山陰本線京都口!

2011年02月28日 22時01分52秒 | 鉄道関係
昨日も撮影に行っていました。
一昨日も載せた「ありがとうキハ181」号です。
当初復路を撮ることは考えておらず、もし撮るなら馬堀~保津峡かなと思っていたのですが、偶然にもタムさんが同地点で撮影されることを知り、ご一緒させていただきました。
せっかくなので、昨日・一昨日の写真をまとめて載せておきます。このままだとお蔵入りの恐れが…(汗

まずは昨日の分。
馬堀駅から徒歩10分ほど、保津峡側のトンネル近くにある神社からの俯瞰です。


着いてすぐにやって来た「たんば3号・まいづる5号」。
「まいづる」側はTOMIXから製品化されたC33編成。Wパンタの221系普通との離合しました。

しかし、↑のアングルでは鉄橋で足回りが隠れるのが気になったので、神社の奥にある祠を目指して階段を登っていくと、木々の間からカーブの見渡せる新たなアングルを発見。そこで待つことにしました。


そして本番。
馬堀の街をバックに、キハ181系は古巣の山陰本線を名残惜しそうに走っていきました。
この馬堀~保津峡間の車窓は私の記憶でいちばん古い心象風景。そんな場所でキハ181系を見送ることが出来て良かったです。
この後はタムさんの車に乗せていただき、自宅近くまで送っていただきました。いろいろとお世話になりました。

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ここからは一昨日・26日の分です。


立木~安栖里にて、「たんば4号・まいづる2号」です。
ちょうど一昨日の記事にあるトンネルから振り向いたアングルになります。何度か見ていたC33編成を初めて撮影することが出来ました。


続いて立木駅脇の道路から、「きのさき2号・まいづる4号」。
駅の近くですっきりとした編成写真の撮れる場所です。


列車で移動して船岡~園部。
「はしだて4号」です。準国鉄色が青空と緑に映えます。


普通列車の223系5500番台。
流し撮りの練習のつもりでしたが、思いの外上手くいきました。
数ある223系列の中ではけっこう好きな車両です。個人的にはKATOあたりに製品化してほしいなぁと。


最後に、ここでのお目当てだった「タンゴディスカバリー2号」。
ほとんどの撮影者は先ほどの「はしだて4号」で撤収。やっぱり人気が無いのでしょうかね…。

ざーっと、こんな感じでした。
2月もあっという間に終わり。自身の趣味活動の原点に立ち返ることの出来た最後の週末でした。

長い旅路の一コマ

2011年02月26日 23時59分59秒 | 日記
二・二六事件の日です。
天気は晴れているものの、風が強くて寒い。
春らしいといえば春らしい、そんな天気でした。


今朝は4時50分に起きて、久々に始発でGO!
山陰本線を走る日本旅行主催の団体臨時列車「ありがとうキハ181」号を撮るためです。
キハ181系はこのツアーが最後の営業運転とのこと。6両編成は電化前まで走っていた特急「あさしお」を彷彿とさせ、幼少時の記憶を辿ろうと園部以北で撮ることに決めていました。

京都駅の嵯峨野線ホームで始発を待っていると、こないだ一緒に福知山線で撮影をした大学の友達とばったり遭遇!
彼は別の場所で撮影するらしく、途中まで一緒に乗りました。今回の団臨は時間が早い(京都7時半発)ので、列車移動+沿線撮影となると、そこそこ厳しい条件だったように思います。
こちらは園部で乗り換えて、手持ちの片道1110円切符の最北端・立木で降りました。
実は直前まで迷っていたのですが、車窓から立木寄りのトンネルが車窓から気になったので…。

駅を出てからはひたすら安栖里方面に道を進みました。
途中で非電化時代の有名撮影地を見つけるも、ケーブルがかかっていてアウト。
背景の山々など雰囲気はいい場所だったので、また何でもない時に来たいなと思いました。
そして30分ほどかかった辿り着いたトンネルは、レンガ積みのポータルが現存していてけっこういい感じ。
キハ181系の編成写真は「はまかぜ」で十分撮ったので、今日はここで縦位置からトンネル飛び出しを狙うことにしました。

待つこと1時間以上、友達から通過のメールを受け取り、お目当ての「ありがとうキハ181」号が轟音と共にトンネルを飛び出して通過。「あさしお」を模したヘッドマークで、煙を出して加速しながら一路米子へと駆けていきました。
色は変われどキハ181系は思い出の車両。一人で静かに見送ることが出来てよかったです。

すっかり満足した後は立木駅へ戻り、9時台の列車で船岡へ。
友達と再び合流して「タンゴディスカバリー2号」などを撮影後、京都まで戻ってきました。
お互いかなり歩いたせいか、園部から乗り換えた列車では並河から円町までずっと寝てしまい、全く記憶が無く…。
時間はまだ13時なのに、まるで一日中ずっと撮影をしていたような気分でした。

帰宅後、昼寝をしてからはお茶のお稽古へ。
今日は上のお点前に進み、唐物のお茶入を扱いました。
それまでのお稽古と違うところが多く、道具の扱いも特に丁寧になり、一つ一つ気をつけなければなりませんでした。早く慣れたいと思います。
それにしても、入門当時に見ていた他の方がされていたお点前を、いま自分がしているとは何とも感慨深いもの。しかしまだまだこれからです。


写真は安栖里~立木にて、「ありがとうキハ181」号。
束の間の「あさしお」再来。何とも素晴らしい花道でした。

北野ティーセレモニー

2011年02月25日 23時25分03秒 | 日記
今日は暖かくて、ついにPコート着用をやめました。
というわけで今期初の革ジャンですが、それでも暑いくらいの陽気でした。


今朝は10時半に起きて、自転車で久々に大学へ。
何と図書館のマルチメディアルームが廃止されていました。
噂には聞いていましたが、実際にすっからかんになった元・マルチメディアルームを見ると、何とも物悲しい気分になりました。ラウンジのようなものになるそうですが、果たして。
図書館前で友達と合流してからは、食堂で昼食でも…と思ったのですが、残念ながら閉まっていたので、購買でお弁当を買って表のベンチで食べました。

それから歩いて北野天満宮へ。
毎月25日は「天神さん」の日ですが、2月に関しては「梅花祭」があります。
京都五花街のひとつ・上七軒の芸妓さん舞妓さんたちによる野点が行われ、昨年参加したところとても楽しかったので、お茶の先生にお願いして(笑)前売券を2枚いただいたのでした。
混雑する縁日をくぐり抜けて、受付で券と引き換えにお菓子をいただいて、いざ列へ並びます。道真公も愛した梅の花に、舞妓さん芸妓さんによる俳句の短冊がくくりつけられていて、待っている間も楽しませてくれました。

30分後、いよいよ席に入ることが出来ました。
昨年と違って点前座(お点前さんの座るところ)がきちんと見える場所に座れたので、舞妓さんのお点前をじっくりと見ることが出来ました。
自分はこの間の12月がお茶会デビューだったわけですが、舞妓さんはそれ以上にたくさんの人々からの視線(カメラも)が集中するなかで、とても落ち着いたお点前を披露されました。新人とおぼしき舞妓さんもお茶のお運びなどでしっかり活躍されていました。

退席後は撮影タイム。
実はお茶をいただく人より撮影する人の方が多いのですが(汗)、自分も一眼レフの砲列に混じり、気付けば100枚以上も撮っていました。また、昨年よりも外国人観光客の姿も目立ち、京都・お茶・舞妓さん・日本文化といったものがより関心を集めていることも窺えました。そういえば、上七軒の舞妓さんの数が今年は久々に2ケタに到達したのだとか。京都の舞妓さんといえばどうしても祇園がクローズアップされがちですが、京都最古の花街として、これからも続いていってほしいものです。
そして宝物殿を拝観してから大学へ戻りました。友達も満足してくれたようで良かったです。

梅花祭を満喫してからは、また自転車に乗ってバイトへ。
火曜日からそれほど間が空いていないのに、今日はフル回転でした。
算数・数学だけの採点だったはずが、最後の方は国語や英語も担当するようになってきて、19時台がいちばん忙しかったです。
それでも1ヶ月無事にやり切ることが出来ました。採点の方は慣れてきたので、また来月も頑張ります。


写真は梅花祭の野点席の様子。
かつて秀吉が開いた「北野大茶会」に思いを馳せました。

大阪ディナータイム

2011年02月24日 23時31分40秒 | 日記
もうすっかり春の陽気です。
こうなると寒の戻りが怖いところですが(笑)、やっぱり暖かいのはいいですね。
これまでと同じ冬の服装で街を歩いているとすごく暑くなりました…。


今日はまたお昼に起きて少しウォーキング。
日々の食べ過ぎを歩くことで解決している感がありますが、まぁ、きっと何もしないよりはいいのでしょう。
普段ならイオンモールに足が向くところですが、今日は久々にビックカメラに行きました。SDHCカードとイヤホンを買うためです。どちらも表示価格より値段が下がっていて、思ったよりも安く済みました。
それにしても、お客さんが少ないのが気になりました。平日の昼間ということもあるのかもしれませんが、やはりすぐ北にヨドバシカメラが開店した影響でしょうか。あちらは電器以外にもいろいろとあるので、ついでに行く人が多いのかもしれません。
対してビックカメラは京都駅直結を謳い文句にしているものの、嵯峨野線の特急ホームからの接続という微妙なところで、東海道線や奈良線経由だと連絡通路とホームを長く歩かされます。
更に南のイオンモールにはソフマップも入っているので、ここ数年で京都駅周辺はすっかり電器店激戦区の様相を呈しています。それでも、この界隈にいちばん最初に参入したビックカメラには頑張ってほしいところです。

夕方からは電車に乗って大阪方面へ。
少し時間があったので、昼特きっぷを乗り越し精算して立花~尼崎で「はまかぜ4号」を撮影した後、大阪に戻ってヨドバシカメラの前で就職活動中のよしピーさんにお会いしました。
早速夕食ということで、ヨドバシの上に中華料理のバイキングがあるそうなので、そこへ行くことに。ひっきりなしに多種多様な料理が出てきて、デザートも充実していました。わりと早くお腹いっぱいになったのが心残り…(笑
よしピーさんには就職活動のお話など、いろいろと聞かせていただきました。割り勘ながらもかなり負けていただき、どうもありがとうございました。
すっかり食べた後は大阪駅でお別れして電車に乗り、新大阪で「タンゴエクスプローラー3号」を、茨木で「はまかぜ6号」回送を撮影して帰ってきました。


写真は立花~尼崎にて、特急「はまかぜ4号」。
午後は晴れると逆光になる撮影地です。普通電車に被られる寸前でした。

鴨川フリーダム

2011年02月23日 22時13分43秒 | 日記
今日もいい天気でした。
バイトやお稽古が無いとその日の予定を考えるのが大変なのですが(笑)、何もせずに家に居るのはおもしろくないので、何かしらの用事で外には出ることにしています。
朝はとりあえず7時半に目を覚まし、二度寝の後、10時半に起きました。


昼からは自転車で祖母宅へ。
旅行に行ってきたそうなので、そのお土産を取りに行くためです。
行きは梅小路公園で「タンゴディスカバリー2号」を撮って、後は鴨川までひたすら東に進みました。
自転車だと、いつもの街歩きでじっくり眺めているところがあっという間に過ぎ去ってしまうので、何かを発見するという点では少し面白みに欠けます。でも、鴨川の河川敷を風を切りながら走るのはやっぱり気持ちいいものです。
四条~三条周辺では対岸に見えるおなじみの等間隔カップルや、シートを敷いて寝転ぶ外国人観光客、釣りに興じる老人のグループなど、鴨川の持つ文化的な多様性を垣間見ることが出来ました。
そういえば、大学の友達(他府県出身)からも「鴨川の自由さが好き」というのをよく聞きます。
京都人も、観光客も、地方からの学生もみんなが楽しめる場所…そういうところ、鴨川の他には意外と少ないのかもしれません。

祖母宅では、お昼ごはんの後はずっと寝ていました。
朝もよく寝たのに何故かよく寝られて、起きると夕方になっていました。
小雨が降っていたものの、少し待つと止んだのでそのまま自転車で帰ってきました。
雨上がりの夕方の街はどこかいつもと違った感じで、行きと同じく鴨川沿いに帰ろうと思ったのですが、ルートを変更して碁盤の目をジグザグ移動。
京都駅付近で時間を見るとちょうど「スーパーはくと10号」の時間だったので、また梅小路公園で撮ってから帰りました。18時前でも明るくて、(流し撮りですが)撮影可能時間帯となってきたところでしょうか。


写真は梅小路公園にて特急「タンゴディスカバリー2号」。
もうすっかり春の陽気。梅の小路をラストスパート。

撮って歩いて

2011年02月22日 22時54分50秒 | 日記
今朝は7時半に起きました!
やれば出来ます。まぁ、撮影のためなのですが…。
これを機に、規則正しい生活を取り戻すことが出来ればいいですね。


そして8時過ぎの電車で山崎へ。
おなじみ「デイリーヤマザキJR山崎駅前店」を横目に京都府と大阪府の境(用水路のような小川!)を越え、有名撮影地・サントリーカーブの向こうにある百山踏切を目指しました。
そこでお目当てのキハ189系「はまかぜ」回送の他、幾つかの列車を撮影してから、遥か向こうに見える島本駅を目指してウォーキング。
この山崎・島本界隈は車窓からも分かる通り、大勢の人が列車で行き交う京阪間においてのんびりとしたところで、今日のような天気で実際に歩いてみるととてもいい気分になれます。山崎~島本は駅間が比較的短いので、撮影をしながらの徒歩移動もおもしろいかもしれません。

島本駅に辿り着き、駅前のコンビニで水分を調達した後、更に西へ西へ。
今度は有名撮影地・上牧カーブを目指しました。ここもJR・新幹線・阪急が並走する中に畑が広がっていてローカルな風情です。JRをくぐるトンネルにはレンガが使われたものが現存していて、個人的にはとてもそそられるものがあります。
ここでは構図を変えつつ「雷鳥」と「日本海」を撮った後、第二のお目当てであるキヤ141系を撮影しました。

島本駅まで戻った後は、快速で茨木へ。
実は今日のキヤ141系は高槻と茨木でそれぞれ10分ほど停車するダイヤなので、沿線で撮影していても列車での追っかけが可能なのです。
茨木で停車中の写真を何枚か撮り、更に発車直前の普通で千里丘まで先行し、結局キヤ141系を3箇所で迎えることが出来ました。
検測車といえばよく走っているイメージがありますが、イレギュラーな車両は撮れる時に押さえておきたいもの。すっかり満足して、お昼に帰ってきました。

夕方からはバイトでした。
だんだんミスも少なくなってきて、バイトメンバーとも仲良くなって、けっこういい感じです。
でも今日を以って先輩がひとり卒業されたので(もともと、その穴埋めに自分が採用された)、次回からもっともっと頑張らなければなりません↑↑


写真は島本~高槻にて、澄み切った空の下を行くキヤ141系。
東海道を行く短編成。検測車カラーの黄色が目立ちます。

限りある日常

2011年02月21日 21時23分51秒 | 日記
最近、午前中の存在を知らずに一日を過ごしています。
そろそろ暖かくなってきたことだし、朝から撮影に行ってみたい気もするのですが、無理に行くこともないので(笑)、そのまま昼頃まで寝てしまいます。

でも、今日はせっかくの天気だったので昼過ぎから自転車で当てもなく外へ。
久々に大学にでも行こうかと思いましたが、途中で「嵯峨野線で183系を撮ろう!」と思い、円町から進路を変えて花園方面へ。
日陰以外は暖かく、ホントにいい天気でした。


まずは花園黒橋。
ダイヤ改正で消えるA+C編成の「たんば3号・まいづる5号」です。
晴れなので側面は陰になりますが、背景の大文字がくっきり見えていい感じです。


次に太秦駅東の踏み切りから。
B編成の「きのさき6号」を後追い。


そして野々宮。
先ほどの折り返しの「はしだて5号」です。(トリミング済)




最後に梅小路公園で「たんば5号」「まいづる7号」。
紅梅・白梅がちょうど見頃近しといったところで、桜に代わってA+C編成のラストを彩ってくれそうです。

生野の道も遠ければ

2011年02月19日 23時59分59秒 | 日記
今日はずっと模型製作(四国2000系)でした。
2000形にようやく屋根が付いて、2200形も切り出しが終わり、けっこう進んでいます。
工法は確立出来たので、こうなると試作車TSEやN2000系2458形など異端車も作ってみたいところです。まぁ、まずは完成してから考えることにしましょう。


さて、昨日の京都新聞のニュース。
たまには市内から外れて府下のニュースを見てみましょう。
そう、京都学も京都市内だけの学問ではないのです。市外にも課題はたくさんあります。

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天橋立、「のこぎり状」砂浜をなだらかに
http://www.kyoto-np.co.jp/environment/article/20110219000118

 砂浜の浸食が長年の課題となっている国の名勝・天橋立(宮津市)で、府が海岸線を美しく整える取り組みを進めている。戦後、浸食防止のために設けられた突堤によって「のこぎり状」になってしまった砂浜を、海流を緩める潜堤(せんてい)を設置することで、本来のなだらかな砂浜を取り戻そうとしている。
 天橋立では、漁港の整備や河川改修などで砂の供給が滞り、昭和初期から砂浜がやせ細る現象が見られ始めた。府は1951年から砂を定着させるために、天橋立から直角に延びる石組みの突堤(長さ15~30メートル)を多数設置したが、突堤の北側には砂がたまる半面、南側は海流によってえぐられてしまい、不自然な海岸線が「天の串(くし)刺し」ともやゆされる状態になった。
 そこで府は、突堤の先端近くの水中で石を組み、半径約20メートルの扇形にした潜堤を設けて海流を操作する実験を1991年から始めた。突堤南側にも砂が残る効果が見られたことから、数を増やして昨年度に全11カ所での設置を終えた。
 府丹後土木事務所によると、潜堤の設置により、えぐられた突堤南側の波打ち際が平均4~7メートル前進する現象も見られ、「季節による変動は大きいが、期待した効果が出始めている」(管理室)という。
 本年度は、天橋立北端に年間4千~5千立方メートルの砂を投下して砂を供給する「サンドバイパス事業」を一時休止し、潜堤自体の効果を検証する予定で、「美しい海岸を取り戻したい」(同室)としている。

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「天の串刺し」は初耳でした!
上空から見てみるときっと分かりやすいのだと思いますが、言われてみれば確かに!といった感じです。自分はよく松林を歩かずに端の砂浜を歩くのが好きなので(笑)、行くたびに海岸線が歪んできたという印象を抱いています。小式部内侍も嘆いていることでしょう。
記事によると以前から対策はされていたものの、石組みを増やしたことでようやく目に見えるような成果がようやく出てきたといったところでしょうか。
立派な日本三景に砂を供給するのはいかにも人工的ですから、この海流を操作する方法で、何とかして自然の力だけでまた美しい姿を取り戻してほしいものですね。


写真はもう一昨年の分ですが、岩滝口~天橋立にて特急「タンゴディスカバリー2号」。
今年は大阪への定期直通列車の消滅や廃線の検討など厳しい一年になりそうです。がんばれKTR!

2月の模型進捗状況 その2

2011年02月19日 23時42分41秒 | 鉄道模型/製品レビュー・小加工など
今日も街歩きをしてきました。
かなり長距離を歩いたので最後はバスの中でずっと寝ていましたが、メインストリートのすぐ裏側にこんな風景があったのかと、驚きの連続でした。
また、御池通にある神泉苑にも少しだけ入りました。太古の昔、京都が海の底だった名残と言われています。


さて、春休みなので模型製作もそこそこ進んでいます。いくつか紹介します。


キロ65形「ゴールデンエクスプレス・アストル」が完成したのは以前お伝えした通りです。


街歩きのついでに(笑)、KATOのキハ110を導入しました。
ついに東日本の車両に手を出してしまい…昨年から、旅先でよく見かけるようになったのが導入のキッカケです。
当分はこのままですが、何とかして急行用の0番台に改造出来ないかと考えています。将来的には快速「南三陸」などを再現したいですね。


続いて製作中の四国2000系です。
製作を再開して、2100形の側板が出来上がってきました。
連窓の車両なので切り出しは楽なものの、これでフルスクラッチの腕を上げたいと思っています。台車は近似の京王TSから。


最後に津川洋行のキハ10です。未塗装キットを格安で手に入れました。
もちろん隣のキハ09のお供に、加悦鉄道キハ10 18とする予定です。
素組みでは物足りないので、手すりの追加など細かなディテールアップをしてキハ09と同レベルまで持っていきたいです。

足の下の力持ち

2011年02月18日 23時31分42秒 | 日記
2月も気付けば半ばを過ぎまして、改めて時の流れの早さに驚いています。
カレンダーを眺めていると、2月と3月の日の配列が全く同じことにも気付きました。管理人の星です。


今朝は10時半に起きました。
すっかり春休みの過ごし方が板についた感じですが(ダメじゃん)、京都新聞を読むことは欠かしません。
毎日何かしら地域ネタがあるので、感想がてらこのブログの記事にもなるという…。
というわけで今日も一つ。

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東山の石畳を全面交換へ 京都市新年度から
http://kyoto-np.co.jp/politics/article/20110218000029

 京都市東山区の観光スポット周辺の石畳の道路が車の通行で損傷が激しいため、市は新年度から石畳の全面取り換え工事を始める。新しく舗装し直し、京都らしい風情のある景観の復活を目指す。
 市は1995年ごろから電柱の地中化工事に合わせ、東山区の観光名所の周辺道路を石畳にした。しかし、耐久性が不十分なため、車の重みに耐えられずに石畳が割れたり、位置がずれるなど損傷が目立っていた。
 市は損傷部分をアスファルトで補修してきたが、白を基調とした石畳の中に黒いアスファルトが点在し、「景観を損ねている」と地元住民からも苦情が出ていた。
 このため全面改修する。舗装をいったんすべて撤去し、緩衝材を入れて補強する。新年度一般会計当初予算案に8500万円を盛り込み、特に傷みが激しく、景観上重要な法観寺の八坂の塔を仰ぐ八坂通(延長140メートル、幅3・5メートル)と、お茶屋が立ち並ぶ新橋通(延長35メートル、幅10メートル)を新しい舗装にする。
 市によると、新年度に取り換える部分は対象の4分の1程度で、2012年度以降も順次改修を進める。
(後略)

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石畳の改修だそうです。
最近はこういうところにも気を配るようになってきたんだなというのが正直なところで、けっこう感心しています。花街としてはその機能を終えた島原さえも石畳「風」ではありますが、路面の工事がなされたばかりです。
きっとこれも観光都市として成長してきたからこその結果でしょう。もちろん放っておいても観光客は訪れますが、迎える側も体制を整えるという双方からのベクトルが近年になって成り立ってきたのは喜ばしいことなのかもしれません。

が、この石畳って京都市電のものも含まれているような気が…あまり深くは調べていませんが、もし含まれていれば、市電の置き土産がゴソッと失われてしまうわけで、ちょっと寂しいものがありますね。
もともと良質の御影石だったことから京都市内あちこちの路面に転用された石畳ですが、そろそろ耐用年数を迎えたということでしょうか。まぁ、哲学の道やR大学(ぉ)のものはまだまだ健在でしょうから、今後はそちらで思いを馳せることします。
そういえば、清水の舞台が観光客のヒール等で傷付いている問題は何処へ行ったのでしょう?

夕方からはまたバイトでした。
回を重ねるごとに慣れてきて、子どもたちにもだんだん名前と顔を認識してもらえるようになってきました。
今までの単発アルバイトは終了後に「あぁー」みたいな、すぐにでも横になりたいような疲労感があったのに対し、こちらは適度な疲労感で終わるのがいい感じです。


写真は先月に訪れた新橋通。
京都は全てが古いままではなく、この石畳が新しくなるように、日々再生・更新していく街なのだと思います。

好きなこと

2011年02月17日 23時55分58秒 | 日記
3月下旬並みの気温ということで。
天気はイマイチだったものの、外には出やすい一日でした。


今日も昼から街歩き。
行くところは同じでも、途中の道をいつも違えています。
幸いにして京都は縦横無尽に道があるおかげで、ルートを何通りにでも設定出来ます。おかげで「初めて通る道」のワクワク感が消えることはありません。
そうやって点(家)と線(目的地)を増やして徐々に徐々に面にしていくわけですが、なにぶん道が多いので効率はあまりよくありません。
それでも、メンタル・マップを拡大するのが好きなのです。

目的地はまたイオンモール。
ポポンデッタと大垣書店にずいぶん長居しました。平日だと人も少なくて落ち着きます。
先日「アストル」が完成したことで自信がついたので、自作車両を増やしていこうと考えています。
フルスクラッチの四国の2000系、セミスクラッチのキハ122などなど…製品化発表されていないキハ189系やキハ126系なども作りたいところです。
一から模型を作るのって、文章を書くこと(例えば、レポートを書くこと)や、街を歩くことに似ているなぁと思います。
同じことをしているように見えて、内容はいつも違う。要は、自分はそういうのが好きなんでしょうね。茶道もそうです。あと、バイトも。
だからこそ一期一会の気持ちを大切にしなければいけない。忘れそうなので今ここに書いておくことにします。

それからまた歩いて、久々に東福寺付近の陸橋でキハ85系の団臨を撮りました。
途中で鴨川の橋を渡る時にカラスの襲撃を受けました。頭をちょっとかすっただけなのですが、どうやら縄張りに入ってしまったそうです。
そういえば昨年の5月29日にも天橋立で鳥に襲われました。あれから少し鳥に恐怖心を抱いているのも確かです。
それにしても、いきなり頭上を後ろから襲うのは卑怯だと思います←

夜は久々に家族3人で王将に行きました。
いっぱい食べました。「これだけ食べられる」というのに驚いた感じです。
定期的に街歩きはしていますが、くれぐれも食べすぎには気をつけたいもの。


写真は京都~山科にてキハ85系2連の団臨。
3~4両の「ひだ」とは違って、何ともかわいらしい編成です。

謎や疑問を徹底的に…

2011年02月16日 23時59分59秒 | 日記
ようやく暖かい日が訪れました。
北野天満宮の梅の咲き始めのようで、梅花祭の行われる25日頃にはちょうど見頃になるでしょうか。期待しています。


最近は11時起きが多いのですが、今朝は起きると大学の先生からメールが届いていました。
レポートをやりたい放題書いたせいか(笑)、反射的に「うわっ何か怒られる!」と思ったのですが、ところがどっこい、だいぶ前に提出した感想に添えていた質問についての回答でした。
それは12月15日の記事でも取り扱った「配膳さん」という職業に関しての話。この時が初耳だったのですが、京都にしかない男性限定の職業として紹介されました。
しかし、花街で働く男性といえば私は「男衆(おとこし)さん」という職業のイメージがまず強く、両者は別々の職業なのかどうか気になっていたんですね。

そこで質問をさせていただいた次第なのですが、花街のプロである先生、実際に祇園新橋で芸妓さんを兼ねる現役の経営者の方にインタビューされたそうです。それによると、

「男衆さん」は舞妓さんたちの着付けや、身の回りの世話をする役回り、
「配膳さん」は紋付袴姿で寺院や料亭の茶会・宴会など、比較的大規模の集まりで料理の配膳を中心に様々な差配をする役回りとのことです。

なるほど、このような違いがあり、別々の職業ということが分かりました。
男衆さんは1対1で接することが多いのに対し、配膳さんの活躍場所は広く、文字通り配膳を主とした職業。大体このような認識でよろしいでしょうか。男衆さんは先日の「情熱大陸」でもクローズアップされていましたね。
質問した当人もすっかり忘れていたのに、わざわざ丁寧に回答をくださった先生に感謝です。来年度はこの先生のゼミが開講されないことがつくづく悔やまれます。

昼からは、一念発起して自転車でGO!
最近歩いてばかりいたので、自転車で風を切るのがやけに新鮮でした。
碁盤の目をジグザグジグザグ、50分ほどかけて着いたのは北山の府立総合資料館。
ここは京都に関する資料なら何でも揃う場所なので、とりあえず困ったらココ!という感じです。
色々と物色した後、2万5千分の一地形図の「京都西南部」と「京都東南部」を年代別に2種類ずつコピーしました。昭和10年に「京都大水害」があったので、その前後では川の流路がまるで違うということを実際に手元で確かめたかったのです。
ただ、2万5千分の一では少し見づらい箇所もあり、今回のような全体的な変化を知るには向いていますが、やはり普段の街歩きをするには住宅地図(昭和30年代以降)が最適かなと思いました。今度はまたじっくり訪れることにしましょう。

それからお茶のお稽古へ。
17時前から20時過ぎまで、3時間半ほどみっちりお稽古でした。おかげで足が痛い。
前回あたりから徐々に新しいところに入ってきたので、頑張って覚えていこうと思います。
…と言いつつも、次はまたしばらく空くのですが。


写真は、先日訪れた南禅寺水路閣。
いつか彼女ができたら、ここでモデルさんになってもらって写真を撮るのがささやかな夢。

キリンモール

2011年02月15日 23時59分59秒 | 日記
そろそろ暖かくなってほしいものです。
春休み中なので地元沿線での撮影に出かけたいのですが、この寒さでは足が遠のいてしまうばかりで…。
大山崎界隈で増結6連の「はまかぜ」を撮りたい気分です。


さて、またまた地域ネタ。
10日の京都新聞ニュースより。

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キリン京都工場跡地、イオンに売却を発表
http://www.kyoto-np.co.jp/top/article/20110210000188

 京都市と向日市にまたがるキリンビール京都工場跡地の再開発をめぐり、再開発事業主体のキリンホールディングス(東京都)は10日、跡地の一部約8万4千平方メートルを流通大手のイオングループの開発・運営子会社イオンモール(千葉市)に売却すると発表した。売却金額は明らかにしていない。両社は複合商業施設の開発に合意、2日に売買契約を結んだ。用地は6月に引き渡される予定。
 用地は跡地の北西部分で、府道を挟む。すでに進出を決めている健康機器製造オムロンヘルスケア(1ヘクタール)の西、真言宗京都学園(1・9ヘクタール)の北西に位置する。JR桂川駅と直結する歩行者デッキ用の土地も含む。
 同工場は1999年に閉鎖した。跡地は約22ヘクタールあり、キリンは2003年に開発構想を策定した。跡地の残り約6・8ヘクタールは主に高層住宅とオフィス用地にする予定。
 イオンモールは「商業施設の規模や開業時期などは未定だが、地元に喜んでもらえる施設をつくりたい」としている。

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電車の窓から見るたび、どう利用されるのか気になっていた広大なキリンビール跡地。遂に来たか!という感じです。イオン以外にも利用されるのですね。
「複合商業施設」ということはいまの京都駅のイオンモールのようになるのでしょうか。ちょっと距離的に近いような気もしますが、桂川(川の方です)を挟む異なる生活圏同士なので、特に問題は無いでしょう。
桂川駅からは向日町駅が目と鼻の先ということや、「京都市と向日市にまたがる~」という記事の通り、両市からの客を取り込めるところにいろいろな可能性を秘めていると思います。長く歩かされる京都駅と違い、駅に直結する形となるところもメリットかもしれません。また、効果的なフィーダー輸送をしているバス路線も乗客増が期待出来るのではないでしょうか。
どんどん変わる京都市の南部。この地にいちばん最初に目をつけて洛西口駅を開業させた阪急電鉄はスゴイなと思いました。

夕方からはバイトでした。
今日から教室の空いている時間いっぱい入ることになったのですが、先週の金曜日は祝日休みだったために、1週間分の宿題をどっさり持ってきた子どもたちの採点に追われました。
(時計を見る暇も無かったので)おそらく6時台がいちばん忙しかったと思いますが、時間が過ぎるのはあっという間でした。採点スピードも少し早くなってきた気がするので、この調子でいきたいですね。


写真は伊丹~猪名寺にて、特急「タンゴエクスプローラー2号」。
実質定員1名の場所。晴れると側面が陰になりますが、6連の迫力は出せたかな?

キロ65形「ゴールデンエクスプレス・アストル」 完成

2011年02月13日 22時02分17秒 | 鉄道模型/単発ものいろいろ
何の脈絡もなく…(^^;

金沢支社のジョイフルトレイン「ゴールデンエクスプレス・アストル」。
実車は1988年に松任工場で改造されました。当初は名前の通り金色を纏っていましたが、1997年にリニューアルされオレンジとクリームに装いを一新。
老朽化していた中間車は差し替えの上新たに改造され、2006年度末まで活躍していました。関西地区にもよく来ていたので、自分も何度か見たことはあります。

製作自体は今から遡ること2年以上も前の高校時代。
資金不足のためにケント紙で車体を作りました。天井板を一体としたペーパールーフ構造や、溶きパテで表面処理を行うなど、試作的要素もいろいろと取り込んだ覚えがあります。
高校卒業までにボディは完成していたものの、そのまま長らく放置。重い腰を上げて昨年6月に塗装を済ませるも、また長らく放置が続きました。
しかし最近、意外にも頑丈なペーパー製のボディを見るにつけ、「未完で終わらせるのはもったいない!」との思いが強くなり、下回りを揃えて一気に完成させました。


全景です。
これが今年初の落成になるとは思いもしませんでしたが、長期仕掛かり品を完成に持っていくことが出来て一安心…。


特徴的な展望部分。全てペーパー製です。
ペーパークラフトの要領で図面を書いて組み立て、瞬間接着剤を十分に染み込ませて削り出しました。
更にボディ全体にも溶きパテを塗布して表面処理をしているので、実はプラ板並みの強度を持っています。


中間車のキロ29 554。
下回りはTOMIX製キハ58(旧製品)をそのまま使っています。よって床下機器は異なりますが、旧動力の特徴なのか、実車さながらの轟音を立てて走るのがおもしろいです。


床下はかなり適当です。
台車はTOMIX製キサシ180から、エンジン部分だけKATO製キハ40を流用し、他はプラ板等で作った箱だけを配置しました。雰囲気モノですね。


内装もそれらしく作りました。
スチレンボードをベースとして、シートはTOMIX単品ケースの中敷を切り出して製作、仕切り等はプラ板からです。
さりげないものですが、外からチラッと見えると嬉しくなります。


最後に走行シーン。
ペーパーでの車体製作は今までにも何度かトライしてきましたが、途中での挫折を数多く経験しました。単調な作業が続いたり、大きく失敗したり…。
それでもこうして形になったものを走らせると製作の疲れが吹き飛びます。省略したところは多々あれど、少ない費用で紛れもない「アストル」を手に出来たからでしょうか。そういう意味では、ペーパー製作の醍醐味を存分に味わうことが出来たと思っています。