睦月の終り

2014年01月31日 03時34分35秒 | 日記
あっという間に1月も終盤。
時節柄、バス分が多くなります。(^^;

・1/23

前回の日記でもお伝えした五条通(西大路五条以東)の状況ですが、


この日通りかかったところ、拡幅された南側車道(西行車線)の供用が開始されていました。
後は歩道部分の整備が残っていますが、こちらも拡幅されることで、似た出自の堀川通や御池通並の広さを持つことになります。
因みにこの数分後、梅津営業所へ回送される市バスの新車に遭遇し、この記事へと繋がることに。

・1/24

京都市交通局のプレスリリース。

市バス「わかりやすさ向上」のためのデザインマニュアルの策定と案内表示の一新について

市バスの行先表示や車内路線図、時刻表等のデザインに関してフルリニューアルが発表されました。
これは以前に京都新聞が報じていますが(23日の当ブログ記事でも引用)、今回初めて前面・側面の行先表示デザインが発表され、新たに全系統で通りごとのラインカラーを入れた「黒地に白字の幕」が新調されることが明らかとなりました。
慣れ親しんだ紫幕が見納めとなることは寂しいですが、新幕もなかなかスタイリッシュで好感が持てます。
やはりLEDではあれだけの情報量を詰め込みながら明瞭に表示することは難しく、他の事業者ではもはやLED表示が全盛となっている現在、時代への逆行とも言える幕式表示の堅持は観光地の多い京都ならではの特別な事情と言えるでしょう。
こんなところからも、京都の特殊性が垣間見えるような気がします。


紫色の幕を掲げた市バスの姿も後2ヶ月。
とりわけ新車がこの幕で運行する期間はほんの僅かとなりますから、ますます貴重な光景となるでしょう。
全系統コンプリートなんてことは今更無理ですが、ひっそりと撮っていこうと思います。

・1/25

この日も西大路五条界隈を通る機会があったのですが、今度は東へバス停一つ分歩いてみました。


車道拡幅に伴って南に大きく「後退」した市立病院前のバス停です。以前は道路中央、工事用柵の辺りにありました。
バス停にかかる部分の歩道は既に一部供用されています。新たな広幅歩道は歩行者・自転車の区分けが明確となるので、場所柄お年寄りの利用が多い当停留所でのバス待ちも安心です。
また、バス停は以前から設置の進んでいる広告型ですが、次改正では時刻表やバスロケ(接近表示)等もリニューアルされることが発表されたため、こうした細々したアイテムも少しずつ記録していきたいものです。

・1/26

京都文化博物館で故・大島渚監督のドキュメンタリー映画「KYOTO,MY MOTHER'S PLACE」を鑑賞。(京都新聞記事はこちら)


今月15日は大島監督の一周忌となり、追悼イベントとしての本上映となりましたが、英国BBCで制作された映画は日本で公開される機会はこれまでほとんどなく、京都が描かれた作品だけに興味深いものでした。
映画は、外国人が好みそうな京都の風景をふんだんに取り入れた一方、大島監督の地元(うちの近所でもある)の風景もクローズアップされ、今宮神社のやすらい祭や松尾大社の還幸祭といったローカルな祭礼行事も登場。閉鎖的だった京都への批判も抱く一方で、自己を形成する上で欠かせなかったのも京都、その愛憎が独特の目線で強く表れていたように思います。

また、別館では「京都府美術工芸新鋭展」として、ヤノベケンジさんの「Sun Sister」が展示されていました。


元銀行を占拠する巨大な乙女は、なかなか壮観です。(笑)

28日(火)は先に公開した特集記事の通り。
もうじき暖かくなりそうなので、また積極的に出かけていきたいものです。

梅小路公園に搬入された元・京都市電

2014年01月29日 07時17分08秒 | 京都
28日未明、梅小路公園に元・京都市電の保存車2両が、地下鉄竹田車庫での修繕を終えて陸送で運び込まれました。(Twitter情報)
いずれも梅小路公園再整備に伴って開業する「市電ひろば」で展示されるものと思われます。

何か見られるのではないかと梅小路公園のJR社宅跡地を訪ねてきました。


画像中央に、従来から動態保存されていたN電の姿が確認出来ます。


拡大したところ。
手前には停車場のような上屋も設置済。またレトロ風になるのでしょうね。


東側(京都駅の方向)に目をやると、動態保存用の線路が既に敷設されていました。
奥には搬入された市電車両が早速展示中。静態保存の予定車両は6両なので、残り4両も近いうちに搬入されるのでしょう。


少し角度を変えて、京都タワーをバックに市電車両を。
整備後は走るN電とのコラボも見られそうで、注目を集めそうなアングルです。

さらに東側、水族館の脇へ歩いていくと……




このように、かなりオープンに工事されていることが分かります。
てっきりブルーシートで覆われ云々……というのを想像していたのですが、車両は陸送中もむき出しであったようですから、このまま公開で工事が進んでいくのでしょう。通るたびに進捗が見られるので嬉しいです。(笑)

これらの保存車両、動態保存が継続されるN電は蓄電池駆動に、静態保存車両は車内を店舗等に改装するだけあって(京都市広報資料より)意見が分かれそうなところですが、個人的には前者は保守管理の面から、後者は公園活性化の面から仕方ないのでは――と思っています。往時を知らない私が言うのもまことに憚られますが、これまで秘蔵されていた車両が半永久的に保存されるだけでもありがたく、N電は博物館明治村のものが有名ですし、末期まで走っていたものはまだ広島で……などと言い出せばキリがありませんが、外装は出来る限り活躍当時の姿を維持しつつ、その活用方法を時代や設置場所の趣旨に沿ったものとしていくのはおそらく一つの妥協点なのでしょう。それは同様にこの街全体にも言えることであると思います。

京都市バス・2013年度の新車

2014年01月24日 04時33分54秒 | バス関係
昨夕、西大路五条で京都市バスの2013年度車(2817)に遭遇しました。
毎年この時期に新車が投入され、やはり今回も従来から導入が進められているブルーリボンシティのハイブリッド車となりましたが、前面・側面の表示方式が従来のLEDから幕へ変更されているのが特徴です。
既に同車を含めて3台が運用入りしているらしく、他に廃車・転属等の動きもあったようです。(各サイト調べによる)


急行100系統での運用を終え、梅津営業所へ回送途中の2817号車。
屋上機器の「Hybrid」の文字と幕の組み合わせが新鮮です。


それ以外では特に大きな変化は見られません。

※参考


従来のLED表示を掲げるブルーリボンシティハイブリッド。洛西営業所所属、2012年度車の2666です。
結果、この仕様は2009年度~2012年度まで投入されたことになります。一時は多数派になると思いきや……。

幕の場合、系統番号が白・青・赤と色分けされていたおかげで見分けが容易であったものの、LEDでは全ての系統が同色(オレンジ色)で表示されていたために(特に遠目では)判別が難しくなっていました。
しかし、ここに来て再び幕回帰への動きがみられるということは、やはり次年度からの路線別ラインカラー導入(京都新聞HPより)が見据えられていることは確かであり、続く新車・廃車・転属等の動向やダイヤ改正の詳細続報など、またしばらくバスから目が離せなくなりそうです。

大寒の頃

2014年01月23日 01時15分58秒 | 日記
気付けば1月も下旬。
寒さのおかげで少し出不精になった感が否めませんが、外出の折にはそれなりにネタを集めている今日この頃です。

・1/13(月)

成人の日。
あれから早3年、見た目も中身も余り変わっていないように思えますが、例年通り社中の初釜でした。
もちろん着物なのでタクシーの運転手さんにはいつも新成人と間違えられるものの、やはり着物で点前をすると一つひとつの所作も慎重になって気が引き締まりますね。
昨年は様々な場所で点前をさせていただく機会に恵まれ、また茶道を通じて多くの方と交流することが出来ました。
今年も引き続き頑張ってまいります。

・1/17(金)


西大路五条交差点から東方向を。
五条通車道南側の拡幅工事が随分と進んでいることを実感しました。元々から広幅の五条通ですが、それは戦時中に実施された建物疎開に由来するもの。この辺りの事情は私も以前に研究テーマとして取り上げたことがありますが、現在もなお成長していく大動脈を前に、先人の苦労、そして決して縁遠いものではなかった「京都における戦争の歴史」が横たわっていることを実感するのです。


そして、快速205系統(復路)に充当中の6413に遭遇。
同車は一時期「ふれあい号」として活躍していたリフト付き車の残党で、見た目は他のツーステップ車同様ながらも、前寄りの降車扉に備えられたリフトで車椅子での乗降を可能にしたものです。
前面窓が右に一段下がっているのが識別ポイントですが、その後のノンステップ車の普及で車椅子でのバス乗降はごく一般的となり、詰め込みの効くツーステ車の強みを生かして現在はほぼ快速202・205系統専用車へ――つまり、大学の行き帰りでお世話になったこと数知れず。最近ではワンステ車もごく普通に運用入りする快速系統ですが、やはり詰め込みと着席のしやすさ(一人掛けが多い)はツーステに勝るものなしと思います。

・1/18(土)

KBS京都ではこの日から放送開始の「いなり、こんこん、恋いろは。」を視聴。
「たまこまーけっと」や「有頂天家族」に続く京都ものとしてチェックした次第ですが、登場人物の名前が地名に由来するものであったり、京阪藤森と思しき駅が登場したり、やはり(準)地元が出てくるのは気持ちがいいものですね。(笑)
近年は制作会社が費用を抑えるために近場の風景を撮影した写真を基に作品を仕立てる……と、以前コンテンツ・ツーリズム(いわゆる聖地巡礼)を研究していた友人から聞いたことがありますが、結果としてそれが魅力ある作品となれば聖地巡礼という新たな観光のかたちを生むことに繋がり、私のように以前はアニメに関心の薄かった人間も少なからず引き込むことになりますから(笑)、良い動きであると思います。

・1/22(水)

会合への道中。


快速205系統繋がりで、今度はキュービック最古参の6076に遭遇。
この車両も以前紹介した60366039と同じ94年式で、今後の去就が気になるところです。


そして、今年初めて会う友人と、ジャンボでお好み焼き&焼きそばを。


帰りは時間が合ったので、もちろんこちらのチェックも忘れず……
特急「はしだて9号・まいづる15号」の丹波口通過シーンです。

キハ29・59形「ビバ・ウエスト」の製作 その3

2014年01月19日 21時37分30秒 | 鉄道模型/製作中-ビバ・ウエスト【完成】
製作中の「ビバ・ウエスト」ですが、Web上の記事等をよく見ると、種車のキハ58・28形からの改造後はそれぞれキハ29・59形を名乗っていたらしく……。m(_ _)m
これに伴い、記事タイトルを変更の上、製作記事を続けていきます。申し訳ございません。

キハ58、キハ59、キロ59……JR草創期はそれこそジョイフルトレインが入り乱れていましたから、形式重複を避けるためにいろいろと考えられたのでしょうね。
この「ビバ・ウエスト」、やはり同時期に同地区で活躍していた「フェスタ」と似た側面を持ちながら、グリーン車扱いではないのがおもしろいところです。

さて、以前「おゆまる」で複製した前面ですが、いよいよ相方のキハ59に取り付けていきます。
その前に、種車となるKATO製キハ58のお面を取り外し。


パーティングラインに沿って慎重に切り出していきます。
このキハ58の前面、何かに使えそうだとは思っているのですが、如何せんKATO製なので顔が似ていません。
とはいえ、「おゆまる」の力を借りてパーツ単位での複製も出来るようになったことですし、一応取っておきます。


切断面を整形して、複製した前面を接着。あれ?


と思ったのは、オデコの寸法が微妙に足りなかったからで、該当部分にパテを盛り直し。
光硬化パテはヒケが発生しないので、おそらく型取り時の押し当て不足だったのでしょう。
とはいえ、これであまり労せずに同じ顔が出来たので、後は継ぎ目の修正と側面の改造を残すのみです。

キハ29・59形「ビバ・ウエスト」の製作 その2

2014年01月16日 22時01分02秒 | 鉄道模型/製作中-ビバ・ウエスト【完成】
本年初の模型記事です。
水面下で進めているものも幾つかあるのですが……別の機会にご紹介しましょう。

それでは、昨年より続くキハ58系「ビバ・ウエスト」の製作です。(その1はこちら)
今回は側面の加工がメインです。


実車写真を参考に側面窓を繋げていきます。


そのままでは窓回りにテーパーが残っているので、


定規を治具代わりにして、


テーパー部分に切り込みを入れて取り去っていきます。


上側も同様に。
窓柱は一箇所ずつ定規を当てて現物合わせで削っていきます。


テーパーを取り去って、窓を少し拡大したところ。
これで固定窓らしくなりました。


車端部は窓が縮小されているので、合わせて埋めておきます。


未加工のキハ58と比較。
この時点で原型を残しているのはドア部分のみ。単純そうに見えて、なかなかの大改造です。

雪国断章 二日目(その3)

2014年01月13日 21時25分43秒 | 旅行記
前回(その2)はこちら

12/12(木)

木古内駅前のカフェを後にして、次は今回の旅程で初めてのバス路線に乗り換えます。


雪の影響か、幾分遅れてやって来た函館バスの小谷石行きは私の好きなエアロスターM。

木古内駅前18:47(16分延発)→知内営業所19:02(16分延着)


バスはあっという間に木古内の街並みを抜け、知内・小谷石方面へ向けて夜の松前国道を飛ばしていきます。
途中、ほとんどのバス停で乗り降りはなく、ただ停留所の案内を告げる放送だけが切り替わっていくなか、ほんとうに目的地へ連れていってくれるのか不安になるばかり。というのも、函館バスの路線はホームページを見ただけでは少々分かりにくく、停留所の路線図も一部が省略されていたため、木古内駅で手に入れたバス時刻表でようやく要領を得た次第です。鉄道と違ってバスはより地域密着・ローカル的側面が強いのは承知の上ですが、元を辿れば松前線の鉄道代替バスなのですから、願わくばもう少し分かりやすくしてほしい、……そんなことを考えているうち、突如運賃表示に表れた「知内営業所」の文字に安堵。ボタンを押して降車と相成ったのでした。


函館バス知内営業所。
この建物はかつて木古内から分岐していた松前線の渡島知内駅を転用したもので、その「駅前」には明かりの灯る旅館が一軒。何とも風情があるものです。暗闇に紛れてよく分かりませんでしたが、廃線敷と思しき平場、そして庫内に収められたバスも見受けられました。


駅舎然とした内部は丁寧に清掃が施され、先程の湯ノ岱駅にも通じる有人駅の温もりが感じられます。


待合室に吊られていた小学生たちの文集「しりうち」。
私も小学生時代にはこのような文集が配られ、また掲載されたこともありましたが、やはりどこにでもあるものですね。バス待ちの間に楽しませてもらいました。

そして後続の松前行きバスに乗り換え。

知内営業所19:22(6分延発)→知内駅前19:35(6分延着)


今度は観光バスタイプの車両でした。木古内駅でもう少し待てばこのバス一本で行くことが出来ますが、この元・渡島知内駅を訪問したいこともあり、乗り継ぎルートを選んだのでした。
松前行きには乗客の姿もそれなりに目立ち、途中の停留所からは数人の高校生たちが乗車。どの生徒も乗車前に「お願いします」と運転手に挨拶していましたが、当地ではそうした教育方針なのでしょうか。バスの地域密着、利用者との信頼関係を垣間見ることが出来、なんとも微笑ましい光景でありました。

さて、木古内からの国道228号線は松前国道から福山街道へとその愛称を変え、山中に分け入っていきます。
これから向かうはJR知内駅ですが、その名を冠する営業所とは随分と離れていることを実感。地図上では6kmほど離れていて、この両者、位置関係を知らずに降りてしまうと途方に暮れてしまいそうです。

やがて「次は知内駅前」との放送が入り、人気のない国道上の停留所にバスは停車。
一日のうち数便は駅のロータリーに入ってくれるそうですが、ここがいわゆる表通りなのでしょう。松前へと急ぐバスを見送り、いよいよ念願の知内駅訪問を果たします。


江差線(一部)より一足先、2014年3月で廃止となるJR知内駅。
ここは併設している道の駅としての役割がほとんどで、一日の停車列車も上下二本ずつと僅か、故に鉄道のみでの訪問は少々難易度の高い駅として知られています。


工事用トラックが駅に入っていったかと思えば、すぐさまEH500形牽引の貨物列車が通過。
北海道新幹線の開業に際して、JR貨物では新たな架線電圧に対応するEH800形機関車を別に用意するらしく、北海道~本州間の物流がなお盛んであることを窺わせます。ついでに寝台特急も、と言いたいところですが……。


道の駅に隣接する知内駅舎。
その夜間出入口へと歩みを進めます。


知内駅に関しては事前にある程度調べてはいたものの、その待合室に並べられていたのはやはり列車本数に対して過剰なほどの椅子。もしここが終夜開放ならば(実際そうなのかもしれませんが)駅寝に適していそうだと要らぬことを考えてしまいますが、これらの椅子、もしかすると最終日には埋まるほどの人数が利用するのかもしれません。いや、埋まらないだろうな……。


跨線橋の手前に佇むオレンジ色の機械は乗車券証明書発行機。
試しにボタンを押してみると、「知内駅」と記載されたレシート様式の証明書が吐き出されました。片隅には「0010」とナンバリングされていたことから、この日は私を含めて10人の乗降、或いは訪問があったのでしょう。


簡単な作りの時刻表。列車での訪問に適した時間は当然朝の二便、その時間帯であれば本家たる道の駅も営業しているものと思われますが、今回は旅程の都合で夜となりました。
隣に掲げられた運賃表は江差線内の近距離には留まらず、青森や果ては札幌までが載せられているのが印象的で、曲がりなりにもここが特急停車駅であることを主張しているように思えます。


案内板などは他の駅と遜色ないものとなっています。


ホームに降りると、駅構内の中小国方では工事が進められていました。
やはり北海道新幹線に関わるものでしょう。こうした人々の地道な努力によって我が国の鉄道網は発展を遂げてきたのです。これまでも、そしてこれからも。
これから消えゆく駅の「束の間の」利用者としては複雑な心境ですが、日本に新幹線が出来て半世紀、いよいよ北の大地まで高速鉄道網が繋がろうとしているとき、その工事の様子を比較的間近で見られたことの感動は大きく、いつの日か新幹線を利用しての当地再訪を心のなかで誓ったのでした。




軌道に目をやると、既に新幹線の軌間に対応したボルトが打ちこまれているのが分かります。
初めは信号場として開業、後に旅客駅として昇格した背景を持つ知内駅ですが、次のダイヤ改正をもってまた元の信号場に還っていくこととなります。簡素な構造ながら、煌々と灯るライトの光を一杯に受けたプラット・ホームは、まるで主役たる列車を迎え入れる舞台のよう――。


やがて工事がストップしたかと思えば、本日の終列車となる特急「スーパー白鳥31号」がやって来ました。
最初で最後の知内駅、これで見納めです。

知内20:02発→木古内20:09着

乗車するとすぐさま車掌氏が検札に。
木古内まではほんの数分、短区間故に検札は無いものと思い込んでいましたが、おかげで財布に仕舞った18きっぷを出すのにまごついていると「もう持ってると思うんですが、すみませんね」と、互いに苦笑。
ところで木古内駅では知内駅との往復乗車券――それも常備券タイプの――が販売していたのですが、きちんとした検札があるなら買っておけばよかったと後になって少々後悔。もっとも、「タイプ」でありますから余り購買意欲を刺激されなかったのは事実でありますが、バスでの訪問は(途中下車はしましたが)合計で590円かかったことを思うと、JRの片道260円は(その利用機会が格段に少ないとはいえ)何処か良心的に思えます。

木古内20:17発→函館21:16着


木古内ではすぐ接続する普通列車に乗り換え、終点の函館へ。
この駅も乗り継ぎで何度も訪れたことがあるので今更感がありますが、ホームに降り立つとローカル輸送の主力であるキハ40の三並びが展開。初期車が多いことも函館区の特徴であります。

そして、ちょうど上野行き「北斗星」の発着時間だったので、駅を出て敷地外から入れ換えを観察。


光源が無いので幾分暗めの写真ですが、札幌から牽引してきたDD51の雄姿を捉えることが出来ました。
「あけぼの」無き後はこの列車が唯一のブルートレインとなります。出自を考えればやはり「あけぼの」が純粋な最後のブルトレですが、「北斗星」にも開放式のB寝台車は連結されており、2012年の夏に函館から宇都宮まで乗車した際はわざわざそれを選んだ覚えがあります。

函館21:54発→七重浜22:04着

「北斗星」の出発後は急いで駅へ戻り、江差線を折り返すかたちで二駅先の七重浜へ。
ここから津軽海峡フェリーのターミナルを目指しますが、そのついでに「ラッキーピエロ」に寄り道します。


函館を訪れると必ず立ち寄るハンバーガーショップですが、店の佇まいも一軒ごとに特徴があり、この味を知ってしまうともう巷のファーストフードには戻れません。既に函館の観光地などは一通り行き尽くしてしまったのですが、このラッキーピエロのハンバーガーこそがいつまでも私をこの地に再訪させるのです。


テイクアウトを済ませて津軽海峡フェリーの函館ターミナルに到着。
青森行きの乗船券を求め、誰もいない2階の待合所でハンバーガーを食します。お供には売店で求めた、これまた北海道名物の飲料「ガラナ」。(太りそうかどうかは別として)最強の組み合わせであるかもしれません。


やがて青森行き出航を知らせる放送が流れ、寝床を確保すべく船内の2等船室へ。
同ルートを走る青函フェリーに比べると割高なこともあって乗船客はほんの僅か。この日は雪のなかをひたすら動き回ったせいか、コンセントの近くに陣取るとすぐに寝てしまったようです。

三日目(その1)に続く

そして平常運転へ……

2014年01月10日 10時46分05秒 | 日記
既にトップで公開を始めていますが、旅行記の案内です。

12/12 雪国断章 二日目(その1)
12/12 雪国断章 二日目(その2)

細分化に伴いタイトルを一部変更しました。どうぞご覧ください。
論文の気分転換に書いているのですが、やはりこちらが先に仕上がります。

さて、本年もつれづれなるままに日記を。

・1/1(水)

毎年恒例、親戚一同の集まりから帰宅途中……


ローソクを背にやって来たのはJRバス京都のエアロスターM。(乗車はしていません)
市バスではそのほとんどが洛外エリアで活躍している故に遭遇頻度の低い同形式ですが、JRバスは路線が限られているので結構な頻度で京都駅や二条駅にも姿を見せてくれます。

・1/5(日)

元日以来引きこもって文章を書いていたのですが、あまりに不健康なので外出。


いつもの特急「はしだて5号・まいづる5号」で撮り初めです。
あいにくの曇りでしたが、京都駅を出て徐々に加速していく姿は迫力満点。今年も地道に撮影・乗車していきたいものです。

・1/6(月)

18きっぷ消化で福井日帰り。


比較的近場ながら未乗だった越美北線を完乗しました。
意外だったのは中国山地のような速度制限区間が少なく、関西本線のような走りを味わうことが出来たことでしょうか。
九頭竜湖駅では到着証明書を頂いた他、隣接する道の駅で売られていた舞茸ご飯は歯ごたえが良く美味でした。


それから折り返し一乗谷で途中下車、朝倉氏遺跡資料館を見学。
バスで福井駅に戻ってからはお土産に冬季の名物・水ようかんを買って帰りました。

・1/8(水)


大学近くの喫茶店で友人と本年初会合。
会うのが先月中旬以来だったので、都知事献金問題・都知事選・選挙制度のあり方・互いの次年度以降の展望・たかじんさん死去など話題は多岐に及びました。
かれこれ5年以上も苦楽を共にしている友人ですが(笑)、やはりこうした時間がいちばん落ち着きます。

・1/9(木)

18きっぷ消化で伊勢方面日帰り。これでようやく5回分を使い切りました。
やはり冬季は期間が短いのが難点で、寒いこともあってその使途にはなかなか苦労します……。


一身田→下庄


徳和→松阪


徳和→多気

今回は「撮り」に徹して来年度から数を減らしていくキハ48を狙いましたが、枯草が伸びていて撮れそうにも撮れない場所が多く、高山本線系統も含めてもう幾度かのリベンジを要しそうです。

雪国断章 二日目(その2)

2014年01月05日 02時56分42秒 | 旅行記
前回(その1)はこちら

・12/12(木)

木古内駅を出て向かう先は、2014年5月での廃止が決まった江差線(一部)の渡島鶴岡駅。
実は以前、2012年の元日にもやはり「あけぼの」を利用して函館へ向かう途上、木古内駅から徒歩で訪問したことがあり、集落の片隅にぽつんと佇む簡素なホームに可愛らしい待合室といったロケーションが気に入っていたのでした。
江差線、とりわけ赤字著しい木古内~江差については当時から存廃が議論されていたものの、昨今の「お名残り」には程遠い状態で、元日ということもあるせいか、夕方の江差線を乗り通したのは私一人。しかし今回の乗車に関してはそうもいかないだろうと予想していましたが、駅に関してはまだ落ち着いて出来るはず。「あけぼの」で生じた遅れを利用して、木古内での長い待ち時間を徒歩での渡島鶴岡駅訪問に充てることにしたのです。

以前も歩いた道のりを、再び。


駅付近に広がる住宅街を抜けた後は、ただ荒涼とした景色が広がります。
北海道らしいかと問われればそれは分かりませんが、何処かまだ少し、本州の雰囲気を残しているようにも思えます。


一旦線路から離れた道路はやがて木古内川を渡り、再び駅へと近付いていきます。
地図上では線路に沿って国道を行くルートが王道のように見えますが、ただ何もないなかをひたすら歩くのもまた良いものです。


遠くに渡島鶴岡の集落。左手にはずっと津軽海峡線の高架が見えています。
あの高架もいずれは新幹線が行き来することになるのでしょう。しかし、そこから見えるこの渡島鶴岡の景色は不変であると願いたいところです。


木古内駅から徒歩30分強で辿り着いた渡島鶴岡駅。
当地のおこりはその名の通り山形県の鶴岡から開拓者が移り住んだことに由来しますが、駅の近傍には禅燈寺と呼ばれる寺院があり、その境内を線路が通っていることで少々有名です。
今回の再訪は駅そのものも目当てですが、境内を通過する列車を写真に収めることも目的の一つでした。


木古内行きの列車の時間までは僅か。
境内に移動して構図を決め、列車を待ちます。


やがて遠くから二、三の警笛が聞こえたかと思えば、林の奥から姿を現したるはキハ40の単行。


みるみるうちに列車は渡島鶴岡駅に近付き、なんとか思惑通りの写真が撮ることが出来ました。


かれこれ一時間以上も外気に触れっぱなしなので、急いで締め切りの効く待合室に避難。駅ノートに記帳し、折り返し江差行きとなる列車を待ちます。
この日に書かれたものも幾つかあり、他駅に比べての訪問の容易さや当駅の隠れた人気ぶりが窺えました。


おそらく次回訪問は廃線後となることから、現役のあらゆるものを記録しておきます。


仮乗降場のようなホームですが、道内各地で見られる板張りのそれではないために幾らかは堅牢な印象を受けます。

そして待つこと、約30分。


踏切が鳴り、木古内14:44発の列車がやって来ました。
私と入れ替わりに同好の士が一名下車、各ボックスには江差まで乗り通し、そしてやはり折り返すであろうこれまた同好の士が一名ずつといったところで、ロングシートに腰掛けてしばし窓外の秘境に目をやります。

渡島鶴岡14:48発→湯ノ岱15:20着


江差線のなかでは最も秘境感溢れる神明駅。
驚くことにこの駅からも乗車(やはり同業者)があり、廃止に向けてそれぞれの「お名残り乗車」が実践されていることを目の当たりにするのでした。そういえば、渡島鶴岡の駅ノートにも徒歩や列車を駆使しての各駅訪問を試みた旨の記述が幾つか見受けられました。

深い雪の森林を抜け、車窓が開けてきたところで湯ノ岱に到着。
当駅から江差までの間はスタフ閉塞となっているため、駅員氏と運転士の間で通票(タブレット代用)がやりとりされます。
雪の降り積もった静かなホームで、数少ない列車の運転士と連絡を交わす駅員氏の姿はまるで映画「ぽっぽや」の世界を彷彿とさせ、当地にゆかりのない一旅人も何処か郷愁めいたものを感じずには居られませんでした。


湯ノ岱、定刻発車。
列車がカーブの向こうに消えるまで見送られていたのが印象的でした。


さて、ここ湯ノ岱はその地名が示す通り温泉が存在し、それは江差線列車の湯ノ岱到着直前の車窓からも認めることが出来ます。
アクセスが容易ともあって駅にもその案内があり、川を渡って徒歩10分ほどで行けるようです。しかしこの日は雪の影響で足元が悪い箇所があり、慎重に歩いたことで実際には20分近くを要しました。


湯ノ岱温泉こと、上ノ国町国民温泉保養センターです。
本来であれば一本前の列車で木古内~江差を乗り通し、折り返し列車で当地を訪問する予定でしたが、「あけぼの」が遅れた影響でそれは叶わず。止む無く湯ノ岱~江差間の乗車は諦め、代わりに徒歩での渡島鶴岡駅再訪を組み込んだ次第です。

温泉はやはり「廃線特需」を迎えることもあるのでしょうが、この日は地元客が数人といったところで、朝から冷えた体をじっくりと温めることが出来ました。休憩室では江差線に関する写真も展示されており、湯上り後も退屈させません。受付のご婦人にお礼を述べて駅まで戻りました。

16時を回ると周囲は既に薄暗く、夜の気配。
京都での日没はどんなに遅くとも17時頃ですが、こんなに些細なことでも北の雪国に来たことを実感させられます。


明かりの灯る駅舎に戻り、ストーブの焚かれた待合室で体を休めます。
派手すぎず地味すぎない装飾がなされた窓口は有人駅の温もりを感じさせます。沿線唯一の有人駅ということで、今後も廃線に至るまで一定の賑わいは続くのでしょう。


列車の時間が近付き、駅員氏が屋外に出られたので私も続いてホームへ。


やがてカーブの先から2灯のヘッド・ライトが姿を現します。
駅舎の傍に見える人影は先程の駅員氏。


私が温泉に浸かっている間、江差を往復してきた列車に乗り込みます。
車内にはやはり先程と同じ顔ぶれがちらほら。今度は空いているボックスを見つけたのでそこに腰掛けました。

湯ノ岱16:47発→木古内17:22着


車中にて、湯ノ岱駅で求めた硬券入場券と最短区間の乗車券常備軟券を窓框に置いてみました。
最近はこうしたアイテムにも目を向けるようになってきましたが、廃止される江差線はともかく、来年度の消費増税でこれら常備券の先行きは不透明なものとなっています。


すっかり夜の帳の降りた木古内に到着。
今夜の目的地は函館ですが、その前にもう一つの目的をこなすべく一旦駅を出ます。


先程とは反対の東側(海側)に出たところ。駅前は再開発が進んでいました。
名物だった「急行食堂」は潰れ、以前は無かった一軒の喫茶店……というよりは、カフェと呼ぶ方が相応しい綺麗な白い建物が見えたので、ちょうど夕食時ということもあり、営業時間を確認して入ってみることに。
特に躊躇いもなくこうした場所に入っていけるのは日頃のカフェ巡りの賜物……なのかもしれませんが、軽食のカレーを注文。


旅においては、列車内での駅弁、ホームでの立ち食いも風情があって良いものですが、待ち時間を利用して駅近くにある喫茶店にふらっと入るのもまた一興。出来立てのカレーを口に運べば、何とも温かく贅沢な気分になれます。
駅前の喫茶店はその土地を探る最初の手掛かり。最近の旅ではその土地の空気に触れるだけではなく、こうした場所に積極的に入っていくことによってその土地に住まう人々の気分を味わうことを理想としていますが、それはあくまで都合の良いところだけを楽しむに過ぎず、また、旅はそれしか出来ないことも事実。しかしそれがなかなか忘れられず、やがて再訪の機会が生まれれば、前回とはまた違う側面が見え、異なる体験が出来ることでしょう。今回の渡島再訪はその好例です。いささか断章取義的ではありますが、それが、旅なのです――。

二日目(その3)に続く

雪国断章 二日目(その1)

2014年01月02日 05時15分34秒 | 旅行記
前回(一日目)はこちら

・12/12(木)

出発日から数えると既に3日目となるこの日、8時間ナイトパックで一晩を過ごしたネカフェを時間ギリギリで出立し、寒さを堪えながら駅前のコンビニに立ち寄って僅かな食料と持参し忘れた日用品を購入。早朝の店内では山下達郎「クリスマス・イブ」が流れており、降りしきる雪とも相俟ってささやかなクリスマス・ムードが演出されておりました。


二番列車で秋田を後にします。
20分後には前夜に上野を発った「あけぼの」が迫っていますが……。

秋田6:21発→森岳7:09着


嗚呼、雪国の朝。

森岳駅で降りた理由はそう、続行する下り「あけぼの」に乗車するためです。同列車の羽後本荘~青森間は今やこれが最後となった「立席特急券でB寝台車に乗車出来る措置」がとられており、秋田から乗るとキロ数の関係で特急券代が少々高くなってしまうため、少し値段の下がるここ森岳からの利用にすべく普通列車で先回りした次第です。それに、今後も訪れるであろう秋田駅からではなく、「あけぼの」がこまめに停車する奥羽本線の小駅からの乗車記録をつけておきたいというのもあります。


森岳駅舎。
どこにでもありそうな国鉄譲りの無機質なコンクリート駅舎ですが、こうした天候の中ではとても頼もしい存在に思えます。


事実、待合室内ではストーブが焚かれ、その居住性は抜群。
自動販売機が屋外設置なのが玉に瑕ですが、この時、電光掲示板では「あけぼの」が20分ほど遅れて走行中との表示が出ていました。


駅前には秋北バスが発着。もう何世代も前のくたびれたキュービックですが、まるでグリーンマックスのキット箱絵のような風景が毎日のように展開されているのです。

ところが、その20分が経過しようとする頃、秋田~土崎間で人身事故が発生したとの報が駅員氏の放送によって伝えられました。
秋田~土崎と言えば先ほど通過したばかりの区間。有名撮影地とされる「土崎カーブ」は以前、男鹿線の早朝6連を狙って撮影に訪れたこともありますが、さてどうなることやら。こうした場合は公式の運行情報云々よりもTwitterで調べる方が早いですから、「土崎」や「奥羽」、「あけぼの」などのキーワードでただちに検索したところ、何と当該列車は「あけぼの」であるとの由。すぐさま運行打ち切りの可能性が頭をよぎりましたが、乗車予定の青森まで他の振替手段があるとは思えず、私以外にもこの先の東能代や大館で待っている立席利用の旅客はあるでしょうから、引き続きここで待ち続けることを選んだのでした。

人身事故に続いては秋田~東能代間の上下線で運転を見合わせるとの報が飛び込み、私一人だった待合室にも秋田方面への用務客がゾロゾロと集まり始め、駅員氏も説明と窓口業務に追われる始末。
「ずこ(事故)あったんだって」「ずこ?」と、待合室に集う地元のおばちゃん同士の情報伝播の様子に耳を傾けていると、見合わせの足止めを食らっていた秋田行きの特急「つがる2号」が57分遅れでホームへ入線。本来は普通列車で移動するはずだった多くの客が自由席特急券代500円を追加して目的地・秋田へと向かっていったのでした。

一方、駅には青森へ向かう私と東能代へ向かうご婦人だけが残され、事故の当該となった「あけぼの」も運転を再開したとの連絡が電光掲示板にも流れ始めました。30分ほど経過すると駅員氏の案内も加わり、跨線橋を渡ってホームで待ち構えると、激しくなり始めた風雪の向こうからいよいよ「あけぼの」が入線。
元々の遅れ(おそらく羽越線内の雪によるものでしょう)に人身事故による遅れが重なって実に100分遅れでの到着となりましたが、立席利用が割り当てられている4号車に乗り込みます。




無事に空いている区画を見つけ、対向の普通列車を待ってから101分延発。


前夜、秋田駅で購入した切符の券面(帰宅後に撮影)には、このエリアでしか見かけないであろう注釈のゴム印が押され、制度上では立席と呼んでいるものの、実際には空席があれば座れるシステムであることが記されています。しかし券面には「立席特急券では着席できません」との表示が予め印刷されており、妙な矛盾を生んでいるのがおもしろいところです。

森岳9:12(101分延発)→青森11:32(100分延着)

さて、こうしてようやく「あけぼの」車中の人となることが叶ったわけですが、単線・複線の混在する奥羽本線では遅れの回復は絶望的でしょう。しかし時刻表を捲ってみると、この後の予定は幸い小変更程度、そして思いがけない再訪にも恵まれそうだということが判明し、ほっと安堵。後は青森までゆっくりと、最初で最後の寝台特急「ヒルネ乗車」を楽しむこととしましょう。


乗車車両はオハネフ25 202。
1977年落成、後に「出雲1・4号」用として改造の上、金帯を纏った車両です。このように流転を重ねる車両も今後は少なくなってくるのでしょう。


何度も言うように、今回は立席特急券での寝台特急乗車、俗に言う「ヒルネ利用」ですが、座席状態となった寝台は布団や枕などのリネン類はおろかカーテンまでもが捲り上げられた状態となっており、さながら昼行特急における個室の趣です。3人掛けでの利用が前提となる点が指定席車の「ゴロンとシート」とは大きく異なりますが、本来は寝台故に座席の奥行きも広く、その座り心地はなかなかのもの。


未使用と思われるリネン類が上段に置かれていました。もう一式は使用形跡があったため、羽後本荘までに降りたこの区画の主が使用していたのでしょう。実際、「あけぼの」に過去数回乗車した印象では秋田以南、とりわけ庄内地方からの利用が目立ち、3月に象潟から乗車した際もざっと10人以上がホームに居たことを記憶しています。

次の東能代からは乗客が増え、私の区画も少し年上と思しき若者グループと相席に。
会話から探るに、彼らは後続の「つがる1号」を利用する予定だったところをやはり人身事故による遅延に巻き込まれ、手持ちの自由席特急券で先に到着する「あけぼの」の立席利用を認められたのだそう。本来であれば「あけぼの」の立席特急券はその座席数故に枚数制限がかけられているはずですが、こうした不測の事態では致し方ないことでしょう。お話に入ってみたかった気もしますが、森岳で延々待たされた疲労感、そして電車とは異なる乗り心地と曇天下の雪景色という単調な車窓が眠気へと誘い、駅弁で名高い大館や近辺に点在する数々の撮影名所などは全てまどろみの中で過ぎていったのでした。

そして終点・青森に到着。
やはり100分遅れはそのままでしたが……


ホームに降り立つと、既に先頭付近には同業者の姿が!
過去2回の降車時はもっとこじんまりとしていたものですが、これだけの人数が青森まで乗り通したのだと思うといよいよその終焉を感じずにはいられません。(当時はまだJRからの公式発表はなされていませんでしたが)


カマは早々に切り離し。
この辺りは定刻に着いても同じことですが、この日はほんとうに……お疲れ様でした。

残された客車の方をウォッチング。


青森駅ホームも何やら工事がされています。


おそらく経由する線区が刻まれていたであろう、中途半端な空白を残した青森行きの表示。
かつて青森を発着する寝台特急は数多くありましたが、今では「あけぼの」一本のみ。それも間もなく定期列車から消えようとしています。


反対側ではDE10が回送に備えてスタンバイ中。
ヘッドマークも華やかな本務機の牽引する定期列車とは異なり、ひっそりと引き上げていくDE10の回送列車もまた青森駅らしい風景です。

さて、いったん改札を出て乗車券類を買い直し、後続の特急「スーパー白鳥15号」の自由席に乗車。
この自由席特急券はは前夜に「あけぼの」の立席特急券と合わせて秋田駅で購入したものですが、津軽海峡線にかかわる特急券は、奥羽本線の秋田~青森間の特急券と共に購入すると乗継割引が適用されて半額となります。立席特急券がこれに該当するかは不明だったのですが、何のことはない、青森→木古内の自由席特急券にはきちんと「乗継」の文字が表示されていたのでした。

青森11:56(5分延発)→木古内13:14着(7分延着)

本来であれば一本前の11号に乗車予定でした。おそらく同じように予定を狂わされた同業者も居たことでしょう。
これから私はそれを逆手に取るつもりですが……。


青森発車後に回送途中のEF81と並走しました。


車内では青森駅ホームの売店で求めた昼食を。
焼鯖寿司と、それからご当地のりんごジュースを賞味します。

青函トンネルを通るのももう何度目か分かりませんが、とりあえず突入までに昼食を済ませ、そこからは睡眠時間に充てることに。
北海道新幹線の高架がほぼ出来上がっていたのが印象的でしたが、やがてそれに昇格する我が津軽海峡線に対し、中小国からひっそりと分岐していく津軽線の運命や如何に? と想像を巡らせたものの、おそらくは少ない本数を維持しながら今後も静かに存続していくのでしょう。また、以前に縁あって当地周辺の地理や 文化に触れた身としては、新たに開業する奥津軽駅の行方が気になるところです。




青函トンネルを抜けて、1時間強遅れての北海道入り。
すっかり激変した木古内に降り立ちました。新幹線の駅舎部分は外観が既に姿を現しつつあります。

次に乗車予定の列車までは実に2時間近く。


仮設感あふれる工事現場然とした連絡通路を歩き、


新幹線の開業で半永久的存続が約束された駅を後に、その裏で消えゆくローカル線の駅へと歩き始めたのでした。

二日目(その2)に続く