【単発】キハ41形の製作

2014年12月31日 17時17分53秒 | 鉄道模型/単発ものいろいろ

2014年最後の落成車両、キハ41 2001です。
今までにも小出しにお伝えしてきましたが、大晦日ギリギリでようやくの完成。
高校時代に製作した旧作から部品を取り、増設運転台部分を自然に仕上げることを目標としました。

製作中の写真を幾つか載せていきます。
キットを使わないKATOベースの製作なので、ほぼ実車通りの工程(?)となります。


戸袋窓を埋め、窓枠はケント紙を切り出して貼り付け。


表裏から瞬着を流し込んだ後、デザインナイフで穴を開け、


窓枠のかたちに整え、ペーパーがけしていきます。
仕上がりを揃えるのになかなか苦労しました……。

増設運転台部分は、種車の妻面を最大限に生かして加工していきます。


灯具類は金属パーツから、栓受けは旧作から。


乗務員扉も旧作から流用。
実車が改造された時はキハ40系列に廃車は出ていなかったので、キハ58あたりから持ってきたのでしょうか。

塗装は節約のため朱色で。


マスキングが無いので楽でした。(そりゃそうだ)
屋根は塗り分け線に合わせて分割してみましたが、接着した方が良かったですね。


窓枠を塗装したところ。
車体から少し出っ張った理想の窓枠となりました。


増設運転台側の手すりは金属パーツをわざと押し込み、モールドのようにしてみました。
下部の飾り板はケント紙です。部品取りしてきた栓受けはイマイチだったので、改めて他車から薄くスライスしたものを移植しました。(^^;


前面の窓枠は適当な部品から流用してくる予定でしたが、良いのが見当たらず真鍮線を曲げて再現。


いまいちシャープさに欠けますが、なかなかいい顔に?

最後に床下の加工です。
今回はエンジン類の交換を見送ったので、増設運転台側スカートの加工が中心となります。


強度を保つため、KATOのキハ40形用から改造。




登場時のスカートは103系のような細いものでしたが、現在では例によって強化がおこなわれています。

車体と組み合わせ。


カプラーは台車マウントのままですが、トイレタンクはTOMIXの485系用を干渉しない範囲で取り付けました。


窓ガラスは下部のサッシ印刷を削り、中央のサッシを黒塗りして再現。
クーラーはGMのAU26から。形状は異なりますが、旧作に載せていたものをそのまま使っています。


完成です。
これまでに失敗を含めると実車と同じくらいの両数を製作した気がしますが(笑)、現時点ではこのような出来に仕上がりました。


キハ189系との並び。
竹田城への観光輸送を支える播但線の二車種です。もっとも、春までは入城出来ないそうですが。(^^;

さて、本年の製作車両は以下の通りです。(完成順)

KTR1000・2000形
秋田内陸鉄道AN-8807
オハネフ12(タイプ)
山形鉄道YR888「スウィングガールズ」
オハ12・ナハフ11・スハフ42
115系R1編成
キハ29・59形「ビバ・ウエスト」

塗り替えありキット素組みあり魔改造あり、満遍なく手を広げられた一年でした。
本年の更新はこれで終わります。どうぞよいお年をお迎えください。

関ケ原駅とその周辺

2014年12月29日 23時45分31秒 | 旅行記
先日放送が終了した大河ドラマ「軍師官兵衛」。
何だかんだでほぼ全回を観ることとなりましたが、ラスト2回は関ケ原の戦いが描かれていました。
これまで3月に長浜を、4月に姫路を訪れたものの、関ケ原は何度も通っているにもかかわらず未訪問のまま。
思い立ったらすぐに行ける距離だということで、きのう12月28日、冬の青春18きっぷを使って行ってきました。


京都から僅か2時間ほど、関ケ原駅と言えばこの看板です。
18きっぱーの皆さんにはおなじみの光景かとは思いますが……ようやく下車が叶いました。
この日も米原での乗り換えは四苦八苦。18きっぷがある限り、米原が交通の要衝として廃れることはないでしょう。(笑)


ホームはよく見られる2面4線ですが、各乗り場の方面はバラバラ。
これは当駅から大垣の手前、南荒尾信号場までの間に東海道上り本線と並行して下り列車専用の「垂井線」がある関係でこのような配線となっています。「しらさぎ」などの優等列車は新垂井経由の迂回線を通りますが、一見して別線のように見えるあちらが下り本線。
つまり、大垣から米原への普通列車は東海道本線→垂井線→東海道本線と、実は2路線を跨いでいることになるのです。


駅ホームの下部はレンガ積み。
明治の開業時からのものでしょうか。長年の歴史を感じますが、この地が持つあまりにも有名な歴史に比べるとイマイチ霞んでしまうのも致し方ないところです。(笑)


駅前風景。
ちょうど名阪近鉄バスが発着する時間帯でした。乗り継ぐと大垣に抜けられるそうです。


付近には数々の史跡が残されていますが、そこへ至るまでに通るのが「関ケ原古戦橋」。
もちろん「跨線橋」に掛かっています。


遠くから列車の音が聞こえてきたかと思えば、来春に車両置き換えが予定されている「しらさぎ」が通過して行きました。
18きっぷを使っていて大垣での乗り換えが面倒になったとき、たまにお世話になります。(軟弱)


関ケ原町役場のモニュメント。
それにしても、背景のだだっ広い様子は古戦場の雰囲気が感じられて好感が持てます。




駅から10分足らずで関ケ原町歴史民族資料館に着きました。
番組終了直後ということもあるのか、小さな建物ながらそこそこの賑わい。
企画展もなかなかディープで、黒田長政(黒田官兵衛の息子)と竹中重門(竹中半兵衛の息子)の関わりにスポットを当て、当地での合戦後の様子を詳しく知ることが出来ました。大河ドラマで描かれる「史実」には毎度賛否両論が見られますが、今まで注目されることのなかった人物を知る契機にもなりますから、その点では非常に勉強になります。


グッズショップはかなり充実していて(しかし武田信玄は要らないと思う)、クリアファイルと石田三成の付箋を購入。
西軍の石田三成、ドラマではかなり悪者として描かれていましたが、私はけっこう好きです。
「大一大万大吉」の文字を組み合わせた家紋は「万民が一人のため、一人が万民のために尽くせば太平の世が訪れる」という意味だそうで、今で言うところの「One for all,all for one」でしょうか。(笑)

見学を終え、駅前に戻ります。


国道21号線。
鉄道の方は東海道本線ですが、こちらは旧・中山道。


今は廃業している美容院。
かつては賑わっていたのか、味わいのある建物が幾つかありました。

寒くなってきたので駅へ。


件の垂井線を経由してきた普通列車に乗り込み、米原へ戻ります。
この時点でまだ午後の3時。久々に草津線・関西本線経由の大回りで帰ろうとも思いましたが、乗り換えた新快速で寝てしまい、目が覚めたのは京都直前。ほんとうに思いつきで「行って帰ってきた」だけのミニトリップとなりましたが、たまにはこのような旅も良いでしょう。

キハ29・59形「ビバ・ウエスト」の製作 その7【完成】

2014年12月27日 05時05分54秒 | 鉄道模型/製作中-ビバ・ウエスト【完成】
いよいよ完成です。
前回はこちら
車体の塗装は既に終えていました。


ガイア製の「おうちdeデカール」を使って、側面の文字を貼り付けていきます。
当初は各車2位側に「VIVA WEST」が、後年になって1位側に「「ブルーライナー」の文字が追加されたそうですが、カタカナは何となくカッコ悪いので省略。今だとロゴマーク等で上手くまとめられていたのでしょうね。
EF65や81のレインボー機然り、車体にデカデカと文字を書くタイプの車両は最近見なくなった気がします。


車番は色が同じということでTOMIXのキハ40系更新車・広島色用を流用。
切り貼りしていったんデカールに転写・貼り付けしています。

各所色差しを済ませた後は、クリアーで保護。
窓入れに移っていきます。

一部は種車の窓ガラスをそのまま使いますが、それ以外は0.4mmプラ板を切り出していきます。


前面窓は現物合わせで切り出し、縁に細切りしたシールを貼って再現。


ライトと表示器の窓は銀を縁取ってからはめ込んでいきます。
ヘッド・テールが一体になったライトは鉄コレNDCのライトパーツを裏側から接着。


側面窓は一枚一枚、平滑が出るようにはめ込んでいきます。


どうでしょうか?

床下機器の加工は特にありませんが、ロット違いなのでグレーで再塗装。


GMキットの余剰パーツからダミーカプラーを取り付け。
前面に干渉する部分は適当に切り欠いて逃げを作り、前位の台車にはGMの排障器を追加しました。
スノープローが無い車両なので、せめてこれくらいは。(笑)

組み立てていきます。




完成!
あっさり仕上げることが出来たかと思います。
机上論では簡単な加工ですが、細部の資料の少なさや、前面の複製はなかなか苦労しました……。


レイアウト上にて。
左にぼんやり写っているのは初代広島急行色ですが、とても同じキハ58系とは思えません。
「フェスタ」や「エーデル」ほどのインパクトは無く、「ふれあいパル」ほど原型を留めてはおらず……その微妙な立ち位置から今やすっかり歴史に埋もれた車両となってしまいましたが、こんな列車で中国・山陰を巡ることが出来れば楽しかっただろうなと、しばし思いを馳せてみようと思います。

京都市バス、ツーステ車の冬

2014年12月26日 03時20分40秒 | バス関係
12月24日・クリスマスイブから京都市バスでも全国交通系ICカードの利用がスタートしました。
一度くらいは「ピッ」と言わせてみたい気もしますが(笑)、私はいつも割引の効く磁気カードや回数券を財布に常備しているので当分機会はないでしょう。
増税後は特に通常運賃で乗る機会が減ったように思います。しかし他府県からの観光客や年末年始の帰省客にとってはありがたい措置であり、相次ぐ両替による遅延も少しは収まるのかな? と見ています。

さて、年も押し迫り、そろそろ新車の足音も聞こえてくる頃です。
そうなれば毎年気になるのがツーステ車の去就ですが、この時期は廃車を前提として頻繁に運用入りさせているのか、ただの日常的な充当に過ぎないのか、その見極めがたいへん微妙なところです。(笑)


五重塔をバックに九条通を走る九条営業所所属・キュービックの6398号車です。


この系統も少し前までは日常的にツーステが充当されていましたが、今や希少の部類。
しかし最近は月に数度は見かけるようになり、この日(12/23)も通常の運用に入っていました。

また、ツーステ車がほぼ確実に充当されるのが大学輸送の快速系統。
大学が冬季休暇に入ると年内は見納めになることから、12/24夕刻の数便を見てきました。


同じキュービックでも、こちらは梅津営業所所属の6272。
95年式の都市低床車で、2つ下の6076と見比べると車高の違いが分かります。


続行して来たのは九条営業所所属・元リフト付き車の6413。
非対称の前面が特徴です。このグループは現在3両が残存していますが、今までは快速専従だったのが他系統にも充当されるようになり、活発な動きを見せています。


暗くなったのが随分と補正していますが……唯一の94年式キュービック、梅津営業所所属の6076です。
こちらも休日は他系統に運用入りすることもありましたが、やはり花形は快速運用でしょう。年明けの開講期間(約2週間)が終わるとさすがにそろそろ……という気がしますが、この車両にも漏れなくICカード読み取り機が備わり、また一つの節目を迎えることとなりました。

梅小路公園に搬入された車両たち

2014年12月24日 23時32分02秒 | 鉄道関係
既報の通り、今年4月に閉館した大阪の交通科学博物館から、2016年春に開業予定の京都鉄道博物館へ向けて、収蔵予定車両の修繕や移送作業が着々と進んでいます。

12月22日(月)夕刻。
それらが見られないかと思い、久々に市電ひろばを訪れてみると……


ん?


ん?


いた!
ナシ20と80系電車の2両、それから500系W1編成の先頭車(分かりにくいですが2枚目の左端に写っています)の姿が確認出来ました。(500系と同日陸送された100系先頭車は確認出来ず)
いずれも綺麗にお色直しされていて、特にナシ20は腐食が進行していたのがウソのよう。


(参考)14/03/23 旧交通科学博物館にて
長らくこの退色したイメージがありましたが、20系客車本来の色とは随分かけ離れていたのですね。

また、市電ひろば側に回り込むと、


工事用の駐車場越しに、80系の全容を見ることが出来ました。
どの車両も博物館の建物が出来るまでの収容待ちといったところでしょうか。ネットに出回っているイメージ図では屋外保存のものもあるそうですが、この日もまた、変わりゆく梅小路公園の一コマに立ち会えた気がしました。

京都バス免許維持路線・庫系統(高野車庫―市原)

2014年12月19日 02時58分43秒 | バス関係
気付けば免許維持路線の記事も増えてきました。

一年に一度の運行! 京都バス免許維持路線・95系統に乗る
休日午前に3本のみ! 京都バス45系統に乗る
京都バス免許維持路線、また増える
月イチの免許維持路線・奈良交通76系統など

詳細でないものを含めば他にも触れている記事はありますが、やはり免許維持路線の宝庫として名高いのは地元京都バスでしょう。
例の「春分の日のみ」を含め、平日のみ・土休日のみ・早朝深夜のみと有象無象の免許維持路線が入り乱れ、バス停はもちろん公式HPの時刻表にもきちんと記載されているので容易に見つけることが出来ます。
そんな京都バスの免許維持路線ですが、系統番号のないものは「庫系統」と呼ばれ、他系統の出入庫ついでに寄り道をして免許維持区間を走るといった合理的な運行がされています。配布される路線図等では免許維持区間にもきちんと線が引かれ「庫」と記載されているのが特徴です。
今日はその「庫系統」の一つ、平日の夕刻に1往復が運転されている高野車庫~市原の路線をご紹介します。

12月15日(月)、夕刻の高野車庫。
そう、前日には奈良交通の76系統に乗車したばかり。2日連続での免許維持路線乗車です。


16:07発、定刻通りに出庫してきたのは「東北部クリーンセンター・市原」表示を掲げた庫系統。
市原へは北大路駅や京都産業大学を経由する35系統がメインルートですが、こちらは賀茂街道と市原バイパス(その途中に東北部クリーンセンターがある)を経由するのが特徴です。半角で表示された「クリーンセンター」が印象的ですが、誤乗を防ぐためには「賀茂街道」を付記すべきだと思います。もっとも、免許維持路線なので(ry

さて、発車したバスは北大路通で数人の客を乗せ、賀茂街道交差点を右折します。


ここを右折するのはこの系統のみ。
35系統は北大路通・堀川通と直角のルートを経由するのに対して、我が庫系統は賀茂街道(言わば直角三角形の斜辺)を経由していきます。所要時間は言わずもがな、しかし地下鉄からの乗り換え客やショッピングセンターからの買い物客を拾う必要がある以上、こちらはメインになり得ないのでしょう。


バスは賀茂の流れを右に見ながら北へ進んでいきます。葵祭「路頭の儀」のルートでもあります。


上賀茂神社前の御薗(みその)橋を渡り、今度は川が車窓左側へ来ます。


川の流れも細くなった柊野(ひらぎの)別れを過ぎると免許維持区間となります。
次の柊野では意外にも降車があり、免許維持路線ながら平日の毎日運転が定着していることを実感。因みにこの地域では往路が賀茂川東岸、復路が西岸を経由します。今年3月に当地域へ路線が延伸された市バス特37系統も両岸を循環運行しており、京都バスの古い標柱(後述)と市バスの真新しい標柱が仲良く並んでいる様子が見られます。

志久呂橋を過ぎるといよいよ賀茂川の見えない区間が続き、本格的な山道へ。
もうここまで来れば京産大は目と鼻の先ですが、このバスはそちらを経由せず市原バイパスを目指していきます。


山幸橋で分かれ道が出現。
今は無き雲ケ畑線の37系統(市バスと番号が同じでややこしい……)はここを左折して岩屋橋へ至っていました。現在ではヤサカタクシーに運行が委託された「雲ケ畑バスもくもく号」が走っているため、今でもバス路線自体は細々と存続しています。

やがて線形の良い市原バイパスに差し掛かり、乗降もなくすっかりドライブ気分。


市原大橋バス停。
京都バスの免許維持区間は大体どこもこのような寂れた標柱です。数年前の市交通局のイベントではこの形をしたうちわが売っていたので買った覚えがあります。(笑)

そうして東北部クリーンセンターの煙突が見えると道は下りに差し掛かり、あっという間に市原の集落が姿を現します。


高野車庫から30分弱で終点市原(転回場内)に到着。私を含む3人が降車しました。
すぐに前面表示が切り替わり、折り返し40系統・地下鉄国際会館駅行きとなります。後ろに控えているのは35系統・京阪出町柳駅行き。どちらも京産大を経由する通学路線です。授業の終わる時間帯(=便数の増える時間帯)に合わせ、路線の免許維持がてら送り込みがおこなわれていることが分かります。

賀茂川西岸を経由する復路にも乗りたいところですが、こちらは入庫路線なので市原を20時過ぎの発車。
さすがにそこまでは待てないので(笑)、叡電で帰宅の途につきます。


静寂に包まれようとする市原の集落。


ホームに上がると鞍馬行きがやって来ました。
夕刻でもあるせいか、当駅での降車は多く、ここ市原が京都市街地の(一応の)北端であることを実感。夜間を中心に出町柳~市原の区間運転が多いのも頷けます。
紅葉シーズンが過ぎ乗客もまばらになった鞍馬行きを見送り、やがて一つ先の二ノ瀬駅で交換してきた出町柳行き「きらら号」のシートに体を埋め、洛中へと戻ったのでした。

大石神社義士祭など

2014年12月17日 02時11分05秒 | 日記
12/14の後半です。
前回はこちら

近鉄で京都駅に戻り、八条口のアバンティで時間を潰した後は、13:50発の京阪バス山科急行線(通称:山急)に乗ります。
2010年に新設された、京都市の南部を横断するバス路線ということで、特に山科区側ではJRや地下鉄だけでカバーの難しいエリアを結んでいることが特徴です。また、阪神高速8号京都線の稲荷山トンネルを通ることから、車両はシートベルトを備えた専用のBタイプが充てられています。


参考写真(別の日に撮影)
走行ルートも興味深く、八条通を河原町まで東に進み、JRのガード下を潜った後は塩小路通を鴨川まで直進。鴨川と疏水に挟まれた師団街道を十条相深町(京阪鳥羽街道駅)まで下ってトンネルに入ります。これら南区側のエリアは幼い頃からずっと工事をしていた印象がありますが、今や立派なバス路線、幹線道路に昇格。時の流れとともに人や物の流れも変わるものです。


稲荷山トンネルを抜け、山科区に入って最初の停留所、大石神社前で下車。
八条口からは約10分で300円(均一)ですから、山科駅でJRとバスを乗り継ぐより時間も料金も安くつきます。従来、山科区から京都市内中心部に抜けるバス路線は三条京阪や五条坂・馬町へしか行きませんでしたから、京都駅へ直結する山急は随分と魅力的。先のダイヤ改定で立席乗車が認められ、休日は大阪府内(香里園)まで足を延ばす便もあるということですからなかなか好調なのでしょう。

さて、大石神社といえば忠臣蔵でおなじみ大石内蔵助を中心とした赤穂浪士を祀っているところでありますが、実は京都に住んでいながら今まで一度も訪れたことのなかった場所です。討入りの12月14日には義士祭が催されるということで、この日に生まれ、幼少期から忠臣蔵を題材とした映像の類を観てきた者としては是非行っておきたい! ということで今回の訪問と相成りました。

と、その前に、山科区内を練り歩いてきた義士行列がそろそろ神社に到着する頃です。実はそれを狙って山急で駆けつけました。(笑)


先頭は門川大作京都市長。
この後、お着物を替えて選挙特番に映っておられました。(笑)


後に続く義士行列です。
もちろん四十七士揃っての行列、「ミニ時代祭」のようで壮観です。


伴走の専用車。どうしてもこういうところに注目してしまいます。(笑)

観客と一緒に行列の後を追っていくと、大石神社へ辿り着きました。


(写真には映っていませんが)出店と祭で賑わう大石神社境内。
討入りは元禄期の出来事でありながら、創建は昭和に入った1935年とのこと。これはおそらく、江戸期に長らく憚られてきたことが、明治期以降、第二次大戦中まで及んだ「帝国の時代」を経ていくなかで、かつて忠誠を誓っていた主君のために行動を起こした赤穂義士、彼らの存在に再び注目が集まったからではないでしょうか。一方で、そうした「歴史の再発見」は同時に「史実のイメージ化」とも隣り合っており、これは時に危うさを孕んでいるとも言えます。
浅野長矩の殿中抜刀から浪士の吉良邸討入りに至る一連の「赤穂事件」、その実態は調べれば調べるほど、テレビや映画を通して受ける印象とはまた異なるものですが、幕末の新撰組然り、史実をきちんと踏まえたうえで、後世の人々が付してきた歴史的イメージや価値も楽しんでいきたい、それが学際的研究を続けてきた私なりの考えです。

話が長くなりましたが、神社に到着した行列。


今はなき中村勘三郎さんが演じていた大河ドラマ「元禄繚乱」を髣髴とさせます。思えばあの頃は小学生でした。


続いて四十七士が周りを囲み、舞踊の奉納がおこなわれました。
年に一度のお祭り、そして忠臣蔵が全国区の認知度を誇っていることも要因であろうとは思いますが、地域の人々に愛されている行事であることを強く実感しました。ゆかりの地の一つとして、今後も末永く続いてほしいものであります。
周辺も昔ながらの農家を思わせる佇まいの家々が多く、まだまだ知らない京都を垣間見た思いがしました。

帰り際、古そうな石碑を発見。


「右 京都大佛三十三間堂」というのは、いまの京都国立博物館の隣、豊国神社の場所にあたります。
かつて焼失と再建を繰り返した大仏がそこにあり、下京区を東西に貫く正面通は「大仏正面」へ至る道の名残です。
果たしてこの石碑はいつ頃に建てられたのでしょう。「右」というのは、この道の先、今熊野に繋がる醍醐道、或いは馬町に至る渋谷街道のことを指しているものと思われます。
因みに左側の面はこの先の大石神社を示していますが、この面があるお陰で(?)、道標は既に存在しない大仏を示し続けることが出来ているのでしょう。幹線道路にありながらも往時を偲ばせる貴重なアイテムです。

前日からも合わせると、大変に密度の濃いひとときとなりました。
ちなみに大石神社で引いたおみくじは奇遇にも「四十七番」の小吉。出だしとしては、まぁまぁ良いんじゃないでしょうか。(笑)

月イチの免許維持路線・奈良交通76系統など

2014年12月14日 23時43分53秒 | バス関係
24歳になりました。
前日は納会を掛け持ちしておりまして……


2件目は大学時代の友人たちが遠方から集まってくれたのですが(別にこのためではないにせよ)、前祝いのサプライズがありました。
居酒屋でこういうサービスを受けるのは初めてのことですが、ちょっと恥ずかしい。(笑)
いやはや、ありがたいことです。

解散は23時頃だったので、


軽く時間を潰して、近鉄京都線普通2340レで0時を迎えました。
オーソドクスな近鉄8000系の4連ですが、こうした場面で巡り合わせると思わず模型で再現したくなります。

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そして今日は、また近鉄に乗って伏見区向島へ。


駅前にある奈良交通のバス停標柱。
そう、京都市内では京都バス95系統に次いで有名な免許維持路線、奈良交通向島線の76系統に乗車します。


時刻表はご覧の通り。
毎月第二日曜のみ運転ということで、今年最後の運転日は12月14日。記念も兼ねて乗りに来ました。


待つことしばらく、少々遅れ気味でやって来たのは営業所のある大川原(おおがわら)から来た前運用の75系統。
向島駅前で折り返し76系統となって別ルートで大川原へ戻る運用です。一度に両方乗ることも考えたのですが、いずれの機会に残しておきます。


月イチの停留所が今まさに機能しているところ。
この日の乗客は、私と折り返し乗車する同業者さんとの2人。バスマニアはほんとうに人口が少ないですから(そうでもないか?)、こういうところにでも行かない限り遭遇しません。


軽く挨拶を交わし、バスは向島ニュータウンの中を周回していきます。
少ないながらも途中の停留所にも専用の標柱が用意されています。メインは近鉄バスのテリトリー。


ニュータウンを抜け、10分強で終点の大川原に到着。運賃は160円。
マニアしか乗らないことは運転手さんも重々ご承知らしく(笑)、降車後はご厚意で撮影の時間を設けていただきました。


御礼を述べて車庫への回送を見届けます。
この向島線75・76系統はルーツこそ近鉄の前身・奈良電気鉄道のバス部門の名残りだそうですが、現在ではこのように京都市内に僅かでも路線を持つことで京都市バス運行受託の権利を確保することの意味合いが強いらしく、現に同地域を「飛び地」として走る近鉄バスは市バス洛西営業所に業務を委託されています。つまり、近い将来、何処かの営業所が奈良交通に業務を委託するという可能性も残されているということです。
そうした意味では京都バスの「免許維持」とはまた違った性質を持つ奈良交通向島線。資格を持っている、可能性を残している……距離は僅かながら、その重みを実感したショートトリップでありました。


そして、続行してやって来た京都京阪バスで近鉄小倉駅へ。
こちらも向島駅を発着している路線ですが、運賃は均一で210円。奈良交通の料金体系がよく分からなくなりますね……。(笑)


せっかくなので、駅では硬券の入場券を購入しました。
もちろん趣味購入ですが、こちらも駅員さんのご厚意で入鋏印を捺していただきました。
やって来た京都行きの普通に乗って、次の目的地へ向かいます。

つづく

キハ29・59形「ビバ・ウエスト」の製作 その6

2014年12月12日 02時13分52秒 | 鉄道模型/製作中-ビバ・ウエスト【完成】
年明けに京阪旧600系・700系の鉄コレが発売されるそうです。
私は実車を知らない世代ですが、現在走っている1000系の種車ということで改造意欲をそそられるところ。
模型ではなかなか縁遠い関西私鉄ですが、京阪電車を利用することの多かった一年なので、どうしようかな……と考えているところです。

さて、何とか年内に完成させたい「ビバ・ウエスト」。
前回はこちら

種車の都合がありまして、屋根についても、

キハ56→キハ29へ(水タンク不要、角型クーラー)
キハ28→キハ59へ(水タンク要、通常の丸型クーラー)

このようにしなければなりません。


というわけで、水タンク部分を切り継ぎます。
タンクはモールドを削って平滑にすることで実車の形態を簡単に再現。


場所が場所だけに車体固定用のツメは削ることになりますが、裏側からも補強しておきます。

屋根とクーラー部品を塗装。


キハ59の方は種車のクーラーをそのままパチパチ嵌めていきますが、キハ29はGMの角型クーラーを位置決めして裏側から瞬着を流して固定していきます。


一部のクーラー間にある丸型ベンチレータは鉄コレの気動車から取ってきました。

続いて床下の加工に移ります。
前面のスカートですが、登場当初の連結器カバーと一体になったスカートと、その後よく見られた分割スカートの2形態があるそうなので、どちらも再現するということで。(笑)


キハ40系用のスカートをベースに、プラ板で覆っていきます。
山陰西部や瀬戸内で活躍していたせいか、スノープラウは無いようです。


整形後に白塗装。
連結器カバーは適当なプラ片で作りました。分割スカートの方は強度を保つため補強を入れています。


補強部分を黒塗りして、車体と仮組み。
スカートが付いたことで一気に完成が見えてきました。床下は機器を再塗装したのみで基本的にはそのままです。


角型クーラーのキハ58系列というのも新鮮です。
後年になって取り替えられたそうですが、種車の出自を物語るうえで重要なアイテムですね。

次回は標記類と窓入れに移っていきます。

こっちから見れば東山、あっちから見れば西野山

2014年12月07日 23時58分30秒 | 日記
今日は遅れていたトワイライトエクスプレスを撮りに、久々に山科「西野山」の俯瞰へ。
もたもたしていたせいで、結局、お目当てにはギリギリ間に合わなかったわけですが……。


前回訪問は「日本海」を撮った2012年1月のこと。
その時よりも樹木が茂って撮りづらくなっていました。




それでも何とか抜ける構図を探しますが……画面のどこかしらに被ってしまいます。




脚立の必要性を感じましたが、大幹線の雰囲気は十分。
原色の117系を撮って撤収となりました。


帰りは最寄りの「北花山」バス停から京阪バスのポンチョで九条山を越え、三条京阪まで。
狭隘路と幹線道路を同時に味わえるおもしろい路線でした。先ほどまで撮影に興じていた場所も、こっちから見ればもう「東山」です。

そして京阪東福寺乗り換えで帰ろうとしたところ、四条まで歩けば乗継割引(双方が初乗り区間の場合)が適用されることを思い出し、


祇園四条駅で連絡切符を購入、まだまだ観光客で混雑する東福寺駅で乗り換えて、切符を持ち帰ってきました。
普段は磁気orICカード利用が多く、あまり利用しない区間・制度なので新鮮でした。

「北斗星」廃止へ

2014年12月06日 00時49分29秒 | 日記
前々から話は出ていましたが、寝台特急「北斗星」廃止の報せ


今春定期列車が廃止となった「あけぼの」に続き、いよいよ青い客車「ブルートレイン」が消えることになります。

私自身は過去2回の乗車経験がありますが、何故か2回とも珍車のオハネフ24 501を引き当ててしまい、




今年8月の乗車時には道内の降雨で6時間の大遅延、そのお陰で(?)盛岡で形式写真を撮影する機会にも恵まれました。
結局この時は仙台で運転が打ち切られ新幹線振り替え。それもまた良い思い出ですが、夜行列車が会社にとってお荷物的存在であることを実感したひとときでもありました。


13/12/12 函館(敷地外より撮影)
道内牽引の任に当たる専用塗装・重連のDD51も見納めとなります。「はまなす」の去就も気になるところですね。

春までには東京方面へ赴く予定もありますので、その折は撮影に興じてみたいと思います。


クモハ123形の製作 その5

2014年12月03日 02時59分50秒 | 鉄道模型/製作中-クモハ123【完成】
師走に突入。
日常は一層慌ただしく、模型は牛歩のごとく……。
まぁ、そんなもんですね。(笑)

前回はこちら
2ヶ月ほど空きましたが、先月の進捗分です。


この状態でも十分雰囲気は出ていたのですが、運転台部分の窓が気になったので追加工。


0.5mmプラ板を両端に貼り付け、窓を縮小します。


実車はこちら。
どちらかといえば正方形に近い形をしているので、原型の「103系高運転台顔」の面影は余り感じられません。
貫通扉を後付けすることに対して、視界を多少犠牲にしても強度を確保する意味合いがあったのかもしれません。


Rを付けるために光硬化パテを盛り付け。
プラ板で植えた手すりも出来る限り細くして、モールド感を出していきます。


そして、慎重にヤスリがけしたのがこちら。
奥まっている部分ゆえ、細かなキズ等は塗装をしないことには分かりませんが、それなりに近い表情となりました。

今後はいよいよ箱組みの段階に移っていきますが、


動力については、先月入線の113系から奪おうと考えています。(笑)
こちらは他社製動力に換装して嵯峨野線の4連に仕立てる目論見ですが、調べるほどに細かな違いが気になりだして……?