北近畿でリフレッシュ

2016年09月28日 22時59分30秒 | 旅行記
心身ともに疲れたので、日曜日は城崎温泉に行ってきました。
実は3ヶ月前にも訪れているのですが、やっぱりたまには気を入れ替えないとダメですね。(笑)


行きは京都を7時半に出る「きのさき1号」で。城崎電化30周年の記念ラッピングが施された287系です。
近年のダイヤ改正で始発の特急が繰り上がって便利になりました。乗客のほとんどは綾部や福知山で降りてしまい、先頭の半室指定席は途中から貸切状態。豊岡を過ぎて円山川沿いを走ると、いよいよ気分が高まります。




晴天に恵まれた城崎温泉、今回は「一の湯」でさっぱり(前回は「地蔵湯」)。
温泉が目当てだったので、露天と室内を行き来して30分ほどじっくりと浸かっていました。
湯上りには瓶のコーヒー牛乳を飲み、駅に戻るまでの屋台では但馬牛のメンチカツを食べましたが、これがとても美味しかったです。

帰りは豊岡から丹鉄に乗り、久美浜で昼食後、「あかまつ」に乗車しました。
こちらは3年ぶりの乗車ですが、思えばウィラーへの経営移管、そして「くろまつ」や「丹後の海」などの観光列車が増え、随分とイメージも変わりました。












天橋立までは盛況だった車内も、宮舞線に入ると車内は閑散として、ハイライトである由良川橋梁をゆっくりと通過。
城崎とはうってかわって曇天ですが、「由良の門(と)を 渡る舟人 かぢをたえ……」の歌が似合う情景です。


西舞鶴で乗り換えた列車は、福知山で唯一の115系(R1編成)。
今月上旬に出場したばかりの綺麗な姿です。スカートがグレーから黒に変更され、足回りがぐっと引き締まりました。
綾部からは「はしだて6号」で帰洛。温泉に入って列車に乗っただけの旅でしたが、気のせいか今週は調子が良いです。(笑)

水害の記憶

2016年09月19日 16時47分19秒 | 京都
昨日の京都は大雨。
そして連休明けには台風16号が近付きつつありますが、この時期の台風と聞いて思い出すのが、3年前のこと。
2013年の9月16日、台風18号による大雨で桂川が氾濫し、特に嵐山地区では甚大な被害をもたらしました。
当時、台風一過の下流(七条・八条通間)の様子を見に行ったことがあるのですが、写真を撮ったままお蔵入りさせるのも勿体ないので、この機会に振り返ってみたいと思います。



















・おまけ


不通となった阪急電車の代行か、普段は走らない七条通に阪急バスが走っていました。

真田父子ゆかりの九度山へ

2016年09月14日 00時08分12秒 | 旅行記
8月末のことになりますが、大河ドラマ「真田丸」で話題の和歌山県・九度山を訪れました。
ドラマでは9月11日放送分で関ヶ原の戦いが終わったところですが、合戦シーンはなく、石田・徳川陣営のクローズアップ数十秒であっという間に終わっていましたね。従来の戦国大河からすると異例ではありますが、あくまで真田家からの視点に拘った結果と言えるでしょう。反対に、九度山は幽閉生活とは言え信繁が生涯で最も長い期間を過ごした場所ですから、今度はそれなりに時間を割いて描かれるものと思われます。

さて、高野山の玄関口・九度山へは大阪経由の南海電車が常套手段のようですが、時間がかかるのは承知のうえで行きは奈良経由で。
最近は大雑把に行先だけ決めて無計画に旅をすることが多いです。一人旅の気楽さと言いますか、関西圏であればまぁ何とかなるだろうと。(笑)




というわけで、京都発着の「しまかぜ」に初乗車です。
発車20分前にダメ元で券売機を叩いてみると、幸運にも前から2列目の1人掛けが空いていました。空いていなければ大人しくJRを利用するつもりだったのですが、旅の始まりから気分が高まります。


10時00分、定刻通りに京都を発車。東寺の五重塔もハイデッカーの窓から見ると新鮮です。
この時は雨模様でしたが、南下するにつれて曇り空へと回復してきました。


竹田の廃バス群。
新車導入に伴う廃車が毎年のように進み、市バスのツーステップ車もいよいよカウントダウンが迫ってきました。

丹波橋発車後、カフェカーの営業開始を告げるアナウンスが流れたので車内を移動します。
乗車率は各車両とも半分程度で、おそらく多くは西大寺や八木から乗ってくるのでしょう。そういう意味では、京奈間の「しまかぜ」はなかなか穴場と言えるかもしれません。


というわけで、人気の2階とはうってかわって、1階は貸し切り状態。


アイスコーヒーと赤福餅を。
ホットの場合は陶器のカップになりますが、夏場はやっぱり冷コーです。(笑)


カフェにはモニターがあり、西大寺の複雑な構内配線もこの通り。
新色への変更が進む特急車とも多く離合しました。未だ撮影の機会に恵まれないのが残念ですが……。


自席に戻り前面展望を楽しみます。
1列目の人はまさかの西大寺下車だったので、少し体を乗り出せば容易に前面展望が可能です。
京都~賢島の全区間では×表示だった空席ですが、実際には私のような区間利用も多いようで、話のネタにというか、プチ贅沢というか、式年遷宮や伊勢志摩サミットによる伊勢方面への注目も一段落したことで、乗客の利用も多様化しているのでしょう。


約1時間で大和八木に到着。
ちょうど良い乗車時間でした。今までの乗車区間は賢島~宇治山田、難波~八木でしたから少々慌ただしかったものの、座席・カフェ共に十分楽しむことが出来ました。でもやっぱり、お伊勢さんまで乗ってみたいな……。(笑)

八木からは橿原行きの急行に乗り換え、隣駅(?)の八木西口まで小移動。
同一の駅扱いなので、八木までの乗車券でも西口で降りることが可能です。そこから更に徒歩でJRの畝傍駅へ移動、和歌山線を一路西へ。


和歌山県に入り、橋本で下車。
ここでようやく南海電車に乗り換えます。記憶している限りでは人生2度目の南海乗車です。それくらい縁の薄い存在なのですが、1回乗っても2回乗っても南海電車、ということで。(^^;


南海のホームに降り立つと、ちょうど「天空」が入ってきました。これは高野山から来た分で、今回は時間が合わず。もっとも、橋本から九度山はすぐ着いてしまう距離ですから、やはり高野山へ向かう際に利用した方が楽しめるでしょう。


後ろの一般車両は「戦国BASARA」のラッピングでした。いよいよ九度山が近いことを実感させます。

さて、次の列車で橋本から南下することしばし、九度山で下車。


私を含めて数人の観光客が降りましたが、駅は意外にも無人。
時間帯によっては係員が居ることもあるのかもしれませんが、駅は真田仕様に装飾されており、駅前も小奇麗に整備され好感が持てます。
地図を参照すると、道の駅をゴールにぐるっと回ってくるルートが組めるようだったので、さっそく移動を始めます。


駅から歩いて数分、地域に伝わる「真田の抜け穴」に来ました。
これは以前TVで紹介されていたのを見たことがありますが、正体は横穴式古墳なのだそう。しかし、これが大坂城まで繋がっているというのは浪漫を感じさせますね。実際、信繁が大坂を目指したルートには2通りがあり、定かではないのだそう。


更に住宅街を歩くこと数分、九度山真田ミュージアムへ。
こじんまりとした館内はツアー客の姿で溢れ、ひとときの大河ブームを実感させます。
展示は配流された真田父子にスポットを当てている一方で、死後に伝説と化していく「幸村」像が数々の異聞・伝承と共にクローズアップされていたのが印象的でした。史実を見つめるのはもちろん大切ですが、後世への言い伝え、そのなかで生まれた伝承なども含めた民俗学的視点は一般にも受けやすいと思いますし、裾野を広げるという点では今後もっと扱われてよい切り口だと思います。そうした意味では、先ほどの抜け穴然り、幸村伝説の源泉となったここ九度山ならではの展示がされており、一見の価値がありました。

ミュージアムを出てからは、川を渡った対岸の道の駅へ。
街自体がコンパクトなのでまた数分の徒歩で済みましたが、どうやらツアーの観光バスは道の駅に停めてから来ているようです。他にも一般の車で駐車場は賑わっており、真田人気の高さが窺えました。


昼食を摂ろうと思いましたが、混んでいたのでお土産の購入に留めました。


さて、駅への帰路はミュージアムの裏側、生活空間を通りながら駅へ戻ります。
観光客とはすれ違いませんでしたが、道中でイートイン可のたこ焼き屋さんを見つけたので入店。しばしの休憩と相成りました。

駅へ戻ると、次の列車までは10分ほど。周辺を少しだけ歩きます。


近くの陸橋から高野山方面を望みます。山へ向かって高度を上げていく鉄路が頼もしいですね。
次に来る時には、是非この先へ行きたいものです。


帰りは橋本から急行と普通を乗り継ぎ、三国ヶ丘でJRに乗り換え。
実は18きっぷの消化も兼ねていたので、この辺りでそろそろ乗っておかなければならないのでした。(笑)

三国ヶ丘からは阪和線で天王寺へ、環状線に乗り換えて大阪城公園へ。


せっかくなので、最後に大阪城を見ておきました。
信繁の目指したそれとは別物ですが、九度山からの距離感は、鉄道利用とは言えやはり遠く感じます。当時はいま以上に隔絶された土地だったでしょうから、そうした環境のなかで再起を図る父子がドラマではどのように描かれるのか、今後の展開を楽しみにしたいところです。