JR四国2000系「TSE」引退へ

2018年02月28日 23時58分27秒 | 鉄道関係
JR四国より、2000系気動車の先行試作車「TSE(Trans Shikoku Experimental)」の引退が公式発表(PDF注意)されました。
四国の高速鉄道網形成に大きく貢献した振り子式気動車の先駆けです。近年では運用範囲を特急「宇和海」のみに狭めており、松山まで行かないと会えないので私も過去に数回しか見たことはありませんでしたが、昨年末に「バースデイきっぷ」で四国を一周した際(この記事の実質続きとなります)、運よく「宇和海18号」で宇和島→松山の全区間を乗車することができました。固定運用なので目星をつけるのは簡単ですが、当初は予土線の「鉄道ホビートレイン」から接続する16号に乗車する予定だったところ、宇和島駅近くで入ったお店の「鯛めし」が美味でご飯をおかわり(笑)、滞在時間が延びて1本ずらした次第です。


前運用となる「宇和海13号」で宇和島に到着するTSE。折り返し時間は8分とタイトですが、頭端式の宇和島駅ホームにはカメラを構えた同業者が多く、同編成の人気が高いこと、引退が近そうなことは何となく察知できました。




宇和島方の非貫通型先頭車となる2001。量産車(上)と異なりHMが装備されていないのでブラックフェイスがより目立ちます。また、量産車の2000型はグリーン車と普通車が半々の合造車となっていますが、トップナンバーの2001のみ全室が普通車であることも特徴の一つ。


この日乗車したのは、松山方の先頭に立つ2101。前寄り半分の座席が指定席区画となっています。


こちらは量産車の貫通型先頭車・2100型ですが、やはり随分と異なる表情です。


前面の扉モドキ、当初は2分割のプラグドア式できちんと開閉機能を有していたようですが、現在は閉塞されているとのこと。両脇にガイドレールを埋めた跡がうっすらと見えます。痕跡好きとしては観察し甲斐のあるポイントですね。(笑)


しかし、なにぶん試作的要素の強い車両、万一コケた時のために2101の客室後方には団臨としても使えるようソファーが設置されていたとのこと。もし転用されていれば現在の「アイランドエクスプレス四国」のような位置付けが考えられていたのだと思いますが、そうならなくてよかったです。(笑)
その後、量産化改造を受けた際にソファーは撤去され、「跡地」の4列分だけが量産車と同じバックシェルの付いた座席となっています。


側面表示も平成初期のスタンダードと言うべきものですが、今となっては古めかしく見えます。客用ドアも量産車では全て窓が小さいものに交換されていますが、TSEは最後まで原型の大窓を保っています。

実際に乗車しての感想ですが、車齢を感じさせない高速走行に驚きました。途中駅からの乗車や短区間での乗降もみられ、「うずしお」と並ぶ高頻度運転で需要が旺盛なのも頷けます。余談ながら「宇和海18号」の八幡浜到着を以って私はJR四国全線完乗が叶ったのですが、発足最初の特急車であるTSEで乗り潰せたことは良い記念となりました。


松山到着時にはちょうど今治方から8600系が入線、新旧「しおかぜ」の並びも見られました。
この8600系、そして2000系列の後継が期待されて昨年登場した2600系はいずれも空気ばねによる車体傾斜を採用していますが、これはやはり完全な代替とはならなかったようで、2600系については今後は同車をベースに振り子式に仕様を変更した車両を導入する旨が早々にアナウンスされました(PDF注意)。ここ数年、全国的に斜陽が差しつつあった振り子式車両は、その原点となった四国の地でひそかに復権の兆しを見せています。

「TSE」の引退はJRグループのダイヤ改正日にあたる3月17日。当日早朝に松山へ到着する「宇和海2号」での定期運用引退となったのはおそらく運用の都合でしょうが、プレスリリースにもあるように運用終了後もしばらくその雄姿を拝むことは可能で、三度に亘るさよなら運転が実施された後に多度津工場入りが予告されています。その後は……やはり工場もしくは伊予西条の四国鉄道文化館で保存でしょうか。新緑の季節、四国各地に最後の別れを告げるTSEを一度は撮影してみたいものですが、ともかくも、最後まで安全に走り抜けてくれることを願います。

平成細雪

2018年02月24日 01時51分07秒 | 京都
表題のNHKプレミアムドラマが、BSでは1月に、総合では先日深夜にまとめて放送がありました。
カテゴリ分けを迷いましたが、ロケ地に京都も含まれているので「京都」に入れておきましょう。(笑)

さて、原作は言わずもがな谷崎潤一郎『細雪』ですが、あちらが昭和大恐慌の後から太平洋戦争の開戦前までを描いているのに対し、ドラマの時間軸はバブル崩壊に始まり、阪神淡路大震災を目前に終わりを迎えます。
物語の構造もおおむね踏襲されており、船場の旧家に生まれた四姉妹を主人公としながらも、描かれる空間の多くは阪神間であるところや、四姉妹を取り巻く人間関係などもおおむね原作を尊重したもの。ただ、時代はまったく違いますから、昭和初期を描いた原作からなるほどこのように置き換えられるのかと、毎度驚きと楽しみの連続でした。

ロケ地もほとんど関西で、とくに1話と4話に登場した宇治の興聖寺は新緑も紅葉も美しいですね。映像(画面の切り取り)の美しさ、緩急のつけ方は見事なもの。と言うのも、エンディングを見ていると、今もコンスタントに新作が放送され、再放送も盛んな「京都人の密かな愉しみ」と、どうやら同じ制作陣のよう。美しい四季の風物を織り交ぜながら、家や職業、ひいては土地に(ある意味で)縛りつけられながらもそれぞれの立場で生きていく人々、そして彼らが住まう〈京都〉を描いた実績は流石のものです。

「平成細雪」を底流するのはおそらく「喪失」。
人間や財産など、去っていくもの、失われていくもの、それでも乗り越えていかなければならないものは現代でも同じで、それに翻弄されるばかりでなく、受け容れて前に進んでいくことが一つのメッセージであったように思います。美しい四姉妹のキャスティングもぴったりで魅力的でした。「ごりょうさん」「こいさん」といった呼び方は平成初期であってもいまいちそぐわない気がしますが、姉妹の位相を示す重要な表現なので仕方ないでしょう。

並行して、平成初期という時代も私にとっては懐かしく映りました。まだ携帯電話が普及しておらず、連絡が行き違ったり手間取ったりした時代。結婚について旧来の「家」制度が大きく絡んでいた時代。良くも悪くも、まだまだ昭和の遺風を残していた平成初期が見事に描写されており、久々に幼少の頃を思い出すきっかけとなりました。
反対に言ってしまえば、モノがありふれてしまったこの平成末年、つまり現在の物語として『細雪』を再現することはもはや不可能に近いのでしょう。そうした点では、この30年という時間での大きな変化を認めざるを得ませんし、この時代の始まりにはまだまだ色々なものがなくて、同時に色々なものが残されていたのだということを実感させられます。まさに平成の夕暮れ時にぴったりのドラマだったのではないかと思います。

ところで、ドラマでも何度か出ていた〈夙川の土手〉は、昨年4月の桜の時期に訪れました。


この上流、阪急の線路から少し離れたところにある古民家カフェがドラマでは四女・妙子(こいさん)の工房として登場していましたが、その時は入ろうかどうか迷い、結局は苦楽園の喫茶店に収まった覚えがあります。(笑)
気付けば2月も終わり。また季節が一巡りしようとしています。気温も上がって徐々に春めいてきましたから、久々に原作を片手に阪神間へ足を延ばしてみましょうか。

マイクロ・キハ37(加古川色)の小加工

2018年02月16日 23時59分43秒 | 鉄道模型/製品レビュー・小加工など
またしても床下加工ネタです。
車体ほど気を遣わないのと、グレーや黒の単色塗装で済むので、部屋に引き篭りがちな冬場にもってこいです。(笑)


さて、実車は5両という少数派ながら、国鉄・JR・私鉄譲渡車と模型の世界ではマイクロエースが多彩なバリエーションを展開しているキハ37系。キハ40系列より幅を絞ったスタイリッシュな出で立ち、船舶エンジン(DMF13S)の採用など新機軸を盛り込んだことで活躍が期待されていましたが、投入対象線区の相次ぐ廃止や3セク転換などで残念ながら量産化はされないままJRに承継され、西日本の2両は主に加古川線で運用され、その後は朱色を纏い米子に転じて境線等で活躍、運用終了後は米子駅構内での長期留置を経て09年に廃車解体されています。いっぽう、東日本の3両は近年まで久留里線の主力として活躍し(2012年11月訪問時の記事はこちら)、これも廃車かと思いきやキハ30系列と共に全車が水島臨海鉄道で再出発を果たしたのは広く知られるところです。譲渡回送時の記事はこちら

そんな数奇な運命を辿ったキハ37系ですが、製品の床下を見ているとどうもエンジンの形状が不自然です。元写真を撮り忘れたのでどうしようもありませんが(汗)、Wikipediaでキハ37の項を見ていると〈1999年(平成11年)から2000年(平成12年)にかけて、順次機関をカミンズ製DMF14HZへ換装し、縦形(直立シリンダー形)エンジンに特有の室内床面の点検口が埋め込まれた〉とあることから、どうやら製品では東日本仕様のエンジン(DMF14HZ)が再現されているようです。つまり、製品の床下が当てはまるのは2代目久留里線色と水島臨海鉄道色のみ、ということになります。

そんな事実を知ってしまうと手元の加古川色を原型エンジンに作り変えたくなるところですが、原型のDMF13Sそのものズバリの床下は製品化されていません。10年ほど前にマスターピースなるメーカーからプラキットが製品化(床下機器含)されていたのを覚えていますが、現在ではおそらく入手不可能でしょう。また、同型のエンジンを積んだ車両としては鹿島臨海鉄道6000形(KATO)や三陸鉄道36形(TOMIX)が近年旺盛なバリエーション展開によって入手も容易ですが、両者とも実車の登場から比較的早期の製品化とあって元々の設計が古く、やはり床下機器の印象把握はイマイチです。
そうなると、現代水準での近似エンジンはキハ20系用のDMH17Cとなります。幸いにもTOMYTECから鉄コレ13弾において安価でリアルに再現されているので、余剰車からもぎ取って充当します。


画像左側、元のエンジンを取っ払って中央に配置しました。跡が穴だらけですが見えないので塞いでいません。(笑)
他の機器も配置が異なるようなのでWeb上の写真を見ながら適宜移設しています。どうやら冷房化(サブエンジン式)の前後で違いがあるようで、せっかくなので冷房化後としました。

M車については切削を繰り返してできる限り再現していきます。


他から流用できるものが少ないので、ほとんどの機器はモーターカバーからそのまま切り貼り。奥まっている機器については間引いておきました。


塗装したところ。前回の「ほのぼのSUN-IN」同様、上回りの出来が良いので床下に手を入れてやるとぐっと印象が良くなります。カプラーはTN化。


M車はこのように。エンジンもある程度は再現できたでしょうか。


車端はキハ40系用のカプラーとステップを取り付けました。トイレはこの時代ならまだ垂れ流しでしょうか。ひょっとすると冷房化(94年)と同時にタンク化されたかもしれませんが、流し管のパーツが異常に余っていたので取り付けておきました。(笑)


最後に、うちの加古川色気動車たち。キハ35はまだ紹介していなかったように思います。帯のデカールを見つけたのでKATO製品を塗り替えたものですが、ファルベの青緑1号はマイクロ製品と色味が似ています。一方、過去に製作記事で紹介したキハ20はGMの青緑1号を使用したので随分と異なる色合い。定番の色でもメーカーによって違うのだと、よい勉強になりました。ここまで来るとキハ40系列も増やしたいですね。

キロ29・59「ほのぼのSUN-IN」の小加工

2018年02月08日 03時42分12秒 | 鉄道模型/製品レビュー・小加工など
節分を過ぎたものの、京都は相変わらずの底冷えで堪えます。
仕事柄、体育館という場所に出入りしなければならないのですが、あればかりは慣れませんね。
夏場の蒸し暑さを避けるには仕方のない構造のようですが。

さて、昨年入手したマイクロエースの「ほのぼのSUN-IN」。
年明けから重い腰を上げてグレードアップを進めていましたが、このたびようやく終わりました。


実車は山陰最後のキハ58系列として団臨を中心に10年ほど前まで活躍していました。関西に遠征してくることもしばしば、行動範囲の限られていた高校時代でも数回接する機会があり、車端部のグラデーション塗装が思いのほか雑だったことが印象に残っています。(笑)


さすがに模型では印刷で無難に(?)まとまっています。
かつて製作に挑戦したこともありましたが、エアブラシを持っていないとこの箇所がネックとなります。当時はデカールに吹き付けて再現した覚えがありますが、やはりスッキリとは仕上がりません。前位側の扉を綺麗に埋めるのもなかなか面倒です。

そんなこんなで、ボディの出来は良好ですが、床下に目を向けると……




どうも、見慣れたKATOやTOMIXの床下とは異なります。
これはおそらく同時期に製品化された東日本車(エレガンスアッキー、よねしろ等)の床下が流用されたものと考えられますが、それにしてもモールドが甘く安っぽい印象は否めません。DMH17エンジンの造形は「フェスタ」の床下で実績があるはずですが、あちらも相当前の製品化ですから難しいのでしょうね。

エンジンだけを部分的に交換するのもバランスが悪いと思い、


KATO製キハ28の床下を切り継ぎ、ウエイトで繋ぎ合わせます。


塗装したところ。
やや下が空いてしまいましたが、これで正規の床下になりました。


M車についても同じく、KATOのキハ58からモーターカバーを切り貼りして塗装しました。


連結器はTNに換装し、車端にはトイレタンクやステップを取り付け。
客用扉窓はやや小ぶりだったので、拡大してTOMIXのものを嵌め込みました。


前面窓ガラスもTOMIX製に交換。種別表示幕はそのままだと横長なので、点灯は諦めてTAVASAの国電用方向幕を上から貼り付けています。
ほか、ジャンパ栓はKATOの115系長野色用を、形状の異なるタイフォンはTOMIXのキハ40系(岡山色用)に交換。今度KATOからキハ58がリニューアルされる際には専用のジャンパ栓が出るので、他車のグレードアップ用に確保しておきたいですね。




かくして床下の正規化とグレードアップが完了した「ほのぼのSUN-IN」ですが、気動車の床下は奥深いもので、実車と模型で違う点の多いこと多いこと。模型は部品流用ありきですから仕方ありませんが、マイクロ製品で言うとキハ65(エーデル)やキハ37なども異なる点が多いので、地道に手を加えているところです。


一段落ついたところで、タイミングよく「ゆったりやくも」が入線。
しばし米子界隈の雰囲気に浸ろうと思います。