いつの間にかブログの編集画面がリニューアルされていて驚きました。
思えば開設から13年、近年はSNSの台頭もあってブログの立ち位置は隅に追いやられつつありますが、ありがたいことに数年前の記事でも多く閲覧いただくこともあるので、サービスが続く限りは地道に書き続けていこうかな、と考えています。
さて、年度末が近付いてきたということで、先週末は恒例の東京へ。
お花見には少し早かったのですが、いつものように友人に会い、帰路はいつものようにサンライズ。昨年は「瀬戸」で琴平まで乗り通したのですが、今回は久々に「出雲」が取れたので米子まで。岡山を出てもまだまだ寝られるのが嬉しいですね。もっとも、私は伯備線と相性が悪いのか新見以北ではいつも酔ってしまい、気持ち悪くなってきた頃に大山が見えてきて安心するのですが。(笑)
そんなこんなで、米子には9時の到着。乗り継ぐのは表題の「あめつち」ですが、11時の発車までは約2時間空きます。
車中でシャワーを浴びることができなかったので皆生温泉でも……と思ったのですが、ちょうど早朝と昼の営業時間の切れ目にあるようで、リサーチの結果、対岸にある日吉津(ひえづ)温泉うなばら荘へ。駅前からタクシーで2000円と少しでした。
月曜日の朝ということで人も少なく、ゆったりと温泉に浸かってからマップアプリを眺めていると最寄りは伯耆大山駅ということが分かり、何とな~く歩けそうな予感がしたので(思えばこれが全ての間違いだったのですが)10時ちょうどに歩き始めたのです。
駅までは田園地帯、そして昔ながらの農村を通り抜けていきますが、ここの行政区分は「日吉津村(ひえづそん)」だそうです。
てっきり米子市の一部かと認識していたのですが、調べてみると鳥取県内では唯一となった「村」のようで、村のまま残り続けているのはどうやら王子製紙(伯耆大山駅から専用線が延びています)がもたらす固定資産税の存在が大きいようです(ちなみに伯耆大山駅の所在は米子市)。
歩いているうちに米子駅行きのバス停を見つけたのですが、時刻表を見ると10分前に通過したばかり。これに気付いていれば(というか、このバス路線は昨年大山町を訪ねた折に乗車したのですが)安価で米子駅に戻れたのですが、
案の定と言うべきか、伯耆大山駅を目前にした踏切で引っ掛かり、乗る予定の列車(10:35発)が行ってしまいました。それもキハ47の5連、この時間だったのか……と感心している場合ではないです。(汗)
仕方ないので駅まで歩きます。次の米子行きは11時過ぎですがこれでは「あめつち」に追いつかないので、思い切って米子までタクシーで行くことを決断。急いで電話手配を済ませますが、待っている間に乗る予定の「あめつち」が鳥取方からやって来ました。伯耆大山は運転停車なのでここからは乗れず泣く泣く見送ることになります……。
そして「あめつち」が発車するかどうかのタイミングでタクシーが到着(10:55頃)。最悪でも米子11:18発の「やくも」に間に合えば(松江で「あめつち」に追いつきます)いいや、というくらいの気持ちになっていたのですが、幸運にも一切の信号に引っ掛かることなく、米子駅には「あめつち」の発車2分前に戻ってくることができました。ホームには既に青色の車体が待機中、跨線橋を上り下りして急いで乗り込み、
お見送りを受けて無事に発車しました。
こうした綱渡りは今までに何度もありましたが、大人しく日吉津温泉からの帰路もタクシーを利用しておくべきでした。(笑)
伯耆大山駅からの方が少し安かったのがせめてもの救いです。
さて、落ち着いたところで朝から何も食べていないことを思い出し、売店に赴いてホットコーヒーと焼き菓子の詰め合わせ(車内限定)を。月曜日の観光列車ということで乗客も少なく、ゆったりとした時間が流れていきます。
安来に停車し、揖屋で退避をした後、松江で10分停車。ようやく外観を撮ることができました。
キハ47を改造した観光列車も随分と増えましたが、「あめつち」は全車グリーン車指定席。もっとも、これは鳥取~出雲市の全区間を乗り通すと実に4時間、同区間を走る特急の実に倍以上の時間をかけることから特急料金は徴収できず、かと言って普通の指定席にすると収入が見込めないゆえの措置でしょう。
車体色は上部が青、下部が灰を基調としたもので、朱色のキハ47ばかりのなかでは異彩を放っています。車体下部に描かれた山々の稜線は日本刀の刃紋のようにも見えて神秘的……というのは、車内備え付け「あめつち手帖」より引用。
立体的な「あめつち」のロゴ。古事記の書き出し「天地(あめつち)の初発(はじめ)のとき」に由来する列車名というのも新鮮で、どこかエネルギーを感じさせる意匠です。
そういえば間もなく発表の新元号は日本の古典も典拠候補として挙げられていますが……果たして?
松江では前述の「やくも」を先行させてから発車します。ここでも見送りがありました。
特急だと松江を出ると出雲市まではあと一歩の感がありますが我が「あめつち」はこの区間に1時間を要します。
さっそく宍道湖沿いでは徐行のサービスがありました。
こうした観光列車に乗るときは大抵「晴れ」を期待してしまうものですが、この「あめつち」に限っては曇り空が似合うことに気付きました。曇天を映し出した湖面が車体の内外装にマッチして、ああこれこそが山陰なのだと印象づけられます。ここから望む夕暮れも素敵だと思うのですが、鳥取基点の現行ダイヤでは難しそうです。
宍道湖を通り過ぎ、今度は来待で運転停車。車内を探検してみます。
銘板は「あめつち」オリジナルのもの。
岩井窯の手洗い鉢。「スーパーはくと」でも鉢を見かけますが、あちらは中井窯というようです。
客室仕切りに飾られているのは出雲織、天井にチラッと映っているのは因州和紙ですが、それほど目立つわけでもなく、キャプションも控えめ、こういうさりげない使い方は素敵です。
壁に掲げられた木彫りは隠岐の黒松。2号車は智頭杉のようですが、最初はこれが席番かと思って必死に解読を試みました(席番はテーブル側面に表示)。神話をモチーフにしているようです。
来待駅には来待石の産地であることを示すモニュメントがありますが、この釉薬を使用した石州瓦がテーブルに埋め込まれています。山陰の産品を用いた内装は「スーパーはくと」でも見慣れていますが、まだまだ知らないものがたくさんあり、それらと車窓の風景が一体となって「山陰」を演出していることに気付き、また一つ素晴らしい観光列車に巡り合えたな、というところで終点の出雲市に到着。今度は米子以東で乗ってみたいものです。
時刻にして13時前、これから出雲観光にはちょうど良い時間ですが、切符の経路の都合と、この日じゅうに京都に戻らなければならないので、
昼食にエキナカの喫茶店で隠岐イカのづけ丼を。
駅前は夕方から営業の居酒屋が中心だったので、次回はしじみの酒蒸しを堪能したいところです。
帰りは1時間後の「スーパーまつかぜ」で一気に鳥取へ。「あめつち」でのスローな時間が嘘のような飛ばしっぷりで2時間足らずで鳥取に着き、そのまま山陰本線を東へ東へ乗り継ぎ乗り継ぎ帰洛したのでした。
思えば開設から13年、近年はSNSの台頭もあってブログの立ち位置は隅に追いやられつつありますが、ありがたいことに数年前の記事でも多く閲覧いただくこともあるので、サービスが続く限りは地道に書き続けていこうかな、と考えています。
さて、年度末が近付いてきたということで、先週末は恒例の東京へ。
お花見には少し早かったのですが、いつものように友人に会い、帰路はいつものようにサンライズ。昨年は「瀬戸」で琴平まで乗り通したのですが、今回は久々に「出雲」が取れたので米子まで。岡山を出てもまだまだ寝られるのが嬉しいですね。もっとも、私は伯備線と相性が悪いのか新見以北ではいつも酔ってしまい、気持ち悪くなってきた頃に大山が見えてきて安心するのですが。(笑)
そんなこんなで、米子には9時の到着。乗り継ぐのは表題の「あめつち」ですが、11時の発車までは約2時間空きます。
車中でシャワーを浴びることができなかったので皆生温泉でも……と思ったのですが、ちょうど早朝と昼の営業時間の切れ目にあるようで、リサーチの結果、対岸にある日吉津(ひえづ)温泉うなばら荘へ。駅前からタクシーで2000円と少しでした。
月曜日の朝ということで人も少なく、ゆったりと温泉に浸かってからマップアプリを眺めていると最寄りは伯耆大山駅ということが分かり、何とな~く歩けそうな予感がしたので(思えばこれが全ての間違いだったのですが)10時ちょうどに歩き始めたのです。
駅までは田園地帯、そして昔ながらの農村を通り抜けていきますが、ここの行政区分は「日吉津村(ひえづそん)」だそうです。
てっきり米子市の一部かと認識していたのですが、調べてみると鳥取県内では唯一となった「村」のようで、村のまま残り続けているのはどうやら王子製紙(伯耆大山駅から専用線が延びています)がもたらす固定資産税の存在が大きいようです(ちなみに伯耆大山駅の所在は米子市)。
歩いているうちに米子駅行きのバス停を見つけたのですが、時刻表を見ると10分前に通過したばかり。これに気付いていれば(というか、このバス路線は昨年大山町を訪ねた折に乗車したのですが)安価で米子駅に戻れたのですが、
案の定と言うべきか、伯耆大山駅を目前にした踏切で引っ掛かり、乗る予定の列車(10:35発)が行ってしまいました。それもキハ47の5連、この時間だったのか……と感心している場合ではないです。(汗)
仕方ないので駅まで歩きます。次の米子行きは11時過ぎですがこれでは「あめつち」に追いつかないので、思い切って米子までタクシーで行くことを決断。急いで電話手配を済ませますが、待っている間に乗る予定の「あめつち」が鳥取方からやって来ました。伯耆大山は運転停車なのでここからは乗れず泣く泣く見送ることになります……。
そして「あめつち」が発車するかどうかのタイミングでタクシーが到着(10:55頃)。最悪でも米子11:18発の「やくも」に間に合えば(松江で「あめつち」に追いつきます)いいや、というくらいの気持ちになっていたのですが、幸運にも一切の信号に引っ掛かることなく、米子駅には「あめつち」の発車2分前に戻ってくることができました。ホームには既に青色の車体が待機中、跨線橋を上り下りして急いで乗り込み、
お見送りを受けて無事に発車しました。
こうした綱渡りは今までに何度もありましたが、大人しく日吉津温泉からの帰路もタクシーを利用しておくべきでした。(笑)
伯耆大山駅からの方が少し安かったのがせめてもの救いです。
さて、落ち着いたところで朝から何も食べていないことを思い出し、売店に赴いてホットコーヒーと焼き菓子の詰め合わせ(車内限定)を。月曜日の観光列車ということで乗客も少なく、ゆったりとした時間が流れていきます。
安来に停車し、揖屋で退避をした後、松江で10分停車。ようやく外観を撮ることができました。
キハ47を改造した観光列車も随分と増えましたが、「あめつち」は全車グリーン車指定席。もっとも、これは鳥取~出雲市の全区間を乗り通すと実に4時間、同区間を走る特急の実に倍以上の時間をかけることから特急料金は徴収できず、かと言って普通の指定席にすると収入が見込めないゆえの措置でしょう。
車体色は上部が青、下部が灰を基調としたもので、朱色のキハ47ばかりのなかでは異彩を放っています。車体下部に描かれた山々の稜線は日本刀の刃紋のようにも見えて神秘的……というのは、車内備え付け「あめつち手帖」より引用。
立体的な「あめつち」のロゴ。古事記の書き出し「天地(あめつち)の初発(はじめ)のとき」に由来する列車名というのも新鮮で、どこかエネルギーを感じさせる意匠です。
そういえば間もなく発表の新元号は日本の古典も典拠候補として挙げられていますが……果たして?
松江では前述の「やくも」を先行させてから発車します。ここでも見送りがありました。
特急だと松江を出ると出雲市まではあと一歩の感がありますが我が「あめつち」はこの区間に1時間を要します。
さっそく宍道湖沿いでは徐行のサービスがありました。
こうした観光列車に乗るときは大抵「晴れ」を期待してしまうものですが、この「あめつち」に限っては曇り空が似合うことに気付きました。曇天を映し出した湖面が車体の内外装にマッチして、ああこれこそが山陰なのだと印象づけられます。ここから望む夕暮れも素敵だと思うのですが、鳥取基点の現行ダイヤでは難しそうです。
宍道湖を通り過ぎ、今度は来待で運転停車。車内を探検してみます。
銘板は「あめつち」オリジナルのもの。
岩井窯の手洗い鉢。「スーパーはくと」でも鉢を見かけますが、あちらは中井窯というようです。
客室仕切りに飾られているのは出雲織、天井にチラッと映っているのは因州和紙ですが、それほど目立つわけでもなく、キャプションも控えめ、こういうさりげない使い方は素敵です。
壁に掲げられた木彫りは隠岐の黒松。2号車は智頭杉のようですが、最初はこれが席番かと思って必死に解読を試みました(席番はテーブル側面に表示)。神話をモチーフにしているようです。
来待駅には来待石の産地であることを示すモニュメントがありますが、この釉薬を使用した石州瓦がテーブルに埋め込まれています。山陰の産品を用いた内装は「スーパーはくと」でも見慣れていますが、まだまだ知らないものがたくさんあり、それらと車窓の風景が一体となって「山陰」を演出していることに気付き、また一つ素晴らしい観光列車に巡り合えたな、というところで終点の出雲市に到着。今度は米子以東で乗ってみたいものです。
時刻にして13時前、これから出雲観光にはちょうど良い時間ですが、切符の経路の都合と、この日じゅうに京都に戻らなければならないので、
昼食にエキナカの喫茶店で隠岐イカのづけ丼を。
駅前は夕方から営業の居酒屋が中心だったので、次回はしじみの酒蒸しを堪能したいところです。
帰りは1時間後の「スーパーまつかぜ」で一気に鳥取へ。「あめつち」でのスローな時間が嘘のような飛ばしっぷりで2時間足らずで鳥取に着き、そのまま山陰本線を東へ東へ乗り継ぎ乗り継ぎ帰洛したのでした。