Terminus

2013年03月31日 23時50分24秒 | 日記
平成24年度も最終日。
GARNET CROWの解散は何となく予想していたものの、いざ発表されるとやはり残念ですね。
高校の頃に地元ラジオ局の番組で知って以来、ひっそりと聴いていたのですが…。
しばらくは、先日発売されたアルバムを聴きこむことにしましょう。

さて、28日から30日にかけて行ってきた、今年度最後の旅の様子を写真で簡単にお伝えします。



















そして突然ではありますが、当ブログも年度末を区切りに、しばらく更新を停止します。
落ち着き次第、意外と早いうちに再開するかもしれません。

後日譚

2013年03月24日 22時52分31秒 | 日記
春眠暁を覚えず。
昨日今日と某町家で大学絡みのアルバイトだったのですが、両日とも開始の1時間前に起床する始末。
結局間に合っているからいいものの、起きてからの時間はもう少しゆとりを持ちたいものです。

さて、昨夜は突然呼び出され、寒空の京都駅大階段へ。
最後に会いたかった人と、小一時間ほど話をする機会がありました。
人間というものは案外、こんな場面でも他愛のない話をしてしまうもので、寂しさはあれど、不思議と悲しい気持ちにはなりませんでした。むしろ、これからの希望と展望を語り合って、次に会う時の楽しみが出来たように思います。
その後は初めて新幹線のホームで見送るという「体験」をしたのですが、実際に見送ってみて思ったのは、平凡な人間がやっても、すごくドラマチックだということ。
日本の新幹線が誇る定時性を若干恨みつつも(笑)、この出来事は一生忘れないんだろうな、と思いました。
動き出した最終の新幹線はあっという間に漆黒の東山へと消えて行き、数日に亘って続いた卒業関連のイベントもこれでおしまい。
次に会う時は、また一回り成長出来ていればいいなぁ。

今日は件のアルバイトの後、流れでそのまま友人の下宿へ。
過去4年間、多くの人々の下宿にお邪魔してきましたが、4回生になってからはそれ自体をする機会がほとんどなく、今回は実に久々のことでした。
自宅生からしてみれば、下宿生の暮らしはとても羨ましく思えたものですが、きっとそれなりの苦労もいろいろとあったのでしょう。
そんなことに思いを馳せつつ、やがてもう一人の友人も合流、もう最後なので4年間のアレコレを言いたい放題話した後、鴨川のほとりで解散。
この友人をはじめ、親しくしていた何人かの友人は共に大学院に進学するということもあり、少し安心していることもまた確か。
駆け巡る寂しさの裏側で、4月からの新たな日常に向けて、だんだんと、ポジティブなやさしい気持ちが芽生えているような気がします。

写真は昨夜、京都駅1番線(中線)に突如滑り込んできた「甲子園臨」。
停まっている場所こそ違いますが、在りし日の「日本海」を想起させる光景でした。

エンドロール

2013年03月22日 23時42分55秒 | 日記
昨日は卒業式でした。
少し寒かったものの、天気は晴れてくれて何より。
実は直前まで全く卒業する実感は無かったのですが、大学に着くと平時とは明らかに異なる雰囲気で、いよいよ「その時」が来たのだなと思い、気を引き締めて体育館へ入りました。

最後はやっぱり自前の羽織袴で。
専攻の男子のなかでは一人だけだったので、思いの外注目を浴び、写真撮影では引っ張りだこ、最後の最後で人気者になれました。
今回の格好は太宰治をイメージしていたのですが、何人かの文学好きな人には「太宰っぽい」と言われたので、とりあえずは満足です。
女の子の方も、色とりどりの袴で、いつもより、いや、いつにも増して、きれいに、美しく見えました。

式そのものは意外にも呆気なく終わり、以降は専攻ごとに分かれて教室へ。
いかにも「卒業式」といったように一人ずつ名前が読み上げられ、学位記と、私は教員免許状(高校国語・高校地理歴史・高校公民)も授与されました。
学位記もそうですが、教員免許状の方は実物を初めて見たのでしばし悦に入って眺めてしまいました。
しかし、これを得てからがほんとうのスタートで、今後はこの免許を活かせる人間になりたいと思いますが、4年間の成果の一つとして、3種もの教員免許状を手に入れたことがまた一つ自信に繋がったようにも思います。

授与が終わってから何となく学内をうろついていると、後輩の歓迎を受け、寄せ書きのアルバムがもらえました。
まさかこうしたものがもらえるとは全く予想していなかったので嬉しかったです。忙しい就職活動の間を縫って作ってくれたのでしょう。早速開けてみると、ありがたく、あたたかいメッセージの数々。
後輩と直接、頻繁に関わったのは2回生の半期という短い間ではありましたが、本学の誇るべき制度の一つであるオリター活動に関わって良かったと思いましたし、何より周りの人に恵まれた4年間であったことを強く実感しました。

そして無事に完成したゼミ論集も受け取りました。タイトルは「美しい京都の私」。
元ネタは川端康成のノーベル文学賞受賞時の講演「美しい日本の私」に因るもので、私が思いつきで言ったものが何とそのまま採用されてしまいました。
(因みに、川端の後にノーベル文学賞を受賞した大江健三郎は受賞時に「曖昧な日本の私」という講演をしている)
巻末の編集後記も担当しましたが、その出だしは「恥の多い学生生活を送ってきました」というもの。
数年後に読み返したら、おそらくほんとうに「恥」と化すのでしょう。

それから一旦帰宅して、袴を脱いで着流しになった後は、東山区某所で専攻の謝恩会。
男子は基本的にスーツのまま、女の子はいつの間にかパーティードレスに着替えていて、式とはまた違う雰囲気で食事と歓談を楽しみました。
抽選会ではお菓子の詰め合わせを引くという幸運にも見舞われ、大いに盛り上がったパーティーでありましたが、ここで多くの皆さんとはほんとうにお別れ。

「ありがとう」
「お元気で」
「またどこかで会いそうな気がするね」

パーティー特有の喧騒の中、多くの人たち、そして先生方とも、これで(一旦)最後になるであろう会話を交わすことが出来ました。
いちばん話したかった人とは、最後の最後に、二言三言交わしたのですが、そこで初めて泣きそうになりました。
話したりないことは、次に会う時の楽しみにしておきましょう。

2次会はゼミのメンバーで先斗町のバーへ。
漆黒の鴨川を眺めつつ、相変わらず他愛もない会話に花を咲かせ、いい感じに酔いの回った23時半、いつものように「じゃあ、またね」と言って、ひとり路地に消えました。
(もちろん霧のように消えたわけではなく、きちんと木屋町通でタクシーを拾った)

そして今日。
何もすることがなかったので、行きつけの喫茶店で論集に目を通し、4年間で思い出に残った場所を巡っていると、同じゼミだった女の子に出町でばったり。

「また会ったね」
「何してるの?」
「ひまつぶし」
「また会おうね」
「うん」

鴨川の桜は、もうすぐ咲きそうです。

ひとつ、またひとつ

2013年03月17日 23時05分01秒 | 日記
花粉症も落ち着いて、幾分楽になりました。
いつの間にか卒業式まで一週間を切り、大学は嵐の前の静けさといった雰囲気。
ほんとうに1月、2月、3月は早く過ぎていきます。

昨年5月から始めた博物館のアルバイトが、今日で年度内ラストでした。
最近は戦時中の新聞を読む機会が多かったのですが、戦意を高揚させる報道は加速する一方で、紙の節約のために朝刊と夕刊が統合、それもペラペラの表裏1枚になっていく様子はやはり時局の悪化を反映しているように思えます。
また、山本五十六の死が全ての紙面を使って報道されていたり、東條英機が国会で答弁をしている写真も目にしましたが、いずれもこれまでテレビや書籍で「歴史上の出来事」として認識してきたことが、新聞のようなナマの資料に触れることによって、その時代に「ニュース」として確かに存在していたことを改めて実感させられます。至極当たり前のことではありますが…。
学部での4年間、とりわけこの1年間は戦争や平和について考える機会を積極的に設けてきたつもりですが、後世に生きていく人間として、一面的ではなく、多様な視点からみた戦争の記録・記憶を受け継いでいくことは重要であると考えています。
そう思うと、新聞を一部ずつ資料として整理していく過程は、まるで墓標を建てているかのよう。
是非来年度も続けていきたいものです。

写真は京都口の183系最終運用列車となった特急「きのさき17号」。
最後は何処で見送ろうか迷ったのですが、バイト帰りに京都駅近くの線路際で。
ここを歩いているとたまに背後から183系がやって来て、その音と迫力に驚かされたものでした。

記憶の中へ

2013年03月15日 01時33分47秒 | 鉄道関係
※14日(木)の記事です。

気付けばダイヤ改定目前。
始発で福知山へ向かい、定期運用から離脱するKTR001系と183系に別れを告げてきました。
それでは一気に。


4004D特急「たんごリレー4号」 大江高校前


4006D特急「たんごリレー6号」 宮村~喜多


1609D快速「大江山浪漫号」 宮津~天橋立


5081M特急「はしだて1号」 同上


4081D特急「たんごリレー81号」 同上


4008D特急「たんごリレー8号」 宮津~宮村


右:4003D特急「たんごリレー3号」、左:4086D特急「たんごリレー86号」 網野 


4639D普通 丹後神崎~丹後由良


5090M特急「はしだて10号」 綾部

KTR001系は2編成とも運用に入っていたので効率よく撮影することが出来ました。
合間に宮津の街を散策してみたのですが、城下町の面影が至るところに垣間見えておもしろいですね。
そんな歴史ある街並みを颯爽と駆けて行く金色の列車が見られるのも、あと1日。

長らく北近畿地区を支えてきた2車種ですが、どちらも私にとっては物心ついた時から馴染みのある車両たち。
京都駅の薄暗いホームに停まっているキハ181系国鉄色の「あさしお」がいちばん古い記憶の底にあり、その上にKTR001系のハイデッキと183系(登場時の西日本色6連)の記憶が積み重なっています。
今回はそんな幼少時の心象風景を追いかけながらの撮影・乗車となりましたが、久々に自分の趣味の原点を見つめることが出来たように思います。3年ぶりに降りた丹後由良駅も何も変わっていなくて、不思議と心が落ち着いた一日でした。
両車とも今後の去就が気になるところでありますが、ひとまずこれでお別れです。お世話になりました。

藁一筋の自負

2013年03月08日 23時54分33秒 | 日記
ここ数日で、京都は随分と暖かくなりました。
合わせて花粉症のシーズンも到来ということで、早速鼻の調子を悪くしています。

本日、卒業合否と後期成績の発表があり、無事に卒業出来ることが決まりました。
教員免許も高校国語、地理歴史、公民の3科目を取得出来ることとなり、これでようやく一区切りついたという感じです。
合わせて教育実習簿も返却されてきたのですが、大学のベンチに座って読み返してみると、あの暑い6月の3週間が自分にとってすごく良い経験であったことを改めて実感しました。
受け持った生徒たちからのメッセージと合わせて、大切にとっておこうと思います。

そして、気になっていた総修得単位は213単位。
要卒単位(124単位)を大幅に上回り、当初の目標通り200単位を超えることが出来ました。
これだけ単位を取っているといかにも勉強が好きなようにも思えますが、決して1回生から真面目にやっていたわけではなく(特に2回生はかなりサボりました)、取得した単位のほとんどは3回生以降のものです。
思えばその頃からようやく大学での「学び」のおもしろさや自由さが分かるようになってきたのかもしれません。
また、教職科目を増やしたり、他学部・他大学でへも積極的に赴くようになりましたが、おかげで知識や交流の幅も広がり、やはり「やってよかった」というのが正直な感想です。
もちろん全てA評価であったわけではなく、なかには落とした単位もありますが、「200単位取得」をひとつの目標として、こうして幅広く大学で学ぶことが出来たことはとても嬉しく思っています。太宰が言うところの「藁一筋の自負」ではありませんが(笑)、これは私の4年間における唯一の誇りであるかもしれません。

後はいよいよ卒業式を待つのみですが、来年度に向けての準備、これも着実に進めていきたいところです。
(それと、18きっぷの残り2回分をどうしようかな…)

写真は明後日に定期運用を退く京阪旧3000系。
月末のさよなら運転では、ダブルデッカー車を抜いた7両編成で走るそうです。