叡山電鉄90周年

2015年09月30日 00時07分12秒 | 鉄道関係
9月27日、叡山電鉄(叡山本線)が開業から90周年を迎えました。
「えいでん」には2路線が存在しますが、果たしてどちらがメインか……と問われれば、今では鞍馬行きを答える人の方が多いかもしれませんね。かく言う私も数年前までは誤解していたのですが、出町柳~八瀬比叡山口間が叡山本線、宝ヶ池から分岐して岩倉や貴船へ向かうのが鞍馬線です。こちらは1929年に全通した言わば「支線」ですが、本線に比べて距離が長く、秋の紅葉シーズンや各種年中行事において専ら注目を集めることから今日では実質的メイン路線を担っています。
しかし、実は比叡山を目指した八瀬行きこそがれっきとした本線。かつてはトレインビューのプールを備えた遊園地が存在し、休日ともなれば鞍馬と並ぶ行楽地として賑わっていたのです。

そんな叡山本線、いま一度確認の意味も込めて(ではないでしょうが 笑)、27日から叡山本線全駅の硬券入場券セットが発売されています。


当日は八瀬比叡山口駅で13~15時に先行販売、その後は出町柳駅で16時からの販売という遅めのスタートでしたが、同日に大阪で「スルッとKANSAIバスまつり」が開催されていましたから、掛け持ちが出来るよう一定の配慮がなされたのかもしれません。
私はというと、下鴨神社の名月管弦祭を観に行った帰り、21時頃にふらっと購入。まだ余裕はありそうでした。


記念台紙を開けると、叡山本線全8駅と、旧駅名の山端(現:宝ヶ池)と八瀬(現:八瀬比叡山口)の2駅を含んだ10枚の硬券が収められています。
合わせて注目すべきは元田中・茶山・一乗寺・宝ヶ池・三宅八幡の入場券で、これらの駅は無人駅であることから入場券そのものが存在しません。公式HPの案内にも「今回が初めての発売」とあることから、後々貴重なものになるのでは……と思っています。

そして、車両の方ではデオ700型を改装した「ノスタルジック731」が運用を開始しました。


私にとっての「ノスタルジック」はデオ600が纏っていたツートンカラー、そしてデオ700における旧色の京福カラーですが、これは開業時のデナ1型をイメージしたグリーンの単色。しかし扉や窓周りなどに茶色が入っていて、前面の「青ガエル」風の表情と引き換えに(笑)、側面の見た目はしっかり「レトロ」しているのではないでしょうか。

旧車不在の昨今、各社で相次ぐレトロ調の復活には賛否両論が見られますが、数少ない旧型を保守整備する費用や手間などを考えると、在来他車と共通の整備が可能である点は合理的でしょうし、そもそも旧型とは全く違う構造にも関わらず、往時の雰囲気を何とか再現しようとする作り手側の苦労や工夫が感じられるので、私としては「そう来たか!」という驚きを提供してくれるレトロ風味には一定の好感を持っています。

日が暮れてから、宝ヶ池へ。


撮影して初めて気付きましたが、室内の照明装置が他車と違うものに換装されている(或いは、内装の色合いでそう見える?)ようです。
嵐電モボ21のような温かみのある照明で、夜間には立派に旧車の雰囲気を醸し出しています。八瀬比叡山口駅には開業時からの大屋根が残っていますから、いずれ機を見て両者を共に収めてみたいものですね。

出町からの折り返しを茶山で。




側面の「叡山電鉄」プレート風レタリングもいい味を出しています。
こうなるとますます室内を観察したくなりますが……やはり、夜間の八瀬比叡山口で折り返し中の無人状態を狙うしかありませんね。

最後にもう一つ、9月30日をもって、ひっそりと(?)叡山電鉄内での「スルッとKANSAI」対応共通磁気カードの発売が終了します。
来春からのICカードシステム導入に備えた動きですが、代わりに磁気カードが使用不可となるのは意外でした。尤も、スルKAN自体がゆくゆくはICへ移行するとアナウンスされていましたから(続報は聞きませんが……)、当然と言えば当然の流れかもしれません。




見た目こそ京阪共通柄ですが、裏面の発行駅名がえいでん発行であることを密かに主張しています。
引き続き利用は可能ですが、来年1月頃にはそれも出来なくなるそうで、以降は春までの僅かな期間「ガラパゴス化」することとなります。(但し、3day・2dayチケットはIC導入前後も引き続き使用可能)

「サロンカーなにわ」を後追いで

2015年09月26日 22時40分51秒 | 鉄道関係
表題の通り、今や貴重となった客車ジョイフルトレインの「サロンカーなにわ」。
以前に比べると稼働の機会も少なくなりましたが、今日は旅行会社のツアー往路として大阪~福井間で運転されました。

因みに、1年前にも同じツアーが催行されています。




2014/09/27 京都~山科

定番のポイントですが、実はこのツアーに母と祖母が参加していたため、記念の意味合いも兼ねて撮りに行きました。
しかし、トワイライト色のEF81が牽引するという正調編成(?)ながらヘッドマークの掲出はナシ。ゆえに今回も付かないものと踏んで、後追いの撮れる山科西野山へ。
相変わらずのひねくれポイントですが、下界の喧噪に身を投じる気力は……。(笑)

山科西野山はこの時以来、実に9ヶ月ぶりの訪問となります。
前回は冬だったのですっかり忘れていましたが、カメラを構えるなりたちまちヤブ蚊の襲来! 気候が幾ら秋めいてきても虫は活発ですね。陽が差して蝉まで鳴きはじめ、辺りは夏の様相でした。


眼下の東山トンネルから出てきたのは113系の魔緑8連。
まだ原色もごく僅かに生き残っていますが、もはや色や形がどうとは言っていられない時代なのかもしれません。何より「ご当地カラー」ですから、ここでしか見られない姿を記録しておきたいものです。


金沢からやって来た「サンダーバード」。長編成が健在なのは嬉しい限りです。
後から知りましたが、今日は出場したばかりのリニューアル車も走っていたそうで、そうなれば「原型車」も遅かれ早かれ貴重なものとなるでしょう。


JR東海直通、キハ85系の「ワイドビューひだ」。
キハ189系の「びわこエクスプレス」と並んで、この界隈を走る旅客列車では最短編成です。
一般型気動車の置き換えが進むJR東海ですが、特急型は当面現状維持でしょうか。


221系・223系6000番台の併結列車と117系の並び。
かつては新快速で疾駆した道を、今はのんびり各駅停車で行き交います。

そして、下りの貨物列車がジョイント音を響かせてトンネルに吸い込まれていくと同時に、聞き覚えのあるブロワー音が徐々に大きくなってきました。


今日のお目当て、トワイライト色のEF81に牽かれた「サロンカーなにわ」が颯爽と姿を現しました。
昨年より数分早い時間での通過でしたが、後追いメインでこの特徴ある展望車を収めておきたかったのです。


追ってもう1コマ。7両のフル編成が築堤上を静かに躍ります。
「トワイライト」では保護色となっていましたが、「なにわ」は窓周りの黄帯もあって流石に映えますね。

あまりに蚊がしつこいので、撮影後はとっとと退散。地下鉄で帰路につきました。
背景の山々はまだまだ青いですが、いずれ紅葉の時期にも訪れたいものです。その頃には虫も居ないでしょうから。(笑)

北陸の475系 その6

2015年09月26日 02時27分38秒 | 鉄道模型/製作中-475系A22編成【完成】
前回はこちら。

今まであまり触れていなかった屋根の加工です。


幾らか前に撮った写真ですが……ベンチレータを取り去って、両先頭車についてはクーラー台座も除去してプラ板で埋め、平滑にします。
これは製品のプロトタイプが最も多数派のAU13Eを5基搭載していることによるもので、今回製作のA22編成はAU12Sを6基搭載しているというモデラー泣かせ仕様!
しかしながら、クーラーひとつを見ても北陸の475系(とその一族)における各種形態の細かさには恐れ入ります。一時はサハ455を挟んだ編成や、中間封じ込めの先頭車で文字通り中間車化した車両(車番をクモハ→モハに書き換えたのみ)なんかも居ましたね。


新たに6基のクーラーを取り付けるべき箇所を穴開けし、GM9番で塗装。
やはり幾らか傷が残ってしまいましたが、いずれもクーラーで隠れてしまう箇所なので目を瞑りました。

続いて、座席パーツの加工。
こちらはその3以来ですね。


ボックスシートを除去して生じた穴をプラ板で埋め、


簡単ではありますが、プラ板でロングシートを作っておきます。


塗装は模型映えを狙ってオレンジとしました。後ほどデッキ部分をアイボリーで塗り分けますが、予めマスキングしておいても良かったかもしれませんね。

気分転換に(?)、実車画像を。


2013/03/28 旧北陸本線 泊

当駅で折り返し発車を待つ475系。写真では分かりませんが6両編成でした。
たまたま乗った列車が泊止まり(笑)だったので途中下車の機会を得、駅近くの薬局で旅行用品を調達した覚えがあります。

その7につづく

北陸の475系 その5

2015年09月24日 20時59分30秒 | 鉄道模型/製作中-475系A22編成【完成】
前回はこちら

ボディの加工は概ね終わり、前々回、ボロボロに崩落してしまった床板の加工に移ります。


こちらは崩落を免れたクモハ側の床板ですが……台車取り付け部に欠けがみられます。おそらく台車を取り外す時に力が加わって欠けてしまったのでしょうね。
一応、この状態でも(かなりぁゃιぃ状態ながら)台車の取り外しが可能なので、後ほど簡単に補修することにしておきましょう。
何でもかんでも製品の所為にするのは良くありませんが、そこに私の未熟な技量が合わさることで要らぬ工程が増えていくばかりです……。(苦笑)

さて上記写真の状態ですが、先頭にTNカプラーを取り付けるべく、まずは両面テープで位置決めし、後方の穴にピンバイスを突っ込んで床板に貫通させます。
案の定、床板には新たな亀裂が生じましたが、気にせず作業を進めました。


その穴にプラ棒を差して瞬着を流し込み、床板とTNを固定。
要はネジの代わりです。両面テープだけでもそれなりに固定出来ますが、連結の可能性を考えてより強度を確保出来る方法を採りました。


スカートはGMの113系(完成品)の付属部品を流用。
元からTNに対応しているので、ビスを差し込むだけで簡単に取り付けられます。
電連対応の欠き取りは埋めておく必要がありますね。


クリア保護を終えたボディと仮組みしてみます。
紆余曲折ありましたが、イメージするところの「真っ青な475系」に近付いてきました。


床板は製品特有の艶を消すべく再塗装。
それに先立って、カプラー周りは適当にマスキングしておきます。
台車の取り付け部も光硬化パテで補修してみましたが……これはダメ元です。完成後の台車取り外しは極力控えるようにしなければなりません。

その6につづく

北陸の475系 その4

2015年09月23日 01時01分14秒 | 鉄道模型/製作中-475系A22編成【完成】
前回はこちら
標記類の転写や色差し等が終わった車体ですが、忘れていた加工点を次々と発見することになります……。

まずは、両先頭車の信号煙管取り付け。
本来なら塗装前に済ませておくべき工程ですが、オデコに印を罫書き、


デザインナイフで少々えぐった後、ピンバイスで開口しておきます。

それから、オデコの一部をマスキング。


GMカラー9番を吹き、屋根の延長部分を塗り分けます。
当初はオミットする予定でしたが、調べてみると両先頭車で当該箇所の塗り分けが異なるそうで(クハはそのまま乗務員扉付近まで延長、クモハは屋根の中央付近のみが出っ張った凸字型)、知ってしまったからには再現したいもの。
塗装面積が狭いことと、既に標記類が転写済みのために(剥がれ防止のために)大部分は紙でマスキングしていますが、これも転写前にしておくべき工程であることは言うまでもありません。(汗)

が、ここでアクシデント発生! (二回目)
あろうことか両先頭車のボディを取り違えてしまい、クモハにクハの塗り分けを施してしまったのです。(↑の写真はクハと勘違いしたクモハ)
要因は、マスキングしたことにより車番が確認出来なくなっていたこと。拘って製作しようとした矢先、間違いを増やしてしまっては本末転倒です。幸いにもクハは塗装前だったので、マスキングのやり直しだけで済みました。


というわけで、一度は塗り分けたものの、クモハの屋根塗り分け(凸字型)となるように再度マスキング。
もう一度車体色の青を吹きますが、屋根部分は厳重に、前面に掛かる部分はマスキングの境界を曖昧にしておきます。


残しておいてよかった、自家調合の北陸単色!
もう使うことはないと思いながら、多めに作っていたので助かりました。


オデコを塗り分けた両先頭車。
クモハのリカバリーも違和感なく仕上がっています。
この後、つや消しクリアーを吹いて(実車最末期の雰囲気を出すため)いよいよボディが完成です。色々と気付いてからが長かった……。

その5につづく

京阪特急65周年記念HM

2015年09月19日 23時52分37秒 | 鉄道関係

昭和25年9月1日の運行開始から65周年を迎えた京阪電鉄の特急列車。
かつての代名詞的存在であったテレビカーや、エレガント・サルーンの愛称に相応しいダブルデッカー車など、大手私鉄の無料優等列車として長らく最高峰(?)の地位で走り続ける京阪特急ですが、18日(金)まで8000系の全編成に記念ヘッドマークが掲出されていました。
私自身の関わりはと言えば、非常勤の仕事先が沿線にあるということもあり、ここ1,2年で京阪特急はぐっと身近な存在に。さすがに朝の特急は3扉車ばかりですが、帰路で8000系に当たるとやはり嬉しいものです。
しかし頻繁に利用していると敢えて撮影する機会(&気力……)が余りなく、掲出期間を改めて確認すると意外にも短いことを知り(9月一杯やるのかと思ってました)、最終日に駆け足ながらようやく撮影の機会を得たのです。

さて、カーブの多さゆえに撮影地の点在する京阪本線ですが、個人的には京都・大阪府境にもほど近い八幡界隈に魅力を感じます。
特に八幡市の駅前は京都とも大阪ともつかぬ一地方都市にも似た長閑な駅前風景を醸し出していますが、これはやはり石清水八幡宮のお膝元という特殊な事情もあるのかもしれません。また、所在こそ京都府に位置するものの、生活圏としては府境を越えた枚方市の大型商業施設「くずはモール」が近いこともあり、地理的にもなかなか興味深いエリアです。

八幡と言えば例の鉄橋が有名ですが、駅近で手軽なポイントから。


逆光ながら、早速8008Fの特急がやって来ました。
背景には淀川の築堤と天王山。東岸を走っていることが分かります。


8000系に混じってやって来る3000系も記録。水色を基調とした琵琶湖疏水HMが似合っています。
因みに日中の八幡市駅では普通or準急が停車中に対向の特急が通過してダイヤが上下共に組まれており、多少のズレはあるものの、タイミングが良ければこのような離合を捉えることも出来ます。


2453Fの普通。
こちらは京阪百貨店開業30周年記念HMを掲出しています。


8002Fの特急。
2400系の入線がもう少し遅ければ綺麗に並びましたが……こればっかりは運ですね。

小一時間の滞在で八幡を後にして、1駅隣の淀へ移動。
隣駅とは言えどもその駅間は4kmに及びます。木津川・宇治川を渡り、更に渡り終えた後の直線区間でここぞとばかりに種別を問わずの爆走! ダイナミックな車窓と合わせて京阪本線イチオシのポイントです。


日没が迫りつつあるなか、夕陽を浴びながら高架を駆け上がってきたトップナンバー編成・8001F。
この淀駅では上下の特急が高速で離合するので、対向ホームから収める場合、ホーム中ほどに立つのはもちろん、背後にも気を遣うことが肝要とされましょう。

ラストは一気に駒を進め、下車駅の三条へ。


記念HMとハトマークをセットで収めておきます。
思えば昨年は8000系の登場から25周年でした。投入年度によっては私と同い年の編成もあり(画像の8004Fなどは90年12月22日落成、私とたった8日違い!)、親近感を抱かずにはいられません。
停車駅が増えようとも、塗装が変わろうとも、ダブルデッカーを挟んだ2扉車、そして両先頭車に誇らしく掲げられた伝統のハトマーク……私のなかの「京阪特急」は、今後も8000系と共に在り続けるのです。

北陸の475系 その3

2015年09月14日 03時06分30秒 | 鉄道模型/製作中-475系A22編成【完成】
当初は気軽に塗り替えるつもりだった、475系A22編成。
しかし、現在の工作水準に合わせるとやはり手を入れる箇所が多くなります。
というわけで専用カテゴリを設けました。(笑) もうしばらく続きます。

前回はこちら。車体塗装を終えたところです。


各種インレタを用いて、車番や標記類を貼り付け。
ドアレールの銀色もインレタの罫線を利用しています。色差しが苦手なもので、(ズレさえ気をつければ)均一に仕上げることが容易です。

そして、床板にも手を入れていきますが……


集電板を外す途中にパキッ! と割れてしまいました!


台車を取り外そうとしたら、更にパキパキと割れが発生。
古い製品なので、相当プラの劣化が進んでいたようです……。


とりあえず、応急処置。
もともと再塗装するつもりでしたが、思いがけないアクシデントでした。
コレに限らず、一昔前のKATO製品は車体・床下・座席・屋根・ガラスを全て組み立てた完成状態で強度を保っている(個々のパーツは強度に不安がある)車両が多いので、年数が経っている製品の不必要な分解は避けた方が良いかもしれません。

気を取り直して、座席パーツの加工へ。


車端の座席を取り去り、一部ロングシート化された室内も表現していきます。

その4につづく

「しまかぜ」を撮る

2015年09月07日 02時04分00秒 | 鉄道関係
京都発着での運行開始からまもなく1年を迎える、近鉄特急の「しまかぜ」。
なかなか(京都からの)乗車機会には恵まれませんが、撮るのはいつでも! というわけで、先月末から何度か沿線に通っています。


望遠で迫力を……と狙ってみましたが、後ろが切れてしまいました。
以前装飾されていたブルーリボン賞のささやかな記念ラッピングはなかなか似合っていましたが、いつの間にか取り外されたようです。


合間にやって来る普通列車。
写真奥の上鳥羽口駅で急行・特急の2本を退避する便もあるので、距離の割にのんびりとした印象です。


少しポイントを違えて、こちらは夕刻の回送。
周辺や背景がごちゃごちゃしていますが、それも高度集積地区ゆえ。十条や上鳥羽口の辺りはここ20年で随分と様変わりしました。

5日(土)は十条駅へ。
この日はiPhoneしか持っていなかったのですが……


汎用特急車も記録しておきます。


同じく汎用特急車のACE。
後追いだと五重塔と上手く組み合わせることが出来ます。


その後、上鳥羽口で退避していた「しまかぜ」の送り込み回送がゆっくりと通過して行きます。
ホームに居合わせた人も思わず携帯を構えていました。登場から2年半、そして京都発着開始から1年が経とうとしてもなおその人気の高さ、インパクトの大きさが窺えますね。


こちらは少しタイミングがズレましたが、お決まりの構図で。
このところ雨続きですが、この土曜日だけは晴れてくれました。

夏の終わり

2015年09月01日 21時47分44秒 | 京都
9月に入りました。
夏より秋、秋より冬が好きな私にとっては非常に嬉しい、季節の変わり目です。(笑)

結局、今年の夏は京都に閉じこもっていましたが、地元・梅小路蒸気機関車館の閉館は大きな出来事でした。
来春に京都鉄道博物館としてのリニューアルオープンを控えた一時閉館とは言え、今まで自宅や学校の教室にまで日常的に聞こえていた汽笛が途絶えてしまうのですから、寂しさもそれなりに。

さすがに最終日は混雑しそうだったので、閉館3日前の木曜日に行ってきました。
おおかた夏休みも終わった平日の午前中なら、まだ落ち着いて楽しめるだろうという魂胆です。


予想は当たり、10数年ぶりに館内へ足を踏み入れた感想は……記憶のなかと何も変わっていない!
写真手前のちびっ子はそれぞれ別の方向に駆け出していきますが、実は、私が彼らくらいの時は、黒いSLはただただ恐怖の存在でした。
炭水車を従えたその葉巻状のフォルムはもちろん、地獄の底にまで響きそうな汽笛、そして「窓がない」という怖さ。
趣味の対象となった今では信じられない感覚ですが、同じような理由で、山陰線の暗いホームに停まっていた国鉄色のキハ181も先頭の機械室部分を見るのがどうも苦手だった覚えがあります。
そう思えば、いまの車両は随分と丸っこくて優しげな表情になりましたね。


機関車にはいずれも閉館を記念する旗が掛けられていましたが、D52のものがいちばんきれいだったので一枚。


C56とオハフ50は模型用にと細部写真も撮っておきました。
休憩室となって久しいオハフ50ですが、後付けの家庭用エアコンを除いてほぼ原型を残していると思われ、屋外にしては保存状態も良好です。


そして、嵯峨野線の築堤下から不気味に口を開けるトンネル……かつて流れていた鍋取川の遺構です。
周辺には他にも幾つかの支流や旧流路がありましたが、現在は全て廃川or暗渠化され、このトンネルの前後も既に跡形はありません。
この界隈は梅小路公園だけではなく、かつて存在した市電のアンダークロスや豊臣秀吉の築いた御土居堀など、古くから地形が改変され続けてきたエリア。それも鉄道博物館の建設と嵯峨野線の新駅設置でようやく一段落しそうですが、既に役目を終えた川のトンネルなどいつ消滅してもおかしくない状態なので、これが最後の機会と思い収めておきました。


空が広く見える、扇形機関庫と転車台。
ここが原爆の投下地点候補となっていた時代から、70年が経ちました。


ハチロクの牽くスチーム号。
願わくば博物館開館の暁には京都駅からシャトル輸送でも……と思ってしまいますが、いろいろと制約があるのでしょうね。


帰りに遭遇した381系、こちらは残り2ヶ月です。