春よ、来い

2011年01月31日 23時59分59秒 | 日記
もう1月も終わりですね。
試験があったせいか、それほど早くは感じませんでした。
でも、2月3月はおそらく早く時が流れるのだと思います…。


明け方6時過ぎに「京都学基礎講読」のレポートが完成しました。最後までどう持っていくかけっこう悩んでましたが…。
成果物のレポートを書く際、後発の他人の意見や先生に指摘された部分を自分の意見として書く(やり方としてはOKだし、自分も今までにやったことがある)ことがあるのですが、今回ばかりは参考程度として、あくまで自分の主義・主張を補強することに終始しました。
その過程で、自分の体験や主観というものをある程度大切にすることを心がけました。もちろん通常のレポートでは有り得ないことです。
でも、自分の場合、まずは過去20年間の自分の体験・そこで培われた主観を作品のなかの「京都」と比較することで、作者の京都像・京都観というものに触れることが出来るんですね。京都が舞台となる文学作品に共通する自分の読み方です。それから参考文献を当たっていく。
というわけで、僕の書くレポートはいつも若干上から目線に仕上がってしまうのですが、今回がその最たるものと言ってよいと思います。
吉と出るか凶と出るか。はたまた。

それから7時間ほど寝て、昼からはバスで大学に行きました。
今日も食堂で孤食TIME!!と思ったらたまたま友達が居たので、一緒に食べることに。
一昨日と同じメニューで、いろいろと話しながら食べました。たまには友達と食べるのもいいもんですね←

すっかり話が弾んで、1時間以上してからようやくメディアルームでレポートを印刷して提出することが出来ました。キリよく1月中に済ませられて、これで晴れて春休み突入です。
ついでに1945年に米軍が作成した京都市内の地図と、「京都・鴨川に坐る人々の空間占有に関する研究」という論文も印刷してきました。
実は家でも印刷設備は整っているのですが、2月3月は授業が無いので、学費を少しでも有効に使うべく…。

前者は60年以上も前のデータということで、失われた都市河川を探索するのにすごく役立つと思います。川以外にも市電や国鉄の路線、更には米軍作成ということで橋の材質まで細かく書かれています。次は昭和30年代辺りの航空写真を探しに行きたいと考えています。
後者はちょっと期待外れでした。20年以上も前の論文ということもありますが、量が少なく(その分読みやすいが)、不足している部分が多いように思います。データを採った日が宵山ということで、普段のデータが無いのも気になるところ。
つまり、鴨川等間隔カップルの法則について、本当に突き詰めた研究はされていないということです。
春休みはこれらを遊び道具にして街へ繰り出そうと思います。


写真は近鉄上鳥羽口駅付近にて、堀川の下流部。
華々しく蘇った上流部とは全く異なる様相。都市河川の悲哀というべきか。

細々と

2011年01月30日 22時33分21秒 | 日記
今日は大学に行こうと思ったのですが、起きたのが遅かったのと、寒かったのとでやめました。
よって一日中家に居ました。基礎研究の成果物は完成したので、今は基礎講読の方をやっています。
こっちも早く完成させて、明日大学に提出しに行けたらいいのですが…。

早いですが今日はこのへんで。


写真は暗渠化された養老田川。
明日で工事が終わります。この看板が撤去された時が、川が本当に忘れ去られる時です。

日常の延長

2011年01月29日 23時23分20秒 | 日記
相変わらず寒いですね。
何でこんなところにわざわざ都を造ったのか。去年も同じことを言っていた気がします。
でもこんなところで1000年以上も都が続かなければ、うちの専攻は誕生していなかったわけで。僕もおそらく京都に興味を持っていなかったわけで。不思議なもんです。


今日はお昼に起きてそのまま大学に行きました。実はまだ試験期間中なので、人はそこそこいます。
まずは存心館の地下食堂で昼食タイム。ライスS+鯖の生姜煮+ハムカツ+杏仁豆腐、しめて462円でした。
昔から給食とか学食とかが好きなので、休み中でもどうしても来てしまいます。いちばんの理由はおいしくてリーズナブルだからなのですが。
ここまで見ると僕はあたかも大学の近くに住んでいるだらけた下宿生のような暮らしぶりですが、大学から大幅に離れた場所に住んでいるだらけた自宅生です。
近年孤食化がどうのこうのと言われていますが、たまには孤食もいいもんだなと思いました。

昼食後は、図書館のメディアルームでレポート執筆作業。
「京都学基礎研究」の花園と祝園の比較について成果物を出さなければならないので、アドバイスを受けた点を中心にパワーアップさせました。書庫にこもって文献も探してみると、特に祝園に関しては新たな事実が続々と出てくる始末。ホントは発表前に気付けば良かったのですが、この成果物こそ評価に大きく影響するので、こちらで頑張ろうと思います。
我ながらけっこういい切り口だと思います。花園と祝園。

レポートが落ちついてからは、お茶のお稽古に行きました。
今日のお菓子は有名な花びら餅。白あんとゴボウがお餅に挟まれているものです。
ゴボウは歯固めのために入れられたとされていますが、まぁ、昔の人はおもしろいことを考えたものですね。1月中に食べることが出来て良かったです。


写真は龍安寺に入線する嵐電。
この雪の頃より寒い寒さ。もうしばらく続きそうです。

よみがえる思い出

2011年01月28日 23時59分59秒 | 日記
やるべきことはまだ残っているのに、もう春休みモードです。
ホントは外に出て活発に動いてみたいのですが、この時期がいちばん寒くて…。


生活リズムが悪くなることは目に見えているので、ならばせめてウォーキングを!
というわけで、お昼に起きてから歩いてイオンモールに行きました。目的地よりは道中に色々な発見があって、何か楽しいのです。
今日は途中から鍋取川の暗渠を辿って歩いて行ったのですが、変わっていないといえば変わっていない、変わっているといえば変わっているといった状況でした。
つまりは、暗渠化当時から残るコンクリートの上に更に新しくコンクリートで路盤が整備されていて、暗渠と道路の段差(30センチくらいある)もほぼ消されていたんですね。つまり暗渠の上を歩くことは出来るのですが、コンクリートが新しすぎて、何も知らなければ昔は川が流れていたとは思えません。
しかし、所々にあった橋の親柱が辛うじて残っているのが不思議でした。ここまで来ると未来永劫残り続けてほしいなとも思います。
春休み中は古地図を手に、京都市内に残る河川の跡も辿るのもおもしろそうですね。

イオンモールでは、ポポンデッタで模型を物色した後(収穫はナシ)、ダイソーで名刺ホルダーとその他もろもろを買いました。
やはりお菓子やジュースは魅力的ですね。ついつい幾つか買ってしまったのですが、それでも525円。まぁ、いいでしょう。

帰ってからは、切符の整理を始めました。
今までは駅でもらえる切符の袋に入れたり、薄い箱に入れたりしていたのですが、流石に数が多くなってきたので、この機会にということで。
ここで先ほどの名刺ホルダーが役に立つわけですが、改めて整理を始めると膨大な量の切符があることに気づきました。もちろん今はなき「あかつき」の指定席券や「はやぶさ」車内で発行の乗車券、珍しいものとしては一畑電車や紀州鉄道の硬券もあり、とてもホルダーの120ポケットには収まりそうにありません。後日また追加しなければ…と思っています。
また、整理中に2月3日までの京都~大阪の昼特きっぷを発掘したので(ギリギリ!)、期限までに大阪へ遊びに行きたいですね。


写真は新大阪にて「タンゴエクスプローラー1号」。
3月改正によって、切符の券面表示はおろかJR線内でも見られなくなってしまいます。

少しの寂しさ

2011年01月27日 20時12分15秒 | 日記
夕食はラーメン鍋でした。
やっぱり冬は鍋ですね。もし平安時代から鍋の文化があれば、清少納言は「冬は鍋。なんちゃらかんちゃら…締めのおじやもまたよろし。」などと書いたと思います。
鍋。とにかく冬は鍋なのです。


今日は車で大学まで送ってもらって、5限は「現代の経営」の試験でした。
16:30からの開始だったので起きてからも勉強時間は十分にあって、ちょっと力を入れていたのですが…
やっぱり難しい!というのが正直な感想でした。レポートもちゃんと出したけれど、これも良くてCかなぁと。
しかし、レジュメは分かりやすかったので勉強をする過程で経営の知識は少なからず身につきました。こういう背景でこうなった、こういう問題が生まれた、という感じで。

かくして2回生後期の試験が全て終わりました。
後は月末締切のレポートが2つありますが、実質的には春休みに突入します。しばらく会わない人も多いでしょう。
帰りは50系統に乗って外を眺めていましたが、流れ去る冬の車窓が何処となく空虚な感じでした。
京都駅では「日本海」を撮影しようと思ったら、羽越線の強風で運休とのこと。
仕方なく電車でさっさと帰ってきました。まぁ、また次回に。

さて、きのう大学でJR西日本のプレスリリースを見ていたのですが、今度のダイヤ改正で快速「瀬戸内マリンビュー」が2往復から1往復に減るんですね!
改正後は上り下りどちらも日中の走行で時間帯としては良いのかもしれませんが、4号で見られる瀬戸内海の夕陽は見納めになってしまいます。
やはり1両しかない自由席車の混雑が問題になったのでしょうか。4号はちょうどラッシュ時間帯に被るので、出入口が1箇所なのも影響しているのかもしれません。同じ性格の列車として山陰本線の「みすゞ潮彩」がありますが、あちらは一般車と併結も出来ますし…。
本数が減って寂しくなりますが、日中でも海沿いの景色は素晴らしいのでまた乗りに行こうと思います。


写真は広島にて、一昨年の大晦日に乗った「瀬戸内マリンビュー4号」。
隣の115系も塗装の変更が進んで、車両はあるのに見られなくなっていく風景も多いですね。

酷寒の街

2011年01月26日 22時38分34秒 | 日記
試験週間はどうも生活リズムが不安定になります。
午後からのものがほとんどなので、今日も結局11時頃まで寝ていました。
しかし、遅くまで勉強が出来るというのはやはりありがたいです。前々からしておくのが一番ですが…。


3限は「文学と社会」の試験。
受講者数1000人を超える人気の講義なので、教室も回生ごとに分かれていました。
それでも多いと感じたので、普段の教室はきっとキャパギリギリ、もしくはオーバーした状態でやっていたのでしょう。最終講義では立ち見の人も居たはずです。
試験そのものは持ち込みOKだったので、ノートとプリントを基に情報を繋ぎ合わせてたくさん書きました。
しかし1000人超の答案を採点する先生がいちばん大変だと思います。学生側としては早く成績を発表してほしいものですが(笑)、こういう事情もあるのですね。

私は買いませんでしたが、聞くところによるとこの科目の講義ノートは大変素晴らしかったそうです。
その是非はともかく、来年は余裕が出来れば書く側になってみようかとも考えています。ブログもそうですが、自分の書いたものを人に見てもらえるのはやはり素晴らしいことだと思います。
一過性のものではなく、試験の後も何かしらに使えるように工夫すればもっと喜ばれるのではないかと。

試験が終わってからは、メディアルームへ。
学部統一のレポートの締切は昨日だったので、人も少なく再び閑散とした状態でした。
「兵どもが夢の跡」とはまさにこのことだと思いつつ、適当にネットサーフィンをして、専攻で出されているレポート(こちらの締切は月末まで)を少しやり始めて、16:30頃に大学を出ました。

大学を出てからは、まっすぐ帰らずに太秦方面へ…。
キハ181系3連の天理臨を撮りに行きました。最初は太秦駅付近で1枚だけ撮るつもりでしたが、あまりの寒さに早押しして失敗。
そこで嵯峨嵐山の27分停車を使って先回りして、駅の外から数枚撮った後、踏切から流し撮り(これは何とか決まりました)してようやく満足したので、そこからお茶のお稽古に行って帰ってきました。
京都らしくとても寒かったです。明日はもっと寒くなるらしい!


写真は嵯峨嵐山を出るキハ181系天理臨。
いま、古巣の山陰本線京都口で最後の活躍を見せています。

だましだまし…

2011年01月25日 23時57分03秒 | 日記
今日は後期のレポート提出締切日。
自分も「教育方法論」と「現代の経営」のレポートが完成したのが未明のことで、締切2時間半前の提出でした。
それにしても「教育~」のレポート課題である仮説実験授業の授業書がいちばん難儀でした。フォーマットも何も無いので、一定の流れは守った上で、子どもが教師の期待通りの質問をするという設定にして「いい質問ですねぇ!」という教師のセリフを入れておきました。


レポートは終わっても、試験はまだまだ続きます。
怒涛の三連続、しかも同じ教室で、今日がいちばんのヤマ場となりました…。

3限は「人文地理学概論」の試験。
問題は選択式で、それぞれ異なるジャンルからの出題だったのですが…
正直、これに関しては単位を落とした感じがします。一通り書いたことは書いたのですが、僕の得意な「何も知らない人が読めばもっともな文章」なのです。しかし採点をするのは所謂教授と呼ばれる方々なので、一気に減点をされてしまうでしょう。
運が良くてC評価ですが、この単位をとらないと自分の場合は教員免許に響いてくるので、来年また受け直すことになると思います。
大丈夫、あと2年(4期)ある!(^0^)/

レポートを提出して、4限は「生徒・進路指導の研究」試験。
問題は予め公表されていたので、昨日作った答案を暗記して臨みました。
一応字数が600字以上とあったのでそれを超えるように作ったのですが、問題用紙の罫線の幅が狭くて、実際に書けた答案は用紙の半分ほど。
思いの外少なくて驚きつつも、内容はきちんと押さえておいたので、あとは毎回の出席点(15回中14回出席)に期待します。
後期の中でもけっこう印象に残る講義でした。先生が長年現場で経験を積んでこられたということもありますが、毎回配布されるレジュメで多角的な視点や人の意見を多く聞くことが出来ました。

5限は「京都学特別講義」の試験。
これに関してはどんな問題が出るのか誰も予想が出来ない状態で、直前までただレジュメやノートを読むしかありませんでした。
一応「京都×近代」を念頭に置いて勉強していたのですが、一つの事柄については論述出来ても、全体を概括的に論述することは出来ません。
ひょっとしたら一文字も書けないのかも…と思っていると、何と!自分で自由にテーマを設定して論じるというものでした。
ならば書けます。ブログに書いたことを思い出しながら、オモテ面がすぐに書けました。
この授業はあらゆる京都学の中でいちばんおもしろかったです。人数も少なくてさながらゼミのようでした。またみんなでフィールドワークしたいなぁ。

帰ってからはNHKの「フェイク」を観ました。
冒頭の方にうちの大学のキャンパス内(ドラマ中では『京都河原町大学』という設定)がけっこう写っていて、「あ、今日通った!」と喜んだり。
今日は尾形乾山の水差しをめぐる事件で、具体的な場所としては南禅寺・東寺・鳴滝が登場。あと、移動中にチラッと見えた限りでは、二条城周辺や白川周辺、疎水沿い(?)も出てきたように思います。ちょっと写っただけで何処か分かるのはやっぱり嬉しいですね。
しかし、財前直見さんの骨董品店はやはり新門前通の設定だったんですね。ちょうど一昨日フィールドワークをした時にも思いましたが、骨董品店が並ぶ風情は独特のものがありました。


写真は新門前にもほど近い新橋通の路地(ろーじ)。
こうやって家々の屋根が重なってトンネルっぽくなっているのが好きです。

既に花粉症気味です。

2011年01月24日 22時48分33秒 | 日記
ついに1週間が始まってしまいました。
現在、レポート1つ(明日締切)、試験5つ(火3・水1・木1)が残っています。
自分の場合は木曜日には試験が終わるのが救いですが、どれも大変そうなので頑張ろうと思います。


今日は15:00から「西洋史概説」の試験。
正直かなり不安だったのですが、友達に聞いていたところがそのまま出たのでけっこう書けました。
NHKの「映像の世紀」が授業中に観られるという理由だけで受けたのですが、興味のある西洋史の分野の理解をより深めることが出来て良かったです。

35分ほどで退出して、図書館に借りていた本を返却。
図書館は学生証を通してゲートが開く仕組みになっているのですが、ここ最近は一回目で必ず弾かれます。もう一度通すと普通に開くのですが、原因はさっぱり分かりません。
おまけに今日は返却を終えて出る時にもピピピッ!と音が鳴って、返却証明書を見せてようやく出られました。
見た限りでは学生証に破損箇所は見られないのですが、一度どこかに持っていって(どこ?)、ちゃんと見てもらおうと思います。
願わくば、そろそろ学生証と生協の組合員証を非接触式にしてほしいです。僕はICOCAを持っていないのでピッ!とするあの動作に憧れます。

それから、明日の試験の答案(問題は公表済み)を作成すべく有心館へ。
ここは「レポート作成にご利用ください」とこの時期だけメディアルームを開放していて、友達曰く穴場ということなので行ってみました。
これも言わば季節臨時列車のようなものですが(笑)、さすがは穴場というだけあってガラガラ。混雑具合を山陽新幹線に例えると順番待ち多数の図書館が「のぞみ」、ガラガラのこちらが「こだま」のような感じでしょうか。
18時の閉室ギリギリまで作業をして帰ってきました。大学のメディアルームというと図書館・存心館・尽心館などが有名ですが、こういう期間限定の場所も知っていてこその…アレだなぁと思いました。(何かは分からない)


写真は龍安寺を出る江ノ電号。
北野白梅町を目指して坂を下っていきますが、こうして見るとかなり高いところに駅があるのが分かります。撮ってから気づいたのですが、右端に大文字も見えますね。

生存証明

2011年01月23日 23時01分16秒 | 日記
さぼってすいません。

・木曜日
「人文地理学概論」「現代の経営」の補講を受ける。
試験が難しそうな気がして凹む。

・金曜日
後期定期試験開始。
「道徳教育の研究」の試験を受ける。
その後は研究室できゃっきゃ言いながらレポートを進める。

「星くんって貴族の末裔とかじゃなかったっけ?」

「誰がそんなこと言い出したんですか!そもそも僕は洛外の人間ですよ!?」

「じゃあ家元?」

「それも違う!」

こんな会話が起こる。
洛中洛外の概念を理解し、且つ会話にさらっと登場させるあたりはさすが京都学プログラムである。

・土曜日
今年初めてお茶のお稽古に行く。
久々だったので足が痺れて大変だった。でも大体覚えていて安心。

・日曜日(今日)
「京都地域論」のレポート用に写真を撮影すべく、バスに乗って東山区は白川の「かにかくに碑」を訪れる。
現場付近で同じ目的の友達にばったり会って驚く。

明日からはまた毎日更新出来ればいい…な。

分人ネットワーク

2011年01月19日 23時59分59秒 | 日記
バス通学からようやく脱し、今年2度目の自転車通学!
やっぱりお金がかからないのはいいですね。大学までの心理的な距離もだいぶ短くなったように思います。
それにしても雪がしつこく残っています。まぁ、場所が場所ですからね。


4限は「日本文化の奔流」。確認テストでした。
自分はこれで15回全て出席したことになりますが、教室に行くと「普段こんなに居たか?」というぐらい席が埋まってて驚きました。よくあることなのですが、こんなに明らかだったのは初めてです。

この講義は実は京都学と密接に結びついている講義なので、やはりゲストの方も京都出身の方や京都と関わりのある方が多く、現場の様子を大学に居ながらにして聞くことが出来たのですごく貴重な時間でした。京都学には京都出身の先生が一人も居ない(個人的にはそれはあまり良くないと思う)ので、やはりこういう機会には積極的に出向いていかなければならないと思っているところです。
試験では、いちばん印象に残った講義の概要と感銘を受けた部分ということで、平野啓一郎さんの「個人主義から分人主義へ」を挙げておきました。試験を受けている自分(=学校に居る自分)もまた、分人のひとりなのだと思います。

帰ってからは、約30分のインターバルで支度をして、ホテルで友達の結婚式二次会に行ってきました。
まさかこの歳で「友達の結婚式」というものに行くとは思いもしなかったのですが(笑)、女の子が結婚式に男を呼ぶのは珍しいみたいです。(母親談)
故に小学校友人席には自分ともう一人しか男は居なかったわけですが、案の定プチ同窓会状態になってました。試験の話を引っ張れば(笑)、ここでは小学校時代の分人が現れたことになります。
それにしても、結婚式(二次会ですが)はあんなに感動するものとは思いませんでした。不思議ですね。
あと、ビンゴゲームで加湿器を当てて、帰りの電車も225系(初乗車!!)で、こちらも幸せになったいい一日でした。


写真は快速「ことぶき」のキハ40系。
次は、そして自分はいつなのか…?(笑

怒涛の630分

2011年01月18日 23時59分59秒 | 日記
雪もほとんど融けて、今朝はバスもスムーズに動きました。
すっかりバス通学が板についた管理人の星です。今日は何と2~7限通しの日で(6限まで定期、7限は6限の続きの補講)でした。
「にちりんシーガイア」を凌駕する時間割のキツい火曜日とも、今日でおさらば…。


本日3限は「人文地理学概論」。
「科学的地理学」の話で、最初の方は退屈だったのですが、いきなりスライドで阪神電車の写真が出て、先生が何系かを前から順に聞いていきました。しかしその延長線上に自分は座っておらず、結局…

学生A「何系かは分からないですけど…青胴車っていう普通列車の車両で、ジェットカーですね」

先生「何でジェットカーって言うか分かる?」

学生A「駅間が短いから、すぐに加減速が出来るように…」

と、僕は完全に出番を奪われてしまいました。
(定かではないですか)彼は何となく地理学専攻の学生のような気がします。
自分も地理学専攻には鉄道の話が出来る友達が4人ほどいて、情報交換したり定期的に会合を開いているほどですが(笑)、何かすごいものの片鱗を見たような気がしました。
京都学も負けていられません!(・∀・)

そこから、阪神間の鉄道がなぜ4つもあって(新幹線・在来線・阪急・阪神)競合しているのか、路線の敷設された背景(灘の酒、鉄道忌避伝説など)から迫っていくという内容でした。
この授業は毎回欠かさず受けていますが、今回がいちばん興味をそそられる内容であったのは言うまでもありません。

続いて4限の「生徒・進路指導の研究」と6限の「日本思想史」では、先生がどちらも最近の「タイガーマスク運動」について言及されていました。
4限の先生が「今年はええかもしれんけど、来年の子どものランドセルはどうするんや」と批判気味だったのに対し、
6限の先生は「シャイな日本人の性格が現代の若者にも受け継がれていていいと思います。日本人って隠れていいことするの好きでしょ?」と評価傾向。
視点も違っていて見事に対照的でした。どちらの授業にもピッタリ当てはまる問題だと思いますし、2つの授業を受けている(おそらく)唯一の学生である自分は、こうして違う意見を聞くことが出来ました。

7限も補講の「日本思想史」(受講者はわずか12人)で、昔からの憧れだった「夜の授業」の風情を味わって帰ってきました。
補講は人も少ないので臨時列車に乗ってるような気分でワクワクします。普段なら有り得ない時間帯に授業が行われているわけで、
特に今日のような通常授業の延長の補講だと、それこそ延長運転してる季節臨時列車(たとえば上越線の越後中里まで毎日運転・○月○日までの土休日のみ水上まで運転)みたいな。
…そんなこと考えてるの、僕だけですね。


写真は昨日の撮影分より、龍安寺で行き違うモボ301(左)とモボ631(右)。
モボ301はポール集電で新造された最後の旅客車両。今年で登場から40年を迎えます。

或る大学生の1月17日

2011年01月17日 23時59分59秒 | 日記
退屈な土日を終えて。
起きると雪が積もっていて、路面は凍結。
早速レミオロメン「粉雪」を聴きました。ピッタリです。


自転車は流石に怖いので、今朝もバス通学。
5分遅れで来た快速バス(わりと空いていた)に乗り込みました。
「まぁ何とかなるだろう!」と思っていたのも束の間、バスは終始ノロノロ運転…。
聞いた話によると15キロの速度制限がかかっていたようです。つまりJR西日本のローカル線の徐行区間とと変わらないスピードです。まるで犬ぞりで大学に向かっている気分でした。おまけに車内が寒い。

当然間に合うはずもなく、バスは西大路四条到着時点で9時を迎えました。
1限は必修科目の英語なので、とりあえずは友達にバスが遅れている旨をメール。すると先生も到着が遅れるそうで、あちらはいま自習中とのこと。
実は途中で嵐電に乗り換える手も考えていたのですが、少しホッとして、バスで大学まで行くことに決めました。
寒そうにしていた近くの女の子に、降り際にカイロをあげるおばあさん。この街も捨てたもんじゃないな。

円町あたりでは道路の混雑も若干解消。
太子道とわら天神前では普通のバスを追い抜いて何とか快速の意地を見せてくれました。
スピードは相変わらずで、大学到着は9時30分。結局1時間10分もかかって着いたことになります。(普段は30分程度)
これでは徒歩と変わりません。まぁ、貴重な体験ということにしておきましょうか。

雪だるまの乱立するキャンパスを潜り抜けて教室へ。
先生も来たばっかりという様子で、出席扱いの上で小テストは受けることが出来ました。
3回生時のことは分かりませんが、これがおそらく人生最後の「英語の授業」だったと思います。大雪でバスが遅延という忘れられない思い出になりました。

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1限終了後は、ここぞとばかりにカメラを持ち出して大学周辺を散歩。
主に嵐電の撮影と、合間に妙心寺に寄って、京都では年に数回もない積雪の日を記録しておきました。
江ノ電号が雪を付けていたのが印象的でした。本家江ノ電でも雪が降ることは少ないでしょうし、この塗装も3月末で終わってしまいますから…。

3限は「日本文化史」の確認テスト。
問題は予め公表されていたので、昨日作っておいた答案を必死で暗記して対応しました。
しかし朱子学や上古認識などは日本のことなのに全く分かりません。尊皇攘夷思想の源流なのは確かなのですが、解釈にかなり時間がかかりました…。
まぁ、出席点と中間テストと今回ので、おそらく単位は取れたと思います。多分。

4限は「西洋史概説」。
ベルリンにあるホロコースト記念碑(是非検索してみてください)の広場が紹介されました。
先生が実際に撮影しながら歩いた動画がスクリーンで映し出されてすごく分かりやすかったのですが、その広場にはホロコーストに関する説明書きなどが一切ありません。
またたくさんの石碑には何が書かれているというわけでもなく、背の低い石碑をベンチ代わりにする人、背の高い石碑の並ぶ迷路にして遊ぶ子どもなど、そこでの過ごし方は様々。
しかし不謹慎と咎められることもありません。第一印象では、どちらかと言えばモニュメント的意味合いが強いようにも思えました。

しかし、設計者アイゼンマンの意図としては、敢えて何も書かないことで、来る人それぞれの判断に委ねるとしているそうです。
それを聞いて初めて分かったのですが、国によって慰霊や鎮魂といったことに関しての捉え方が違うということ。当たり前のことなのですが、人の思いは様々、個人的にはこのホロコースト記念碑の在り方も良いと思いました。
日本では必ず説明書きがあって厳粛な雰囲気がありますが、それを無くしてみることで、人々が気軽に訪れることが出来て忘れ去られることもなくなる、今は遊んでいる子どもたちもいずれその意味を理解する…
今後は日本にもそういった施設が必要とされてくるのではないかと(既にあるのかもしれませんが)、奇しくも震災から16年目の日にその在り方を考えさせられることとなりました。


写真は今朝の立命館大学存心館。法学部の建物です。
TV等で紹介される場合はここが使われることが多いですね。

学ぶ生かす

2011年01月14日 23時59分59秒 | 日記
※PCの調子が悪く更新が遅くなりました。

レポートの気分転換にブログ更新です。
きっと僕は本質的に書くことは好きなのだと思います。
それにしてもこの土日はやることが多いです。終わりは見えているので楽なのですが。


今日の2限は「特別活動の研究」。
毎回配布される先生の力作の「講座通信」も今回が最後。
何だか名残惜しいな…と思いながら読んでいると、先週書いた自分の意見が載せられているのを発見!
確かにアレはけっこう頑張って書いたので、最後の最後に掲載されて嬉しい限りです。
因みに載せられたのは、先週このブログに書いた「学校教育では何が重要か」ではなく、「この授業で学んだこと」の項目。
おそらく「現役時代の私は特別活動というものにあまり乗り気ではなかったが…」という書き出しと、授業を受けての心境の変化がウケたのだと思います。
残りの60分は確認テスト。これもしっかり書いて提出してきました。「特別活動」という単語をこんなに書いたのもこれが最初で最後でしょう。

空きコマ3限は研究室にこもってゼミの志望理由書を仮完成させました。
作成そのものはWordで済ませましたが、今回はWeb上のフォーマットを利用せずに用紙に転記して手書きで提出してみようかと思います。幸い自分の字はそこまで汚くないですし、その方が何となくやる気が伝わる気もします。
そうそう、それ用の参考文献として借りた『梅棹忠夫の京都案内』ですが、京都のことがかなりディープに、そして梅棹先生しか言えないことが綴られていてめちゃくちゃおもしろいです。あっという間に全部読みましたが、試験期間中なので5日間しか借りられないのが惜しいです。

4限の「道徳教育の研究」を受けた後はブック&サービスで平野啓一郎さんの『高瀬川』を買いました。
少し前に「日本文化の奔流」で平野さんの講義を受けて以来、著作を一度読んでみようと思っていたんですね。デビュー作の『日蝕』や『葬送』も考えたのですが、タイトルの通り京都が舞台ということでこれに落ち着きました。
実は森見さんの『美女と竹林』を昨日読み始めたばかりなのですが、次に読む用の本が無いと不安なのです。完全なる文庫本依存症です。おまけに試験前です。
帰って新聞を読むとちょうど平野さんの記事が載っていてビックリ。「分人主義」は特に人間関係に悩みやすい若者(自分もその一人)にとって今後の生き方のヒントとなるものだと思います。人間というものは一個のものではないのだと。


写真はたぶん再掲ですが、去年の雪の日に撮った嵐電の梅電車。
学問の神様・菅原道真公が愛していた梅に因んで走っているものです。受験生の皆さん、頑張ってくださいね。

1月の模型進捗状況

2011年01月13日 23時23分22秒 | 鉄道模型/製品レビュー・小加工など
少し前の記事でも触れましたが、今日は最近のレイアウトの状況について一部紹介します。
このまま試験モードに突入すると撮った写真も永遠に忘れられそうなので…。


山の様子です。(1/4に撮影)
これまでペットボトルの「芯」を置いただけで全く手付かずでしたが、そろそろ!と思って作り始めました。
まずはトンネルポータルを付けた様子です。左側は線路も無いのに怪しいですね。


同じく反対側です。(1/4に撮影)


芯の周りにダンボールで骨組みを作り、新聞紙を丸めたものを積み上げ、更に新聞紙で全体を覆った様子。(1/4に撮影)
山の形が見えてきましたね。怪しい左側は相変わらずです。


上から見ると、こんな感じ。
中で車両が脱線しても大丈夫なように、山をハリボテにしています。
この後、木工ボンドと水を1:3で混ぜたものを塗布して強度を上げました。


しっかり乾燥させてから絵の具で着色。一気に山らしくなりました。(1/6に撮影)
そう、左側は廃トンネルです。草木が茂ってかなり怪しい様子を目指しています。
奥にはわらぶき農家も配置しました。


カラーパウダーをまぶして、縁にライケンを貼り付けました。(1/11に撮影)
トンネル前もバラストを撒いたので、だんだんそれらしい姿が見えてきたように思います。
植林したり、岩肌を表現したり…先は長そうですが、これからの作業も楽しそうです。

次は駅の様子も紹介出来ればいいですね。

ものの在り様

2011年01月12日 22時38分43秒 | 日記
今朝もバス通学。
95%の確率で座れるので(笑)、行きはすごく楽です。
もう4月から定期を買おうかな…いや、そろそろ自転車乗ります!(笑


今日の3限は「文学と社会」。
先生も映画「ノルウェイの森」を観られたそうで、授業中に少し話題に上りました。
「あんまり期待はしていなかったんですけど…」と仰る先生は映画化された文学作品を9段階で評価されているらしく、(いちばん上がA-A、いちばん下がC-C)、この「ノルウェイの森」はC-Bだそうです。
確かに、原作を読んでいても(もう下巻の終わりに差し掛かっていますが)削除された部分が多く、原作を読んでようやく繋がったというところもあります。
因みにC-Cは「舞姫」だそうです。こちらは高3の授業中に観ましたが、確かに頷けます。
やはり有名な文学作品の映像化はそれだけ難しいということでしょうか。

ところがこの「ノルウェイの森」と「舞姫」には共通点があるそうです。
どちらの主人公も無関心・無感動な状態になっている点。なぜそうなったかをある程度時間が経ってから回想しているという点。おぉ、それだけで括れば全く同じですね!
(映像作品はともかく)この2つは文学作品としてはとても優れているので、浪漫主義文学にとって回想シーンというものは時代を超えてもなお大きな役割を果たすものなのだと改めて思いました。

4限は「日本文化の奔流」。
今日は近衛家の歴史資料を保存している陽明文庫の方が来られました。
うちの大学からも近いのですが、詳しいお話を聞くのはこれが初めてのことです。

講義では、近衛家の沿革と共にスライドで幾つもの収蔵品が紹介されました。
しかし、昨日「フェイク」を観ていたせいか(ドラマ中の京都では有名作品のニセモノが出回っている設定)、「これは応仁の乱をくぐり抜けた○○です!」という紹介があるたびに、思わず「ほんまもんか?」と失礼ながら疑ってしまうところもありました。

が、これらの持ち運びに関しては記録があり、応仁の乱では千本出水(せんぼんでみず)にあった近衛家は、五十個もの箱に分けて歴史資料を岩倉の実相院に移し(その後すぐに千本一帯は焼け野原に)、
また、大正時代に現在の陽明文庫の土地を取得して収蔵したため、太平洋戦争に関しては全く被害を受けなかったとのことです。
藤原道長「御堂関白記」をはじめとする貴重な資料を積極的に残そうとした近衛文麿の先見性も評価されるべきですが、これらの現存にはギリギリのところで守り通してきた先人たちの苦労があることも知りました。

いちばん印象に残ったのは、最後に話されていた、
「文化財は蔵の中に入れておくのがいちばん安全です。でもそれだけでは文化財とは言わないんですね。その時代の人々に文化的な貢献をしてこその文化財なんです」
という言葉。文化財の保存は現代京都と切り離せない問題。これからも見られるうちに様々なものを見ておこうと思いました。


写真は鹿児島中央駅に入線する817系。
ホント、線路みたいに、物事はどこでどう繋がっているか分かりません。