観光列車「あめつち」に乗る

2019年03月31日 23時55分13秒 | 鉄道関係
いつの間にかブログの編集画面がリニューアルされていて驚きました。
思えば開設から13年、近年はSNSの台頭もあってブログの立ち位置は隅に追いやられつつありますが、ありがたいことに数年前の記事でも多く閲覧いただくこともあるので、サービスが続く限りは地道に書き続けていこうかな、と考えています。

さて、年度末が近付いてきたということで、先週末は恒例の東京へ。
お花見には少し早かったのですが、いつものように友人に会い、帰路はいつものようにサンライズ。昨年は「瀬戸」で琴平まで乗り通したのですが、今回は久々に「出雲」が取れたので米子まで。岡山を出てもまだまだ寝られるのが嬉しいですね。もっとも、私は伯備線と相性が悪いのか新見以北ではいつも酔ってしまい、気持ち悪くなってきた頃に大山が見えてきて安心するのですが。(笑)


そんなこんなで、米子には9時の到着。乗り継ぐのは表題の「あめつち」ですが、11時の発車までは約2時間空きます。
車中でシャワーを浴びることができなかったので皆生温泉でも……と思ったのですが、ちょうど早朝と昼の営業時間の切れ目にあるようで、リサーチの結果、対岸にある日吉津(ひえづ)温泉うなばら荘へ。駅前からタクシーで2000円と少しでした。


月曜日の朝ということで人も少なく、ゆったりと温泉に浸かってからマップアプリを眺めていると最寄りは伯耆大山駅ということが分かり、何とな~く歩けそうな予感がしたので(思えばこれが全ての間違いだったのですが)10時ちょうどに歩き始めたのです。


駅までは田園地帯、そして昔ながらの農村を通り抜けていきますが、ここの行政区分は「日吉津村(ひえづそん)」だそうです。
てっきり米子市の一部かと認識していたのですが、調べてみると鳥取県内では唯一となった「村」のようで、村のまま残り続けているのはどうやら王子製紙(伯耆大山駅から専用線が延びています)がもたらす固定資産税の存在が大きいようです(ちなみに伯耆大山駅の所在は米子市)。
歩いているうちに米子駅行きのバス停を見つけたのですが、時刻表を見ると10分前に通過したばかり。これに気付いていれば(というか、このバス路線は昨年大山町を訪ねた折に乗車したのですが)安価で米子駅に戻れたのですが、


案の定と言うべきか、伯耆大山駅を目前にした踏切で引っ掛かり、乗る予定の列車(10:35発)が行ってしまいました。それもキハ47の5連、この時間だったのか……と感心している場合ではないです。(汗)


仕方ないので駅まで歩きます。次の米子行きは11時過ぎですがこれでは「あめつち」に追いつかないので、思い切って米子までタクシーで行くことを決断。急いで電話手配を済ませますが、待っている間に乗る予定の「あめつち」が鳥取方からやって来ました。伯耆大山は運転停車なのでここからは乗れず泣く泣く見送ることになります……。

そして「あめつち」が発車するかどうかのタイミングでタクシーが到着(10:55頃)。最悪でも米子11:18発の「やくも」に間に合えば(松江で「あめつち」に追いつきます)いいや、というくらいの気持ちになっていたのですが、幸運にも一切の信号に引っ掛かることなく、米子駅には「あめつち」の発車2分前に戻ってくることができました。ホームには既に青色の車体が待機中、跨線橋を上り下りして急いで乗り込み、


お見送りを受けて無事に発車しました。
こうした綱渡りは今までに何度もありましたが、大人しく日吉津温泉からの帰路もタクシーを利用しておくべきでした。(笑)
伯耆大山駅からの方が少し安かったのがせめてもの救いです。


さて、落ち着いたところで朝から何も食べていないことを思い出し、売店に赴いてホットコーヒーと焼き菓子の詰め合わせ(車内限定)を。月曜日の観光列車ということで乗客も少なく、ゆったりとした時間が流れていきます。

安来に停車し、揖屋で退避をした後、松江で10分停車。ようやく外観を撮ることができました。


キハ47を改造した観光列車も随分と増えましたが、「あめつち」は全車グリーン車指定席。もっとも、これは鳥取~出雲市の全区間を乗り通すと実に4時間、同区間を走る特急の実に倍以上の時間をかけることから特急料金は徴収できず、かと言って普通の指定席にすると収入が見込めないゆえの措置でしょう。


車体色は上部が青、下部が灰を基調としたもので、朱色のキハ47ばかりのなかでは異彩を放っています。車体下部に描かれた山々の稜線は日本刀の刃紋のようにも見えて神秘的……というのは、車内備え付け「あめつち手帖」より引用。


立体的な「あめつち」のロゴ。古事記の書き出し「天地(あめつち)の初発(はじめ)のとき」に由来する列車名というのも新鮮で、どこかエネルギーを感じさせる意匠です。
そういえば間もなく発表の新元号は日本の古典も典拠候補として挙げられていますが……果たして?


松江では前述の「やくも」を先行させてから発車します。ここでも見送りがありました。

特急だと松江を出ると出雲市まではあと一歩の感がありますが我が「あめつち」はこの区間に1時間を要します。
さっそく宍道湖沿いでは徐行のサービスがありました。




こうした観光列車に乗るときは大抵「晴れ」を期待してしまうものですが、この「あめつち」に限っては曇り空が似合うことに気付きました。曇天を映し出した湖面が車体の内外装にマッチして、ああこれこそが山陰なのだと印象づけられます。ここから望む夕暮れも素敵だと思うのですが、鳥取基点の現行ダイヤでは難しそうです。

宍道湖を通り過ぎ、今度は来待で運転停車。車内を探検してみます。


銘板は「あめつち」オリジナルのもの。


岩井窯の手洗い鉢。「スーパーはくと」でも鉢を見かけますが、あちらは中井窯というようです。


客室仕切りに飾られているのは出雲織、天井にチラッと映っているのは因州和紙ですが、それほど目立つわけでもなく、キャプションも控えめ、こういうさりげない使い方は素敵です。


壁に掲げられた木彫りは隠岐の黒松。2号車は智頭杉のようですが、最初はこれが席番かと思って必死に解読を試みました(席番はテーブル側面に表示)。神話をモチーフにしているようです。


来待駅には来待石の産地であることを示すモニュメントがありますが、この釉薬を使用した石州瓦がテーブルに埋め込まれています。山陰の産品を用いた内装は「スーパーはくと」でも見慣れていますが、まだまだ知らないものがたくさんあり、それらと車窓の風景が一体となって「山陰」を演出していることに気付き、また一つ素晴らしい観光列車に巡り合えたな、というところで終点の出雲市に到着。今度は米子以東で乗ってみたいものです。

時刻にして13時前、これから出雲観光にはちょうど良い時間ですが、切符の経路の都合と、この日じゅうに京都に戻らなければならないので、


昼食にエキナカの喫茶店で隠岐イカのづけ丼を。
駅前は夕方から営業の居酒屋が中心だったので、次回はしじみの酒蒸しを堪能したいところです。


帰りは1時間後の「スーパーまつかぜ」で一気に鳥取へ。「あめつち」でのスローな時間が嘘のような飛ばしっぷりで2時間足らずで鳥取に着き、そのまま山陰本線を東へ東へ乗り継ぎ乗り継ぎ帰洛したのでした。

GMキットから作る211系

2019年03月19日 23時13分28秒 | 鉄道模型/単発ものいろいろ
先週末はJRグループのダイヤ改正。
近場では梅小路京都西駅が開業し、私も開業日の夜に訪れました。あの辺りは博物館や水族館が出来たといっても元々は広大な公園、今まで夜間は真っ暗だったのが、駅の灯りが生まれたことで非常に安心感がありました。
「Aシート」はしばらく様子見です。(笑)

さて、今日はそのダイヤ改正で激変した東日本の中央東線……を走る、普通列車のお話。

この記事の続きです。


GMキットから製作していた211系長ナノN314編成が完成しました。
製作期間は約1年1ヶ月ですが、放置期間はおそらく半年以上。最近は晴れの休日が少なかったこともあり、塗装にも時間を要しました。


久々の板キット組み立てです。


長野の211系は各所からの寄せ集めですが、出自によって幾らかの差異があり、N314編成の前面表示はクハは幕式、クモハはLED式となっています。これは高崎時代に中間に封じ込められていたもの(クハ)と、先頭に立っていたもの(クモハ)とによる差異だそうです。また、実車はそうではないのですが、何となく(?)クハの前面はサーフェイサーの灰色を残して日焼けさせてみました。


側面はあらかじめモールドされているスピーカーを削り、ドアボタンやルーバーを設置。この加工が面倒で放置していました。(笑)
帯は模型工房タブレットのステッカーを使用しています。前面にはやや厚みがあるのが難点ですが、側面はサイズ通り切り出すとビードの間にしっかりフィットします。


クハは窓を埋めてトイレタンクを設置。少し跡が残ってしまいましたね。また、板キットを組み立てるうえで側板と妻板の継ぎ目は避けられないことですが、211系のようなステンレス車だと仕上げが難しいので敢えてそのままにしています。


ベンチレータやクーラーはKATOのAssyパーツを使用。もちろんキットにも付属していますが、上から見る機会の多い模型ではより優れた製品に取り換えておきたいところです。


スカートも当初はキット付属のものを使用していましたが、タイミングよく強化スカートのAssyが発売されたので置き換え。
床板は例によってグレーを筆塗りした後、水色の画用紙を貼り付けてロングシートを再現しています。


運転台仕切りは車体側に貼り付け。現物合わせでの削り込みが必要でしたが、付けたくなるパーツですね。(笑)


M車のモハ210はKATO動力を使用して安定した走行を確保。前述の記事の通り、床下機器はキットのものを切り貼りしています。


一昨年の夏、「ML信州」から乗り継いで眠たい目をこすりながら眺めた木曽路はまさに「山のなか」。
先代115系がそうであったように、211系もまたどんな風景にも似合う車両だと思います。

香椎線を撮る

2019年03月10日 01時00分51秒 | 鉄道関係
実はこの記事の続きでもあるのですが、先週末(2日)に六地蔵駅で18きっぷを求めたその足で京阪電車に乗り大阪へ、夕刻の南港から名門大洋フェリーに揺られて新門司港に降り立ちました。
今回の目的地は気動車から蓄電池車への置き換えを間近に控えた香椎線。友人が沿線在住なので以前から何度か乗車したことはあったのですが、じっくりと腰を据えて撮ったことはなく、気動車が走っているうちに行けるのはこれが最後の機会。夜も明けきらぬ小倉から快速列車に揺られて小雨降る香椎に着いたのは7時半のことでした。


香椎から乗車する725Dではさっそく4連(キハ47 9074+キハ47 8133+キハ47 1076+キハ47 156)が出迎えてくれました。香椎線の列車は始発から9時過ぎまで3・4連で運転されているので、これを重点的に狙っていこうという魂胆です。


さて列車に乗りながら、沿線の撮影はと言うとこれがほとんど考えていなかったのですが、どうやら須恵と須恵中央の間が良さそうだったので、天気は生憎の雨模様ですが須恵中央で下車、駅近くの撮影地へ向かいます。


駅から徒歩数分で撮影にお誂え向きの勾配が。線路際には菜の花が見頃を迎え、最後の花道に彩りを添えています。天気のせいかそれほど撮影者の姿もなく、ちょうど雨が止んできたので色々アングルを試しながら3連の727D(キハ47 71+キハ47 8055+キハ40 2053)を収めます。前寄り2両はアクアライナー色。登場当初はこの色で統一されるのかと思いきや、結局不揃いのままになってしまいましたね。


振り返れば乗車してきた725Dの4連が5724Dとして折り返してきました。


そしてもうひとつの4連運用、729Dは九州色で統一(キハ47 8074+キハ47 8089+キハ47 73+キハ47 8072)されていました。様々な作例を見ていてもアクア色が1~2両混ざっていることが多いので、なかなか発生しない組み合わせのように思います。とは言え、鹿児島近郊では日常的に見られるんでしたっけ。


後続の5729Dからは通常の2連(キハ47 1047+キハ47 78)に戻るので、須恵中央から宇美まで乗り通して香椎線完乗となりました。丘陵に張り付く住宅地の中を通っていくのが「らしい」ところでしょうか。折り返し宇美からは博多に向かう若者が大勢乗ってきましたが、多くが長者原で篠栗線に乗り換えていき、車内は閑散として終点香椎へ着きました。


香椎駅では朝ラッシュ時に使用された車両が竹下へ向けて回送の準備中。大都市近郊にあってこれだけ国鉄型気動車が闊歩している路線も珍しくなりました。置き換え後は九州各地へ散ってしまうのか、それとも廃車か……?


駅近くの踏切に良さげなカーブがあったので回送列車を待ち受けます。10時50分頃、7連に組成された回1731Dが「きらめき」や「ソニック」の合間を縫ってゆっくりと香椎を発車、この日はキハ47 71+キハ47 8055+キハ40 2053+キハ47 1099+キハ47 130+キハ47 1080+キハ47 160という組み合わせ。前3両は須恵で撮った727Dの編成そのままですね。

ここで撮影はいったんお休みして友人と合流、沿線の散策へ。


香椎神宮駅近くにあるNanの木カフェで遅めのモーニングとしました。二度目の訪問ですが珈琲の美味しいお店です。


そのまま香椎宮にも訪問しました。地元京都の下鴨神社と同じく勅祭社の一つで、勅使道と呼ばれる参道にはクスノキが並んでいます。香椎線からも見える風景で、短いながらもなかなか良い雰囲気です。


遅ればせながら香椎宮にて初詣となりました。ノリで引いたおみくじはなんと大吉、来年度の期待もそこそこに、とりあえずはこの旅の安全を祈願。


香椎神宮から5740D(キハ47 8129+キハ47 8031)で香椎へ。


跨線橋には惜別のメッセージとイラストが張り出されています。香椎駅はオリジナルの駅スタンプ帳なども発売していて以前から独特の気合(笑)を感じていましたが、やはり車両にも特別の思い入れがあるようです。


日中は香椎で運用が分断されているので、ホームを移って西戸崎行き2740D(キハ47 8072+キハ47 73)に乗り換え。朝に撮った729D(九州色4連)の片割れですね。


海ノ中道で降り、西戸崎まで海沿いを歩きました。背丈ほどの柵があったのですがバリアングル液晶をフル活用して何とか一枚。(笑)


そのまま西戸崎から市営渡船に乗り、




博多で海鮮丼とラーメン(もちろん時間は空けています、笑)を味わいました。友人と会う時にはもはやお決まりのコースですが、


(海ノ中道駅掲示ポスター)
次に来る時は香椎線が蓄電池車になっていますから、道中に少なからぬ変化をもたらしてくれることでしょう。


目一杯遊んだ後、友人と別れた帰りは700系「ひかり444号」のグリーン車で。JTBの企画切符で新大阪までが7400円(指定席は500円引き)というスグレモノですが、周りはみな同じ切符の利用者とみえました。(笑)
一日動き回ったこともあって小倉を出ると寝てしまい、次に起きたときには新神戸。おかげであまり印象に残らない700系乗車となってしまいましたが、いよいよ改正後は定期運用が激減するようです(「ひかり444号」への充当は継続)。香椎線然り、長らく当たり前だった光景がいよいよ消えようとしていることにここまで来ても余り実感を持てませんが、共々最後まで安全に走り切ってくれることを願います。

「みどりの窓口」大幅減

2019年03月06日 01時06分30秒 | 鉄道関係
3月に入り、気温も少しずつ上がって春めいてきました。
花粉症に悩まされながら新しい時刻表を眺めて次の旅程を考えているところですが、その旅に付き物なのが切符の調達。
ですが、↓↓こうしたニュース↓↓に接すると、切符ヲタクの端くれとしては購入箇所に迷うもので……

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JR西日本、みどりの窓口を大幅縮小 180→30駅に

JR西日本の切符売り場「みどりの窓口」が大幅に減ることになった。現在、京阪神地区の180駅にあるが、拠点駅以外で順次廃止し、2030年度ごろに約30駅まで減らす。同社が19日発表した。代わりにオペレーターが遠隔対応する券売機の設置などを進めてサービス維持を図る。北陸や中国地方などの支社でも同様の見直しを進める。

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京阪神地区のみならず、以前から段階的に窓口を閉鎖して「みどりの券売機プラス」に置き換えてきたJR西日本ですが、京阪神地区だけで30駅とは随分と思い切った削減具合です。とは言え係員配置は続くことで遅延時や介助の必要な旅客に対しては迅速な対応ができるようになりますし、「プラス」で大体の切符は買えてしまうので私は賛成なのですが(「10時打ち」だけはどうしようもないですね……)、このぶんだと「プラス」が設置されず無人化→近距離券売機のみの設置に終わる駅もおそらく出てくるのではないでしょうか。


(六地蔵駅の掲示)


(コンパス時刻表3月号の路線図)

こうした閉鎖の告知はHP等ではなく、駅に掲示されるポスターや時刻表路線図の片隅で初めて明らかになるのですが、告知から置き換えまでがいずれも2~3週間程度なので全駅を回るのは至難の業です。とは言え行けるところは訪ねておきたいと思い、1月中旬には西舞鶴駅を訪ねました。


窓口ということで一ひねり、西舞鶴から丹鉄・山陰線経由京都までの切符です。正直なところ西舞鶴ほどの駅でも券売機に置き換えられるとは驚きでしたが、まずは直営駅からという意図があるのかもしれません。
この日はせっかくの丹鉄経由ということで帰路は東雲(しののめ)で途中下車し、今や珍しくなったレトロ自販機のある「ドライブインダルマ」を訪ねました。

また、今季の「青春18きっぷ」は前掲したポスターの六地蔵駅で購入しました。


従来、奈良線や嵯峨野線の駅には近距離券売機と窓口しかない駅が多かったので、「プラス」の設置によって幅広い時間帯で多様な切符が買えるようになるのは旅客にとっても便利なことだと思います。
窓口閉鎖は寂しくもありますが、これも「働き方改革」の一環と受け取ることもできましょう。最終的にどの駅が残っていくのか、今後の推移を見守っていきたいところです。