街並みと地面を作る

2019年08月24日 01時25分41秒 | 鉄道模型/レイアウト製作
連日、雨が降るたびに夏が遠のいていくようです。
実際にはまだまだ歩くと汗をかくのですが。

さて、このカテゴリで投稿するのは久々です。
引っ越ししてひと月近く、車両関係は箱に押し込んだままなのですが、レイアウトはそれさえあれば触れるので、ここ数日は街並みと地面作りを進めています。


これは前々回の記事にも載せた写真ですが、引っ越しに先立って街並みを取り外したところ。


街並みの再考にあたっては、当然、動かすことのできない「駅」を中心に考えていくわけですが、駅前通りやはりこうして駅舎が見えるのが理想ですね。とりあえず旅館と老舗を置いてみました。


レイアウトの半分には高低差をつけた窪地があるのですが、ここは田畑にしようとしていたのを一転、開発の進む新興住宅地としました。所々に古い家も残しておこうと思います。


そして、上の写真にも少し写っている線路沿いの道ですが、これは以前のものを拡幅しました。
これには理由があって、


道の先にバス営業所を配置するためです。
本当は駅前に置きたかったのですが、周囲の建物との兼ね合いと、バスが転回できそうなスペースを確保するのがどうにも難しく、この窪地に移動させた次第。
駅からの徒歩アクセスルートも設けておきましたが、紙を貼り付けたばかりなので押しピンを挿している状態です。


低い視点から。列車とバスが並走する光景も良いですね。
さすがにバスの通行する踏切で何もないのはマズいですから、早いこと警報器と遮断機を取り付けましょう。


踏み切りを上から見た構図がこちら。
カーブを抜けた列車は家並みの背後を通り抜けていきます。簡単に枠組みだけを作って石垣で囲っておきました。


KATOの住宅とGMの蔵、その隣に街コレの近代住宅です。
KATOの方は製品の塀が安っぽかったので切り取り、後でGMの塀に置き換える予定です。


拡幅した地面を舗装したところ。
モーリンの道路作製セット「アスファルト道路」を使用しました。当然、以前施工した場所と色合いが合わないので全体を塗り直し。以前はやや明るいグレーでしたが、少し暗めになって実感的に。乾燥を待って白線を引いていこうと思います。

「失われた送り火」を思う

2019年08月17日 02時04分13秒 | 京都
懸念されていた台風も過ぎ去り、今年も無事に五山の送り火がおこなわれました。


今年も友人宅の屋上で。
旧暦では7月16日、十六夜の月も顔を見せてくれました。

ところで、数日前に下鴨神社の古本まつりで購入した北條秀司『古都祭暦』(淡交社、1969年)には、こんなおもしろい記述がありました。この本は随想形式で著者の身内や地域の人々に取材した生の声が豊富に綴られていて、オーラル・ヒストリーの先駆けといったところでしょうか。

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「昭和九年にエライ風が吹いて、東山辺の松の木が根こそぎ倒されてしもたんや。そいでその松の木のお供養やちゅうて、仏教連合会が、まだ都踊りがはじまったばっかりちゅう時に、臨時の大文字を燃やさはった。そしたらその夏、京都はじまってこの方ちゅう大水が出て、四条の大橋も五条の大橋も流されてしもて、京都の半分が水浸しになったんや。しょうむないことするさかい、大文字さんのお祟りがあったんや」
もっと古い話では、
「明治二十四ねんの五月に、ロシヤの皇太子さんが日本へ遊びに来はった。そのご歓迎のために臨時の大文字をとぼさはったら、その四日目に大津で皇太子さんが日本の巡査に斬りつけられはって、世界中がひっくり返るような騒ぎになった。それも大文字のお祟りや」

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前者は京都大水害、後者は大津事件に触れたものですが、「臨時の大文字」なるものが催されていたのは驚きです。関連性はともかく「いらんことしい」は昔から居たのですね。
送り火と言えば民衆の手で維持されてきた厳粛なる宗教行事というイメージですが、近代に入ってからは時折このように軽んじられていたことが(少なくとも上記のエピソードからは)分かります。掘り下げれば他にも臨時開催の記録が出てくるかもしれません。

もう一つ気になるのは、どちらの証言も大文字(おそらく東山の如意ヶ岳)のみであること。
「五山」の名の通り、現在では大文字以外に四つの山(妙法は二つで一つ)に火が灯されますが、大津事件の頃(明治20年代)であれば、現在の五山の他にもたくさんの送り火(かつては十ほど存在したそうです)がおこなわれていたはずです。供養されたのは〈東山辺の松の木〉ですから、やはり近場の大文字で、ということになったのでしょう。そして、歓迎の意としても分かりやすいと考えられます。
五山送り火の中継番組では毎年のように「失われた送り火」についての情報提供を募集していますが(市原村の「い」については研究が進んでいるようです)、その他についてはまともな記録が残されてないことから、たった100年ほど前のことでも不明のまま。何とも歯がゆい思いですが、個人的な興味としては、大正期まで灯されていたという「竿に鈴」の送り火。やはりこれは生殖器崇拝の一環で、ご先祖を送るだけではなく、残された者の子孫繁栄の意も込められていたのではと思うのですが、果たして。

一人暮らし はじめました

2019年08月15日 14時33分21秒 | 日記
お久しぶりです。
GW明け以来3ヶ月ぶりの更新です。
タイミングを逃し逃し……というのが正直なところですが、やはり何かしら定期的に書かないと衰えていきそうな気がして。

この間に、一人暮らしを始めました。
大学も職場も京都なのでなかなか出る機会がなかったのですが、ようやく、です。
一念発起してミニマリストを目指してみようと思ってはみたものの、趣味人には難しいですね。(笑)


29年近く利用してきた西大路駅ともお別れ。最後に降りたのは奇しくも未更新車のA3編成でした。
通過することはあるにしても、今後は乗り降りする機会もあまり無いのだと思うと寂しくなります。

一人暮らしを始めてハマっているのが、料理。


万願寺に醤油を回して軽く焼き目をつけたもの。
高くなっていますが、夏はこれを食べないと。


ご飯に大麦を、味噌汁(インスタント)に干しえびを入れてひと工夫。
今は和食中心ですが、近くのパン屋さんも探しに行きたいと思っています。

そして放置中の模型ですが、


レイアウトについてはほとんどの建物を外して搬入したので、今はご覧の有様です。
街並みはこの機会に考え直しても良いかもしれませんね。しばらくは、KATOから発売されたばかりの四国2000系を周回させて楽しもうと思います。