連休中の9日(日)は「SL北びわこ号」を撮りに行ってきました。
乗車したのはもう
2年前のこと。その間に客車列車(とりわけ国鉄型)を取り巻く環境も激変し、つい先日はJR四国の12系・14系がEF65に牽かれてはるばる東武鉄道へ甲種輸送されたのも記憶に新しいところです。
その12系と14系、JR時代は「ムーンライト高知・松山」として季節ごとに京都にも顔を出していました。
当時の写真です。08年3月27日なので、高3に上がる前の春休みということになります。
おそらくこのなかに先日の東武譲渡組も含まれていることでしょう。運転終了後は高松で放置されていたのを何度も見かけましたが、まったく世の中何が起こるか分からないものです。
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そうした昨今の動きに刺激されてというわけではありませんが、「やまぐち号」は客車の新造と合わせてD51の復活が決まった一方、それによって置き換えられる予定のC56が牽くほぼ原型の12系「北びわこ号」は今や貴重な存在。ふつうに走っているうちに一度くらいは「らしい」場所で撮っておきたいと思ったのです。
とは言え、朝はゆっくりしていたので午後の2本目がメイン。(笑) 昼前の新快速で京都を経ちました。
米原到着前の車窓右手には……12系客車が待機しているのが見えます。
パッと見の状態は良さそうですが、今後の去就が気になるところ。
木ノ本方のスハフ12は外幌で後方監視窓が細長いタイプです。
機関車はこちら側に付くので、回送くらいでしか顔を見る機会はありませんね。
さて、新快速を田村駅で降り、北東にある田村山を目指します。
駅から15分ほどで琵琶湖を望む頂上に着きました。
湖北を行く223系。
何度も見て分かっていることではありますが、ふだん見ている新快速の末端区間はこんなにのんびりとしているのだと改めて驚かされます。
「北びわこ」の露払い役(?)、少し遅れて通過した681系の「しらさぎ7号」。
近年、白い車体の特急車が増えたせいか少し没個性的にも見えますが、どのような沿線風景にも似合う外装だと思います。
数分後、田村駅の方から汽笛が聞こえるとともに、「北びわこ号」が定刻通りに姿を現しました。
こうしてサイドから見ると大柄な12系客車と比べてC56が随分と可愛らしく見えるものです。誰が名付けたのか「ポニー」の愛称も宜なるかなといったところ。
米原から長浜はノンストップなので、意外と早く走っていきます。
少しだけ期待していた煙は……結局ほとんど出ることはありませんでした。今回撮影するにあたって色々と調べてみたのですが、「北びわこ」の煙は定番撮影地を除くと時間や天候によって随分と左右されるそうで、思い通りの画になるかは運次第。それが短区間とは言え四季折々の湖北を駆けるのですから、様々な場所やアングルでトライを続けるリピーターの多さも頷けます。
幾らかの課題は残しつつも、「北びわこ」らしく琵琶湖をバックに、そして長浜城と共に収められる田村山俯瞰は一度訪れてみたかったので、この日はこれで満足。
田村駅は敦賀直流化の際にそれほど手を加えられていないようで、昔ながらの駅構内の雰囲気を残しています。
ちょうど上下の列車が同時に来るのでどちらに乗るか迷いましたが、とりあえず隣の長浜まで移動。
駅南にある旧長浜駅舎を再利用した「鉄道スクエア」へ。
かつての長浜駅は現在で言うところの東海道本線と接続していたことから、明治期における東京・神戸間の鉄道写真がパネル展示されていました。
京都近辺では桂川や鴨川に架かる橋梁の写真がありましたが、私はいずれも初見のものばかり。身近な風景の古写真を見るとつい現在の風景と脳内でオーバーレイさせてしまいますが、橋梁に関してはほとんど変わらないですね。(笑)
ちょうど先日の京都新聞では初代京都駅(七條ステイション)のことが触れられていたこともあり、個人的にはすごくタイムリーで、時間潰しのつもりがそれ以上の知見を得ることが出来ました。
長浜駅の周辺をぐるりと歩いていると、「北びわこ」回送用のEF65が単機で通過して行きました。
北陸本線を走る直流機の姿はまだまだ新鮮に映ります。とは言えあの敦賀直流化からはや10年、おかげで何度も嶺南地域を訪れるようになりました。
回送は前回乗車時に撮影したので今回はパス(軟弱)、帰りは近江塩津まで北上し、湖西線経由で帰路につきました。
「鉄道の日記念乗り放題きっぷ」は青春18きっぷの1回分(2370円)と違い3000円なので、近場でモトをとろうとすると少し苦労します。(笑)