京都バス56系統、大減便

2016年03月25日 01時30分20秒 | バス関係
編集画面にログインして驚きました。


れいの免許維持路線関連の検索結果か、はたまた何処かにURLが貼り付けられたのか、多くの方にご訪問いただいています。
ありがたいことですが、こうした一過性の出会いではなく、ブックマークの片隅に加えてもらえるような記事を書いていきたいですね。
それにしても、今年の「春分の日」の運行では小型車最古参の114号車(日野レインボーRB)が充当されたようで(臨時続行便は昨年同様の日野リエッセ)、益々イベント化の様相を呈していたようです。

さて、前回記事で取り上げた岩倉・修学院界隈の均一運賃化ですが、さっそく現地を訪れる用事が出来、市バス5系統で北上していると……


道中の修学院道バス停で貼紙が。


拡大してみると、京都バス56系統の減便を知らせるものでした。
10:48~18:41の間の9便が廃止されるということで、なるほど利用の少ないであろう日中の便を減らすのか、と思いHP掲載の現行ダイヤと照らし合わせてみたところ……


何と、朝の3本を残しての大減便!
もう少し本数があると思っていましたが、ここまで減らすとなると、通勤需要に特化した事実上の免許維持路線化と言えるかもしれません。
ちなみに3月24日現在、京都バスのHPに減便のお知らせはナシ。あくまでも停留所のみ掲出のようです。(^^;
(→追記:3月30日に案内が出ました)


と言うのも、この56系統、元は55系統として修学院・松ヶ崎界隈と市内中心部を直通していましたが(御池大橋経由の庫系統がその名残です)、経路短縮に伴い、左京区内を循環する56系統として再出発。車両も小型や中型が中心となり、やがて時計回りと土休日の運行が廃止。そしてこのたびの大減便。私自身も何度か乗車経験はあるものの、乗客はせいぜい2,3人で、貸切状態の印象が強く残っています。

56系統自体の単独区間は北山通と松ヶ崎通のごく一部に過ぎませんが、他の区間においても季節運行路線や免許維持路線が入り乱れており(前掲した時刻表の18系統もそうです)、30系統45系統と並ぶ乗車のハードルが比較的高い路線として今後も走り続けていくのでしょう。しかし、こうした変更の報せが直前に飛び込んでくるあたり、年度末を実感させられます。(笑)

京都市バスダイヤ改正前夜――岩倉・修学院地域への均一運賃区間拡大――

2016年03月18日 23時59分33秒 | バス関係
今年も「春分の日」が近付いてきました。
そう、あの京都バスの免許維持路線・95系統(大原→鞍馬)の運転日でもありますが、今年は大学院の修了式なので行けそうにありません。
しかし、これ以外にも京都バスにはおもしろい路線がたくさんありますから、当面はそうした路線を乗り潰していきたいですね。

さて、3月19日(土)に実施される京都市バスのダイヤ改正で、均一運賃区間(230円)が岩倉・修学院地域へ拡大されます。
一昨年のダイヤ改正で嵐山地域へ拡大されたのを皮切りに、交通局としては民営バスと協議して均一区間を順次拡大していく方針だそうです。→【京都新聞】均一運賃、京都市バスが拡大躍起
今回が岩倉・修学院地域で、次にあるとすれば伏見地域でしょうか。記事にもある通り、観光色の薄い洛西や片道500円を超える高雄への拡大は難しいと思いますが……。

そして、いつものように問題となるのが、均一化によって値上げとなる区間。
岩倉・修学院地域の160円区間はなかなか広範囲で使い勝手も良く、私も運賃境界の停留所まで歩いて節約したことがありますが、今後は通しで乗れるのならその方が楽ですし、京都バスにおいても国際会館駅発着の一部路線は据え置かれるようで、地元客と観光客、双方の利便が図られているのではといった印象です。また、今回は市バスと京都バスで運賃の異なる区間(国際会館駅前~上高野)が発生していますが、経由する両社のバスは行先がハッキリと異なるので、これも棲み分けは出来るでしょう。

これ以外の目立つ変化として、同地域を走る市バスから整理券の必要な調整運賃区間がなくなることで、従来は調整区間を示す「白」で表示されていた5・31・65・北8系統の番号色が、均一路線を示す「青」となります。


高木町西行の65系統専用バス停。
上が19日からの新ダイヤ、下が18日までの現行ダイヤ。新ダイヤは当然ながら青色で表示されており、青白が併存する過渡期ならではの光景を見せています。


松ヶ崎通を走る65系統。終点の四条烏丸で31系統に化ける連結運行の路線です。
近年の経路変更では松ヶ崎や下鴨を経由するようになり、本数は少ないながらもよく使う系統。鴨川(高野川)を4回も渡るユニークな経路です。


次に身近な路線が北8系統。
数少ない北ブロックの生き残り、そう離れていない東西の通り(北山通・北大路通)を端から端まで走行する循環系統ですが、如何せん遠回りなのであまり利用機会は多くありません。
写真は再掲ですがオンリーワンの344号車。先月にCNGガス車の364~366が引退したことで、いよいよ富士重の新7Eはこの1台になってしまいました。今まで以上に人気を集めることは必至でしょう。(笑)


そして、今回均一化される路線のなかでは最もドル箱の5系統。
四条河原町、平安神宮、銀閣寺など繁華街や観光地を通るので常に混んでいるイメージがありますが、明日からは全区間で一日乗車券が使えるようになり、降車時の整理券やカードリーダー云々といった煩雑なトラブルの一切が解消します。正直なところ、このための均一化なのでは……と考えてしまいますが。(笑)
写真は今週に運用入りしたばかりの新型エルガ・3214号車。整理券車としての運用、そして白色の5系統との組み合わせは僅か数日間ということになります。

しかし、青色の5系統は過去にも存在しており(銀閣寺道までの区間便として)、ある意味では復活と捉えることも出来るでしょう。




先代の「青5」は個人的にはキュービックのイメージが強いのですが、相次ぐツーステップ車の廃車でもう見られないかと思いきや、幸いにも95年式の6261号車が生き残ってくれたので、これは改正後の楽しみにしておきましょう。




残念ながら、他のツーステはエルガと入れ替わりに廃車となりました。


こちらは旧幕時代ですが、かつては5系統の顔だった日野ブルーリボンも、担当営業所の変更によって一昨年限りで見納めとなっています。
車両(ブルーリボン)自体も既に1台しか残っていないようで、気付けば市バスのツーステは10数台にまで減少。いよいよ終わりが見えてきましたが、最後の一年、都大路を駆け抜ける車両たちを、春から始まる生活の折々で記憶に留めていきたいと思います。

完全高架化を迎えた阪急洛西口駅

2016年03月07日 00時56分50秒 | 鉄道関係
【京都新聞】 阪急洛西口駅付近の高架化完了 京都線で下り運行

 阪急電鉄は5日、京都線洛西口駅(京都市西京区)付近で市と進めてきた立体交差化事業で、下り線と下りホームを高架に切り替え、列車の運行を始めた。上りはすでに高架化が完了しており、約8年かけた上下線の高架化が終了し、関係者らが完成を祝った。
 立体交差化は、同駅付近の踏み切りが原因で発生していた交通渋滞の解消や、土地利用による地域活性化を目指し、市と阪急電鉄が進めた。高架化区間は桂-東向日間の約1・6キロで、道路整備などを含めた総事業費は約242億円。2008年6月に着工し、上りは13年10月に完了した。
 下りでは、深刻な渋滞が発生していた駅北側の川岡下三番踏切(西京区)と物集女踏切(同)に加え、南側の変電所上手踏切(向日市寺戸町)の計3カ所を撤去した。今後は仮線路を撤去し、道路を整備する。事業は16年度中に完全に終了する見込み。
 午前4時15分から同区の桂駅で下りの始発電車の出発式があり、京都市の門川大作市長は「人との交流、物の流れがスムーズになり、地域全体の発展に寄与していくと確信している」、阪急電鉄の中川喜博社長は「京都市と連携を取りながら少しでも地域のみなさんに貢献できるようにしたい」と式辞を述べた。記念のヘッドマークを付けた同4時50分発の始発電車に乗り、洛西口駅まで移動した。

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記事の通り、かねてから工事が進められていた阪急洛西口駅付近の立体交差化事業ですが、5日(土)の始発から下り線(梅田方面)が高架線に移行したことで同駅周辺の完全高架化が完了しました。4時15分から出発式とは随分と早起きですが、一番列車にこだわるならば仕方のないことでしょう。
ちなみに、2013年10月の上り線高架化直前には現地を訪れ、その時の様子を当ブログでもUPしています。記事はこちら→ 上り線高架化目前の阪急洛西口駅

そして今回、いよいよ府道201号線の大きな踏切がなくなるということで、完全高架化の翌6日(日)、イオンモール桂川へ行くついでに付近の様子を見てきました。


まずは駅前から西方向を。
見た目は以前とほぼ変わりませんが、もう地上を列車が通過することはありません。線路沿いの道との交差点があるので信号自体は残りますが、列車待ちの渋滞はこれで大幅に解消されることとなります。


踏切に近づいてみます。
既に遮断桿(竿の部分)は撤去、機器類には黒ビニールが掛けられ使用停止措置がとられていました。今後は順次撤去されていくのでしょう。


踏切から桂方面を。
現役時代はとにかく列車本数が多かったので立ち止まることすらためらわれましたが、今ではこの通り。
まだレールの輝きが残っています。今後は道路整備や高架下の空地活用が計画されているようで、どう変化していくのか楽しみですね。


横断歩道を渡り、今度は梅田方面を。
バリケード以外はおそらく一昨日までと変わらない風景。駅舎脇の錆汚れは列車由来のものでしょう。鉄道模型のウェザリングの参考になりそうです。


地上駅舎は封鎖され、高架駅舎へ移行した旨を告げる看板が残るのみ。
思えば開業時から仮駅舎だった洛西口駅ですが、これでようやく本設ということになりました。


駅前には踏切廃止の看板が立てられています。
やがて、ここに踏切があったことも忘れ去られていくのでしょうね……。

最後に、地上線時代の写真を少しご紹介。もう還ることのない風景を記憶に留めていただければと思います。





長らく変化を続けてきた阪急洛西口駅、JR桂川駅周辺もこれで一段落といったところでしょうか。少し前までは駅すらも無かった「空白地帯」がこれだけ変貌するとは思いもしませんでしたが、大型商業施設の開業で人の流れも大きく変わった現在、同駅周辺が文字通り洛西への玄関口、そして洛中とを繋ぐ結節点として発展することを願ってやみません。

閏日の湖国周遊 その2

2016年03月04日 02時40分00秒 | 旅行記
その1はこちら

「しなの9号」乗車、敦賀でソースカツ丼と来て、早くもミニトリップは折り返し地点。
帰りの乗車券を使用開始し、今度は湖西線経由の新快速に乗り込みます。


敦賀発の新快速と言えば構内米原方の外れにある専用ホームから発車するものと思い込んでいましたが、北陸線ホーム発着の便もあるのですね。ホームには昨年3月まで走っていた「トワイライトエクスプレス」の停止位置目標が残っていました。


14/05/25 敦賀にて
機関車交換で知られた敦賀駅ですが、後ろの電源車周辺には人もまばらだったのを思い出します。次に会えるのは京都鉄道博物館ですね。

さて、近江舞子まで各駅停車の新快速は、数少ない客を乗せて敦賀を出発。
末端区間ならではの閑散具合です。近江今津までは短い4両編成で、おまけに18きっぷの使用期間ではありませんから、普段はこんなものなのでしょう。それでも、滋賀・福井を直通する普通列車が少なかった直流化以前に比べると圧倒的に便利になりましたし、時間1本走っているという安心感はあります。


車窓右手、敦賀機関区にはキヤ143形の姿が。気動車扱いなのが何ともユニークですが、姿形は完全に機関車です。

列車は近江塩津から湖西線に入ります。もう何度も通い慣れた界隈ですが、水上勉の随筆『日本の風景を歩く 近江・大和』に、塩津について書かれた以下の一節があります。

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 私は塩津の町へ入った。ここも今津と似ていた。いや、今津よりもさびれているようであった。昔は、米や木材が運ばれてくるので大津坂本までの定期船が出ていて、この港は大いに栄えたといわれている。「近江湖賊」などの文書を読んでみても、塩津がときどき出てきている。湖商船舶の拠点であったことはわかるのである。しかし、その面影は少しもない。浜へ出てみたが、和船が三、四艘砂浜に腹を見せていた。それだけであった。私は、魞(えり)の簀が湾をよこぎっている塩津の入江をみつめて、この町も、時代を失ったのだと直感した。
 そうだ、塩津にしても、今津にしても、江戸時代に栄えた町、いや、江戸時代よりももっと前の戦国に栄えた町なのではあるまいか。正直なところ、私は「賤ヶ岳の七本槍」という歴史譚を知っていただけである。羽柴秀吉が柴田勝家と戦さをした古戦場があるということのほか、何も知っていなかった。私はかつて、この湖北の港塩津について、どのような文書を読んだだろうか。この町の名が一度だって新聞や雑誌に出たのを読んだことがあっただろうか。私は古戦場が近くにある町として、この町が、観光客をよびよせている話もきかなかった。塩津は私の眼の前で死んでいた。忘れられた町に見えた。

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若狭生まれの水上もまた、塩津や今津を経由して京都と郷里と行き来していたのだと思いますが、今も変わらぬ塩津の記述に瞠目しました。些か図式的ではありますが、水上作品のなかに、湖北や若狭の寒村に生まれ育った古風で薄幸な女性が頻出するのは、やはりこうした「土地の記憶」が多分に負われているのではないでしょうか。
京と湖北・若狭、長らく隔絶されていた両者は今でこそ新快速電車によって一本に結ばれ、同時に近江塩津は湖西線・北陸線の乗り換え駅として一躍その名を遠く京阪神の案内表示にまで知らしめることとなりましたが、そこを目的地として訪れる人は居るのかと訊かれれば、恐らくその数は少ないでしょう。

やがて列車は近江今津に到着し、予め待機していた前4両との連結作業をおこなった後、乗降扱いとなます。


9分ほど停車しますが、ここでは見ておきたいものがあって途中下車。ちょうど高校生らの下校時間帯が始まったところで、薄暗い駅構内にぱっと明るい声が響いていました。高架下の駅舎は恐らく開業時からそう変わらないであろう佇まいで、次回は是非JRバスで若狭に抜けてみたいものです。

駅から歩いて数分、バス停「今津西町」の前にそれはありました。


メイン・ストリートの前に建つ、旧江若鉄道の今津駅舎です。
廃止から40年以上が経過した現在、唯一現存する当時の駅舎です。




廃止後、店舗等に転用されていた痕跡も窺えるものの、特徴の三角屋根を含めて状態は良好。
それなりに大きな終着駅だったそうですが、さすがに広大な構内を有していた面影はありません。私などはもちろん江若鉄道には縁がなく、模型の購入を機に興味を持ち始めた極めてミーハーな層ですが、鉄道の痕跡が年々失われてきている現在、当時使用されていた駅舎が今なお残っているのはやはり嬉しいものです。

その江若鉄道を実質的に受け継いだ湖西線ですが、日中の近江今津駅における京都方面のダイヤは歪で、乗ってきた新快速が毎時10分発、次は普通が26分発の時間2本体制。
次の普通を逃すと40分も待ちぼうけなので、急ぎ駅に戻り再び南下します。今度は221系の更新車で、次は何処で下車しようか車窓を見ながら考えていたのですが、特急の通過待ちをおこなう近江舞子で途中下車。ここから南は本数が増えるので安心です。さっそく窓口で青春18きっぷの常備券を求め、この日の目的は全て達成しました。


列車に戻る余裕もありましたが、せっかくなのでシーズンオフの琵琶湖を見に行きました。(笑)
高校の遠足では定番のスポットでしたね。いま再び高校生と日常的に関わるようになって、当時のことを思い返すこともしばしば。

駅前には、格安切符の自動販売機が設置されていました。


このラインナップを見るのが楽しみなのですが、よく売れるであろう堅田、大津京、京都や大阪の他、珍しいものとしては琵琶湖大橋の回数券が販売されていました。地域柄を考えれば当然かもしれませんが、こうした駅前の自販機で鉄道やバス以外の回数券を売っているのはあまり見ないような気がします。


帰りの普通電車は近江舞子始発の113系。良い感じにランクダウンしています。(笑)
もう少し湖西線の途中下車を楽しみたかったのですが、いつの間にか寝てしまい、起きると東海道線との合流地点・山科。山科・京都間は短いながらも国鉄型車両で大幹線の風情を楽しむことの出来る、今となっては貴重な区間です。

終点京都では、奈良線の103系と同時入線。


京都寄りのクハは数を減らしている非ユニット窓の175番でした。そう形態の変わらないトップナンバー車が博物館入りしている傍らでこちらは未だ現役ですが、確実に引退へ近付いていることには違いありません。


そして、帰りの電車に乗り換えようとすると、向かいのホームには117系が。
地域色が消滅していくなかで、記念碑的な意味合いもあるのか、原色が健在なのは嬉しいことです。

こうして図らずも国鉄型車両に多数出会いながらの帰洛となり、短いながらも中身の詰まった琵琶湖一周となりました。終始天気が悪かったのが残念ではありますが、道中で購入した青春18きっぷを再訪の契機にしたいと思います。