表題の通り、今からひと月ほど前、8月19日(日)のお話です。
18きっぷの消化と言えばここ数年は「新快速」走行範囲の西端、姫路方面へ行くのが恒例と化していましたが、最近はシーズン外に「関西1デイパス」で同地域を訪れることが多く、ならば「1デイ」では乗れない路線に乗ろう、ということで今回は姫新線を訪れることにしました。記憶が確かであれば約4年ぶりの乗車となります。
急ぐ旅ではないので、「高槻から快速」の加古川行きでのんびりと、加古川で接続する新快速に乗り換えて姫路へ。支線区への中間改札が設けられてから初めての乗り換えとなりますが、有人改札で18きっぷを呈示すると(当然ながら)すんなり通れました。ホームの端に停まっていたキハ122の単行は既に満員。とは言え、短距離利用者が多いのか通路側の空席がちらほらあったので空いた区画に腰掛けて発車を待ちます。座席や車体は223系とそう変わりませんが、走り出すとやっぱり気動車、ディーゼルエンジンの鼓動が座席を通じて伝わってきます。
2駅目の余部で立ち客がなくなり、続いて4駅目の本竜野で大半の乗客が降りていきます。
私もここで下車。「本」を冠する通りたつの市の代表駅で、山陽本線の竜野駅は5kmほど離れた揖保川の下流に位置しています。橋上駅舎を出てしばらく西へ進み、川を渡ると城下町が広がっていて、いかにも、というか、ありがちな景観が広がるのですが、
…
……
………人がいません。(笑)
「そうめん揖保の糸」や「ヒガシマル醤油」こそ有名ですが、それらを取り巻くこの町じたいはそれほど知名度が高くないのか……人は見ない代わりにたくさん飛んでいたのが赤とんぼ。秋が近いということもあるのですが、当地出身の詩人・三木露風もこのとんぼを見て育ったのでしょう。
そんな街並みを通り抜けて、龍野城跡近くに建つたつの市立龍野歴史文化資料館を訪問。
ここで「維新のたつの~最後の殿様と龍野県~」展を見学しました。先日訪れた桑名市と同様に明治150年を記念した展示ですが、こうした小藩が迎えた幕末維新はこのような機会でもないとなかなか知ることができませんから非常にありがたいです。
龍野城は江戸期に再建された後は脇坂家が代々治め、最後の藩主、そして藩知事となったのが脇坂安斐(やすあや)。展示は彼の半生にスポットを当てており、京都所司代を務めていた頃の警備を示した図や(御土居堀が描かれていた)、幕府の第一次長州征伐の際に宿場における収容人数を記した図、廃藩置県によって龍野を離れる際、民に示した心得など、藩と歴史上の出来事とのかかわりがよくわかる展示でした。
また常設展示では幕末維新期に限らない龍野の歴史について触れられており、播磨で現存する唯一の検地帳や、当地も高瀬舟による舟運がおこなわれていたことを知りました。この記事を書くにあたって再度資料館のHPを参照したところ、10月は姫新線にかんする展示が催されるようで……また行かないといけませんね。(笑)
資料館を出てからは付近の散策へ。
甘いものでも食べたいな、と思っていると古民家を活用したお休み処を見つけました。
地元のご婦人が運営されているようで、アイスケースに「しょうゆアイス」「そうめんアイス」(いずれもご当地モノ)が並んでいるのを見つけ、これは珍しいと思いどちらがオススメかと尋ねると後者を勧められました。
アイス自体は「塩バニラ」のような感じで、刻んだそうめんのもちもちとした食感がアクセント。意外な組み合わせですが猛暑にはぴったりでした。是非お試しあれ。
さて、お休み処で頂いた観光案内図を手に旧脇坂屋敷を目指して散策を続けます。
旧脇坂屋敷。前述の通り脇坂家は廃藩置県に伴い華族となって東京に移り住むのですが、その後、明治10年に龍野へ帰還。以来の住居だそうで、戦後までは人が住んでいたようです。
ここまで結構な道のりを歩いてきましたが(駅のレンタサイクルにしておけばよかった……)、さらにこの先の龍野公園には茶室があるとのことで、もう少し奥へと進みます。
階段を上っていくと、
電線類が邪魔ですが、龍野の景色が広がります。
振り返ると聚遠亭茶室。これも脇坂安斐が京都所司代の頃に孝明天皇から下賜された茶室を移築したものだそうで、池に浮かんでいるのが特徴。
屋根を見れば、脇坂家の家紋「輪違」。
この日は閉まっていましたが、水際の茶室というのは何とも涼しげです。
一通りの散策を終えたので、再び揖保川を渡って本竜野駅方面へと戻ります。
せっかくなので地元の喫茶店を訪れておきたいと思い、
マックスバリュの近くにある喫茶ペリーヌで休息。
こうした純喫茶を訪れることも最近の旅の楽しみの一つです。数人の常連客に混じってケーキセットを。
時刻も16時を回り、そろそろ帰ろうと本竜野駅へ向かいますが、そういえばキハ122・127の走行写真を撮ったことがないことに気付き、近くの踏切に回ってみれば……姫路方面にお誂え向きのカーブが広がっていたので構えてみます。
カーブの向こうから姿を現したのはキハ127の2連。単行では物足りないところなのでちょうど良かったです。
振り返ると列車交換、今度は姫路行きが発車します。
データイムの本竜野は行き違い駅なので両方向ともこの後は30分待ちとなるのですが、この時間は近くの「堂本」バス停から姫路駅行きの神姫バスが数分後に出るのでそれに乗車しました。
起終点共に鉄道と重複しているので車内はガラガラ。バスは時間1本で所要時間は約40分。JRの時間2本・約20分と比べると利便性の差は明らかですが、それでも姫路の市街地に近づくにつれ席は埋まり、ほぼ満席状態で姫路駅北口に到着。ここからは新快速1本で帰りますが、階段を上がると停まっていたのは……
団体専用の117系でした。車内に「金光教」の文字が見えたので岡山から来たのでしょう。10年ほど前は特急型の485系やキハ181系が使用されていたように記憶していますが、思えば波動用車両も数を減らしたものです。臨時列車ゆえに足は遅いだろうと、直後の新快速に乗ってみれば早くも2駅先の御着でこの金光臨を抜き去り、後はいつも通り寝て過ごしながら1時間半の後には帰洛を果たしたのでした。
18きっぷの消化と言えばここ数年は「新快速」走行範囲の西端、姫路方面へ行くのが恒例と化していましたが、最近はシーズン外に「関西1デイパス」で同地域を訪れることが多く、ならば「1デイ」では乗れない路線に乗ろう、ということで今回は姫新線を訪れることにしました。記憶が確かであれば約4年ぶりの乗車となります。
急ぐ旅ではないので、「高槻から快速」の加古川行きでのんびりと、加古川で接続する新快速に乗り換えて姫路へ。支線区への中間改札が設けられてから初めての乗り換えとなりますが、有人改札で18きっぷを呈示すると(当然ながら)すんなり通れました。ホームの端に停まっていたキハ122の単行は既に満員。とは言え、短距離利用者が多いのか通路側の空席がちらほらあったので空いた区画に腰掛けて発車を待ちます。座席や車体は223系とそう変わりませんが、走り出すとやっぱり気動車、ディーゼルエンジンの鼓動が座席を通じて伝わってきます。
2駅目の余部で立ち客がなくなり、続いて4駅目の本竜野で大半の乗客が降りていきます。
私もここで下車。「本」を冠する通りたつの市の代表駅で、山陽本線の竜野駅は5kmほど離れた揖保川の下流に位置しています。橋上駅舎を出てしばらく西へ進み、川を渡ると城下町が広がっていて、いかにも、というか、ありがちな景観が広がるのですが、
…
……
………人がいません。(笑)
「そうめん揖保の糸」や「ヒガシマル醤油」こそ有名ですが、それらを取り巻くこの町じたいはそれほど知名度が高くないのか……人は見ない代わりにたくさん飛んでいたのが赤とんぼ。秋が近いということもあるのですが、当地出身の詩人・三木露風もこのとんぼを見て育ったのでしょう。
そんな街並みを通り抜けて、龍野城跡近くに建つたつの市立龍野歴史文化資料館を訪問。
ここで「維新のたつの~最後の殿様と龍野県~」展を見学しました。先日訪れた桑名市と同様に明治150年を記念した展示ですが、こうした小藩が迎えた幕末維新はこのような機会でもないとなかなか知ることができませんから非常にありがたいです。
龍野城は江戸期に再建された後は脇坂家が代々治め、最後の藩主、そして藩知事となったのが脇坂安斐(やすあや)。展示は彼の半生にスポットを当てており、京都所司代を務めていた頃の警備を示した図や(御土居堀が描かれていた)、幕府の第一次長州征伐の際に宿場における収容人数を記した図、廃藩置県によって龍野を離れる際、民に示した心得など、藩と歴史上の出来事とのかかわりがよくわかる展示でした。
また常設展示では幕末維新期に限らない龍野の歴史について触れられており、播磨で現存する唯一の検地帳や、当地も高瀬舟による舟運がおこなわれていたことを知りました。この記事を書くにあたって再度資料館のHPを参照したところ、10月は姫新線にかんする展示が催されるようで……また行かないといけませんね。(笑)
資料館を出てからは付近の散策へ。
甘いものでも食べたいな、と思っていると古民家を活用したお休み処を見つけました。
地元のご婦人が運営されているようで、アイスケースに「しょうゆアイス」「そうめんアイス」(いずれもご当地モノ)が並んでいるのを見つけ、これは珍しいと思いどちらがオススメかと尋ねると後者を勧められました。
アイス自体は「塩バニラ」のような感じで、刻んだそうめんのもちもちとした食感がアクセント。意外な組み合わせですが猛暑にはぴったりでした。是非お試しあれ。
さて、お休み処で頂いた観光案内図を手に旧脇坂屋敷を目指して散策を続けます。
旧脇坂屋敷。前述の通り脇坂家は廃藩置県に伴い華族となって東京に移り住むのですが、その後、明治10年に龍野へ帰還。以来の住居だそうで、戦後までは人が住んでいたようです。
ここまで結構な道のりを歩いてきましたが(駅のレンタサイクルにしておけばよかった……)、さらにこの先の龍野公園には茶室があるとのことで、もう少し奥へと進みます。
階段を上っていくと、
電線類が邪魔ですが、龍野の景色が広がります。
振り返ると聚遠亭茶室。これも脇坂安斐が京都所司代の頃に孝明天皇から下賜された茶室を移築したものだそうで、池に浮かんでいるのが特徴。
屋根を見れば、脇坂家の家紋「輪違」。
この日は閉まっていましたが、水際の茶室というのは何とも涼しげです。
一通りの散策を終えたので、再び揖保川を渡って本竜野駅方面へと戻ります。
せっかくなので地元の喫茶店を訪れておきたいと思い、
マックスバリュの近くにある喫茶ペリーヌで休息。
こうした純喫茶を訪れることも最近の旅の楽しみの一つです。数人の常連客に混じってケーキセットを。
時刻も16時を回り、そろそろ帰ろうと本竜野駅へ向かいますが、そういえばキハ122・127の走行写真を撮ったことがないことに気付き、近くの踏切に回ってみれば……姫路方面にお誂え向きのカーブが広がっていたので構えてみます。
カーブの向こうから姿を現したのはキハ127の2連。単行では物足りないところなのでちょうど良かったです。
振り返ると列車交換、今度は姫路行きが発車します。
データイムの本竜野は行き違い駅なので両方向ともこの後は30分待ちとなるのですが、この時間は近くの「堂本」バス停から姫路駅行きの神姫バスが数分後に出るのでそれに乗車しました。
起終点共に鉄道と重複しているので車内はガラガラ。バスは時間1本で所要時間は約40分。JRの時間2本・約20分と比べると利便性の差は明らかですが、それでも姫路の市街地に近づくにつれ席は埋まり、ほぼ満席状態で姫路駅北口に到着。ここからは新快速1本で帰りますが、階段を上がると停まっていたのは……
団体専用の117系でした。車内に「金光教」の文字が見えたので岡山から来たのでしょう。10年ほど前は特急型の485系やキハ181系が使用されていたように記憶していますが、思えば波動用車両も数を減らしたものです。臨時列車ゆえに足は遅いだろうと、直後の新快速に乗ってみれば早くも2駅先の御着でこの金光臨を抜き去り、後はいつも通り寝て過ごしながら1時間半の後には帰洛を果たしたのでした。