天空の城址 後半

2008年03月29日 23時59分00秒 | 旅行記
実は『天空の城址』の訪問は既に終わっているので、この記事においてはタイトルが意味をなさないのですが…(笑

さて、和田山駅で昼食を摂った星は何処へ行ったのか!?
和田山14:25発→城崎温泉15:10着
さっき竹田駅で買った券を手に、特急『はまかぜ3号』に乗車。
この便は乗車区間が短いわりには行き違いなどで停車が多いので、45分しっかり楽しめます。
毎度乗るたびに思うのですが、気動車なのに車内がとても静かです。
リクライニングを最大まで倒してくつろぎます。

車内では家族連れや旅行者のほか、自分の近くには大学生風の青年2人が乗っていました。
話を聞いていると…
『これって佐津にも停まるん?まるで快速やな!』
『信号待ちって久々に聞いたわ!』
『早よぉ豊岡着かんかな?何で江原に停めるのか分からん』
『また信号待ちかい!ええ加減にせーや、線路敷けや…。』
と、ひとつひとつにツッコミを入れていて面白かったです。
確かに、この辺りを通る特急の停車駅の多さはすごいです。
かつての『だいせん』より停車駅多いし…。


途中、宿南信号場で信号待ち。
上り『はまかぜ4号』とすれ違います。

その青年は豊岡で降りていきました。
円山川沿いをゆっくり走ること数分、城崎温泉着。
車内放送では、
『まもなく、城崎温泉、城崎温泉です。本日は、JR西日本の特急はまかぜ3号をご利用いただきましてありがとうございました。お客様のまたのご利用を心よりお待ちしております。また、この後も良いご旅行をお続けくださいませ。まもなく、城崎温泉です。』
と、今まで聞いた中では一番いい車内放送でした。
いい気分になりながら、名残惜しく下車。


キハ181系。何度見てもカッコイイです。
撮るばかりではなく、日頃から乗って残すことが大事だなと思います。
ほんの1分ほどの停車の後、乗っていては全く気付かなかったエンジンの轟音を響かせて香住へ向かっていきました。

城崎温泉で下車したのは小学生の時以来で、その時は当然『城崎駅』のままでした。
温泉街をぶらぶら、この椅子を見つけました。

そうそう、これに座って祖母に写真を撮ってもらったんです。
懐かしい気持ちになりながら、再びぶらぶら。
いずれゆっくり訪れてみたいものです。


そんなこんなで駅に戻ると、『ほのぼのSUN-IN』が!
全く調べていなかったのでこれはラッキーです!
ちょうど模型で製作中ということもあり、細かく見て回りました。


城崎温泉15:38発→玄武洞15:48着
キハ47系2連に乗車。先頭は検査明け間もない2番。
実は、玄武洞駅で降りることは直前まで考えていませんでした。
でも、何となく~ってことで下車。
駅前道路の交通量が多いことを除いては、円山川を挟んで玄武洞の見える、いい感じの駅です。
駅を出て1分ほどで、こんな写真を。


更に駅の裏ではこんな写真も撮れます。
今や少なくなった未更新車!


玄武洞16:37発→城崎温泉16:42着
もう一度城崎温泉駅に戻り、ジャムパンとココアを購入。
城崎温泉17:11発→福知山18:55着
折り返し、113系3800番台に乗車。


途中、豊岡で『はまかぜ6号』の待避。
さっきの3号の折り返しですが、検査明け間もない47番が先頭でした。
(気付かなかった~!!)


そして、自分が乗っている113系3800番台。
福知山の名車です。


途中国府と上川口で反対列車の遅れがあり、福知山には7分遅れで到着。
福知山18:57発→園部20:11着
乗り継いだ園部行きも何度か反対列車の遅れを受け、和知では行き違い待ちのところを行き違いせずに発車。
次の下山で行き違いをするために、通常では停車しない2番乗り場に停まりました。
そんなこんなで、園部に4分延着。
園部20:24発→京都21:16着
この列車に乗っていた記憶がありません。
何処かで『タンゴディスカバリー』とすれ違って起きたのは覚えているのですが、ほとんど寝ていました。
京都21:23発→西大路21:26着

ついに西大路到着。
約12時間の旅でした。

前から行きたかった竹田城址に行けたし、はまかぜ乗ったし、城崎歩いたし、撮影も出来たし…
色々なことが出来た、充実した1日でした。
最後までご覧いただきありがとうございました。

天空の城址 前半

2008年03月29日 23時58分00秒 | 旅行記
朝日放送で夕方のニュースが終わった後に流れる『歴史街道』。
ご存知の方も多いかと思いますが、数年前に兵庫県朝来市の竹田城址が特集されました。
そこからの景色がとてもきれいで、一度見てみたかったので行ってきました。

本当は始発列車で出ようと思っていたのですが、起きたら朝の8時。
緻密に予定を立てていたわけでもなく、8時起きでも十分余裕をもって竹田城址には行けるので、列車の中で予定を立てようということで出発。
西大路8:50発→京都8:53着
京都で山陰本線に乗り換え。久々の乗車。
京都9:02発→園部9:53着
数日前に花園~太秦が高架区間に切り替わり、どんな景色なのかな~と思って見ていたら、進行方向右には大文字、左には東映太秦映画村が見えるというそれは素晴らしいものでした。
園部10:01着→福知山11:17着
園部で接続の福知山行きは橋を渡って違うホーム!
これは京都から乗った号車で着席出来る出来ないかが左右されます。
幸いドア横のロングシート部分を確保出来ました。
113系(未更新車)ではロングシート部分の方が足が伸ばせていい感じです。隙間風も気になりません。

途中、反対列車の行き違いで遅れたものの、綾部からはガラガラに。
土師川の鉄橋を渡って、福知山城が見えたら福知山に来たことを実感させられます。

福知山からは113系3800番台に乗り換え!
18きっぷシーズンの土曜だというのに乗り換え客はあまりいませんでした。
福知山11:21発→和田山12:01着
さぁ、和田山からは久々の気動車、キハ41-2003に乗り換え!
和田山12:03発→竹田12:10着
京都から3時間ほどで竹田到着。
地下鉄/近鉄の竹田ではありませんwww
それにしても、ローカルでいい感じの駅です。


駅舎。
委託のおじさんがいました。
これから後ろに見える竹田城址に登ります!


駅近くの踏切を渡り、いよいよ登山口へ。


門をくぐります。振り返って撮影。
開けたら閉めなければいけないそうです。
道も獣道っぽくなって、それなりの雰囲気!?


他にも人の姿が見えました。
ここは先の台風で土砂が崩落したところ。


このへんで15分ほどしか経っていないのですが、もう既に息が切れています。
地元の小学生らしき男の子と女の子とすれ違ったのですが、『こんにちわ』と声をかけてくれました。
その子たちによると、ここからはすぐなのだとか。
丁寧にお礼を言って登ります。


それでもそろそろキツくなってきます…。


大学生風の男女と挨拶を交わした後、ようやく石垣が!
う~ん、こんなところに立派なお城があったんですねぇ~。


『千畳敷』というところから。
意外に家族連れやカップル、お年寄りの方もいました。
上は寒かったのですが、もう汗だくです。


あそこが天守閣…かな?


んでもって、その天守閣から。和田山方面を向いてみました。
山の上とはいえ、けっこう広いです。


こっちは姫路方面を。


再度、和田山方面を。
予想通り、播但線が見えました。
まるで空の上にいるようです。さながら『天空の城ラピュタ』?
因みに、ジブリ作品の中ではラピュタが一番好き。


竹田の町も見渡せます。


桜が咲いていれば良かったのですが…。


30分ほど滞在して下山。駅に戻ります。
駅近くのガード。かがんで通らなければいけません。


駅で和田山から乗る列車の券を買って、収入に貢献!(ぇ
委託のおじさんは次の列車のホームも教えてくれて、丁寧に応対してくれました。

竹田13:49発→和田山13:56着
やって来た列車はキハ41の2連。
またいつか、竹田に来ようと思いました。


竹田城から見えた景色の中を、列車は走っていきます。
のどかな風景です。
そうこうしているうちに和田山に着き、遅めのお昼を。
名物駅弁『牛タン弁当』が食べたかったですが、お金の都合で350円のおにぎりセットを。
乗ってきた列車の入れ替え作業を見学しつつ食べました。

そうそう、和田山駅といえばこのレンガ機関庫。
津山のようにこれもしっかり保存してもらえないものでしょうか…。


後半へ続く!

特集 ラストラン『日本海2号』『銀河』『なは・あかつき』

2008年03月15日 11時37分54秒 | 鉄道関係
(PCの方のみ画像をご覧いただけます。ご了承ください…。)
ダイヤ改正当日、3月15日。
昨晩最後の出発をした3つの夜行列車たちが、目的地へ向けてラストラン。
地元で最後の最後まで見送ってきました。

ギリギリまで寝ていたので、6:15に出発。
最後まで場所を迷っていましたが…結局地元桂川で。
普段は誰も居ないこの場所も同業者は3人。
少し遅れてきた寝台特急『日本海2号』はトワイライト色のEF81が牽引してきました。

その10分後、寝台急行『銀河』が通過。
戦後から約60年間、東京と大阪を結んだ寝台急行は、普段通りの姿でラストラン。
思わず手を振って見送りました。

寝台特急『なは・あかつき』はいつもの場所で。
ここも未だかつて同業者を見たことが無いのですが…間際になると何処からともなく4人ほど集まってきました。
サイド気味に撮ってみました。これも思わず手を…(笑
『あかつき』が迎える最後の暁です。

向日町操車場の脇を通ると、『なは・あかつき』の予備車が。
この車両たちも、先ほどの列車たちを見送ったのでしょう。
もう役目が無いのかと思うと、心なしか寂しく見えます。

それから向日町駅近くの踏切で『なは・あかつき』の回送を。
家族連れ始め、地元の方が10人ほど集まって見送りました。
回送牽引機は48号機。

管理人が好きな『なは』のソロ。
ボロボロの外装は走り抜いた証です。

『なは』と『あかつき』の連結面。最初で最後の撮影。

先ほどはよく分かりませんでしたが、本務機は42号機でした。

奥に引き込まれていきました。

それを追っかけて、敷地外から撮影。
同業者は5人ほどで最後の最後を見届けます。


『雷鳥』が通過。この車両も3年後には居なくなります。

しばらく撮影していると客車が切り離されました。

ほどなくしてEF66 42号機も奥へ。
最後に寂しそうな汽笛を鳴らしてくれました。
見えなくなるまで見送りました。


『なは・あかつき』の時間に合わせて外出することも、時計を見て『今どの辺り…』と想像することももうありません。
それぞれ一回ずつ乗りましたが、あの夜の思い出は一生忘れることはないでしょう。
寝台特急『なは・あかつき』、今まで夢と思い出をありがとう!
そして、お疲れ様!

それから下津林踏切へ。
ダイヤは残り『日本海』として存続するものの、客車が西日本から東日本の車両になるそうなので、『日本海4号』を撮って帰りました。


一気に3本もの夜行列車が廃止されました。
ブルートレインが築き上げたひとつの時代が、今まさに消えようとしています。
また、京阪神の朝が寂しくなりますね…。

最後までご覧いただきありがとうございました。