梅花祭と……

2014年02月25日 22時08分16秒 | 日記
2月25日は毎年恒例の北野天満宮梅花祭。
例によって券を頂戴したので、天神さんに向かうべく千本通を北上していると、前方からオレンジ色の系統番号を掲げたキュービックの姿が!
慌ててiPhoneを取り出してカメラアプリを起動、車両を追うと……


201甲(内回り)系統の6271号車でした!
同系統のキュービックと言えば以前はごく当たり前の光景でしたが、今や循環系統(205系統除く)のツーステ充当自体がイレギュラー扱い。臨時札も掲出されていないことから、定期便での充当となると貴重です。
いろいろ調べてみると、この珍運用はみぶ操車場で入庫することなくしばらく周り、おまけに外回りの201乙系統には6272が充当されていたというのですからただただ驚くばかり。ダイヤ改定前には珍事が起こりやすいのかもしれませんが、朝から良いものを見ることが出来ました。

もちろん、その後は梅花祭の方もしっかりと。(笑)
やはりこれが無ければ春は来ませんね。






気付けば2時間近くカメラを構えていて、すっかり腕が痛くなりました……。(^^;

梅小路公園に搬入された元・京都市電 その4

2014年02月24日 01時47分13秒 | 京都
かれこれ4回目となるこの記事ですが、アクセス解析によると検索で辿り着かれる方も多くいらっしゃるようです。この場を借りて御礼申し上げます。
今回は2月22日時点での記録ですが、土曜日ということで夜の訪問となりました。なお、前回から大きな変化はありません。


七条入口広場の2001形。
夜にはまた独特の存在感があります。開園の暁にはバルブ撮影など試みてみたいものですね。


木津屋橋通に面した車庫と停車場。前回と変わらず27形と29形の2両が格納されているものと思われます。
余談ながら、この撮影場所の背後には日本通運の倉庫が迫っていますが、最近、昭和初期に作成された京都市明細図のオーバーレイマップで界隈を眺めていたところ、倉庫(当時は石炭置場)に沿って東西に流れる小河川のようなものを発見しました。
付近を見回しても今や面影はありませんでしたが、かつては堀川支流の鍋取川が梅小路機関区を南北に縦断していたことから、それに関係する流れであると推測されます。
その東西の流れ、地図上では当地点から大宮通に至り、山陰線・東海道線の線路を潜って南へ、果ては六孫王神社の堀(こちらは現在も痕跡アリ)に至っていたと読み取れますが、周辺は梅小路公園の開設に伴って大きく作り変えられたエリア故、現場を視るだけでは小河川などとても想起出来ないほどに変貌しています。
ともあれ、頻繁に通う場所でまた一つの発見を得たことで、今後改めてフィールドウォークの上、別項にて紹介したいと考えているところです。

長くなりましたが、次に大屋根の4両を。


周辺に積まれていた資材が減り、スッキリした様子。
前回訪問時に開いていた505号車(左)の扉はもちろん閉められていました。内装の変化があったかどうかは不明です。


別角度から。
夜なので細かいところまでは分かりませんが、前回よりも確実に進んでいる印象です。


最後に、大宮入口広場の935形。
障害物が多いものの、辛うじて京都タワーと共に収めることが出来ます。
室内には吊革の類が確認出来たことから内装の変化は特に見られませんでしたが、2001形然り、市電車両を利用した案内所は比較的原型を残したまま供されるのかどうか、今後の進捗が気になるところです。

ちょっとそこまで

2014年02月23日 00時42分52秒 | 日記
2月21日、221系に乗って青春18きっぷの常備券を求めに嵯峨野線の千代川駅を訪れました。
いつもは奈良線界隈で済ませていますが、たまには趣向を変えて……。


乗った列車が亀岡止まりだったので、タイミング良く381系「きのさき10号」を捉えることが出来ました。
車齢のせいか、はたまた重篤な改造を経ていないせいか、183系よりは綺麗な外見を保っている印象です。北陸新幹線開業に伴う在来線特急の整理があるまでは安泰と信じていますが、見かけた折には少しずつ記録しておきたいものです。

さて、後続の園部行きに乗車して訪れた千代川駅ですが、意外にも亀岡~園部間の途中駅で降りるのはこれが初めてのことで、これで京都~福知山間の未訪問駅は並河・八木・吉富の3駅を残すのみとなりました。やはり実際に下車してみると車内からでは分からないこともあり、郊外駅特有のICOCAに対応した簡易改札機が鎮座しながらも、列車の発着時には駅員さんが自ら集札に赴く様子は何ともローカルで風情があります。
因みに隣の八木駅でも常備券を販売しているので、機会があれば次はそちらに……と思っていますが、4月に控える消費増税の影響からか今年は夏季や冬季の案内が出ていない状態ゆえ、常備券そのものの先行きが危ぶまれるところです。


そして目的の青春18きっぷですが、発売2日目ということで無事に購入することが出来ました。
下調べの情報では、例年、当駅と八木駅の取扱枚数は少ないとのことでしたが、訪問しやすい且つ取扱枚数の少ない駅はこの週末に売り切れていくのでしょうね。

乗車予定の列車までは時間があったので、駅近で記念に一枚。


画像の前パンはもはや冬季の風物詩と化していますが、今季は大阪環状線改造プロジェクトに伴い京都区の更新車と奈良区の未更新車のトレードが実施され、特有の前面車番が目立つ奈良区の編成も一時的に運用入りしています。(今回は残念ながら遭遇出来ず)
それらの貸し出し編成、そして前パン、果ては更新・未更新の別を含めれば塗色こそ同一であるものの、いま過渡期にある嵯峨野線の221系には実に雑多なバリエーションが存在していることを改めて実感します。思えば113系時代も随分とカオスな入り乱れようでしたが、やはり歴史は繰り返すのかもしれません。


それから駅周辺を歩いてみましたが、短時間の間に天気が目まぐるしく変わり、雨に加えて雪すらも舞う始末。仕方なく上りの特急「はしだて2号・まいづる6号」は手軽に駅先から収めましたが、待合所で後続の普通列車を待っていると、行きに遭遇した381系の折り返し「きのさき3号」が勢いよく眼前を通過。まだまだチェックが足りませんね。(苦笑)

そんな小一時間の千代川滞在でしたが、保津峡のトンネルを抜けて京都市内に戻ると案の定天気が回復。予定を変更して嵯峨嵐山で下車し、来月のダイヤ改定で均一運賃区間に編入される嵐山地区の市バスを記録しつつ帰路についたのでした。

「太秦ヤコペッティ」

2014年02月21日 15時58分22秒 | 映画
昨日は久々に立誠シネマで「太秦ヤコペッティ」を観てきました。(二度目)
この一年ほどの間、すっかり単館系の映画ばかり観るようになりましたが、映画都市・京都においてもシネコンが台頭している現在、日本映画発祥の地、そして元・小学校というまたとない舞台を生かした同館での上映作品はいずれも魅力的で、今後も事あるごとに「通学」することになるのだと思っています。


さて、「太秦ヤコペッティ」は、いわゆるスプラッター映画。
磁石で家を造ろうとする変な一家と、彼らに関わる訳アリ警察官の物語……と言うのは簡単ですが、シュール・カオス・エログロナンセンス的要素を多分に含んでいるために、ストーリーの要約、そして感想を述べるのが極めて難しい映画です。(笑)
前回は初めてのスプラッター映画鑑賞ということもあり、血まみれの生々しく気持ち悪い描写、そして対比されるラストの清々しさや美しさが印象に残りましたが、一通りのストーリーが頭に入った状態で鑑賞に臨んだ今回は、(効果的に)ノイジーなサウンドが耳に残りました。
これらは意図的に挿入された箇所、そうでない箇所がありますが、作品独特の価値観が歪んだ世界、敢えて強調された画面の色味やざらつき、陰翳、果ては生と死、美醜の対比までもを表現する役割を担っていたように思います。音楽がただ演出の域に留まっていないのもこの映画の特徴と言えるでしょう。

そして、作品に登場する京都の風景は、大映通り商店街を除けば、いずれも観光とは無縁の地。
しかしながら、錆色の、乾いた、退廃的で殺風景な舞台が何処となくノスタルジックでもあり、一歩外れるとそういった場所の多い、住人目線での京都が良く顕れていました。こうした描き方は宮本杜朗監督の幼少時の心象風景に由来するそうですが、非常にしっくりきます。中華料理屋の場末感もたまりません。
また、二度目の鑑賞にして初めて、あの「斬られ役」で有名な福元清三さんが出演されていることに気付きました。(笑) もちろんここでも被害者役、その大袈裟な倒れ方に思わず笑ってしまいましたが、やはりこの人なくして太秦は語れませんね。

「堀川中立売」「天使突抜六丁目」に次ぐ京都連続シリーズの掉尾を飾る「太秦ヤコペッティ」ですが、綺麗なものから汚いものまで、様々なものを受け止める「京都」の幅の広さ、そのフィールドの上で繰り広げられる表現の多様さを改めて感じたひとときでありました。こんな映画、好きです。(なんて人には言えません)

梅小路公園に搬入された元・京都市電 その3

2014年02月16日 04時14分04秒 | 京都
梅小路公園「市電ひろば」で保存される元・京都市電の車両ですが、ようやく新聞記事になりました
記事には3月8日開園とありますが、現場に設置されている工事告知の看板は「3月14日まで」との表示。幾らか早まるのか部分的な先行開園なのかは分かりませんが、整備は着実に進んでいるようです。
13日の様子をお伝えします。


水族館前、大宮入口広場の935形。
案内所となる予定ですが、今のところ大きな変化はありません。


続いて大屋根の下の4両。
周辺に資材が積まれています。


外装は4両ともそのままですが、505号車のみ扉が開けられ、作業が入っている様子でした。
ここの保存車両は2両が店舗、2両が休憩所となる予定ですが、いよいよ内装にも手が加えられるのでしょうか。


動態保存用の線路も敷設が終わり、綺麗な石畳風の路面が姿を現しています。
植栽や停車場の基礎も出来ている様子です。


線路に沿った小道も整備されています。
あらゆる角度で保存運転を楽しむことが出来そうです。


公園西側、木津屋橋通に面したメインの停車場と車庫。
付随する建物はまだ整備が続いています。ここには27形・29形の2両が格納されているはずですが、この日は姿が見えませんでした。


最後に、嵯峨野線の高架近く、七条入口広場に鎮座する2001形。
こちらも935形同様に案内所となる予定ですが、手つかずのままです。


この後、通りがかった初老の男性同士が市電の前で昔話に花を咲かせていましたが、何だかとても心温まる光景のように映りました。それだけ市電が愛されていたことの証左に他なりませんが、保存車両を契機としてこうしたコミュニケーションも自然と生まれるのですから、今回の静態保存も決して悪いことばかりではありません。

そんな保存車両、喜んでいるのは人間だけではなく……。


元から公園に住み着いていた彼らにとっては、格好の遊び場となっているようです。

最近の市バスあれこれ

2014年02月13日 18時44分44秒 | バス関係
月初めの暖かさも何処へやら、またまた身を刺すような寒さの訪れ。
そんな中、新車導入で賑わう京都市バス、日々撮りためたものから幾つか話題を。




幕仕様のブルーリボンシティハイブリッドは巡り合わせが悪く、営業中の姿はあまり収められていません。


加えて、今年度は久々にエルガの新車も入りました。
九条営業所(直営)所属、208系統に充当中の2832ですが、前の従来車と見比べるとタイヤホイール・クーラー等の差異がよく分かります。


続いて西賀茂営業所(直営)の2830。こちらは短尺車です。
長らくエルガとは無縁の営業所でしたから、9系統への充当は大変新鮮に映ります。もちろん現行幕との組み合わせは改正までの限定。

その他、近々見納めになるものを幾つか。


急行100系統専用、いわゆる「洛バス」塗装を纏うツーステ車も引退が近付いています。
改正後は新ラッピング採用のうえノンステ車に統一されるため、ラッピング解除または廃車が予想されますが、かつてはチンチンバスの導入や市電塗装の復刻など様々な方法で集客の試みが続いた100系統、ラッピングの変更とツーステ車の引退によってまた一つの節目を迎えようとしています……。


また、ラッピング車と混在して運用される通常塗装車ですが、LED車の充当もいつまで見られるか気になるところです。
幕の表示に従ったとはいえ、小さい字やローマ字はやはり見づらいですね……。

また、営業所移管に伴う車両運用の変更も予想されます。




画像の42・78系統は横大路営業所(阪急バス委託)から洛西営業所(近鉄バス委託)への移管が予定されており、現在よく見られる中型のエルガミオや元MK車のエアロミディは(転属がなければ)両系統から運用を外れることとなります。
個人的には大型車が来ると嬉しいこれらの系統ですが(笑)、中型車の充当はなかなか輸送量に見合っていただけに、移管後はどんな車両が充当されるのか気になるところです。

雪国断章 三日目(その1)

2014年02月10日 03時18分03秒 | 旅行記
前回(二日目その3)はこちら

12/13(木)

午前3時40分、青森フェリーターミナルに到着。
私の乗車した第26便に充当の「えさん2000」は他の便よりも一回り小さい船舶で、旅客設備も最小限。他の船舶に比べると揺れも大きいはずですが、船酔い等も特になく、歩き回ったおかげでぐっすり眠れたように思います。




車両甲板を伝って再びの本州を踏みしめ、ターミナルの待合室で小休憩。
青函間をフェリーで渡ることは初めてのことで(舞鶴~小樽と八戸~苫小牧は経験済)、列車移動と比べて所要時間は倍近くかかりますが、安価で横になれる夜行便の存在は大きいものです。とはいえ、これが北海道&東日本パス使用の旅であれば函館を3時に経つ急行「はまなす」を待ち続けていたのでしょう。函館での長い待ち時間を取るか、フェリーを降りて青森駅まで歩く時間を取るか。この時期ならばどちらも辛いところですが……。

しかしそうも言っていられないので(ターミナル前にはタクシーの姿も見られず)、4時を少し回った頃、青森駅へ向けて歩き始めます。
地図を見ると新青森駅の方が近いようですが、この後同じように青函を越えてくる急行「はまなす」を撮影する為、まずは青森駅へ赴きます。




青森駅までの道のりは思った以上に長く、それも雪中なので尚更。ようやく青森ベイブリッジに差し掛かったかと思えばそれもまた長く、中間地点から地上へ降りる階段は無情にも冬季閉鎖中。
仕方なく橋を渡り終え、フェリーターミナルから小一時間、ようやく青森市街へと降り立ったのでした。

青森の朝は早いもので、まだ5時になりきらない駅前には人影がちらほらと。
もう少し時間があれば駅前の「アウガ」で朝から海鮮丼を食べたり、「まちなかおんせん」で体を温めるなど出来たのですが、列車の時間も迫っているため、ここからは再び「秋田・津軽由遊パス」を用いて駅構内へ入場。

ホームへ降り立つと、ちょうど札幌からの急行「はまなす」が入線してきました。




今回撮影した「あけぼの」や「北斗星」などブルートレインの範疇からは外れるものの、貴重な長大編成の客車急行。
青森駅のロケーションとも相俟って、旅情の感じられる一枚となりました。

さて、ここからは接続する普通列車で西へ進みます。言わば帰路となりますが、真っ直ぐ帰るのはおもしろくありません。多分に寄り道をすることとなります。

青森6:00発→弘前6:46着

まだ夜も明けきらない早朝の小駅から部活の高校生たちが乗ってきます。彼らは毎朝雪の中を駅まで歩いて、或いは送ってきてもらっているのでしょう。こうして旅をしていると、地方の高校生の朝は早いといつも実感します。いや、それは地方に限ったことではないのかもしれませんが、いつも始業ギリギリの時間に自転車を滑り込ませていた身としては、早起きをして列車で学校に通う、という彼らの日常がとても大きなことのように思えてしまうのです。
彼らは弘前で降りていきましたが、弘前と言えば太宰治が学生時代を過ごした地。生まれ故郷の金木は昨夏に訪れましたが、それこそ『津軽』に描かれた地域の多くはまだまだ訪問出来ておらず、ここ弘前もまともに降りたことはありません……。

弘前6:51発→大館7:33着
大館7:38発→鷹ノ巣7:58着


弘前、大館とタイトな乗り継ぎが続きますが、大館からの鷹ノ巣行き普通列車は花輪線の気動車による間合い運用でした。客層は高校生が中心であったことから、鷹ノ巣にある高校への通学需要に応えての運行なのでしょう。




青森から雪深さは変わらず、鷹ノ巣で本日初の途中下車。大勢の高校生たちが去った後、約20分遅れている下り「あけぼの」を撮影しに沿線へと歩きはじめますが……


ああでもない、こうでもないと、撮影地を探して歩き回り、ようやく好ロケーションと思しき田畑に辿り着こうとしたところ、遠くに見える奥羽本線の線路を「あけぼの」が通過!
遅れているからといって油断は禁物。これなら大人しく駅で待っていれば良かったと、去っていく後姿を見ながら途方に暮れますが、仕方がないので乗ってきた列車の折り返しを撮影。


「あけぼの」の後続となる普通列車です。この区間を走る気動車は一日一往復のみ。これはこれで貴重だと言い聞かせ、来た道を駅に戻って隣の土産物店兼喫茶店へ。
ちょうど開店したばかりの喫茶店、まずは土産物を物色して北秋田市の名物・バター餅を求め、次の列車までの時間潰しにコーヒーブレイク。


いつの頃からか、一日にコーヒーを3~4杯飲む生活を続けていますが、旅先でも無意識に同じ生活をしていることにここで気付きます。手軽に済ませるならばそれこそ自販機でも良いのですが、前日の木古内駅然り、旅先における喫茶店での温もりは何にも代えがたいものです。駅前ロータリーを発着するバスを眺め、地元ラジオ局の放送に耳を傾けつつ、しばしの読書タイムとなったのでした。

鷹ノ巣10:25発→阿仁合11:19着


さて、ここから乗り継ぐのは秋田内陸縦貫鉄道。客層はやはり地元のお年寄りが中心でしたが、遅れていた接続列車から、「あけぼの」を撮影していたと見られる三脚を担いだ同業者が数名乗車してきました。
秋田・津軽由遊パスでは当路線も乗り放題の対象となっているので、私のように「あけぼの」の撮影・乗車ついでに……という向きが多いのでしょう。それにJRの普通列車はロングシートの701系が主流ですから、この手のフリーきっぷ利用の場合、それを避ける手段としても利用出来ます。




JRのキハ120ともよく似た車両は雪の北秋田を駆けていきます。シートはくたびれ、窓ガラスには結露が見られますが、車内が温かいというだけで十分というものです。


強く雪の降りしきる阿仁合では(写真ではあまり感じられませんが)、乗り換え待ちの間にグッズを物色。
幾らかのお土産とオリジナルのタオルを購入しました。JRのフリーきっぷ利用ですから、こうしたところで積極的に収入に貢献……と思ってしまいます。貢献と言えば硬券も発売しているようで(笑)、窓口でそれを求める同業者の姿も見られました。

阿仁合11:35発→角館13:32(11分延着)

途中、対向列車の遅れで角館には遅れて到着。
折り返しとなる列車にはツアーと思しき長蛇の列が出来ていましたが、次回は暖かい時期に、幾度かの途中下車を挟みながら一日かけて乗車してみたいものです。願わくば、当地への往路は臨時「あけぼの」で……。


秋田の小京都と呼ばれる角館。
一日目の移動中にも通りましたが、今回は次の列車まで少し時間があるので街を歩きます。
秋田新幹線の停車駅、そして武家屋敷で知られる当地ですが、日本文学史を語る上で欠かせない場所であることもまた事実。今回は駅から10分弱の新潮社記念文学館を訪ねました。


出迎えてくれたのは川端康成『雪国』の文庫版モニュメント。同作品は冒頭に上越国境のトンネルが描かれることであまりにも有名ですが、実はその出版に関しては当地が深く関係しています。
実は、今や出版社として名高い新潮社の初代社長・佐藤義亮(ぎりょう)はここ角館の出身。以来同社の歴史は日本近代文学史と密接に関わってきましたが、戦後に出版された新潮文庫の第一号がこの『雪国』なのです。故に展示内容は社の歴史、と言うよりは自ずと日本文学史がメインとなり、複製ではあるものの名立たる作家の直筆原稿の類が並んでおり、限られた時間ながら見入ってしまいました。

角館14:11発→秋田15:06(12分延着)


秋田までの足は、最新鋭の新幹線車両・E6系の「スーパーこまち」。
デビュー前から熾烈な印象をもたらした「JAPAN RED」のキャッチコピーと共に、瞬く勢いで秋田新幹線の顔となりつつある同車ですが、それまで活躍していたE3系を置き換えた後は愛称が「こまち」に統一され、区分けの為とされていた「スーパー」を冠した愛称は消滅することとなります。
当列車も「あけぼの」と同じく一部区間で立席特急券での乗車が認められており、立席特急券には「スーパーこまち」の列車名が記載されることから今回の乗車と相成ったのでした。

興奮を抑えつつ空席を見つけて乗車。稲穂をイメージした黄色い座席の並ぶ車内は新鮮でした。


(秋田下車時に撮影)
普通車でありながら枕が可動式というのも珍しいです。もっとも、この時は撮った後に気付いたので実践とはなりませんでしたが……。(笑)

さて、いわゆる「ミニ新幹線」はこれまで福島~米沢で山形新幹線に乗った経験がありますが、車内は新幹線、景色は在来線というギャップはやはり東海道・山陽新幹線を見て育った私には今なお違和感があり、決して寝て過ごすことの出来ない区間です。(笑) おまけにこの日は対向列車の遅れもありましたから、そうしたローカル線的風情(?)も合わせて秋田新幹線を楽しむことが出来ました。機会があれば沿線での撮影にもトライしてみたいものです。


ここでも車内販売でコーヒーを求め、列車名入りのレシートを手元に残すことが出来ました。


終点・秋田では特徴ある前頭部をじっくりと撮影。
前日早朝に秋田を発って北海道へ、そして青森へ折り返し、鷹ノ巣から角館と大回りをして再び秋田に戻ってきました。
相変わらず雪の残る駅前ですが、今度は街中へ向けて歩みを進めていきます。

三日目(その2)に続く

いつの日か来た道

2014年02月08日 23時09分01秒 | 書籍
最近読んだ本。
当ブログで書評めいたことをするのはあまり覚えがありませんが……


増山実『勇者たちへの伝言 いつの日か来た道』(角川春樹事務所、2013年)です。
関西ローカルのTVやラジオでは既に幾度か宣伝されていますが、放送作家の方が書かれたデビュー作品ということで以前から気になっていました。
タイトルの「いつの日か来た道」は、阪急電車の車内放送で聞こえた「西宮北口」の空耳に着想を得たもので、かつての西宮球場を訪れた思い出を描いた話である……というところまでは知っていましたが、野球の話かと思いながら読み進めていると物語は一変。以降、隠された歴史のなかの、隠された秘密が頁を追うごとに明らかとなっていきます。
球場が現役であった昭和40年代に馴染みのある方々ならより親近感をもって接することが出来るのだと思いますが、全く知らない世代の私でも手に取るように理解ができ、番組に例えると、前半はまさに「ビーバップ! ハイヒール」、後半は「探偵! ナイトスクープ」のようなストーリー構成。この辺りの手法は流石といったところです。
そして、フィクションとノンフィクションの境目が曖昧だったせいか(おそらく作者の意図したところでしょう)、それが却って作品全体にリアリティをもたらしていました。
全て読み終えた後、「勇者たち」「伝言」「いつの日か来た道」といった、タイトルに込められたほんとうの意味が分かる作品となっています。


西宮北口の写真は無いかと思い、探し出したのがこの一枚。(再掲)
昨年6月に関学の学会に行った道中の一枚です。この時初めて9000系に乗り、今津線に乗り換え、甲東園から住宅街を歩いて行ったのもいい思い出です。
人は、人生のよくわからない部分を適当な言葉で埋めて何とか生きている――冒頭、そうした一節が登場しますが、今はそうであっても、いつかそのことを振り返り、自分がここにいることの意味を知る、その大切さを教えてくれた一冊でした。

カードは読取機に……

2014年02月06日 22時43分18秒 | バス関係
最近の買い物。


京都市交通局オリジナルキャラクター・太秦萌と、アニメ「いなり、こんこん、恋いろは。」のトラフィカ京カードです。
発売額は太秦萌が1000円と容易に入手出来るのに対し、「いなこん」は3000円分のみ。他府県から収集目的でのお越しだと少々ハードルが高いかもしれません。
このカードの特徴として、バス同士、或いはバス→地下鉄、地下鉄→バス乗り継ぎで割引額が適用される(但し時間制限あり)ので実使用において決して損はしないのですが、このところのバス移動は専ら500円の一日乗車券なので、果たしていつ使いきれるのか、それが問題です。(汗

さて、その一日乗車券を利用して、きょう所用ついでに訪れたのがこちら。


上賀茂神社前バス停に隣接する上賀茂操車場です。(敷地外より撮影)
観光地と言えども平日の夕刻なので人気もなく、ちょうど並んでいた日野ブルーリボンのツーステ車と現行幕の記録と相成りました。6421と6422の連番同士、よく見ると低公害車ステッカーの有無やナンバープレート回りなどの細かな差異が見られて興味深いです。
また、4系統で到着後、67系統に化けるまでの幕回しでは、3年前の社会実験で経路が変更された5系統の幕が登場。まだ幕自体があったことに驚きましたが、まだまだ余地のある試みだっただけに、あの短期間で終了してしまったのは少し寂しい気もします。(当時の記事はこちら)

節分ミニトリップ

2014年02月05日 01時39分54秒 | 日記
2月3日。
「節分」とはよく言ったもので、冬から春への季節の分かれ目。
邪気を払って気分を一新し、また新たに歩いていこう、そんな心持ちにさせてくれた一日でした。

待ち合わせ場所へ向かうため、朝から京都駅へ。


電車を降りて八条口へ赴くと、中書島から来た19系統に遭遇。
ワイドなボディが特徴の横大路営業所所属・CNGエアロスターの538号車です。同営業所には他に兄弟車の537・539号車がいますが、多区間対応はこの車両のみ。前面帯に掛かった「整理券車」のマグネットが特徴的です。

次にやって来たのは……


京阪バスの運行する「ダイレクトエクスプレス直Q京都」。これに乗車してなんば(OCAT)へ向かいます。
大阪へバスへ向かうのは初めてのことで、興奮しながらも慣れたふりをしてICOCAをタッチ、車内に乗り込みます。


車内は普通の高速バス同様で、リクライニングは意外と深く倒れます。
途中停留所は高速京田辺、河内磐船駅、交野市駅の3つ。京都駅~京田辺、交野市~なんばの区間利用が目立ち、通しで乗ったのはもしかすると私だけ――だったのかもしれませんが、京都駅から鉄道利用では少し行きにくい、まさに「かゆいところに手が届く」エリアを結んでいると言えるでしょう。
ウトウトしていると森ノ宮電車区と大阪城が目に入り、程なくして終点・なんば(OCAT)に到着。鉄道に比べると少々時間はかかりますが、煩雑な乗り換えもなく、何より快適なひとときを過ごすことが出来ました。

OCATからは徒歩で近鉄難波駅に移動。ここでかつてのゼミ仲間と待ち合わせをしていたのですが、案の定、ターミナル駅での待ち合わせは少々手間取り(笑)、西改札から東改札への大迂回を経てようやく合流するに至りました。
何はともあれ卒業から11ヶ月ぶりの再会。SNS全盛の現代ではどうしても距離感が曖昧になりがちですが、やはり直接会うことの嬉しさは何にも代えられないものです。
予め用意してもらっていた切符を受け取り、ホームに降りるとやって来たのは阪神電車。そういえば、自分が大学に入った年の春に近鉄・阪神の相互乗り入れが始まり、家族で、開通したばかりの阪神なんば線を利用して入学式会場の京セラドームに行ったことをようやく思い出しました。あれから5年が経とうとしています。

思い出はさておき、ここからはリクエストに応えて「近鉄利用で」京都へ戻ります。
京阪間の移動は往路利用したバスのように数多くの選択肢が挙げられますが、真っ先に候補から除外されるのがおそらく近鉄。しかし、今回はきちんと理由があるのです。


その理由とは……観光特急「しまかぜ」の乗車です!
もちろん列車の行先は伊勢方面ですから、乗れる区間は八木までの僅か30分。
同行者曰く、今回は「乗ることが目的」。ならば必ずしも宇治山田や賢島へ行くことはありませんから、事前にダメ元で空席を検索したところ、全区間では埋まっていた座席も難波~八木に限っては〇表示が出ていたことから、少々イレギュラーな「大阪から奈良経由での京都行」が決まったのでした。


そんな「しまかぜ」ですが、この日は9時台に大阪線内で人身事故が発生したため、本来発車しているであろう時刻に回送が到着して入れ換え作業を開始。入線後はすぐの発車となり、5分遅れでの慌ただしいスタートとなりました。


私は昨年8月、賢島~宇治山田で空席を当日調達して乗車したことがありますが、またしても「ちょい乗り」。秋には京都発着便も新設されるようですから、全区間乗車はその時までお預けということにしておきます。
さすがに前回よりは落ち着いていますが(笑)、同行者は初めてのことなので興奮冷めやらぬ模様。試しに車内を徘徊すると、個室からは如何にもな「大阪のオバチャン」たちの楽しそうな笑い声が漏れ聞こえてきて観光特急らしさがムンムン。かの鉄道唱歌、その関西・参宮・南海編は「汽車を頼りに思い立つ伊勢や大和の国めぐり」という歌い出しから始まりますが、時代は変われどまさにその通り。こうした魅力的な列車があるからこそ伊勢観光の需要が喚起されているのです。


さて、「しまかぜ」は2回目でも、大阪線自体はおそらく小学生以来の乗車。故に車窓の景色(残念ながらこの日は各地で濃霧でしたが)は新鮮なものとして映りました。巡回の客室乗務員さんからはおしぼりと記念乗車証もいただき、アッパークラスの恩恵もしっかりと享受。前が詰まっているのか、時折徐行も見られ、八木には10分遅れで到着。

ここからはひたすら北上して京都を目指すのみですが、まず西大寺まで急行に乗り、後続の奈良発の特急に乗り換え。
車内では昼食がてら八木で買った柿の葉寿司を賞味。ガラガラの特急で思い出話に花を咲かせつつ、気付けば曇天の空に浮かぶ五重塔が京都到着を告げていました。


こうして、約3時間ぶりの京都へ。
時刻はまだ12時半、ここからはバスを乗り継いで京都の節分を満喫します。

市バス一日乗車券を握りしめて百万遍で下車、京大構内を突っ切って辿り着いた先は吉田神社。


京都の節分と言えば第一に思い浮かぶのがここ吉田神社ですが、私は普段の平穏な様子しか馴染みがないのでこの人出には少々驚き。


深夜におこなわれる火炉祭に備え、参拝者によって持ち込まれた古い神札が次々と積みあがっていました。
煌々と燃え上がる様子、一度は見てみたいものです。

移動中には、恒例の市バス臨時輸送も目撃。
なかでも目を引いたのは、


ブルーリボンシティハイブリッド・LED表示車の充当です。


拡大。
節分臨への充当実績は珍しい(初めて?)と思われますが、臨時らしくローマ字表記の類が添えられずシンプルな表示となっています。


合わせて従来の幕車も記録。
ダイヤ改正に伴う幕のデザイン変更で、こうした臨時幕にも変化が見られる可能性があります。
一方で、詰め込みの効く従来のツーステ車の充当は一切見られず、LED車を筆頭にノンステ車が次々とやって来る様子は世代交代を確実に実感させるものでした。

バスの記録もそこそこに次の目的地へと向かいますが、さすがに満員通過が相次ぎ、いかにも空いていそうな(笑)65系統と202系統を乗り継いで六波羅蜜寺へ。時間1本のローカル系統と、京都駅に寄らない循環系統はやはり観光客から避けられ、地元客中心の客層となるようです。

さて、清水道バス停から徒歩数分、六波羅蜜寺でも節分会追儺式の真っ最中。
以前にも訪れたことがありますが、こじんまりした境内でおこなわれる儀式、そして舞妓さんによる豆まきが魅力の一つです。


到着するとちょうど始まった六歳念仏の奉納。京都独特の伝統芸能ですが、この音色を聴くと幼少時を思い出します。京都なのに何処か田舎臭いと毛嫌いしていた時期もありましたが、今となっては「郷愁」の一部。






奉納のクライマックス、豆を撒かれて追い払われた土蜘蛛が糸を散らします(顔が妙にコワい)。
その後の豆まきでは、舞妓さんに混じってM主党のM原S司議員が登場……確かに地元名士なのは間違いありませんが、こうした形での登場は意外でした。(笑)

そして夕刻。
既に雨のちらついてきた五条大橋を渡り、


鴨川畔の「efish」で一休み。散々歩き回ったのでソファーでくつろぎつつ、やはりまた他愛ない話で盛り上がります。
大学4年間を通して関わりのあった人、というのは意外にも少ないものですが、今回の同行者はその数少ない一人で、ある程度分かり合っていることもあり、話すのも随分と気楽なもの。さすがに卒業後は疎遠になってしまいましたが、そのぶん話は多方面に弾み(笑)、このところモヤモヤしていたものがスッキリとしたような気がします。

窓の向こうには、鴨の流れと東山。
曇りの日に相応しい、アンニュイな、それでいて心地好い時間が流れていきました。(完)

梅小路公園に搬入された元・京都市電 その2

2014年02月01日 22時32分41秒 | 京都
先月29日に特集記事でお伝えした梅小路公園内の元・京都市電の状況ですが、残りの車両も月末までに順次運び込まれ、保存予定の全7両が揃ったところで現況を見てきました。
昨日はJRによる鉄道博物館の起工式もおこなわれ(京都新聞記事はこちら)、今後も同園の更なる変化が期待されます。

七条通から梅小路公園に入ります。


嵯峨野線の車窓からもよく見える、その名も「七条入口広場」に鎮座しているのは2001形。
この日は手づくり市が開催されていて(訪れたのは終了間際ですが)、いつもより賑わいが見られました。


近付いてみると、塗装はもちろん、細かな表記類も復元されているのが分かります。
突如現れた京都市電に驚いた市民も多かったのではないでしょうか。現時点では屋根が付いていないので、今後の保存状況が少々気になるところですが……。

続いて、園内から伸びる(園で分断されている)木津屋橋通を歩いて水族館方面へ。


新たに建てられた車庫内には29形が少しだけ顔を出しています。N電27形の姿は無かったことから、おそらく共に収められているものと思われます。


車庫から伸びる動態保存用の周回線も雰囲気を現してきました。


木津屋橋通に面した工事用車両の出入口から。
左手の建物が水族館、その傍には屋根付の保存場所に置かれた市電の姿が確認出来ます。


水族館裏から回り込んだところ。
29日の時点では1605形・505形のみだった屋根下の保存車ですが、新たに890形・703形の2両が追加され、計4両が収まりました。


全て違う形式が4両も保存されていたことに驚きです。
実は形式に関しては疎いのですが、折戸の車両もあったのですね。


再び園内から、29日の記事と同アングルで。
手前にあった搬入用の仮設線路が取り払われ、車止めが設けられています。


最後に公園東寄り、大宮通に面して置かれた935形。水族館帰りの家族連れの注目を集めていました。
因みに東海道線をオーバークロスする大宮通の高架には今も市電時代の架線柱が一部残されており、こちらも開業の暁には市電と合わせてチェックしておきたいところ。


奇しくも今日は京都における、そして日本で最初の市電が開業した日(1895年)。全車の搬入を今日に間に合わせる意図があったかどうかは分かりませんが、その記念すべき日にこうして保存車が揃ったことに何か特別な意味を見出さずには居られません。