【単発】秋田内陸縦貫鉄道AN-8807形

2014年03月29日 01時08分05秒 | 鉄道模型/単発ものいろいろ
絶好の塗装日和!
今年度最後の落成車両です。


発売されたばかりの鉄コレ19弾、秋田内陸縦貫鉄道AN-8804形を塗り替えて……


AN-8807形を製作しました。
爽やかな水色のカラーリングが特徴で、同社のAN-8800形は1両ごとに異なる塗色を纏っています。製品のプロトタイプはオリジナル色の8804ですが、手持ちの塗料で簡単に塗装変更出来るということで8807へ。


塗装は全てGMのスプレーで気軽に済ませましたが、前面の貫通扉部分のみマスキングして元の塗色を生かしてあります。
が、写真と見比べると貫通扉の縁(幌枠)まで水色で塗られているようで……追加工が必要ですね。(汗)


しかし水色ベタ塗りはどうしても東海道線の201系を思い起こさせます。郷愁の色、なんて言うと大げさですが、水色の車両を見るとほっと安心するような気がします。
今回はこれで一旦落成としておきますが、追って動力化や床下機器の塗装なども施したいところですね。

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おまけ。
オハネフ12も車体と床下を塗装しました。屋根は本来銀色だそうですが、「山陰」に連結されていた最末期はかなりくたびれていたようなので、塗料の選定待ちです。

廃止された東北園町西行停留所

2014年03月28日 03時16分44秒 | バス関係
去る22日(土)に実施された京都市バスの新ダイヤですが、幕表示デザインの変更や新規路線の開設といった華々しさの影で、ひっそりと姿を消していったのが左京区松ヶ崎の北泉(ほくせん)通に位置する東北園町の西行停留所(東行は存続)。
上賀茂神社から京都駅を結ぶ4系統の往路がこの北泉通経由となったことで開設された同停留所ですが、僅か1年という短い営業期間でした。


営業最終日の3/21(金)に訪問。
バス停は近年の新設停留所によく見られる簡易タイプのものでした。


足元には廃止の告知案内がビニール紐で括り付けられています。
両隣の停留所(特に左京区総合庁舎前)が近いこともあり、廃止されたところで特に不便はないのでしょう。


時刻表。北泉通と左京区総合庁舎を経由する4系統の半数(もう半数は下鴨本通・神殿町経由)が停車していました。
他の停留所では新ダイヤ実施の数日前から新たなデザインの時刻表に差し替えが始まっていましたが、こちらは廃止されるということもあり最後まで旧デザインのものを掲出していました。


ちょうどバスがやって来る時刻だったので、最後に一枚。
乗降はありませんでしたが、前の停留所が近いので時間調整の停車シーンを見ることが出来ました。
数年前からの相次ぐ経路変更、そして停留所の廃止と4系統を巡っては年々何かしらの変化がありますが、これでようやく落ち着いてくれるでしょうか。

因みに、ここ北泉通は閑静な住宅街の遠く向こうに比叡の山並みが見渡せるロケーションが素敵で、散歩にはうってつけの場所。もうじき疏水沿いの桜並木も見頃となるでしょうから、その際にはまた訪れてみたいものです。

交通科学博物館など

2014年03月26日 12時04分09秒 | 鉄道関係
23日(日)はまもなく閉館する交通科学博物館を訪れました。
と、その前に……


道中は新たに導入した望遠レンズ(Canon EF-S55-250mm f/4-5.6 IS STM)のテストを兼ねて野田駅で試し撮り。
好天のせいか各駅で撮影者の姿が見られ、青空にオレンジ色の車両が映えていました。


同駅前後の特徴である3線区間を行く103系。
従来のレンズとは異なり、スムーズにピントを合わせてくれます。ボディのEOS Mよりも大きなレンズということで構図の傾きが不安でしたが、右手でボディを持ち、左手でレンズを支えると手持ちでも安定して撮ることが出来ました。


それからレンズを付け替え、環状線50周年記念HMを付けた201系に乗って弁天町へ。


小学生の時は家族に連れられ、また学校行事などでもよく訪れていました。それ以来は0系引退時の特別公開に一度行ったきりで、今回でいよいよ最後。2016年に開業する京都鉄道博物館に役目を譲る形で、4/6(日)に閉館を迎えます。




展示物は相変わらずだったので詳細は割愛しますが、自身の成長と共に、鉄道にかんする知識はもちろん、歴史の流れや鉄道を巡る時代背景をある程度掴めたことで、見るところは随分違っていたように思います。
また、「交通科学」博物館ということで、鉄道以外のバス・飛行機・船舶等の展示もしっかりと見学。これらの去就も気になるところではあります。

また、閉館に合わせてキハ81形と80系電車の車内を公開していたので、記念に「乗車」。


キハ81 3の車内。
リクライニングはせずとも快適な座り心地でした。肘掛部分のカーブが素敵です。


80系の車内から旧型客車を。
このホームの上屋は旧京都駅のものを利用しているそうで、もし新博物館にも移築となれば文字通り「里帰り」となるわけですが、もちろんこのまま見納めとなる可能性も高いことからしっかりと目に焼き付けておきました。

幼少期から随分とお世話になった交通科学博物館ですが、その何とも言えない(良い意味での)前時代的空間は、平成生まれの私にも十分魅力的なものとして映っていました。ここを原点の一つとする鉄道少年は実はかなり存在するのではないでしょうか。
閉館は名残惜しいことではありますが、幸いにも保存車両の多くは京都にも移送されるそうで、次回はこれらの車両との地元での再会を心待ちにしています。

最近の模型あれこれ

2014年03月24日 22時52分59秒 | 鉄道模型/製品レビュー・小加工など
少し前のことですが、久々に模型を走らせました。


模型の流し撮りは難しいですが、何度もトライしてようやく。


鉄コレ動力を仕込んだだけあってよく走ってくれます。
実車も活躍範囲が広がったことですから、来年度こそはメーカーからの製品化発表を期待したいものです。


こちらは先週発売されたTOMIXのキハ40系更新車・首都圏色。
増税前ということでキハ47を2セット、単品のキハ40(M)を1両導入しました。
製品のプロトタイプは近年の単色化塗装なので、1セットは台車・カプラー類を先に発売された広島色と入れ替え、首都圏色は米子区の仕様、広島色は単色化以前の仕様へ。これで両車とも足回りが引き締まったような気がします。

残る1セットは塗り替えの種車として、




今も細々と残る姫新線色と傘踊り色に、


キハ40は汎用性が高いので朱色のままとし、写真のような色褪せた様子を再現してみたいと考えています。塗料の関係なのか、単色化後は退色具合が酷くなりましたね。

その他製作中を幾つか。


GMキットから夜行普通列車「山陰」の寝台車・オハネフ12を製作中です。
久々にキットが素組みしたくなり、手持ちのDD51と12系に1両加えるだけで楽しめる同車両を選んだ次第ですが、客車は調べると奥が深いですね。
実車においては今や風前の灯、イベントや保存の色合いが強くなっていますが、私が生まれる4年前まで旧客が、そして生まれてからも数年は50系や12系が当たり前に定期列車として走っていたかと思うと、90年代はあらゆる意味において「過渡期」だったのだなと思います。


もう5~6年ほど仕掛り状態のキハ28 3014。
手を広げる前に既存の仕掛り車両をどうにか……とは思うものの、久々の塗装作業は案の定イマイチで、応急処置(汗)を試みているところです。

京都市バス新ダイヤスタート――大「快」革の朝――

2014年03月23日 02時08分52秒 | バス関係
きのう3/22(土)、京都市バスのダイヤ改定が実施されました。
交通局自ら「攻めの経営」「大快革」と謳うその内容は、既存系統の増便や経路変更に加え、均一運賃区間拡大、深夜バスの新設、更には時刻表や路線図、車両の行先表示幕等の案内表示デザインを一新するという過去に例を見ない大規模なもので、既に昨年より予告宣伝等も繰り返され、期待は高まるばかり。
全系統レベルで何かしらの変化があるとなればじっとしては居られず、当日はちょうど「方向幕タオル」なるものの販売もあるということで、早朝の京都駅へ繰り出してきました。

道中はもちろんバスで。


ダイヤ改定後の初乗りは42系統の初便でした。
本日から担当が横大路営業所(阪急バス委託)から洛西営業所(近鉄バス委託)に移管され、当然の如く洛西所属の2043号車がやって来ました。
見た目こそありふれた96MCですが、車内広告は洛西地域のものが目立ち、放送にも幾つかの変更点が加わって目新しさは満点。新デザインのスタイリッシュな幕を掲げ、朝日をいっぱいに浴びて京都駅前ターミナルに滑り込む様子は新体制の幕開けを実感させるに相応しいものでした。


道中では16系統とも邂逅。
この系統も担当営業所が変更となったため(九条京阪→横大路MK)、早速小型のエアロミディMEが充当されていました。こうした新鮮さや違和感も今後は徐々に見慣れたものとなっていくのでしょう。

さて、タオル販売(7:30~)の15分ほど前に到着した京都駅ですが、列は思いのほか少な目。
3分ほど前倒しで販売が開始され、1人3限ということでとりあえず2枚を購入しました。


外箱はこのように。


中のタオルは箱と同じデザインとなっています。通りごとのラインカラーが付された系統をはじめ、深夜バスも加えられるなど、新デザインの宣伝としては十分なものです。
なかなか大きくて使い勝手も良さそうなのですが、使うと黒の部分が剥げていきそうなので、当分は飾っておくことにしましょうか。(笑)

購入後はバスターミナルに出てウォッチング。
いずれも今後は恒常的に見られる光景でしょうから、帰りのバスが来るまでのほんの数分程度のものです。


幕回し中の6281。
書体の変更はもちろん、日本語と英字表記の境に線が引かれたのが特徴です。


回送幕も新調されました。
ここは各事業者で導入されている「すみません回送中です」を採用してほしかったところですが……しかし、以前よりも明瞭になった気がします。




堀川通を表す緑のラインカラーが付された9系統。
上に紹介した、ラインカラーの無い系統と比べて経由地・行先共に文字が小さいような気がします。もっとも、これは始発停留所から終点(京都駅)に近づくにつれて幕を切り替えた結果のものでしょうから、少々バランスが悪いのは仕方ないことでしょう。今後改善されていく可能性もありますし……。


反対に、京都駅が始発停留所となる206甲系統。こちらは幕の強みを生かして情報を詰め込んでいます。
因みにLED車も幕に合わせて表示が変更されたようで、従来の体裁とは異なる文字配置の車両を何台か見かけました。

新幕ウォッチングは以上ですが……


一夜にして「旧幕」となり、過去の光景と化した紫幕。
最後の撮影はこの43系統となりましたが、幕取り替えに伴う変運用のせいか、昨日は各系統で珍充当が相次いだようです。この6284もその結果ですが、きっと今頃は営業所内で新調された幕を掲げているのでしょう。慣れ親しんだ紫幕の見納めは寂しい気持ちもありますが、新幕も登場してみれば意外とすんなり受け容れられるもので、今後しばらくは旧幕からの変更点や新たな発見の話題が尽きぬことと思います。

一年に一度の運行! 京都バス免許維持路線・95系統に乗る

2014年03月21日 20時59分59秒 | バス関係

強い寒の戻りに見舞われた、2014年の春分の日。
京都バスでは年に一度だけ設定されている幾つかの「免許維持路線」が運行される日ということで、そのうちの2つ、以前から気になっていた95系統(大原→鞍馬)と、その送り込みを兼ねた便(高野車庫→大原)に乗車してきました。

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追記1(2015年12月20日):
検索で辿り着かれる方が多いようなので、Wikipedia「免許維持路線」へのリンクを設けておきます。

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朝10時の高野車庫。


95系統とその送り込みには例年小型車(リエッセ)が充当されているということで、幕車の充当を期待しますが……


待つことしばし、LED表示のリエッセ・144号車が回送されてきました。
この日走る免許維持路線は他にも高野車庫→(北大路通・白川通経由)→大原、高野車庫→(下鴨中通経由)→北山駅前といった便が設定されており、全て午前中で完結、同じ車両が運用に入ります。
これは時間的にも北山駅前行きの運用を終えて戻ってきたものと推測されますから、おそらくこの車両が大原行きとなるのでしょう。
それにしても、写真の二枚目と三枚目、四枚目では天気が目まぐるしく変わっています。今日はほんとうによく分からない空模様でした……。

そして、雨の降り始めた10時15分。




出庫してきた144号車充当の大原行きに乗車します。
同好の士は15名ほど。ちょうど全席が埋まる具合で、雲ケ畑線37系統の最終日を思い起こさせます。途中の停留所からはたまたま乗り合わせた一般客の乗降もあり、(一応は)補完系統としての役割も垣間見ることが出来ました。

大原までの道中は他の系統とほぼ同じですが、野村別れからは免許維持区間の細道を経由します。
実は京都に20年以上も住んでいながら大原へ到達するのは今回が初めてのこと。窓の外には京都らしからぬ長閑な里山の景色が広がり、改めて左京区の広さを実感します。


免許維持区間に当たる寂光院道停留所。
色褪せた旧来のバス停標識、小さな貼紙が年一回の運行をひっそりと告げています。

やがて終点の大原に到着。高野車庫からの420円を払って下車します。
5分のインターバルで同じ車両がいよいよ95系統の鞍馬行きに化けますが、待合所には予想を超えた長蛇の列!
一旦降ろされることは分かっていましたが、大原で待っている同業者がこれほど多いとは思わず、年に一度の希少性、その凄まじさを目の当たりにしたのでした。


案内所からは律儀にも「鞍馬行きです」との放送が流れ、いざ超満員の95系統へ。
大原滞在は僅か5分、次回はきちんと観光で再訪することを誓って小型のハコに収まります。ヲタ率100%の車内は独特の雰囲気ですが、私を含めソロ活動者が中心だったために意外と物静か。鉄道のそれに比べれば、何ともまあ、穏やかなものです。


「北山バーディー号」の愛称も持つ95系統は、大原から市原を経由して鞍馬へ向かいますが、途中差し掛かる江文(えぶみ)峠が免許維持区間となります。






免許維持区間にかかわる停留所表示。
江文峠口、江文神社前、江文峠と続き、さしずめ江文三兄弟と言ったところでしょうか。連続するカーブとアップダウンで、まさに峠越えの風情を味わうことが出来ました。
年に一度しかバスの走らないこの区間を乗車する、みな目的は同じですから、この辺りでは妙な一体感が生まれていたように思います。(笑)


驚くことに、免許維持区間での乗降も。
まさにこの日しか成し得ることの出来ない芸当ではありますが、ほぼ全員が大原→鞍馬を乗り通すと思われたなか、まさに年に一度の停留所が機能する様子を実見出来たのは大きな収穫でありました。

峠を下りた市原からは叡電沿いに進み、工事中の二ノ瀬バイパスを横目に見つつ終点鞍馬に到着。
鞍馬からの運賃は400円でした。左京区の二大観光地を結ぶ路線ですから、宣伝次第ではそれなりに需要がありそうな気はするのですが(事実、数年前まではシーズンの休日に運転していた)、おそらくは今後もこのスタイルを維持していくのでしょうね。




無事、今年の運行を終えた95系統。
次の運行は(廃止されなければ)来年の春分の日ということになります。


吹雪の中、一瞬の撮影大会。
究極の免許維持路線ここに極まれり。その珍しさ・面白さを実乗をもって体感することが出来ました。

さて、冬に逆戻りの様相を呈しつつある鞍馬。年に一度の95系統と相俟ってまさに「なごり雪」と言ったところですが、あまりの寒さに叡電鞍馬駅へ駆け込み。すぐにやって来た電車で出町へと戻り、今日限りで現行幕表示が見納めとなる京都市バスの各系統を記録しながら帰路についたのでした。

追記2(2015年12月20日):
翌2015年の運行も乗りに行きました。記事はこちらです。 → 京都バス免許維持路線・95系統(大原→鞍馬)

追記3(2017年3月13日):
3月18日のダイヤ改定で55系統(大原~貴船口、江文峠経由)が新設され、江文峠の免許維持区間がまさかの通年運行を再開。(京都バスのプレスリリースはこちら、ダイヤ改定についての当ブログ記事はこちらへ)

追記4(2017年3月14日):
年1本しか走らないバス路線、なぜ存在? 背景にある「理由」とは(乗りものニュース)
こちらの記事によると「95系統も引き続き年1回運行」とあります。しかし、京都バスの新ダイヤでは記載がないことから(その他の庫系統はは記載アリ)、真相は春分の日まで分かりません。(笑)

追記5(2017年3月21日):
存続が懸念されていた95系統ですが、今年も出庫系統を含む4路線が無事に運行されたようです。
去る18日のダイヤ改定に対応した京都バスHPの路線図(PDF注意)にも記載されていることから、おそらく今後も運行されるものと思われます。

特急「びわこエクスプレス2号」

2014年03月18日 00時27分00秒 | 日記
去る3/15(土)に実施されたJRグループのダイヤ改定。
寝台特急「あけぼの」の定期運行終了をはじめとして東日本エリアが賑やかだった一方で、北陸新幹線の開業を一年後に控えた西日本エリアはまさに「嵐の前の静けさ」。
そんな中、平日運転の特急列車として、キハ189系による「びわこエクスプレス2号」が大阪→草津間の片道のみ新設され、きのう3/17(月)から運転を開始しました。


修正が見苦しいですが、京都タワーを背に草津を目指す初列車を捉えた画像です。
キハ189系の京都入線は過去に団臨などで実績があるそうですが、定期列車としてはもちろん初めてのこと。車両そのものはやはり「はまかぜ6号」から継走するようで、奇しくも香住から京都までの気動車特急での(実質)乗り通しが可能となりました。
回送の有効利用とは言え、全線電化区間での気動車特急は目新しいもので、次は是非乗車してみたいものです。


週末あれこれ

2014年03月17日 02時51分44秒 | 日記
数日前の吹雪には驚きましたが、ようやく春めいてきたような気がします。
来年度の準備、増税前の買い物など一度に押し寄せる3月下旬、しっかりと地に足をつけていきたいものです。

最近の買い物から……


「京都手帖2014」です。
スケジュール帳は今まで大学オリジナルのものを使っていたのですが、今年はコレにします。
各イベントが記載されていることはもちろん、社寺へのアクセスや路線図、お店情報まで載っているので話のネタにもなりそうです。

さて、土曜日は所用がてら散歩。


大宮通陸橋に残る市電の遺構……ではなく、223系の官兵衛ラッピングに遭遇!
タイミングがずれて訳の分からん写真になりましたが、側面フルラッピングのインパクトは絶大です。
運用が公開されていないので遭遇は運次第ですが、次に見かけた折にはきちんと押さえたいですね。


七条大宮では、新車でやって来た「水族館・東山ライン」に遭遇。
新車×現行幕の組み合わせも残すところあと数日となりました。22日からは新たに「東寺・水族館・西本願寺エクスプレス」なる系統も新設されるそうで、休日のこの界隈は臨時系統で賑やかになりそうです。

日曜日は模型店巡りのついでに梅小路へ。
「市電ひろば」は開業以来遠目に眺めてはいるものの、人が多いのでまだじっくりとは見られていません。
せっかく特集記事で追いかけてきたのですから、早く開業後の様子もお伝えしたいとは思っているのですが……。(笑)


そんなわけで、381系の「きのさき11号」です。
気付けば183系の引退から一年。今や山陰線京都口と福知山線では唯一の国鉄型車両となってしまった同車ですが、そう思うと伝統の国鉄特急色が誇らしげに見えます。

雪国断章 四日目――「あけぼの」廃止に寄せて――

2014年03月15日 01時05分03秒 | 旅行記
前回(三日目その2)はこちら

・12/14(金)

長岡で牽引機を換え、上越国境へと挑んだ2022レ「あけぼの」は順調にスピードを上げていきます。
再度寝なければと思うものの、上り「あけぼの」のハイライトはこの辺り。暗がりの中から土合駅、湯檜曽のループ線を通過する様子を見送り、水上を過ぎてからようやく就寝。
目が覚めたのは大宮到着前の放送でした。


カーテンを開ければ如何にも首都圏らしい高架橋脚とビル群が建ち並び、その隙間からは眩しい日輪が姿を現します。23歳の初日に相応しい幕開けです。(笑)

周りの乗客が支度をし始めたのと同様に私も身なりを整え、洗面所の順番待ちついでにデッキで伸びをします。夜行明け独特の微妙に残る気だるさと、一夜をかけて無事目的地に辿り着いたことの達成感、そして旅の終わりの虚しさが入り混じる瞬間ですが、近隣の個室ではドアを開けた年配の女性同士が通路を挟んで「おはようございます」と声を交わし、その間を歯磨きに向かう男性が申し訳なさそうに横切り、あちこちから荷物をまとめるジッパーの音。どれもこれも夜行バスでは見られない光景、嗚呼ブルトレかくありきと思うのです。

乗車時にはそれほど多いとも感じなかった「あけぼの」の乗客も、上野到着時にはどの号車の通路にも列をなしてドアの前で待機する姿が見られ、一晩の間にこれほど多くの乗客がそれぞれの区画に収まっていたのだと改めて驚きます。


結局、終点の上野には19分延着。
新発田での遅れはそれほど回復しなかったようですが、この程度ならば特に支障はありません。


「あけぼの」はその遅れを詫びるかのように早々と推進運転で引き揚げ、乗客は各方面へと散り散りになり、啄木歌碑の前に独り残された私は、しばらくこの上野駅独特の、東北各地の郷愁を集めて暗がりに閉じ込めたような雰囲気――ゲニウス・ロキに酔いしれたのでした。


(2013年3月撮影時のもの)


そんな上野駅ですが、ふと常磐線ホームに目をやれば、既に引退したと思われた651系が停まっています。
調べてみると、新型E653系が改造工事をおこなっている関係で半年ばかり「フレッシュひたち」1往復の代走に入っているそう。引退からあまり間を置かずしての再登板ですが、90年生まれの私にとって常磐線特急と言えばやはりタキシード・トレインの651系。JR第一世代の特急車両は図鑑やビデオを通して幼時の私に色濃く印象を残しましたが、引退や転用を経てもなお未だに惹きつけられるものがあります。


さて、陽光差す山手線ホームへ移り、自販機で買ったホットジンジャーエールを飲み干して品川へ。


続いて京急線に乗り換え、赴いた先は四十七士の眠る泉岳寺。


そう、私の生まれた12月14日は言わずと知れた赤穂浪士討ち入りの日であり(もっとも、旧暦で言えば1月になるのですが)、幼少時から事あるごとに教えられてきました。以前から何度かは訪れていましたが、14日当日の訪問は初めてのこと。


朝の8時前ではありましたが、早めの参拝客や露店の準備等で境内は少々賑やか。
お供え用の線香も手売りされていたので、一まとまりを購入して四十七士の墓所へと進みます。前の老婦人は一人ひとりの墓前で名前を読み上げ、「ご苦労様でした」と丁寧に声を掛けて線香を供えられていたのですが、その姿が非常に印象に残りました。


本来ならばもう少し東京でぶらぶらしたいところですが(事実、新幹線乗車直後に在京の友人から連絡が来て後悔したのですが)、夕方にはお稽古が、そして夜には忘年会が迫っているために止むを得ず帰洛の途につきます。来た道を戻り、今度は品川駅の新幹線ホームへ。


品川では今や少なくなった700系「のぞみ」がやって来ましたが、携帯の充電が切れていたために泣く泣く見送り。後続のN700系「のぞみ」の自由席に腰を落ち着け、後はひたすら京都到着を待つのみ。


年々速達化される「のぞみ」に乗るたび、横光利一『頭ならびに腹』の冒頭、「真昼である。特別急行列車は満員のまま全速力で馳けてゐた。沿線の小駅は石のやうに黙殺された」という一節を想起しますが、大正末期のこの作品が私鉄の開業、住宅地の進出、サラリーマンの登場によって自然に求められたスピーディーな文体であるならば、日本に新幹線が誕生して50年、今や「沿線の都市は小石のように」となりつつある現状、いったい我々はどんな文体でどんな物語を描いていけばよいのでしょうか。「震災後文学論」といったものも時折目にしますが、日々文学に触れている以上、そういったものの在り方を常に考えていかなければならないと実感させられた帰途でもありました。


寝起きを繰り返して京都に到着。
乗車時には気付きませんでしたが、新型のN700Aでした。これはこれで少し得をしたと言えるでしょうか。
往路がゆっくりしていただけに、やはり新幹線は速すぎて着いたという実感がありません。それでも改札を出れば見慣れた風景が広がり、休日でごった返す烏丸口から巨大なロウソクを見上げた時、この街に帰ってきたのだという感触が少しずつ染み渡ってきたのでした。

☆おわりに☆

「あけぼの」と江差線に別れを告げる今回の旅でありましたが、思い立ったが吉日、18きっぷシーズン開始直後の平日ということで、比較的落ち着いて楽しめたのではないかと思っています。
例によって幾つかの取りこぼしはありましたが、それなりに独自色を出して十分に楽しむことが出来ました。次に渡道の機会があればやはり「トワイライトエクスプレス」を利用してみたいものですね。

「あけぼの」定期列車廃止までに書き上げたかった旅行記ですが、結局ギリギリになってしまいました。この旅行記を書き上げる頃、最終の両列車は万感の思いを乗せて通いなれた旅路を目的地へと向かっていることでしょう。
一旅人の視点からではありますが、少しでも「あけぼの」や江差線、東北の雰囲気が伝われば幸いです。
最後までお付き合いいただき、どうもありがとうございました。

KTR1000/2000の製作 その8【完成】

2014年03月13日 00時23分09秒 | 鉄道模型/製作中-KTR1000/2000形【完成】
前回(その7)はこちら

何だかんだで今年初めての模型記事です。
水面下ではいろいろと進めてはいるのですが、なにぶん寒さで塗装することが出来ず、3月までズルズルと……。
昨年11月から大幅に間が空いてしまったKTR1000/2000の製作記事、今回で完成を迎えます。

ボディは両車とも前回までに完成しているので、今回は屋根の加工がメインです。


展望車・2002形の集中クーラーはマイクロのエーデル丹後から複製しました。


塗装してアンテナと共に取り付けたところ。
アンテナは私鉄用かと思ったのですが、ネットの写真ではJR用に見えた(他のエーデル車と同じ)のでそれを取り付けています。一方、原型車は私鉄用アンテナが載せてあり、この区別は少々疑問に思っているところです。

以下、一気に完成画像~。


前面窓は透明プラ板をドライヤーで熱して曲げ、大まかに切り取って現物合わせで瞬着を流し込み固定しました。
当然白化してしまうので、内側から半光沢クリアーを吹き、ついでに室内の粗を隠しています。(笑)


座席は手持ちのジャンクから切り取って流用。
床下は両車ともキハ58となっています。本来ならば原型車の1001(1エンジン)はキハ28とすべきなのですが、動力の都合でとりあえずはそのままに。(^^;
スカートは元の金属キットのものを取り付けています。


相方の原型車・1001形。
種車はKATO製ながら、前面窓はTOMIX製が嵌まるようにしたのでそれなりに見栄えします。帯の切れ目が気になりますね……。

活躍当時は存在すら知らなかったKTR1000/2000の「レインボーリゾート」。
中古屋さんで見つけたボロボロのジャンク品がその製作契機を与えてくれました。
いざ作ってみれば、プラ車体に金属の先頭部分を取り付けるという無理矢理感でいっぱいの作品となりましたが(笑)、実車がそんな感じ故にそれもまたよしと言ったところでしょうか。


私の趣味的原点である、90年代の福知山界隈を彩る車両がまた一つ増えました。さあ次は何を作りましょうか――。

新キャラクターと新デザイン

2014年03月09日 23時04分10秒 | バス関係
3月に入り、来年度の予定が徐々に決まりつつあります。
やりたくて積極的に引き受けたもの、なり手が居なくて仕方なく引き受けたもの、様々ありますが、やるからには、ちょっとしたオリジナリティーを加えていきたいものですね。
そんな、ここ数日の話題を。


京都市営地下鉄キャンペーン第2弾として、先日紹介した第1弾キャラクター・太秦萌に続き、松賀咲の描かれたトラフィカ京カードが発売されました。
ガラッとイメージが変わりましたが、何処となく、出町商店街マスコットガールの加茂川マコトと似ていると思うのは私だけでしょうか。(笑)
個人的には第3弾の小野ミサがいちばんグッとくるのですが、以前はとても考えられなかった交通局の「萌えキャラ」、これで3人も登場したということで、カード以外の展開にも期待していきたいところです。

さて、市バスの方ではいよいよ22日以降に実施される新ダイヤの発表があり、各バス停にも新デザインによる時刻表の掲出が始まりました。
きょう立ち寄った高木町西行きのバス停2箇所を例に見てみます。

まずは本停留所から50mほど東にある、65系統専用の西行きバス停。
この系統のみ高木町から右折して松ヶ崎通を北上するので、交差点に近い本停留所には停まらず分設扱いとなっています。


上が22日以降の新デザインによる時刻表、下が21日までの時刻表です。
従来の時刻表を板貼りで掲示するのは毎度の方法ですが、デザインは概ね踏襲しつつ、行先が黒地に白抜きで表示され(おそらく方向幕デザインもこれと一致させるのでしょう)、時刻部分がモノトーン調となりました。

続いて、それ以外の系統(204,206,北8)が停車する本停留所の西行きバス停。


206甲系統、京都駅行きの新時刻表です。
こちらは千本通経由を示すラインカラーが上部に付されています。(実際は北大路バスターミナルでの途中入庫が多く、千本通まで直通するのは半数に留まっているのですが)


標柱全体を見たところ。路線図は現時点で従来デザインのままです。(従来時刻表はやはり板貼りで標柱下部に掲示)
今改正では停留所名の改称や経路変更が多く伴い、本格的な取り替えは改正前日の深夜辺りになると思われますが、新しい路線図は地図上に落とし込んだ分かりやすいデザインになるということで、かなり期待が持てそうです。

雪国断章 三日目(その2)

2014年03月06日 03時42分10秒 | 旅行記
前回(三日目その1)はこちら

・12/13(木)

秋田駅を出て、雪中を徒歩で秋田県立美術館へ。
街中ということもあるのでしょうが、青森に比べれば随分と雪の量が少なくなって足取りも軽やか。実は秋田の街を巡るのは今回がほぼ初めてのことで、あらゆるものが新鮮に映ります。


駅からメインストリートを直進して現れたのは、灰色のコンクリート造りが目立つ県立美術館。安藤忠雄の設計です。


入館しようと思えば、傍にはひっそりと国民文化祭の案内……2014年は秋田での開催だそうです。以前、京都でも実施され、それに伴う幾つかのイベントに参加したことを覚えています。




大きな出入口ドアを利用した催事案内が特徴的です。一目ではそれと分かりづらいせいか「出入口」と掲げられた表示が少々無粋ではありますが、メインの展示を鑑賞する前後には美術館そのものの建築にも触れておきたいものです。
今回観に来たのは藤田嗣治(レオナール・フジタ)に関する展示。日本で生まれ、渡仏して帰化した彼のパリ時代の作品が中心となっています。2013年は藤田の渡仏100年に当たるということで、言わばメモリアル的企画。フジタの作品は今も各地でさりげなく飾ってあるのを見かけますが、やはりその題材には猫や自画像のイメージが強く、それ以外の作品を多く見ることが出来たのは良い収穫でした。
鑑賞後はもちろんグッズを購入。お約束(笑)のクリアファイルと、予想外のトートバッグで散財です。(笑)


(帰宅後に撮影)
最も目についた作品だった、「二人の少女と人形」。
その淋しげな表情に、思わず見入ってしまいます。

さて、駅へ戻ってからは羽越本線に乗車の予定でしたが、折からの強風で酒田方面は運転を見合わせているとのこと。下校の高校生たちが途方に暮れていましたが、次に出る列車は約1時間後。今後の予定を考えると変更せざるを得ません。
当初の予定では羽越本線の岩城みなと駅で下車、近くにある道の駅で入浴を済ませ、帰りは羽後本荘からE653系の「いなほ」に乗車して再び秋田に戻ってくる予定でしたが、仮に岩城みなとや羽後本荘へ行けたとしても秋田に戻ってこられる確証もないので、仕方なく秋田に留まって代替手段を模索することとします。

携帯で秋田市内の銭湯を検索し、再び駅を出て街中へ。
いわゆる「駅近」にはないようですが、何とか徒歩圏内で見当をつけることが出来ました。


地図を頼りに徒歩で辿り着いたスーパー銭湯「天然温泉 華の湯」。
入浴前なので濡れようが冷えようが構わないのですが、やはり駅からは少々距離があり、さすがに冷え切りました……。
しかし設備や広さは十分で、時間をかけて全種類の浴槽を堪能。帰りは湯冷めを避けるべく近くの停留所からバスに乗車しましたが、距離感覚で言えば京都駅から梅小路公園くらいのものでしょうか。それでも運賃は京都市バスよりずっと安く(笑)、快適に駅へ戻ることが出来ました。


他都市のバスも個性的で、観察しているとおもしろいものです。画像のバスは富士7Eといすゞジャーニーと思われますが、関西ではあまり見ない形態です。

さて、この時点においても時間はまだまだ余っているので、駅ビルでお土産を物色することとし、アレコレと吟味した結果、大根を漬けた「いぶりがっこ」、ぶどうのゼリーを板状にした銘菓「さなづら」、比内地鶏のふりかけなどを購入しました。旅も終わりに近付いているのでどんどん散財しています。(笑)
因みに「さなづら」と似たお菓子では山形の「のし梅」がありますが、やはり寒冷地はこうしたお菓子が流行るのでしょうか。どちらも素朴ながら上品な味わいが魅力的です。
また、夕食には残り少なくなった駅弁を購入。さすがにこの時間ともなると「鶏めし」の姿は消えていましたが、親切な店員女史に各弁当の特徴と賞味期限を教えていただき、22時頃まで食べられる「秋田のんめもん! こまちっ娘弁当」を購入。詳細は後述します。

それでも、今夜の宿となる上り「あけぼの」乗車まではまだ若干の余裕があります。
列車は幸いにも各方面で運転が再開されたようで、こうなればフリーきっぷの強みを生かして「ちょい乗り」。

秋田19:12発→上二田19:41着


(写真の列車と乗車列車は異なります)
定期列車としては秋田に発着する唯一のディーゼルカー、男鹿線の列車に乗ります。
夕ラッシュの時間帯なので車内は帰宅客で混雑。私もデッキに立っていましたが、追分までの奥羽本線区間では電車にも引けをとらない本気の走りを見せてくれました。今回訪れた北海道然り、まだまだ各地で現役のキハ40系列ですが、ここ最近は各社でハイブリッド車や蓄電池車での置き換えが始められようとしていることから、長らく同系列の独壇場だった東北地方も近いうちに予断を許さない状況になるのは確か。今のうちにしっかり楽しんでおきたいものです。

男鹿線に入って二駅目、上二田で下車。
私と共に降りた数人の下車客は送迎の車によってすぐに雪中へと姿を消し、有象無象の落書きが残された待合室で反対列車が来るまでの時間を潰します。裏返せば、それだけ学生や若者が利用していることなのでしょうが……。

上二田19:55(5分延発)→秋田20:20(2分延着)


数分遅れてやって来た秋田行き列車のロング・シートに腰を落ち着け、再び気動車の乗り心地を味わいます。
男鹿線のキハ40系は見た目は同様でも車内の仕様にはかなりの形態差があり、趣味的には非常に興味深いところ。車内の違いは各車の出自に由来するところが大きく、この先頭車両は左沢線から流れてきたと思われるロングシート車でした。

そして、もう何度目か分からない秋田へ到着。(笑)


発車を待つ雪まみれの奥羽本線701系。決して珍しい光景ではありませんが、雪中を潜り抜けてきた姿を見ると随分と頼もしい存在に思えるものです。
この後、スコップを手にした車掌氏がドアに付着した雪塊を削り落として回っていましたが、こうした現場の方々の苦労によって安全・定時運行が支えられていることを改めて実感しました。


向かいのホームには引退近しE3系。
初日に遭遇した時には気付きませんでしたが、それに伴う装飾がされていました。やはり新幹線車両はその地域の「顔」でもありますから、開業時から活躍していた同車の引退は一般の方にも少なからず印象を与えることでしょう。ただ、経年の浅い一部の車両は山形新幹線へ転用・改造されて新たな活路を見い出すらしく、今後の活躍にも引き続き期待したいところです。

駅前のミスドで時間を潰し、ホームへ再入場。
そして……


「こまち」よりも長く、長年に亘って秋田から対首都圏の交通需要を支えてきた上野行き寝台特急「あけぼの」に乗車します。

秋田21:27(4分延発)→上野7:17(19分延着)


雪の向こうから、ゆっくりと列車が入線してきます。
これが鷹ノ巣で撮り逃した編成……であるのかもしれません。


乗車車両はオハネ24 555。B寝台個室「ソロ」の車両です。


「ソロ」には幾つかタイプがありますが、「あけぼの」ではレール方向にベッドが並ぶため、廊下を挟んで両脇に部屋を配置する構成となっています。


そのため、定員は確保出来ますが、一つひとつの部屋が狭いのが難点。入り口も折り畳み式の小さな扉で、いかなる者も出入りの際はかがんで入らなければならない、まるで茶室の「にじり口」を思い起こさせる佇まいとなっています。


今回乗車したのは下段個室内。
画像右上に上段個室の階段が張り出しているのが分かります。こうした狭さは否めませんが、一夜の「城」としては十分な設備です。


空いていた上段個室はこのような雰囲気。何と言っても曲面窓からの眺望が魅力的ですが、ベッドが折り畳み式で少々出入りがしにくいこと、数年前から転落防止用のロープが付いたことで居住性は少々損なわれた印象があります。「サンライズ」のソロも同様の構成ですが、あちらは後発ということもあってこうした問題をクリアしています。如何に定員を確保して如何に快適な室内空間を造るか――こうして乗り比べてみると、まだまだ一般的な需要が期待されていた頃の寝台列車、それらに携わった先人の苦労が偲ばれるようです。


その他の設備は他車に準じたもの。
車端の洗面所には古くからの冷水器が設置され、洗面所に立った折にはつい備え付けの紙コップを取り出して口に含んでしまいます。


車内散策もそこそこに、事前に調達した駅弁を広げて夕食。
「秋田のんめもん! こまちっ娘弁当」ということで、秋田の名物が詰まっています。掛け紙の裏には一つひとつの具材に関しての解説があり、眺めて・食べて楽しめるお弁当。思えばあっという間だった今回の旅を振り返りながら、一口ずつ味わいました。


食後は気分転換に再度車内を徘徊。トレインマークを間近に眺められるのも客車ならでは。
誰もいないデッキに立って漆黒の車窓に目をやれば、時折現れる自動車のライトと過ぎ去っていく街灯の流れ。
夢と希望と哀愁と……様々な思いが交錯しながら、列車は夜の羽越本線を駆け一路上野へ、そして私の22歳の一年間もいよいよ終焉へと近づいていきます。


5分遅れで遊佐駅に到着。
乗降客はなかったのか、ドアが開いた途端に笛が鳴り、すぐに閉まりました。

そんな夜行列車の風情を楽しみながら、部屋に戻って就寝準備……その前に。


備え付けのJR柄の浴衣に袖を通し、お約束(?)の一杯。
普段から飲むことはあまりしないのですが、旅の道中、それもこうした寝台列車だと雰囲気が手伝ってついつい手が伸びてしまいます。おつまみは秋田駅売店で求めた「アーモンドフィッシュ」。いちばん安かった(99円)のでこれにしましたが、小学校か中学校の給食で似たようなものが出た覚えがあります。あっさりとしていて、懐かしい味がしました。

さて、列車は酒田を6分延発、余目を7分延発と徐々に遅れを拡大していきますが、いつの間にか酔いが回って寝てしまったようで、ふと目が覚めたのは新発田停車中。(21分延着)
歳を重ねるその瞬間に眠りに落ちていたというのは我ながら不覚でありましたが、思いもよらぬ形で23歳の幕開けを迎えることとなりました。


キハ47形が停まっています。
本来であれば新津に近付いている頃ですが、元々の遅れに加え、夕刻の羽越本線内での風速規制がなお響いていたのでしょうか。

さて、「あけぼの」は新発田から新潟を経由せず新津へ向かいますが、意外なことに1時半を回った新津でも乗車がありました。確かにここから上野までは6時間ほど、指定席扱いの「ゴロンとシート」利用ならばリーズナブル且つ快適に移動出来る区間ではありますが、この深夜のターミナル駅で乗降風景は、不夜城たる「鉄道の街」の一面を垣間見せるものでした。
深夜帯に客扱いをする夜行列車と言えば、かつては「きたぐに」が北陸線内でこまめに停車していたことが想い出されますが、諸々の都合でこうした独特の風情も姿を消しつつあります。

四日目に続く

梅小路公園に搬入された元・京都市電 その5

2014年03月04日 22時11分53秒 | 京都
本日でブログ開設から9年を迎えました。
最近は備忘録的意味合いが強くなっていますが、日々何かしら書く習慣がついたことで頭の引き出しが可視化され、必要あらば記事を読み返して「あの時こんなことがあってこう考えていたのか」と、我ながら気付くことも多く……。
今後ともよろしくお願いいたします。

さて、暦の上ではマーチに入り、いよいよ開園秒読み段階となった梅小路公園市電ひろば。
今回は3日(月)の夕刻の様子をお伝えします。

まずは七条入口広場の2001形から。


タイルが敷き詰められ、車両手前にポールが設置されました。
前面窓には開園告知のポスターが貼られています。


一部のカーテンは閉められた状態。何かの準備でしょうか。

因みに、2月24日に通りかかった際は、


ちょうどタイルを敷き詰めているところに遭遇しました。
この時は全てのカーテンが上がっていますね。

続いて、大屋根下の4両ですが……


この特集の初回、1月29日と同じアングルで撮ってみました。
動態保存用の軌道や植栽の類もほぼ完成に近づき、随分と工事が進んだことが分かります。
このアングルからは木々が邪魔ですが、開園の暁にはもう少し近付いたところからタワーをバックに走るN電が収められそうです。


木津屋橋通に面した停車場回りもスッキリ片付いています。

さて、水族館脇の505・1605・703・890形。


パッと見は変わらないように見えますが……


505形の窓が黄色の板で塞がれ、排気口のようなものが出ているのが確認出来ました。おそらく店舗改造への途上だと思われますが、今後の変化が気になるところです。


隣の703形は最前部の窓のみカーテンが閉められています。


車両間には室外機(?)が設置。施設として使う以上、これは仕方ないところですね。


公園もかなり整備が進み、手前の停車場にN電がやって来る日も間近です。

最後に、大宮入口広場の935形を。


こちらも七条入口広場の2001形と同じくポールが設置されましたが、その他の変化は見られません。

先月末にかなり進められたのか、数日見ない間に小奇麗になり、車体にも小変化が見られました。
後はレプリカでも良いので行先表示を付けてほしいところですが、果たして……?

「利休にたずねよ」

2014年03月03日 22時49分43秒 | 映画

大変遅ればせながら。
原作者の山本兼一さんが亡くなられたというニュースも記憶に新しいところですが、2月の末日、もう午前の一部のみになってしまった上映を観てきました。
大きな映画館は久々でしたが(笑)、さすがに朝9時のシアターに人影はまばら。落ち着いて楽しむことが出来ました。

さて、「利休にたずねよ」は、利休切腹から時を遡り、彼の美の根源を辿っていくストーリー。
従来の利休のイメージであった「わび・さび」の枯れ具合から離れたうえで、実は優美なものを追求していたのではないか……といった仮説が執筆の契機とされていますが、時代考証やフィクション部分の脚色に少々の問題はあれど、飽くなき美の追求やこだわりを持っていた、ストイックな、ある意味で恐ろしい人物像はしっかりと伝わってきました。
撮影には現在に伝わる当時の茶碗が使用されたとのことで、それが美しい所作や点前と合わさり、見事な「映像美」を演出していたと思います。

そうした「人」や「物」の美しさに見入ってしまった2時間でしたが、歴史小説が好きな人なら十分楽しめる作品と言えるでしょう。特に北野大茶湯のシーンは活気があって見事です。先日参加した北野天神梅花祭も元々はそれに端を発するものですが、当時の勢いには敵いませんね。
ただ、史実にこだわるならば、やはりフィクションの部分が目についてしまいます。これらの相違については私もある程度踏まえているつもりですが、ここでは敢えて触れません。(笑)
しかしながら、茶道を嗜んでいる人間としては、見どころが豊富で、今後も自らの美意識を高め、主客共に美しいと思える点前が出来るよう努めていきたい、そう思える作品でした。

一つ個人的に惜しかったのは、美しかった点前のシーンが部分的にしか登場しなかったということ。
せっかくの映画ですから、欲を言えば通しで見てみたかった気もしますが、そうなると撮影はかなりの長回し、観る方は退屈気味にと、なかなかハードルが高そうです。(笑)