に大学へ。
生協から某フェリーの予約をして、現地で買う以外のJR切符も全て手配しました。
いつも思うことですが、バイト代が旅に化けるとは、何とも素晴らしいものです。

というわけで、明日からしばらく旅に出ます。
いつもより少し長いので、現地から更新するかもしれません。


写真は早朝の五重塔。
変わりゆく世の中で、変わらない良さがある。

急行「きたぐに」再発見

2011年08月22日 23時15分10秒 | 日記
ブログのカレンダーが見事にスッカスカです。
事実、夏休みなのでそれほど書くこともないのですが…。
今日は、大学に本を返しに行ったついでに学割証を発行してきました。


さて、一昨日の話ですが、また早朝に急行「きたぐに」を撮影してきました。
習慣化するのかどうかは分かりませんが…( ・ω・)


架線柱が多くて水平が分からず、微妙な出来です。
やはり、編成をきれいに撮るには山崎や島本辺りまで行くのがベストのようです。


こちらは19日掲載分の続きのカットです。
車体に陽が当たって、夜行列車のラストスパートらしさを出せていますでしょうか。

今までは、どちらかと言えば旅の移動手段として使ってきた急行「きたぐに」ですが、趣味的にもおもしろい車両・編成であることには変わりません。
上りの京都発着は6時台と早朝ですが、地元を毎日走る貴重な583系を日の長いうちに撮っておこうと思います。

もうそんなに経ちますか…。

2011年08月19日 23時59分59秒 | 日記
秋の虫が鳴くようになりました。
最近の京都は曇りの日が続いて、いつもより涼しい夏の終わりです。


昨日の朝はウォーキングがてら、京都駅近くで急行「きたぐに」を撮ってきました。
普段は寝ている時間ですが、早朝の人気の無い道もまたいいものですね。立ち昇る朝陽が五重塔を掠めていて、何とも言えない素晴らしさでした。
また、道中では3月から本線運用に復帰した205系も見ました。高槻までだと思っていたのが、京都駅にも来るんですね。
205系、そして続行の583系と、早朝の東海道本線には少し懐かしいモーター音が響いていました。
幼少の頃には当たり前だった光景が、もう(地元では)限られたところでしか見られないというのは、それだけ時間が経ったということなのでしょうか。
少しでも見られるうちに、見ておきたいと思います。

今日は、卒業以来久々に高校へ。
きょうから来年度の教育実習に向けての内諾活動が(ようやく)解禁となりました。
ちょうどお昼休みの時間に電話連絡をしたところ、すぐに行っても良いとのことだったので、急いでスーツに着替えて母校へ。
校門をくぐる時、もう3年前とは立場が違うことを何となく実感しました。
それでも、当時お世話になった先生にお会いした時、「おぉ、君は確か新聞部の…」と、覚えていただけていたのが嬉しかったですね。
こうして、無事に手続きを済ませることが出来ました。今回はあくまで「内諾」なので最終決定はまた来年なのですが、年内の活動はこうしてあっさり終わりを告げました。
周りの友人に遅れること3ヶ月強(都道府県によって内諾時期はまちまち)。ひとまず肩の荷が降りた感じです。
引き続き教職課程の勉強や、本業の京都学の方での研究を進めていきたいと思います。


写真は京都駅を出る急行「きたぐに」。
終点大阪まであと少し。そう遠くない引退の時まで、頑張ってほしいものです。

Passion Tonight

2011年08月16日 23時57分59秒 | 日記
いろいろとありましたが、僕は京都が好きで五山の送り火が好きなのです。
それだけのことです。

去年と同じく松ヶ崎浄水場近辺へ行ってみました。
この辺りでは、数メートル歩くだけで鳥居形を除く四つの山(妙・法は2つで1セットです)を一度に見ることが出来ます。


いちばん最初に灯される右大文字。


橋を渡って法。五山の中ではいちばん馴染みがあります。


同じ場所から視点を変えて舟形。何かに遮られて下が見えませんでしたが…。


左大文字。左京区に居ながら北区のこれが見えることがすごく意外に思います。


そして一旦北山通まで北上して、適当に細道を進んだ先から「妙」。
やはり麓から正面がちに見るのがいちばんですね。右下の緑色の光は狐坂の街灯。


もう1枚。
宝ヶ池自動車教習所が開放されていて、多くの人で賑わっていました。


帰りはホコ天状態の加茂街道を下っていると、出雲路橋付近で消えかけの大文字と入れ替わりにまるい月が現れました。ご先祖様が「無事に行ったで~」と知らせてくれているようですね。

残暑はまだまだ続きますが、京都の夏はこれで一区切り。
また来年。

とんでもないもの

2011年08月15日 21時59分06秒 | 日記
8月も半ばを迎え、世間はお盆です。
つい少し前まで祇園祭をやっていたかと思えば、明日の送り火で京都の夏も終わり。
残暑はまだまだ続きそうですが…。


今日は土曜日に引き続き、下鴨神社の古本市へ二度目の出撃をしてきました。
もう2年半も大学生をしていると、今後の研究に使えそうな本ばかりに目がいってしまいます。それもそのはず、大学の先生方もこの古本市ではぎょうさん買われるのです。
古本市の雑踏の中で黒髪の乙女と運命的な出会いがあったり、たまたま買った古本に書いてあった女性の住所に手紙を送り文通を繰り返すといった森見登美彦的展開には今年も恵まれませんでしたが、以下に昨日・今日の戦利品を紹介します。

・昨日(計3700円)
臼井喜之介『風物詩 京都文学散歩』(展望社、1977年)
寿岳章子『京に暮らすよろこび』(草思社、1992年)
水上勉『京都遍歴』(立風書房、1994年)
安西二郎『京都宗教心理学散歩』(淡交社、1996年)

・今日(計2700円)
日本美術展覧会『日本美術展覧会図録 日本画之部』(1923年)
杉本秀太郎『洛中生息』(みすず書房、1976年)
松本大圓編『いま、古都が問う』(サイマル出版、1990年)

見ての通り、どれも京都に関する本です。
一部の古本屋さんでは本棚を京都関係で固めてあったので探しやすかったのですが、時代ごと、地域ごと、その他ジャンルごと…どれをとってもたくさんあるものですね。自分が興味をもった内容且つ大学の研究室に置いていない本を選んでみました。

いちばんの目玉は、きょう1000円(わぉ!)で手に入れた『日本美術展覧会図録 日本画之部』。
大正12年に開かれた日展の図録です。巻末には「定価九圓」の文字があることから、調べてみたところ、ざっと換算すると13000~18000円ほどの価値があったものと思われます。
紐で綴じられているかなりの年代物で、編纂者(日展)の所在が「京都岡崎公園勧業館内」と書かれているのがまた時代を感じさせます。
しかし虫食い等もあまりなく、堂本印象・竹内栖鳳・土田麦僊といった京都画壇の作品が(白黒ではありますが)載せられていて、実際に当時の日展を訪れた気分にさせてくれます。

古本の山から発掘した戦前の図録。
このブログでも何度かお伝えしてきた通り、京都も3回の空襲や建物疎開を経験してきましたから、歴史が一つ違えば灰燼に帰していたことも否定は出来ません。
66年前に玉音放送が流れた日のきょう、この図録に出会えたことには何か意味があると思うのです。


写真は今日の古本市の様子。
鬱蒼とした糺の森が一つの大きな本屋さんのよう。この雰囲気がたまらないのです。

キハ58系「あそ1962」

2011年08月14日 23時59分59秒 | 鉄道模型/製品レビュー・小加工など
こんばんは。
気付けば1週間近く空けてしまいましたが、旅に出ていたわけではありません…。

今日は久々に模型の話です。


先月TOMIXから限定品で製品化されたキハ58系「あそ1962」。
屋根が新規製作されたので、クーラーと水タンクのみのスッキリとした屋根が再現されています。
また、南国九州らしくスノープラウが無いのも特徴的ですね。


車体はJR九州の車両独特のレタリングもきれいに再現されています。
色は実車よりも若干茶色寄りですが、模型映えの点ではこの方がいいのかもしれません。

さて、ここからは加工内容を紹介していきます。


1枚目の写真でお分かりかもしれませんが、前面の加工部分です。
スカートは実車と異なるので切削して実車に近づけてみました。栓受けには黄・赤・白を色差し。
そしてワンマン表示を窓ガラスの裏から貼り付け、キハ58の方は好みで白幕にしてみました。これだけでも車両がかなり生き生きとしてきます。


また、キハ58は平窓車なので床下に機器箱があります。ここは別のTNカプラーから機器箱を切り出して貼り付け。
これに合わせてスカートの足も細くなっているので、それも再現してみました。


車体を外すとこのようになっています。
文章で説明するよりも写真を見てもらった方が分かりやすいでしょうか。


室内加工の様子です。
実車の写真と見比べて自分なりにデフォルメしてみました。
今のところ、車両後方のサイクルスペースは座席を撤去するだけに留めています。いずれ自転車でも置いてみると面白いかも。


最後にトンネルから。
これを機に九州の車両を集めるのもいいですね。
まずは、秋にGMから再生産されるキハ200(赤)あたりから…?

8/8~8/9

2011年08月09日 23時59分59秒 | 日記
この記事は前回記事(8/5~8/7)の続きです。よろしければ先にそちらをご覧ください。
かと言って特に繋がっているわけではないので(笑)、こちらを先に見てもらっても大丈夫です。

8日は、前期の授業で知り合った先輩と「京の七夕」の堀川会場へ行ってきました。
数年前から旧暦の七夕に合わせて、ライトアップのイベントが開催されています。
その前に、日が暮れるのを待つべく、西洞院御池上ルの「DINING+CAFE&BAR閏」へ行ってみましたが、町家改造のお店で2階が禁煙になっていて、天井の梁はもちろん違い棚なども残されていていい雰囲気。
外がよく見えるソファー席に案内されましたが、元々はむしこ窓だったのでしょう。表の西洞院通を町家独特の視点で眺めながら食事を楽しむことが出来ました。
因みに頼んだのは2500円のコースで、サラダ・パン・パスタ・デザート・飲み物が順番に出てくるといったもの。いつもとは違う「ワンランク上」を満喫しました。

さて、「京の七夕」堀川会場の紹介です。
実は親水事業整備後の堀川に降りるのは初めて。昔はコンクリート三面張りの寂しい川(というか、水が無かった)でしたが、疏水分線から通水するようになって美しく甦りました。


堀川御池の入り口付近。普段から降りて歩ける堀川ですが、期間中は北行きの一方通行となっています。
ライトアップと言えどもアート色が強いもので、石垣に光で絵(それも風刺画だったのがナイス!)が映し出されていました。


次に京友禅のライトアップ。
かつて堀川で栄えていた友禅流しを想起させます。水質汚染の問題から現在ではおこなわれていませんが、こういった形での再現は喜ばしいですね。


続いて七夕らしく笹の並木が登場。
市内の小学校や幼稚園で集められた短冊が靡いていました。


普段は薄暗い橋の下も、こうやってイルミネーションで彩られています。


そして目玉の「光の天の川」です。
ところどころ星座が再現されていたり、流れ星が流れるといった演出もあって、歩いていてとても楽しかったです。


各芸大生による作品展示もありました。個人的にはこちらが目当てでした。
竹と光を巧みに組み合わせた独創的な作品ばかりで、竹という素朴な素材ながら無限の可能性があるような気がしました。


最後の堀川第一橋付近には、かつて走っていた市電の煉瓦積み橋台が残されていることから、こんなものもありました。

以上簡単に見てきましたが、ライトアップの域に収まらない、飽きのこない構成でとても楽しめました。
堀川が(期間限定とはいえ)新たな観光資源となる活用法といったものも垣間見えた気がします。また、同行してくださった先輩には、一条戻り橋の由来や堀川通の幅が広い理由など、そういったものも案内することが出来てホッとしました(^^:

きょう9日は9時~13時のバイトを済ませた後、帰宅して昼寝。
帰りは短距離ながらあまりの暑さに自販機でジュースを買ってしまいました。
後でニュースを観たところ園部では最高気温38度を記録したそうで…。ということは、もっと高いところもあったのでしょう。

夕方からは、母親と浴衣を着て六道さん(六道珍皇寺)に行きました。


六道さんは「あの世への入り口」と言われている通り、このお盆の前は仏さんを迎えるために多くの人で賑わいます。
槇を買って水塔婆に戒名を書いてもらい、鐘をついて…といった一連の手順はあるのですが、そこそこ時間がかかったので日が暮れてから行って良かったと思います。

帰りは祇園まで上がって、少しお茶してから帰ってきました。
浴衣は見た目こそ涼しく見えるのですが、実際着ているとなかなか暑いものです。
それでも着て歩くといつもの街もまた違って見えるので、不思議なものだなと思います。

8/5~8/7

2011年08月09日 23時33分11秒 | 日記
また少し間が空きました…。
夏休みに入って暇になるかと思いきや、次から次へといろんな出来事が起こりました。
おもしろいですねぇ。

5日の金曜日は、9時から12時までバイト。
夏休みということで、時間が夕方から朝に移りました!
これは「サマータイム」の部類に入るのかどうか分かりませんが(笑)、9時から12時と言えばいつも寝ている時間なので、なかなか慣れませんでした。
しかし、子どもたちはラジオ体操が終わってからそのまま来るのか、みんな元気すぎてびっくり。
眠気と戦いながらひたすら採点を続けて、時間通り12時に終了となりました。

で、バイトだけで終わればいいのですが、そこから講座を受けるために大学へ!
13時開始なので昼食を摂る間もなく、おまけに先生の体調不良で1コマが休講となり(他大学の先生なので、上手く情報伝達がいかなかったのかも)、ふらふらの状態でもう1コマを受けて帰ってきました。
もう5分ほどで家に着くにも関わらず、ゲリラ豪雨に遭ってびしょびしょ…。

それからカバンを替えて大阪へ。(まだ動くか!)
仕事帰りのMAKOと合流して、ヨドバシ梅田の上にある中華バイキングのお店でいっぱい食べました。
元々は自分の旅行予定を立てるのを手伝ってもらう(意見をもらう)のが目的だったので、家でアレコレ話しながら、M250系「スーパーレールカーゴ」の通過を見て就寝。
翌日6日は寝過ごして「スーパーはくと」に間に合わなかったので、新大阪から「はるか」で帰ってきました。
やっぱりガラガラでした。

7日は昼までゆっくり寝て、今期初浴衣着用!
ちょっと緊張しながらバスに乗って(笑)、壬生寺境内にある老人ホームへに向かいました。
去年も行きましたが、青年部のイベント(慰問)で、入居されている方にお茶を点てるというものです。
お年寄りの方に喜んでもらえたのはもちろん、同じ青年部の中でも1年ぶりに会う人もいて、点前の合間などにすっかり話が弾みました。
こういう繋がりは大切にしていきたいと思います。

それから一旦帰宅して、私服のアロハに着替えて四条河原町へ。
よく集まる男女3人でスイパラに行きました。ちょうど半年ぶりでしょうか。
とりあえず前期の打ち上げということで、いっぱい食べました。5日にバイキングに行ったばかりなのにまたバイキングということで、胃もびっくりしていたことでしょう。
解散後、帰りは四条烏丸まで歩いたのですが、趣向を変えて一筋南の綾小路通を歩いてみました。混雑している四条通とはガラッと雰囲気が違って、人も少ないので歩きやすかったです。


写真は新大阪にて、初撮影の287系「こうのとり」。
ピカピカの新型ですが、まさかの3両編成で驚きました。

そして始まる夏休み

2011年08月04日 23時59分59秒 | 日記
夏休み1日目。
…ですが、普段とあまり変わらない感じです。
今年は旅行も時期をずらす予定なので、かなり落ち着いております。


今日は昼から大学へ。
ついに教員採用試験の対策講座が始まりました。
これは夏・秋・冬と3期に分かれているのですが、短期間ながらもこの夏が重要とのこと。
初日は教育原理が1コマあり、内容に触れたのは実に1回生以来。西洋の教育思想が重点的に扱われたのですが、先生の板書が早い上に消すのも早く、ついていくのでやっとでした…。
そんなこともあり、1コマだけでも覚えることが多いと思いました。就職活動と両立していくことの難しさが少し分かったような気もします。
あらゆる可能性は捨てていませんが、そろそろ今後の方向性を固めていかなければならないのではと思いました。
未来の地図、って言うんでしょうか。

それにしても、外の暑いこと。
7月末は気温が30度を超えるか超えないかで過ごしやすかったのですが、ここ数日はまた32度や33度に戻ってきてかなり暑い状態。
今日は自転車で行ったのですが、途中で何度もバスに乗り換えようかと思いました。
道を変えて、いつもは大学で買っている飲み物を行きしなに買って…と、自分でいろいろと工夫していかなければなりません。
毎年のことなのに、いつまで経ってもこの暑さには慣れません。

帰ってからは、夏休みらしくゴロゴロしていました。
模型作業、部屋の掃除、読書、いろいろと少しずつやっていこうと思います。
先日導入した「あそ1962」のディテールアップは地道に進んでいます。キハ58「たかやま」も全車の下地塗装まで漕ぎ着けたいところ。


写真は敦賀にて寝台特急「日本海」。
免許合宿の合間に撮りに行った、思い出の夏。

沈黙を破り

2011年08月03日 23時59分59秒 | 日記
元気にしております。
いつの間にか8月になりました。
書く習慣が無くなりそうで怖いのですが、とりあえずここ3日のダイジェストを。


1日は、能面の虫干しアルバイトに行ってきました。
毎度毎度いろんなアルバイトに手を出す僕ですが(笑)、とある先生にお誘いを受けたので「これは!」と思って行ってきました。「今しか出来ない」「貴重な体験」、おそらくはこの二つが僕の原動力なのでしょう。
もちろん初めての場所なので最初は緊張しましたが、向こうの方にとても親切にしていただきました。
仕事の内容としては「鰻の寝床」の向こうにある蔵から能の面や衣装、道具をひたすら運び出すというもので、重いものが多かったのですぐ腕が痛くなりました。
それでも虫干しのために大広間に並べられた「ホンモノ」たちは壮観で、こういった伝統芸能のいち行事に携われている実感を持てたことがすごく嬉しかったです。
そして「来年もよろしく!もし就職出来ひんかったら能楽師にならへんか?」と冗談とも本気ともつかぬ感じで言われ(笑)、ふらふらの状態で帰ってきました。
後で調べてみたところ、僕はそうそうたる方々(もちろん、現役の能楽師の方など)に囲まれて仕事をしていたようです。

2日は、前日からの筋肉痛を引きずりながら同志社へ。
「20世紀における男×女」のレポートを提出しに行きました。
どの男女を扱おうか最後まで迷っていたのですが、哲学者アランとシモーヌ・ヴェイユに落ち着きました。
彼の著作『幸福論』がおもしろかったからです。スタイルとしては今で言うブログの先駆けとも言えますが、哲学を日常に近づけているというところで、読み物としても十分に楽しめると思います。
哲学は今まで全く触れてこなかったのですが、社会科(公民科)の免許を取るためには哲学の授業も受ける必要があるので、自らが哲学に触れるキッカケという意味でも扱って良かったと思います。

夜はスーツを身に纏い(笑)、教育センターで京都市立校出身者向けの教育実習説明会に出席。
他府県の友人は既に内諾をとっていたりする中で、ようやく一歩前進といったところです。京都市の教育制度は今まで当たり前と思っていましたが、よくよく考えればかなり独特なのかもしれません。
内容はこれからの手順の説明等もあったのですが、教師の心構えをお話しされた教育委員会の方の、

「成功の反対は失敗じゃなくて、何もしないことなんです。何もしなければ失敗もしない。でも君たちは今日ここに来てくれたことで一歩外に出たことになる。そのことだけで素晴らしいと思います」

という言葉が印象的でした。これはあらゆる物事に言えると思います。
いろいろとやる気が出たので、来年の教育実習が楽しみになってきました。引き続き、先生方や周りの経験者の方からお話やアドバイスを聞いていきたいですね。

さて、きょう3日は試験最終日。
1限の「自然地理学概論」を以て、初日から最終日まで続いた僕の試験は終わりを告げました。まぁ、出来はともかく。
そのまま友人と長話をして(笑)、食堂で昼食を済ませ、帰ってからはずっと寝ていました。
今期はコマ数が多かったのでどれかを棄権することになりはしないかと心配だったのですが、とりあえず全て発表・レポート・試験を済ませることが出来てホッとしています。

そんなこんなで、僕にもいよいよ夏休み到来です。
今年はやることが多いのであっという間に過ぎていくでしょう。


写真は妙心寺~御室仁和寺にて、最近撮った嵐電。
北野線のこの区間は、線路との距離感が近くて好きです。