583系天理臨

2015年07月31日 04時31分17秒 | 鉄道関係
タイトルの通り、久々の「ネタ物」撮影です。
とは言え、昨今、SNS等で、同業者――とも言い難い人々の醜聞を耳にするたび、このテの列車を撮影するために駅へ出向くのは億劫になるばかり。
今回も沿線からダメ元ひねくれアングルです。(が、このテの列車を撮影するためにSNSを活用しているのもまた事実)

さて、恒例となった天理教関連の臨時列車ですが、北陸新幹線の開業に伴う並行在来線の3セク化・分断によって客車列車での運転が終了。催行そのものが危ぶまれていたものの、今度は583系を使用して東海道本線経由で来てくれました。
思えば毎年のように甲子園臨での運転実績がありますから、それほどハードルは高くないのかもしれませんね。

いつもの陸橋で、いつもとは趣向を変えて。


僅かな光源を頼りに、先頭部がライトを浴びる瞬間を収めてみましたが……


架線柱がうるさいので、後追いの方が気に入っています。

時間にして22時過ぎ。
既にタワーの消灯した京都駅を発つ583系からは「きたぐに」の面影を少なからず見出すことが出来ます。
あと何度このような機会が巡ってくるのかは分かりませんが、583系の持つ昼夜兼行・交直両用という特異性がこうした臨時列車の運行を可能にし、最後の1編成となった今でも重宝されていることを改めて実感したひとときでした。

後祭宵山

2015年07月24日 01時44分50秒 | 京都
時間が出来たので行ってみました。




以前アルバイトさせてもらった黒主山。
オリジナル手ぬぐいを買って、御神体の大伴黒主さんにお参り。




鯉山。
この山の懸装品は、16世紀にベルギーで制作されたタペストリー。
伝来した経緯が未だ不明であるところに、祇園祭の奥深さ、おもしろさを感じます。


後祭が復活してから初めての訪問となりましたが、交通規制ナシ・出店ナシで、人も少なく落ち着いて回ることが出来ました。
おそらくはこれが本来の宵山の雰囲気なのでしょう。久々に森見登美彦『宵山万華鏡』を読み返したくなりました。

2015年の祇園祭

2015年07月19日 02時18分59秒 | 京都
台風の接近により、開催が危ぶまれた今年の祇園祭(前祭)山鉾巡行。
過去4年連続で曳き手のアルバイトやボランティアに参加してきましたが、今年は都合がつかず辞退。
当日は強風に加えて大雨となりましたが、懸念されていた台風は進路を変え、大きなトラブルもなく無事に執り行われたようです。

さて、今回多くの人が注目した巡行そのものの決行ですが(決行が発表されたのは当日の早朝5時過ぎでした)、過去に中止となった例はあまり聞いたことがありません。
そのせいか、巡行前日の16日には各新聞社が「何百年も」前の中止例を参照しながら開催の可能性に言及。
なかでも、読売新聞のサイトが詳しくまとめてくれていますので、引用しておきます。

・YOMIURI ONLINE「本能寺の変で延期した例も…祇園祭に台風迫る」http://www.yomiuri.co.jp/national/20150716-OYT1T50193.html(2015年07月16日 16時03分)

1467~99年 応仁の乱による荒廃で中止
1582年 本能寺の変で11月に延期
1680年 徳川家綱の死去で延期
1865年 前年の禁門の変の影響で前祭中止
1879年 コレラ流行で前祭・後祭とも11月に延期
1884年 大雨で前祭の山鉾巡行を中断し、23日に延期
1886年 コレラ流行で前祭・後祭とも11月に延期
1887年 コレラ流行を警戒し、前祭・後祭とも5月に前倒し
1895年 コレラ流行で前祭・後祭とも10月に延期
1912年 明治天皇の容体悪化で後祭を中止
1913年 明治天皇崩御の服喪で前祭、後祭とも8月に延期
1943~46年 太平洋戦争の戦局悪化と戦後の混乱で中止
1962年 阪急電鉄の四条通地下工事で中止

これを見ると、応仁の乱や本能寺の変といった一般にも広く知られている歴史的事実に影響されたこと、疫病退散を願って始まった祇園祭もコレラには勝てなかったことや、ほんの100年ほど前までは時期を変更したケースが多くみられ、意外にもフレキシブルな運用がされていたのだと驚きます。
現代では交通規制やそれに伴う各種手配諸々の関係で前倒しや延期などはまず無理だと思いますが、いずれにせよ、過去50年間は予定通り決行されてきたため、前例を知らない人が多いのも無理はありません。

直近では1962年、阪急電鉄(当時は「京阪神急行電鉄」)の大宮~河原町間地下線の延伸工事のため中止されています。
実はちょうどこの頃の京都を研究対象としているので、これについては以前から知っていましたが、せっかくなので手元にある当時の新聞記事をあわせてご紹介。

・京都新聞 1962年7月17日(火曜日)夕刊 「祇園祭り〝ショート巡行〟に歓声」

きょう十七日は、京の夏を飾る日本の三大祭り、祇園祭りの本番。ことしは阪急の地下鉄工事で山ボコの四条通巡行は中止。伝統破りの「動かぬ祇園祭り」となったかわり、各ホコ町の祇園ばやしはひときわ高く〝聞く祇園祭り〟をかなでた。一方、鶏、菊水、放下三ホコ町でも〝町内デモ〟で観光、見物客を集めたが、朝からの高曇りもひびいて午前中の人出は府警本部調べで四万人。例年の人波を大きく下回った。

・京都新聞 1962年7月24日(火曜日) 「ひっそりと「宵山」 後の祭り九基の山に点灯」

……後の祭りは、近年、十七日行なわれる前の祭りに人気を奪われたかっこうであまりふるわないうえ、ことしは四条通の阪急地下鉄工事で前の祭り同様、巡行中止・居祭りときまったためかこの夜の人出は少なく〝かき山〟の町筋などひっそりしたもの。(中略)なお居祭りになっている後の祭りでも、南、北両観音山だけは前の祭りの鶏、菊水、放下の三ボコ同様、町内巡行を行ない、〝動かない祭り〟に花をそえることになっている。

これらの記事によると、この年の祇園祭は一部の町内に限って小規模な巡行はあったものの、基本的には山鉾の動かない「居祭り」になったことが分かります。いまでは「動く美術館」とも評される山鉾ですから、人出が大きく減ったのも納得します。
また、24日付の記事にある「近年、十七日行なわれる前の祭りに人気を奪われたかっこうであまりふるわないうえ」といった記述の通り、交通渋滞の懸念や観光の促進、高度経済成長といった時勢もあり、この数年後の1966年には、前祭・後祭が一昨年までみられた合同運行の形式に変更されることとなりました。

そうした長い歴史のなかで、幸いにも中止の前例に加わることなく決行された今年の前祭山鉾巡行。
しかし、昨年から後祭が復活、今年は四条通の歩道拡幅後初の巡行となり、祇園祭そのものが、そして、それを取り巻く〈京都〉は確実に変容し、一つの転換期を迎えていることは確かです。
今回、中止が懸念されたことからたまたま歴史を振り返る機会に恵まれましたが、時代を遡れば、疫病にはじまり、戦争、災害、時の政策――様々な出来事による「曲がり角」を経てきた祇園祭、そのたびに、懸命に「辻回し」をおこないながら困難を乗り越えてきた町衆(まちしゅう)の力に、改めて尊敬の念を抱かずにはいられません。

381系スナップ

2015年07月11日 01時51分57秒 | 鉄道関係
あっという間に7月、祇園さんです。
予定が詰まっていてなかなか更新できませんでした……。


もう先週のことになりますが、用事で久々に丹後地方を訪れました。もちろん、KTRが「京都丹後鉄道」になってから初めての訪問です。
帰りに天橋立を歩いたのも数年ぶりのこと。最近になってようやく「海の京都」として対外的にも宣伝されていますが、やはり京都の海、日本海がいちばん好きですね。

そんなわけで(?)天橋立駅に停まっていた381系をの写真を貼っておきます。
いつもの京都駅は暗く、二条や亀岡、園部もホームや橋上駅舎の関係で撮りづらく、ディテールをしっかり観察するにはこの駅が人も少なくて一番良いのではないでしょうか。











それに関連して、先月、KATOから発売された画像の品を購入。


数年前に引退した東海車のパノラマ6連です。
高校生の頃、団臨での来阪時に瀬田川の鉄橋まで撮りに行った夏の日を思い出します。

この他にTOMIX製品の4両(国鉄色)を所有していますが、そのTOMIXからもリニューアル再版が発表され(相変わらずの国鉄仕様ですが)、実車の関西地区からの引退も迫っていることから、今後より人気が高まっていくのは間違いないでしょう。