市電デザインICOCAを買う

2018年12月26日 23時59分04秒 | 日記
クリスマスも終わり、平成30年も押し迫ってきました。
総合的に振り返ってみれば、この一年は公私ともに良い一年だったように思います。
「私」の部分においては、日帰りで撮影や旅行に多く出かけたこともあり、冬休みの間に少しでも旅行記を公開できればと思っていますが、果たして。(笑)

さて表題の通り、24日に京都市交通局から発売された、明治150年記念「市電デザインICOCA」を京都駅で買い求めてきました。
記念とは言いながら市電そのものが今は存在しないのが何とも皮肉ではありますが、定期券に載せることもできるようです。昨年は市バス通勤でしたから、その時に欲しかったかも。(笑)
先着でパスケースのセットもあったのですが、出遅れたので券売機で通常発売分を購入しています。


券面を眺めてみますが、昭和36年、この年に廃止となった市電北野線(ナローゲージで有名ですね)が、二条城前の東堀川通を走る写真がデザインされています。奥に見える市バス群はこれから押し寄せるモータリゼーションの象徴でもあり、まさに川端康成が『古都』で描いた過渡期の京都の情景と言えるでしょう。

そして、もう一つ着目したいのが「川」の表情。
堀川の水源が絶たれてコンクリート三面張りになるのが昭和38年ですから、この頃の堀川は悪臭や虫の発生で相当汚かったと考えられます(市内各地の小河川もおそらく同様でしょう)。北野線廃止は8月1日なので、雑草の伸び具合から撮影時期は春から初夏あたりでしょうか。現在は水源が復活し遊歩道も整備されていますが、様々なものを失い、一方で蘇らせてきたのも150年の歴史なのです……。

名松線に乗る

2018年12月06日 02時11分10秒 | 旅行記
12月に入りました。
今年の出来事は今年のうちに、と思い、「夏の」18きっぷ消化の旅についての備忘録を記しておきます。
今から3ヶ月ほど前、9月9日の出来事です。

さて近場の路線は大体乗り潰していますが(その割に和田岬線や羽衣支線は未乗ですが)、一定の距離があり長らく未乗だった路線が三重県を走るJR東海の名松線でした。近年では災害不通から復活を果たしたのも記憶に新しいですが、それ以降はとくにこれといったニュースを聞くこともなく、平凡な日常が流れているようです。
いつかは乗りに……と思いながら月日が流れてしまいましたが、ネックになっていたのが18きっぷ(JR)で三重県入りする場合の何度にも及ぶ乗り換えの面倒臭さで(コスパと接続の良さは重々承知ですが)、まぁそんなことを言ってしまうと何処にも行けないのですが、とにかく朝はゆっくりしたい、行きは楽をしたいので近鉄で。(笑)




「伊勢志摩ライナー」のデラックスカーに身を委ねて松阪を目指します。乗るのは小学5年生以来でしょうか(当時乗ったのはもちろん普通車)。京都市内の小学校では高学年になると学校行事で三重県にある「みさきの家」という宿泊研修施設でアウトドア体験をするのが恒例となっているのですが、その帰路に賢島から乗車したのが同列車でした。ちなみに往路はビスタカーで、二階席が割り当てられたグループを羨望の眼差しで見つめていたのを思い出します。


京都線・橿原線を順調に南下し、やがて連絡線を介して大和八木の大阪線ホームへ上っていきます。カーブに差し掛かったときに編成の先頭が見える景色、けっこう好きです。




松阪に到着しました。DXシートということもあったのでしょうが、乗り換えナシの約2時間はやはり快適です。
名松線の列車までは時間があるのでまずは駅弁を調達し、駅南側の踏切で撮影をします。


キハ85系の「南紀」がやって来ました。「ひだ」は常日頃から見慣れていますが、やはり非電化区間で撮ると普段にも増して格好いいのは気のせいではないでしょう。水色基調のHMも新鮮です。ここで格好良さを再認識したのか(?)11月には高山線の撮影に出かけています。(笑)


(帰路に撮影)
頃合いを見計らって名松線ホームへと戻りますが、キハ11の単行は既に「同業者」で1ボックスに1人程度の埋まり方を見せており、空いていたロングシートに座って発車を待ちます。松阪発車直後は都市近郊の田園風景といった感じで地元利用者の姿も見られ、やがて交換駅の家城(いえき)に到着。


(構内踏切より撮影)
停車時間があったので外に出てみます。少し前までは主流だったNDCの流れを汲むキハ11も今や国内では9両のみ、JRではここ名松線で300番台の4両が「最後の楽園」を形成しています。置き換えは当分先でしょうが、ローカル線で細々と活躍する少数形式の姿を収めたい、というのも今回訪問した理由の一つでした。




家城駅舎外観と内部。
当駅を境に松阪方面が票券閉塞式、伊勢奥津方面がスタフ閉塞式となっており、その運転扱いがあるため線内唯一の有人駅となっています。故に列車の発着時間帯は閉まっていますが窓口が現役なのは嬉しいことです。


9月とは言え空模様はまだ「夏」。


やがて駅員さんの見送りで松阪行きの列車が出ていきます。効率化・合理化の風潮のなかでこうした路線が維持されているのはやはり東海道新幹線のお陰でもありましょう。

程なくしてこちらも出発、徐々に山が近付いてきて秘境ムードが高まってきますが、


終点の楽しみは先にとっておくこととして、少し手前の伊勢鎌倉で下車します。


伊勢鎌倉は待合所のみの無人駅。そろそろ松阪で調達した駅弁を……と思ったのですが、締め切りの効く待合室は熱が籠ってとても長居できそうになく、そういえば駅到着前に雰囲気の良さそうな渓流を通り掛かったことを思い出し、歩いて河原へ。


岩場に腰かけて「モー太郎寿司」を開けます。松阪ではご当地松阪牛を使用した駅弁が幾つか販売されていますが、なかでも安価でリュックの中で傾いても安心(笑)なのがこのお寿司でした。牛肉のしぐれ煮が酢飯と妙にマッチします。

食後は列車が来るまで自然散策。


少し大きめの石をひっくり返すと沢蟹が居ました。川が綺麗な証拠です。

そろそろ列車の時間。


伊勢奥津で折り返してきた列車が鉄橋上をゆっくりと通過していきます。車内には恐らく先ほどの列車で一緒だった人が大半でしょう。

撮影を終えて駅に戻りますが、


伊勢鎌倉で下車したときから気になっていたのが駅前の廃屋。
こうした立地なので元は駅前商店か旅館として賑わった時代があったのでしょう。誰が暮らしていてどうしてここを去っていったのか……それにしても、布団が置かれているのが妙に生々しいです。


駅に戻ると伊勢奥津行きの列車がやって来ました。写真奥の鉄橋が先ほど撮影していた場所です。


再び乗った列車もやはり同業者が9割に地元利用者が1割ほど。
最前のロングシートが空いていたので、前面展望を愉しみながら終点の伊勢奥津に到着しました。


伊勢奥津は住民センターが併設された綺麗な駅舎ですが、例によって駅としての機能はごく僅かな無人駅です。


駅近くには元伊勢街道が通り、往時の雰囲気がそれなりに残されています。


駅前広場の片隅に立つ三重交通のバス停。


かつて名松線が延伸を目指していた名張まで抜けられるのは早朝の1本のみ。反対に奥津行きは夕刻の到着ですが、日の長い時期でないと楽しめないですね。


帰りはそのままとんぼ帰りもおもしろくないので、名松線と並走する美杉町コミュニティバスに乗車してみました。
地元利用者以外が乗るのは珍しいのか行先を尋ねられ、「家城駅まで行きたいのですが」と告げたところ、鉄道ならば終点で乗り継ぐと近鉄の榊原温泉口駅まで抜けることが出来ることを教えてもらい(乗継制度があるらしく1本目のバス運賃のみで済む)、これを聞いて一瞬悩んだのですが、18きっぷ使用であることを思い出し、当初の予定通り家城駅の近くまで(家城駅前には乗り入れない時間帯のようです)乗せてもらうことに。

こうした路線バスでは終始無人のことも多いのですが、今回は途中の作業所やスーパーでは乗降があり、そのたびに運転手と乗客が互いに声を掛け合う光景が見られました。バスが文字通り「コミュニティ」の場と化しており、なくてはならない地域密着路線なのだと認識。
当初の予定通り家城駅近くのバス停で降ろしてもらい、


伊勢奥津を折り返した列車よりも先に家城駅へ。
当然、列車内には先ほど伊勢奥津駅まで一緒に乗り通した面々ばかりでしたが、伊勢奥津で一緒に降りた人間がワープしているわけですから、ちょっと不思議な目で見られたような。(笑)
多少の気まずさと優越感が入り交じりながら、列車はもと来た道を松阪へ。ここからは18きっぷを活かして紀勢・関西・草津・東海道経由で帰ります。


帰路はキハ25に初めて乗車しました。ロングシートは旅人にはすこぶる不評ですが、部活帰りの高校生がきちんと詰めて座っていたのを見て納得。先代のキハ11系は収容力に劣り、キハ40系だとボックスシート主体で詰め込みが効きませんでしたから、ロングシート車の投入もむべなるかなといったところでしょう。今回のような松阪から亀山といった短距離ならばロングシートでも苦にはならず、遠距離利用者は特急で、という会社側の意図(あるのかは不明)も最近は体力的なこともあってすんなり受け入れられるようになってきました。18きっぷと特急、あるいは私鉄との組み合わせは無理せず効果的に使っていきたいですね。