小浜線で「くろまつ」を撮る

2019年10月27日 00時37分41秒 | 鉄道関係
旅行記の途中ですが……

10月26日(土)、「御食国・和食の祭典in若狭路2019」に合わせて京都丹後鉄道のダイニング列車「くろまつ」がJR小浜線内を初走行するとのことで出かけてきました(前日の25日(金)も実施されているので、走行自体は2回目)。

土曜日は掃除と水汲み(近所に名水があるのです)に充てているのでお昼までのんびりと過ごし、12:45の新快速で湖西線を北上。近江今津からJRバスに乗り継いでの小浜入りとなりました。バスは途中の上中から小浜線と並走するルートをとりますが、沿道にはカメラを構えた同業者の姿が。ほとんど無計画だったので、何処で撮ろうか迷っているうちに小浜駅に着いてしまいました。(笑)


入場券を買って小浜駅に入るとすぐにやって来ました。まずは小浜の駅名票を入れて一枚。






本当に豊岡のDE10が丹鉄の「くろまつ」を牽いています!
新鮮な光景ですが、こうした措置がとられたのは保安装置の関係でしょうか。逆に言えば、この方式なら乗り入れ可能な路線が増えるのでは? と、想像を掻き立てられます。

ともかく、珍しい光景なので編成を撮っておきましょう。




今回の乗り入れは10月25日(金)・26日(土)の2日間ですが、JR西日本のプレスリリースによると、北陸新幹線の敦賀開業後を見据えた取り組みの一環だそうです。確かに氷見・城端線や七尾線では観光列車が登場しましたから、越美北線や小浜線にそうした動きがあっても不思議ではありませんし、今回が好評であれば「ぐるっと北近畿号」のように月1ペースで実施されるかもしれません。




それにしても、小浜線で気動車が客扱いをするのは何年ぶりでしょう。電化以後だと「エーデル」がたまに走っていたような気がしますが、それも10年近く前のこと。小浜駅構内に鳴り響くエンジン音に、幼少の頃祖父に連れられ乗った小浜線(当然ながらキハ58でした)の記憶が蘇るようです。

さて、「くろまつ」の西舞鶴行きは小浜15:45発。直前に普通列車があるのですが、撮影地までのアクセスを考えてタクシーで次の勢浜駅まで先回りします。約4km、1660円でした。

勢浜駅からは予め決めておいた撮影地へ移動しますが、小浜線屈指の名撮影地だけに多くの人出。久々に「ひな壇」の一隅に加わりましたが、どうも慣れません。とは言え、もうロケハンする余裕はありませんからじっと待ち構えます。


直前の普通列車が通過していきました。125系もローカル線単行電車のスタンダードになるかと思いきや、その後は521系や227系など「2両もの」への移行が進み、ここと加古川線だけの形式となりそうです(可能性がありそうなのは宇部・小野田線ですが、BRT転換検討の話が出ていましたよね)。


構図を調整することしばらく、お目当ての「くろまつ」が先ほどと同様DE10に牽かれてやって来ました。小浜湾をバックにした勢浜の集落はまるで箱庭のよう。そこを模型のような編成が走り抜けるのですからおもしろいものです。「鉄コレ」でいいからKTR700/800シリーズを製品化してくれませんかね。


撮影後はあっという間に参道から人が消え、ほどなくして来た小浜方面の列車が去るとほんとうに人気のない静寂が訪れました。これが勢浜駅の日常なのだと思いますが、熟した柿の木の向こうに見える小浜湾を眺めながら思うのは、兵どもが夢の跡、にも似た感情。

小浜行きの列車を見送ったということは、当然帰りは舞鶴回り。運賃だけで比較するとさほど変わらないので、時間はかかっても変化をつけたいということで。




東舞鶴乗り換えを経て綾部へ、駅前の栄温泉に浸かってから「はしだて8号・まいづる14号」に乗車しました。思えばこれもJRに乗り入れる丹鉄の車両。電車に伍して走る気動車特急の力強さに酔いしれながら帰洛の途についたのでした。

新潟・庄内紀行 その2

2019年10月13日 23時59分20秒 | 旅行記
新潟・庄内紀行 その1からの続きです。

上毛高原から乗車した「とき319号」は当然のごとく新潟へ直通するのですが、早くも次の越後湯沢で下車します。実はここで乗車券を買い直す必要があり(ここまでは大阪市内→越後湯沢の乗車券で移動していました)、いったん出場して「えちごツーデーパス」を購入した次第です。2690円(増税後は2740円)で新潟県内のほぼ全域が2日間乗り放題というスグレモノで、周遊する旅行者にとってはありがたい存在です(西日本の「関西1デイパス」も3000円を下回るこれくらいの価格帯なら買いやすいのですが……)。


在来線ホームに降りると、上越妙高からやって来た「ゆざわShu*kura」に遭遇しました。当初、越後湯沢で温泉に浸かり、これの復路に乗車することも企てていたのですが、どうしても空席が出ず見送り。止むなく普通列車の長岡行きに乗り換えます。


(長岡にて)
E129系は初乗車となりましたが、安っぽい印象のある東日本の「E○○○系」シリーズにあっては今のところ最後発ということもあり、座席のクッション性は非常に改善されていると感じました。車体色もかつて当地区を走っていた70系国電を彷彿とさせるカラーリングで、雪景色のなかでは映える存在となりそうです。この日のこの列車(越後湯沢13:13発)は2両編成で当初は空席も多数あったのですが、途中の浦佐からは多くの乗車があり、以降大混雑のまま長岡に着きました。

長岡では少し時間があったので街を散策します。


はじめに訪れたのは、河井継之助記念館。
幕末にガトリング砲などの最新兵器を用いて北越戦争を指揮した越後長岡藩の家老として知られています。こじんまりとした館内(生家跡のようです)では、一つひとつ丁寧な展示解説があり、彼の晩年のみならず藩政改革の手腕についても知ることができました。
また、ここに来て初めて知ったのですが、来年、河井継之助を主人公とした映画「峠 最後のサムライ(原作:司馬遼太郎)」が映画化されるそうです。主演は役所広司とのことですが、以前は山本五十六を演じていましたし、今年は嘉納治五郎のイメージが強くて(笑)、どうなんでしょう、でも、観てしまったら河井にしか見えなくなるんでしょうね。


続いて山本五十六記念館へ。河井記念館とは徒歩にして数分程度の距離しか離れていませんが、こうして周遊する訪問者向けにスタンプラリーを実施しているようで、河井記念館で頂いた台紙を呈示することで割引が受けられました。
山本五十六は学生の頃に前述した映画「聯合艦隊司令長官 山本五十六」を観て興味を抱いたのですが、展示されていた遺品の一つに茶箱(持ち運びできる茶道具の一式)があったのが目を引きました。おそらく戦地にも持参したものと思われますが、今回は河井継之助記念館を先に訪問しましたが、彼が好んで揮毫していた「常在戦場(長岡藩の藩是、河井記念館にも掛軸がありました)」のなかで、茶を嗜むことが貴重な時間になっていたのかもしれません。

さて、二館の訪問を終えて長岡駅に戻り、ここからは改めて新潟を目指すつもりでしたが、越後湯沢で遭遇した「ゆざわShu*kura」の復路に△表示が出ていたので、短区間ながら乗車することにします。




先ほどと同じホームに紺色のキハ40系が滑り込んできました。新潟地区のキハ40系は今年度末での引退が予定されていますが、「Shu*kura」は例外のようです(まだ登場して5年ですからね)。
長岡では数人の下車があり、新幹線以外に優等列車のない上越線内の移動手段としても利用されているようです。


酒蔵をイメージした列車内は1号車がボックス席を中心とした旅行商品専用車両、2号車はバーカウンター、3号車は一般発売向けの普通車指定席(36名)となっており、3号車の通路側に収まります。車内移動を前提とした列車ではこの方がありがたく、発車を待つ間もなく2号車のバーカウンターへ。


それほど強くはないのですが、甘口の……(忘れてしまいました)お酒と鮭の焼き漬けを頂きます。しかし、良いお酒というのは気持ちよくなるもので、酒と鮭の相性はバツグン。(笑) ほろ酔い気分になって自席へ戻るとふるまい酒のサービスがあり至れり尽くせりです。乗客のほぼ全員の顔が赤い列車、というのも珍しいのではないでしょうか。フラフラになりながら何度も2号車に「リピート」しに行く乗客の様子を見ていると、何だかこっちまで楽しくなってきました。(笑)

夜は新潟で宿泊の予定だったので、ほどよく西へ進んだ柏崎で下車。13分停車するので駅の外れまで先回りして発車シーンを捉えます。


最も北側に位置する1番線から、最も南側の下り本線へ。うねうね~っと車体をくねらせながら本線に合流していきます。ちゃんと撮れているので酔いは覚めていますね。(笑) 今度は別の区間で乗車してみたいです。

柏崎では一時間ほど余裕があったのですが、駅前のお店は日曜日が定休のようで閑散としていました。仕方なくNEWDAYSでお土産を調達して、待合室でウトウトしていると「しらゆき7号」の時間。跨線橋を渡った2番線の発着だったので少し焦りました。


「しらゆき」用のE653系は初乗車です。とは言え、グリーン車が無いことを除けば「いなほ」と車内はほぼ同一ですが、北陸新幹線を意識した? カラーリングが好印象。


自由席はそこそこ埋まっていたので、ガラガラの指定席にして正解でした。乗車するとさっそく検札の車掌さんが回ってきましたが、押されたスタンプは「入鋏済」。従来の日付入りに代わって導入が進んでいるようですが、「入鋏」という言葉がどのくらい人口に膾炙しているのか気になるところです。遅延証明等では「入きょう」と記されることがほとんどですから、漢字と読みが一致するという人も、そんなに多いわけではないでしょうし。


日本酒の酔いが回ったのか、ほとんど寝て過ごして新潟に到着。日付の変わった新潟から20時間近く移動し続けていましたが、今日はここまで。
高架の新潟駅は昨年にも降り立ちましたが、まだ一部で地上ホームからの発着も残っているようです。

万代口近くのホテルにチェックインした後は、夕食がまだだったことに気付き、ひとり居酒屋を敢行。
地元ではどうも行きづらいのですが、旅の恥は掻き捨てとはよく言ったもので、最近の旅の楽しみとなっています。




まずはオススメと聞いた刺身の盛り合わせを。ゲソは唐揚げにしてもらえます。柔らかくて美味しい!


温かいものも食べたくて、牛すじ煮込み。ご当地阿賀野牛を使用しているとのこと。
翌日になってから気付いたのですがニンニクが効いていました。どうりで温まったわけです。(笑)


こちらも新潟産大豆の厚揚げ。サクサクして食べやすかったです。


〆は番屋汁。魚のエキスがたっぷり入っていて大満足。地場の食材を堪能した後は、雨の降り始めた新潟駅前を早足でホテルに戻ったのでした。

新潟・庄内紀行 その3に続きます。

新潟・庄内紀行

2019年10月12日 23時51分49秒 | 旅行記
久々の「旅行記」です。
今年は秋の連休が台風の影響を受けることが多く、この週末も自宅に留まることを余儀なくされていますが(東京での学会が中止になってしまいました……)、以前の三連休(9月21~23日)も台風17号の九州接近に伴い多くの地域で雨の予報。しかしせっかくの連休、雨の影響を受けない(であろう)エリアはないものか……とアタリをつけた結果、一年前にも訪れた新潟・庄内方面を旅してきました。そのときのお話です。


21日(土)が一日仕事だったため、出発は22日(日)に日付が変わった深夜となりました。行きはやっぱり寝台特急、ということで大阪からサンライズに乗車します。
連休の初日ということで大阪からは数十人の乗車があり、最後の寝台特急の盛況ぶりをまざまざと見せつけられます。半年ぶりの乗車だったので寝台に空きが出ることを期待していたのですが、結局は当初確保していたノビノビ座席に収まりました。競争率の高いサンライズではありますが、ノビノビ座席はこの10月から、寝台は来春からe5489での照会も可能になるようです。

仕事終わりだったこともあって京都を通過しないうちに眠りにつき、横浜到着前のおはよう放送で目を覚ましました。ただでさえ短い乗車時間のほとんどを寝てしまったのだからノビノビ座席でも十分アリでしたね。(笑)


東京には定刻での到着。みな一様に気怠さを引きずりながら、三々五々散っていきます。私はここから北上しなければいけないので、とりあえず京浜東北線で上野に出て、エキナカのたいめいけんに収まりました。


上野という立地もあるのでしょうが、早朝の店内は空いていてサンライズ乗車後はいつもここに来ます。
安価で丁度良いボリュームの朝食セットが目を覚ましてくれます。食後に珈琲を頼み、旅程を確認した後で再出発。上野から新潟方面と言えば上越新幹線ルートが一般的ですが、それほど急ぐ旅でもないので途中までは在来線を利用します。とりあえずは大宮を目指し、


当駅始発となる臨時快速「四万(しま)温泉やまどり」号に乗車します。東日本では毎週末のようにバリエーション豊かな臨時列車を走らせていますが、何か乗れそうな列車はないか……と探して見つけたのがこの列車でした。


待つことしばらく、高崎方から列車が入線してきました。車両は「リゾートやまどり」の愛称が付されており、群馬県内を拠点に走る臨時快速として活躍しています。






外観こそリゾート列車の出で立ちですが、元を辿れば2000年代初頭に雨後の筍の如く登場した485系改造JTの仲間。当初は「やまなみ」「せせらぎ」として4連2本が存在していましたが、後に「やまなみ」の中間2連と「せせらぎ」の4連が組み替えられて6連の「リゾートやまどり」に、余剰となった「やまなみ」の先頭2両は青森の中間ユニット2連を組み組んで「ジパング」となった経緯があります。

ところで「せせらぎ」と言えば今から11年前の高校時代に京都(向日町)まで入線したことがあり、私も撮影に出向いた覚えがあります。当時のアルバムを見返すと……あった!


肝心なカットが抜けているのはピンボケしてしまったから、ということも覚えています。(笑)
とは言え、後追いカットに映り込む「第二下津林踏切」の標識こそが同編成が京都に来た紛れもない証拠です。この頃はまだ東・西日本ともに485系がJR世代に押されながらも第一線で活躍していた頃で、「きらきらうえつ」や「NO・DO・KA」、上沼垂の3000番台なども京都まで来ていました。


さて、この「リゾートやまどり」自体の乗車は2回目。前回は「伊豆いで湯やまどり」号として熱海まで乗車したことがあります。出自が全車グリーン車のジョイフルトレインということもあり、座席はグリーン車と同等にシートピッチも広くなっていますが、現在は全車が普通車指定席、しかしこれで520円(消費増税後は530円)なのですから驚きです。


やがて大宮を発車した列車は高崎線を北上していきます。大改造されてはいるものの、走りだせば485系のモーター音が響き渡り、目を閉じれば「ムーンライトえちご」や「能登」に乗っている気分です。


やがて列車は深谷に到着。東日本のこうした臨時列車は車内販売や目立ったイベントもなく「ただ走らせているだけ」といった印象もあったのですが、この列車は車内放送にも気合が入っていて、停車駅周辺の情報を細かく教えてくれます。深谷は再来年の大河ドラマで描かれる渋沢栄一の出身地であること、熊谷ではラグビー・ワールドカップと秩父鉄道について、さらに群馬県内に入ると「上毛かるた」にちなんだ各駅の紹介や、さらに通過駅となる倉賀野(八高線の分岐点、広大な貨物駅)に至るまで言及があり、退屈することなく沿線地域を魅力的に感じることができました。


停車時間が多いのが臨時快速の宿命ですが、新前橋では「華」との並びも見られました。今や風前の灯となった485系一族ですが、両車とも高崎車両センターの所属ですから、案外、頻繁に並んでいるのかもしれません。

さて、列車はこれから吾妻線に入っていきますが、その分岐点である渋川で下車します。列車名に「四万温泉」とありますからむしろここから先が本番なのでしょうが、高崎線内のみの利用も多く、私のように渋川で降りて他方面を目指す向きも多いようです。


すぐ後ろに迫っている水上行きに乗り換えてしばらく、後閑(ごかん)駅で降りました。


駅名の通り長閑な駅ですが、北西およそ2kmの場所に上越新幹線の上毛高原駅があり、営業キロが同一であることから、高崎以遠を発、越後湯沢以遠を着とする乗車券を持っている場合、後閑まで在来線を利用、上毛高原から新幹線を利用(逆も然り)といった選択乗車が可能となっています(詳しくはJR東日本旅客営業規則へ)。


「長岡・新潟方面」の文字が遠くまで来たことを実感させてくれます。略字の「シ写」が素敵です。

後閑から上毛高原まではバスによる連絡も可能となっていますが、水上行きが数分遅れたためにバスは既に出発した後。それほど急ぐ旅でもないので歩くことにしました。


川を渡り、街を通り抜けて「高原」へ上っていきますが、


とても新幹線駅へのアクセスルートとは思えません。案内看板もなく、ただ遠くに見える新幹線の高架のみが頼りです。




思いのほかハードな道のりでしたが、後閑駅から約30分、上毛高原駅に到着しました(二枚上の画像にある田んぼの先に突然駅が現れたので驚きました)。駅前には関越交通のバスが停まっていて、ここから土合駅に行くこともできるようです。これも試してみたいですね。

こうした新幹線の単独駅は列車の発着こそ少ないものの機能はそこそこ充実しているイメージがあるのですが、上毛高原駅においてもやはりそのようで、駅構内は現代風にリニューアルされており、そば・うどんスタンドのほか、土産物店をを兼ねたレストランが入居していました。


ちょうどお昼時だったこともあり「みなかみ丼」を。カレーのように見えますが、実は牛肉のやわらか煮込みにデミグラスソースをかけたもの。美味しくてすぐに平らげてしまいました。

ここからまだ北へ向かいますが、群馬県とはここでお別れ、お土産を幾つか買い求め、新幹線の時刻が近付いてきたのでホームに上がります。




がらんとした、という言葉がぴったりの駅構内。と同時に、こんな余裕のある立派な駅が造れた時代があったのだな、とも思ってしまいます。実情に合わせたコンパクトな駅も一つの在り方なのでしょうけれど。


待つことしばらく、やって来た「とき319号」に乗車し、越後湯沢を目指します。

新潟・庄内紀行 その2へ続く

増税後

2019年10月09日 00時12分00秒 | 日記
消費増税から一週間。
まだ買い物は食品ばかり、食事はやっぱり「中食」です。作るのが楽しいというのもありますが。





この間は野菜チップスの炊き込みご飯を試してみました。思いがけずパエリア風味になって良い感じです。今度は魚介も加えてみましょうか。(笑)

さて、巷間では軽減税率に加えてキャッシュレス決済による還元も話題となっています。これには今までほとんど現金主義だった私も恐る恐るICOCAをコンビニで使ってみたところ……



ちゃんと引かれていて感心!(笑) むしろ、食品だけなら以前よりも安くなっているのでお得感があります。コンビニはほぼ毎日立ち寄るので、たった11円でも塵も積もれば、しばらくはこの期限付き還元の恩恵にあずかろうと思います。