雨の向こう

2010年10月31日 23時59分59秒 | 日記
今日は起きると11時。
昼から行動開始!という時に雨が降ってきて…。
仕方なく『古都』を読み進めていました。発表どうしようかな…。


それでも外に出たかったので、昨日買った(記事に書いていませんでしたね…)ブーツをおろすついでに、電車に乗ってイオンモールへ行きました。
雨のせいもありますが、開業当初よりは幾分落ち着いてきた気がします。とは言っても来月5日にヨドバシが進出してくるので、またこちらも賑わうのかもしれません。
京都駅周辺も随分変わってきます。

今日用事があったのはチケットショップ。
リストに載っていた明石駅までの昼特きっぷを求めると、あらビックリ!
京都~大阪(昼特)、大阪~神戸(回数券)、神戸~明石(回数券)と3枚の切符を一緒に渡され、併用して使ってくださいとのこと。これがいちばん安いのでしょうね。
どうやら京都~明石の一葉券としての昼特きっぷは存在しないようです。ひとつ勉強になりました。まぁ、利用上はこのように分割した切符でも問題ありませんし、大阪で途中下車も出来てしまうので合わせてお得とも言えますね。
となると、以前ここで触れた「岡山までの昼特きっぷ」を買った場合は、5、6枚一緒に…(笑

切符を買い終えた後は、ポポンデッタを物色。
今回は店内の隅々を探索してみると、奥に中古品コーナーを発見!
KATOのキハ58が750円で売られていたので買いました。ビニールに入っていただけなのでケースはありませんが、改造ネタにはピッタリです。
それにしても、ポポと言いボークスと言い近場に模型店が増えて嬉しい限りです。以前からの老舗模型店と合わせるとほとんどが揃うようになりました。ヨドバシは置くのかな?

帰ってからは、キハ23の続きと発表準備。
気づけば10月も今日で終わりです。11月はどんな月になるのでしょうか。
大学では発表が2つ、お茶会に向けてお稽古も忙しくなって、なかなか楽しくなれば…いいなぁ。


写真は昨日の分より、向日町で憩うキハ181-45。(敷地外より撮影)
この45番は米子所属時代からこの塗装を纏って「いそかぜ」で九州にも顔を出していました。初期に「つばさ」で走っていた12番もそうですが、運命って不思議ですね。

キハ23 1 完成間近

2010年10月30日 22時59分57秒 | 鉄道模型/製品レビュー・小加工など
今日は台風が近づいて雨が降る予報でしたが、結局何も無かったようです。
いずれにせよ外出する予定は無かったので、昼までずっと寝ていました。
夜はまたコソコソと長岡京の方へ…。


で!
最近よく撮っているキハ181系「はまかぜ」の模型が欲しくなってきました。
TOMIXからズバリそのものが製品化(来年再生産)されていますが、どうも色がイマイチ。一方KATOは国鉄色の製品化を発表していて、それを塗り替えるのもアリ。
でも、少し古い作りのTOMIX製品が実車の無骨なスタイルをよく捉えていると思うので、何とか(これから出回るであろう)中古をかき集めて4両編成が組めないかなと思っています。
先頭車はATS-P配管付き、前面のヒゲ跡も再現して、各所色差し、室内も塗装…
色々とやってみたいです。

そんなことを考えながら、今日はキハ23の塗装作業。


まだ完成ではありませんが、ここまで持ってこられました。
実車のゴツいスカートは、TOMIXのキハ58系用をベースにプラ板を切り貼りしました。


床下もTOMIXのキハ58のM車そのまま、よって2エンジンのまま。これも再現しなければなりませんし、室内の加工も控えています。
屋根のベンチレータも(元から)1コ欠損しているので、多分総取替えですね。あと、JR無線アンテナも。


初代広島急行色と。下半分の色味は大体一致しています。
かつては共に山陰本線から関門海峡を越えていましたが、今ではJR西日本からの直通列車そのものが無くなってしまいました。


先に完成したキハ40 2046と。
こうして見てみると、色は同じでもかなり違う表情ですね。

次はまた間が空くと思いますが、キハ40系列を完成に持っていければいいなと思っています。

ゆる~くキャンパスライフ

2010年10月29日 22時08分30秒 | 日記
嵐の前の静けさ。
明日は雨+台風だそうで、おそらく家からは動けません。
この間に発表準備を進めて模型製作も進めて…と、大学ではずっと週末の予定を考えていました。

そうそう、
10/14夢のひととき・山陰の旅2日目
を公開しました。どうぞご覧ください!(笑


今日は概ね晴れの天気。
やれることはやれるうちに!と、また授業前に自転車で一気に南下。
恒例の「はまかぜ」の回送を撮りました。今回は長岡京市までは足を踏み入れていないのでけっこう余裕がありました。
やはりこの辺りへは自転車で行くのがおもしろいですね。電車の方がもちろん早いのですが、自転車だと向日町の裏側をじっくり見られるのでやめられません。最近だと、余剰の485系やデビュー前の225系(新快速)、今日は225系と223系(共に阪和線用)の併結なども見られました。
あと、キハ181-45とキハ180-48が確認した限りでは日曜日からずっと留め置かれています。

大学で2限を受けて、空きコマ3限はカメラを提げて周辺を散歩。
嵐電の龍安寺駅から御室仁和寺駅までを軽く撮影しながらウォーキングしました。
こう書いていると大学に一体何をしに行ってるんだと言われそうですが(笑)、ちゃんと授業を受けているので良しとしましょう。
と言うより、趣味関係で授業を休んだことは意外なことに(?)ほとんどありません。後期に限って言えば授業変更をしたために初回を欠席したり、またアルバイト関係での欠席が目立っていますが、専攻している学問のことを考えれば…(笑
そして、4限「道徳教育の研究」を受けてまっすぐ帰ってきました。今週も頑張りました、多分。


写真は今朝向日町を出区したばかりの「はまかぜ」回送。
長らく東海道本線を見守ってきたこのレンガ橋とも、まもなくお別れ。

鍋を囲んでいろいろと

2010年10月28日 23時59分10秒 | 日記
寒~い!
というわけで今期も革ジャンデビューです。
明日は少し気温が上がって、明後日は台風が来るそうですね。


昨日の2限は「京都地域論」。
引き続き三本木についての内容で、今回は主に江戸から明治にかけての時代。
与謝蕪村の遊んだ地であることや、桂小五郎と幾松のエピソード、花街としての三本木の側面などなど、まだまだ知らない三本木地域の秘密が分かりました。
明治の初めに本格的に花街として認定された三本木はわずか2年後に自然に廃業してしまう運命となってしまいましたが、建物や街並みはそのまま残り、京都の名所のひとつとして紹介されていたそうです。
当時の絵を見るとお座敷から鴨川へと続く抜け道のようなものも描かれていて、もしかしたら新撰組に追われた桂小五郎がここを通って逃れたのかも…というような想像も出来ます。

そんな三本木地域、花街としての再興はなりませんでしたが、後に谷崎潤一郎や吉井勇ら時代を代表する文学者の訪れる地となり、やがて京都法政学校(立命館大学の前身)が創立されました。
京都のほんの小さな地域が、時代を超えても語り継がれるところにこの地の特殊性というものが垣間見え、三本木が立命館草創の地であることに少なからず誇りを感じました。
これは早いこと訪れたい!

そして授業後は友達の家で今期初の鍋!
1回生時の英語のクラスのメンバーでやっていたのですが、みんながみんな個性的すぎてなかなか楽しかったです(^^)
以上、昨日の話。


写真は今夜の分から、向日町で出区を待つキハ181系の団臨。
今後はこのような波動運用もキハ189系に置き換えられるのでしょうかね。

様々な温かさ

2010年10月26日 22時56分37秒 | 日記
今日は「きしめんの日」らしい!(@_@;)
数日前に「名古屋駅ホームのきしめんが食べたいな~」と愛知県出身の友達と話していたところです。
因みに自分が「そばアレルギー」であることはだいぶ前にこのブログにも書きましたが、ここ1、2年の状況を見るに、「そばと共通の設備で作っているうどん」はどうやらOKのようです。
まだ、そばそのものは怖くて食べられませんが…(--)


4限は「生徒・進路指導の研究」。
この授業でよく扱われる時代である1950~60年代の映画「キューポラのある街」を見ました。
荒川に近いとある街が舞台で、人々の温かさや地域との繋がり、走り回るやんちゃな子どもたちはまるで「ALWAYS 三丁目の夕日」のリアルタイムバージョンのような感じ。
この「昔を懐かしむ」という風潮はいつから始まったのか…ということに最近興味を持っているのですが、この映画、やけに鉄道車両が映っています!
確認出来た分だけでも、72系旧型国電、電気機関車牽引の旧型客車、長編成のキハ58系、80系湘南電車が出ていました。
この時代はそれがごく日常で当たり前、風景の一部だったのだと思いますが、キハ58なんかは数を減らしながらも今でも現役ですから、何かスゴいな~と思ってしまいます。
この後に登場するキハ181系グループのグリーン車・キロ180形なんかはもちろん学生には手の届かない存在でしたでしょうし、そういう意味では今や立派な昭和の文化遺産と言えるでしょう。

6限は「日本思想史」を泣く泣くお休みして、教職課程のガイダンスに出席。
これは私の受けている副専攻・教育学コースで来年度に開講される「総合演習」のクラス分けについての説明会で、普段行かない産業社会学部の建物で行われたのですが、中二階にかなり戸惑い、会場の教室に辿り着くのに一苦労でした(^^;

で、配られた資料を見ていると、どのクラスも興味深いテーマでけっこう迷いました。
別に今すぐ決める必要は無いのですが、第三希望まで理由と一緒に書いて提出するとなると書くのに時間がかかりそうで…。
とにかく、大事な三回生のことなので、熟慮に熟慮を重ねて決めようと思います。

帰りはものすごく寒かったです。
帰ってニュースを聞くと、木枯らし1号が吹いたとのことで…。
いよいよ冬が近づいてきますね。明日も冷え込むそうなので温かくして行きます!
※昨日は10時間睡眠したために更新が出来ませんでした。


写真は、スカート部分の加工を終えた製作中の模型たち。
左からキハ40 2008、キハ47 1012、キハ47 10、そして先に完成しているキハ40 2046を並べてみました。特に中央の2両、1012と10のスカート形状の違いがお分かりいただけるでしょうか。

明日からに備え

2010年10月24日 23時47分15秒 | 日記
たぶん、これが遊べる最後の土日だったと思います。
別に試験があるわけではないのですが、同じ週に重なっている発表のことを思えば、そろそろ自主的に進めていかなければならないわけで。
忙しい準備期間のあいだに「はまかぜ」が置き換わってしまうのが残念ではありますが、学業も趣味も、やれることはやっていきます。


今朝は自転車に乗って「はまかぜ」回送の撮影。
先週の木曜日に電車に乗っているとコスモス畑を見つけたのでそこに行ってみました。
すると案の定今日は満開状態。ここは晴れると逆光になってしまうので、今日のような曇りの天気はピッタリ。
同業者は3人でキハ181系は通過していきました。チラっと聞こえた話では、今日は「あすか」も走る日だったそうです。

帰ってからは模型作業。
キハ40系列を中心に、先日買った暖地形タイフォンへの交換や、昨日キハ23と合わせて買った幌枠の取り付けを行いました。
しかし、今まで無かったパーツが付いてくるとどんどん実感的になってきますね。今はスカート周りの加工をしていますが、このキハ40系列は不思議とどれも楽しい加工ばかりです。

夜は恒例の「龍馬伝」を観ました。
大久保利通役で及川光博が初登場でしたね。案の定悪役ポジションでしたが、西郷や小松と付かず離れずの感じが良かったです。
それと新撰組も久々の登場でした。近藤・土方・沖田が日頃からまとまって行動することがあったのかどうかは疑問ですが、やっぱり「新撰組!」とは違ったダークなイメージが個人的にお気に入りです。

さて、最後の「龍馬伝紀行」でも紹介されていた、薩土盟約の交わされた三本木。
先日「京都地域論」の授業で扱われたので当ブログでも記事にしましたが、先生もすごくタイムリーだなぁと。
当時の雰囲気を今に伝えるものとして頼山陽の「山紫水明処」が出ていましたが、これでますます三本木界隈に行ってみたくなりました。


写真は今朝の「はまかぜ」回送。
長岡京を過ぎた列車は、山崎へ向かってエンジン音も高らかに坂を上っていきます。

10月の模型進捗状況

2010年10月23日 23時59分59秒 | 鉄道模型/製品レビュー・小加工など
腕が思いっきり筋肉痛です。
合わせて足腰も何となく重い感じです。
なので、今日のお稽古はゆっくり動いていました。ふぅ~。


さて、不定期にお伝えしている模型の進捗状況。
10月は模型より実車の方に偏っていましたが、今日は久々に模型店に行ったこともあり、ちょこっとだけ作業を進めた分を紹介します。


キハ47 1012(豊岡色)です。
最初は2番にするつもりで製作を進めていましたが、相方を10番にしたかったので急遽1000番台へ再改造。屋根を切り継いだり窓を開け直したりと不要な改造が続きましたが、何とか車体の加工が完了しました。
豊岡では0番台同士の組み合わせもよく見られますが、少数派の1000番台・後期形スカートということで変化をつけられるでしょうか。


キハ47 10(豊岡色)です。
上の1012番の相方で、先日から製作を始めました。
原型時代の設定なので加工が楽です。給水口を埋めてトイレ窓を開ければ車体は完成です。
何気に縁のある車両なので、しっかり完成まで持っていきたいですね。


最後に!
きょう模型店で見つけたGM製のキハ23首都圏色です。格安だったので即買いでした。
元々の床下に使われていたGM動力は「アストル」中間車に廻して、手元にあったTOMIX製キハ58の動力に交換。このままだとキハ53になってしまいますが、追い追い加工していきます。
現在は車体のパーティングラインを消したところで、山陰本線の下関口で最後まで活躍していた広島色のキハ23 1に仕上げようと思います。

実は以前製作したキハ40 2046の広島色が気に入ったので、異系列で拡大していこうという計画…(^^)

時代祭2010

2010年10月22日 23時22分34秒 | 日記
去年の10月22日の記事より。

>時代祭の行列を見に行ってきました。
>実際見てみるとものすごく壮観ですね!
>今度は学生アルバイトとして参加してみたいです★

有言実行ー!!!!!
というわけで、ギリギリのところで(ラスト1名)アルバイトを申し込んで行ってきました。
これまでには平野神社桜花祭や北野天満宮ずいき祭など地域のお祭りには参加してきましたが、三大祭のような大規模なお祭りに参加するのは初めてのことです。
前夜はドキドキしていたものの、昨日は適度に疲れていたのでよく寝られました。


今朝は7時30分に平安神宮に集合。
時代祭の行列というと京都御所から平安神宮へというイメージがありますが、ここ平安神宮で予め着替えを済ませてから徒歩で移動します。


受付を済ませて案内されたのは「延暦武官行進列」。
列としては最後の方で、清水寺でおなじみ坂上田村麻呂が率いる出陣の様子を表しています。1年に1回とは言え、こんな木箱にちゃんと収納されているんですね。
こういう裏側を見られたり、本番まで役回りが全く不明なのもアルバイトの楽しいところで、今回はどんな衣装かと言うと…


何と!甲冑を着ることになりました!
もちろん鉄で出来たホンモノで、ちゃんと脇差も付いていて実感的です。
もちろん重さも実感的なのですが(笑)、しばらくすると慣れました。お祭りアルバイトを重ねるごとに衣装が豪華になっていくのは気のせいでしょうか。

着替えた後は、出発まで写真を撮り合ったりして数人で待機していたところ、

「人が足りひんねや!誰か太鼓叩いてみいひんか?」

と平安神宮の方に頼まれました。どうやら、何らかの事情で太鼓打ちが不在になってしまったようです。
曲がりなりにもサークルでやっていたこともあるし(最近行ってないけど)、ここで中途半端に目立ちたがりの血が騒いで、

「はい!僕、サークルでやってるんでやらせてください!」

いとも簡単に太鼓打ちの座を手に入れました。時代祭の太鼓なので、もちろん大きさも柄も豪華です。
写真を撮りそびれたのですが、これがネットで探してもなかなか見つからない…。

9時半を少し過ぎた頃、御所まで太鼓の叩き方(リズム)を教えてもらいながら移動開始。
丸太町通では近くの幼稚園の子どもたちが見てくれていたので、前を通り過ぎた時に太鼓を鳴らしてサービス(?)しました。「おぉー!」「もっかいやってー!」と、なかなか好評。
この移動は交通規制も最小限で、特にこれと言った解説やパフォーマンスはありませんが、朝ということもあって人が少ないので穴場と言えるでしょう。

10時半に御所到着。
ここで昼食にお赤飯が振舞われ、出発の13時まで待機することになります。
その間は、たくさんの観光客(特に外国人が多かった)に写真を撮られたり、友達が見に来てくれたり、あまり退屈しませんでした。
甲冑はもちろん、ダミーとはいえ脇差や弓矢が見られる機会はあまり無いですからね。ポーズを撮ったりして「ARIGATO!!」と言われたり、さながらモデルのようでした。
その他、

「出陣じゃー!」
「これ、八兵衛、何をしておる」
「腹が減っては戦は出来んのぉ」

などなど、雰囲気満点のモノマネをしていました。

そうこうしているうち、13時にいよいよ平安神宮に向けて出発。
放送で列の紹介がされた後に前方のほら貝に合わせて太鼓を叩くと、両脇の観覧席からは拍手が。静かな雰囲気の時代祭で「ドーン!」と響き渡る太鼓の音は一気に注目を集めました。

それから丸太町通に出て、左折して烏丸通へ。
歩道は人でごった返していて、迂回運転の市バスも見られました。
お祭りアルバイトで大通りを堂々と歩くのが好きな自分はやっぱり「どや顔」でした。

烏丸御池からはまた左折して御池通を東進。
ここはだだっ広ーい通りの全車線を塞いで、時代祭の行列だけが道を歩きます。最も楽しみにしていたシーンです。

「いま、御池通の真ん中を歩いている!太鼓を叩いている!」

去年は市役所の脇で見ていた人間が、まさか今年は太鼓打ちとして参加していると誰が予想出来たでしょう。何とも言えない高揚感でした。

河原町御池からは河原町通に入り、河原町三条からは三条通へ。
三条通の河原町三条~三条大橋は2車線なのでお客さんとの距離が一気に近くなります。この頃になるとサークルでやっていた頃のコツを思い出して、気合を入れて大きな音を出すことが出来ました。

三条大橋を越えてからは、神宮道を目指して坂を上ります。
実はわらじが藁で出来ていないふにゃふにゃなもので、起伏の少ないコースにあってここが最も辛いところでした。

神宮道からは、いよいよ平安神宮を目指してクライマックス!
ここも2車線で、琵琶湖疏水分線を越えてからは頻繁に太鼓を鳴らしました。大鳥居がいつもより偉大なものに見えました。

そして、16時前に平安神宮に到着。
道具を返却してから一気に甲冑を脱ぎました。半端ない開放感!


着替えた後は、ちょこっと撮影。


列の先頭を飾った明治時代。
知事と市長が乗っていた車です。
こんなに近づいて見られるのもアルバイトならではです。


お給料をいただいて、平安神宮を後にします。
出て歩いていると、市バス迂回運転に合わせた臨時バス停を載せたトラックに遭遇!
こういうのって普段は何処に保管されているのでしょう?何ともシュールな光景でした。

それから友達と別れて帰路につきました。
帰りのバスではずーっと寝ていて、危うく乗り過ごしそうに…。

今回の時代祭アルバイトでは、予想外の人員不足で大変貴重な経験をさせていただきました。1年越しの夢をそれ以上の形で叶えることが出来て本当に良かったです。
これからも京都で京都を学ぶ人間として、様々なお祭りアルバイトに参加していこうと思います。最後までご覧いただきありがとうございました。

たまて箱であそぼーい!

2010年10月21日 21時59分01秒 | 日記
月・火・水と山越えを終えて、のんびり木曜日の到来です。
時間割が詰まっていたりでしんどい週の前半ですが、木・金・土・日のために頑張っていると言っても過言ではありません。
というわけで、朝は山崎界隈で少し撮影、昼は自転車の修理を終えて大学に行きました。


4限は「京都学基礎講読」。
先週に続いて、11月下旬以降に発表の人が興味をもった・調べようと思っているテーマの発表がありました。
後半組は時間があるせいか、みんな目の付けどころが斬新だったり、既にかなり進めていたりで、自分のテーマが少し霞んで見えました…。
いや、せっかく決めたテーマですし、前半と後半では評価の観点も違うそうなのでしっかり取り組みますが、
この後期の基礎講読の発表は個人でやるものの、最終的には「クラス全体での研究」という意味もあるそうなので、後半組の礎になるような報告発表が出来ればと思います。
来週からはいよいよ報告発表が始まっていきます。自分もそろそろ準備ですね。
でもやっぱり、最後の方が良かったなー(^^;

5限は「現代の経営」。
相変わらず先生の迷言がいくつかありました。
VTRを視聴してレポートを提出する日を決めていたのですが、

「最近の携帯にはカレンダーが付いているのでそれを見ていただければと思いますが、携帯のカレンダーには統一補講日というものが載っていないと思います。そんな立命にカスタマイズされた携帯なんてありませんからねぇ」

また、「有限責任」という用語の説明では、

「責任と言うと、日本では辞表を提出したり、結婚したり、BKC(びわこ・くさつキャンパス)だと琵琶湖に沈められたりというイメージがありますが、決してそんなことではありません」

と、この先生らしい、おもしろく分かりやすい感じで授業が進んでいきました。
今日はライブドア騒動に関しての解説や同族経営など、まさに「現代の経営」たる内容。比較的記憶に新しい(でも当時は関心が向かず詳細を知らない)ニュースの真相をいま知ることが出来るというのはいいですね。


さてさて、昨日の話題の続きですが…
JR九州のHPを見ると、来年3月の九州新幹線全通に伴う在来線特急新設の案内が出ていました。
それによると、豊肥線の熊本~宮地に特急「あそぼーい!」、指宿枕崎線の鹿児島中央~指宿に特急「指宿のたまて箱」が登場するそうですが、何ともスゴいネーミング!
これに伴い特急「ゆふDX」、快速「あそ1962」、快速「なのはなDX」が廃止。まぁ、置き換えや老朽化でごく自然な流れですね。

しかしまぁ、「ゆふDX」のキハ183系はてっきり指宿枕崎線に行くのかと思いきや、予想に反して豊肥線へ投入とのこと。となると、現行の黄色からまた塗装変更されるのでしょうね。
キハ47系改造の特急は「はやとの風」で前例がありますが、九州ならではの沿線風景・観光資源と何より客室乗務員さんのサービスが素晴らしいのでそれで十分カバーされると思います。何だか来年は九州が熱くなりそう!
なにぶん遠いもので「海幸山幸」にすら未だ乗れていませんが、また時間を作って訪れてみたいものです。


写真は長岡京~山崎にて、「はまかぜ」回送。
有名撮影地・名神クロスから小雨の中1人で撮影、な~んとか成功?(^^)

繋がる日々と世界

2010年10月20日 23時31分15秒 | 日記
来年3月に全線が開通する九州新幹線ですが、山陽新幹線直通の速達列車の愛称が「みずほ」で落ち着いたようですね。
というのをいまニュースでやっていて(笑)、せっかくなのでこのブログでも話題にしてみました。新大阪から熊本までは3時間、鹿児島まで4時間を切るというのは驚きです。
3月に嘉例川駅で出会った人たちの「3月には新幹線で大阪から1本で来られるようになりますから、また是非来てくださいね!」という言葉を思い出しました。


今日の2限は「京都地域論」。
立命館大学草創の地・東三本木に関する内容でした。
以前(と言ってもかなり前)は府立医大病院の向かい側に「広小路学舎」というキャンパスがあったのは知っていましたが、その少し南の地域(河原町丸太町周辺)を東三本木と言い、そこに立命館大学発祥の地の石碑があるとのこと。

で、その東三本木地域にまつわる歴史が意外とかなり深い!
かつては「席貸」と呼ばれる一見さんお断りの旅館が並んでいたそうで、江戸後期には『日本外史』の著者である頼山陽の終焉の地であったこと、また20世紀に入ってからは志賀直哉の『暗夜行路』の舞台に描かれ、そこに登場する料亭こそが後の京都法政学校、つまり立命館大学の前身だったのだそうです。
更に驚くべきは、建物自体はそのままに料亭→西洋料理店→学校と変身を遂げたということ。いまの時代…でなくとも、普通では考えられないことです。

ここでふと思い出したのが、1回生前期に受けた「教育課程論」のいちばん最初の授業で、森進一みたいな声の先生が「立命館は京都の料亭の2階から始まった」というのを仰っておられたこと。コレのことだったんですね。
あの時はただぼーっと聞いていたことが、1年以上の時を経てようやく明らかになりました。科目名が全く違っても何処かでリンクしていることが多いのが大学の授業らしいというか何というか。
やはり今までフル単位で時間割を入れておいて良かったなと思いました。


帰りは一旦家に帰ってからお茶のお稽古へ。
…のはずが、行きに自転車の後輪がパンクしました。よく見るとタイヤがかなり擦り切れて目に見える大穴が空いていて、泣く泣くバスに乗り換えて向かう羽目に。
これで到着が15分ほど遅れたのですが、約10日のお稽古は体がけっこう覚えていて驚きでした。
知らない間にお茶会の予定も入り、唯一の男手になったので次は間違いなく点前をすることになるでしょう。今後も頑張って行きたいと思います。


写真は長岡京~大山崎にて、今朝の「はまかぜ」回送。
大山崎JCTがバックに見えるこの場所を約2年ぶりに訪れましたが…木々がすっかり伸びてイマイチな出来に。比較的スッキリ撮れる後追いも普通列車に被られてしまいました。

忙殺の足音

2010年10月19日 22時44分04秒 | 日記
変な時間に目が覚めた…のは昨日の記事に書いた通りですが、
今朝は5時頃にもう一度寝て、出発ギリギリの10時前まで寝ていました。
おかげで今日は2限から6限まで、眠気に襲われることなくスッキリ受講!(笑


2限は「京都学基礎研究」。
花園と同じく京都で「園」の付く地名として「桃園」が挙げられ、そこに関する論文を読みました。
自分の場合は真っ先にJR学研都市線の「祝園」が思いついたのですが、桃園は場所で言うと一条大宮あたり。いまは小学校にのみその名を残しているそうです。どうりで知らなかったわけだ。
論文の文章が難しくて理解するのが大変でしたが、第一に桃園が登場する「源氏物語」やその解説書である「河海抄」を用いての考察がされていました。
で、これを花園にどう結びつけるか。「園」に共通項を見い出すのであれば、桃園と花園はどこかで共通しているのだと思いますが、そこは時間切れで来週へと延びました。

で、この論文を読み進めるのが来週に延びた影響で、本来ならば来週から学生報告が始まる予定だったところ、発表が全体で1週間ズレることになったんですよね。これにより、自分の発表は当初11月9日のところが11月16日になりました。
まぁ、それだけで済めばいいのですが、翌々日の18日には「京都学基礎講読」の発表が控えているという事実…!
思わず「ちょっと待ってつかあさい!」と言いそうになったのですが(笑)、時間はまだありますし、ちゃんと計画を立てて進めれば1週間に2つの発表もどうにかなるかな…と思っているので、頑張ろうと思います。
こりゃあ、2つとも終わったら遊ぶしかないな!(^^)

4限は「生徒・進路指導の研究」。
資料に山形県の小学校が舞台の文集が扱われたのですが、
「この小学校は今は廃校になってしもうたんやけど、山形がここにあって、ここが上山。したらこの辺りです」
と、奥羽本線の路線を黒板に書いての説明がありました。この先生は以前にも「奥羽本線と羽越本線」と言われていたので、東北地方に詳しいのかなと勝手に思っているのですが、
上山は、いくら新幹線の「かみのやま温泉」駅があると言っても、理解出来た人はけっこう少なかったのではないでしょうか。
そんな中、数少ない分かる学生である自分は、鉄道ネタが出るたびいつもニヤニヤしてしまいます。誰かに見られていないことを祈る!(笑


写真は長岡京にて、今日の「はまかぜ」回送。
以前から気になっていたアングルでキレイに撮れました。合わせて上下のレール運搬車(上りはEF65、下りはDD51牽引)も見られたので、けっこうラッキーだったかも。

あたらしい月曜日

2010年10月18日 23時59分59秒 | 日記
今朝、1回生の女の子数人と会った時に、「おはよう」と言うところを、一瞬「すいませんでした」と言いそうになりました。
結局事なきを得たのですが(笑)、何か後ろめたいことでもあったのだろうか…。
おはようございます、管理人の星です。いま19日の4時20分頃です(汗

それはそうと、新しい髪形はまた好評でした!
売れないロックバンドの一員みたいな髪型なのですが、二度見されたり、「お、おおっ!」「風雲児みたいやな」と言われたり、やはり突然髪型を変えて行くのはおもしろいです。
そして昼休みは太秦までディスカバリーを「見に」行き、12:59にはちゃんと着席(^^)


4限の「西洋史概説」は、前回に引き続き1925年にソ連で制作された無声映画を観ました。
BGMだけが流れているのですが、声や音が無い分想像力が働いてなかなか見ごたえがあります。無声映画と言うとどうしてもチャップリンを思い浮かべるのですが、今日観たような戦争ものも当時の時代背景を反映していて興味が持てました。

また、どこからか「サグラダ・ファミリア」の話になり、

「ネスカフェのCMあるでしょう?サグラダ・ファミリアの。実際あそこに行ってみるとね、ダバダ~って音楽が頭に流れてきてね、コーヒーの香りがしたんですよ。」
「以前サグラダ・ファミリアを見た人が、もう死んでもいいと言ってたのを聞いて、どんなに素晴らしいところなんだろうと行ってみたけども、私はまだ死にたくないと思いましたよ」

というのを聞いて笑いをこらえるのに必死だったのですが、周りは誰一人として無表情でした。
そうか!みんな無表情で笑いをこらえるテクニックを身に付けているんだ!(゜д゜;)
僕も精進せねば。

5限は「教育方法論」。
「ちょっとマンネリなので、ちょっとしたゲームをやってみましょう」ということになり、横並びの机2つでグループを構成して、その中で先生役を1人(他は生徒役)決めました。
どんなゲームだろう?と思ってジャンケンをしてみると、自分だけグーを出して先生役になってしまい…。

しばらくして先生役だけが集められて、ひとつの絵を見せられ、
「先生はこの絵を口だけで説明して、生徒に描かせてください。ジェスチャーは無しで!」とのこと。
それが「跳び箱に座っている男の子を横から見た図」なのですが、これを説明するのが意外と難しい!
試しに描いてもらったのを見ながら「だいたいそんな感じ」「もうちょっと前傾姿勢かな」とアドバイスは出来たのですが、細かいところが伝えきれませんでした。

いや~、口だけで人に説明するのは難しい!
高校の時、家庭科の先生が「教えたり伝えたりするのは大それたことだ」と仰っておられましたが、その意味がようやく少し分かったような気がしました。
実際に(教師になるとして)絵以外にももちろん説明する機会は多いでしょうから、万人に分かってもらえる伝え方というのをこれからも考えていきたいですね。
そう思うと、美術の先生ってすごく大変だと思います。

5限終了後は、メディアルームでWEB配布のレジュメを印刷。
それから共同研究室で提出物の課題をいくつか済ませて、19:30頃に帰ってきました。
どうせ家では何もしないので、大学で全部済ませてこようという魂胆ですが、夕食後に案の定寝てしまいました。(しかも6時間も…)
それでこんなに更新が遅くなったのですが、課題をやっておいて良かったです。


写真は、土曜日の「タンゴディスカバリー3号」。
しばらく見なかった6連が復活していました。乗りたいな~。

歩いて考えて

2010年10月17日 23時59分59秒 | 日記
あっという間に日曜日…。
そういえば「鉄道ダイヤ情報」を買っていないのを思い出しました。
と言いつつも先月は買えなかったのですが、嵐電&江ノ電特集だと買わないわけにはいかない!
既に近くの書店2店からは消えていて、残念ながら大学生協は「鉄道ファン」「鉄道ジャーナル」「鉄道ピクトリアル」「鉄道模型趣味」しか扱ってくれていません。
(↑故に、手軽で1割引では買えない)


というわけで、今日は昼から歩いてまたイオンモールへ。
けっこう遠いのですが、道中が楽しいのでウォーキングです。
このブログでも何度か紹介した、東寺の東門から近鉄の高架をくぐってイオンモールまでを一直線に結ぶ「東寺道」ですが、歩いてじっくり見てみると、かつての門前町の風情を色濃く残しているんですね。
最近は件のイオンモールの開業で人通りも増えて活気のある東寺道ですが、古い家並みはもちろん、明治時代創業の商店が現役で営業を続けていたり、夜になれば五重塔のライトアップが美しく、今でもなかなか楽しめる通りになっています。

また、近鉄の高架下はかつて堀川の流路であったことから、それを思わせる地形の起伏や、蛇行して北へ延びていく流路跡の道路に往時への思いを馳せるのもまたおもしろいものです。
今は堀川紫明から堀川御池、近鉄上鳥羽口駅から鴨川合流部しか顔を見せていない堀川ですが、
ずっと昔は堀川通り沿いに流れていて、七条からカーブしてタキイ種苗のところでJR線をくぐって、近鉄沿いに九条通りまで流れて…と、きっと楽しい風景が広がっていたのでしょうね。
そんなわけで、個人的に「ツボ」な要素がギュギュっと凝縮されている通りです。

イオンモールで「鉄道ダイヤ情報」を手にした後は、その堀川の流路を辿って梅小路公園へ。
たまたま何かのイベントをやっていて、親子連れで賑わっていました。本当はのんびりとネコの写真でも撮ろうと思っていたのですが、騒がしいので当然ネコたちもどこかへ逃れているはず。またの機会に…。

歩いていると、小さい子を対象にした木登りの企画をやっていました。
企画である以上、ちゃんとヘルメットや命綱を付けてやっていたのですが、随分木登りのスタイル(?)も変わったなぁと実感。
自分たちの幼稚園~小学校の頃は、1つ上の先輩に連れられてもちろん何も付けずに木に登った(登らされた)ものです。小学校も2年や3年になるとだんだん一人で登れるようになって、高学年になるとついに塀をよじ登るテクニックを身に着けました。
おそらくそれがある種のイニシエーションであり、今の子どもたちは、そういうことを体験する機会に恵まれていないのかな…と、少し寂しくなりました。
そして自分も、そんな少年時代を顧みる年齢になってしまったのでしょうか。今これを書いていて、ちょっと目頭が熱くなりました。先輩元気にしてるかな。

それから模型店へ。
金属パーツが不足していたので、TAVASAのタイフォンカバー(暖地形)を買いました。
これで西日本のキハ40系列の製作が進みそうです。幌枠が無かったのが残念ですが、またどこかで探したいと思います。
最近はバイトをしても実車の方にお金を使っているのですが、模型は以前から製作中の車両があるので少しの出費で済むのがありがたいところ。先日も浜坂~城崎温泉で実車取材をしてきたので、発表の類が落ち着いたら一気に完成…出来ればいいかなぁと。
「模型の秋」なるか???(笑

帰りは美容院!
3ヶ月も切っていなかったので、伸びた分をバッサリ切ってもらいました。
つまりは3ヶ月前の髪型に戻ったのですが、あの時もけっこう好評だったので今回もウケはいいはずだと勝手に解釈しています(^^;
まぁ、こういうマイナーチェンジを重ねるのが好きなんですね。フォグバー(?)、使ってみたいです。

そんなこんなで、約1時間半の楽しいフィールドウォークでした。平日/休日問わず出来るので、完全にマイブームと化しています。


写真は鳥取にて、特急「はまかぜ5号」。
今週は何回会いに行けるかな~。

やること変わらず

2010年10月16日 23時53分22秒 | 日記
まず最初にお知らせです。
10/13夢のひととき、山陰の旅1日目
を公開しました。どうぞご覧ください。
画像を複数掲載するやり方が若干変わってて、ちょっと手こずりました(・0・)


今日は丹後さんからお誘いを受けたので、電車に乗って京都駅まで。
ちょうど時間がピッタリだったので「タンゴディスカバリー」を撮影後、伊勢丹の「拉麺小路」で晩ご飯。
会うのは7月以来でしょうか。近況報告などなどしましたが、社会人と大学生、お互い環境は違えども日々エンジョイ出来ているのが分かりました(^^;
それから2番ホームで583系を撮影。1分停車のせいかかなりまったりしてました。
丹後さん、どうもありがとうございました。


写真は583系秋田車の集約臨。
これで京都・仙台・秋田と現役全ての583系を見ることが出来ました。

釣瓶落としの夕暮れに

2010年10月15日 23時21分05秒 | 日記
週の後半を楽な時間割にしたので、最近は水曜日の昼過ぎあたりから妙に時間が早く進んでいくような気がします。
友達からは「お前何なんだよそれ!」と突っ込まれるほど曜日に差のある時間割ですが、本人はこれで満足なので良しとしましょう。

そうそう、その時間割!
今日から個人別時間割表が配布されると聞いたので、文学部の事務室に行って受け取ったところ、きちんと修正の上登録されていました。これで一安心です。
後期は単位を落とさないように頑張るぞ!(^^)


さて、参議院議員の谷亮子選手が柔道を現役引退。
夕方に大学に居てこのニュースを知った時は「辞める方違うやろ!」と思いました。
僕はスポーツ関係にはめっぽう弱く、メダリストの苦労も到底分からない人間ですが、この人には柔道で日本を元気づけるべき役割があるのでは…と、国政に出ると知った時から感じていました。
オリンピックのスポーツで励まされる人も大勢居ます。「ママでも金」、それで十分立派なことだと思うんです。
まぁ、今更この選択が覆されることも無いでしょうから、「議員では金(カネ)」にならないことを祈るのみでしょうか。
それよりも、会見の場に小沢さん(ファンだそうですが)が居たことが不思議に思いました。笑顔の余裕があるとはね…。


夜は母親とイオンモールに行って、大学用のカバンを買いました。
いまの赤いカバンは、大学の他にも外出や旅行などでかれこれ1年半ほど使ってきましたが、各所ほころびてついにファスナー部分が破損し始めてきたので、先月頃から置き換えの話が浮上していました。
まぁ、ほぼ毎日使う他に大分、新潟、東京、高知、鳥取とかなり遠出もしたので当然と言えば当然でしょう。

というわけで同じブランドへ行ってみると、新作のカバンがけっこういい感じだったのでほぼ即決♪
今度は黒です。前のカバンには無かった「まち」があって収容量も増えてけっこう使えそうです。上手くいけば、来週月曜日から運用開始でしょうかね。


明日からはようやく気温が平年並みに落ち着いてくるようです。
季節の変わり目ですから、皆さん風邪などにはどうぞお気をつけください。


写真は先週の分ですが、京都総合運転所で出区を待つ「はまかぜ」編成。(敷地外から撮影)
221系Wパンタ編成、183系「北近畿」編成と山陰本線にゆかりのある車両が揃いました。