2011年の8月が終わりを迎えようとしていた。
大学が夏休みに入ったものの、恒例の一人旅に出ていなかった僕はひとり悶々とした生活を送っていた。どこかの駅で財布を落とし、お金が足りなくなって帰れなくなる夢を見た。顔は忘れてしまったが、彼女であろうかわいらしい女の子と、向かい合わせのボックスシートに腰かけて流れる車窓を見ながら談笑している夢も見た。それらの夢は確かに不毛であったが僕を確実に旅の一歩へと向かわせた。
お金が無くてもガールフレンドが居なくても旅は出来る。見知らぬ土地にしばらく滞在し、出来るだけ地元の人と話をして、無人駅のベンチで寝転がってゆっくり今後のことでも考えよう。
それに、少しだけ京都を離れてみたくなった。
今回の旅費は7万円にした。
主な移動に使う青春18きっぷは以前買っておいたので問題はないが、期間と行先を考えればかなり少ない方だろう。それでもこの夏に向け、普段のアルバイトに加えてあらゆる単発アルバイトを経験することで6万円を貯めた。しかし、行き帰りの交通費(18きっぷを除く)で3万円を使ってしまったので、事実上の所持金は3万円となった。
さすがに不安だったのか、「それだけじゃ心配だから」と母親が1万円を持たせてくれ、所持金は4万円となった。あまり使いたくはなかったが、この1万円が後ほど役に立つことをこの時はもちろん知る由もなかった。
旅に出る数日前、アルバイト先に休みを申請するとあっさり許可された。帰ったら干されていた、なんてことになっていたらどうしよう。まぁ、それは帰ってから考えよう。
そして8月30日の午後6時半、いつもより早くバイトを切り上げて帰宅した。荷物をまとめていよいよ出発を迎えた。僕の心はやはりそわそわしていた。
西大路19:54発→京都19:57着
京都20:09発→園部20:46着
旅の始まりは嵯峨野線だった。
アルバイトでの疲れか、亀岡を過ぎた辺りから終点の園部まではずっと寝ていた。残りのメンバーはきっと園部に着く頃まで働いているのだろう。片や僕はもう旅に出ている。日常からいとも簡単に乖離してしまった僕は言いようのない優越感と快感に満ちていた。窓越しにはどや顔が映った。
園部21:10発→東舞鶴22:19着
園部からは特急「はしだて9号・まいづる15号」に乗った。園部で数人の下車があったのは意外だった。通勤特急としての側面もあるのかもしれない。
入れ替わりに乗車し、丹後ちりめんのカバーがかかった大きなシートに腰を据えた。2分ほど遅れていたせいか、列車は力強くエンジン音を響かせて一路綾部へと向かった。因みに、綾部からは前2両の「きのさき」が切り離されて福知山へ、後ろ二両の「まいづる15号」は進行方向を変えて東舞鶴へと向かう。だからと言ってせいぜい20分程度の区間のために座席を転換したりするようなことはしない。
そうして舞鶴線を快調に走っていたところ、梅迫~真倉間で「ドン!」という音と共に急停止した。放送によると鹿と接触したらしく、車掌氏が車外に出て点検した。後の放送では猪と訂正された。点検では特に異常は見られなかったそうだが、少しだけ走り、明かりの確保出来る真倉駅構内で再度点検がおこなわれた。
結局、終点の東舞鶴には6分延着した。動物との接触で列車が遅れることは夜間のローカル線ではよくあることなのだろう。しばらくして、乗ってきた「まいづる15号」は車庫のある西舞鶴へと折り返し回送されていった。
22時を過ぎた東舞鶴の駅前はやはり寂しかった。自転車で走り回る不良少年が身の丈に合っていてかわいらしいなと思った。
30分ほど待つとフェリーターミナル行きのバスがやって来て、僕の他にもう一人キャリーバッグを引いた女性が乗ってきた。見た感じでは同い年くらいだろう。知り合いに似ていたので驚いた。
バスは見覚えのある赤レンガ倉庫を通り抜け、10分ほどで舞鶴フェリーターミナルに着いた。受付を済ませて待合室に入ると、私のように大き目の荷物を抱えた人が目立った。
舞鶴からは新日本海フェリー「あかしあ」に乗り、海路小樽を目指す。
よく使う三宮~高松のジャンボフェリーよりもずっと大きく、最初に入ったフロントからは幾つもの通路と部屋が伸びていた。船内のフロントで初めて寝台の指定を受け、番号に従って部屋へと入る。今回小樽までは約20時間の長旅ということもあり、落ち着いて寝られる2等寝台を選択した。大学生協から券を買うと約10000円。まぁ、こんなものだろう。
時間は既に23時を過ぎていた。自販機で炭酸飲料を買い、早々にベッドメイキングを済ませ、眠くなるまで文庫本を読むことにした。今回は旅のお供に4冊もの文庫本を用意したが、やはり村上春樹の本は読中読後と独特の喪失感に襲われる。タイトルの『国境の南、太陽の西』とはまさにこれから訪れる北の大地ではないか。そんな偶然を覚え、これから始まる旅に向けて何だかよく分からない不安な気持ちを抱えたまま、2時過ぎには寝たと思う。船はずっと小刻みに揺れていた。
翌朝は放送で一旦目覚めた。船は30ノットで航行し、定刻通り小樽に着く見込みらしい。
目が覚めても船から降りられるのは夜の20時過ぎだ。携帯も海上ではほとんど圏外なので、引き続き惰眠を貪っていた。
結局起きたのは昼過ぎで、しばらく船内探索をしたり、自販機で飲み物を買ってラウンジで本を読んでいた。行きのバスで一緒だった彼女とも、船内で何度かすれ違った。
夕刻、奥尻島沖を航行中との放送が入った。いよいよ北海道入りだ。
それからフェリー内の浴場に入浴した。一面の海を眺めながら貸切状態での入浴はとても爽快であった。
船は定刻通りに小樽に着いた。設備が充実していたせいか、20時間の船旅は思っていたよりもあっという間だった。着いてすぐに夜というのは仕方ないが、遂に北海道の地を踏んだ。高校の修学旅行以来初の単身渡道である。あの時は飛行機で味気なく伊丹から新千歳に飛んだが、やはりこれくらい時間をかけた方が「来た」という実感がある。欲を言えば、京都から日本海沿いに列車で青森まで地続きに、そして海峡線を経由して訪れてみたかった気もした。
小樽から乗る列車の時間にはまだ余裕があったので、夜の小樽を散策しながら駅に向かうことにした。
適当に海沿いの道を歩いていると右手に小樽築港駅が見えた。小樽駅とは逆方向に進んでいたのだ。もちろんここから乗っても今晩の目的地には辿り着けるが、まだ時間はある。橋上通路を越え、国道を歩いて小樽駅へ向かうことにした。
小樽築港から小樽までは意外と距離があった。小樽駅行きのバスはひっきりなしに通るが、とりあえず初日は節約を心がけたかった。そう思って、夜道を重い荷物を背負って小樽駅へと歩いた。
しばらくすると、道路から飲み屋街がちらほらと垣間見えた。小樽駅には確実に近づいている。人通りも少しは増え、無事に小樽駅に着いた。気付けば1時間以上も歩き続けていた。僕は苦にならなかったが、もし同行者が居ればたちまち喧嘩になっていたことだろう。
小樽駅舎は改修中であった。券売機で710円区間の切符を購入し、初めてJR北海道の改札を通り抜け、ホームへと上がった。ただそれだけのことが、すごく特別な行為であるかのように思えた。
小樽22:29発→銀山23:15着
初めて乗るJR北海道の車両はキハ150-15だった。倶知安行きの列車は席が埋まるほどの乗車率で、余市で多くの客を降ろし、徐々に車内は閑散としていった。
僕は途中の銀山で降り、待合室内の虫を追い払って寝袋を広げ、久々の駅寝とした。寝袋を広げていると保線作業の人がやって来て、怒られるかと思ったが、0時15分頃に自動消灯すること、刺す虫に気をつけてということを告げて去って行った。
さすがは北海道だ。外の灯に群がった手のひらサイズの大きな蛾が窓ガラスを直撃してくる。それでも消灯されると辺りも静まり、いつの間にか眠りについていた。外から時折聞こえるハンマーの音が子守唄のようでもあった。
大学が夏休みに入ったものの、恒例の一人旅に出ていなかった僕はひとり悶々とした生活を送っていた。どこかの駅で財布を落とし、お金が足りなくなって帰れなくなる夢を見た。顔は忘れてしまったが、彼女であろうかわいらしい女の子と、向かい合わせのボックスシートに腰かけて流れる車窓を見ながら談笑している夢も見た。それらの夢は確かに不毛であったが僕を確実に旅の一歩へと向かわせた。
お金が無くてもガールフレンドが居なくても旅は出来る。見知らぬ土地にしばらく滞在し、出来るだけ地元の人と話をして、無人駅のベンチで寝転がってゆっくり今後のことでも考えよう。
それに、少しだけ京都を離れてみたくなった。
今回の旅費は7万円にした。
主な移動に使う青春18きっぷは以前買っておいたので問題はないが、期間と行先を考えればかなり少ない方だろう。それでもこの夏に向け、普段のアルバイトに加えてあらゆる単発アルバイトを経験することで6万円を貯めた。しかし、行き帰りの交通費(18きっぷを除く)で3万円を使ってしまったので、事実上の所持金は3万円となった。
さすがに不安だったのか、「それだけじゃ心配だから」と母親が1万円を持たせてくれ、所持金は4万円となった。あまり使いたくはなかったが、この1万円が後ほど役に立つことをこの時はもちろん知る由もなかった。
旅に出る数日前、アルバイト先に休みを申請するとあっさり許可された。帰ったら干されていた、なんてことになっていたらどうしよう。まぁ、それは帰ってから考えよう。
そして8月30日の午後6時半、いつもより早くバイトを切り上げて帰宅した。荷物をまとめていよいよ出発を迎えた。僕の心はやはりそわそわしていた。
西大路19:54発→京都19:57着
京都20:09発→園部20:46着
旅の始まりは嵯峨野線だった。
アルバイトでの疲れか、亀岡を過ぎた辺りから終点の園部まではずっと寝ていた。残りのメンバーはきっと園部に着く頃まで働いているのだろう。片や僕はもう旅に出ている。日常からいとも簡単に乖離してしまった僕は言いようのない優越感と快感に満ちていた。窓越しにはどや顔が映った。
園部21:10発→東舞鶴22:19着
園部からは特急「はしだて9号・まいづる15号」に乗った。園部で数人の下車があったのは意外だった。通勤特急としての側面もあるのかもしれない。
入れ替わりに乗車し、丹後ちりめんのカバーがかかった大きなシートに腰を据えた。2分ほど遅れていたせいか、列車は力強くエンジン音を響かせて一路綾部へと向かった。因みに、綾部からは前2両の「きのさき」が切り離されて福知山へ、後ろ二両の「まいづる15号」は進行方向を変えて東舞鶴へと向かう。だからと言ってせいぜい20分程度の区間のために座席を転換したりするようなことはしない。
そうして舞鶴線を快調に走っていたところ、梅迫~真倉間で「ドン!」という音と共に急停止した。放送によると鹿と接触したらしく、車掌氏が車外に出て点検した。後の放送では猪と訂正された。点検では特に異常は見られなかったそうだが、少しだけ走り、明かりの確保出来る真倉駅構内で再度点検がおこなわれた。
結局、終点の東舞鶴には6分延着した。動物との接触で列車が遅れることは夜間のローカル線ではよくあることなのだろう。しばらくして、乗ってきた「まいづる15号」は車庫のある西舞鶴へと折り返し回送されていった。
22時を過ぎた東舞鶴の駅前はやはり寂しかった。自転車で走り回る不良少年が身の丈に合っていてかわいらしいなと思った。
30分ほど待つとフェリーターミナル行きのバスがやって来て、僕の他にもう一人キャリーバッグを引いた女性が乗ってきた。見た感じでは同い年くらいだろう。知り合いに似ていたので驚いた。
バスは見覚えのある赤レンガ倉庫を通り抜け、10分ほどで舞鶴フェリーターミナルに着いた。受付を済ませて待合室に入ると、私のように大き目の荷物を抱えた人が目立った。
舞鶴からは新日本海フェリー「あかしあ」に乗り、海路小樽を目指す。
よく使う三宮~高松のジャンボフェリーよりもずっと大きく、最初に入ったフロントからは幾つもの通路と部屋が伸びていた。船内のフロントで初めて寝台の指定を受け、番号に従って部屋へと入る。今回小樽までは約20時間の長旅ということもあり、落ち着いて寝られる2等寝台を選択した。大学生協から券を買うと約10000円。まぁ、こんなものだろう。
時間は既に23時を過ぎていた。自販機で炭酸飲料を買い、早々にベッドメイキングを済ませ、眠くなるまで文庫本を読むことにした。今回は旅のお供に4冊もの文庫本を用意したが、やはり村上春樹の本は読中読後と独特の喪失感に襲われる。タイトルの『国境の南、太陽の西』とはまさにこれから訪れる北の大地ではないか。そんな偶然を覚え、これから始まる旅に向けて何だかよく分からない不安な気持ちを抱えたまま、2時過ぎには寝たと思う。船はずっと小刻みに揺れていた。
翌朝は放送で一旦目覚めた。船は30ノットで航行し、定刻通り小樽に着く見込みらしい。
目が覚めても船から降りられるのは夜の20時過ぎだ。携帯も海上ではほとんど圏外なので、引き続き惰眠を貪っていた。
結局起きたのは昼過ぎで、しばらく船内探索をしたり、自販機で飲み物を買ってラウンジで本を読んでいた。行きのバスで一緒だった彼女とも、船内で何度かすれ違った。
夕刻、奥尻島沖を航行中との放送が入った。いよいよ北海道入りだ。
それからフェリー内の浴場に入浴した。一面の海を眺めながら貸切状態での入浴はとても爽快であった。
船は定刻通りに小樽に着いた。設備が充実していたせいか、20時間の船旅は思っていたよりもあっという間だった。着いてすぐに夜というのは仕方ないが、遂に北海道の地を踏んだ。高校の修学旅行以来初の単身渡道である。あの時は飛行機で味気なく伊丹から新千歳に飛んだが、やはりこれくらい時間をかけた方が「来た」という実感がある。欲を言えば、京都から日本海沿いに列車で青森まで地続きに、そして海峡線を経由して訪れてみたかった気もした。
小樽から乗る列車の時間にはまだ余裕があったので、夜の小樽を散策しながら駅に向かうことにした。
適当に海沿いの道を歩いていると右手に小樽築港駅が見えた。小樽駅とは逆方向に進んでいたのだ。もちろんここから乗っても今晩の目的地には辿り着けるが、まだ時間はある。橋上通路を越え、国道を歩いて小樽駅へ向かうことにした。
小樽築港から小樽までは意外と距離があった。小樽駅行きのバスはひっきりなしに通るが、とりあえず初日は節約を心がけたかった。そう思って、夜道を重い荷物を背負って小樽駅へと歩いた。
しばらくすると、道路から飲み屋街がちらほらと垣間見えた。小樽駅には確実に近づいている。人通りも少しは増え、無事に小樽駅に着いた。気付けば1時間以上も歩き続けていた。僕は苦にならなかったが、もし同行者が居ればたちまち喧嘩になっていたことだろう。
小樽駅舎は改修中であった。券売機で710円区間の切符を購入し、初めてJR北海道の改札を通り抜け、ホームへと上がった。ただそれだけのことが、すごく特別な行為であるかのように思えた。
小樽22:29発→銀山23:15着
初めて乗るJR北海道の車両はキハ150-15だった。倶知安行きの列車は席が埋まるほどの乗車率で、余市で多くの客を降ろし、徐々に車内は閑散としていった。
僕は途中の銀山で降り、待合室内の虫を追い払って寝袋を広げ、久々の駅寝とした。寝袋を広げていると保線作業の人がやって来て、怒られるかと思ったが、0時15分頃に自動消灯すること、刺す虫に気をつけてということを告げて去って行った。
さすがは北海道だ。外の灯に群がった手のひらサイズの大きな蛾が窓ガラスを直撃してくる。それでも消灯されると辺りも静まり、いつの間にか眠りについていた。外から時折聞こえるハンマーの音が子守唄のようでもあった。