東日本に国鉄型を追う その4

2023年09月24日 20時41分42秒 | 旅行記
ようやく最終回。
【その3】の続きです。

遅ればせながら、ブログに動画を載せられるようになりました。
というわけで、【その1】に185系鉄道唱歌チャイムを、【その2】に185系土合駅発車シーンの動画をUPしています。合わせてご覧ください。

さて、帰路であることは間違いないのですが、北陸新幹線をさっそく糸魚川で途中下車します。


アルプス口のエスカレーターを降りると、「糸魚川ジオステーションジオパル」の入り口に、以前は置いていなかった小さなSL「くろひめ号」が展示されていました。
かつて糸魚川駅から伸びる専用線で活躍し、廃車となったのは昭和57年のこと。国内最後の実用蒸気機関車とのことで、何度かの移設を経てここに落ち着いたようです。


また、「ジオパル」と言えばこちら。
大糸線で活躍していたキハ52 156が静態保存されています。こちらは確か二度目の見学。




掲示類や整理券箱もそのままに、ほぼ現役当時のまま保存されています。
「塗り」のドアや灰皿(の取り付け跡)のある車両もめっきり見なくなりました。


よく観察すると、手すりから(おそらく)越美北線色時代のクリームが覗いています。
屋内保存なので塗装が傷むことはほとんどありませんが、やはりこうした痕跡を見つけると嬉しいものです。


前後とも引きが無いので顔を撮るのは難しいのですが、バッテリー式の牽引車が繋がっていました。
時折屋外に引っ張り出されるようです。綺麗に撮るにはその時がチャンスでしょう。

また、キハ52の隣には、




「トワイライトエクスプレス」再現車両が展示されています。
こちらは糸魚川産のスギを使用した木製モックアップですが、実車と見間違うくらいの精巧な出来です。実はこのモックアップ、糸魚川での公開に先立って六本木ヒルズでの「天空ノ鉄道物語」展に出張展示されていたことがあり、たまたま東京に用があったときに重なったので見に行った覚えがあります。今回「再会」となりました。

十分に時間を潰せたので、駅前から糸魚川バスに乗ります。




少ない乗客を乗せたバスは駅から南に坂を駆け上がり、「フォッサマグナミュージアム」に到着。
驚くことに、バスを降りるのと入れ替わりにインバウンドの外国人グループが大挙して乗り込んでいきました。
地元京都ではコロナ禍前のオーバーツーリズムが戻りつつありますが、彼らが興味を抱く対象が、意外にも「自分たちが知らない日本」であることはよくあることで、どこで情報を仕入れたのか、彼らのリサーチ力と行動力には目を見張るものがあります。

ミュージアムでは主に日本列島の成り立ちを紹介。
学生時代に「フォッサマグナ」や「糸魚川―静岡構造線」などの単語を聞いてワクワクしていた口なので、一度は来てみたいと思っていました。
が、最も興味深かったのは、メインで触れられていた日本列島の成り立ちよりも、ドイツの地質学者でお雇い外国人だったナウマン(1854~1927)についての展示。
かのナウマンゾウは彼の名にちなんで付けられていますが、当時、彼が地質学的観点から調べ上げて発表した日本の成立過程に森鷗外が強く反論をしたそうです。
結局それは的外れで、鷗外の「若気の至り」だったということが解説文で触れられていましたが、これには思わず苦笑。奇しくもこの旅では初日に鴎外の墓参に行っていますから、こんなところでも鷗外が関係してくるのかと驚きました。脚気の予防法然り、鷗外は時にこうした汚点を残していますが、これもまた、西洋科学という「文明の衝突」を経た近代人の苦悩なのか……。

ミュージアムを出た後は、


徒歩5分ほどの距離にある長者ヶ原考古館へ。
日本の成り立ちを学んだ後は、人が暮らすようになってからの歴史を辿ります。
当地には縄文時代から人の暮らしがあり、採掘される「ヒスイ」を頼りに交易路を切り拓いていったのだとか。青森県の三内丸山遺跡でも糸魚川産のヒスイが見つかったというところに、古代人の浪漫を感じます。


屋外には復元された竪穴式住居があり、当時の集落のイメージを掴むことができます。


内部はこのような感じ。
薄暗いですが、涼しくてなかなか考えられた造りです。上座・下座の概念がない時代ですが、なかったとしても、毎回座る場所は決まっていたんでしょうか。想像を掻き立てられます。

帰りはバスの時間が合わなかったので、フォッサマグナミュージアム内に掲示されていた電話番号からタクシーを呼んで糸魚川駅へ。
再び新幹線で、と思っていましたが、調べたところ在来線が先着で安かったので、えちごトキめき鉄道のET122に乗車します。


この日の乗客は、単行でもいささか持て余し気味。


きらきらとした海沿いを駆けていきます。
途中、親不知で朝に撮影した413系の観光急行と離合しました。次に来る機会があれば、やはり旧北陸本線のこちら側でも撮ってみたいものです。

泊であいの風とやま鉄道の電車に乗り換えます。


乗り換えは確かに手間ですが、縦列駐車のこのスタイルだとそれほど負担にはなりません。

泊から約20分、魚津で下車。
当初考えていた新幹線と富山地鉄を乗り継ぐ行程よりも、20分ほど早く着きました。
遡ること10数年前、友人と急行「きたぐに」で降り立って以来の訪問です。当時は続けてやって来る「日本海」「北陸」をこの駅で撮影し、「能登」のラウンジカーに乗って富山に戻り、高山本線のキハ58系を撮影しに行った覚えがあります。イキり散らかしている頃の記事が残っていたので晒しておきます。若いなぁ。

さて、ここからは徒歩で次の目的地に向かいますが、駅から北にちょっと歩いたところで孤独のグルメよろしく「腹が、減った」と心の声が聞こえてきたので、冷し中華の幟を掲げたラーメン屋さんにIN。


昼飲みもやっている居酒屋のようで、お座敷には地元のお客さんグループ、カウンターには一人客がちらほらといった具合。
帰りの予定を考えながら冷やし中華をいただきました。

体力を回復したところで、再び徒歩を再開。


海沿いにある魚津埋没林博物館に着きました。
ここは今から2000年前には原生林が生い茂っていたそうですが、川の氾濫で流出した土砂によって一帯が埋没。その後の海面の上昇によって海中に「現状保存」されていたところを、昭和5年の漁港工事で偶然にも発掘され、人々の前に樹木が再び姿を現したということです。

さらに特筆すべきは、その埋没林を水槽で囲ってそのまま展示しているということ。


水槽を上から、


そして下からも見ることができます。
この建物は半地下構造でひんやりとしていて、人気もなく独特の雰囲気。
水中に閉ざされたままの原生林が、我々の一生よりもずっと長い時の流れがあることを教えてくれます。水族館や動物園のように何か動きや変化があるわけでもありませんが、ずっと見ていて落ち着く空間でした。旅の最後に、贅沢な時間を過ごすことができたと思います。

帰りも魚津駅までは歩きます。
市街地を循環するバスがあるのですが、微妙に時間が合わず断念。


行きも歩いたこのだだっ広い道、もしやと思って調べてみれば、やはり専用線の廃線跡でした。


近年までレールや枕木が残っていたようですが、今は撤去されて更地に。
それでも、石積みの橋台が残っていました。

また、これも行きには気付かなかったのですが、


駅構内にある案内標識(?)は時刻表の裏面を再利用したものでした。
今ではほとんど見なくなった縦書き表記、そして「きたぐに」「北越」などの列車名ももはや懐かしくなりつつあります。
ところで、長らく「きたぐに」の魚津駅発着は4時台だったと記憶していますが、この時刻表では5時20分発。調べて遡ると、JR発足後の1988年当時はその時刻で走っていたようです。当時の「きたぐに」は国鉄色、普通列車の419系や475系は赤色に白帯の時代でしょうか。
来春には北陸本線が大幅に短縮されてしまいますが、今もその片隅で、その残滓がひっそりと佇んでいることが、ちょっと嬉しい発見でした。

さて、ここからは京都へ帰るのみ。

魚津から富山に出ると観光列車の「一万三千尺物語」が停車していました。


登場当初に一度乗車したことがありますが、これも今や貴重な国鉄型車両。
「あいの風~」の413系も入場中の「とやま絵巻」を含めるといよいよ残り3編成となってしまったようで、今後の去就が注目されます。城端線や氷見線も「あいの風~」に経営移管されるようですから、次期観光列車があるのなら、両線と北陸本線を直通できる気動車の方が都合が良さそうで、そうなると「べるもんた」と「一万三千尺」を統合したような列車かなと勝手に予測していますが、果たして。

富山から金沢は再び北陸新幹線に乗り換えますが、


車内販売で缶コーヒーを買いました。
この後しばらくして東海道新幹線での車内販売大幅縮小が発表されましたが、東日本では当面の間継続する方針のようです。ということは(東海道新幹線のグリーン車に乗らない場合は)、敦賀まで行けばとりあえず例のカタイアイスは手に入りそうで、それほど縁遠くはならなさそうですね。


金沢からは「サンダーバード40号」のグリーン車に乗車します。
途中の停車駅は福井・京都・新大阪のみの最速達便です。来春の新幹線開業で「サンダーバード」は全列車が敦賀止まりになることから(この時は発表前でしたが)、最後に敦賀通過を見届けておこうとこの列車を選びました。


富山で調達しておいた「白えび天ぷら丼」を広げます。
ますのすしで有名な「源」の製造ですが、開けると白エビの風味が食欲をそそります。たっぷりの白エビ天ぷらに、半熟卵の天ぷら(初めて見ました)がご飯によく絡みます。付け合わせの赤かぶも天ぷらという徹底ぶりで、食べ応えはじゅうぶん。リピート決定です。

旅の余韻に浸っていると、列車は北陸トンネルを抜け、敦賀を通過。

【サンダーバード40号敦賀駅通過】


既に新幹線の駅舎が全容を現しています。「East i」による試運転も始まったそうで、ここからの半年、さらに盛り上がっていくのでしょう。
欲を言えば武雄温泉のような乗り換えが理想的ではありますが、今回訪れた地域へは更なる時短効果が見込めますから(「乗継割引」の廃止で京都から富山へは逆に安くなるのは意外でした)、また新しい旅を提案してくれることでしょう。
そして、新設されるという若狭方面への観光列車も楽しみです。

列車は再びスピードを上げて滋賀県に入り、夕陽に照らされる琵琶湖を横目に南下していきます。
湖西線はこうして琵琶湖が長々と寄り添ってくれるので、帰路でもそれほど寂しさは感じません。
とは言えそこは俊足の「サンダーバード」、大津あたりでいよいよ青白くなろうとした琵琶湖に別れを告げると京都へはあっという間。


19:38、定刻通り到着しました。
金沢での乗り継ぎを経験するのはひょっとするとこれで最後かもしれません。今までは乗車ばかりだったので、今度は北陸本線内で長編成を撮影してみたいものです。

さて、旅行記はこれにて完結。
子どもが寝静まった後に、あるいは休日の午後に少しずつ書き連ねてきましたが、3ヶ月かけて巡ったことで、旅の思い出がより充実したものになった気がします。
長々とご覧いただきありがとうございました。

(8月・9月と家族旅行に出かけたので、次回はその記事をUP予定です)

東日本に国鉄型を追う その3

2023年09月16日 20時59分59秒 | 旅行記
9月も半ば。
厳しい残暑が続いていますが、未だに6月の出来事を引っ張ります。

【その2】の続きです。

この日は上越妙高のホテルをチェックアウト。
駅のコインロッカーに荷物を入れ、身軽になってから「えちごトキめき鉄道」で南下します。


やって来たのはET127系の6両編成。この日は日曜日でしたが、いわゆる「輸送力列車」の類でしょう。
乗客は少ないものの、長大編成の車内を車掌さんが時折巡回し、途中にはスイッチバックの折り返しも。休日には急行間合いの413系も走っていますから、まだまだ国鉄/JRの雰囲気を色濃く残していると言えるでしょう。

今回は、その「スイッチバック」のある二本木で下車。
いったん折り返し線に入り、運転士さんは移動することなくバックで駅に進入、そのまま妙高高原に向けて出発していきます。
スイッチバックと言えば今まで出雲坂根や坪尻のような運転士さんが前後に移動する「儀式」のある形態ばかり体験してきたので、それが無いのは却って新鮮でした。


関山へ向けて坂を登る6両編成をお見送り。


対向の直江津行きは新潟色のラッピングが施されていました。
かつて走っていた旧型国電をイメージしたカラーリングです。最近ではJR型車両に国鉄時代のカラーを再現した「イメージ車両」が続々登場していますが、このET127系の場合は特徴的なブラックフェイスをラッピングで覆い隠し、また灯具類の形状ももともと丸型であることから、それほど違和感はなく、むしろ似合っていると言えます。


二本木駅舎。
以前「雪月花」に乗車した際にはホームに降りる時間がありましたが、駅舎の外に出たのはこれが初めて。

さて、有名撮影地に向けて歩きます。
駅からは一応乗合タクシーがあり(上の画像に見える停留所です)、道中でも停留所を幾つか見かけたのですが、残念ながら平日のみの運行。


歩いているこの道は、北国街道のようです。
かつては善光寺参りの旅人や越後を目指す商人らが往来したのでしょう。


先述した乗合タクシーの「二本木本村上」停留所。
読みは「にほんぎほんむらかみ」でしょうか? 「もとむらかみ」? 偏を含めると「木」が4つも隠れています。
住所を書くとき間違えてしまいそう、というのは大きなお世話かもしれませんが。


予定では行きに乗車した6両編成も撮影地で収めたかったのですが、間に合わず道中で遭遇。
高低差のある築堤にガーダー橋、田園の風景は模型的で可愛らしくもあります。

思いのほか時間がかかり、40分ほど歩いて撮影地に到着。
お目当ては例の「急行間合い」の413系ですが、ポイントに辿り着いたのが二本木駅発車時刻。
急いでカメラを構え、懐かしいタイフォンの音が聞こえたかと思えば、3両編成が軽快に高原を駆けていきました。


クハ455-701先頭の快速列車。
413系自体はあいの風とやま鉄道で現役ですが、このクハ入りの編成が譲渡されて生き残るとは思いませんでした。この形態での交直流急行色は現役当時に纏うことのなかったカラーリングですが、この1両の存在こそが集客に繋がっているようで、これも「イメージ車両」の一環と言えることができるでしょう。


413系/475系と言えば北陸筋のイメージが強いですが、妙高の山並みを背景にしてももちろん絵になります。
願わくば189系が走っている頃に来てみたかったですが、おカネのなかった学生時代は敦賀に出るのでやっとでしたから、なかなかこちらまで来ることができませんでした。アングルも自由自在、キャパも広く、また来てみたい撮影地です。

この快速を撮影してから二本木駅に戻って今度は乗車をと試みていたのですが、どう考えても間に合う距離ではないことから、
そのまま線路沿いを歩いて近くの鉄橋に移動し(行きに撮影したET127系の6連が映っている築堤の反対側です)、折り返し列車を待ちます。


今度は最後尾になりますが、往年の急行列車らしく切り取ってみました。
実は通過の数分前にカモの親子連れが川をプカプカと泳いでいったのですが、そう易々とタイミングは合わないものです。
この後クハ455含む3連は「本業」の急行運用に就きますが、時間の関係でここでお別れ。またの再訪を誓って二本木駅に戻ります。


待合室兼カフェでアイスコーヒーを頼んで涼みます。
朝には開いていなかったのですが(10時OPEN)、道中があまりに暑かったので帰りはここに寄ろうと決めていました。駅スタンプも営業時間内なら押せます。


上越妙高に戻り、新幹線で次の目的地へ。
ここからだと乗り換え1回で帰れてしまいますが、まだ少し寄り道をします。

【その4】に続く