夜行列車2連泊! 年末の信越ぐるり一周の旅 後編

2012年12月31日 23時59分59秒 | 旅行記
龍岡城の撮影地から歩くこと20分。田園風景から市街地に入り、やがて駅前通りが見えてきました。


中込駅です。
小海線はこの駅を境に列車本数が大きく変化するという運行体系。故に、しばらく列車のない龍岡城駅から当駅始発の小諸行き列車を求めて歩いてきたのでした。

中込12:13発→小諸12:42着

既に改札も始まっており、列車も入線していたのでガラガラの車内で早速昼食。
待ちに待った「峠の釜めし」を開けます。


期待通りの具だくさんです。
容器が深いのでごはんの量も多く、1000円でこの内容はお得でしょう。本来ならば軽井沢で買った時(出来たてなのでまだ温かかった)に食べたかったのですが、冷めても美味しいのが駅弁の魅力。
動き出した列車のなかで箸も進み、佐久平に着く頃には食べ終えてしまいました。

終点の小諸ではいったん改札を出てしなの鉄道の乗車券を買い直し、一路長野を目指します。


小諸駅ホームには快速列車用の189系が停まっていました。
かつて特急「あさま」などで碓氷峠を越えていた生き証人。往時の塗装もそのままに、3月で引退する169系の後継としてしばらくは安泰でしょうか。

小諸12:55発→長野14:00着

上田を過ぎた辺りから眠気に襲われ、目が覚めると終点の長野でした。
向かいのホームではこちらの到着と入れ替わりに大阪行き「しなの」が発車。大学の帰りに時折見かける同列車ですが、こんなところから長駆京都・大阪まで走っているとは改めて驚きます。


意外にも初めて降り立つ長野駅。
朝の横川・軽井沢といい、陽があるので寒さはそれほどでもありませんでした。


先ほどの昼食からは少し時間も経っているので、手軽に駅構内で山菜うどんを。
そばに関しては小学生の頃にアレルギーを発症しているので、ご当地の信州そばを賞味出来ないのが何とも残念なところです。しかしダシはそば・うどんと共用しているものでしょうから、現在は恐らく収まっていると考えられるものの、念のためということで、そばそのものはもう10年ほど食べていません。
気になるダシですが、やはり関東寄り、濃い目のダシでした。

それから改札を出て、市街を適当にうろついた後(本当は長野電鉄に乗りたかったものの、時間の都合でパス)、再び駅に戻って飯山線の列車に乗りました。

長野15:04発→上境16:19着


飯山線は長野の先、豊野から分岐するローカル線。
豊野までの信越本線を全力で走ったキハ110形は、今度は信濃川沿いにゆっくりと進んでいきます。
窓の向こうには2012年最後の日の入り。旅先で目にする夕陽はいつも素晴らしいものです。

途中、戸狩野沢温泉駅では一定の乗降があり、後ろの1両が切り離されました。
駅名からも窺える通り、この辺りは長野県でも有数の温泉地。年の最後に温泉に浸かってから新年を迎えようということで、今回飯山線の乗車と相成ったのでした。


引き続き列車に乗って、降りたのは隣の上境駅。
近年になって改築されたであろう三角屋根の駅舎が出迎えてくれました。


乗ってきた列車を見送ります。
辺りに聞こえるのは踏切の音だけ。ゆっくりと走り出した列車は、やがて雪山に吸い込まれていくように消えていきました。


上境の駅前風景です。
除雪はされているものの、膝のあたりまで雪が積もっていて、雪国の厳しい暮らしが伝わってきます。
ここから徒歩3分ほどのところにある「いいやま湯滝温泉」に入りました。列車の本数が少ないこともあり、利用の中心はやはり車。帰省客の流動とも重なったのか、温泉は意外にも混雑していました。
露天風呂は冬季閉鎖とのことでしたが、ガラス張りの内湯からは信濃川対岸の山々が見渡せ、心身ともにリラックス。肩まで浸かったり膝まで浸かったりを繰り返しながらゆっくりと長湯を楽しみました。

すっかり温まった後は、駅に戻って列車を待ちます。
構内放送もない無人駅、それも積雪の状況では本当に列車がやって来るのかどうか不安になることもしばしば…。


そんな心配を吹き飛ばすように、越後川口行きの列車がやって来ました。

上境17:44発→越後川口19:31着

大晦日ということで、県境を越える列車はさすがに閑散としていました。
新潟県に入ると寒さがぐっと強まり、十日町からは吹雪に見舞われる始末。車内からも列車が雪を跳ねながら進んでいくのが分かりましたが、そんな厳しい気候条件でも遅れなく進んでいく単行の気動車はなかなか頼もしく感じられました。


終点の越後川口。雪国特有のスプリンクラーが勢いよく噴射していました。
ここで上越線に乗り換えます。

越後川口19:42発→長岡20:10着(5分延着)

寒いホームで待つことしばし、カーブの向こうから2灯のヘッドライトが見えてきました。


吹雪のなか、上越国境を越えてやって来た115系。ありふれた車両ですが、こうしたロケーション下ではカッコよく見えます。
長岡の手前、宮内で特急「北越」遅れの影響を受けてこちらも数分ほど遅れたものの、長岡で接続の新潟行きは待っていてくれたので一安心。

長岡20:14発(6分延発)→新潟21:30着(6分延着)


新潟駅では一度外に出て、コンビニで食料を調達。これから夜行列車に乗るので、チューハイとおつまみも忘れずに。
そして再び駅に入った途端、ホームに入ってきたのは…


カラフルな485系のジョイフルトレインでした。
普段は「きらきらうえつ」として新潟~酒田の海沿いを結んでいる列車ですが、大晦日のこの日だけは弥彦行きの臨時列車「きらきら行く年」として活躍しています。
「うえつ」の方は過去に2回ほど乗車したものの、じっくりと撮影する機会はこれが初めて。乗車券のみで乗れることからたまたま居合わせた利用者の乗車も多く、先頭車付近ではカメラや携帯電話を構える親子連れの姿も見られました。


撮影していると、隣には遅れていた「北越」が入線。
更に「いなほ」も加わって、新潟の485系が一堂に会するというなかなか珍しい光景が展開されました。


そして…

新潟22:37発→京都6:16着


「きらきら行く年」が出発した後、今回の年越し列車である急行「きたぐに」が入線。
臨時化以降、編成は短くなったものの、その威容は堂々たるもの。しかしここ数年来、臨時化された夜行列車は悉く自然消滅という末路を辿っていることから、その終焉が近いこともまた事実。
583系の寝台で年を越す機会もこれで最後と思い、今回の年越し列車に決めたのでした。

入線シーンを撮った後は、向かいのホームで扉を開くのを待ちます。






その最中、延々と幕回しを見ることが出来ました。
バブルの遺産とも言うべきか、名前も知らない楽しそうな列車の数々…。




今回乗車したのはB寝台の下段。
583系にはかれこれ10回近く乗っていますが、そのうち寝台に乗ったのは僅かに4回目。
下段は中・上段より1000円高いことから幅も広くとられており、大きな窓も独占出来ることからその居住性はなかなかのもの。座ったままだと頭がつかえてしまいますが、窓際の上方に僅かな空間があるのでどうにか座ったまま食事が摂れます。
座席・寝台兼用電車として鉄道史にも名高い583系ですが、実際に横になり「居住」してみると、普段のボックス席が寝台になり、収納されている中段寝台が頭上に展開され、それに付随した網棚が頭上にあるという先人の編み出したメカニズムを目の当たりにすることが出来ました。

列車は新潟を定刻通りに発車。
すぐに「ほろよい」を開け、白く染まった越後路の車窓を横目に、ことし一年の出来事を振り返っていたのでした。
夜行列車で物思いに耽るひとときは、ただ贅沢で何にも代えがたいもの。様々な思いを乗せて、列車は西へ、そして新年へと進みます。


来迎寺をひっそりと発車した後、これまたひっそりと新年を迎えました。
ここから京都までは6時間少々。備え付けの浴衣に袖を通し、一旦寝ることにしました。


目が覚めたのは3時過ぎ。恐る恐るカーテンを開けると外は一面の雪景色。新潟とそう変わりません。
携帯の充電がてら洗面所に行き、現在地を確認すると福井の手前。雪の影響も少なからずあってか、10分ほど遅れて運転していたようです。

それから結局敦賀の辺りまで起きていましたが、新疋田のループ線を確認した辺りで寝てしまいました。
依然として遅れは引きずったままでしたが、湖西線内は余裕のあるダイヤが引かれているせいか、おはよう放送のあった大津京手前では定時に回復していました。

・1/1


6時16分、定刻通り京都に着きました。外はまだ夜です。
寝台ということもあって前日の「ながら」よりも目覚めはよく、疲れもそれほどありませんでした。


京都では私以外にも多くの下車客があり、「きたぐに」は恒例の着雪点検をおこなった後、3分ほど遅れて発車していきました。

この後、自宅には戻らずにそのまま初詣と祖母宅への挨拶へ行く予定だったのですが、さすがに早いのでしばらく駅に留まります。


明け行く空を見るために、0番ホームへ。
いつもと変わらない風景ですが、今日だけは特別なことのように思えます。


実は開店を待っていました。構内の「麺串」でかき揚げうどんです。
やはり京都で食べる薄味がいちばん口に合います。前述の理由もあり、個人的には年越しそばよりも年明けうどんを推したいところです。

そうしてすっかり温まり、バスターミナルへ向かおうとしたとき…


ちょうど初日の出に向かって、N700系が発車して行きました。
今年は後継のN700Aがデビューする年でもあります。鉄道も変わらず進化し続ける一年になるのでしょう。

さて、今回の旅行記はここまでです。
一言で表すと、年越しを挟んだ「国鉄型車両による夜行列車2連泊」でありますが、自身の体力以前に、機会そのものが限られてきた現在、やはり貴重な2日間(3日間)であったことを実感しつつあります。
そして(ほぼ)初めて訪れた信越地方ですが、範囲が広いこともあって、機会を改めて再訪したい意欲にも駆られました。同時にまだまだ未踏の地域や路線もあるので、京都を中心とした日本文化を追求する一学生として、今年は更に見聞を広げていきたいと思う次第です。

本年も無事に旅が出来ますように。

夜行列車2連泊! 年末の信越ぐるり一周の旅 前編

2012年12月31日 23時59分58秒 | 旅行記
今季もやって来た冬の青春18きっぷシーズン。
期間が短縮されて以来、少々使いづらくなった印象も受けるものの、それでも旅には出てみたい。
それも人々の流動盛んな年末年始に出掛けるのは物好き以外の何者でもありませんが、毎年のように各地の年末年始の光景を見たがるのは、帰省先が他府県に存在しないことも理由の一つかもしれません。
今回はこれまでほぼ未踏だった信越地方を目的地とし、出発の直前に切符を押さえるという、文字通り「見切り発車」の幕開けとなりました。

・12/30

西大路19:03発→米原20:21着

このところの旅は、昼から夜にかけての出発が多いような気がします。
以前なら始発で行けるところまで行く…ということもしていましたが、何せ寒がりですから、初日は控えめに…。

米原20:31発→名古屋21:41着

それでも余裕はあったので、名古屋でいったん降りて食料を買い出し。
あと10分でも早く着いていればホームできしめんにありつけたかもしれませんが…。
「名駅」は相変わらず若者で賑わっていました。まだ30日の夜ですから、きっと忘年会でもあったのでしょう。

名古屋22:05発→岐阜22:31着

さて、今夜の宿は快速「ムーンライトながら」。
今から始発の大垣に戻っていると時間がギリギリになりそうなので、手前の岐阜から乗ることにしました。


岐阜駅にて。
22:54の普通が出てから「ながら」が来るまで、僅か5分間のみ見られる表示です。

岐阜22:49発→東京5:05着




22時59分、JR東海独特のオレンジ色の電車が行き交うホームに突如現れた国鉄特急色の臨時快速「ムーンライトながら」。
最近は大阪から「サンライズ」に乗ることが多いせいか、「ながら」は実に4年ぶりの乗車です。それも上りは初めて。
案の定、次の名古屋でほとんどの座席が埋まりましたが、自分(通路側)の隣は空席のまま。
豊橋でも乗ってこなかったので、体を斜めにしてちょっとラクな姿勢で休むことにしました。

しかし、車内の減光もなく、通路も時折ドタドタと人が通るので(ほとんどが『テツ』と思しき人)、浅い眠りを繰り返すばかり。
これも座席夜行の宿命、指定席券代たった510円で一晩を過ごしているのですから仕方のないことでしょう。やがて横浜到着を告げる放送が流れ、品川を過ぎ、夜も明けきらぬ東京へ…。


終点東京には定刻で到着しました。
撮影者は意外にも少なく(回送幕に切り替えられているせいでしょう)、乗客はみな慌しくそれぞれの道を急いでいました。

・12/31

東京に着いてからは、京浜東北線で上野へ。

上野5:43発→高崎7:27着


高崎線のグリーン車階下席に乗ります。やって来たのは初乗車となるE233系。
車内はE231系のそれとほとんど変わりませんが、やはり造りたて(?)ということもあり、椅子は程良い固さで、前夜に岐阜で調達したパンを朝食にした後、「ながら」で寝られなかった分をしっかり取り返し。
おそらく何処かで「あけぼの」とすれ違ったのでしょうね…。

高崎7:30発→横川8:03着


高崎からは信越本線に乗り換えます。
今や信越本線と言えば長野県・新潟県を走る路線のイメージが強いですが、長野新幹線の開通前までは難所碓氷峠を越えてここ高崎まで鉄路が繋がっていたのは有名な話です。
現在では一部区間がバスや3セク路線に転換され、群馬県内では高崎から横川の間がJR路線のまま残されています。今回はそれを辿ろうという目論見です。


列車は上越国境へ向かう線路に別れを告げ、朝の陽射しに照らされた田園風景の中を進んで行きます。
反対側の車窓からは冠雪した上州の山々が遠くに見え、これから始まる峠越えを期待させました。


そしてあっという間に信越本線東側の終点・横川に到着。
ズラッと並んだ車止めはまさに「強制終了」の様相。かつては向こうに立ちはだかる山肌を越えていたのでした。


横川の名物駅弁「峠の釜めし」はまだ営業時間外だったのか、ここでは買えず。
碓氷峠を越えるバスの乗り場には既に列車から乗り換えた人々が並んでいたので、軽井沢で買うことにして、バスを待ちました。

横川駅8:20発→軽井沢駅8:54着


しばらくするとバスがやって来ました。
鉄道の廃止以来、碓氷峠を越える代替手段としてJRバスが横川と軽井沢の間を走っています。
座席がちょうど埋まるくらいの乗車率で、多くの機関車が並ぶ鉄道文化むらを横目に峠越えがスタート。

しかし肝心の車窓は…一枚も撮れていません。
バスはカーブをぐるぐる回って高度を稼いでいくわけですが、そう、自分が山道の車移動に慣れていないことをすっかり忘れていたのです。
思ったよりもハードな道のり、こうなると身動きをとらずじっとしているのが得策。終いには目を閉じ、もう少しで酔いそう…という辺りで下りに入り、やがて軽井沢の別荘群が見えてきました。
さすがは長野県ということで残雪も多め。初めて見る軽井沢の風景はそれこそ桃源郷のように映り、何処か俗世間とはかけ離れた別世界のようでもありました。

軽井沢9:27発→小諸9:51着


さて、軽井沢駅で無事に「峠の釜めし」を購入した後は、元・信越本線だった第3セクターの「しなの鉄道」に乗り換えます。
車両はJRから承継された115系ですが、なかなか格好いい塗装。それも以前はグレーの部分がガンメタリックだったようです。


列車は順調に浅間山の麓を進んでいきます。
3セクとなって既に日は長く経っていますが、途中駅にみる古い駅舎、幹線譲りの安定した乗り心地はJR路線そのもの。
先ほどの酔いも何処へやら、小諸までの快適なひとときを楽しみました。

小諸9:59発→龍岡城10:35着


小諸からは「八ヶ岳高原線」の愛称を持つJR小海線に乗り換え。今回の旅では貴重な(笑)気動車です。
出迎えてくれたのはハイブリッド車のキハE200形。その乗り心地は1月に青森を訪れた際の「リゾートあすなろ津軽」で体験済みですが、電車のような走行音の中で確実に存在感を表すディーゼルエンジンのサウンドは何度乗っても驚くものです。

小諸を過ぎて新幹線の接続駅・佐久平までは乗客も多く、無人駅からの乗客に切符を発券する車掌氏も忙しそうに巡回。
しかし佐久平の向こう、中込を過ぎると車内からは立ち客が消え、車窓にもローカル線らしい長閑な風景が広がりました。


本当ならば終点の小淵沢まで乗って山梨県にも足跡を残したいものの、途中の龍岡城で下車。予定の都合もあって、今回の小海線乗車は此処までです。
上り勾配に差し掛かる列車から立ち昇る噴煙はやはり「気動車らしさ」を感じさせますね。

さて、この龍岡城駅、その名の通りお城があったことに由来しているものの、龍岡城は何と日本に二つしかない「西洋式城郭」なのでです。
一つは言わずもがな、北海道は函館の五稜郭。そしてもう一つが長野県佐久市にあるこちらというわけです。しかも同じ星型をしているのですから、これは見ない手はない。そう思って今回の信越行に組み込んだのでした。


駅からは少し歩きましたが、城郭の手前にはきちんと「日本に二つ」の看板。
後で調べてみたところ、アクセスは隣の臼田駅からの方が近いようですね。周辺にはかつて有力だったであろう農家が点在しており、昔日の面影が偲ばれました。


早速写真を撮って回ります。


(分かりにくいですが)城郭の中に見える白く平たい建物…実は小学校なのです。
城郭を小学校に転用する発想はなかなか思いつきませんが、教育施設ということで遺構の保存も兼ねているのかもしれません。おまけに「守り」もバッチリ。
こんな歴史ある小学校に通っていれば、きっと将来自慢になるでしょう。


校門は開かれており、冬休み中とはいえ立ち入りはさすがに憚られたので、外からの観察に留めました。
堀の水がすっかり凍っているのが分かります。月並みですがやはり「百聞は一見に如かず」。今後もこうしたユニークな史跡は積極的に訪れていきたいものです。

それからiPhoneの地図を頼りに小海線の線路を目指します。
龍岡城~太田部は長野県内の小海線屈指の撮影地ということで、記念に一枚くらい撮ってみたかったのですが…


残念ながら浅間山は雲で隠れてしまいました。おまけに列車通過の数分前から吹雪いてくる始末。
すっかり寒い思いをしながら、(しばらく列車が無いので)二つ向こうの中込駅を目指して歩き始めたのでした。

2012年を振り返ってみた

2012年12月30日 04時51分33秒 | その他特集
今年も残すところあと2日。
特に12月はあっという間で、各所で「良いお年を」と言われてようやく年末であることに気付く有様。
それほどこの一年は短く充実していたのか、はたまた10月以降自分を悩ませた卒論の存在があまりにも大きかったのか…。
ともかく、今年もいつものように振り返ってみましょう。

☆1月――継続――
1日~4日 寝台特急「あけぼの」で年越しの旅。函館の友達に会いに行き、大沼公園や五稜郭を訪れる。
6日 京大近くの定食屋「ヤンパオ」に行く。
8日 初釜に参加する。
12日 「日本文化の奔流」にもぐり、老松主人・太田達さんのお話をきく。
18日 教職ゼミ最終日。論集掲載用の寄せ書きをする。
23日~ 後期定期試験。
29日 山科西野山で6時間遅れの寝台特急「日本海」を撮影する。

☆2月――浪漫――
~2日 後期定期試験。
3日 六波羅蜜寺節分会に行く。
6日 京都近代建築&カフェ巡りをする。
10日 母校の中学校で開催された地域のイベント「ふれあいトーク」に参加する。
18日 宝ヶ池プリンスホテルで「全国車いす駅伝」前夜祭呈茶のお手伝いに参加する。
19~22日 中部・山陰ひとり旅。愛知県の友人の実家と、福知山の親戚宅を訪ねる。
25日 友達と北野天満宮梅花祭に参加する。
29日 伏見区中書島界隈を散策する。

☆3月――遊蕩――
10日 みやこめっせで、京都マラソン前日に開催された呈茶のお手伝いに参加する。
12日 岡山日帰りの旅。倉敷美観地区と犬養木堂記念館を訪れる。
14日 山科音羽山で寝台特急「日本海」を撮影する。
16~20日 中国地方ひとり旅。岡山~広島間で100系ラストランの「ひかり445号」に乗る。山口県秋芳洞・秋吉台、島根県津和野・松江城などを訪れる。
31日 この日限りで運行を終了した、京都バス雲ヶ畑線(37系統)の最終便に乗る。

☆4月――始動――
1日 東本願寺でおこなわれた、親鸞聖人750年遠忌の讃仰茶会に参加する。
6日 前期授業開始。ゼミに3回生が入ってくる。
8~9日 徳島ひとり旅。ラーメンを食べ、大歩危峡を訪れる。
10日 国語科の教職課程履修を始める。
11日 植物園の桜ライトアップを見に行く。
20日 北白川の「ガケ書房」と「そうげんカフェ」に行く。
26日 哲学の道の八重桜を見に行く。

☆5月――加速――
2日 博物館で資料整理のアルバイトを始める。
5~7日 東京美術館巡りひとり旅。行きは「サンライズ出雲」、帰りは「きたぐに」に乗る。
11日 ゼミ発表。
13日 城崎ひとり旅。模擬授業用の素材を集める。
17日 葵祭が雨天順延のためアルバイトに参加出来なくなり、友達に代理を頼む。同日、国語科の模擬授業(志賀直哉『城の崎にて』)。
21日 下御霊神社還幸祭アルバイトに参加する。
25日 京都国立博物館の「王朝文化の華 陽明文庫名宝展」を見に行く。
28日~ 母校の高校で教育実習(日本史)。

☆6月――経験――
~15日 母校の高校で教育実習。最終日はそのままゼミの飲み会に参加する。
19日 台風接近に伴い4限以降が休講となる。
21日 教育実習を終えた友人たちと打ち上げ。

☆7月――感謝――
5日 下鴨神社・貴船神社に行く。
11日 教育実習を終えた友人たちと二度目の打ち上げ。
12日 公民科の模擬授業(高度情報化社会)。
14日 浴衣で祇園祭の宵々々山に行く。
17日 祇園祭山鉾巡行。船鉾の曳き手ボランティアに参加する。
18日~ 前期定期試験。
~26日 前期定期試験。下鴨神社御手洗祭の足つけに参加する。

☆8月――憂愁――
4日 「京の七夕」鴨川会場に行き、河原町で飲む。
25日 町家紅茶館「卯晴」に行く。
27日~ 青森・北海道ひとり旅。高校時代に総合文化祭で知り合った先生を訪ねる。

☆9月――挑戦――
~1日 青森・北海道ひとり旅。
15日 立命館大学大学院入試。
23日 国際会館でおこなわれた「第12回スルっとKANSAIバスまつり」に行く。
28日 立命館大学大学院合格。

☆10月――奔走――
7日 ゼミ発表。卒業式宴会の世話役を拝命。
12日 卒業論文の題目提出。
14日 鉄道の日。京阪中書島駅で発売された「鉄道コレクション 京阪80型」を買う。
15日 携帯電話を紛失する。
16日 iPhoneに機種変更。同日、紛失した携帯電話が見つかる。

☆11月――決断――
8日 友人の下宿で原発問題について討論。
11日 東京・千葉ひとり旅。往復に「サンライズ瀬戸・出雲」を利用する。
19日 授業で「今すぐ脱原発に賛成か反対か」についてディベート。予選通過、本選に赴くも僅差で敗れる。
29日 曼殊院に紅葉ライトアップを見に行く。

☆12月――執筆――
14日 京阪電車の車内で誕生日を迎える。
16日 早朝7時に選挙の投票に行く。
19日 卒業論文を提出する。
24日 友人たちと忘年会。

今年は、その月に合った言葉を付けてみました。
何となくそれと分かるもの、本人にしか分からないもの(笑)、まぁいろいろあります。
下半期は更新が少なくなってしまったので例年よりボリュームは控えめですが、いまの自分の考え、友人との思い出(となるであろう出来事)の数々など、書きたいことは書けた一年であったかと思います。
以下、ジャンルごとの振り返りです。

☆模型☆
今年も完成した車両は少ないですが(完成品ディテールアップの類ばかりでした)、個性豊かな地域色を再現することが出来ました。


キハ47系福知山色。


キハ35形高岡色。


完成品としては、いつも見ているKTR8000系の製品化がやはり嬉しかったです。
昨年から製作中のキハ189系は、また来年に持ち越しですね…。


レイアウト製作も地道に進んでいます。
長らく迷っていた建物の配置も決まりました。

☆実車☆
乗車・撮影したお気に入りの車両たちを。


来春の引退が発表された京阪旧3000系です。
「最後の夏」の報せを受け、以来機会を見つけて沿線に出向くこともしばしば。
連続するカーブに個性ある普通車両…合わせて京阪電車そのものの魅力も再発見することが出来ました。


乗車した車両としては、285系の寝台特急「サンライズ瀬戸・出雲」。
今年は計5回(瀬戸2回・出雲3回)も乗る機会に恵まれました。
相次ぐ夜行列車の廃止で選択肢が自ずとこれだけに絞られてきているものの、居住空間の良さと多彩な設備は飽きることがありません。東海道を走る最後の夜行列車としてこれからも存続してほしいものです。

☆旅☆
印象に残った旅の一コマを。


今夏の北海道ひとり旅から、宗谷本線抜海駅での一コマです。
これが今年最初で最後の駅寝でしたが、下り最終~下り始発までの12時間にも及ぶ滞在時間で、多くの物事を考えることが出来ました。

☆本☆
生活を豊かにしてくれた本たち。


今年は卒論もあって特にたくさん買ったので(何冊か把握しきれていない…)、その中で選ぶならこの2冊でしょうか。
おなじみの作品かもしれませんが、これまで森見登美彦、村上春樹など現代作家を中心に読んでいたものの、今年は文学への更なるのめり込みが進んだせいか(笑)、太宰、三島、鴎外、谷崎などの古典的名作を辿っていくことが多かったように思います。
特に太宰治『津軽』と、(ここには挙げていませんが)志賀直哉『城の崎にて』は、実際に作品の舞台で読めたことがとてもいい思い出になりました。

これだけ本が読めたのは、国語科教職課程の受講…も関係していますが、やはりそれ以上に「いい文章」が書きたくなったというのが大きな理由です。
とある授業の先生に聞いた、「いい文章を書くには、いい文章を読むこと」という言葉は、当たり前でもありますが、「いい文章」の作品に多く触れて、それらを取り入れて自分の文章としていくことは、実はなかなか難しいことであると思います。
何かと文章を書くことの多かった一年でしたが、その出来に納得のいかないことも多々。しかし時折、友人から応募書類や論文の添削などを頼まれるとやはり嬉しくなり、年始に設定したキーワード「還元」が達成出来ているのかな…と、少しばかり実感します。
「自分のために」が同時に「人のために」もなることを意識して様々なことに取り組んできましたが、心持ちを変えるだけで、随分と充実感を得られた、楽しかった一年でありました。
来年もそんな一年にしたいと思っています。

それでは皆様、よいお年をお迎えください。

キハ48「リゾートしらかみ」青池編成

2012年12月29日 03時13分41秒 | 鉄道模型/製品レビュー・小加工など
聖夜の飲み会も無事成功。
いつの間にか年末モードとなりました。
旅の計画も細々と始動しております。

さて、表題の模型ですが、本年最後の導入車両です。
元々は12月初めに模型店を覗いた際に見つけたもので(新品同様の中古品)、当時はもちろん卒論執筆中。
「提出後まで売れ残っていたら買おう」というぐらいの気持ちで20日に再訪したところ…

ありました。(^^)


というわけで、マイクロエースのキハ48系「リゾートしらかみ」青池編成です。
昨年のキハ110とキハE131・132に続いてJR東日本の気動車がまた増えてしまいましたが、実車は09年の鰺ケ沢で見たのが最初で最後。
現在は、東北新幹線の新青森開業を機に後継車に置き換えの上、両端の2両はそのまま「クルージングトレイン」として、中間の1両は塗装変更の上、同列車のブナ編成に転用されました。
JR東におけるキハ40系改造車シリーズの先駆け的存在。あの鈍重なキハ40系とは思えないスタイリッシュな前面に、沿線の日本海や十二湖を思わせる爽やかなブルーが魅力です。


とりあえずTNカプラー化と、無線アンテナのKATO製置き換えといったオーソドクスな手入れを施し、線路に載せてしばし眺めます。
両端の1・3号車には「青池」のロゴが、中間車には「CRUISING TRAIN」のロゴがそれぞれきれいに印刷されています。
この頃から「クルージングトレイン」の呼称があったことを初めて知りました。


3両という手軽な編成(これも導入の決め手です)ですが、やはり模型的に楽しみたいのは中間車を前に立たせた2両での運用。
実車でも閑散期に見られたようですが、ネット上の写真ではあまり見かけません…。


中間車のみ、きちんと(笑)キハ40系用のTNカプラーを充てました。
スカートは手に入らなかったので製品のままです。これだけでもかなりよくなりました。
ボディが新規製作されているので、よく見てみると幌枠の窪みなどに同社らしい芸の細かさも見られます。


見慣れたKATO製のキハ40系と。
行先表示幕や貫通扉窓に若干の違和感が残りますが、当分はこのままでいきましょう。

ひとまず、無事に

2012年12月20日 05時23分25秒 | 日記
先の選挙ですが、もちろん私も投票に行ってきました。
例によって朝方まで卒論を書いていたので、寝る前のついでに早朝の街をとぼとぼ。
すっかり見慣れた風景、しかし白み始めた空の向こうに掛かる薄いピンクの帯が、どこか新鮮でもありました。

その夜は、本当は何人かの友人とテレビを囲んでアレコレ言いながら討論でもしたかったのですが(随分変わった大学生だなぁ)、全員がまだ執筆中だったので、そういうことを含めて話し合う機会はクリスマス・イヴの夜に持ち越しということに。
何故その日にする必要があるんだと、自分などは猛烈に抵抗したのですが(笑)、友人の「どうせ暇でしょう」という言葉には何も反論が出来なかったのであります。
まぁ、個人的にはクリスマス・イヴを恋人と共に過ごすよりは祇園祭の夜に浴衣でそぞろ歩きをする方がステータスとしては上だと思っていますから、聖なる夜に友人たちと政治・教育・恋愛その他あらゆることについて語り明かすのも案外悪くないのかもしれません。

さて、日付は変わりましたが、昨日、無事に卒業論文の提出を済ませました。

言うにや及ぶ。まだ陽は沈まぬ。最後の死力を尽して、メロスは走った。メロスの頭は、からっぽだ。  
何一つ考えていない。ただ、わけのわからぬ大きな力にひきずられて走った。陽は、ゆらゆら地平線に没し、まさに最後の一片の残光も、消えようとした時、メロスは疾風の如く刑場に突入した。間に合った。

――太宰治『走れメロス』

と、一時は締切日(今日)の17時ギリギリでこんなことになるかもしれないと思っていたこともあったものの、どうにかこうにか。
本当は一昨日の段階で出来上がっていたのですが、まだ100%納得するには至っていなかったので、そこから一晩置いて推敲を重ねたことで、出し得る限りの全ての力を発揮出来たのではないかと思っています。まさに4年の集大成と言うべきでしょうか。

専攻の特質上、1回生の頃から様々な研究に取り組む機会に恵まれてきましたが、まさか最終的に文学で卒論を書くとは、以前からはとても考えられないことでした。
半年、或いは3ヶ月前の自分も果たしてこの卒論が書けるのかどうか不安でいっぱいでしたが、先生や友人から頂いたアドバイス、また日頃のゼミ発表での質疑を通してここまで来ることが出来たのだと思っています。
今後はゼミで論集をつくるそうなので、まずはそれが楽しみです。
もちろん、年明けの口頭試問の準備もしておかなければなりません。

夜は、同じく提出を終えた友人たちとカラオケに。
3時間目一杯歌って、それからジャンボでお好み焼きと焼きそばを食べて、すっかり満腹になって帰ってきました。
卒論は無事に書けましたが、「これで終わり」という実感はあまりなく、むしろ次のステップに向けて更に邁進しなければならないとの思いが徐々に芽生えつつあります。
ちょうど冬休みを迎えますから、また本をたくさん買い込んで読むことにいたしましょう!

写真は今年の初め、雪の大館駅に停車中の寝台特急「あけぼの」。
そういえば今冬の旅はまだ何も決めていません。う~ん、何処に行こうか。

物語は続く

2012年12月14日 23時17分58秒 | 日記
22歳を迎えたのは、相変わらず「列車内」でした。
これまでの4年間はJRの夜行列車で迎えていたのですが、昨年乗った急行「きたぐに」は既に臨時列車化。
今年は卒論の関係からそう遠出も出来ず、ついに打ち切りかと思っていたところ(笑)、最近マイブームの京阪電車を見ると日付を跨ぐ列車がたくさん。
なかでも8000系ダブルデッカー車の運用を調べてみると、出町柳23:42発→淀0:06着(終点)の急行があったので、日付が変わる前の七条から乗り、伏見桃山の通過をもって0時を迎えることが出来ました。

終点の淀からは、最終の準急出町柳行きで七条までとんぼ帰り。
こちらは1000系で、七条からは置いていた自転車に乗って、上空の流星群を見ながら帰ってきました。

さて、先日発表された今年の漢字は「金」。
個人的にあまり納得は出来ませんが(笑)、私の場合は「決」。決断、決意の「決」です。
読んで字の如く、あらゆる分野において、決めることがほんとうに多かった一年でした。
来春からの大学院進学もその一つです。
実は9月に受けて合格はしていたのですが、迷いもたくさんあって、進学を決めるまでには今まで相当な時間がかかってしまいました。
将来的な目標に向かうことを考えると、いまの自分はまだまだ未熟です。もう少し考えておきたいこともあります。
多くの仲間が就職していくなかで、ある意味では「決断を先延ばしする決断」となるのかもしれませんが、今回は特に時間をかけた「決断」。
慣れ親しんだ、しかし新たなステージで、今後とも努力を重ねていこうと思います。

今日はゼミがあったので、何人かの友人にも声をかけられました。
なかには4年連続で祝ってくれた人もいましたが、夕方は、気の合う友人と大学横の喫茶店「山猫軒」へ。
彼とは高3の時に「早期合格者の集い」で知り合ってからはや4年。それがファーストコンタクトでありワーストコンタクトでもありましたが(笑)、きっとこれも何かの縁なのでしょう。
振り返れば、大学の4年間を通して仲の良かった人というのは、意外と少ないものです。
入学後の混沌を経ていつしか疎遠になっていった人、二回生から仲の良くなった人、去年の冬からとても親しくなった人。
多くの人との関わりがあっていまの自分がいるのだと思いますが、こうして4年間のどこを切り取っても欠かすことの出来ない友人というのは、きっと後々も互いの印象に残り続けることでしょう。
時節柄もあって、4年間を総括するような話題で盛り上がり、さらに今後についてもいろいろと語り合いました。

「卒論が終わったら飲もう。昼間っから」
「あぁ、楽しみにしとくよ」

写真は火曜日の撮影分より、夕陽を浴びて快走する京阪旧3000系です。
卒論もいよいよラストスパート。この週末で一気に仕上げたいと思います。

嵐電・秋の行楽期増結

2012年12月10日 13時31分28秒 | 鉄道関係
卒論も大詰め。
いよいよ今週から提出期間が始まります。
近くゼミの担当教授との面談があって、そこから少なからず手直しをするものと思いますが、締切ギリギリに…ということにならないようにしたいものです。

さて。
せっかくならお蔵入りしそうな写真を出していこうということで、先月末に少しだけ撮った、嵐電の行楽期増結の写真を載せていきます。
区間はいずれも西大路三条~山ノ内の路面区間です。









京紫カラーが台頭する中、旧塗装による旧型車2連が見られたのは嬉しい限りです。
モボ501・502には一度も遭遇しませんでしたが、やはり朝ラッシュ時中心の運用なのでしょうか。

師走の風

2012年12月04日 22時40分24秒 | 日記
12月に入りましたが、相変わらずの卒業論文執筆が続いています。
ようやく規定字数に達そうとしていますが、案の定、厄介なところだけ後回しに。
あと2週間少々でどこまで行けるでしょうか…。

写真は帰り際の寄り道です。鳥羽街道にて、京阪旧3000系。
ここでの撮影は初めてだったのですが、カーブの多い同鉄道らしい写真が撮れました。