名松線に乗る

2018年12月06日 02時11分10秒 | 旅行記
12月に入りました。
今年の出来事は今年のうちに、と思い、「夏の」18きっぷ消化の旅についての備忘録を記しておきます。
今から3ヶ月ほど前、9月9日の出来事です。

さて近場の路線は大体乗り潰していますが(その割に和田岬線や羽衣支線は未乗ですが)、一定の距離があり長らく未乗だった路線が三重県を走るJR東海の名松線でした。近年では災害不通から復活を果たしたのも記憶に新しいですが、それ以降はとくにこれといったニュースを聞くこともなく、平凡な日常が流れているようです。
いつかは乗りに……と思いながら月日が流れてしまいましたが、ネックになっていたのが18きっぷ(JR)で三重県入りする場合の何度にも及ぶ乗り換えの面倒臭さで(コスパと接続の良さは重々承知ですが)、まぁそんなことを言ってしまうと何処にも行けないのですが、とにかく朝はゆっくりしたい、行きは楽をしたいので近鉄で。(笑)




「伊勢志摩ライナー」のデラックスカーに身を委ねて松阪を目指します。乗るのは小学5年生以来でしょうか(当時乗ったのはもちろん普通車)。京都市内の小学校では高学年になると学校行事で三重県にある「みさきの家」という宿泊研修施設でアウトドア体験をするのが恒例となっているのですが、その帰路に賢島から乗車したのが同列車でした。ちなみに往路はビスタカーで、二階席が割り当てられたグループを羨望の眼差しで見つめていたのを思い出します。


京都線・橿原線を順調に南下し、やがて連絡線を介して大和八木の大阪線ホームへ上っていきます。カーブに差し掛かったときに編成の先頭が見える景色、けっこう好きです。




松阪に到着しました。DXシートということもあったのでしょうが、乗り換えナシの約2時間はやはり快適です。
名松線の列車までは時間があるのでまずは駅弁を調達し、駅南側の踏切で撮影をします。


キハ85系の「南紀」がやって来ました。「ひだ」は常日頃から見慣れていますが、やはり非電化区間で撮ると普段にも増して格好いいのは気のせいではないでしょう。水色基調のHMも新鮮です。ここで格好良さを再認識したのか(?)11月には高山線の撮影に出かけています。(笑)


(帰路に撮影)
頃合いを見計らって名松線ホームへと戻りますが、キハ11の単行は既に「同業者」で1ボックスに1人程度の埋まり方を見せており、空いていたロングシートに座って発車を待ちます。松阪発車直後は都市近郊の田園風景といった感じで地元利用者の姿も見られ、やがて交換駅の家城(いえき)に到着。


(構内踏切より撮影)
停車時間があったので外に出てみます。少し前までは主流だったNDCの流れを汲むキハ11も今や国内では9両のみ、JRではここ名松線で300番台の4両が「最後の楽園」を形成しています。置き換えは当分先でしょうが、ローカル線で細々と活躍する少数形式の姿を収めたい、というのも今回訪問した理由の一つでした。




家城駅舎外観と内部。
当駅を境に松阪方面が票券閉塞式、伊勢奥津方面がスタフ閉塞式となっており、その運転扱いがあるため線内唯一の有人駅となっています。故に列車の発着時間帯は閉まっていますが窓口が現役なのは嬉しいことです。


9月とは言え空模様はまだ「夏」。


やがて駅員さんの見送りで松阪行きの列車が出ていきます。効率化・合理化の風潮のなかでこうした路線が維持されているのはやはり東海道新幹線のお陰でもありましょう。

程なくしてこちらも出発、徐々に山が近付いてきて秘境ムードが高まってきますが、


終点の楽しみは先にとっておくこととして、少し手前の伊勢鎌倉で下車します。


伊勢鎌倉は待合所のみの無人駅。そろそろ松阪で調達した駅弁を……と思ったのですが、締め切りの効く待合室は熱が籠ってとても長居できそうになく、そういえば駅到着前に雰囲気の良さそうな渓流を通り掛かったことを思い出し、歩いて河原へ。


岩場に腰かけて「モー太郎寿司」を開けます。松阪ではご当地松阪牛を使用した駅弁が幾つか販売されていますが、なかでも安価でリュックの中で傾いても安心(笑)なのがこのお寿司でした。牛肉のしぐれ煮が酢飯と妙にマッチします。

食後は列車が来るまで自然散策。


少し大きめの石をひっくり返すと沢蟹が居ました。川が綺麗な証拠です。

そろそろ列車の時間。


伊勢奥津で折り返してきた列車が鉄橋上をゆっくりと通過していきます。車内には恐らく先ほどの列車で一緒だった人が大半でしょう。

撮影を終えて駅に戻りますが、


伊勢鎌倉で下車したときから気になっていたのが駅前の廃屋。
こうした立地なので元は駅前商店か旅館として賑わった時代があったのでしょう。誰が暮らしていてどうしてここを去っていったのか……それにしても、布団が置かれているのが妙に生々しいです。


駅に戻ると伊勢奥津行きの列車がやって来ました。写真奥の鉄橋が先ほど撮影していた場所です。


再び乗った列車もやはり同業者が9割に地元利用者が1割ほど。
最前のロングシートが空いていたので、前面展望を愉しみながら終点の伊勢奥津に到着しました。


伊勢奥津は住民センターが併設された綺麗な駅舎ですが、例によって駅としての機能はごく僅かな無人駅です。


駅近くには元伊勢街道が通り、往時の雰囲気がそれなりに残されています。


駅前広場の片隅に立つ三重交通のバス停。


かつて名松線が延伸を目指していた名張まで抜けられるのは早朝の1本のみ。反対に奥津行きは夕刻の到着ですが、日の長い時期でないと楽しめないですね。


帰りはそのままとんぼ帰りもおもしろくないので、名松線と並走する美杉町コミュニティバスに乗車してみました。
地元利用者以外が乗るのは珍しいのか行先を尋ねられ、「家城駅まで行きたいのですが」と告げたところ、鉄道ならば終点で乗り継ぐと近鉄の榊原温泉口駅まで抜けることが出来ることを教えてもらい(乗継制度があるらしく1本目のバス運賃のみで済む)、これを聞いて一瞬悩んだのですが、18きっぷ使用であることを思い出し、当初の予定通り家城駅の近くまで(家城駅前には乗り入れない時間帯のようです)乗せてもらうことに。

こうした路線バスでは終始無人のことも多いのですが、今回は途中の作業所やスーパーでは乗降があり、そのたびに運転手と乗客が互いに声を掛け合う光景が見られました。バスが文字通り「コミュニティ」の場と化しており、なくてはならない地域密着路線なのだと認識。
当初の予定通り家城駅近くのバス停で降ろしてもらい、


伊勢奥津を折り返した列車よりも先に家城駅へ。
当然、列車内には先ほど伊勢奥津駅まで一緒に乗り通した面々ばかりでしたが、伊勢奥津で一緒に降りた人間がワープしているわけですから、ちょっと不思議な目で見られたような。(笑)
多少の気まずさと優越感が入り交じりながら、列車はもと来た道を松阪へ。ここからは18きっぷを活かして紀勢・関西・草津・東海道経由で帰ります。


帰路はキハ25に初めて乗車しました。ロングシートは旅人にはすこぶる不評ですが、部活帰りの高校生がきちんと詰めて座っていたのを見て納得。先代のキハ11系は収容力に劣り、キハ40系だとボックスシート主体で詰め込みが効きませんでしたから、ロングシート車の投入もむべなるかなといったところでしょう。今回のような松阪から亀山といった短距離ならばロングシートでも苦にはならず、遠距離利用者は特急で、という会社側の意図(あるのかは不明)も最近は体力的なこともあってすんなり受け入れられるようになってきました。18きっぷと特急、あるいは私鉄との組み合わせは無理せず効果的に使っていきたいですね。
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「トワイライトエクスプレス瑞風」を撮る その5

2018年11月12日 03時05分32秒 | 鉄道関係
11月に入り、京都市内は一層の混雑を迎えています。
寺社仏閣よりも里山の紅葉が美しい、と気づかされたのは昨年の因美線駅舎巡りにおいてですが、またそんな風景に出会えることを期待して、「瑞風」の運転日に合わせて今度は京丹波町へ。
道中では案の定嵯峨嵐山で多くの降車がありましたが、園部を過ぎて日吉まで外国人観光客の姿が。駅前の南丹市営バスに乗り継いでいったところを見ると美山を目指すのでしょう。彼らもひょっとするとありふれた「京都」の紅葉ではなく、日本的な里山の風景を欲しているのかもしれません。

下山で降りたのは約10年ぶりですが、前回は駅近くに架かる高屋川橋梁でいつ来るとも分からない「エーデル」を待ち構えていました。
付近には撮影地が点在していますが、今回は和知寄りに北上した質美川橋梁へ。最後に当地が賑わったのは国鉄色の381系が引退した一昨年頃でしょうか。JR型ばかりとなった現在は元の静けさを迎えています。


20分ほど歩いた集落から棚田へ。
被写体は橋梁を渡る列車がメインとなりますが、意外にもアングルは自由自在。287系の白い車体が映えます。


「丹後の海」。カニシーズンに入ったので(おそらく)来春まで6連が続きます。




特急は編成が切れてしまいますが、2連の普通列車は橋梁や里山の風景に綺麗に収まります。

そして正午前に轟くエンジン音……




お目当ての「瑞風」がやって来ました。
息を吞む美しさとはこのことを言うのでしょうか。美しい日本の美しい列車を収められた満足感に、しばらく立ち尽くしてしまいました。
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秋の「SL北びわこ」を撮る(C57 1号機代走継続)

2018年10月23日 22時44分52秒 | 鉄道関係
前回からしばらく更新が滞ってしまいました。
理由としては、9月下旬にイベントが相次いだこと(いわゆる学園祭です)、10月上旬に諸々の〆切があったことなどが挙げられます。
ブラックな実態が叫ばれて久しいこのお仕事ですが、そんななかでも休日は日帰りの旅を重ね、先日も学会で東京を訪れた折に院生時代の指導教授や後輩と旧交を温め、さっそく翌日の授業に還元(さすがに一部ですが)しているのですから、まあまあバランスはとれているのかもしれません。

そのせいで書き溜めている旅行記は多いのですが、20日(日)は久々に湖北を訪れました。
C57 1号機での代走が続く「北びわこ号」ですが、この日は20分ほど遅れて河毛を通過。


北陸自動車道を潜った直後から緩やかな勾配を上ります。
ちょうど昨年撮っていたポイントの反対側。当時はC57が登板するとは思いもしませんでした。


この日は秋晴れでしたが、やはり1号の時間帯だと光線は良くないですね。
メインは↓の写真で、雰囲気としてはとても良い場所なのですが……。


サイドビュー。
結局のところ「北びわこ」は残りの運転もC57の牽引となるようですが、せっかくなのでもう少し、貴婦人との逢瀬を楽しみたいと思います。

撮影を終えた後は「しらさぎ」で福井へ飛び、歴史博物館を回ってから温泉に浸かってきました。
いつ詳細を書けるともわからないので、とりあえず「行った」という事実のみ述べておきます。(笑)
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夏の終わりの西播へ

2018年09月15日 17時48分10秒 | 旅行記
表題の通り、今からひと月ほど前、8月19日(日)のお話です。
18きっぷの消化と言えばここ数年は「新快速」走行範囲の西端、姫路方面へ行くのが恒例と化していましたが、最近はシーズン外に「関西1デイパス」で同地域を訪れることが多く、ならば「1デイ」では乗れない路線に乗ろう、ということで今回は姫新線を訪れることにしました。記憶が確かであれば約4年ぶりの乗車となります。

急ぐ旅ではないので、「高槻から快速」の加古川行きでのんびりと、加古川で接続する新快速に乗り換えて姫路へ。支線区への中間改札が設けられてから初めての乗り換えとなりますが、有人改札で18きっぷを呈示すると(当然ながら)すんなり通れました。ホームの端に停まっていたキハ122の単行は既に満員。とは言え、短距離利用者が多いのか通路側の空席がちらほらあったので空いた区画に腰掛けて発車を待ちます。座席や車体は223系とそう変わりませんが、走り出すとやっぱり気動車、ディーゼルエンジンの鼓動が座席を通じて伝わってきます。


2駅目の余部で立ち客がなくなり、続いて4駅目の本竜野で大半の乗客が降りていきます。
私もここで下車。「本」を冠する通りたつの市の代表駅で、山陽本線の竜野駅は5kmほど離れた揖保川の下流に位置しています。橋上駅舎を出てしばらく西へ進み、川を渡ると城下町が広がっていて、いかにも、というか、ありがちな景観が広がるのですが、





……


………人がいません。(笑)
「そうめん揖保の糸」や「ヒガシマル醤油」こそ有名ですが、それらを取り巻くこの町じたいはそれほど知名度が高くないのか……人は見ない代わりにたくさん飛んでいたのが赤とんぼ。秋が近いということもあるのですが、当地出身の詩人・三木露風もこのとんぼを見て育ったのでしょう。


そんな街並みを通り抜けて、龍野城跡近くに建つたつの市立龍野歴史文化資料館を訪問。
ここで「維新のたつの~最後の殿様と龍野県~」展を見学しました。先日訪れた桑名市と同様に明治150年を記念した展示ですが、こうした小藩が迎えた幕末維新はこのような機会でもないとなかなか知ることができませんから非常にありがたいです。

龍野城は江戸期に再建された後は脇坂家が代々治め、最後の藩主、そして藩知事となったのが脇坂安斐(やすあや)。展示は彼の半生にスポットを当てており、京都所司代を務めていた頃の警備を示した図や(御土居堀が描かれていた)、幕府の第一次長州征伐の際に宿場における収容人数を記した図、廃藩置県によって龍野を離れる際、民に示した心得など、藩と歴史上の出来事とのかかわりがよくわかる展示でした。
また常設展示では幕末維新期に限らない龍野の歴史について触れられており、播磨で現存する唯一の検地帳や、当地も高瀬舟による舟運がおこなわれていたことを知りました。この記事を書くにあたって再度資料館のHPを参照したところ、10月は姫新線にかんする展示が催されるようで……また行かないといけませんね。(笑)

資料館を出てからは付近の散策へ。
甘いものでも食べたいな、と思っていると古民家を活用したお休み処を見つけました。


地元のご婦人が運営されているようで、アイスケースに「しょうゆアイス」「そうめんアイス」(いずれもご当地モノ)が並んでいるのを見つけ、これは珍しいと思いどちらがオススメかと尋ねると後者を勧められました。


アイス自体は「塩バニラ」のような感じで、刻んだそうめんのもちもちとした食感がアクセント。意外な組み合わせですが猛暑にはぴったりでした。是非お試しあれ。

さて、お休み処で頂いた観光案内図を手に旧脇坂屋敷を目指して散策を続けます。




旧脇坂屋敷。前述の通り脇坂家は廃藩置県に伴い華族となって東京に移り住むのですが、その後、明治10年に龍野へ帰還。以来の住居だそうで、戦後までは人が住んでいたようです。

ここまで結構な道のりを歩いてきましたが(駅のレンタサイクルにしておけばよかった……)、さらにこの先の龍野公園には茶室があるとのことで、もう少し奥へと進みます。


階段を上っていくと、


電線類が邪魔ですが、龍野の景色が広がります。


振り返ると聚遠亭茶室。これも脇坂安斐が京都所司代の頃に孝明天皇から下賜された茶室を移築したものだそうで、池に浮かんでいるのが特徴。


屋根を見れば、脇坂家の家紋「輪違」。


この日は閉まっていましたが、水際の茶室というのは何とも涼しげです。

一通りの散策を終えたので、再び揖保川を渡って本竜野駅方面へと戻ります。
せっかくなので地元の喫茶店を訪れておきたいと思い、


マックスバリュの近くにある喫茶ペリーヌで休息。
こうした純喫茶を訪れることも最近の旅の楽しみの一つです。数人の常連客に混じってケーキセットを。

時刻も16時を回り、そろそろ帰ろうと本竜野駅へ向かいますが、そういえばキハ122・127の走行写真を撮ったことがないことに気付き、近くの踏切に回ってみれば……姫路方面にお誂え向きのカーブが広がっていたので構えてみます。


カーブの向こうから姿を現したのはキハ127の2連。単行では物足りないところなのでちょうど良かったです。


振り返ると列車交換、今度は姫路行きが発車します。
データイムの本竜野は行き違い駅なので両方向ともこの後は30分待ちとなるのですが、この時間は近くの「堂本」バス停から姫路駅行きの神姫バスが数分後に出るのでそれに乗車しました。


起終点共に鉄道と重複しているので車内はガラガラ。バスは時間1本で所要時間は約40分。JRの時間2本・約20分と比べると利便性の差は明らかですが、それでも姫路の市街地に近づくにつれ席は埋まり、ほぼ満席状態で姫路駅北口に到着。ここからは新快速1本で帰りますが、階段を上がると停まっていたのは……


団体専用の117系でした。車内に「金光教」の文字が見えたので岡山から来たのでしょう。10年ほど前は特急型の485系やキハ181系が使用されていたように記憶していますが、思えば波動用車両も数を減らしたものです。臨時列車ゆえに足は遅いだろうと、直後の新快速に乗ってみれば早くも2駅先の御着でこの金光臨を抜き去り、後はいつも通り寝て過ごしながら1時間半の後には帰洛を果たしたのでした。
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「ハローキティこだま」を撮る(神崎川から)

2018年09月03日 00時49分17秒 | 鉄道関係
9月に入り、外で鳴いている虫の音で秋の気配を徐々に感じています。
あれだけの酷暑に見舞われた夏も終わるとなればやや寂しさが付きまとうもので、「さよなら夏の日」なんか聴きながら、今年の夏も、なんにもできなかったことを嘆きます。
「平成最後の夏」かぁ……。

さて、2日(日)は「ハローキティこだま」を撮りに、以前から行ってみたかった神崎川へ。
JR東西線の加島駅から徒歩10分ほどの神崎橋からの撮影です。河川敷に下りることもできるようですが、とりあえず無難にアイレベルから。


予想に反して晴れたので空を入れてみました。
足回りは入りませんが、特徴的なピンクを纏った車体の大部分が写るので、ただでさえ制約の多い新幹線の撮影地としては満足です。川幅が広いので、なんとなく浜名湖にも似ていますね。


新大阪を出てすぐなのでそれほどスピードも出ておらず、橋梁自体も長いので後追いも可能です。
加島駅は大阪市に位置していますが、神崎橋の西詰は既に兵庫県尼崎市。周辺には工場が建ち並び、阪神工業地帯の一角を成しています。思い出すのはやはり『華麗なる一族』……。(笑)


せっかくなので数分後の「みずほ」も記録。
8両編成は架線柱6本分に収まるということですね。天候や季節によって様々な撮り方ができると思うので、また訪れたいと思います。

帰りは尼崎まで歩いてみましたが少々距離がありました。大人しく加島に折り返すべきでしたが、金券自販機で余命僅かの昼特きっぷが買えたのが収穫でした。(笑)
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