冬の嵯峨野線を撮る

2013年01月27日 21時55分33秒 | 鉄道関係
今日は一眼レフの練習も兼ねて、友人と嵯峨野線を撮りに行ってきました。
引退迫る183系や体質改善された221系の登場で俄かに活気づく同線ですが、さすがにこの時期は寒いですね。
オートからマニュアルに切り換えて、のびのびと撮ってきました。


まずは馬堀駅からすぐの踏切で一枚。
レンズの関係で側面がちに撮りましたが、本来であれば長い直線を経てカーブを曲がる列車を迫力ある構図で捉えられるはずです。


KTR8000系使用の「はしだて5号・まいづる5号」。
一枚目の振り向きアングルでも撮れるのですが、これもレンズの関係で(笑)、裏手の田んぼから風景重視で撮りました。


ポイントを変えて、287系の「きのさき5号」。
カニシーズンの増結対応か、単独列車でも7連です。


上の「きのさき5号」に嵯峨嵐山で追い抜かされた普通列車。
今日のお目当てでもある221系の体質改善車です。先頭を流し撮りしてみましたが、カツカツでピントが甘くなってしまいました。
やはり回数を重ねる必要がありますね…。


最初のポイントに戻って、亀岡で折り返してきた体質改善車を一枚。
雪が舞ってきました。箱型スカートにHIDライト、Wパンタの組み合わせは数年前までは予想出来なかったスタイルです。

この後嵐山まで向かい、喫茶店で休憩した後、嵐電や阪急の撮影に移ろうと思ったものの、電池切れと日没でアウト。
予備機の重要性やレンズの制約を実感した一日でしたが、EOS Mの使い心地はなかなか良く、鉄道を撮り始めた頃のような、良い意味での原点に戻ることが出来た気がしました。

Canon EOS M

2013年01月25日 01時16分49秒 | その他特集
火曜日にレポートの締切があり、水曜日から試験が始まりました。
学部生としてはこれが最後の試験ということで、絶対に単位は落とすまいとの気合いで臨んでいますが(笑)、昨日・一昨日となかなか難しく、苦戦している状態です。
週末を挟んであと4つ残っているものの、どうにかこうにか、200単位取得を目標として頑張りたい所存です。

さて、そんな試験期間中ではありますが…


表題の通り、Canon EOS Mのダブルレンズキット(ホワイト)が届きました。念願の一眼レフ導入です!
思えばここから4年の月日が流れました。愛機PowerShot SX110ISも今や艶もなく印刷やメッキが全て剥がれ落ちた状態で、電源ボタンの接触不良に見舞われることもしばしば。
4年間あらゆる写真を撮り続けてきて、(傲慢にも)そろそろ一眼レフに転換すべき時であろうと思ったこと、そしてこれから先、数々のイベントも控えていることから、今回の導入と相成りました。

少し触ってみた感じとしては、やはり小さいのでデジカメ感覚で扱えます。
場合によっては本体よりもレンズの方が大きくなるという事態にもなりかねませんが(笑)、これまで使っていたPowerShotシリーズと操作自体はあまり変わらないので、直感的にサクサク動かすことが出来ています。モニターのタッチパネル操作も便利で、タブレット端末全盛の現在ではこうした装備もデフォルトになっていくのでしょう。
画質はもちろんのこと、レンズを左手で回してズームする様子や、シャッター音はさすが一眼レフ! という実感が湧いて嬉しくなります。説明書を読んでいると、レンズの有無に関わらず、カメラのモード次第で魚眼やアオリレンズのようにも撮れるようなので、街を歩く時などは是非試してみたいものです。

そして早速ですが、大学の帰り、日没間近の龍安寺駅で簡単に試し撮りをしてきました。
今はまだオートの状態なので、カメラ任せの感度になってしまいましたが…。


等持院から坂を上ってきた電車が入線。晴れていれば遠くに大文字が見えます。


帷子ノ辻行きは行き違いのために30秒~1分ほど停まります。


北野白梅町行きが入線。ほんの数秒だけ並びます。
サイズを大きくしてみましたが、今後はこちらの方がいいかもしれませんね。

かくして唐突な一眼レフデビューとなりましたが、まずは撮影を重ねることが大事ですね。
卒業式の辺りには満足に使いこなせるようになりたいものです。

大団円

2013年01月20日 04時43分56秒 | 日記
少し間が空きましたが、はじめにお知らせです。

12/31夜行列車2連泊! 年末の信越ぐるり一周の旅 前編
12/31夜行列車2連泊! 年末の信越ぐるり一周の旅 後編

以上の旅行記を公開しました。
これで信越地方に足跡が残せたことになりますが、想像以上に魅力ある地域であることを実感しました。
いずれ機会を改め、気候の良い時に、甲州も含めた範囲でまた訪れたいものです。

金曜日は今期最終のゼミがあり、夜は西院でその打ち上げがありました。
「これで最後」と喧伝したせいか(笑)、4回生は過去最多の出席人数。普段では話せないこと、飲み会だから話せること、様々な話題で大いに盛り上がりました。
いつものことですが、こういう場では聞き役に回る一方で、自分から話を切り出すのは苦手です。
しかし話題の提起は求められるもので、ゼミのテーマに合った真面目な話なら得意なので、村上春樹の文体がどうとか、国語の教師になりたいとか、1/3の記事で述べた放蕩息子の文学論を語っていたものの、お姉さま方には「つまらない」と一蹴され、酔いが回ってからは、結局、大学生の会話にありがちな恋愛の話をしていた気がします。
(そして、自分はそれほどネタが無いので再び聞き役に回るのであった)

最後は先生へのサプライズとして、ゼミ生の寄せ書きと写真をアルバムにしたものと花束を渡しました。
このアルバムは数人でアイデアを出しあって作ったものですが、制作には自分も関わっていて、色遣い、レイアウト等含め、贈り物としてはなかなか良いものが出来たと思っています。

それから先生による締めくくりの言葉があり、

「一期一会という言葉があります。その通り、大学を卒業すると一生を終えるまでもう会うことのない人が多くなってしまうことが当たり前なのですが、このゼミにおいては、そんなことはあってほしくないと思います。皆さん、年に一度でいいので、近況報告も含めてまた定期的に是非会いましょう」

と、卒業後の再会も半ば確定となりました。
その暁には、来年度以降も京都に残留する自分を含めた数人がその幹事的役割を担っていくのでしょう。
やはり一期生ということもあり、先生も我々も専攻やゼミに対して特別な思いを抱いていることを実感した飲み会でありました。

それから2次会まで居着いて、ふらふらでタクシーに乗るお金もなかったので、とりあえず阪急に乗って洛西口・JR桂川経由で帰ろうと思ったのですが…
0時を回ってからの列車は全て桂止まり。仕方なく桂からJR桂川駅までとぼとぼ歩くも、JRはJRで最終列車が信号故障を引きずって8分もの遅れ。
悠々と通過していく上り「サンライズ」を見送り、すっかり酔いも覚めた午前1時過ぎ、無事に西大路に降り立ったのでした。

週末は1つだけあるレポートを書いて過ごそうと思います。
そして来週からは試験週間。ラストスパート、万全の体制で臨みたいものです。

写真は、桂川駅を通過する上り寝台特急「サンライズ瀬戸・出雲」。
iPhoneでの撮影。闇から現れた14両編成は圧巻でした。

四度目の冬を

2013年01月10日 03時22分25秒 | 日記
月曜日から授業が始まりました。
どの授業でも試験の話題がちらほら出てきるあたり、いよいよ後期の終わり、そして大学生活そのものの終わりが近づいてきていることを実感します。
それにしても、休み明けに書くルーズリーフの字の汚いこと…。

昨日は免許の更新に行ってきました。
何処も免許試験場とはなかなかアクセスの悪いところにあるもので、一応は市内にあるものの、公共交通機関を使う場合の多くはいったん市外の長岡京まで出てバスに乗り換えなければなりません。
それが厭なので、今回も自転車で寒い中を行ってきました。市南部はあまり行くことがないので、道中の景色も妙に新鮮。今でこそ何でもない風景ですが、かつては「鳥羽・伏見の戦い」のあった激戦地ということで、幕末好きとしてはどうしても昔日に思いを馳せてしまうところです。ちょうど先日から「八重の桜」が始まったので、またこの時代がクローズアップされるのでしょうね。
個人的な楽しみといえば、教育実習で池田屋事件から戊辰戦争を担当したこともあって、その辺りの歴史解釈のされ方や、大河ドラマの新境地(?)でもある明治・大正・昭和がどのように描かれるのかが楽しみなところです。
また、ドラマの進行に即してお隣D志社大学はどのような動きを見せるのかも興味深いところ。
(いつか西園寺公望もやってほしいなぁ…)

そんなこんなで、免許の更新は極めてスムーズに進みました。
これまで自動車を運転したのはたったの1回だけですが(笑)、2時間の初心者講習も受け、無事に新しい免許証を手にすることが出来ました。
帰りは試験場(羽束師)から大学のある衣笠までのロングラン。ちょうど1時間で辿り着き、3限には無事間に合いました。朝が早かったのでほどなくして眠気に襲われましたが…。(--)

友人と新年の挨拶を交わした後は、大学近くの喫茶店へ。
相変わらず文学、哲学、人生、死など様々な話題で盛り上がり、卒業旅行の話にもなりました。
お互いに来年度以降も大学には残るので「卒業」はあくまで一区切りでしかないのですが、やはり国外が人気だそうですね。
これまでの一人旅が染み付いたせいか、はたまた友人とはこうした何気ないひとときを過ごすことを至高と考えているせいか、今のところ特に行くことも考えていなかったのですが、そこで友人が一言。

「ヨーロッパなんかたかだか一週間行ったくらいで何になる。そんなことより、俺は来年か再来年、インドに行きたいんだ。ガンジス河のほとりで人が焼かれるのを見て、生と死の境目を見てみたい。お前も来てくれるよな?」
僕は仕方なく返事をしたのでした。

写真は4日の分から、紀勢本線の多気を出て熊野へ向かう普通列車。
落日のタイミングと同時に通過してくれました。

「日本海」を大俯瞰で撮る

2013年01月06日 23時54分21秒 | 鉄道関係
今季ラストの運転日となった臨時寝台特急「日本海」を昨年3月に続いて音羽山からの俯瞰で撮ってきました。







着いたのがギリギリで、試しに一枚撮ってモニターを拡大していると既に列車が接近中。
目を凝らすとだんだん動きが分かるようになってきたので、構図を違えて何枚か撮りました。
編成は短くなってもローズピンクの機関車が引っ張るブルートレインはまさに「日本海」。大津京駅にゆっくりと差し掛かると、ブロワー音がこちらまで聞こえてきました。

以下はトリミングした写真です。







しかしこれだけ遠景だと、どうしても眠たい感じになってしまいますね。
次に来ることがあればその時は一眼レフ、そして「トワイライトエクスプレス」でリベンジしてみたいものです。

謹賀新年

2013年01月03日 01時28分32秒 | 日記
あけましておめでとうございます。
本年も当ブログをよろしくお願いいたします。
2013年といえば、『1973年のピンボール』から40年――やれやれ。

実は30日夜から元日朝まで夜行列車2連泊の旅に出ていました。
やはり京都がいちばん寒く感じる…と言うのはいつものことですが、これから卒業まではおそらくあっという間。
残り3ヶ月足らず、勉強もアルバイトも仲間と過ごす時間も、出来ることを大切にしていきたいものです。

さて、今年のキーワードは「責任」。
よく「自覚」とセットで語られる言葉ですが、昨年来、自分が文学を研究し、卒論を執筆していくなかで、この「責任」というものを、少しずつ考え始めていました。
これは都知事となった猪瀬直樹さんが著書や雑誌対談などでたびたび主張されていることですが、いまの日本文学の正統的な後継者はいわゆる「放蕩息子」にあり、責任をとる「家長」の側にはありません。
具体的な作家を例に挙げれば、前者は漱石や太宰、後者は鴎外に代表されます。
実際に読み継がれて尚且つ人気があるのは前者ですが、たとえば漱石の小説では不労所得者、傍観者が世を憂うばかりで何もしない一方、鴎外は歴史小説(後に史伝へと転換)を書いたように、資料を精査して過去の出来事を後世に伝えています。
更に国家とかかわりのあった鴎外は、最晩年に次の元号を考える仕事にあたって、当時の「大正」という元号が過去に他国で使われていたことを知ります。おまけに大正の「正」は一に止まると書きますから、これも一等国の元号としてよろしくない。
鴎外は明治を為政者の側で生きてきた責任をとるべく、ここでも資料を精査し、過去の元号の一覧を弟子に託して死んでいくのです。そうして生まれたのが「昭和」です。
しかし、ここで文学における家長の系統が途絶え、国家にかかわる文学者がいなくなったことで、思想としてのリアリズムが欠如して戦争に突入したと猪瀬さんは仰っています。

ある時この文学論に出会い、なるほど興味深いと感心させられたものの、文学が震災で何の役にも立たたなかったことや、文系は理系に比べて何かと下に見られる風潮の背景には、こうした流れが確実に存在している気がします。
何より、その文学を研究している人間(末端の末端ですが)にとってこれは他人事ではありません。
卒論で鴎外を取り上げたのだから尚更です。

以前にも述べた通り、春からは大学院生となりますが、周りの多くは生活者や家長の側に転じていきます。
一方で、そうなれない放蕩息子はそれを眺めているだけで良いのか。その立場に甘んじているままで良いのか。責任ある主体から逃げたままで良いのか。
これまでは社会から乖離していることが当たり前でしたが、これ以上乖離してはならない。
リアルな目線、責任感を持ち、広い視野で文学と向き合っていきたいと思います。

写真は京都駅から見た初日の出です。
今年もよき一年となりますように。