「バースデイきっぷ」で四国一周の旅 その2

2017年12月31日 18時33分46秒 | 旅行記
その1の続きです)

どちらかの日頃の行いが良かったのか、高知で迎えた朝は快晴で、ホテルのロビーで朝食を摂り(ついつい食べ過ぎてしまいます)、とさでんに乗って高知駅へと向かいます。史跡の点在する高知市内も一度ゆっくりと歩いてみたいものですが、行程の都合上致し方なく……。




とさでん交通の車両はいわゆる「バス窓」が健在で古き路面電車の風情を感じさせます。車窓を眺めていると並行するバス路線も多いことに気付きましたが、高知にしろこれから訪れる松山にしろ、バスと鉄道が一つの街のなかで共存できているのは羨ましい限りです。


高知駅では土産物店のオープン(8:00)を待って足早に物色を済ませ、8:20発の「しまんと1号」に乗車します。
昨日の「南風」とは違い今回は最前列を取ることができたので、早速陣取って前面展望を堪能。グリーン車にはやはりバースデイきっぱー風の乗客が数人見受けられましたが、多客期でもない限りは我々のような層が席を温めているのかもしれません。


高知以西の土讃線は初めて乗る区間、昨日の反省もあって(笑)寝ずに過ごします。住宅街の細道を抜けるところもあれば山間部をトンネルで突っ切るところもあり、車体を傾けてカーブに突っ込んでいく様子はまるでスポーツカーのよう(乗ったことはありませんが)。

そんなクセになる乗り心地を楽しんでいるうち、列車は1時間ほどで窪川に到着。「しまんと1号」はここから更に西の中村まで行きますが、それはまた別の機会として、今回は接続する予土線の列車に乗り換えます。


予土線はJR四国においては珍しく普通列車しか走っていないローカル線ですが、四万十川に沿って走る風光明媚な車窓が売りで、従前のトロッコ列車に加えて近年は「ホビートレイン」なるものが登場し、新幹線の0系を模した単行気動車が話題を集めている由。この存在には非鉄の有人も以前から知っていたらしく、ややテンションが上がり気味でここまで来た甲斐があったというものです。
遊園地の豆汽車のような珍妙な外観となったキハ32の車内には旅行者と地元利用者の姿がちらほらと見られ、更に「しまんと1号」から降りた同好の士を乗せるとひっそりと出発していきます。運良くロングシートの最前が空いていたので、ここでも前面展望を楽しむことに。


車内は新幹線ブルーを基調とした内装に改められていますが、


一部の座席を潰してプラレールが展示されており、ラインナップは四国の列車が中心かと思えば、先日営業を始めたばかりの東日本のE353系もあって驚き。我々の子どもの頃はまだまだ国鉄型車両が中心(東海形急行ではよく遊びました)だっただけに、JR型車両の充実ぶりには隔世の感があります。


列車は予土線と案内されていますが、窪川を出ると次の若井までは土佐くろしお鉄道線を走ります。18きっぷで乗車の際は別料金が必要となる区間ですが、バースデイきっぷでは土佐くろしお鉄道はもちろん、昨日乗車した阿佐海岸鉄道もそのまま乗れるのが良いところ。


そんなJR予土線、厳密には若井駅を出てしばらく進んだ川奥信号場で分岐します。列車交換はないものの、一旦停車ののち信号の切り替えを待って左側の予土線へと進んでいきます。


トンネルを抜けると予土線らしい車窓、「最後の清流」として名高い四万十川が窓いっぱいに広がります。むかし読んだ評論文では四万十川は目立った護岸工事がされていないから清流に見えるだけであって、同様の川は全国津々浦々にあるとありましたが、それでもこの規模の川で水面が透き通っているのは珍しいのかもしれません。よくよく探せば今でもカワウソがどこかに居るのかもしれません。


面白駅名として有名な半家(はげ)駅。思えば今年は「このハゲ」の一言が話題に上りましたが、品のある高踏派余裕派の我々はそのようなことは口にせず、半家という地名は一説には平家の落人伝説に由来するのやと私が話を振り、しばし民俗学的話題で盛り上がります。

途中の小駅では地元利用者があらかた降りていくと、車内はいよいよ旅行者のみとなり、1時間ほど進むと江川崎に着きました。ここではトイレ休憩を兼ねた20分停車が設けられており、早速ホームに出て気分転換に深呼吸~。


当駅折り返し列車もある江川崎は予土線の運行上の拠点でもあるのか、構内には側線が多数見られますが、使用されているのはホームに面する2線のみ。今では持て余し気味の長いホームにぽつんと佇む「新幹線」はシュールそのものです。


駅舎前には早くも門松が飾られて新年の準備も万全。時刻表上では無人駅ですが、委託の窓口が営業しており、更には中村までを結ぶバス路線も発着しているようです。次回訪問の際はこうした抜け道も有効活用してみたいところ。


江川崎と言えば一躍有名になったのが2013年夏に記録をした最高気温。ならば冬でも暖かいだろうと薄らと期待をして降り立ちましたが、この日の気温は無情にも僅か5℃、川沿いということもあって吹く風も強く、多くの乗客はそそくさと車内に戻って行きました。


しかし見れば見るほど珍妙な顔つきです。「まがいもん」「ハリボテ」の感は否めませんが、キハ32と0系を結び付けたJR四国のアイデアに脱帽です。


ハリボテの内部はこのように。外そうと思えばすぐに外せそうな仕組みですが、汎用の効く単行気動車の片側を殺すというのは実際の運用面において中々の苦労があったことと思います。


反対側のお顔は連結に備えて従来の平面顔にペイントを施したのみに留められていますが、他のキハ32と異なりしっかりとしたスカート(他車はパイプスカート)が取り付けられているのが特徴。

しばらくすると反対側から「海洋堂ホビートレイン」が到着します。こうした列車交換では後から来た方はすぐに出ていくのが常ですが、「海洋堂~」も5分ほどの停車時間が設けられており(前述のトイレ休憩という意味合いもあるのでしょう)、両車の乗客が互いの車内を観察し合うことが出来ます。


予土線を支える2両。これにあと1両、キハ54の「しまんトロッコ」を加えた「予土線3兄弟」としてJR四国は売り出しているようです。それでも一番のインパクトはやはり新幹線、初乗車の際はこの車両と決めていました。来年には臨時列車として2000系も入線するそうですから、更なる盛り上がりを見せてくれることと思います。

さて、「海洋堂~」が去った後はこちらの新幹線もいよいよ伊予国へ向けて出発となりますが、旅行記は中間地点の江川崎でいったん締めくくり(久々に長文を書くと体力を使うものですね)、続きは新年に執筆・公開したいと思います。

本年もご覧いただきましてありがとうございました。
よいお年をお迎えください。

(その3へ続く)

「バースデイきっぷ」で四国一周の旅 その1

2017年12月30日 23時51分21秒 | 旅行記
(後ほど大幅に加筆・修正の予定です)

2017年もまもなく終わり。
今年も旅の一年でしたが(最近じゃ芭蕉のようと言われます)、その締めくくりに相応しく(?)先日は「バースデイきっぷ」を利用して友人と四国を周ってきました。


「バースデイきっぷ」とはその名の通り、誕生月の3日間、JR四国の特急グリーン車が13000円で乗り放題になる切符で(更に格安な自由席用もあります)、同行者も同額になることから、暇そうな(失礼)友人を誘ってみると二つ返事でOKと来たのでこちらで段取りを進めて12月25日夜に出発。25日と言えばクリスマスですが巷間では前夜のイヴの方が盛り上がるようで、道中の大阪も三宮も既に祭りのあと、後は年末を待つのみといった雰囲気でした。


四国への足はリーズナブルにと、阪急電車を乗り継いで辿り着いた三宮から徒歩で港へ向かい、ジャンボフェリー下り1便で渡ります。
まだ帰省ラッシュには少し遠いようで、桟敷席の乗客は各区画に数人程度でしたが、この日は積荷のトラブルで45分延で出港。外国人カップルが甲板で接吻しているのを見てタイタニックを思い出し、これでは先が思いやられるなと思いながらも就寝体制へと移りますが、途中で目が覚めたときに喉に若干の違和感を覚えたので、持参したマスクを着用して就寝しました。方法としては原始的ですが一応の効果はあったようで、翌朝はいつも通りの喉に戻って一安心。


フェリーは45分の遅れを引きずったまま高松へ。5:45に下船しましたが、高松駅への連絡バスがなかなか来ず、やっと乗れたのは6:15。
駅に着いたのは6:30で、乗車予定の列車は15分後。実は定刻通りにフェリーが着いた場合、高徳線で栗林公園を往復して「さか枝」で朝うどんの予定だったのですが、うどん屋さんなら目の前にもあるだろう、ということで「味庄」へ。ジャンボフェリーで早朝に到着する人にはおなじみの存在でしょう。


数年ぶりに暖簾をくぐり、「かけ小」にちくわ天の組み合わせを。フェリーから一緒だった旅行者のほかにはJRの乗務員さんも入ってきて、朝からプチにぎわいの店内、気付けばマリンライナーの発車時刻が近付いていたので早足で駅へと戻ります。


先の画像でネタバレしていますが、高松からは快速「マリンライナー8号」でいったん本州へと戻ります。行程は全て任されているので朝からやりたい放題ですが(笑)、四国の特急には全てグリーン車があるわけではありませんから、遠回りをしてでも積極的に乗らなければ意味がありません。
今回初のグリーン車となった5000系ですが、京阪特急が身近な友人にとってはこれがグリーン車相当の設備には映らなかったようで、まだまだこれから、と、とりあえずは備讃瀬戸の景色を楽しんでもらうこととします。


途中、東京から来た「サンライズ瀬戸」と離合し、瀬戸大橋を渡って岡山県の児島へ。
駅の管理はJR西日本ですが、バースデイきっぷは四国島内のほか当駅までが有効区間です。瀬戸内海に昇りゆく朝陽を眺めつつ、四国側からは後続の「しおかぜ」が来たと思えば、今度は岡山方から「南風1号」が入線してきました。




(他の列車で撮影)
2000系のグリーン車に乗るのは初めて。展望の効く最前列は同じく児島から乗車の「同士」が先に取っていたようですが、ゆったりとした掛け心地はやはりグリーン車ならでは。多度津を過ぎて単線の土讃線に入ると本領発揮、琴平を出るとあっという間に猪鼻峠へと差し掛かり、徳島県に入って吉野川を渡ると阿波池田に滑り込みました。児島からは僅か1時間、普通列車を乗り継ぐと手間も時間も倍以上はかかりますから、その俊足ぶりには改めて瞠目させられるものがあります。

阿波池田からは、隣のホームに停まっていた特急「剣山4号」へ。




こちらは急行上がりのローカル特急、先ほどのグリーン車から一転して自由席の人となります。その狭さはどうしても否めませんが、この座席にこの室内、今となってはどこかキハ181系を思い出す懐かしさです。
車内は徳島へと向かう用務客が中心で、吉野川を横目にウトウトしていると、なぜか2分ほど遅れて徳島に到着。隣接する運転所にはキハ47のタラコ色2連がちょうど撮影しやすいところに停まっていたのですが、本来ならば4分接続の「むろと1号」に2分で乗り換えなければならない(ホームも違う)ので止む無く走ります。


(牟岐にて撮影)
乗り換えた「むろと1号」も先ほどと同様のキハ185系。
徳島以南の牟岐線は初乗車でしたが睡魔には勝てず、阿南から先は記憶がありません。牟岐到着の放送で目が覚めました。国鉄書体の行先表示幕を使用する特急列車も随分と数を減らしましたが、四国では更新されることなく現役です。


ここまで来ると地元客よりも旅行者の方が数を上回り、後者のほとんどは接続する海部行きに乗り換えます。
海部行きは1200型の単行で、この旅では初めての普通列車にして一般型車両。バースデイきっぱーにとっては普通列車は余り利用したくないのが本音ですが、今まではこんな車両ばかり乗り継いで旅をしていたのですから、束の間、原点に戻った気分です。


終点の海部では更に南へと延びる阿佐海岸鉄道に乗り換えますが、この駅の名物(?)が駅北側のトンネル。
元々は山だったものを開発で切り拓いていった結果トンネルの構造物だけが残った結果というのですから面白いものです。海部で降りたほとんどの乗客が写真に収めていました。

そうこうしているうち、阿佐海岸鉄道の車両が折り返しで到着します。




車両はもと高千穂鉄道から流れ着いたNDC。「冬ほたる列車」として車内には電飾が設けられていました。
終点の甲浦までは僅か2駅とは言えトンネルが連続しますから、そのたびに車内が彩られて綺麗なものでした。乗客は我々を含めて男ばっかりでしたが。(汗)


「阿佐」の名が示すように甲浦駅は高知県に差し掛かっています。プツンと途切れた高架に感じるのは潔さか未練か、下の待合所で時間を潰していると「バスが来ましたぞね」とご婦人の声が掛かり、その言い回しに土佐の地に来たことを感じながら、高知東部交通バスに乗って室戸岬へ。意外にも旅行者は我々ともう一組のみで、大半は海部へと折り返したようです。


定刻通りに甲浦駅を発車したバスは海沿いに南下していきます。このバス、時刻表上の所要時間に対して停留所数が多いせいか序盤はガンガン飛ばしまくりで、2000系の特急に通じるワイルドさがありました。(笑)

甲浦駅から南下すること約1時間強、室戸岬に到着。


中岡慎太郎像が迎えてくれます。
周辺には道路・山・海のみで昼食を摂れるような施設は見当たらず、とりあえず岬のほうへと出てみることに。




室戸岬は一帯がジオパークに指定されており、地形や模様の一つひとつに丁寧な解説板が設けられているので地学好きには楽しめるエリアと言えるでしょう。地震由来の険しい岩場と丸くなった砂利の浜、煌いて穏やかな太平洋がすごく印象的でした。


岩場の窪みには流木が溜まっていて、これは木造船とちがうかとぼやいてみたり、何か生物はいないかと岩場を観察したり散策しているうちに昼食のタイミングを逃してしまいました。少し進んだところでレストランのあるホテルを見つけたのですが、バスの時間が迫っていて時既に遅し……。


弘法大師さんが修行で滞在したという御厨人窟(みくろど)は落石の危険があり立ち入り禁止に。
室戸岬での一つの楽しみだったのですが、本来であれば入洞して振り返ると鳥居越しに青い海が見えるはずです。


時間はもう昼下がり、後続のバスに乗って土佐くろしお鉄道の起終点である奈半利へと向かいます。
道中、室戸市街では多少の乗降がみられ満席近くになったものの、甲浦から室戸岬までの閑散ぶりなどを考えるとやはりバスで事足りる需要なのでしょう。とは言え、阿佐海岸鉄道ではDMV導入の動きがあるようですから、その話題性はもちろん、室戸岬へのアクセス改善という点で起爆剤となるやもしれません。


奈半利からは土佐くろしお鉄道に乗車。ディーゼルカーのハイバックシートに身を任せ、このまま高知まで乗って行きたい気持ちもありましたが、よくよく考えると昼食を摂っていないことに気付き、「何かありそうな」安芸で途中下車。
スマホで簡単に調べると、ここには居酒屋を含め「しらす丼」を提供するお店が数軒あるようですが、ちょうど営業時間の切れ目に掛かっているらしく、やっているお店を求めて徒歩で15分ほど北上します。


田園と住宅地を抜けると昔ながらの街並みに差し掛かり、しかしそれらは特に観光地化されているわけでもなさそうで(おそらく今も人が暮らしているのでしょう)、つくられた景観に日々辟易している我々にとっては却って好感が持てました。


そんな古き建造物群の一角にある「高園茶屋」でしらす丼を。古民家風の喫茶店で先客は地元のご婦人が数名、茶話会のようなところにお邪魔してしまったようですが早速しらす丼を注文して舌鼓を打ちます。丼だけでなくお味噌汁やお漬物、デザートも付いて800円。二人とも食にはややうるさいのでご当地モノに拘った結果ここまで歩いてきたのですが、これはほんとうにアタリでした。


すっかりお腹を満たした後は安芸駅へと戻り、後免で特急に乗り換え(短距離の特急乗車を一々気にしなくて良いのもバースデイきっぷの特権)、高知着。




高知を訪れるのは7年ぶり、前回は大河ドラマ「龍馬伝」が放送していたときですが、今年は大政奉還から150年、更に来年は明治維新から150年ですから変わらぬ盛り上がりであることでしょう。駅前では龍馬・慎太郎・半平太の像が迎えてくれました。
この日の宿ははりまや橋近くのホテル遅めの昼食のこともあって19時過ぎまで寝転がっていましたが、それでは勿体ないと夜の街へ繰り出します。




高知での夜食と言えばひろめ市場、そしてどうしても外せないのが鰹のたたきです。見知らぬ者同士が席を同じくして食を楽しむのもこの市場の特徴、近くの女性2人組はもれなくナンパされていましたが、こちらは隣席のおじさん(既に出来上がっている)に話しかけられ、旅行中であることを告げるとしばし旅の話で盛り上がりました。最後には話に付き合わせたお礼にと牛すじ煮込みをご馳走になり恐縮。これがほんとうに柔らかく、身も心も温まったひとときでした。


続きは部屋で。(笑)
安芸駅併設のスーパーで仕入れていた太刀魚とカマスのお寿司です。お店にも美味しいものはありますが、地場のスーパーで格安の食材を探すのもまた一興。お酒もほどよく回り、日付が変わる頃には寝てしまいました。

その2に続きます)

奈良線の103系を撮る

2017年12月10日 23時58分05秒 | 鉄道関係
12月に入り、大掃除を始めました。
悩ましいのはやはり今年も増えた模型と書籍、そして地味に嵩むのが美術館や博物館のしおりやパンフレット類。
職業柄、どこで何が役に立つか分からないというのは何度も経験しているので、そう簡単には捨てられず、何とか整理だけでもと思っているところです。まぁ、ぼちぼちと。(笑)

そんな具合ですから、まともに掃除が進んだのはお昼の小一時間ほど(笑)、外を見ると良い感じの曇り具合だったので、奈良線沿線へ。
前回は8月でした。気候が落ち着いたら撮りに行こうと思っていたのですが、今度は長い冬に突入してしまいました。
103系の運用が一部221系に置き換わってから1年余。複線化工事は進みつつありますが、車両面での変化は特にないようです。


今回は少し足を延ばして新田駅周辺へ。
この辺りの奈良線は住宅地のなかを掘割で抜けていきます。早速やって来たのはクハ103-167先頭のNS401編成。この車両も息が長いですね。


JR小倉駅方面へ歩いていくと、跨線橋があったので構えてみます。
奥が新田駅。電線類を気にしなければ、なかなか良い感じの角度かも?


振り返ると緩いカーブが広がっています。。
6連の「みやこ路快速」ならば綺麗なS字を描いてくれることでしょう。103系は総じて4連なので要工夫ですね。


奥に見える踏切で撮った後は、JR小倉駅へと徒歩移動。


線路沿いに住宅地を歩いていると、ここまで北を目指していた線路が突如東へと大きくカーブ。ふと視界が開けて伏見桃山城が見えました。
向こうには低地が広がっていますが、これは戦前まで一帯に広がっていた巨椋池の跡。建設当時、迂回を余儀なくされた奈良線はこの池をぐるっと囲むようにして宇治や六地蔵を経由し京都へと向かっています。
城の山裾はちょうど六地蔵・桃山間にあたりますが、あの遥か彼方まで湖のような池が広がっていたとは、改めてそのスケールの大きさに驚きます。月の綺麗な日には良い眺めが広がっていたでしょうし、秀吉が城を築いたのも納得です。


そんな歴史に思いを馳せながら、JR小倉駅へ。
帰りの電車は221系、交換待ちのある駅では半自動ドアが活躍していました。更新車も100%となり、やはり乗るならこちらに軍配が上がりますね……。

「京都みなみ会館」閉館・移転へ

2017年12月03日 22時28分06秒 | 京都
一昨日の京都新聞より。

京都現存最古の映画館閉館へ みなみ会館、移転再開目指す

半世紀以上の歴史があり、一般映画の上映館としては京都市内で現存最古の「京都みなみ会館」(南区)が来年3月末で閉館することが30日、分かった。賃借していた建物が老朽化し、多額の修繕費を捻出できないのが主な理由。来年秋以降に近隣での移転再開を目指しているが、東寺近くの国道1号沿いで1980年代以降、アート系ミニシアターとしてファンに愛されてきた建物は取り壊される見込み。
 戦後、映画館のあった場所に1963(昭和38)年末、2階が映画館となる現建物が建ち、「みなみ会館」として改装オープンした。当初は邦画封切館、後にポルノ上映館になった時期もあったが、88年に地元の巌本金属がオーナーになってからは、上映企画会社「RCS」に作品編成を委託し、アート系が定着した。
90年代のミニシアターブームに乗り、スクリーン数は一つながら多くの話題作を組み合わせて上映。溝口健二や市川雷蔵といった京都ゆかりの名作、ヌーベルバーグの旗手であるフランスのゴダール監督など、お薦めの洋画の特集もした。休日前にはオールナイト上映もあり、150の客席が埋まる時もあった。7年前にRCSとの提携を終えて以降は会館直営でこだわりの作品を上映してきた。
 吉田由利香館長(29)は「近くで来年中にも再開できるよう調整を進めている。映画館として新しい場所で発展できるようにしたい」と話す。現会館でのサヨナラ企画を今後展開する。
京都市内のミニシアターは、下京区の「京都シネマ」(スクリーン数3)のほか、上京区の出町桝形商店街に「出町座」(同2)が近くオープンする予定。

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今年7月の立誠シネマ閉館に続いて、みなみ会館も来年3月に閉館の報。
私にとってはこちらの方が身近な存在だったので寂しい気持ちでいっぱいですが、築年数がそんなに経っていたとは思いませんでした。何と言っても斜向かいに東寺があるので周囲の建物はみんな新しく見えてしまうのですが(笑)、座席の掛け心地は他にはない快適さで、オールナイト上映の際はうっかり寝てしまうことも……。
最近では「この世界の片隅に」「真白の恋」などを観に行きましたが、単館系映画館ならではのこじんまりとした雰囲気や独特のラインナップは、青春や恋愛、時にはエログロやデカダンス、戦争と平和といったものを教えてくれる存在でした。移転後もそうした空間であり続けてほしいですね。

しかし、気になるのはやはり「近隣での再開」という文言。そうなると南区か下京区辺りだと思うのですが、南区は場所によってはアクセスに難があり、梅小路公園には温泉を作るようですし、やはり芸大移転を控えて活気が期待できる崇仁地区などでしょうか?
「来年中に」とあらばもう既に決まっているのかもしれませんが、続報が気になるところです。