南丹ミニトリップ

2015年02月22日 22時49分12秒 | 鉄道関係
コートを着ていると暑く感じることもしばしば。
青春18きっぷの常備券を買いに、嵯峨野線に乗って八木駅を訪れました。


かつての急行停車駅ということもあって、広場を十分にとった立派な佇まいの駅舎です。
昨春訪れた隣の千代川駅もそうですが、ICカード全盛の現在でも列車発着のたびに駅員さんが集札に出られ、顔馴染みの利用客に声かけされるといった微笑ましい光景も見られます。
訪問時は同じ目的の人こそいなかったものの、窓口では相次いで「亀岡往復」を求める年配の利用者の姿が。
もちろん自動券売機は設置されていますが、やはり慣れ親しんだ窓口で買う方がスピーディーなのでしょう。


跨線橋に掲げられた2番乗り場への案内板。
これも古いものですが、車両や路線を取り巻く環境が変わっても府北への直通列車があるのは嬉しいことです。


おそらく使われてはいないものの、貨物用ホームと線路も健在。
至るところに一昔前の「山陰本線」を想起させるものが散りばめられています。
私などは園部電化以降しか知らない世代ですが、こうした遺物からかつての繁栄に思いを馳せることが出来るのはありがたい限りです。(嵯峨嵐山や亀岡はここ数年で激変してしまいましたから……)

さて、駅を出てしばし線路沿いを歩きます。
亀岡から園部を結ぶ京阪京都交通の「免許維持路線」が走っていますが、今回は時間が合わず。


吉富方へ少し歩いた踏切から「はしだて7号」を。カニシーズンで堂々の6連。

撮影後は園部から折り返してきた電車(行きにも乗った電車)に乗り、今度は亀岡で下車。
同じく381系でやって来る「はしだて6号」を狙います。


冬枯れの河を渡る国鉄色特急。
もともと当地とは縁もゆかりもなかった381系ですが、塗色変更や改造を経て第二の職場で活躍する姿は先代183系と重なるようでもあります。春からはいよいよ本家・南紀方面からの撤退もアナウンスされていますから、残る伯備線の「やくも」と合わせて注目が集まることは必至でしょう。
そういえば両者は地域こそ違えど山陰本線を通っている点で共通しています。やはり山陰は「終の棲家」なのか……。(笑)

撮影を終えた後は、亀岡駅前から京阪京都交通の91系統に乗車。
昨年10月、イオンモール桂川の開業に合わせて「ショッピングエクスプレス」の愛称で実証実験が始まった同系統ですが、残念ながら利用状況が芳しくなく、3月13日限りでの運行終了がアナウンスされています。
実際どんなものかと乗車してみましたが、亀岡駅前発車時点の乗客は私ひとり……。


クローズドドア方式が採られ、亀岡市内は乗車のみ、京都市内は境谷大橋から降車可能となります。
駅から遠い地域からの利用も考えていたのか、亀岡駅前発車後は住宅地の2車線道路をぐるぐる遠回り。
途中の桧谷公園前で乗務員交代があり、京都縦貫道に入るまでに約30分を要しました。


さすがに縦貫道区間はあっという間ですが、今度は洛西ニュータウン周辺でプチ渋滞に巻き込まれます。
沓掛といい境谷大橋といい、これまでラジオの交通情報でしか耳にしなかった地名でありましたが、そこはやはり噂通りと言いましょうか……。(笑)
小一時間ほどかかって終点の桂川駅前に到着しました。乗客は亀岡市内→洛西口駅前が2人、乗り通しが私ひとり。

乗り通してみた感想は……すごくビミョーです。(^^;
JRに比べると乗り換え要らず、リクライニングシートで快適な直通便は魅力的ですが、縦貫道の前後でどうしてもロスタイムが生じ、高速路線バスのスピード感はありません。JRはこれを半分ほどの時間で結んでしまいますから、京都駅を経由する心理的な「遠回り感」はあっても本数の多いそちらに流れてしまうのでしょう。
また、洛西地域では目新しい商業施設とは言え、(オープン需要を除いて)そこまでイオンに長期的な求心力があるとも思えませんし、目的地・終着点の設定も微妙なところです。
同グループの「ダイレクトエクスプレス直Q京都号」が相次ぐ増便や路線の拡大で成功を収めているだけに、たとえば休日のみの運行に留めたり、阪急の桂駅や西山天王山駅に乗り入れて「大阪速達」にチャレンジしていれば生き残る道はあったのではないかと、ほぼ空気輸送の車内を眺めながら、様々なことが思い浮かんだ帰り道でありました。

もうちょっとで一区切り

2015年02月17日 23時58分26秒 | 日記
2月もはや半月が経ち、ようやく落ち着きつつあります。
講師・家庭教師・大学院生とひたすら掛け持ちの一年間でしたが、思えばあっという間でした。
ここから最後の一仕事、次年度の足音も聞こえてくるなか、課題や反省点を見出しつつ上手く繋げていきたいと思います。

写真は、京阪七条駅から京都駅への徒歩移動中に見かけたプリンセスラインのエルガミオ。
最近仲間入りした元・大阪市交通局の車両で、可愛らしい中型車体に載ったCNGガスタンクが特徴です。

京都市バス2014年度車(横大路のニューフェイス!)

2015年02月13日 23時58分48秒 | バス関係
去るものあれば、来るものもあり……。

廃車と入れ替わるかたちで、市バスの2014年度車が各営業所管内で続々と稼働を始めています。
今回は、竹田駅東口で捉えた横大路営業所(阪急バス委託)の新車を少しご紹介。


先月末から運用を始めた81系統の2982号車(ブルーリボンシティハイブリッド・幕仕様)と、


今月から運用を始めた、同じく81系統の2992(エルガ・幕仕様)です。

基本的には前年度から導入されている2車種と同一ですが、横大路への新車投入は2年ぶり。
ゆえにこの系統・営業所管内にこの顔ぶれの組み合わせが実現するのは初めてのことです。(エルガは以前配置されていたようですが)
かつての横大路は古参車や転属車の溜まり場だったイメージがありますが(現に今月頭までは……)、81系統は横大路で唯一の市電代替系統ということもあって、今回新車が優先的に投入(?)されているのは喜ばしいことです。
もちろん今後は他系統にもどんどん入っていくでしょうから(13系統に入っていたのを確認済)、しばらくは心地よい違和感で楽しませてくれることでしょう。


「ガケ書房」閉店・移転へ……

2015年02月11日 23時42分28秒 | 京都
2月11日、建国記念の日。
左京区北白川にある「ガケ書房」が13日の金曜日をもって閉店・移転するとのことで、友人とお別れ訪問をしてきました。


喫茶店でしゃべり倒した後なので、既に日は暮れています。(^^;


ガケ書房と言えば、通りに面して車が突っ込んでいるのが目印。
公式HPには「お店の外観を彩っていた、石の壁、突っ込み車は翌日から容赦なく解体」とあるので、これともお別れです。


移転先は白川通を少し南に下った浄土寺界隈、店名が変わって「ホホホ座」となるそうです。(開店時期は未定)
う~ん、慣れるまでは「ガケ」と呼んでしまうかも。(笑)

時間が時間だったこともあり、店内はお客も少なくいつも通りの雰囲気。
いつの間にか古本の在庫が増えていました。幾つか物色して、いつも通りにマニアックな本を立ち読み。閉店・移転に関しては前述のようにささやかな告知があるのみで、ほんとうにいつも通りの店内でした。


一乗寺の恵文社とはまた異なった店内の雰囲気、そして個性的なラインナップがお気に入りでしたが、そうした「イズム」は新店舗にもきっと引き継がれることでしょう。
疏水分線を横目に御蔭通の並木道を駆け上がり、別当町の交差点を南へ、いつもそこにあった馴染みの書店が消えゆくことで、また街が少しずつ変わってゆくことを実感いたします。

京都市バス6036・6039号車ラストラン

2015年02月08日 23時14分11秒 | バス関係
年明けからも連日のように運用入りしていた94年式の6036・6039号車ですが、共に本日の特13系統をもってラストランを迎えました。


「らしい」走行シーンを……ということで、国道171号線の久世橋で一枚。
前面窓には惜別のメッセージが書かれた札が掲出されています。これまではひっそりと引退することの多かった市バスの車両ですが、公営交通では異例の20年選手、それも最古参車という人気の高さゆえの餞でしょう。


その後も四条烏丸を往復する運用に入り、最後は夜の久我石原町行きを収めてお別れとなりました。
札が2枚に増えています。それぞれ「惜別6036 20年間ありがとうございました」「Last Run 6036」と記されています。

僚友6039号車はタイミングが合わず見るだけに留まりましたが、




2月に入ってからの一週間で計2回、19系統での乗車・撮影の機会に恵まれました。

かつてはどこにでもいたスタイルで、まだまだ新しいと思っていた丸目の58MC。
カメラを向け始めたのはつい最近ですが、幼少期から幾度となく乗っていたクルマの引退に、鉄道車両とはまた違う時間の流れ方を実感します。


お世話になりました。

魅惑の単行電車

2015年02月06日 23時48分07秒 | 鉄道模型/単発ものいろいろ
「横浜鉄道模型フェスタ」で会場発表された新製品の報告が続々と挙がっています。
なかでも気になるのは、KATO・ラウンドハウスブランドから製品化予定の本山支線クモハ42
安価で出来も良いでしょうから、一瞬、予約しそうになりました。
が、


既に種車(GMキットのクモハ43)を確保していて、切り継ぎで作る予定です。
製品のように2両も要らないのと、金型流用のため「タイプ」となることがせめてもの救いですが、ここまで旧型国電のプラ完成品が充実してくると、ある意味当然の流れではあります。
実車は小学生の頃に家族で「SLやまぐち」に乗りに行った際、小郡駅(当時はこの名前でしたね)のホームでSLと並んでいたのを覚えています。探せば写真があるはずですが、子供ながらにすごく旧い電車だな、ということは実感していました。
製作中のクモハ123と共に、JR西日本に在籍した単行電車の系譜を模型で辿ってみたいと思っています。

単行電車と言えば、


こちらのキットも2セット確保していて、宇野線のクモハ84を作る準備も出来ています。(笑)
実車の存在を知ったのは最近のことですが、民営化後に登場した旧型国電という微妙な立ち位置にそそられます。
製作するうえでは窓の移設、客用扉と戸袋窓の新設がポイントとなりそうですね。

元は「鉄コレ」20弾に端を発した単行電車の製作。
何だかキットのストックばかりが増えていきますが、春休みのうちに果たしてどれだけ進めるのでしょうか……?

転換期の〈京都〉

2015年02月04日 15時09分39秒 | 京都
きのう2月3日は節分。
昨年は大学時代の友達が遊びに来たこともあって色々と回りましたが、今年は都合で何処にも行けず。
それでも、恵方巻はきちんと西南西を向いて食べました。(笑)

さて、京都の節分と言えば幾つかの社寺でおこなわれる年中行事が思い浮かびますが、気になるのがこちら。

伝統の節分神事断念 吉田神社、京都市に灰処分変更求められ

室町時代から続くとされる吉田神社の節分祭、そのなかの「火炉祭(かろさい)」が今年は火を使わない形式で営まれることになりました。
古札を燃やして神々に還ってもらうための伝統行事ですが、焼却後に残る灰の処分方法と、そこにかかる費用が問題となって断念せざるを得なくなったようです。
節分祭と言えば鬼退治の追儺式、そしてクライマックスの火炉祭でありましたが、お札の持ち込みは変わらず受け付けるものの、燃え上がる古札の幻想的な光景は過去帳入りすることになってしまいました。
一度だけ、節分の数日後に神社を訪れたことがありましたが、その燃えた跡がはっきりと残っていたことを覚えています。

来年以降については未定ということで、然るべき処分方法、そして費用の工面次第では復活の可能性も十分に残されているわけですが、ここにまた一つ、京都の転換期を見る思いがします。
この2010年代で見ると、祇園祭の山鉾巡行は昨年から後祭が復活、大船鉾も蘇り、現在進められている四条通の二車線化と合わせて往年のスタイルに回帰しつつある一方、この火炉祭のように長年続いてきたものが「今時の事情」によって変化を迫られる事例も少なくありません。
直接の関連はありませんが、当ブログでも触れた「ほんやら洞」の全焼、屋外広告物条例に伴う各種看板規制、五条通の拡幅、旧立誠小学校のシネマ開館、出世稲荷の大原移転、堀川の清流復活、梅小路公園の大改造――この立て続けに起こる都市の「変化」は、まるで川端康成『古都』(昭和36年)に描かれている京都の著しい移り変わりを想起させ、それが50年の時を経て再びやって来たかのような錯覚に陥ります。
折りしも当時は高度経済成長期、都市景観破壊の象徴とも言える「けったいなロウソク」京都タワーが建ち(今でこそ愛すべきランドマークであるが)、市電の廃止が始まり、呉服問屋が株式会社化し、鞍馬の火祭と北野のずいき祭が事情により中止になるといった変化が起こっていた時代でした。同時代の他作品に目を向ければ水上勉『高瀬川』(昭和39年)では阪急電車(当時は「新京阪」)の河原町延伸による木屋町界隈の遊興街化が触れられており、後から見れば「旧いものと新しいもの」の一言で済まされてしまいそうな、それらのせめぎ合いが生じていたことがよく分かります。
こうした文学作品は決して一次資料にはなり得ないものの、当時起こった出来事(事実)を、そこに居た人々の暮らしを通すことで真実として表現しているからこそ、いま、これからを生きる我々に考えるヒントを与えてくれるのではないでしょうか。

随分と話が逸れましたが、後から見ればきっと、10年代の京都は「転換期」と表現されるのではないでしょうか。
良し悪しはともかくとして、そこにいま立ち会っていることをまたとない機会と捉え、今後とも京都を考えることを続けていきたいものです。

というわけで(笑)、昨年の画像でお楽しみください。