「北びわこ」回送を撮る(C56 160号機本線走行ラストラン)

2018年05月28日 02時04分20秒 | 鉄道関係
C56 160号機の本線走行ラストランで各所とも賑わった日曜日でした。
あいにく用事があったので「SL北びわこ号」としての本運行は撮れませんでしたが、前日に実施された客車の送り込み回送とSLの返却回送を近場で撮影してきました。


土曜日の客車回送は水鏡を狙って天王山の麓で。
少し風が吹いていたものの、国鉄特急色の1132号機牽引で統一感のある編成が水面に映りました。
ところで「やまぐち号」は新型客車が登場したので安泰ですが、こちらの代替車両はどうなるのか気になります。稼働率もそこそこ高く、先日も山陰DCの一環で運転される急行「白兎」での起用がアナウンスされましたが、その後は果たして……。

日曜日の夕方は、本運転を終えたC56の返却回送を撮影しに大津へ。
前からトライしてみたかったポイントへ向かいました。


最後は滋賀県内で、そして本線らしい風景をと思い、京都方にある上関寺トンネルへ。
装飾も立派な明治隧道が目を引きます。上関寺TN自体は上を通る京阪京津線を潜るだけなのでごく短く、すぐ先の新逢坂山トンネルで京都・滋賀の府県境を跨いでいます。
左手には道路橋があり、列車が姿を見せるスポットはほんの僅か。それでも通過時には数人のギャラリーができており、やがて大津駅を低速で通過してきたポニーはEF65のエスコートで京都へと至る隧道に吸い込まれ、慣れ親しんだ湖国へ静かに別れを告げたのでした。

7月からはD51に牽引機を改めた新生「SL北びわこ号」が走り始めますが、運転日は増えるものの、午前中に走る1号のみの運転となるようです。運行経費か車両の負担軽減か、或いは双方が関係しているのかもしれませんが、これはこれで、午後に若狭や尾張方面に足を延ばせるので悪いことばかりではありません。この返却回送も今のような日の長い時期しか走行は撮れませんが、時刻が早まる可能性も考えられます。いずれにせよ、D51と客車が織りなす新たな湖北の四季を楽しみに私はまたかの地へ通い続けるのでしょう。

「500 TYPE EVA」ラストランと臨時「ひかりレールスター」を撮る

2018年05月21日 02時24分11秒 | 鉄道関係
1週間も前のことを今更記事にします。(笑)

先日「最後の発進」を迎え引退した「500 TYPE EVA」。これまでに旅先で何度か見かけたことはありますが、撮りたい撮りたいと思っているうちに最後の日のアナウンス。思えば500系じたいも東海道からの引退後は縁が薄れてしまい(日頃、京都鉄博の表からチラ見はしていますが)、そう遠くはない完全引退の前に、500系本来のデザインとコラボ企画が見事にマッチした紫色の車体を記録しておきたく、「関西1デイパス」を利用して播州へと赴きました。

余談ながら、1デイパスは今春から前日までの購入となってしまい、前日夕方に慌てて購入。発売も窓口ではなく「みどりの券売機」が主体となってしまい、それ自体は多くの駅にも設置されてはいますが、当日思い立って購入することも多かっただけに、何だかなぁ、という思いです(もっと言えば、範囲を狭めても良いから廉価版の「関西おでかけパス」を復活させてほしいです)。


当日は生憎の雨模様となりましたが、京都から快速電車に延々揺られて魚住で下車。
草津から続いた複々線区間は西明石で複線区間へと戻り、住宅地が途切れ田畑が開けたところを新幹線と並走します。以前から通過するたびに何度も気になっていたところで、今回はこの田園地帯でEVAを迎えようという算段です。
この駅舎写真を撮った背後には山陽新幹線の高架が聳えており、これが屋根の役割も果たしてくれていて、撮影地までの道中も安心。それでも……


後から追いかけてくる「スーパーはくと3号」は収めておきたくて、駅近くの踏切で雨のなかを一瞬だけ飛び出して撮影。これに乗って来てもよかったのですが、ギリギリになりそうだったので。


田園地帯へ向けてしばらく歩くと雨が止んできました。
「はくと」の後を追いかけて「はまかぜ1号」が姫路へと走っていきます。

やがて池の周囲に数人の同業者の姿が見え、この辺りが撮影地だと確信。ちょうど新幹線の高架も防音壁が途切れ、一昔前の風情を醸し出しています。0系や100系にはよく似合っていたでしょうね。


曇り空でノーマルのN700系は映えませんが、紫色基調のEVAはむしろこの方が良いかも?
数本の列車で構図を調整しながら、EVAを待ち受けます。そして……




警笛一発と共に曇天の向こうから一瞬、紫色の車体が姿を現したかと思えば去っていきました。
このEVA500系は何となく曇り空とモノトーンの高架線が似合うような気がしていて、最後の最後にイメージ通りの絵が撮れたかな、といったところ。反対に、後継のハローキティ500はピンク基調なので晴天下が似合うような気がしています。

魚住駅へ戻り、列車を乗り継いで相生へ。
いったん出場して入場券を買い直し、新大阪から折り返し博多へと向かうEVAの真のラストランを狙います。


新大阪駅では多くの人出だったようですが、相生まで来ればさすがに比較的落ち着いていました。
雨は再び本降りになって、この時も少し濡れながら。(笑)


それでも発着ホームには多くの家族連れや一般客の姿が見え、人気のほどが窺えます。


相生では1本のみの通過待ちで僅か4分の停車。往路と同様に警笛を鳴らしトンネルへと消えていきました。

見物客の多くは在来線ホームや後続の新幹線車中へと三々五々消えていきますが、しばらく留まって撮影します。




こうして通過線のある新幹線駅で腰を据えて撮るのは初めてのことかもしれません。
京都や新大阪はそもそも通過列車がなく撮影にも適していないですし、東海道とは違い300kmの全力で飛ばしてくる新幹線というのも新鮮です。N700系(スモールA)も初期車は気付けば10年が経ち、後継のN700Sに置き換えられる日もそう遠くはないのかもしれません。

そして、EVAが去った後のお目当て、姫路始発の臨時「ひかりレールスター」が通過します。
GW明けから「期間限定」と銘打って設定された謎の臨時列車ですが、「おでかけネット」上に特設ページまでつくられるほどの力の入れよう。ハローキティまでの繋ぎ? 実は引退へのカウントダウン? 真相はよくわかりません。




実はEVA発車後に送り込み回送が通過したのですが、全くのノーマーク、不意打ちだったのでブレブレ。(笑)
九州新幹線の全通後、ほとんどが「こだま」運用に追いやられてしまった700系E編成ですが、こうして塗色が維持され、臨時ながらも当初の使命に近い列車として再び返り咲いてくれたことは嬉しく思います。

新幹線を撮影するとやはり乗りたくなってしまうものですが、残念ながら今回は「1デイパス」利用。ならばせめて特急にと思い……


大人しく普通列車で姫路へと戻り、えきそばを食べた後「スーパーはくと8号」に揺られて帰洛しました。

大山町所子集落

2018年05月08日 02時06分28秒 | 旅行記
一ヶ月も更新を空けてしまったのは、おそらく初めてではないでしょうか。
慌ただしい4月を乗り切って、いちおう元気に? 生きています。

GWはここぞとばかりに息抜きを、京都から山陰・山陽経由の一筆書き切符を使い、途中で九州に飛び出すという大きめの旅をしてきました。
その序盤、鳥取県の大山口駅近くにある「所子(ところご)」という集落が農村では珍しい伝統的建造物保存地区に指定されているということで訪れてきましたので、紹介します。




大山口駅。
米子にもほど近く、文字通り大山の玄関口でバス路線も乗り入れています。


駅から15分ほどのところにある所子集落。大山の北麓と日本海に挟まれた台地上にあります。
たまたまガイドの方がいらしたのでお話をうかがいました。かつての庄屋等の建築物が残されていること、周辺の田畑や水路(大山の湧水)などの地割が旧来のままである(少なくとも天保期からほぼ同一)ことから、国の伝統的建造物群保存地区として選定されたそうです。




その起こりは鎌倉時代までさかのぼれるようですが、その時期からあるもとの集落を「カミ」、以降、江戸期以降に形成された新しい集落を「シモ」と呼んでいるそう。ガイドさん曰く、幼少期はカミの子はカミの子、シモの子はシモの子だけで遊び、葬儀等も両者できちんと分けられていたそうです(差別意識とかそういうのではない)。
現在は人口減少もあってカミとシモを合わせた集落を8つの班に分け、町内維持活動をしているのだとか。




重要文化財の門脇家住宅。
集落内を縦横無尽に流れる水路は昔はもう少し広かったそうで、自動車を通すために縮小・暗渠化された痕跡が随所に窺えました。

もう一つ、私がここに惹かれた理由が、鎌倉時代、当地は下鴨社の社領だったという点。
これについてはどのような経緯でそうなったのか……というのは聞き取りでも分かりませんでした。荘園由来かな? と思っていますが、何故こんな離れた場所が選定されたのか、そして、社領時代の当地と都(下鴨社)との交流、人々の対「都」意識など、気になる点はたくさん。幾らでも掘り下げることはできそうです。


集落内には賀茂神社や糺神社(跡)があり、両者を結ぶ線上は「神の通り道」と呼ばれ(ガイドさん曰く、命名されたのはつい最近のことのようです)、しかし昔から建築物はいっさい建ててはいけないそう。現在も家々は線上を避けるように点在し、田畑のみが一直線に延びているのが印象的でした。


集落の北端からは日本海と風車を望むことができました。
前後の行程の関係から、滞在時間をあまりとることができなかったのが惜しまれます。次回は是非机上調査を積んでくまなく歩いてみたいです。