休日午前に3本のみ! 京都バス45系統に乗る

2014年04月29日 23時32分53秒 | バス関係
無事に4月を乗り切ることが出来ました。
やはり新年度は慌ただしいもので、GWを通してじっくりと振り返ったうえで、今後の道筋を確かなものとしていきたいと思います。
そして久々のPC更新、やはりこちらの方が楽ですね。

今朝は時間が合ったので京都バス45系統を利用してみました。
岩倉村松から京都駅を結ぶ同系統は烏丸通をひたすら縦断するのが特徴ですが、地下鉄が並行しているために年々便数が減少、昨年11月のダイヤ改定では遂に北行が廃止となり(最終便に乗車した際の記事はこちら)、休日午前に南行が3本のみ運行される、もはや免許維持路線に近い存在となっています。
しかし運賃は地下鉄より安く(例:北大路→京都、バス230円・地下鉄260円)、荷物も多かったことから、明らかに空いていそうな(笑)同系統を選んだ次第です。


四条以北の烏丸通を走るバス路線は少なく、とりわけ烏丸紫明(バス停はなし)~烏丸今出川間では45系統が唯一のバス路線となります。停車するバスがなくなった北行バス停も標柱は残されている(休止中との表示アリ)ことから、いつかの復活を期待してしまいますが、果たして。

乗客は数人、京都駅までこのままかと思いきや、地下鉄駅から離れている停留所からの乗車、そして四条烏丸からの一日乗車券利用による観光客の乗車もあり、最終的には10人前後の乗車で京都駅に到着。
烏丸通南行は終始スイスイ進んだものの、反対の北行車線は既に渋滞が始まっていました。


京都駅到着後は少しバックして待機。おそらく17系統あたりに化けて折り返していくのでしょう。

この日の所要時間は、乗車した洛北高校前~京都駅で約25分。地下鉄が北大路~京都を約15分で結びますから、運賃はもちろんのこと、乗り換え時間等も含めるとなかなかいい勝負です。とは言えこのダイヤ設定では勝負するまでもありませんが(笑)、これからも穴場のような存在として密やかに存続してもらいたいものです。

ひそやかな柳の木

2014年04月25日 23時59分21秒 | 日記
ようやく金曜日。
新年度の生活パターンにも慣れつつありますが、その最中で感じたことは追い追い長文にしたためていきたいと思っています。


写真は本日分、出町の加茂川・高野川合流点上空を飛び交う鳶たち(判別しやすいよう画像加工済)。
最近目に見えて数が増えました。恐怖を感じるレベルなので、河原での食事はもちろん、食べ物(特に袋入りなど)を持ち歩くことも控えた方が良さそうです。

七条大橋を渡れば

2014年04月23日 23時49分38秒 | 日記
澄み渡る青空、心地よい陽気。


大学への道すがら、いつもより早く家を出たこともあり、つい河川敷のベンチで5分ばかりぼーっとしていました。(笑)

さて、研究室前のラックに、こんな冊子が挿さっていたので一部ずつ頂戴。


七条大橋と、その界隈にかんする2冊子です。
鴨川に架かる七条大橋は1913年竣工、その堅牢さと明治の趣残す洒落たアーチが特徴で、三条や四条とは異なる川面の風情、垣間見える京都タワーと共に私もお気に入りの橋となっています。
左側の冊子、「七条大橋百年物語」には「現在の七条大橋は、京阪電鉄の地下化工事に伴って疏水が暗渠となり、疏水上の1スパンが撤去されました」とありますが、京阪地上時代を知らない私はこの記述に驚き。当たり前と言えばそれまでですが、よく通っていながら全く気付きませんでした。

また、界隈には旧・柳原銀行をはじめ、古い建築物が点在しているものの、あまり知られていないのが残念。
こうした事例は京都駅という大ターミナル駅の至近にあってはなかなか貴重なのではないでしょうか。


画質が悪いですが、同橋を捉えた画像が携帯にも1枚だけありました。
これからの時期、街歩きが更に楽しくなりそうです。

激動の一週間

2014年04月19日 01時39分59秒 | 日記
新年度が本格的に始動して最初の1週間がようやく終わりました。
何かと「掛け持ち」していると時間や体力やお金があっという間に削られていくもので……。
早く新しい生活リズムに慣れたいところです。

しかし、移動の合間には、




そろそろ引退の報せも聞こえてきそうな旧い私鉄車両との出会いもあり、ささやかな楽しみとなっています。

吉野太夫花供養

2014年04月15日 01時30分22秒 | 京都
13日(日)は久々に北区鷹峯(たかがみね)の常照(じょうしょう)寺へ。
ここでは例年、吉野太夫花供養(墓所がある)と合わせてお茶会が開かれているのですが、今年は初めて「太夫道中」を見に行きました。


バスを降りると既に交通規制が始まっていて、周囲には黒山の人だかり。
番傘の下に3人の太夫さんがいらっしゃいます。




人垣をするすると回り込んで。
源光庵前から常照寺までの僅かな距離を、ゆっくり、ゆっくりと歩いて行かれます。ちょうど前日に放映されたNHKの番組で太夫さんが登場されたこともあったせいか、大勢の観光客で賑わっていました。


鷹峯源光庵前で抑止中の6系統(これに乗ってきた)と、太夫道中の列。
京都のバスはこうした年中行事と絡めて撮れるのが最大の魅力でしょう。バスに乗っていると謎の年中行事(しかし、その地域では言わずもがな大切な伝統行事である)に出くわすことがありますが、その際にはこうした抑止や徐行を強いられることもしばしばです。もちろん、規制解除後は警官の誘導で速やかに走り去って行きました。


太夫道中が山門を入ったのを見届けて、私も境内へ。
撮影禁止となっているので写真はここまでですが、かの吉野太夫が寄進したといわれる山門、色褪せた朱色が魅力的です。
お茶席は全部で3つあり、全て回ったのが13時半。予想以上の人の多さで時間がかかりましたが、野点席では運よく太夫さんのお点前も拝見することが出来、貴重な経験となりました。

帰路は徒歩で千本北大路まで。
この鷹峯界隈は学部2回生時のフィールドワークの授業で取り扱ったことがあり、それ以来(4年ぶり)の訪問となります。
当時を思い出しながら歩いてみましたが、全体的にはあまり変わっていない印象。古くからの農家を思わせる家々も健在でした。


ちょうど6系統がやって来ました。
鷹峯街道を走るバス路線(6系統・北1系統)は狭隘路+急坂が何よりの特徴ですが、いずれも基本的には中型ロング~大型車が充当、それらが時間4本程度の高頻度で走る様子はいつ見てもインパクトがあります。


松野醤油店。お醤油の香りが漂ってきます。


これは小高い丘……のように見えますが、実は豊臣秀吉が都の城壁的役割として築いた「御土居堀(おどいぼり)」の遺構。言わば洛中と洛外とを隔てる壁です。
最近になって歴史番組等でも脚光を浴びるようになってきましたが、それでも知名度は今一つのような気がします。現在こうした遺構として残っているのはごく一部ですが、市内各地の地名や地割にその名残りを留めていて、南区東寺付近にはその名も「御土居」バス停が存在したりもします。
また、この向かいには光悦堂という和菓子屋さんがあり、お土産に名物・御土居餅を購入。かつての農村を思わせる素朴な味わいでした。


こちらはコンビニの一角に佇む石碑。この付近が徳川幕府の薬園跡であったことを伝えるものです。
豊臣時代は御土居堀、徳川時代は薬園と、一般的には光悦寺や源光庵のイメージが強い鷹峯地域ですが、隣接する紫野地域と合わせて「紫鷹学(しようがく)」という学問を指す言葉もある通り、京都のなかでも歴史的に非常におもしろい地域であることを改めて実感させられる訪問となりました。

春を詰め込んで

2014年04月11日 01時16分43秒 | 京都
4月も早いもので10日が経過。
いよいよ新たな日常生活が始動し、心身ともに活気を帯びつつあるここ数日でございます。

さて、冬に戻ったかのような強烈な冷え込みに見舞われた先週末、地下鉄の一日乗車券(600円)を片手にお花見を楽しんできました。
この時期のバス移動は天候に関わらず「危うい」ので、少々の制限はあれどプラス100円で地下鉄移動が賢明です。

まずは北山駅で降りて植物園へ。
京都駅から僅か20分ほど、この時点でも10時半なので園内は空いていました。


ここは地元の人間にはよく知られた穴場(矛盾)ですが、毎年見事に咲き誇ってくれます。
前回訪問は2年前のライトアップでしたが、今度は昼間の訪問ということで園全体を回って楽しむことが出来ました。


それでもお昼頃になると目に見えて人が増えて来たので、昼食を済ませてから次の場所へ。


移動の合間には北8系統で運用中の344号車に遭遇。
富士重ボディ自体が少数派の京都市バスですが、それが烏丸営業所ともなれば唯一の存在です。

そして、工芸繊維大学や左京区総合庁舎を横目に疏水分線の桜並木へ。
天気も回復して良い感じです。


ここは駅からも少々離れているうえ、ブルーシートを敷いて云々……なんてことは出来ない閑静な住宅街なので例年とても落ち着いています。歩いて楽しむ向きには絶好の場所でしょう。


時折この界隈を散歩して「マイ哲学の道」としている私ですが(笑)、この水は遡れば南禅寺・哲学の道・北白川界隈から「北流」してここまで来ているわけで、ここは言わば下流。因みにこの後は加茂川をサイフォンで越えて堀川へ至っています。

そうして北大路まで歩いて地下鉄に乗り(途中、加茂川に架かる北大路橋からも良い景色が望めました)、烏丸御池で乗り換えて東西線で三条京阪へ。階段を上り下りする乗り換えは煩雑ですが、号車を選べば空席にも容易にありつけますし、バス移動よりは大幅に時間を節約出来ます。

三条京阪からジグザグと進んだ祇園では……


都をどりを鑑賞しました。


実は当初の予定には無かったのですが、不思議な力が働いたおかげで(謎)、まさに棚からぼた……桜餅。
あの「ヨーイヤサァー」から始まる舞踊はそれはもう見事で、一時間は瞬く間に過ぎて行きました。
今回は4500円の特等席でしたが、決して出せない金額ではないので今後の恒例行事化も検討中です。(笑)


そうこうしているうちに日が暮れ、最後は高島屋の中原淳一展へ。
抒情画家が好きというのは男性ではなかなか少数派なのかもしれませんが、周りの女性の影響や(笑)、比較的コンスタントに催されていることもあってついついチェックしてしまいます。


デザインを復元した衣装。こちらは撮影自由となっていました。
現代でも遜色ないデザインなのが凄いところですが、やはり三次元となると魅力が増しますね。
百貨店の催事場ながら点数が非常に多く、かなり見応えのある展示でした。

文字通り「春」を一杯に詰め込んだ一日となりましたが、予想外の都をどり鑑賞も加わってプランとしては大成功、そして移動に地下鉄を利用したおかげで各所での滞在時間を長くとることが出来ました。地下鉄にしてもバスにしても増税後は通常運賃だとどうしても割高感を抱いてしまうので、引き続きこうした一日乗車券類を有効に活用した京都巡りを実践していきたいものです。

【単発】オハネフ12タイプの製作

2014年04月06日 01時56分59秒 | 鉄道模型/単発ものいろいろ
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今年度初の落成車両です。


GMキットからオハネフ12(タイプ)を製作しました。
「タイプ」と銘打ったのには訳がありまして、純粋なオハネフ12のキットが手に入らなかったため、止む無くオハネ12のキットを改造したことに因るものです。故に細かな窓割りや屋上機器が一部異なっていますが、なにぶん実車を知らないのでそこは妥協ということで……。(笑)


単色の車体なので、うちでは珍しく各種表記類をきちんと打ちました。サボは「急行」で代用、車番は2022番を選定。
画像では鮮やかですが、つや消しクリアーで保護塗装したので実際は色褪せたような風合いになっています。


GMキットはよく腰高と言われますが、試しにKATOの12系と連結してみると丁度良い高さだったので、今回はそのままに。
しかしGMキットの10系客車は窓やサボ位置が全体的に低いですね。言ってしまえばGMらしさ、古いキットらしさではありますが、どうもトイっぽく見えてしまいます。


懸念していた屋根塗装は、グレーを吹いた後に黒をまぶすような感じに(遠くから)薄吹きすることで汚れを表現。
スプレーなので運に左右されるところが大きいのですが、何とかそこそこの汚れ具合になってくれました。

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以下、製作中の画像を何点か。


改造点は妻板に集中します。
なかでもテールライトの設置が目玉ですが、干渉する銘板やリブを削って穴を開け、先端を丸く削ったプラ棒を差し込むことで再現しています。点灯化も考えたのですが、出来るだけ素組みしたかったので今回は非点灯ということで。


その分、端に立つので連結器周りは細密化。
KATOカプラーに真鍮線を通して床板に結わえて(ボディマウント化)、他キットから流用した胴受けを配置し、ケント紙で端梁も再現しました。


室内はキット付属のオモリ隠しを兼ねてプラ板でそれらしく簡単に作っておきました。細かく作りこむとなると完成品から流用した方が早いのかもしれませんが、寝台が仕切られ、通路が片側に寄せられている雰囲気は出せたかと思います。

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そして仕上げ。


寝台側の一部客窓にはグレーの紙を貼り付けてカーテンを再現しました。


真鍮線でホース類や転落防止の鎖を、貫通路にはベージュの紙を貼って化粧板を再現。
少しの工夫で編成が引き締まって見えます。昔の客車列車はこうしたスタイルが当たり前だったのですね……。

かくして落成したオハネフ12「タイプ」、当方ではこれから12系を連結して「山陰」最末期の様子を楽しもうと思いますが、長距離鈍行や夜行列車自体が衰退しつつある現在、18きっぷを友として旅を繰り返す身としては、両者を併せ持った「夜行普通列車」というジャンルに強い憧憬の念を覚えずには居られません。

街は春色

2014年04月03日 23時06分11秒 | 日記
京都の桜もほぼ満開を迎えています。
週末にかけて見頃かと思われますが、今後の天気が心配なところですね。

運用復帰ということで(謎)、今日は久々に大学へ行くとものすごく疲れました。
例によって新入生やサークル勧誘などで賑わっていましたが、未だに新歓のビラをもらうというのはどうにかならないものかと……。(笑)
それでも道中では桜の写真を数枚収め、本格的な春の到来をようやく実感することが出来ました。


写真は隠れた名所・右京区花園の法金剛院から捉えた特急「はしだて5号・まいづる5号」です。
久々に寄ったのですが、近くの丸太町通に架かる歩道橋が撤去されていて景観が少しすっきりしていました。

帰還、そして

2014年04月01日 22時10分30秒 | 日記
4月1日、新年度の幕開け。
私にとってはある意味リスタートの一年、このブログの今後の更新頻度や文章量にも変化が現れるかもしれませんが、細く長く続けていこうと思います。(笑)


そんなことを言いつつ、実は年度を跨いで旅をしておりました。
早朝5時半の姫路駅で迎えた、新しい夜明けです。