ショーパンにレギンスは認めるべきか否か

2011年09月29日 23時59分59秒 | 日記
昨日の夕方から喉が痛い状態が続いています。
当ブログの熱心な読者の方なら、僕が季節の変わり目には体調を崩しやすいことはお分かりかと思いますが、地味にキツいものです。
今朝は喉の痛みで6時頃に一度目覚め、薬を飲んでからは9時までぐっすり眠れました。おかげさまで快方に向かいつつあります。


2限は「京都学演習」。前期から続く京都学のゼミです。
ゼミのメンバーと会うのはかなり久々だったのですが、みんな元気そうで良かったです。
今日は書庫の収蔵資料を見て回りました。うちの大学は図書館以外にも書庫があるのですが、そこはあまり入ったことがなかったので、改めて多くの書物を見ることが出来ました。
そして終わりがけには、先生が珍しいアルバイトの案内を持ってこられたので、日時が合えば是非やってみたいと思います。

3限は「エスニシティとネーション」、4限は「社会学概論」。
どちらも高校公民科の免許取得に必要な科目です。どちらも一人だと思っていたのですが、教室に入ると先日カラオケをした他専攻の友人たちが居て、思いがけずオフ会状態になりました
まぁ、みんな教職つながりですから、こんなことがあってもおかしくはないのですが…。
しかしもちろん公然の場で鉄道トークをするわけにもいかず(笑)、授業は真面目に受けていました。
それにしても、おもしろい授業があるものです。

5限は「ミュゼオロジー研究」。
友人に時間割を見せるたびに「何コレ!?」と言われるのですが、映像学部の授業です!
ようやく、3回生の後期で、以前から憧れていた映像学部の授業を受けることが出来ました。
ここは教室自体が映画館のようになっていて、階段状の座席(京阪3000系みたいなの)にはきちんと席番も振られています。もちろん教室なので肘掛には収納式のテーブルも付いていて、何から何までスゴい!

因みにミュゼオロジーとは、博物館学、つまりミュージアムに関する内容です。
先生は何処かで見たことがある人だな…と思ったら、京都文化博物館の職員さんでした!
実は(ブログにはあまり書いていませんが)前期の「人文科学総合講座特殊講義」でゲストスピーカーとして来られていたんですね。ということは、授業も必然的に京都に関する内容が多くなるということで、ありがたいことです。
初回はオリエンテーションとしてリニューアルされた文博の紹介、映画フィルムの復元に関する内容、京都の映画史などが扱われました。
この授業は学芸員課程の省令科目なので、自分の教職課程とはあまり関係はないのですが、博物館・美術館好きとしては是非現場のナマのお話をたくさん聞きたいと思っています。

5限が終わって、19:00からは円町でゼミの飲み会!
もう後期に入りましたが、ゼミのメンバーでは初めての飲み会です。先生にも参加していただいて、普段では聞けないような質問をしたり、少人数ながら楽しい時間でした。
(ずっと先生の隣だったので、けっこう緊張もしたのですが…)
そして女子トークに混じりながら、今日のタイトルが生まれました。

とにかく、こうして後期最初の一週間が終わりました。
これからもっと早く時間が経っていく気がします。


写真は多度津で発車を待つ1000形の琴平行き普通列車。
土讃線多度津~琴平間のピストン運転は電車が主ですが、夜間の一往復だけ気動車が使用されています。

過渡期にいる僕たち

2011年09月29日 23時43分06秒 | 日記
「詩人か、高等遊民か、でなければ何にもなりたくない」

――森見登美彦『恋文の技術』

そろそろ将来のことを考えなければなりません。
この夏休みで決意をしたつもりが、ここに来て少々揺らいでいます。

今日の授業は夕方から。
…だったのですが、家での時間があまりにもヒマだったので、迷っていた3限を来週からは入れようと思います。
それでも、木曜日が午後始まりというのは2回生前期からの伝統と言うか何と言うか。
因みに、午後から授業が始まる日の午前中を有効に使えたことはありません…。

5限は「日本文学と知識人」。
この授業では近代のプロレタリア文学が扱われます。プロ文と言うとすぐに小林多喜二の『蟹工船』を思い浮かべますが、他にも歴史に埋もれた作品がたくさんあるのですね。文学に興味はあっても、ほとんど知らない領域なので、これも頑張って付いていきたいです。

そしておもしろいのが、携帯電話を使っての双方向型授業。
通常、出席をとる授業では終わりにコミュニケーションペーパーを提出して帰るのが普通ですが、この授業では先生のアドレス宛にメールを作成し、件名に名前を書いて、本文に指定されたテーマを打って自由に退出する形となります。もちろん授業中に意見を集めたり、学生が板書の字の間違いをメールで指摘することも可能だそうです。
「ツイッターにしようかとも思ったのですが、この授業の感想を全世界にばらまくのもどうかと思ったのでやめました」と、先生。
携帯を持っていない人、電池が切れた人向けに別途ペーパーも用意されているのですが、これはなかなか新しい取り組みではないでしょうか。
授業の内容そのものも興味がありますが、ライブで意見を集約してすぐ授業に反映出来ることにどれほどの利点があるか、そういうことも見ていきたいと思っています。

6限の時間には、教員採用試験フォーラムがありました。
何故か出席者がまばらだったのですが、ついこの間に一次試験が終わったということで、最新の情報を聞くことが出来ました。
これからの10年ほどは教員の大量退職が発生するために、今年の3回生は非常にいい時期に居るとのこと。従来は高倍率だった高校の社会科(自分の取得予定免許)なども徐々に下がってきているそうです。
試験の内容は自治体ごとにバラバラなので、何処の自治体を志望するかを早めに絞らないといけないこと、全てに共通して言える対策の方法など、有用な情報を多く聞くことが出来ました。
そして、対策は今すぐに始めるのが良いそうです。

それから、一緒にフォーラムを受けていた友人と食堂で晩ご飯。
大学を卒業した時点で、何かしらの教員免許を持っているというステータスに果たして如何ほどの優位性があるか、改めて考えさせられました。


写真は夜の琴平で接続する土讃線の普通列車。
今春から琴平~阿波池田間の普通列車は半数以上が1000形に置き換えられたため、キハ54形は希少となっています。

多方面を向いて

2011年09月28日 23時59分59秒 | 日記
最初にお知らせです。
9/2国境の南から太陽の西へ 4日目
旅行記を追加しました。予定通り進まないのがおもしろいところです。

さて、後期も3日目を過ぎ、各種調整の上ようやく時間割が確定しました。
今期は月曜日が6限のみである他は空きコマが週に1つしかなく、2~5限まで詰まっている日が週に2回もあります。それでも前期よりはかなり楽ですが…。
成績表によると、これまでの総修得単位が126単位(うち要卒単位は106)。この後期を無事に終えることが出来れば162単位(うち要卒単位は136)となります。最終的には4回生終了時点で(要卒関係なく)180単位ぐらいを目指したいと思っています。取りすぎかもしれませんが。
もちろん落としてしまう科目もあり、そんなに成績がいいわけではありませんが(笑)、教職のおかげで専攻や学部を跨いで多様な授業を受けることが出来るのはなかなか嬉しいことです。

今日の2限は「法律学」。
ついに法の世界まで来たか!と思われそうですが(笑)、高校公民科の免許取得に必要な科目です。教室も法学部の建物でおこなわれるので雰囲気はバッチリ。
先生曰く、法律学を専門とした先生は存在せず、数ある法律の中のどこかを専門に教えるしかないそうです。
というわけで、この講義は国際法がメイン。例としては尖閣諸島の話にも及び、こういった時事問題とも密接に関わってくるので、頑張ってついていこうと思います。

3限は「総合演習」(前期から続く教職のゼミ)で、4限は「現代学校文化論」。
導入として、我が立命館大学・衣笠キャンパスを例に挙げた大学の特異性について触れられました。
「大学って、考えれば考えるほどパラダイスなんです!」という先生の言葉通り、それまでの小中高と比べるとかなりおかしいことだらけで、そういう場で2年半も過ごしているとそのおかしさにすっかり馴染んでしまっているところに気付かされました。
空間としての学校は以前から興味があり、先の旅行中にも読んでいた内田樹『街場の大学論』にも通じるところがあると思うので、どう展開されていくかが楽しみです。

5限は「民俗学」。
洛中洛外図に代表される京都の国文学文献資料から民俗学を見出すということで、後期で楽しみにしていた授業の一つでした。冒頭で「恐れ入りますが~」「~ご了承願います」など、先生が車掌さんのような話し方で、なかなか聞きやすかったです。
今日は「四条河原遊楽図屏風」の解説から始まりましたが、江戸時代の絵図をゆっくり見ていくとおもしろいもので、当時の人々の営み、すなわち民俗が生き生きと描かれていますね。
まるでその世界を見てきたかのような話し方をする先生、これまでにも結構いらっしゃいましたが、何処か惹かれるものがあります。


写真は高徳線の引田で行き違う新旧の単行気動車。
どちらも爽やかな色合いで好感が持てます。右の1500形はそこそこお気に入りです。

いつもの学生生活

2011年09月27日 23時49分19秒 | 日記
昨日より気温が高くなって、過ごしやすい天気でした。
それでも夏ほどは暑くないところをみると、これからどんどん秋が深まっていくのだなと思います。
言ってる間に冬になって、今年も終わりが近づいて…。あ~、あぁ。

今日は2限の「地誌学」から。危うく寝坊するところでした。
これは高校地歴科の免許取得に必要な科目で、ようやく地歴科に関しては全て単位を揃えることが出来ます。
高校では選択制なので地理は履修しなかったのですが、この講義では日本の地理を中心として扱うそうなので、今までの旅で訪れたところのイメージを思い浮かべながら授業が受けられると思うととても楽しみです。
やはり、授業で習ったことを現地で確かめるor現地で見たことを授業で確かめる、というのが自分の旅の原点なのだと思います。

昼休みは、知らず知らずのうちにいつものメンバーが集まってお昼ご飯。
こういう休み明けって、変に休みが長いほどそれまでの友人との距離感が曖昧になって、どことなく接しにくくなっていたのですが、一歩研究室に足を入れるとすぐ元に戻りました。こっちが構えていても、みんなアレコレ話しかけてきてくれるのはありがたいことです。
話題はもちろん夏休みの出来事ばかりで、北海道に行ってきた旅の土産話をすると意外にもかなり好評でした。一昨日の香川行なんかは「ようやるわ」と半ば呆れられますが、これがやめられないのです。
そうこうしているうち、来夏まで留学する友人への餞別にと動画でメッセージを集めているところに遭遇したので、とりあえず「死ぬなよ!」と言っておきました。
わりとマジな話。

3限は「市民と政治」で、4限は「京都学特殊講義」。
前期にもお世話になった京大の先生が来られました。小さい教室だったので一瞬目が合った時に気付いてもらえたかと思います。
この先生にはファンが多いのですが(自分もその一人)、今までと同じく近代京都を扱う中で巡検にも出かけるそうなので、今から早速楽しみです。

その後はベンチで友人としばらく話して、バイトへ。
先週の金曜日が祝日休みだったので、1週間分の宿題を採点するのが大変でした。
学生の授業が始まろうがおかまいなしに(笑)、子どもたちは相変わらず元気です。
でも、これでようやく日常が帰ってきた感じがします。疲れるけど、眠たいけど、何となく幸せです。


写真は鬼無~端岡にて、臨時列車の「アイランドエクスプレス四国Ⅱ」。
正面には陽の当たらない時間帯なので、実った稲穂と木製電柱で秋らしさを出してみました。

新たな夜明け

2011年09月26日 22時37分10秒 | 日記
まず最初にお知らせです。
9/25突発!讃岐うどんツアー
旅行記…というか「食べログ」ですが(笑)、今回も楽しかったです。

それから、続きまして、
8/30・31国境の南から太陽の西へ1・2日目
9/1国境の南から太陽の西へ3日目
こちらもアップしました。
普段の旅行記とは少しテイストを変えてありますが、特に脚色はしていません。
現地で撮った写真以上に自分が「感じたこと」が多かったので、拙い文章でも出来るだけ多く伝えられればと思います。

というわけで、京都には今朝のジャンボフェリーで帰ってきました。
昼過ぎまでゆっくり寝てから、後期最初の授業に出るべく大学へ。
こういう時のことも考えて(笑)、月曜日は6限だけです。思い切って休みにすることも出来るのですが、毎週3連休だと体がおかしくなりそうなのと、引きこもり予防のために。
2回生の前期に一度だけ水曜日を休みにしたことがありましたが、授業が無くても大学に行ったりして、結局遊べたのは2、3回だったような気がします。

6限は「宗教学概論」。
これは高校公民科の免許取得に必要な科目です。今までは地理歴史科しか考えていませんでしたが、社会科は固めておきたいと思って今期から取ることにしました。これから3期(出来れば2期)かけて必要な単位を揃える予定です。(あくまで予定)
でも、周りの友人には国語科の方が向いていそうだとよく言われます。ゼミが文学ということもありますが、教科としての現代文などはあまり得意ではありません…。

さて、授業の内容は仏教に特化するらしく、それなら辛うじて分かるかな…と思っています。
後半はタイムリーに親鸞や法然(今年はそれぞれ遠忌が重なっている)も扱われるそうなので、この機会に勉強してみることにしましょう。
京都はお寺が多いですから(完全にイメージで語ってますが)、仏教を少しでも理解してから関係する寺院を見に行くと、また違った視点や印象が見えてくるかもしれませんからね。

授業後は、一緒の授業だった友人と食堂で晩ご飯。
香川に行ってきたことや、後期の時間割の予定などいろいろと話しました。
帰りはひんやり秋の風。夜の冷え込みには要注意ですね。


写真は坂出~八十場にて、寝台特急「サンライズ瀬戸」。
列車の写り具合はイマイチですが、瀬戸大橋と工業地域が見渡せてなかなかいい場所でした。

突発!讃岐うどんツアー

2011年09月25日 23時59分59秒 | 旅行記
「夏休みを最後まで満喫してやる!」
往生際の悪い僕は、ジャンボフェリーに乗って香川県に讃岐うどんを食べに行ったのでした。
今まで何度も行っているように見えて、実は昨年の12/31以来です。取り急ぎうどんだけ紹介していきます。


・うどんの味庄(高松)、わかめうどん
早朝からやっているので、ジャンボフェリーからの連絡バスが高松駅に着いてから列車が出るまでの時間で食べられます。毎回行っているので恒例化しています。

(写真なし)
・連絡船うどん(高松)、おろしぶっかけうどん
有名な駅構内のうどん屋さん。乗り継ぎの合間に手軽に味わうことが出来ます。


・かめびし屋(引田)、もろみうどん
香川県の東の端、引田まで足を延ばしてみました。引田は醤油作りで栄えた土地で、今も製造しているお店でもろみうどんを食べました。「おいしい醤油」というものに初めて出会った気がします。古い街並みがあり、そして海も近いのでしばらくゆっくりしていました。


・手打うどんむさし(琴平)、肉うどん
21時までやっている希少なうどん屋さん。少し冷えた体に熱い肉うどんがほっこりしました。相変わらず琴平は昼と夜の差が激しいですね…。

今回使用した切符は「ことでん・JRくるり~んきっぷ」。
1900円で琴電の全線とJRの琴平~多度津~高松~志度が乗り放題の切符です。これに志度~引田の乗車券を買い足して行ってきました。また、特急券をプラスすると特急にも乗れるので2回乗りました。
1500形の最新型や2000系のリニューアル車にも乗れたので、趣味的にも十分楽しめたと思います。

日常の足音

2011年09月22日 23時56分45秒 | 日記
また一つ大きな台風が過ぎ去り、街は秋の気配がしています。
これくらいの気温がちょうど過ごしやすいですが、朝夜の冷え込みには要注意ですね。
今日は久々に大学へ行き、前期の成績表を受け取りに行ってきました。

まず一般教養科目から見ていきましょう。

科学・技術と社会…A
社会学入門…C
現代日本の政治…F

一つだけ落としてしまいました!
正直なところ、これはほとんど勉強をしていなかったので仕方ありません。一般教養科目なのでまだ取り返しがつくのが幸いです。
それにしても、「科学・技術と社会」がAなのが不思議です。せいぜいCだと思っていたのですが…。

次に専門科目。今回は他専攻・他学部の科目が中心となりました。

京都学特殊講義…B
人文科学総合講座特殊講義…C
自然地理学概論…B
社会構造と文化…A
日本文学の伝統と現代…B
専門特殊講義…B

「自然地理学概論」は落としたと思っていたのですが、まさかのB!
これは高校地歴科の教員免許取得に必要な科目なので、無事に単位が取れてホッとしています。
他は相応の評価でしょう。「社会構造と文化」は出席点と試験のオモテ面がボロボロのはずですが、ウラ面の問題だった「東北の旅行プラン作成」にかなり力を入れたので、それが功を奏したのだと思います。
青春18きっぷを使う前提で往復は夜行快速、そして「リゾートみのり」で鳴子温泉に行くというプランを評価してくれた先生は、やはり鉄なのではないでしょうか。

続いて教職科目です。

外国史…B
社会科・地理歴史科授業研究…B
健康心理学…A
教育相談の研究…B

まずまずの出来ですが、「健康心理学」がAだったのが嬉しいですね。試験では確か「死について」というテーマで延々書いたような気がします。授業自体の内容も興味深かったので受けて良かったです。
また、去年落とした「教育相談の研究」が取れたので、教育実習へ行くのに必要な単位は全て取得出来ました。後は内諾の済んだ母校の受け入れ決定を待つのみです。

今期はもともと科目数が多かったのでなかなかAは取れませんでしたが、落とした単位が一つだけで済んで驚いています。
これに加えて京大と同志社の授業、そして京都学と教職のゼミを受けていましたが、それらは後期に評価が下されます。後期の時間割もこれから少しだけいじるので、またいい授業に出会えればと思います。


写真は切り継ぎの終わったキハxxx系の側板。もうお分かりですね。
道のりはまだまだこれから。窓埋めする箇所には×印を付けています。

大阪模型店めぐり

2011年09月19日 23時59分59秒 | 鉄道模型/製品レビュー・小加工など
三連休最終日。
机の上に期限ギリギリの昼得きっぷがあったので、ただの紙切れになってしまう前に大阪方面へ行ってきました。
新大阪でMAKOと待ち合わせて、御堂筋線でなんばまで。あまり予定は決めていなかったのですが、結局は模型店巡りとなりました。

まずはホビーランドぽちの中古品販売イベントへ。
今日が最終日だったそうですが、それでもたくさん残っていました。


その中で、以前から欲しかったGMのキハ200。
シール未使用の新品同様のものを4000円で手に入れることが出来ました。レイアウトに置いてみると赤いボディが目立ちますね。
床下機器はTOMIXのキハ181系そのままなので改造したいところです。右の「あそ1962」と並べられるように行先表示は「宮地」にしてみました。

それから喫茶店で休憩して日本橋方面へ。
名前には聞いていましたが、道具屋筋を初めて通りました。「商人の街」の何たるかが少し分かったような気がします。
ポンバシにはいろいろとお店がありますが、ボークスではこれを。


富士川車輌工業のキハ40系用シールです。
山口線や芸備線のLED表示が中心に収録されていますが、ドアのステッカーや優先席表示もあったので買ってみました。これは汎用性が高そうです。
試験的にキハ47に貼ってみました。少々厚みがあるものの、車両が生き生きしてきます。

続いてポポンデッタに寄った後、最後はクロスポイントへ。


某新型気動車に改造するため、GMの157系キット(ばら売り)を買いました。以前にも1セット買っていますが、試験的に改造してみたのが上手く軌道に乗ったので本製作へと移ります。

こんな感じで、わりと収穫の多かった模型店めぐりでした。
そろそろゼミのことを考えなければ…(^^;

9月の模型進捗状況

2011年09月16日 22時45分10秒 | 鉄道模型/製品レビュー・小加工など
約1ヶ月ぶりに模型の話題を。
主にレイアウト製作を進めました。


頂上付近に木を植えただけで放置していたレイアウトの「山」ですが、どのように仕上げるかずっと迷っていました。
そこで手持ちの模型雑誌(けっこう古い)を見ていると、岩肌が露出した山というのもおもしろいかなと思い、手にしたのは灰と白のスプレー。
そのまま直に吹いて、筆で適当になじませました。ご覧のようにパウダーを撒いた上から吹いているので、岩独特のザラザラした様子も出せていい感じ?


いきなり進みましたが、今はここまで来ました。
岩肌の周囲をフォーリッジやライケンで彩っていきます。岩はもう少し白っぽい方が良かったかもしれません…。
もう少し草上させて、違和感を無くしたいところです。


全景です。本線の隣にある廃トンネルも草で覆うと一気にそれらしくなりました。
山の裾と左半分はまだ手つかずなので、これから進めていくところです。


昨日組み立てたGM製キハ22と。
部品の一部を塗装した以外は素組みです。今となっては旧い模型なのかもしれませんが、雰囲気は十分に出ていると思います。

一年先は

2011年09月15日 22時35分54秒 | 日記
9月も半ばを過ぎようとしています。
来週は成績発表、再来週からは後期の授業と、現実が近づきつつあります。
就職活動をするかどうかはまだ分かりませんが、説明会には幾つか参加してみようかと思っています。


昨日は近所の先輩(1つ上)に連れられてドライブへ。
幼稚園から中学の頃まで遊んでもらっていて、この間久々に会った時に連絡先は交換していたのですが、思い出したかのようにと電話がかかってきたのです。
先輩の運転で少し離れたラーメン屋さんに行って、コンビニで飲み物を買い、それから奈良を目指して適当にドライブ。
車中ではひたすら質問攻めに遭い、大学に入ってから僕がどういう道を辿ってきたか、この夏休みは何をしていたか、これから何をしようとしているか、延々話すことになり、そのたびに先輩はいろいろなことを教えてくれました。
あのとき僕に思春期のイロハを教えてくれた先輩は、今度は人生のイロハを語ってくれたのです。

奈良まで行くだけ行って(奈良電車区が見えました)、すぐに折り返し、帰りは宇治の天ヶ瀬ダムに寄りました。
宇治川に設けられた天ヶ瀬ダムは平等院のずっと奥にあるのですが、道を進むにつれてカーブの連続する細い山道になり、かなり秘境の雰囲気。
しばらくするとダムの設備が見えたので、車を降りてしばし散策しました。宇治川自体流れが早くて怖いのですが、ここは更に谷が深くなっているのでもっと怖くなっています。辺りは流れる水の音がひたすら聞こえるのみ。
夜のダムを堪能した後は、再び車に乗って22時を過ぎた辺りに帰ってきました。

今日はお昼に自転車を修理に出して(ライト球切れ)、それから模型店に行きました。
欲しいものは置いていなかったのですが、GMのキハ22首都圏色のキットが格安だったので買ってみました。
1両は帰ってからささっと素組みしてみたのですが、もう1両は北海道色にしようかと思っています。
模型関連は最近地味に進んでいるので、またまとめて記事にしようかと。
それではこの辺りで。

写真は夜の天ヶ瀬ダム。
川の全貌が窺い知れないのが怖さを増しています。でも、嫌いにはなれない。

不定期列車四条行

2011年09月12日 23時59分59秒 | 日記
今夜は十五夜。
初めは雲に覆われていた月もくっきり見えるようになってきて、とてもきれいです。
月の光ってこんなに明るかったんですね。昔の人はこれで本を読んだというのも頷けます。

昨夜は「砂の器」第二夜を観た後、友人からカラオケオールに誘われました。
その時間(23時過ぎ)から四条に行くにはもう市バスが無いので、自転車を走らせて四条京阪の駐輪場へ。
いつもの河原町蛸薬師にあるジャンカラで、久々に友人たちと再会しました。メンバー全員が鉄道好きということで大学ではたまに集まっているのですが、フル(6人)で集まったのは約1年ぶりではないでしょうか。

当然、そんな濃いメンバーが集まると、カラオケは最初の2周ほどが鉄道系縛りになり…。
初っ端から「瀬戸の花嫁」(JR四国主要駅の接近メロディー)、「あずさ2号」(サビの部分だけみんなで大熱唱)ときて、どう考えてもハタチが歌う曲ではないのですが(笑)、相当盛り上がりました。
その後も、「いい日旅立ち・西へ」や「クリスマス・イヴ」など鉄道会社のCMソングはもちろん、
EXILEの「Choo Choo TRAIN」、コブクロの「桜」(さくら夙川駅の接近メロディとして一時期使われていた)、aiko「ホーム」(映画『阪急電車』主題歌)など、工夫を凝らした選曲が続きました。
もちろんそれだけではネタ切れになってくるので、普通の曲も歌いました。

そうして朝5時まで歌って、マクドで時間潰し。
今回のメンバーとは教職課程での繋がりもあるので、それも含めていろいろと話すことが出来ました。
やはり他専攻の人と話すといい刺激になります。普段同じ専攻の者同士で話しているのもそれはそれで楽しいのですが、他の専攻がどんなことをやっているのか、それは自分の専攻とどう違うのか、そういったことに興味があります。
始発バスの時間が近づいたので解散となりました。次はいつ揃うか分かりませんが(たぶんまた突発的に揃うのだろう)、それまでまたみんな頑張りましょう。


写真は今朝の撮影分より、京都駅に着く急行「きたぐに」。
この時期だと影になってしまいました。残暑と言えども季節は確実に進んでいます。

残暑しつこく

2011年09月10日 23時09分16秒 | 日記
暦の上ではすっかり秋ですが、依然として残暑が続いています。
旅から帰ってきたら、少しは涼しくなっていると思っていたのですが…。
もうしばらく、辛抱する必要がありそうですね。

昨夜は2時過ぎに寝て、「十分寝たぞ!」と思って起きたところ何と7時過ぎ。
もうひと眠りするとお昼を回るかな…と思いつつ寝てみたのですが、結局は10時にまた目が覚めて、仕方ないのでそのままずっと起きていました。
天気のいい日に午前中に起きると何処かへ出かけたくなりますが、旅を終えた後・給料日前という金欠要因が二つも重なっていて、のんびり喫茶店にも行けません。
とは言っても、お給料が入ってからの予定は既に決めてあるので、今度の三連休あたり日帰りで…。

夕方からはお茶のお稽古へ。
京都で自転車を走らせるのが随分久しぶりのことのように思います。
見慣れた通りの風景も特に変わりはなく、旅に出ている間も変わらず時が流れていたのだと実感しました。
それでも今回はとてもいい旅をしたために、「やっぱり京都がいちばん!」といういつもの感情がなかなか出てきません。
今までは、もし教師になるならば京都・大阪・滋賀・奈良と通える範囲での勤務を考えていましたが、思い切って遠くで大自然と、そして人々と触れ合いながらやるのもいいかなぁと、そう思い始めた次第です。
これから何をやってどう転ぶかはまだまだ分かりませんが、この旅で得たもの、吸収したエネルギーを今後やっていくことに生かしていかなければならないのは確かです。

さて、いまはテレビで「砂の器」を観ています。
数年前、中学の時にもやっていましたが、あらすじは知っていても役者さんが違うとまたおもしろいものですね。特に佐々木蔵之介さんはどちらかと言えば刑事役のイメージが強いのですが、犯人の音楽家役もカッコいいですね。
それから中谷美紀さん、以前NHKで白洲正子を演じていた時もそうでしたが、「昭和の女性」ってこんな感じだったのかな、という雰囲気が昭和を知らない自分にもグッと伝わってきます。
他、随所に鉄道が絡んでくるのでロケ地を想像するのもいいものですね。奥出雲、また行ってみたいです。


写真は本日の撮影分より、西大路を通過する特急「スーパーはくと13号」。
ここ最近は駅付近で新幹線の高架橋脚を補強する工事がされています。

普遍的行いのススメ

2011年09月09日 23時50分13秒 | 日記
今朝は10時過ぎに起きました。
まだ旅の生活リズムが残っているようです。
夏休み前半はめちゃくちゃだったので、この機会に「まともな時間に寝て起きる」というリズムを維持したいものです、という願望。

夕方からは久々のバイトへ。
2回も休んだので干されていないか心配でしたが(笑)、変わらずいつも通りでした。
今日から英語の教材を読ませるという新しい仕事が与えられました。本当にやることが多いアルバイトだなと思いますが、子ども一人ひとりにもちろん個人差があり、単調な作業ではないので退屈はしないのがありがたいですね。

今時の小学生は英文を発音も正しくスラスラと読んでいきます。
周りの先生方は「○年生でこんなに読める!」などとほめちぎるのですが、僕は特にスゴいとは思いません。
何故なら、それは中学校で英語の学習を進めていく段階でいずれ多くの人が読めるようになるからです。
こういった学習は少し先を「予習する」という意味では大変に有意義であると思いますが、私は子どもたちが中学校に上がってその単元を習う際、「こんなの知ってる」「もういいや」とつけあがる、調子に乗るといった事態には陥ってほしくないなと思っています。
一度驕りが生じるとロクなことにはなりません。また、そういう態度をとることで周囲に迷惑がかかる、友達が居なくなるといった可能性も否定は出来ません。

加えて、先生にも迷惑がかかります。現に私の中学時代、塾で先に習ったのでしょう、先生がこれから言わんとしていることを悉く先に言って回る人が居ました。私も当時塾に通っていましたが、内容を知っていても言うようなことはしませんでした。塾に通っていない子どもだって大勢居るのです。
なにより先生は指導案に基づいて授業をされているのですから、それを台無しにするようなことをしてはいけません。

一部極端な話にもなりましたが、これは中学校での英語に限らず、校種・教科によって何処でも起こりうることです。
勉強が出来ること意外にも、周囲への配慮・気配りが出来る、場の空気が読める、こういったソーシャル・スキルが学校生活を送る上で、そして将来社会に出た際にも重要になってくると私は思っています。
早々と学習を済ませることが必ずしも良いことではない。学習をすることはごく普遍的な行いであって、この段階でここまで出来るということが特段偉いというわけでもない。いつか大学で聞いた「かくれたカリキュラム」なのかもしれませんが、子どもたちには普段の学習を通して、こういったことも自然と身に付けていってほしいと願っています。
かといって、ほめないこともまた問題です。やる気を阻害してしまうこともまた悪いことです。上手く折り合いをつけ、より深く子どもたちと関わることで自分なりの「教育」に辿り着きたいと考えています。
キリが良いので、今日はこの辺りで。


写真は今日の撮影分より、リーガロイヤル前を通り過ぎる特急「はしだて2号・まいづる6号」。
前頭部のこのアンバランスさが好きです。連結しているとなると尚更!

僅かな余韻

2011年09月08日 20時21分04秒 | 日記
「恥ずかしながら、帰ってまいりました」

結局、旅の途中では一度も更新しませんでしたね…。
mixiやTwitterはちょこちょこ書いていたのですが、全般的にネットを遠ざけた旅でもありました。
なので、野田新首相が話す様子はきょう初めてテレビで見ました。とんだ浦島太郎状態です。
また、台風も旅行中は直撃こそしなかったものの、奈良・和歌山をはじめとして近畿圏にも大きな被害をもたらしたことに驚いています。

帰ってからまずチェックしたのは、大学のHP。
学生はそれぞれ学内アドレスを一つ持っているのですが、そのメールボックスを見ると怒涛の37件!
ほとんどは前期に登録した就職活動系サイトによるもので、本当に必要なのは数件でしたが、予想通り後期のゼミ予定が先生から届いていました。

それを見てみると…9月30日(第1回目)からいきなり発表なんですね!
最初の数回は1コマにつき2人発表ですが、基本的には1コマ1人。おそらく発表60分、質疑応答30分だと思います。
自分としては、他の人の様子を少しうかがってから(笑)、11月~12月の誕生日前に発表したいなと思っているのですが…。どうなることやら。
とりあえず、そのように希望を出しておきました。

なにぶん研究テーマが幅広いので、何処に特化するかをある程度は決めなければなりません。
一応は文学のゼミなので出来れば小説にしたいところですが(今はこの方向で進めている)、場合によっては映像作品や伝統行事などの風土・風物が関わってくるかもしれません。
前期の発表では先生に「これでいこう!」と言われたのですが、個人的にはそれを含めた大きなものとしてテーマを扱っていきたいと考えています。
何より自分が納得した形で進めていくことがいちばんだと思うので、もちろん先生から受けたアドバイスも汲みつつ、あと20日ほどの夏休みを有効に活用していきたいなと思います。

旅から戻った瞬間に現実に引き戻される時、ちょっと変かもしれませんが、僕は「生きてる!」ということを無意識に実感します。
どれだけ外に出ていても、大学と、社会と繋がっていたいからなのかもしれませんね。
いつまでも旅に出ているわけにはいかない。旅の終わりが、また新しい旅の始まり。
陽はまた昇る。


写真は新青森にて、快速「リゾートあすなろ下北4号」。
乗ってはいませんが(笑)、なかなかカッコよくて未来的なデザインでした。

国境の南から太陽の西へ 7日目

2011年09月05日 23時59分59秒 | 旅行記
前夜に出会った同い年の「彼」――仮にO君としよう。
O君とは同室だったこともあってすぐに打ち解けることが出来た。車で北海道を周っているらしく、ペーパードライバーの僕は自在に動き回れる部屋を持つ彼が少し羨ましくなった。更にO君はパソコンを持ち歩いていた。天気予報以外の情報から隔離されていた僕には久々に見る文明の利器がある意味では懐かしく、また頼もしく思えた。

日付が変わるまで僕たちが話したことは、ここに至るまでの行程、旅をするきっかけ、互いの大学の話、専攻している学問の話、明日の予定など実に多岐にわたるものだった。尽きない話の末に彼が提案したのはやはり同行の誘いだった。
「道連れをつくるのが好きだから、良かったら乗っていかない?」
偶然にも僕はまた誘われてしまった。そういえばお兄さんもO君に乗せてもらったと電話で言っていた。二日前と同じく翌日が雨の予報、そして目的地が同じ方向だったので僕もまた乗せてもらうことにした。僕はこの頃になると次の日が当初の予定からどれほど逸脱するのかが楽しみになっていた。それほど守らなければならない重要な予定でもなかったし、何よりこういった偶発的な人との出会いを大切にしたかった。


そして再び雨の降り始めた朝、僕たちはユースホステルを後にした。
宿泊料金を支払う際、ペアレントさんはやたら大きな電卓を叩いて金額を表示した後にわざわざゼロを二つも増やして「出世払いでもいいよ?」と冗談を言ってきた。
「いやいや、でもまた来ますよ」僕は冗談とも本気ともつかない返事をした。それでもここで頂いた夕食は忘れられないものであったし、きっとまた来るだろう。その時は、こちらも予め冗談を用意しておこう――。


僕は正規の金額を支払って玄関を出た。もう一度放し飼いの羊をまじまじと見た。羊は草を食べるのを中断してとぼけたような表情でこちらを見つめてきた。やはり何でもない普通の羊だった。


車は知床を目指して進んだ。果てしない一本道を走る車は僕たちの一台だけだった。
遥か昔、先人が苦労して開拓した道が今日もこうして使われている。先人が新たな故郷をつくろうとした北海道に、僕はいま心の故郷を見出そうとしている。雨に濡れたカントリーロードはただ目的地の方へ歪みなく真っ直ぐと伸びていた。それは僕が見慣れた京都の碁盤の目のようであり、いつか地図帳を広げて見たことのあるアフリカ大陸の国境のようでもあった。僕は運転をするO君と談笑しながらそんなことを思っていた。

酪農地帯を抜けると目前にオホーツク海が見えた。知床国道だ。しばらく海沿いに走ると内陸の方へ川が流れていた。
「そういえば、この辺りは鮭の遡上で有名らしいよ」O君が言った。この時は雨も止み、時間に余裕があったので我々は車を降りて様子を見ることにした。


川面すれすれまで降りられる階段が整備されていて、他にも何人か見物人が居た。川の流れが早く具体的な姿を確認することは難しかったが、鮭は思いのほか早いスピードで汽水域を通り抜けて川を上っていった。これこそが命を繋ぐ営みだ。
僕は小学校2年生の頃、子ども向けに英訳された鮭の遡上する物語を読んだことを思い出した。海で大きくなった鮭は卵を産むために生まれ育った川へと戻っていく。遡上を狙う海鳥や段差のある滝など数々の試練を乗り越えた後にボロボロの姿で鮭は川へと辿り着く。そして最後の力を振り絞って産卵して死んでいく。役目を果たすことの素晴らしさ、尊さをいま改めて実感した。


それから海の方にも出た。おそらく鮭を狙っているのであろう海鳥が河口をじっと見つめていた。海を背景に鋭い眼差しで食糧を探す彼らは何故か絵になった。こうした敵が無数に待ち構えるために、無事に遡上出来る鮭はほんの一握りだ。しかし、鮭を捕ることは彼らにとってももちろん命を繋ぐ営みであることに変わりはない。これは無情なのではなく、無常なのだ。

引き続き海沿いを車で走ると道の駅のような施設が見えた。オシンコシンの滝である。
滝目当てで来る客のために広い駐車場が整備され、土産物店やトイレもあって休憩には好都合だった。




思えば滝をまじまじと見る機会はこれが初めてかもしれない。
ただ岩の上から水が流れ落ちるだけの光景に、何故こんなにも惹かれるのだろう。僕はその迫力に圧倒され、大きく深呼吸をしてマイナスイオンをたっぷりと吸い込んだ。
車に戻る途中、僕はお菓子が欲しかったので土産物店でクリオネの絵が描かれたクリームキャラメルを買った。それから自動販売機で水を買おうとしたが、その自動販売機は驚くことに水でさえ150円だった。O君は「たくさんあるから持ってってよ」と後部座席に置いたクーラーボックスからペットボトルの水をくれた。僕はありがたく受け取ることにした。

オホーツク海沿いにしばらく進み、車は宇登呂に入った。すると「いるかホテル」という看板を見つけた。いるかホテルと言えば村上春樹の『羊をめぐる冒険』とその続編である『ダンス・ダンス・ダンス』で主人公が滞在する北海道のホテルである。そのホテルは札幌にあるという設定だったが、まさかこんなところで出会うとは思っていなかったので僕は驚いた。車内ではRADWIMPSの曲が延々と流れていた。「なんちって」の英語詞がカラオケでは絶対歌えないよね、僕らはそんな会話をしたような気がする。


知床に近付くにつれて雨が激しくなってきた。僕たちは変わらず話をしながら山道を進んだ。山道は異様なほど綺麗に整えられていた。おそらく世界遺産登録時に整備されたのだろう。
すると前の車がいきなり停まった。よく見ると鹿の親子が目前を左から右へ横切ろうとしていた。前の車は隙を見て通過したが、子鹿がまだ左の路肩に取り残されていた。先に渡り終えた親の鹿が振り向いて軽く促すとそれに気付いた子鹿も道路を横切った。二匹の鹿はあっという間に森の中へと消えていった。僕たちは初めて鹿の親子を目の前にしてとても驚いた。微笑ましい光景だった。

やがて知床五湖の駐車場に着いた。雨は一層激しくなっていた。
係員が駐車代を求め、O君は適当な場所を見つけて車を停めた。雨天であってもシーズンということで車の数は意外と多かった。
ここからは知床五湖を徒歩で巡る。料金を払い、別室でガイドさんからレクチャーを受けた。どうやら冬以外はそこそこ高い確率で熊が出るらしかった。熊の習性や回避する方法を聞き、熊の棲家に立ち入らせてもらっている、そういった謙虚な気持ちが互いの平和に繋がることを知った。
通常の観光地、とりわけ世界遺産ならば鬱陶しいほどの商業主義に加えて馴れ馴れしいおもてなしを全面に打ち出したところをよく見かけるが、そういう意味ではここ知床は極めて冷ややかであったし、今まで訪れた観光地の中でも珍しい形態だった。少なくとも、歩くことに関してはほとんど観光客の自主性に任せられている。


僕たちは聞いたことの全てを受け入れて五湖へと歩き出した。獣道と遜色ない歩道には木々の根が浮き上がり、完全なる動物の生活空間を人間が闊歩する様子は何処か異様であった。




雨は木々に遮られて幾らか控えめであった。しかし、天気が悪かったせいで五つある湖はどれも同じように見えた。晴天ならばまた違う風景が望めたであろう。海は荒れていても構わなかったが、こういった自然の風景は晴れた状態で見てみたかった。しかしこの時は北海道にも台風が上陸していたために仕方のないことだった。


木の幹には熊が引っ掻いたであろう傷跡が残っていた。動物の生活空間、そこにはもちろん熊も生息していることを再認識した。僕たちは突如として現れた熊の恐怖に少し怯えつつも、人間の存在を知らせるような大きな声で会話をしながら道を進んだ。


最後に展望台を通って、一時間ほどかけてスタート地点に戻ってきた。知床では終ぞ動物に出会うことはなく、しいて言うならば蛙と蜘蛛だけだった。雨は相変わらずだった。
「行きに鹿を見られたからいいかな」僕たちはそう納得することにした。もしかすると知床五湖を行く僕たち人間が動物に見られていたのかもしれなかった。そんなことを考えるとこの世界遺産がたちまちおかしく思えた。


すっかり冷え切った僕たちは何か温かいものが欲しくなり、売店で鹿肉バーガーを買って食べた。肉が分厚く、歩き回った後の疲れた体にはちょうど良かった。行きに鹿の親子を見たとしても、命を繋ぐ営みには代えられないのだ――。

ここからは共に今夜の宿を目指す。方向が同じということで引き続き乗せてもらうことにした。
帰りは昼食を摂るために道の駅ウトロに立ち寄った。雨は変わらず激しく、僕たちは車から降りると大急ぎで軒下へと走った。


道の駅の施設は広く、レストランも空席があった。
O君は少し奮発して鮭の親子丼、僕は残りの所持金と相談して950円のコロッケ御膳にした。鮭のコロッケだった。口に含むとコロッケは案の定その有り余る熱さを振り回した。ご飯との相性も良かった。
僕はこの頃から所持金の心配をするようになっていた。既に母親に渡された一万円を使うことを決めていたが、万が一所持金が無くなっても帰りの切符は既に確保してある。既に予定変更を何度も重ねたこの旅の行く末は、なるようになると思っていた。

それから時間が余っていたのでリクエストをして釧網本線の方へ進んでもらった。僕はいつの間にか助手席で寝てしまった。
目が覚めると釧網本線の北浜駅に着いていた。「着いたよ」O君は起こしてくれた。




ホームからは目の前にオホーツク海が見えた。雨は収まっていたが、行きと同じくどんよりした雲だった。




駅舎内には無数の切符や名刺が貼られていた。全国各地から訪れた人々の足跡だった。
この状態は以前調べた時から知っていたが、実際に見た時の驚きは相当なものであった。何も知らないO君はもっと驚いていた。特に天井に近い部分はどうやって貼り付けたのか僕たちには不可解だった。
それらを眺めているうちに僕も足跡を残したい衝動に駆られた。気付くと手持ちのチラシをちぎってボールペンでメッセージを書いていた。しかし貼り付ける場所が無かった。止む無く画鋲を一旦抜き、他の人と上手く重ならないようにして貼った。
「やっと着いた! 2011.9.5 素晴らしい旅の途中」
素晴らしい旅とは決して上辺だけのものではなかった。途中で出会った人とこうして一緒に車で訪れるなんて誰が予想出来ただろうか。僕はこの旅が学生時代の思い出を象徴するほどの出来事になるだろうとこの頃に確信していた。

しばらく待つと列車が来ることが分かったので、僕たちは駅の隣にあるセイコーマートで夕食を買うことにした。
セイコーマートは道内のコンビニチェーンである。僕は意外にも道内滞在6日目にして初めてセイコーマートを利用した。しかし利用したのは後にも先にもこの一回きりであった。
残り少ない現金でおにぎりとスティックのパンを買った。おにぎりは夕食、パンは翌日の朝食と間食用である。


セイコーマートの隣にある踏切で列車を撮影した。雨が降っていたのでレンズに雨粒が付いてしまった。
それでもヘッドライトを灯しながら海岸をこちらへやって来る単行の気動車は頼もしかった。

再び雨もきつくなってきたところで、今夜の宿に向かう。宿は別々であるが、方向は同じなので結局最後まで乗せてもらうことにした。
北浜から網走まではすぐに移動出来る距離だ。網走に近づくにつれ道幅が広がり交通量も多くなった。
網走には網走湖と能取湖という二つの湖があることをカーナビで知った。僕たちは時間稼ぎのために湖の周りを車で走った。


途中、網走と呼人の間で踏切が鳴ったので車を降りてみると特急「オホーツク」が撮影出来た。天気が良ければもう少しきれいに撮影出来たかもしれないが、辛うじてヘッドマークが確認出来ているので良かった。

またしばらく車で走ると、能取湖のほとりにある卯原内駅跡に着いた。「駅跡」とある通り、ここは国鉄湧網線の跡地である。
駅跡の前後はサイクリングロードとして整備されており、僅かに残る線路上にはSLに連結された客車がライダーハウスとして開放されている。隣接する喫茶店で500円を払えば客車の中で一晩横になることが出来るようになっている。僕たちは店内に入りカウンターに居た男性に声をかけた。おじさんは暇を持て余していたのか、突然の来客に驚いたものの、同時に嬉しそうな様子であった。




宿泊の希望を伝え、早速客車の鍵を開けてもらった。驚くべきことに客車の半分は椅子や網棚がニス塗りのまま残され、もう半分は畳敷きに改装されていた。座席の残る部分は現役の客車と言っても遜色ない程度のくたびれ具合だった。木製の床に青色のシートが僕の心象風景にぼんやりと残る郷愁や旅愁といったものを感じさせた。
「凝りすぎてしまって、雨漏りしているところもあるんですが」おじさんはそう言って天井を指差した。確かに雨漏りで畳の一部が濡れていた。これだけ原型を残した状態で宿泊施設として提供するのだから、その保守にはきっと相当な苦労がかかるのであろう。気にならない程度だったので構わなかった。

僕は車から荷物を運び込み、二人で記念写真を撮った。O君とはここでお別れとなる。
荷物運びを手伝ってくれたO君は何と大きなペットボトル入りのお茶をくれた。
「水があるからいいよ」
「それだけじゃ足りないだろうから。要らなくなったら捨ててもいいよ」
とても一人では飲みきれない量であったが、僕はありがたく受け取ることにした。そのお茶はやはり後ほど役に立つものだった。

僕たちはまだ済ませていなかったアドレスの交換をした。二人で座席に腰掛けて記念写真も撮った。
「バイバーイ!」O君は運転席の窓から手を振って去っていった。
彼は今夜泊まるサロマ湖のユースホステルでもまた新たな旅の仲間を見つけるのだろう。僕は残りの旅であと何人と出会うのだろう。
そんなことを思いながら、僕は再び客車内に入って寝袋を広げた。ジーンズのベルトを抜いてポロシャツに着替え、両足を少しだけ寝袋に突っ込んで、北浜のセイコーマートで買ったおにぎりを頬張った。
静かな車内には屋根を打つ雨音だけが聞こえていた。そのたびにポタ、ポタと時折畳に雫が滴った。

本を読みながら寝るまでの時間を潰していると、外で話し声が聞こえた。自転車に乗った一団がやって来た。
「こんばんは」と互いに挨拶をした。彼らは一様に疲れ切っていたが僕とあまり年が変わらないように思えた。
聞いてみるとY県にある大学の自転車サークルだった。彼らは釧路から網走経由で旭川を目指しているらしい。僕は青春18きっぷで道内を周遊していることを伝えるとたいそう驚かれた。しかし驚くべきはどちらかと言えば僕の方だった。これだけ広い北海道を、いつか自転車で周るのも悪くないなと思った。

そうして互いに打ち解けたところで、夜も遅いのでいよいよ寝ることにした。
ほんの数時間前までは何の縁も無かった我々が、今はこうして一つ屋根の下で共に寝袋を広げている。
この旅ではそんな出会いの連続だった。京都を出発した時に空っぽだった瓶には数々の出来事が入り混じり、それらは互いに程よく溶け合ってすっかり重くなっていた。
明日はどんなことが起きるのだろう。僕はそんなことを考えながら寝袋に潜り込んだ。
朝にはきれいな湖が見えることを願って。