闇夜の京都観光

2009年08月28日 23時59分59秒 | 京都
サークルの決起集会が終わった後、友達の家に寄せてもらいました。
で、しばらく休憩した後、誰が言い出したのか分かりませんが(笑)、

『船岡山行こう!』

ということになり、時間もあったので、A・B・Cクラスの男5人で徒歩で行きました。


歩いている途中、とある民家に、日中戦争の頃に造られた(と思われる)井戸を発見しました。
今はもう使われていないようですが、深夜ということもあり、そういう雰囲気(謎)を醸し出していました。
自転車だと見過ごしてしまいそうです。

20分ほどで船岡山の入り口に来ました。
先の戦争(応仁の乱)の戦場であったり、むかし殺人事件が起きた場所ということもあり、京都では有名な心霊スポットです。
昼間でも人気が無くて怖い場所というのは分かっていたのですが、ワイワイ言いながら登ってみると…

上は公園になっていて、京都市内が見渡せました。
でも、奇妙な形のトイレがあったり、照明が少なかったり、やっぱり怖さは拭えませんでした…(--)

そして、真っ暗な道を歩いて、隣接する建勲(けんくん)神社へ。

まぁ、ふつうの神社の様相です。公園に比べると怖くなかったです。

はしゃぐハタチのKとM…。

それから、もう一度公園を通って下山することに。
何の気なしに撮った写真ですが…

チェック率が高いのはどうでもいいのですが(笑)、オーブがたくさん映りこんでいます。
空気中の水分や埃がフラッシュで反射したものと言われていますが、オーブが映っているのはこの写真だけ。
果たして???

普通に帰るのもアレなので(笑)、近くの今宮神社へ。
『やすらい祭』や『あぶり餅』で有名なところで、深夜でも灯が多く、調子に乗って心霊写真ごっこ。
ショッキングピンクが私ですが、その後ろに…。

怖すぎるwww

この後、友達の家に戻って1人が抜けたのですが、それだけでは満足しない4人は、自転車で色々と周ることに。
大学の裏から、これまた心霊スポットの『きぬかけの道』を通り抜け、丑三つ時の広沢池へ!
オレたちチャリンコ暴走族!デタラメマザコンチェリーボーイ!(笑

時折車が通るのでそんなに怖くはありませんが、ここも心霊スポットらしいです。
まぁ、京都の街自体、霊を防ぐためにああいう配置の結界(碁盤の目)になっているらしいですがw

K疾走!

『ここからどうする?』と、みんなで相談。
ここまで来れば当然…と、おなじみ嵐山の竹林へ。

私も何度も来たことのある踏切ですが、夜はやっぱり怖い!
ここも霊…ではなく例によって心霊スポットで、特に保津峡方面は…

あぁ~怖い!
4人いたからこそ、ですね。

近くの野々宮神社にも寄りました。

ちゃんとお参りしています。

で、ここからは渡月橋に向かう道と、トロッコ嵯峨駅に向かう道の2つが分かれているんですが、好奇心で(笑)トロッコに向かう真っ暗な道を進んでみました。

竹林ですねぇ。

しばらく進むと墓地が見えました。
さすがにガチ肝試しになってしまいそうなので引き返したのですが、その上空だけ深夜3時にも関わらずかなり明るくなっていて、何とも不思議な感じでした。
何かの力がはたらいているのでしょうか、おとなしく渡月橋へ。

青白い光に彩られた橋がキレイです。
昼間は観光客でごった返す渡月橋も、夜なら誰にも邪魔されず自由な角度から撮影出来ます♪

ここから南下、サイクリングロードを走って着いた先は…

何故か『源氏物語』には描かれない、松尾大社です。
ここも一通り見て撮って周りましたが、友人Kのカメラだけオーブが映っていました。

時間は4時。
解散モードになってきたので、途中で2人とは別れて、四条~葛野大路~太子道~佐井通と進んで、友達と円町の吉野家で夜が明けるのを待ち、5時半、無事に帰宅しました。

かなり走りましたが、夜の雰囲気は格別です。
心霊スポットも多く、京都ならではの遊びが出来たと思います。
それもまた、京都学!(笑

キハ58 648&キハ28 3014

2009年08月20日 23時59分59秒 | 鉄道模型/製品レビュー・小加工など
起きると更に熱が上がっていました。
が、すぐに下がり、夜にはほとんど元通り。
おそらく、明日には完全復活出来ると思います。
まぁ、あんまり無理はしないようにしますが…。


さて、昨日今日と家に居た時間が長かったのですが、
長らく放置中だったキハ58 648とキハ28 3014の製作を進めていました。
この製作を最後に扱った記事は何と今年の2月1日
実に半年ぶりに製作が再開されたことになりますね。
一度放置すると長いのですが、もう一度取り掛かると急に進むのが☆クオリティですw
キハ58も無事に手に入り、写真の通り進んでいます♪


では、早いですがこのへんで★

いざ東へ・7日目前半

2009年08月11日 23時59分58秒 | 旅行記
起きると4時40分。
知らない間に電気も点いていて、約5時間も寝てしまったことになります。
今までは寝てもせいぜい2~3時間だったのですが、今年3度目の駅寝でそろそろ要領を得てきたのか、はたまた環境の良さか?

夜は分からなかった、駅の全貌です。
地下道でホームにアクセスする形で、この写真を撮った隣に最近建てたと思われるきれいな公衆トイレがあり、そこで洗顔を済ませました。

ホームから。相変わらず山の朝は素晴らしいです。
こんな景色に出会うために駅寝をすると言っても過言ではありません。あまり褒められた行為ではないのですがw

さて、散策もそこそこに、次の目的地へ移動します。
豊実5:47発→鹿瀬6:00着
時間稼ぎで、一旦新潟方面へ逆戻り。
鹿瀬駅は雨が降った後でした。
鹿瀬6:13発→会津若松8:03着
ずーっと寝て、やっと着いた会津若松!

(帰り際に撮影)
JR東日本による観光PRが行われています。

通勤通学客の姿が目立つ会津若松の朝8時。
観光地の『普段着』の姿を見られたことを満足に思い、飯盛山へ向かうべく地図を見てみると…案外近い?
時間に余裕もあったので、歩いて行くことにしました。

普通の住宅街が並ぶメインストリートを歩くこと25分。
『飯盛山下』のバス停と観光案内所が見えたので、たまたま居たおばさんに聞いてみると、もうすぐそこに来ていることが分かりました。
白虎隊記念館の割引券ももらい、いざ飯盛山へ。

左が白虎隊記念館、右が飯盛山への入り口です。
更にその右には観光客向けの有料エスカレーターがありますが、私は階段を登りました。

その先には…

白虎隊士自刃の地。
戊辰戦争中、炎に包まれる会津の街を見た白虎隊中二番隊の15~17歳の隊士たちは、城が燃えていることを誤認し、ここで悲しい最期を遂げました。

白虎隊士の像が見る先には会津の街が広がり、遥か向こうに城が見えますが、その存在ははっきりとはしません。

その当時、自分よりも年下だった隊士たちが下した決断を思うと、立ち尽くせずには居られませんでした。
手を合わせて、上りとは別の道で山を下りました。

途中にある戸ノ口堰洞穴。
白虎隊士たちはこの穴を通って、城の安否を確かめるべく飯盛山へ抜けました。


下山後は、4枚目の写真でも見えていた白虎隊記念館へ。
白虎隊や会津藩などに関する様々な資料が展示してあり、時間をかけて見学しましたが、
松平容保や新撰組、文人の土井晩翠など、どちらかといえば会津ゆかりの歴史人物に関する資料・写真展示が多かったような気がします。
それはそれでいいのですが、いくら同時代(幕末)だからといっても、岩倉具視や薩摩藩関係のものが堂々と置いてあるのには驚きました。
5月に訪れた高知の自由民権記念館がのように、地元だけで固めるのは無理なのでしょうかね…。

ちょっと辛口評価になってしまいましたが、前から行きたかった場所に行くことが出来たのは良かったです。


そんなこんなで、再び会津若松駅に向かって歩きだしたのでした…。

いざ東へ・6日目後半

2009年08月10日 23時59分59秒 | 旅行記
友達と秋田駅で別れ、一路新潟へ。
秋田12:12発→酒田13:56着
山形県の酒田。
『さくらんぼグミ』をお土産に買いました。
酒田14;26発→勝木16:04着
キハ47のボックスシートを確保出来たので、『鶏めし』をいただきます。

ホントは大館の駅弁ですが、秋田でも売っていて、友達のオススメ通りおいしかったです。
こんなにおいしい鶏肉は初めてでした。

海を眺めながら列車に揺られていると、途中の駅から一人のおばあさんが向かいに座ってきました。
おばあさんは、小説を読んでいた私に、

『どこから来たの?』

来ました。旅の醍醐味・一期一会です!
おばあさんが鼠ヶ関で降りるはずが桑川まで寝過ごしてしまった話や、私の行ってきた大川平の話、色んな話で弾みました。

鼠ヶ関で、おばあさんは降り際に、
『旅が出来るって幸せよ。気をつけてね。』
と言い、改札へ向かっていかれました。
旅における人との出会いは、何かしら自分を成長させてくれる気がします。

いい気分になりながら、新潟県の勝木で下車。

色も形も違えど、国鉄型同士の列車交換。

勝木では、駅の近くにある老人ホーム併設の『勝木ゆり花温泉』で入浴。
今回の旅では夏ということもあって毎日入浴を心がけていますが、旅行中の入浴って、ホントに生き返るような気持ちよさです。

入浴後、受付のおじさんと少し話していると、駅の至近にも関わらず、列車で来たことにすごく驚かれました。
『またお近くに来られたら是非立ち寄ってください!』と見送りを受け、少々急ぎ足で駅に向かい、乗った列車は…
勝木17:13発→新潟18:28着

快速『きらきらうえつ』です。
空席はわずかでラウンジカーも混雑していたので、自席から大人しく笹川流れを楽しむことに。
またも海側A席を取ってくれた立命存心に感(ry

名物車窓の笹川流れ。
遥か向こうは…佐渡島でしょうか?
次に訪れる機会があれば、降りてじっくり見てみたいですね。

新潟に着いた後は、少し時間が出来たので駅周辺を散策。
びっくりするほど都会でした。
結局ファーストフード店などには入らず、駅のNEWDAYS(コンビニ)で軽食を買った後、ホームでひたすら小説に没頭。
しばらく待つと、乗る列車がやって来ました。
新潟19:44発→豊実21:35着

去年登場したばかりの、新車キハE120形です!
まさか出会えるとは思っていませんでした。迷わず乗車!

清潔感あふれるオシャレな室内。
椅子が少ないのが難点ですが、新潟~新津間は混雑していたので、これくらいがちょうどいいのかもしれません。

徐々に乗客が減っていき、5両編成の最終列車は1車両に0~2人くらいの乗車率に。
21:35、新潟と福島の県境に近い豊実駅で下車。

走り去る列車を見送り…

そう、今夜は(も?)駅寝です。
直前までどの駅にしようか迷っていたのですが、待合室に入った瞬間、この駅にして良かったなと思いました。

何が嬉しいかって、虫(主に小さな蛾)が少ない!
備え付けの箒があるので地域の方が定期的に掃除されているのかもしれませんが、
5/30に土讃線小歩危駅での駅寝(虫だらけ)のことを思うと、天と地の差でした。

でも、私が来るまで待合室の扉は開放されていたので、少しはいました。
中でも目についたのが、オオミズアオという、手のひらほどもある水色のキレイな蛾に出会えたこと。
(感動して写真を撮ったのですが、苦情が出そうなので載せないことにしますw)
(どうしても…という方は検索でどうぞw)
他にはウズバカゲロウ(アリジゴクの成虫)やミンミンゼミ(うるさかったので追い出しました…)、そこには小学生の頃に熟読した昆虫図鑑の世界が広がっていました。

これらの虫は無害なので、早速リュックの中身を整理して枕に改造。
しばらく横になっていると、23:30頃、自動的に消灯されました。

見計らったかのように飛び回るオオミズアオが、それはそれは美しく妖艶な姿でした。

いざ東へ・6日目前半

2009年08月10日 23時59分58秒 | 旅行記
『いざ東へ』と言いながら、だんだん西へ向かってきていますね(^^;
いやいや、帰るために旅をするんです。
それに、京都からすれば秋田はまだまだずーっと東です!(笑

ネットカフェはボックス席だったので、5時間ほど寝られました。
YouTubeで音楽を聴いて目を覚まし、秋田駅へ。
秋田6:33発→土崎6:40着
701系のトップナンバーに乗って、1駅目の土崎で下車。
ここで、前から撮りたかった列車を待ちます。

来ました!男鹿線直通列車、朝のキハ40系6連です!
今年の3月改正までは7連だったそうですが、それでも迫力満点です。
ただ、これより前に練習出来る列車が無く、引きすぎてしまいました。
またリベンジしに来よう!!(笑
土崎7:41発→追分7:48着
追分駅では待合室でテレビが流れていて、久々に俗世間に触れた気がしました。
そして、ここから念願の男鹿線乗車。
追分8:18発→男鹿9:03着

前日に乗った五能線の色違いですが、どちらも路線に合ったカラーだと思います。

途中の鉄橋から。
八郎潟干拓地が見えました。
男鹿線は海あり山あり、日本の原風景のような路線でした。

終点男鹿到着。
改札を出ると、見覚えのある人影が…

『男鹿へようこそ!』

実はここで、帰省中の同じAクラスの友達(男鹿出身)と待ち合わせ!
実際に会えた時は『おぉ~!』と、ちょっと感動でしたw
大学生になってからの旅って、こういうことが出来るからいいですね。

で、しばらく話でも出来れば満足だったのですが、ナント!
その友達のお母さんのご厚意で、車で男鹿半島を一周してもらえることになりました。
ホントに感謝感謝です!

駅前の通りを進んで少し入るともう山道。
お母さんの分かりやすい解説付きでしばらく進むと、眼下に集落が広がりました。

何となく隠れ里な気もする、のどかな漁村です。


海のすぐそばにある、男鹿水族館GAOです。
京都でこの話を聞いた時は笑ってしまったのですが、ホントにありました!
因みにこの周辺の海は遠浅で、かなり奥の方に人が見えました。

再び山道をぐるぐる回り(正直、車酔いしてました…)、辿り着いた先は展望台。
天気も良くなってきて、観光客も多かったです。

展望台からの景色です。
ちょうど半島の先の部分に当たるので、ホントに晴れ渡った日にはここから青森の岩木山や、新潟の方まで見渡せるそうです。
列車では来られない場所に来られて良かったです。

それから、男鹿といえばなまはげ、ということで『なまはげ館』へ連れて行ってもらいました。
入館料を出していただきました。本当にありがとうございます。

撮影OKだったので、なまはげと。
男鹿半島の中でも、地域によって面や装飾が異なるらしいです。
因みに『なまはげ』とは、毎年12月31日の夜、子どもたちの怠けた心を戒めるべく、個人宅に入っていく神様らしく、ビデオ上映でその様子が映し出されていましたが…

『悪さをする子はいねがぁ~?』と家に入り、親にしがみつく子を引きはがすなまはげ!
当然のように号泣する子どもたち!
泣き止んでオドオドしてなまはげと会話する子どもたち!
そして最後は家主にお酒を振る舞われて満足げななまはげ!
怖い!怖すぎる!こんなんアリなん!?

というぐらい(笑)、18歳の自分でも怖く感じましたw
いくら神様と言っても、あの形相で家に入ってこられてはビックリです( ゜д゜)
でも、怠けを戒める伝統行事ってココだけではないでしょうか?
館内におられた語り部さんのお話では、最近は少子化の影響で、子どもがいるかどうか確認をとってから家に入るようになったとのことですが、
男鹿の伝統行事として、これからも永く続いてほしいものです。

グッズショップで『男鹿の塩』を買い、あっという間の男鹿半島での3時間が過ぎました。
帰りは男鹿線で秋田に戻るつもりだったのですが、その友達も秋田市内に遊びに行くとのことで、秋田駅まで送っていただきました。
そして、お昼に名物駅弁『鶏めし』もおごっていただき…何から何まで、こんな旅人のためにありがとうございますm(_ _)m
…秋田の人はあたたかい!

いざ東へ・5日目後半

2009年08月09日 23時59分59秒 | 旅行記
さて、夕方を迎えた鯵ヶ沢駅。
『リゾートしらかみ』同士の列車交換が行われます。

左が『青池編成』で、右が先ほど撮影して弘前から折り返してきた『ぶな編成』の6号です。
ここから6号に乗車!
鯵ヶ沢17:25発→秋田20:43着

快速列車とは思えないこの室内!
窓も大きくて、これに3時間も乗れるとは…!

鯵ヶ沢を出た列車は、海沿いにゆっくりゆっくり秋田を目指します。
リクライニングを最大に寛いでいたのですが、車内放送チャイムの音量が大きいのだけはいただけない…(^^;

でも!
少し曇っていますが、日本海に沈む夕陽がキレイでした。
まるで『いい日旅立ち』の世界です。
海側のA席を取ってくれた立命存心に感謝ですm(_ _)m

19時を周って外が暗くなると、こんなサービスも。

観光列車ならではですね。
こういう観光列車はうるさいグループ客がいたりするのですが(笑)、ガラ空きを狙って6号に乗って正解でした。

途中ウトウトしながらも、終点の秋田には定刻に到着。

記念にツーショット。

行きも降りた秋田駅ですが、驚いたのは、駅が21時でもう閑散としていること。
辛うじて開いていたロッテリアで夜食がてら明日の予定を考え、小説を読み進め、
23時前に今宵の宿となるネットカフェ『コミックバスターアルヴェ』へ。
駅併設なので翌朝も余裕をもって行動出来そうです☆

いざ東へ・5日目前半

2009年08月09日 23時59分58秒 | 旅行記
大川平での、あっという間の3日間。
『荒馬ねぶた祭り』を通して、地域の伝統芸能に触れるという貴重な体験をさせていただきました。
『ねぶた祭り』というと青森市での大きなものがよく取り上げられますが、お祭りは決して規模や人気だけではなく、こうした地域の小さなお祭りこそ大切に受け継いでいかなければいけないものだと思いました。

6時に起床、会館を一通り掃除し、お世話になった地域の方にお礼を言って、大川平駅へ。
祭りの後の寂しさ漂う朝、大川平の子どもたちは心なしか寂しげな表情をしていたのが印象的でした。
また来年来るからねー!
大川平8:17発→蟹田8:47着

蟹田にて、東北電化区間の主力・701系とツーショット。
蟹田9:03発→青森9:49着
青森に着きました。
早速ファミリーマートを見つけたので、『馬』を自宅に送りました。
1日目の記事の写真にもある通り布団カバーに包んでいたので、衣装類もついでに詰め込んでかな~り身軽に♪

ここからは各自帰り方などがバラバラなので、同じ列車に乗る友達と一緒に吉野家で朝食。
しばらく市街をうろついてお土産を買った後、再び駅へ。

青森ベイブリッジをバックにいざ出発!
青森11:16発→川部11:55着
友達とは川部で別れました。
ここから完全に『一人旅』が始まります。
青森方面に歩いていると、素晴らしい田園地帯!

しばらく津軽平野の真ん中に寝転がって、そりゃもう最高でした。

特急『つがる7号』です。

快速『リゾートしらかみ1号』です。
全部で3編成あるうちの、コレは『くまげら編成』です。

列車の時間になったので、駅まで戻りました。
ここからは…

五能線に乗ります!キハ40の堂々4連!
川部13:30発→鯵ヶ沢14:30着
リンゴ畑を横目に、列車は徐々に海側へ。
途中雨がパラパラと降るも、終点鯵ヶ沢は曇りでした。
力士の舞の海の出身地らしいですね。

鯵ヶ沢ではいくらか撮影。
列車本数自体は少ないものの、鯵ヶ沢で長時間停車や交換を行うので、短時間で効率よく撮影出来ました。

快速『リゾートしらかみ3号』、『ぶな編成』です。

中間封じ込めの先頭車は煤で真っ黒になっていました。

撮影で時間を潰した後は、駅近くの『山海荘水軍の宿・公衆浴場』へ。
すっかり汗だくになっていたので助かりました。
それから駅の売店でパンを買い、列車の時間まで1時間ほど小説を読んで過ごしました。

いざ東へ・3日目・4日目

2009年08月08日 23時59分59秒 | 旅行記
※3日目と4日目、一緒に書きます!

・3日目
大川平滞在2日目のこの日は、少し南下して『道の駅アスクル』で荒馬踊りを披露。
ここは面白い場所で、津軽二股駅(JR東日本)・津軽今別駅(JR北海道)・道の駅いまべつ(アスクル)と、この3つの『駅』が集まっています。
ゆくゆくはここに北海道新幹線の奥津軽駅(仮称)が設置されるそうで、また何かしらの変化が予想されます。

列車の時間に合わせて踊りが始まりました。



荒馬踊りの様子です。踊っているのはうちの先輩方です。
(やっと写真でお見せ出来ますね…。)
少し分かりにくいですが、腰回りにつけているのが『馬』で、これを京都から運んできたというわけです。
手綱が空中に放たれて、馬も手綱取りも華麗に舞うところが見所です。
それにしても、列車の時間に合わせて踊るとは…おかげで津軽線を象徴する写真が撮れました♪


それから道の駅で『荒馬クッキー』をみんなで購入して、大川平に戻って、夕方から運行開始!
昼から夜になる瞬間。何処で迎えてもいいものですね。

踊りの方は、昨日よりも多くの人とペアになって、上手く交流出来たと思います。
津軽海峡に沈みゆく夕陽が何ともキレイでした。


・4日目
この日はお昼から運行!
照り付ける太陽の下、大川平地域一帯を練り歩き、今別川に架かる橋の上でクライマックス!
何度も踊って既に疲れていた体が、この時だけはフッと力が入って精一杯踊ることが出来たような気がしました。

最後は会館の前でまた踊り、そして地域の方が集まっておられる中、余興としてうちのサークルの演目披露!
演者は主に先輩方で、相変わらず力強い太鼓が鳴り響いていました。
来年は出来たらいいな…。

そして宴会、しかし私はすぐにつぶれてしまい、早々に退散…(^^;
全っ然飲めません(--)

でもすごく楽しかった!やりきった!
明日は大川平を出発する日。そのまま就寝…(笑

いざ東へ・2日目

2009年08月06日 23時59分59秒 | 旅行記
※はじめに、このページを見ていただくと分かりやすいかと思われます。


この日は朝から運行が始まりました。
早速『馬』をつけて、女の子とペアになって、海へ続く道を荒馬踊りで延々練り歩き。
『カランカラ~ン!』と列の後方で鐘が鳴るとその場で止まって踊るというものですが、いつ鳴るか分からない上に、連続するとなかなかツラい!
でも、道の至るところで地元の人が見に来てくれていたので、どこで止まっても一所懸命踊ることに努めました。
そんなこんなで、津軽海峡の向こうに北の大地が見えた時には、もう感動…。

見渡す限りの晴れでしたが、時折吹き付ける潮風と、休憩場所で振舞われたアイスのおかげで、それほど暑くは感じませんでした。
(自分が踊っていたので、運行中の写真はありません。ご了承願います…。)

途中で隣の今別地域の荒馬踊りに遭遇しましたが、同じ荒馬ながら完全に違うものでした。
両者の経緯をたどってみるのも面白そうですね☆


お昼は大川平小学校(現在は廃校で荒馬資料館)でバーベキュー!
焼肉や焼きそばがこれでもかというくらいに振る舞われ、津軽線の列車を横目にたくさん食べました。
音舞や緒、そして地元大川平の子どもたちともたくさん話すことが出来ました。
1回生も多くて話が合って、みんな面白かったです。
子どもたちは、方言がちょこっと分からない部分があったりw
でも、先輩から聞いていた通り、優しい子ばかりでした☆


それから、地元の人の車で海に連れていってもらいました!!

夏といえば海!
遥か向こうは下北半島だそうです。
先輩が泳いでいる間、カニやヤドカリ、ウニをキャッチ&リリースして遊んでいました。


夕方はみんなで大川平駅へ。

もう最終1コ前というのが驚きですw
この列車で、先輩がもう一人合流されました。


夕食後は友達と散歩がてら再び大川平駅へ。
19:41、最終列車がやって来ました。

わずか5往復ながら、毎日律儀にやって来る鉄道は頼もしい存在に見えます。

この日は運行に海に撮影に、かなり充実した1日でした。
ちょっとだけ、ここに住んでみたいなと思いました☆

いざ東へ・1日目

2009年08月05日 23時59分59秒 | 旅行記
皆さんご存知の通り(笑)、今までの私の旅先といえば、そのほとんどが中国・四国・九州をはじめとする『西』でした。
しかし、西日本は沖縄を除く全ての県を訪れた現在、周囲の影響もあり、『そろそろ東も見てみたい!』という欲望が何処からともなく現れ、いつしか私の頭の中を支配するまでになったのでした…。
(ちょっと大げさかなw)


そんな時!
うちのサークル『和太鼓ドン』で、先輩から、
青森県は津軽半島の大川平(おおかわだい)という所で、『大川平荒馬踊り』という、ねぶた祭りに参加することを知りました。
かれこれ9年ほど前から毎年参加させてもらっているそうで、
私たちの他、大分県の別府にある立命館アジア太平洋大学(APU)の『緒(ちよ)』、名古屋大学の『音舞(おんぶ)』という2つのサークルと一緒に地元の人と交流して、運行にあたっているそうです。

○荒馬踊りとは…
田植えを終えた農民が神の加護と感謝のために催す行事で、
農作業において欠くことのできない「馬」と、その手綱を引き、扇子で励ます「手綱取り」に扮し、地域中をねぶたを曳いて練り歩くというもの。

アノ!ねぶた祭りに参加出来るというのです!
その前後は一人旅をすればもっと充実すると思うし、定額給付金も手に入ったばかり。こんないい話はない!
そう思って、7月の半ばから、大川平荒馬踊りの一番目立つパートである『馬』の練習を始めました。


そして、8月4日。
一人だけ試験が最終日まであった私ですが、ようやく出発の日がやって来ました。
サークルの他の人たちは2日ほど先に出発しています。

西大路駅にて。
かつてない荷物の量です。
左の楕円形の物体は、荒馬踊りで使う『馬』。
先輩から代々受け継がれているもので、輪にした塩ビパイプに布を巻きつけたお手製で、これを身につけて踊ります。
(踊りの様子は続きの旅行記で!お楽しみに!)
コレを布団カバーに入れて結んで、青森まで運ぶことにしました。
西大路23:19発→京都23:22着
京都駅で日付が変わり、急行『きたぐに』に乗車!
京都0:02発→新潟8:29着
ホントは『日本海』で楽に行きたかったのですが、大川平行きが決定した時点で既に満席。
他に早く移動出来る方法はと調べた結果、新潟まで『きたぐに』、秋田まで『いなほ』、そこから18きっぷを使って移動することになりました。

ズラリと並ぶ3段寝台は、いつ乗っても壮観です。
私の乗った8号車は読売旅行のツアー客が大半で、若干アウェーな雰囲気ながらも(苦笑)、無事に荷物と馬を寝台に運び入れられました。

私の乗ったのは8号車1番中段。
他の中段に比べて格段に広く、寝るスペースは十分に確保出来ました。
今回は終点までじっくり乗るので、じっくり寝ました。


おはよう放送で目を覚ますと、そこは新潟県の直江津。
小雨の降る中、いよいよJR東日本管内へ突入です。

20分停車の間にちょこっと撮影。
この583系もいつまで走り続けてくれるのか…。

そして、直江津を発車。

寝台の小窓から外を眺めてみました。
さすがは穀倉地帯、田んぼが延々と続きます。

新潟8:34発→秋田12:11着
終点の新潟で『いなほ1号』に乗り換え。
乗り換え時間が僅かな上、跨線橋を渡っての移動だったのですが、何とか乗り換えられました。
引き続き長時間の乗車なので、ずーっと寝ていました。

起きると秋田!
一気にやって来た気がしますが、ホームを行き交う人々の言葉も方言が目立ち、東北にやって来たことを実感させられました。
18きっぷに押印してもらい、ここから私も『18きっぱー』です。
秋田13:12発→青森17:10着
オールロングシートの701系3両編成。
車内では、私と同じ18きっぱーの人や、自転車を折りたたんで袋に入れた人が目立ちました。

途中の大館で長時間停車中。
青森はもうすぐ!

持ってきた小説も大分読めたところで、青森到着。

列車を眺めつつ時間潰し。
駅はねぶたムード一色で、飛び交う津軽弁が分かりませんでしたorz
青森18:22発→蟹田19:05着
蟹田からは最終列車(早!)で、津軽半島を更に奥へ。
蟹田19:13発→大川平19:41着

ついにやってきた大川平!
何もない無人駅でしたが、先輩が迎えに来てくれて、夜道を少しばかり歩いて、大川平文化会館へ。
先に来ていたみんなと合流して、地元の人にも温かく迎えていただき、音舞と緒の人ともすぐに仲良くなれました♪

早速運行が翌日に控えているので、この日は早寝!
どんなお祭りになるのか、すごくドキドキしていました。