お盆休みが明けました。
この仕事の「平常運転」はもう少し先なのですが、徐々に体を慣らしていかなければなりません。
さて、今シーズンからは1往復が削減された代わりに(?)運転日が増え、C571号機での代走が継続している「SL北びわこ」ですが、お盆の前半戦、8月12日に再び湖北を訪れました。18きっぷシーズンということで米原駅は帰省客も加わり活況を呈していましたが、SLの前を走る敦賀行きの客層は相変わらずで(笑)、車窓から沿線の人出を確認しながら、やはり私も同業者に混じって河毛で下車しました。
河毛駅周辺には有名撮影地が点在していますが、この日は曇りだったので小高い山の俯瞰ポイントを目指します。
じつは昨年のうちに上って目星を付けていたのですが、当然ながらこの夏の間にすっかり草が生い茂り、前述のように「北びわこ」の運転日が増えた割には人が立ち入った形跡はゼロ。途中からは背丈ほどになった藪を枝切れでかき分けて進み、蜘蛛の巣と戦いながらどうにか視界の確保できるポイントに辿り着きました。これなら田村山の方がまだマシです。(笑)
列車の通過までは約20分。日焼け止めを塗っていたのでヤブ蚊の襲来はある程度抑えられましたが、どうやら蜂の縄張りにもなっているらしく、時折丸々太った蜂が近くを飛ぶことがありなかなかスリリング。やがて遠くから汽笛が聞こえ、「北びわこ1号」が長浜を出発したことが告げられるとこちらも臨戦態勢に。(笑)
向こうに見えるのは虎姫駅。高らかに煙を上げて発車の準備。
虎姫を出てすぐに「しらさぎ」とスライドすると、田園地帯へと躍り出ます。
もう少しすれば稲穂が色づいてくるのでしょう。
やがて甍の波も美しい河毛の集落へ。
蒸気列車の似合う風景はまだまだ残っているのだなと感じます。
一駅間のロングショットを収めた後は、虫さんたちに居場所を明け渡すために急いで下山。(笑)
その途中で発車の汽笛が聞こえたので、
早歩きで山を下りると何とか間に合いました。
右側には北陸自動車道の高架、それを越えると有名な勾配の河毛カーブ、高時川橋梁が待ち構えているという位置関係です。
そうしてまた河毛駅へ戻り、やはり撮影帰りの同業者を大勢乗せた新快速に乗って米原へ。
前回は嶺南敦賀へと歩みを進めたものの、今回は18きっぷ使用ということもあって久々に東海エリアへ足を延ばします。
その前に、ちょうどお昼時なので構内出店中の井筒屋さんで飛ぶように売れていた鱒寿司のラスト1を購入。
乗車券と特急券も買い足して「しらさぎ」車中で昼食としました。お盆とは言え米原から先は自由席でも多少の空席がみられ、県境を越えて20分少々で大垣に到着。さすがに快適でした。
18きっぷで東海道線を乗るときにはおなじみの大垣駅ですが、意外にも今回がほとんど初めての途中下車です。
地下水が豊富に湧き出る大垣はこの時期、水まんじゅうを夏の風物詩として売り出しており、なかにはイートイン可能なお店もあるとのこと。いろいろ調べていると、かき氷と一緒に味わえる「水まんじゅう氷」なるものに目を奪われ、大垣城を横目に駅から徒歩数分のところにある餅惣さんへ向かいました。
(写真は退店時に撮影。ぎょうさん並んでます)
店先の屋台で注文して商品を受け取りイートインコーナーへ、食べ終わると店先の棚に返却するセルフ方式。
ちょうど私の前で氷が尽きたので、削りたてのかき氷を味わうことができました。
見た目は普通のかき氷です。
もちろんシロップがかかっているのでこれだけでも甘くて美味しいのですが、
食べていくと水まんじゅうが入っています。
水まんじゅう自体は店先の水槽で冷やされているもので、それが更に氷で冷たくなっているのですが、ぷるんとして舌触りがよく、こしあんとの相性も抜群。暑さもすっかり吹き飛んでいきました。和菓子において涼を感じさせる工夫はたくさんありますが、やはりこの夏は本物の氷に勝るものはない……!
駅に戻ってからは改装前の駅ビルを物色し、後続の新快速に乗って名古屋へ、今度は関西本線に乗り換え。
編成両数にバラつきのある同線ですが、次に乗る普通列車は2両編成で既に立客多数。20分ほど後に発車する快速「みえ」(こちらは空席多数)も隣のホームに停まっていたのですが、普通が先着なので泣く泣く立ったまま桑名まで。
桑名も初めての下車です。大垣からは養老鉄道経由で一直線に来れる場所ですが、所要時間はJRの名古屋回りでも大差ないことが分かり、この日はまだ18きっぷのモトがとれていないし……と、乗り換えの手間を承知でJR利用となりました。とは言え、先日発表があったように、もと近鉄の旧型車もいよいよ(旧型車による)置き換えが決まったようで、次回この辺りに来る際には是非訪れたいところです。
名古屋から桑名までの道中では雨が降り始めましたが、タイミングの良いことに桑名は雨上がり。
駅から南の方向へ、城下町の面影を感じながら、桑名市博物館の「戊辰戦争と桑名藩」展を訪れました。
今年は明治維新150年を記念して各地で幕末維新期にかんする展示が相次いで催されていますが、メディア等で頻繁に取り上げられるのはせいぜい薩長土肥+会津くらいで、それ以外の藩はどのような幕末維新を迎えたのか知る機会がありませんでした。ここ桑名藩は幕府方の勢力である一会桑の「桑」にあたりますが、やはりこれも一橋(慶喜)や会津(松平容保)は有名であるものの、桑名藩主の松平定敬(さだあき)については恥ずかしながらほとんど知らず、桑名市としてもそうした現状を憂いてか(?)夏休みの自由研究向けと銘打っての展示は平易なキャプションが門外漢には却って分かりやすく、新政府軍への恭順か抗戦かを神前でのクジ引きで決めたり、北越戦争での活躍ぶりはほとんど初めて知るところでした。「津藩の裏切り」という文言が二度も出てきたのは気のせいでしょうか。(汗)
帰りは関西本線を進んで帰ろうと思っていたのですが、伊勢鉄道が落雷の影響で運転を見合わせ、快速「みえ」や特急「南紀」は区間運休の由。このまま亀山まで進んでもその先に行ける見込みも分からなかったので、動いていた名古屋行きの普通列車に乗ってUターン。途端にどっと疲れてきたのと、携帯の充電が切れかかっていたこともあり、平常運転の新幹線に飛び乗って帰ってきました。以前なら意地でも18きっぷにこだわっていたのですが、モトをとったならもう後は何に乗ってもいいや、くらいの余裕は大切かもしれませんね(出費に対することの合理化)。
この仕事の「平常運転」はもう少し先なのですが、徐々に体を慣らしていかなければなりません。
さて、今シーズンからは1往復が削減された代わりに(?)運転日が増え、C571号機での代走が継続している「SL北びわこ」ですが、お盆の前半戦、8月12日に再び湖北を訪れました。18きっぷシーズンということで米原駅は帰省客も加わり活況を呈していましたが、SLの前を走る敦賀行きの客層は相変わらずで(笑)、車窓から沿線の人出を確認しながら、やはり私も同業者に混じって河毛で下車しました。
河毛駅周辺には有名撮影地が点在していますが、この日は曇りだったので小高い山の俯瞰ポイントを目指します。
じつは昨年のうちに上って目星を付けていたのですが、当然ながらこの夏の間にすっかり草が生い茂り、前述のように「北びわこ」の運転日が増えた割には人が立ち入った形跡はゼロ。途中からは背丈ほどになった藪を枝切れでかき分けて進み、蜘蛛の巣と戦いながらどうにか視界の確保できるポイントに辿り着きました。これなら田村山の方がまだマシです。(笑)
列車の通過までは約20分。日焼け止めを塗っていたのでヤブ蚊の襲来はある程度抑えられましたが、どうやら蜂の縄張りにもなっているらしく、時折丸々太った蜂が近くを飛ぶことがありなかなかスリリング。やがて遠くから汽笛が聞こえ、「北びわこ1号」が長浜を出発したことが告げられるとこちらも臨戦態勢に。(笑)
向こうに見えるのは虎姫駅。高らかに煙を上げて発車の準備。
虎姫を出てすぐに「しらさぎ」とスライドすると、田園地帯へと躍り出ます。
もう少しすれば稲穂が色づいてくるのでしょう。
やがて甍の波も美しい河毛の集落へ。
蒸気列車の似合う風景はまだまだ残っているのだなと感じます。
一駅間のロングショットを収めた後は、虫さんたちに居場所を明け渡すために急いで下山。(笑)
その途中で発車の汽笛が聞こえたので、
早歩きで山を下りると何とか間に合いました。
右側には北陸自動車道の高架、それを越えると有名な勾配の河毛カーブ、高時川橋梁が待ち構えているという位置関係です。
そうしてまた河毛駅へ戻り、やはり撮影帰りの同業者を大勢乗せた新快速に乗って米原へ。
前回は嶺南敦賀へと歩みを進めたものの、今回は18きっぷ使用ということもあって久々に東海エリアへ足を延ばします。
その前に、ちょうどお昼時なので構内出店中の井筒屋さんで飛ぶように売れていた鱒寿司のラスト1を購入。
乗車券と特急券も買い足して「しらさぎ」車中で昼食としました。お盆とは言え米原から先は自由席でも多少の空席がみられ、県境を越えて20分少々で大垣に到着。さすがに快適でした。
18きっぷで東海道線を乗るときにはおなじみの大垣駅ですが、意外にも今回がほとんど初めての途中下車です。
地下水が豊富に湧き出る大垣はこの時期、水まんじゅうを夏の風物詩として売り出しており、なかにはイートイン可能なお店もあるとのこと。いろいろ調べていると、かき氷と一緒に味わえる「水まんじゅう氷」なるものに目を奪われ、大垣城を横目に駅から徒歩数分のところにある餅惣さんへ向かいました。
(写真は退店時に撮影。ぎょうさん並んでます)
店先の屋台で注文して商品を受け取りイートインコーナーへ、食べ終わると店先の棚に返却するセルフ方式。
ちょうど私の前で氷が尽きたので、削りたてのかき氷を味わうことができました。
見た目は普通のかき氷です。
もちろんシロップがかかっているのでこれだけでも甘くて美味しいのですが、
食べていくと水まんじゅうが入っています。
水まんじゅう自体は店先の水槽で冷やされているもので、それが更に氷で冷たくなっているのですが、ぷるんとして舌触りがよく、こしあんとの相性も抜群。暑さもすっかり吹き飛んでいきました。和菓子において涼を感じさせる工夫はたくさんありますが、やはりこの夏は本物の氷に勝るものはない……!
駅に戻ってからは改装前の駅ビルを物色し、後続の新快速に乗って名古屋へ、今度は関西本線に乗り換え。
編成両数にバラつきのある同線ですが、次に乗る普通列車は2両編成で既に立客多数。20分ほど後に発車する快速「みえ」(こちらは空席多数)も隣のホームに停まっていたのですが、普通が先着なので泣く泣く立ったまま桑名まで。
桑名も初めての下車です。大垣からは養老鉄道経由で一直線に来れる場所ですが、所要時間はJRの名古屋回りでも大差ないことが分かり、この日はまだ18きっぷのモトがとれていないし……と、乗り換えの手間を承知でJR利用となりました。とは言え、先日発表があったように、もと近鉄の旧型車もいよいよ(旧型車による)置き換えが決まったようで、次回この辺りに来る際には是非訪れたいところです。
名古屋から桑名までの道中では雨が降り始めましたが、タイミングの良いことに桑名は雨上がり。
駅から南の方向へ、城下町の面影を感じながら、桑名市博物館の「戊辰戦争と桑名藩」展を訪れました。
今年は明治維新150年を記念して各地で幕末維新期にかんする展示が相次いで催されていますが、メディア等で頻繁に取り上げられるのはせいぜい薩長土肥+会津くらいで、それ以外の藩はどのような幕末維新を迎えたのか知る機会がありませんでした。ここ桑名藩は幕府方の勢力である一会桑の「桑」にあたりますが、やはりこれも一橋(慶喜)や会津(松平容保)は有名であるものの、桑名藩主の松平定敬(さだあき)については恥ずかしながらほとんど知らず、桑名市としてもそうした現状を憂いてか(?)夏休みの自由研究向けと銘打っての展示は平易なキャプションが門外漢には却って分かりやすく、新政府軍への恭順か抗戦かを神前でのクジ引きで決めたり、北越戦争での活躍ぶりはほとんど初めて知るところでした。「津藩の裏切り」という文言が二度も出てきたのは気のせいでしょうか。(汗)
帰りは関西本線を進んで帰ろうと思っていたのですが、伊勢鉄道が落雷の影響で運転を見合わせ、快速「みえ」や特急「南紀」は区間運休の由。このまま亀山まで進んでもその先に行ける見込みも分からなかったので、動いていた名古屋行きの普通列車に乗ってUターン。途端にどっと疲れてきたのと、携帯の充電が切れかかっていたこともあり、平常運転の新幹線に飛び乗って帰ってきました。以前なら意地でも18きっぷにこだわっていたのですが、モトをとったならもう後は何に乗ってもいいや、くらいの余裕は大切かもしれませんね(出費に対することの合理化)。