(その1の続きです)
どちらかの日頃の行いが良かったのか、高知で迎えた朝は快晴で、ホテルのロビーで朝食を摂り(ついつい食べ過ぎてしまいます)、とさでんに乗って高知駅へと向かいます。史跡の点在する高知市内も一度ゆっくりと歩いてみたいものですが、行程の都合上致し方なく……。
とさでん交通の車両はいわゆる「バス窓」が健在で古き路面電車の風情を感じさせます。車窓を眺めていると並行するバス路線も多いことに気付きましたが、高知にしろこれから訪れる松山にしろ、バスと鉄道が一つの街のなかで共存できているのは羨ましい限りです。
高知駅では土産物店のオープン(8:00)を待って足早に物色を済ませ、8:20発の「しまんと1号」に乗車します。
昨日の「南風」とは違い今回は最前列を取ることができたので、早速陣取って前面展望を堪能。グリーン車にはやはりバースデイきっぱー風の乗客が数人見受けられましたが、多客期でもない限りは我々のような層が席を温めているのかもしれません。
高知以西の土讃線は初めて乗る区間、昨日の反省もあって(笑)寝ずに過ごします。住宅街の細道を抜けるところもあれば山間部をトンネルで突っ切るところもあり、車体を傾けてカーブに突っ込んでいく様子はまるでスポーツカーのよう(乗ったことはありませんが)。
そんなクセになる乗り心地を楽しんでいるうち、列車は1時間ほどで窪川に到着。「しまんと1号」はここから更に西の中村まで行きますが、それはまた別の機会として、今回は接続する予土線の列車に乗り換えます。
予土線はJR四国においては珍しく普通列車しか走っていないローカル線ですが、四万十川に沿って走る風光明媚な車窓が売りで、従前のトロッコ列車に加えて近年は「ホビートレイン」なるものが登場し、新幹線の0系を模した単行気動車が話題を集めている由。この存在には非鉄の有人も以前から知っていたらしく、ややテンションが上がり気味でここまで来た甲斐があったというものです。
遊園地の豆汽車のような珍妙な外観となったキハ32の車内には旅行者と地元利用者の姿がちらほらと見られ、更に「しまんと1号」から降りた同好の士を乗せるとひっそりと出発していきます。運良くロングシートの最前が空いていたので、ここでも前面展望を楽しむことに。
車内は新幹線ブルーを基調とした内装に改められていますが、
一部の座席を潰してプラレールが展示されており、ラインナップは四国の列車が中心かと思えば、先日営業を始めたばかりの東日本のE353系もあって驚き。我々の子どもの頃はまだまだ国鉄型車両が中心(東海形急行ではよく遊びました)だっただけに、JR型車両の充実ぶりには隔世の感があります。
列車は予土線と案内されていますが、窪川を出ると次の若井までは土佐くろしお鉄道線を走ります。18きっぷで乗車の際は別料金が必要となる区間ですが、バースデイきっぷでは土佐くろしお鉄道はもちろん、昨日乗車した阿佐海岸鉄道もそのまま乗れるのが良いところ。
そんなJR予土線、厳密には若井駅を出てしばらく進んだ川奥信号場で分岐します。列車交換はないものの、一旦停車ののち信号の切り替えを待って左側の予土線へと進んでいきます。
トンネルを抜けると予土線らしい車窓、「最後の清流」として名高い四万十川が窓いっぱいに広がります。むかし読んだ評論文では四万十川は目立った護岸工事がされていないから清流に見えるだけであって、同様の川は全国津々浦々にあるとありましたが、それでもこの規模の川で水面が透き通っているのは珍しいのかもしれません。よくよく探せば今でもカワウソがどこかに居るのかもしれません。
面白駅名として有名な半家(はげ)駅。思えば今年は「このハゲ」の一言が話題に上りましたが、品のある高踏派余裕派の我々はそのようなことは口にせず、半家という地名は一説には平家の落人伝説に由来するのやと私が話を振り、しばし民俗学的話題で盛り上がります。
途中の小駅では地元利用者があらかた降りていくと、車内はいよいよ旅行者のみとなり、1時間ほど進むと江川崎に着きました。ここではトイレ休憩を兼ねた20分停車が設けられており、早速ホームに出て気分転換に深呼吸~。
当駅折り返し列車もある江川崎は予土線の運行上の拠点でもあるのか、構内には側線が多数見られますが、使用されているのはホームに面する2線のみ。今では持て余し気味の長いホームにぽつんと佇む「新幹線」はシュールそのものです。
駅舎前には早くも門松が飾られて新年の準備も万全。時刻表上では無人駅ですが、委託の窓口が営業しており、更には中村までを結ぶバス路線も発着しているようです。次回訪問の際はこうした抜け道も有効活用してみたいところ。
江川崎と言えば一躍有名になったのが2013年夏に記録をした最高気温。ならば冬でも暖かいだろうと薄らと期待をして降り立ちましたが、この日の気温は無情にも僅か5℃、川沿いということもあって吹く風も強く、多くの乗客はそそくさと車内に戻って行きました。
しかし見れば見るほど珍妙な顔つきです。「まがいもん」「ハリボテ」の感は否めませんが、キハ32と0系を結び付けたJR四国のアイデアに脱帽です。
ハリボテの内部はこのように。外そうと思えばすぐに外せそうな仕組みですが、汎用の効く単行気動車の片側を殺すというのは実際の運用面において中々の苦労があったことと思います。
反対側のお顔は連結に備えて従来の平面顔にペイントを施したのみに留められていますが、他のキハ32と異なりしっかりとしたスカート(他車はパイプスカート)が取り付けられているのが特徴。
しばらくすると反対側から「海洋堂ホビートレイン」が到着します。こうした列車交換では後から来た方はすぐに出ていくのが常ですが、「海洋堂~」も5分ほどの停車時間が設けられており(前述のトイレ休憩という意味合いもあるのでしょう)、両車の乗客が互いの車内を観察し合うことが出来ます。
予土線を支える2両。これにあと1両、キハ54の「しまんトロッコ」を加えた「予土線3兄弟」としてJR四国は売り出しているようです。それでも一番のインパクトはやはり新幹線、初乗車の際はこの車両と決めていました。来年には臨時列車として2000系も入線するそうですから、更なる盛り上がりを見せてくれることと思います。
さて、「海洋堂~」が去った後はこちらの新幹線もいよいよ伊予国へ向けて出発となりますが、旅行記は中間地点の江川崎でいったん締めくくり(久々に長文を書くと体力を使うものですね)、続きは新年に執筆・公開したいと思います。
本年もご覧いただきましてありがとうございました。
よいお年をお迎えください。
(その3へ続く)
どちらかの日頃の行いが良かったのか、高知で迎えた朝は快晴で、ホテルのロビーで朝食を摂り(ついつい食べ過ぎてしまいます)、とさでんに乗って高知駅へと向かいます。史跡の点在する高知市内も一度ゆっくりと歩いてみたいものですが、行程の都合上致し方なく……。
とさでん交通の車両はいわゆる「バス窓」が健在で古き路面電車の風情を感じさせます。車窓を眺めていると並行するバス路線も多いことに気付きましたが、高知にしろこれから訪れる松山にしろ、バスと鉄道が一つの街のなかで共存できているのは羨ましい限りです。
高知駅では土産物店のオープン(8:00)を待って足早に物色を済ませ、8:20発の「しまんと1号」に乗車します。
昨日の「南風」とは違い今回は最前列を取ることができたので、早速陣取って前面展望を堪能。グリーン車にはやはりバースデイきっぱー風の乗客が数人見受けられましたが、多客期でもない限りは我々のような層が席を温めているのかもしれません。
高知以西の土讃線は初めて乗る区間、昨日の反省もあって(笑)寝ずに過ごします。住宅街の細道を抜けるところもあれば山間部をトンネルで突っ切るところもあり、車体を傾けてカーブに突っ込んでいく様子はまるでスポーツカーのよう(乗ったことはありませんが)。
そんなクセになる乗り心地を楽しんでいるうち、列車は1時間ほどで窪川に到着。「しまんと1号」はここから更に西の中村まで行きますが、それはまた別の機会として、今回は接続する予土線の列車に乗り換えます。
予土線はJR四国においては珍しく普通列車しか走っていないローカル線ですが、四万十川に沿って走る風光明媚な車窓が売りで、従前のトロッコ列車に加えて近年は「ホビートレイン」なるものが登場し、新幹線の0系を模した単行気動車が話題を集めている由。この存在には非鉄の有人も以前から知っていたらしく、ややテンションが上がり気味でここまで来た甲斐があったというものです。
遊園地の豆汽車のような珍妙な外観となったキハ32の車内には旅行者と地元利用者の姿がちらほらと見られ、更に「しまんと1号」から降りた同好の士を乗せるとひっそりと出発していきます。運良くロングシートの最前が空いていたので、ここでも前面展望を楽しむことに。
車内は新幹線ブルーを基調とした内装に改められていますが、
一部の座席を潰してプラレールが展示されており、ラインナップは四国の列車が中心かと思えば、先日営業を始めたばかりの東日本のE353系もあって驚き。我々の子どもの頃はまだまだ国鉄型車両が中心(東海形急行ではよく遊びました)だっただけに、JR型車両の充実ぶりには隔世の感があります。
列車は予土線と案内されていますが、窪川を出ると次の若井までは土佐くろしお鉄道線を走ります。18きっぷで乗車の際は別料金が必要となる区間ですが、バースデイきっぷでは土佐くろしお鉄道はもちろん、昨日乗車した阿佐海岸鉄道もそのまま乗れるのが良いところ。
そんなJR予土線、厳密には若井駅を出てしばらく進んだ川奥信号場で分岐します。列車交換はないものの、一旦停車ののち信号の切り替えを待って左側の予土線へと進んでいきます。
トンネルを抜けると予土線らしい車窓、「最後の清流」として名高い四万十川が窓いっぱいに広がります。むかし読んだ評論文では四万十川は目立った護岸工事がされていないから清流に見えるだけであって、同様の川は全国津々浦々にあるとありましたが、それでもこの規模の川で水面が透き通っているのは珍しいのかもしれません。よくよく探せば今でもカワウソがどこかに居るのかもしれません。
面白駅名として有名な半家(はげ)駅。思えば今年は「このハゲ」の一言が話題に上りましたが、品のある高踏派余裕派の我々はそのようなことは口にせず、半家という地名は一説には平家の落人伝説に由来するのやと私が話を振り、しばし民俗学的話題で盛り上がります。
途中の小駅では地元利用者があらかた降りていくと、車内はいよいよ旅行者のみとなり、1時間ほど進むと江川崎に着きました。ここではトイレ休憩を兼ねた20分停車が設けられており、早速ホームに出て気分転換に深呼吸~。
当駅折り返し列車もある江川崎は予土線の運行上の拠点でもあるのか、構内には側線が多数見られますが、使用されているのはホームに面する2線のみ。今では持て余し気味の長いホームにぽつんと佇む「新幹線」はシュールそのものです。
駅舎前には早くも門松が飾られて新年の準備も万全。時刻表上では無人駅ですが、委託の窓口が営業しており、更には中村までを結ぶバス路線も発着しているようです。次回訪問の際はこうした抜け道も有効活用してみたいところ。
江川崎と言えば一躍有名になったのが2013年夏に記録をした最高気温。ならば冬でも暖かいだろうと薄らと期待をして降り立ちましたが、この日の気温は無情にも僅か5℃、川沿いということもあって吹く風も強く、多くの乗客はそそくさと車内に戻って行きました。
しかし見れば見るほど珍妙な顔つきです。「まがいもん」「ハリボテ」の感は否めませんが、キハ32と0系を結び付けたJR四国のアイデアに脱帽です。
ハリボテの内部はこのように。外そうと思えばすぐに外せそうな仕組みですが、汎用の効く単行気動車の片側を殺すというのは実際の運用面において中々の苦労があったことと思います。
反対側のお顔は連結に備えて従来の平面顔にペイントを施したのみに留められていますが、他のキハ32と異なりしっかりとしたスカート(他車はパイプスカート)が取り付けられているのが特徴。
しばらくすると反対側から「海洋堂ホビートレイン」が到着します。こうした列車交換では後から来た方はすぐに出ていくのが常ですが、「海洋堂~」も5分ほどの停車時間が設けられており(前述のトイレ休憩という意味合いもあるのでしょう)、両車の乗客が互いの車内を観察し合うことが出来ます。
予土線を支える2両。これにあと1両、キハ54の「しまんトロッコ」を加えた「予土線3兄弟」としてJR四国は売り出しているようです。それでも一番のインパクトはやはり新幹線、初乗車の際はこの車両と決めていました。来年には臨時列車として2000系も入線するそうですから、更なる盛り上がりを見せてくれることと思います。
さて、「海洋堂~」が去った後はこちらの新幹線もいよいよ伊予国へ向けて出発となりますが、旅行記は中間地点の江川崎でいったん締めくくり(久々に長文を書くと体力を使うものですね)、続きは新年に執筆・公開したいと思います。
本年もご覧いただきましてありがとうございました。
よいお年をお迎えください。
(その3へ続く)