復活! タンゴエクスプローラーを追う

2019年01月12日 23時55分10秒 | 旅行記
昨年10月28日(日)の出来事です。


この日も「SL北びわこ」の運転日。2週連続で湖北へ赴いても良かったのですが、撮影地を考えていなかったこともあり、思い切ってここは趣向を変え、山陰線ホームから「きのさき1号」に乗ります。
と、その時、向かいの30番ホームに撮影者が数人居るのを見かけ、そういえば……と思って本線の方を見れば、


「北びわこ号」を牽引するC57の送り込み回送がやって来ました。この早朝の回送は今まで撮影したことがなかったのですが、本運転が1往復に減らされた現在では貴重な撮影機会と言えるでしょう。ともかく、これで図らずもSLが撮れたので湖北の諦めはつきました。(笑)

そうして乗車開始のアナウンスが流れた「きのさき1号」に乗車します。以前はこの時間帯(京都7時台)に府北へ向かう列車は普通や快速しかなかったのですが、数年前のダイヤ改正でこの朝一の特急が設定されて随分と移動が楽になりました。
やがて動き出した「きのさき1号」は朝陽差し込む京都を後に保津峡をトンネルで次々と抜けていきますが、亀岡盆地へ躍り出ると辺りは一面霧に包まれ、気候の違いや季節の進み具合を実感。再び晴れ間が覗いたのは船岡辺りでした。
福知山には9時前の到着、少々ひんやりとした空気に触れながらKTR(……と書こうとしましたが今は「丹鉄」ですね)の乗り換え窓口で本日の切符を求めます。


表題からも想像がつく通り福知山からは丹鉄を利用するわけですが、今回使用する切符は「ふっこう周遊パス」。2018年、相次ぐ災害に見舞われた府北地域の観光振興策として設定された切符で、丹鉄線内の特急列車自由席が乗り放題に加えて一部の路線バスまで乗れるお得な内容。今日はこの切符で周遊し、趣味活動を兼ねて復興に貢献できれば……との思いです。


お待ちかね、乗り換えた列車は特急「たんごリレー1号」。所定であればKTR8000系の運用ですが、一時的にKTR001系「タンゴエクスプローラー」編成が代走に就いているとのことで(この代走劇は結局のところ年末まで続きました)、金色のバブリーデザインに魅せられたファンの人気を集めています。(笑)
このKTR001系、2011年3月のダイヤ改正でJR線乗り入れを取り止めて以降はKTR線内(当時)で「たんごリレー」を中心とする運用に就いていましたが、2013年3月に定期運用から離脱。西舞鶴で放置されているのを何度か見かけ、このまま干からびていくのか……と思っていたところを、やはり8000系だけで回すのは場合によっては難しいのか、最近になって第二編成が修繕されて運用復帰の運びとなりました。前面の補修痕が痛々しいですが、とりあえず走れる状態にはあるのでしょう。撮影は後回しとして、ハイデッカーの車内へと歩みを進めます。


(下車時に撮影)
自由席は後ろの2両ですが、期せずして後面展望席が確保できたのでそこに腰掛けます。KTR001系と言えばこの車体色に合わせた赤と緑の枕カバーにクッション性の高い座席。リクライニングの角度が後発の8000系より大きいのも特徴でしょう。このブログでも何度か書いたかもしれませんが、鉄道に乗ったなかでいちばん古い記憶がこのKTR001系の通路から前を眺めていたというもので、おそらくもう25年も前のことと思うと、平成も終わりに近づいた今になってもなお同じ光景が眼前に開かれていることが何だか不思議です。


そんな「たんごリレー1号」の車内ですが、久方ぶりに気動車チャイム(アルプスの牧場)が聞こえてきたかと思えば、列車はやがて同時発車したJRの223系を華麗に抜き去り、小駅を1線スルーで通過しながら大江山の麓を一路宮津へと韋駄天の如く駆けていきます。その様子は満身創痍の車体に反して「まだまだやれる!」といった印象。自分と同い年の特急車の力走に興奮を禁じ得ません。


福知山時点では後面展望と述べましたが、宮津では進行方向が変わるので前面展望に。多くの観光客は天橋立で、同業と思しき方々も三々五々降りていき、車内はローカル特急の様相を呈します。京丹後大宮(変更後の駅名はどうも慣れない……)では特急「はしだて2号」と交換。これが綾部で「まいづる6号」と連結し、正午過ぎには京都へ到達するわけです。


福知山から約1時間、終点の網野には9:59の到着です。対面乗り換えで豊岡行きに接続していますが、これを見送ってしばしの撮影タイムとします。


するとそこにやって来たのはJRのキハ40「天空の城 竹田城址号」を先頭に繋いだ「ぐるっと北近畿号」。丹鉄の「くろまつ」とタッグを組み、月イチ程度で周遊列車として運行しているようです。中間の赤い一般車両は両車のアダプタ的役割ですが、3両とも車種と車体長が異なる編成というのは趣味的見地からも興味を惹かれます。今ではエクスプローラーのような車両を生み出すことは難しくなりましたが、「城崎・天橋立ダイレクト」然り、工夫次第で新たな魅力を創出することはむしろ現在のほうが活発と言えるでしょう。




改めて車体回りを観察していきます。僚友のKTR8000系は装いを変え、愛称の「タンゴディスカバリー」も消滅してしまいましたが、こちらは色あせながらも金色の外装を堅持。HP上の案内でも「エクスプローラー車両」との呼称が健在なのは嬉しいことですが、それだけに、一度綺麗に塗り直す……というのは、代走がメインとなった現在の運行頻度からしても難しい事情があるのでしょうね。




駅外の神社から編成写真を。
この後、駅に戻って硬券の入場券を求め、普通列車で来た道を後戻りします。


天橋立の一つ手前、岩滝口で下車しました。ここと隣の野田川……ではなく与謝野との間にトンネルがあり、「たんごリレー1号」の車窓から気になっていたので降りてみた次第です。駅前からは舟屋で有名な伊根へ向かう丹海バスが発着しており、この日も多くの観光客を乗せたバスが出ていきました。

向かったのは駅から10分ほど歩いた踏切。


早速「丹後あおまつ」がやって来ました。ここでは俗に言う「トンネル飛び出し」構図を狙っていたのですが、いざ訪れてみると周囲に陰が被っていたので断念。側面から狙うのも背後の建物が気になり、絵に描いた餅は絵のまま消えました。(笑)


続いてお目当ての「たんごリレー4号」。ローアングルで狙ってみました。こちら側の先頭は痛々しくないのが救いです。(苦笑)

「たんごリレー3号」が折り返してくるまでにはまだ時間があるので、後続の列車で宮津へ。


6月から構内に開店した「114km cafe」の「丹鉄珈琲」で一服します。「ふっこう周遊パス」の特典で1杯が無料になるということで、コーヒーブレイクはここと決めていました。(笑)


(下車時に撮影)
さて、次にやって来る3号の撮影地は駅から徒歩圏内ではあるものの、せっかく「周遊パス」が使えるので丹海バスに乗車します。先ほど岩滝口で見かけた伊根行きのバスは観光客を大勢乗せていましたが、この系統はどうやら生活路線のようで見たところ客層は地元の利用者が中心。短いながらも「ローカル路線バス」の旅を楽しみますが、この直後の12月に飛び込んできたのが、こんなニュース。

丹海バス 宮津6路線撤退へ 運転手不足、今後は市直営に /京都


丹海バスは以前から上限200円運賃などの画期的な取り組みや、府が推し進める「海の京都」効果によって天橋立や伊根の舟屋が再注目されるなど利用客は増えているようですが、運転手不足となればまた別問題のようです。この日乗った路線もその対象のようで、列車で訪れた旅先で気軽にバス、というのも難しくなる時代がやって来るのかもしれません。


バスを降りてからは日吉神社へ。ここは何度か訪れていますが、海をバックに列車を収めることが出来るのでお気に入りの場所です。試行錯誤の末に色々詰め込んだ感は否めませんが、「たんごリレー3号」は高速で駆けていきました。

今度は徒歩で駅へ戻り、一駅だけ乗車して天橋立へ。


列車を追いかけるのはいったんお休みして駅前の「智恵の湯」に浸かり、同じく駅前の土産物店の二階で海鮮丼を遅めの昼食としました。最近の休日は「乗り」に加えて温泉とグルメが付き物で、それでようやくリフレッシュできるというか(笑)。とは言え、やはり海産物は海の近くで食べるに限ります。

店を出てからはまだ時間を持て余していたので、窓口で帰り(福知山から)の切符を求めた後、


(下車時に撮影)
パスの効力を生かして「はしだて6号」に宮津までの一駅だけ乗車し、後続の福知山行き普通列車に乗り換えて大江山口内宮へ。列車番号からも分かる通りJRの113系が充当されていますが、これに乗るのも第二の目的でした。何だかんだで息の長い113系ですが、気動車に伍して線形の良い宮福線を飛ばしていくさまは頼もしく、特有の心地よい揺れもあってこのまま福知山まで乗っていたい気分になりますが……今日は「たんごリレー」にもう一度乗るために、大江山口内宮で踵を返します。


(下車時に撮影)
反対列車でやって来たのは快速「丹後あおまつ3号」。想定していたことではありますが、休日のこの時間帯(16時前)ともなれば福知山からの帰宅客が多く、改装でデッドスペースが増えた「あおまつ」車両は詰め込みが効かずに出入口付近は大混雑。「あかまつ」は定員制ですからともかく、普段使いの多い「あおまつ」に例の本棚は不要なのでは……と考えてしまいます。(苦笑)


もう何度目か分からない天橋立からは、後続の豊岡行きで落陽眩しい野田……与謝野まで。ここでも入場券を求め、網野からやって来る「たんごリレー6号」を迎えます。

下車時は良い感じの夕陽だったわけですが、秋の日は釣瓶落とし……


「たんごリレー6号」がやって来ました。


行きは最前列でしたが、帰りは排気管横の座席に腰掛けます。ご覧の通り窓が設置できない関係でシートピッチが異常に広くなっており、どれだけ足を伸ばしても怒られない(そもそもそんなに足が長いのか、というのは置いといて)おトクな席となっています。ちなみに隣は空席ですが、


雨漏り等の影響なのか、このような貼り紙が……。

列車は夕闇迫る丹後路を軽やかに走っていきますが、天橋立からは関西圏に向かう観光客が大挙して乗車。やはりアジア系の観光客が目立ちますが、夕刻ということもあって2両の自由席は(例の貼り紙区画を除いて)ほとんどが埋まりました。冒頭で述べた通りこれが通常ならばKTR8000系の2両(自由1指定1)ですからパンクするのは必至、エクスプローラー車の充当は怪我の功名だったのではないでしょうか。


特急列車に乗っていながら「もっと乗っていたい」と思うのは何とも矛盾ではありますが、あっという間に終点の福知山。後は隣のJRホームに停車中の「きのさき20号」に乗り継いで帰るだけですが、車内からは大量の観光客が吐き出されていき、改めてエクスプローラー車のキャパシティをまざまざと見せつけられます。こうした繁忙期のためにも、そして復権しつつある府北観光をより活性化させるためにも、同車が文字通り「丹後探検者」の足となって今後も時折復活してくれることを願ってやみません。

維新150年を迎えた越前福井を訪ねる

2019年01月08日 01時25分12秒 | 旅行記
書き溜めていた旅行記を公開していきます。
本記事は昨年10月21日の出来事、つまりはこの記事の続きにあたります。

「北びわこ」の撮影後に米原へ戻り、次の目的地・福井までは「しらさぎ53号」に乗車します。
この米原・福井間は18きっぷのワープでは知られた区間で、営業キロが99.9kmということもあって乗車券・特急券ともに100km以内の出費で収まるのがありがたいところです。敦賀までは新快速があるとは言え実質各駅停車なので、時短効果はかなりのもの。この日は「関西1デイパス」を利用しているのでエリア外となる敦賀・福井間の乗車券も買い足していますが、それをさらに今庄で分割して70円浮かせるといったセコいこともしています。(笑)


車中では駅弁を開けます。米原駅構内では新在乗り換え需要のためか井筒屋さんによる駅弁販売が現役ですが、ここは名物の「近江牛弁当」などにしようかと思っていたところ、「できたてですよ~」の一言につられて幕の内を買ってしまいました。冷めても美味しいのが駅弁の魅力ではありますが、ご飯が少し温かかったり、エビフライの衣がサクサクだったのは出来立てを手にした者の特権と言えるでしょう。(笑)オーソドクスな幕の内ながらご当地の赤こんにゃくが入っているのも嬉しいところです。


湖北・嶺南・嶺北と変化する車窓を眺めつつ、約1時間の乗車で福井に到着。


訪れるたびに何かしらの変貌を遂げている福井駅ですが、北口が落ち着いたかに見える一方で、南口に出てみれば奥からJR北陸線、建設途上の北陸新幹線、えちぜん鉄道と3路線の高架が並ぶ過渡期の光景が展開されます。敦賀開業の暁にはJR線が第三セクター転換される見込みですが、既に「えちぜん鉄道」「福井鉄道」がある以上、どのような社名になるのか興味深いところです。金沢開業時に「とやま鉄道」「いしかわ鉄道」が誕生した前例がありますから、「ふくい」とひらがな表記が入るのかな……と予想していますが、果たして。

さて、ここからは、手前の赤い駅舎が特徴的なえちぜん鉄道に乗車して、福井鉄道との接続駅・田原町で下車。


前回訪れた際にあった古い上屋が取り壊され、福井鉄道側はLRT然とした近代的な駅となっていました。


(2014年1月)

田原町駅からは歩いて福井県立歴史博物館へ。(えち鉄の)福井駅で最寄り駅を尋ねた際に一つ手前の西別院かここ田原町かを勧められたのですが、田原町からの方が微妙に遠いぶん道が分かりやすいですね。もちろん、先述した駅舎の変化を見ておきたかったというのもあります。(笑)

歩くこと10分弱で歴博が見えてきました。




2018年は明治維新150年ということで各地のミュージアムにおいて幕末維新期が回顧されており、当ブログでも桑名竜野を訪れたことは記事にしましたが、越前松平家のお膝元であったここ福井でも当然の如く企画展示が催されています。
幕末の越前と言えば逸材揃いで、大河ドラマ常連とも言える松平慶永(春嶽)、安政の大獄に散った橋本左内などが名高いところですが、企画展示では彼ら以外に地元の「推し」として由利公正(三岡八郎)の名がありました。坂本龍馬とも交流があり、維新後は五箇条の誓文の起草や東京府知事として銀座煉瓦街の建設に関わる(先日放送を開始した「いだてん」の明治にも繋がるわけです)などの活躍を果たした人物ですが、詳細な功績を地元で実際に見聞きすると、大河ドラマ化の声が挙がるのもなるほどといったところです。
また、最後には歴代の大河ドラマ幕末ものから越前出身の人物の登場シーンのみを抽出した映像が流れており、その一つひとつは本当に「チョイ役」なのが残念なところではありますが、昨年の「西郷どん」で風間俊介演じる橋本左内がそこそこ多く出演したのはやはり地元にとっても嬉しい出来事であったようです。両隣の加賀や近江は戦国時代が絡めばイヤでも舞台に(一時的にでも)なりますが、それだけにいつかは越前ゆかりの人物が主役の大河を見てみたいところですね。


見学後は博物館内のカフェで一服、次は市立郷土歴史博物館へ向かいますが、徒歩では少し距離があるようだったのでバス停に行ってみれば、タイミングよく京福バスがやって来ました。


ろくに調べていないのでMapアプリを見ながら降りる停留所を考え(随分と便利な時代になりました)、降りた停留所は裁判所前。1954年築の堂々とした福井地裁が出迎えてくれます。とは言え、裁判所に用があるはずもなく……(笑)、


訪れたのはこちら、福井市立郷土歴史博物館です。
券を求めて入館したものの、ちょうど愛知県から来られた大学の先生による講演が始まったところだということで勧められてホールに入ってみれば、「松平慶永の『明治』」という題で講演の真っ最中。
後方の空席で聴講をしていたのですが、慶永は東京で華族に列せられ福井には戻らないと決めた一方、地元への「旧誼」として鉄道建設の発起人に名を連ねるなど、(華族にあっては比較的珍しい)「俺が俺が」と主張するタイプの人物であったと(笑)、あまり知られていない維新後の慶永の動向・思想について、豊富な資料からその実像について理解を深めることができました。

江戸から明治への移行は、ざっくりと言えば――夢はないけど仕事はあった時代から、仕事はないけど(「就活」が生じる)夢がある時代へ。身分制度の変容もあり、「○○藩士としての自分」「○○業としての自分」など、人々は多面性を持つことを強いられましたが、その過程でどうしても、従来抱いてきたアイデンティティと上手く折り合いをつけなければいけません(この辺りは作家・平野啓一郎が提唱する「分人」の概念が詳しいです)。ある者は西洋に追いつこうとし、ある者は武士としての矜持を追求し続け(「西郷どん」に見られた士族反乱)たのは歴史が示している通りですが、おそらく慶永にあっても、越前松平家の元藩主として、そして新時代を生きる華族としての狭間で苦悩したに違いありません(同時代の人物で言えば、森鷗外も軍医・作家など数々の経歴を有しながら最後は〈余ハ石見人森林太郎トシテ死セント欲ス〉という言葉を遺しています)。
明治150年という節目にあって、社会構造の大変革を振り返るのはもちろん、それに直面した明治人の(個人としての)生き方に興味を抱いていたので、私としてはこの講演は思いがけない収穫でした。

展示も一通り見た後は、近くの福井城址大名町から福井鉄道に乗って郊外へと足を延ばします。


元・名鉄の880形がやって来ました。あまり調べていなかったのですが、いったん福井駅前を経由する便だったので折り返しの所要時間がかかり、結果的には1本後の便(どうやらこれに最新型低床車両のF1000形が充当されていたよう……)が目的地には先の到着だったようです。


とは言え、乗ってしまったものはどうしようもないので、そのまま乗り通して列車は鯖江市に入り、神明で下車。


駅の裏手にある「三六温泉 神明苑」で汗を流しました。最近の日帰り旅は歩き回るので〆に温泉をもってくることが多いのですが、落ち着いて一日を振り返ることができるので非常に良い時間ですね。


帰路は再び福井に戻り(この時間帯は武生や鯖江に停車する便がなかったのです)、羽二重餅を買い求めた後、京都まで無停車の最速達「サンダーバード」に乗って楽をしながら帰ってきました。先頭は初遭遇の681系新塗装。「しらさぎ」色が登場したのも早4年ほど前、先代485系の如くどんどん形態が増えていくさまは趣味的におもしろいところです。一度じっくり腰を据えて撮ってみたいですね。

年末年始の顛末

2019年01月02日 16時06分00秒 | 旅行記
新年あけましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。


昨年12月29日夜(大阪30日発)はサンライズで東京へ。
一般にも人気の高い列車となって久しいですが、発売日に切符が取れなくても連日券売機で照会すればどうにかなるもので、今回も前日にノビノビ座席が取れました。


東京に着いてからは「休日おでかけパス」で東北→両毛線経由で栃木へ、さらに足を延ばして「DL大樹」に乗車。
鬼怒川温泉に近づくにつれて車窓は雪国と化し、今や貴重となった客車列車ということもあって「はまなす」を追体験しているようでした。
これについてはまた別項で記したいと思います。

夜は都内で大学時代の仲間と忘年会。
この会も京都でやったり東京でやったり、メンバーも毎回変わって仕事を辞めたり再就職したり失恋したり結婚したりと様々ですが(誰一人としてすんなりとはいかないところが「平成」の若者らしいでしょう)、今年も7名が集まりました。
気付けば出会って10年目の春を迎えようとしています。

翌31日は都内をうろうろ、


立川~新宿の短距離ではありますが、E257系「かいじ」の自由席に乗り納め。

新宿到着後はTOHOシネマズで「ボヘミアン・ラプソディ」応援上映を観ました。この映画を観るのは実は3回目になるのですが、さすがは東京、当日朝の時点で既に席は半分以上埋まっており、直前では△印。大人しい京都の応援上映とは違って遠慮なく拍手ができました。(笑)
上映が終わって街に出ると待ってましたかと言わんばかりに屋外広告でQueenの映像が流れ、余韻に浸れるミーハーに優しい街東京を実感したのでした。

そして帰りもサンライズ。
この切符も前日に偶然取れたもので(「ながら」を押さえていましたがもちろん乗変(笑))、多少の出費は仕方ありませんが、初めての下りサンライズでの年越しです。




「瀬戸」のハイライト、瀬戸大橋でご来光……とはいきませんでしたが、四国島内に入って国分駅付近で初日の出を迎えることができました。衣懸池というそうです。


高松でいったん下車して折り返し、撮り初めは乗ってきたサンライズを瀬戸大橋バックで。瀬戸内工業地域らしく撮れたでしょうか。

昨年は変化の一年ということもあり、平日は仕事から帰ると死んだように眠り休日になるとここぞとばかりに日帰りでどこかに出かけていくというサイクルが出来上がっていましたが(ブログ更新が滞ったのはそのせいです)、ぼちぼち要領も得てきたので、今年は余裕時分を設けた「ゆとりダイヤ」で「がんばりすぎない」一年にしたいところです。