台風の接近により、開催が危ぶまれた今年の祇園祭(前祭)山鉾巡行。
過去4年連続で曳き手のアルバイトやボランティアに参加してきましたが、今年は都合がつかず辞退。
当日は強風に加えて大雨となりましたが、懸念されていた台風は進路を変え、大きなトラブルもなく無事に執り行われたようです。
さて、今回多くの人が注目した巡行そのものの決行ですが(決行が発表されたのは当日の早朝5時過ぎでした)、過去に中止となった例はあまり聞いたことがありません。
そのせいか、巡行前日の16日には各新聞社が「何百年も」前の中止例を参照しながら開催の可能性に言及。
なかでも、読売新聞のサイトが詳しくまとめてくれていますので、引用しておきます。
・YOMIURI ONLINE
「本能寺の変で延期した例も…祇園祭に台風迫る」http://www.yomiuri.co.jp/national/20150716-OYT1T50193.html(2015年07月16日 16時03分)
1467~99年 応仁の乱による荒廃で中止
1582年 本能寺の変で11月に延期
1680年 徳川家綱の死去で延期
1865年 前年の禁門の変の影響で前祭中止
1879年 コレラ流行で前祭・後祭とも11月に延期
1884年 大雨で前祭の山鉾巡行を中断し、23日に延期
1886年 コレラ流行で前祭・後祭とも11月に延期
1887年 コレラ流行を警戒し、前祭・後祭とも5月に前倒し
1895年 コレラ流行で前祭・後祭とも10月に延期
1912年 明治天皇の容体悪化で後祭を中止
1913年 明治天皇崩御の服喪で前祭、後祭とも8月に延期
1943~46年 太平洋戦争の戦局悪化と戦後の混乱で中止
1962年 阪急電鉄の四条通地下工事で中止
これを見ると、応仁の乱や本能寺の変といった一般にも広く知られている歴史的事実に影響されたこと、疫病退散を願って始まった祇園祭もコレラには勝てなかったことや、ほんの100年ほど前までは時期を変更したケースが多くみられ、意外にもフレキシブルな運用がされていたのだと驚きます。
現代では交通規制やそれに伴う各種手配諸々の関係で前倒しや延期などはまず無理だと思いますが、いずれにせよ、過去50年間は予定通り決行されてきたため、前例を知らない人が多いのも無理はありません。
直近では1962年、阪急電鉄(当時は「京阪神急行電鉄」)の大宮~河原町間地下線の延伸工事のため中止されています。
実はちょうどこの頃の京都を研究対象としているので、これについては以前から知っていましたが、せっかくなので手元にある当時の新聞記事をあわせてご紹介。
・京都新聞 1962年7月17日(火曜日)夕刊 「祇園祭り〝ショート巡行〟に歓声」
きょう十七日は、京の夏を飾る日本の三大祭り、祇園祭りの本番。ことしは阪急の地下鉄工事で山ボコの四条通巡行は中止。伝統破りの「動かぬ祇園祭り」となったかわり、各ホコ町の祇園ばやしはひときわ高く〝聞く祇園祭り〟をかなでた。一方、鶏、菊水、放下三ホコ町でも〝町内デモ〟で観光、見物客を集めたが、朝からの高曇りもひびいて午前中の人出は府警本部調べで四万人。例年の人波を大きく下回った。
・京都新聞 1962年7月24日(火曜日) 「ひっそりと「宵山」 後の祭り九基の山に点灯」
……後の祭りは、近年、十七日行なわれる前の祭りに人気を奪われたかっこうであまりふるわないうえ、ことしは四条通の阪急地下鉄工事で前の祭り同様、巡行中止・居祭りときまったためかこの夜の人出は少なく〝かき山〟の町筋などひっそりしたもの。(中略)なお居祭りになっている後の祭りでも、南、北両観音山だけは前の祭りの鶏、菊水、放下の三ボコ同様、町内巡行を行ない、〝動かない祭り〟に花をそえることになっている。
これらの記事によると、この年の祇園祭は一部の町内に限って小規模な巡行はあったものの、基本的には山鉾の動かない「居祭り」になったことが分かります。いまでは「動く美術館」とも評される山鉾ですから、人出が大きく減ったのも納得します。
また、24日付の記事にある「近年、十七日行なわれる前の祭りに人気を奪われたかっこうであまりふるわないうえ」といった記述の通り、交通渋滞の懸念や観光の促進、高度経済成長といった時勢もあり、この数年後の1966年には、前祭・後祭が一昨年までみられた合同運行の形式に変更されることとなりました。
そうした長い歴史のなかで、幸いにも中止の前例に加わることなく決行された今年の前祭山鉾巡行。
しかし、昨年から後祭が復活、今年は四条通の歩道拡幅後初の巡行となり、祇園祭そのものが、そして、それを取り巻く〈京都〉は確実に変容し、一つの転換期を迎えていることは確かです。
今回、中止が懸念されたことからたまたま歴史を振り返る機会に恵まれましたが、時代を遡れば、疫病にはじまり、戦争、災害、時の政策――様々な出来事による「曲がり角」を経てきた祇園祭、そのたびに、懸命に「辻回し」をおこないながら困難を乗り越えてきた町衆(まちしゅう)の力に、改めて尊敬の念を抱かずにはいられません。