東日本に国鉄型を追う その2

2023年08月31日 23時46分20秒 | 旅行記
月に一度は更新を。
8月中もちまちま記事を書いてはいたのですが、書き終えることなく31日を迎えてしまいました。
まるで夏休みの宿題です。

というわけで、【その1】の続きです。


高崎から上越線に入った臨時特急「谷川岳もぐら」は、湯檜曽駅での停車を経て、土合駅に到着しました。
実に13年ぶりの訪問となります。ここで30分の停車時間があり、ほとんどの乗客が車外に出て「モグラ駅」の階段を上ります。




車外に出るとひんやりとした冷気が体を包み、先ほどまで居た高崎や熊谷での暑さが嘘のよう。
こんな時期にはよい避暑地です。小さい子たちにどんどん追い越されながら、462段の階段を上っていきます。

階段を上ること自体は苦行そのものですが、全体的に涼しいので自分のペースで上ればそこまでしんどいものではありません。




時折記された階段の段数に励まされながら「頂上」に辿り着きました。
既にホームが見えないのでそれなりに達成感があります。実はここから駅舎までの間にまた階段があるのですが、まぁそれは置いといて。

駅舎通路に差し掛かるとようやく外の熱気が纏わりついてきました。


緑が眩しいおかげで照明が無くても明るく感じますが、夜は怖そうです。
以前、最終の普通列車で土合駅を通り過ぎたことがありますが、車掌さんが階段の手前まで出て乗客の確認をしていたのが印象的でした。

せっかくここまで来たので、とりあえず記念に三角屋根の駅舎写真を収めますが、


あまりの暑さに即退散。
ここからバスで新幹線の上毛高原駅にも抜けられるようです、と書こうとしたら、2019年に同駅を訪れた時の旅行記で同じことを書いていました。

さて、駅舎に辿り着くまでが10分強だったので、下りることを考えるとそろそろ戻らなくてはなりません。
旧事務室部分はカフェに改装されているようですが(密かに楽しみにしていました)、残念ながらこの日はイベントの為休業中でした。


そういうわけで、地下に戻ってきました。
同じように戻ってきた人も多く、それぞれに車両やホームの撮影に興じています。車掌さんがホームにいらしたので入鋏印をお願いしました。

さて、「谷川岳もぐら」の切符は越後湯沢まで押さえていたのですが、移動中に気付いたこと。
この列車を土合駅で途中下車しても、約30分後に普通列車が来て、越後湯沢方面に抜けられるのです。
同じことを考えていた人も数人はいたようで、このトンネル駅を発車する185系を見送る機会ももうないだろうと思い、指定席券を前途放棄、新清水トンネルの闇に消えていく185系を見送ったのでした。

---9/17(日)追記---

185系臨時特急「谷川岳もぐら」土合駅発車


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185系が去ると、やがて土合駅本来の静けさが戻ってきました。


駅名標。


待合室とホーム。
かつては通過線を含めた2線を有していましたが、現在はホームが張り出して旧通過線に列車が発着します。


待合室の隣にある旧機器室?では、温度が一定であることを生かしてビールを熟成しているようです。

いろいろと撮影していると、30分はあっという間。


後続の普通列車がやって来ました。
E129系の2両編成は意外にも空いていて、国境の長いトンネルを抜けると、有名な越後中里のカーブでは多くの撮影者の姿を見かけました。


越後湯沢のひと駅手前、岩原スキー場前で下車。


ホーム端に向かうと、程なくして越後中里に回送される185系がやって来ました。
これも移動中に調べて気付いたことですが、先ほどの「谷川岳もぐら」は越後湯沢到着後に2駅手前の越後中里に回送されるため、乗ってきた列車を撮ることができます。5月の「Hello! NEW NANKIウォーキング」と同じようなことをしています。乗車も撮影も両方できると、お得な気分です。

ここからは列車がないので、駅間約3キロを歩いて撮影地を探します。


景色は良いのですが、暑い……。

結構歩きましたが、越後湯沢駅手前の道路橋に併設された歩道橋に日陰を見つけたので、そこで待機します。




越後中里から回送されてきた185系が通過していきます。
側面は潰れてしまいましたが、とりあえず編成は抑えられました。

回送列車は越後湯沢ですぐ折り返してくるので、ポイントを替えて再び待ちます。


上りの「谷川岳もぐら」は側面がちに。
午前中から追いかけ回した185系ともここでお別れです。この秋も定期運用こそないものの各方面の団体臨時列車で引っ張りだこのようで、もしかするとまた出会う機会があるのかもしれません。185系のような、何にでも使える「ちょうどよい車両」って、意外とないものですね。

そんなこんなで、ようやく越後湯沢駅に辿り着きました。
あまりに暑かったので、


駅ナカのわかめおろしうどんで遅めの昼食にして、


デザートに笹団子を頬張りながら新幹線に乗車し、長岡へ。

長岡からは快速で柏崎へ。
一日動き回ったのでほとんど寝ていましたが、ここで追いついた快速「柳都Shu*kura」に乗車します。


(青海川停車中に撮影)

本日2本目の国鉄型車両。
今や東日本では貴重になったキハ40系の観光列車です。
3両編成ですが一般発売は1両のみ。ゆえになかなか席が取れませんでしたが、柏崎からだと辛うじて1席空いていました。


「Shu*kura」の名の通り、車内のバーカウンダ―で新潟県の地酒が味わえる楽しい列車。
さっそく日本酒と鮭の焼漬けを注文し、車窓を眺めながら「呑み鉄本線・日本海」を楽しみます。

「Shu*kura」には今回で二度目の乗車ですが、確認しておきたかったポイントが一つ。
3号車のキハ40 552は改造前に八戸運輸区所属で盛岡色(赤鬼)を纏っており、その痕跡を探してみたかったのです。


画像左が552。
夕陽に照らされると、標記の上に帯の跡が残っていることが分かります。紛れもなく盛岡時代の赤帯です。


(上越妙高停車中に撮影)
前頭部にもうっすらと塗り分け線の跡が。


(上越妙高停車中に撮影)
テールライトやタイフォン回りにも塗装剥げが見られました。タイフォンの剥げた色はやや異なりますが、ひょっとすると製造時の朱色でしょうか。

また、車内貫通路には


可動部ゆえに塗装剥げがあり、やはり赤と白の塗り分けが露出していました。
転属や改造を繰り返した車両でこういうポイントを見つけるとなぜか嬉しくなります。暗渠や線路跡も同様ですが、なぜ我々はこうした「痕跡」に惹かれるのか……。

お酒が入ったので車窓もそこそこにウトウトしていましたが、今回は終点の上越妙高まで乗車しました。
時間にしてまだ18時過ぎですが、ここからは新幹線との接続が悪く、金沢経由でも長野経由でも京都に戻ることはできません(混乗していたツアー客にもガイドさんが小一時間後の新幹線を案内しており、落胆する様子が見られました)。これは上越妙高発の往路についても同じことで、始発のサンダーバードと新幹線を乗り継いでも微妙に間に合いません(飯山からの「おいこっと」も同様)。来春の敦賀開業時に時間短縮で改善されることを願っていますが、東日本の列車であることから東京からの日帰りを念頭に置いていること、また観光客が新潟県内で宿泊・消費することを考えると、あえてこのようなダイヤにしているのかもしれません。

というわけで、まだ京都には戻らず、売れ残っていた稲荷寿司の駅弁(直江津のホテルハイマート製)を購入し、駅前のホテルにチェックイン。
翌朝に備えます。

【その3】に続きます。